【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】5

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952:2009/06/25(木) 10:07:40 ID:HfpMv/jB
>>950
そうだね、輪廻とニルヴァーナとは我々の立場の如何に
帰するものであり、それ自体何ら差別あるものでないと
するのが中観派の考えだね。

また、「中論」帰敬序で「八不、戯論の寂滅、めでたさ」
が縁起に関していわれているが、これらは元来ニルヴァーナ
に関して当然いわれるべきことであるとも。

さて、仕事だノシ
953神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 10:14:25 ID:RTfqk2Mt
>>948
>「事物」とは、つまり“形成されたもの”であって、それは“現象世界における一切”です。
「事物」がダルマ(法)であることを認めないなら文献考証も何も無いでしょ。
ただ、自分の恣意で都合のよい解釈をするということに過ぎない。
法には有為法もあれば無為法も有る。正法もあれば邪悪法も有る。
ソクラテスでさえ「悪法も法なり」と言って毒杯を仰いだね。
「一切」は「すべて」以外の意味は無いだろ。
一切法といえば有為法・無為法のすべてであることは当然だ。
サンユッタニカーヤの「一切」を引用してたけど、そろそろ勝手な
「一切」の解釈やめたらどうだ?頭いたくなってないか?www
954神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 10:17:51 ID:RTfqk2Mt
>>952
そのとおりですね。
中論で俺の昔の名前(コテ)を思い出した。

お仕事ご苦労サンです。
955神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 10:31:43 ID:fi5jl/AH
>>933 在家氏
わたしはまったくの素人ですので想像、推測ですが、
上座部のなかでも有我や無我などの意見対立があったようです。
無我を積極的に採用したのは、空を説く般若経典群だろうと思います。
 
空思想の完成者・竜樹は、こういった背景をもとに<諸法無我>を語り、
三法印を修行者(小乗)のためのものとし、
修行完成者は一実法印<空>であると説いたのではないでしょうか。
 
956神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 10:48:05 ID:fi5jl/AH
「形成されたもの」と「一切の事物」
 
ダンマパダの「形成されたもの」は縁起の対象になる「もの」です。
従って有為法に限られ、さらに縁起が成立する「もの」に限られます。
 
「一切の事物」は、縁起に関係なく、すべての領域に渡る、
認識の対象となりうる事物(現象)を指しているのだと思います。

957宝珠愚者:2009/06/25(木) 10:49:26 ID:E+mUTJi9
>>946
ニルヴァーナが「空」なら無価値ですね。
まさに-からっぽ!!!です

>>942
「不生不滅」とは本来は、
「縁起しているものは、自性として生じたり滅したりしているのではない」ということでしょう。
ま〜いいです。ニルヴァーナとは二度と母胎に宿らないことであり、
また不滅の意識なのですから。

>>951
ならば、いいのですが・・
(そうであれば同意します)

このスレでは、ゴータマは「アートマンそのものが存在しない」と説いた、
という意見が主流(多数意見)であり、それが「無我」の教えであると。
従って、ニルヴァーナというのも無我なんだそうです。
石飛氏も、「自己はない」と結論したと。>>554
958宝珠愚者:2009/06/25(木) 10:50:44 ID:E+mUTJi9
>>953
『「無自性」
 (岩波仏教辞典「無自性」の項より)

 固有の本質(自性)をもたないこと。すべての事物は、他のさまざまな事物や構成要素
に依存しており、それゆえ固有の本質を欠いているという意味。龍樹は『中論』において
「自性は他に関係せず、作られない」と定義づけ、これにより、自性を欠いていることを意
味する空と無自性は同義であるという。この定義によれば、他に関係するものはすべて

無自性であり、それゆえにまた、他の事物に縁って生起することをさす縁起は、必然的

に空=無自性を含意するという。』

だそうですよ。
「事物」が見えましたか?

