【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】7

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>>190には返す言葉が無い。

言い訳として言えるのは、言語に於ける(→会話に於ける)フレーズとして、
駅伝やマラソンで、「心臓破りの坂」という言葉があるが、
コース下見の際等、この先には「心臓破りの坂がある」と助言した時、
≪その坂が「心臓破りの坂」という名称ではないし、「実際に心臓が破れる場所」でもない。けど、誰もが、そこを「心臓破りの坂」と称する。
 【実際には】「心臓破りの坂」ではないのに、「心臓破りの坂」という呼称がどんぴしゃりと当てはまる。人々の頷きを誘う。
 厳密に言えば、【心臓が破れそうに感じるほど、心肺機能に負担のかかるタイミングであり場所である】というだけなのだが、
 助言したコーチも、助言を受けた選手も、【そこを、「心臓破りの坂」として認識する】。≫
こういう構図だと考えてみてはどうか?