【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】7

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真言氏は顔を顰めるだろうが、
私がなぜ、「(原始)仏教は素朴実在論的だよ」と言いたがるかと言えば、
「存在」「実在」という語、概念の、現実・日常に於ける使われ方を踏まえる形をとるからだ。
彼は、「仮設存在(論)」という言い方なら、渋々許容できると言った。
が、一般的・日常的、いや、人口に膾炙し、真っ先にイメージされる「実在」の語義は、
そのように《(仮設されていても)「ある」場合に》こそ使用されるものだからだ。
学界での(哲学的)専門的、本来的語義の重要性は、この時雲散霧消する。
(これは、「空」や「縁起」という仏教の術語についても同じことが生じうるわけだが、
「実在」という語のもたらす一般的イメージよりは訂正し易いと思われる。)

さて、赤子に乳をやる母親にとって、
今まさに乳首から乳を吸い出している、この小さな生き物は実在するのかしないのか?
こういう問いになるわけさw

「実在」には、大きく二義がある。
真言氏が採用する「専門的・本来的語義」と、御隠居が採用する「一般的・拡大解釈語義」と・・・。
(そして、後者の方がより広く流布し、強固な形で受け止められている・・。)

どっちが「実在」の語義としてふさわしいんでしょうね・・・。