>「一切」は「すべて」以外の意味は無いだろ。

では、あなたの理解する「一切皆苦/一切行苦」とは、
ニルヴァーナも苦の世界ということなのですね。>>769
959旧7:2009/06/25(木) 11:00:00 ID:v3lNXjY4
 >>866
 >二つのアートマンが想定されてしまいます。
そうでもないし、
 >>949
 >低我としてのアートマン(自己)と高我/大我としてのアートマン(自己)であり、
このように考える必要もない。
≪同じ「自己」が、その在り方を変えた≫と見るだけで十分だ。
『自分自身が、自分自身の言動を誘(いざな)うべきである』
 (→他者からアレコレ言われ、或いは影響され、或いは強制されて言動がなされるのでなく、
   自ら考え、判断し、分別し、適切なベクトルで言動を為す。)
この意味での前者と後者の「自己」で何の不都合がある?
 (※これが“正しい読み”というのでなく、可能な読み方の一つとしてある、ということ。)

また、次のように見ることもできる。
よく「自分に勝つことが大事」などと言われたりする。
(ここでの“勝つ”は“克つ”が使われたりもするが・・・。)
たとえば「ついつい怠けてしまう時、これではいけない!」「自分に勝たねば!」と思ったとする。
この時、「怠けている時・怠けそうな時・くじけそうな時」というのは、
まさしく【現に、今、まさしく“怠けている”自己】である。だから、この瞬間について言うならば、
≪【その自分】が負けることで、理想とされる【怠けない自己・怠けていない自己】が現れる≫、
≪【その自分】が負けることで、理想とされる【怠けない自己・怠けていない自己】へと変じる≫。
当然、『常に一つの様相・在り方でしかありえない』のだから、「二つの自己がある」ことにはならない。
この質的な差異を『低我/高我』としても良いが、全く別物である必要はない。
そこに質的な変化(・向上)があればそれでいい。
そのような質的差異を含む、(時間的先後を考慮に加えた)、二種の「自己」と見做しても文意は通る。
これは、固有名詞の「アートマン」と読んでも全く同じ。二つのアートマンを想定する必要はない。
 (※これが“正しい読み”というのでなく、可能な読み方の一つとしてある、ということ。)
960神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 11:07:00 ID:fi5jl/AH
縁起・空には増上慢という落とし穴が待ち受けている。
 
縁起・空の理解は必要なのだが、それが悟りだと思う縁起・空論者は、
傲慢・尊大・高ぶりなどの増上慢にやられる。
 
このスレを観察していても、そういった傾向が読み取れそうだ。
かれらの誤った態度は、この世は空である、という考えから生じている。
 
増上慢は、縁起・空は単なる道具でしかないのに、
それを最高の境地にしてしまう<転倒>から生じている。
961一在家:2009/06/25(木) 11:24:45 ID:pzvgrrbO
>>955
>わたしはまったくの素人ですので想像、推測ですが、
私も素人で、自称在家元仏教徒ですね。
伝統的な経典の読み方を知りませんので、その分読み方の束縛もなく、
童心のごとく経典を読んでおります。

>無我を積極的に採用したのは、空を説く般若経典群だろうと思います。
>空思想の完成者・竜樹は、こういった背景をもとに<諸法無我>を語り、

貴兄の推測通りだと、「非我=無我」洗脳をかけたのは中国坊さん達でなく、
もっと大物だったことになりますね。

まあ、正統派キリスト教でも、「イエス=神自身」洗脳をかけた3人は皆超有名人
ですからあり得ます。
私見ですが、自称キリストに最も愛された弟子、エイレナイオス、アタナシウス。
でも、後二人には弾圧と分裂からクリスチャン達を守るという慈悲を感じます。
962旧7:2009/06/25(木) 11:24:59 ID:v3lNXjY4
>>958>>948

>>862は、片山一良の見解だよ。そして、伝統上座部の見解でもある。

「一切法」と言われた時、そこには、「意に於ける対象としての法」も含まれる。
だから、「色」(モノ・物)だけじゃない。
「まさに変化しつつある現象」も(その「変化しつつある」ということも)法だ。
「概念」や「想い・感情」も法だ。(アビダルマ的だと批判もされるが、五蘊十二処十八界は伊達じゃないぞw)

