ダイジ和尚グルKニサルガEOガンガジ津留エック等2
まあ苦痛が必要とか苦痛を求めるとかいうより、生が苦であることを知るってことだろうね
仏教の一切皆苦みたいに
ふつうは生を快楽と思う自我を作ってるだけで、それは錯覚であって、眼が覚めてくると苦
でしかないとわかる
だけど苦に思うのも自我なわけで、実際自我が落ちると、苦でもなくなるけどね
ふつうは自我を自分だと思ってるから、自我が死んでいくとき苦痛かな
魔境とか経験したりすることも多いし
でもそれもまた自我の夢であり、その裏には光明があるのだから、苦とか闇とか言っても
しょうがない気もするけどね
普段の自分というのもそうだけど、苦や闇や必要も、そういう思いを生じさせてるのは誰(何)
かってことだよね
そういうものがあるのかっていう