そして、「涅槃」もまた、「自ら見られ、知られるもの」であるから、
(また「無為法(asaNkhata)」として)この意味での「一切法」の中に含まれるのだ。


>>549の原文を、よく目を凝らして見ることだ。
何が無常と言われ、何が苦と言われ、何が無我と言われているのか。

そして、“「中村訳に於ける恣意性」と距離をとる姿勢”を少しは養った方がいい。
963神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 11:38:54 ID:RTfqk2Mt
>>957
>石飛氏も、「自己はない」と結論したと。>>554
>>554は石飛氏が引用している「方便心論」のなかの龍樹の
証明だね。だから中論と同じ結論だ。ただ、「方便心論」がホントに
龍樹の著作かは「?」という意見も有る。
証明法を見る限りは龍樹で言いと思うがね。
でも、この命題は間違いだね。
「自己はある」「自己はない」どちらも命題として立てられない。
「自己はある」は何も意味しない無意味な命題だし、「自己はない」
は自己矛盾した命題だから。
こういうとき釈迦は例の言い方をする。
「あるのでもないし、無いのでもないし、ありかつ無いのでもないし、
 ありかつ無いのでもないともいえない」
要は何を言っても無駄だ、黙ってるに限るということ。
これが形而上の命題には釈迦は無記だったということだろ。
964神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 11:53:07 ID:uWKowwNq
修行もしねえやつが、仏典を読んであれこれ言っても
意味ねえっつうの。
965神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 11:59:22 ID:RTfqk2Mt
>>959
>≪同じ「自己」が、その在り方を変えた≫と見るだけで十分だ。
いや、あり方が変わるならもはやインド哲学でいうアートマン(自己)ではない。
アートマンは「個我」として普遍・不変の実体だから。
あり方が変えられるのは釈迦のいう「五蘊としての自己」しかないだろう。
966神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 12:35:02 ID:Jm2QGy7Z
釈迦も「人間」である。「色の黒いインド人のおっさん」であり、当時の自由
思想家のうちの一人に過ぎない。

「人間」だから、誤りも、勘違いも、思索の不十分さもあるのが当然でえは
ないか。

「釈迦が言ったのだから正しい」という「思い込み」自体が、誤りの根源である
ことを、自覚しなければならない。

なお、「自分から好んでやる修行」は、精神的自慰以外の何物でもない。趣味・
娯楽の一種で、社会には、くその役にもたっていないことを忘れてはならない。

意に反する苦行を耐えてこそ、はじめて「修行」といえる。
967神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 12:44:21 ID:RTfqk2Mt
>>958
>「事物」が見えましたか?
事物(法)からなぜ無自性を引いたんだ?
一切法空を認めてるからだろ。
事物は言葉として見えると龍樹もいってるだろ。
>ニルヴァーナも苦の世界ということなの
どこからこんな結論を演繹したんだ。
論理力まったくゼロだね。
968神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 12:46:31 ID:RTfqk2Mt
>>964
説法も修行のうちだろ。
「そもさん?」
「せっぱ!」
969神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 13:19:22 ID:Kxd5qC8m
>>961
>自称キリストに最も

「最も」とは言ってない。

これ前も書いたね。主要な日本語訳とキングジェームズ訳にも無かった事も示した。
翻訳の誤りか、著者の勘違いを疑ってもいいレベルだぞ。
970神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 13:32:51 ID:uWKowwNq
>>966
ああ?お前はどうなんだ?
こんな時間になんで2chに書き込んでるんだ。
世間一般は今は額に汗して働いている時間なんだよ。さぼんな。
俺は今日は夜勤だから、自宅待機。
971神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 13:44:03 ID:Kxd5qC8m
弾圧から守るならローマの宗教に迎合すればいいし(三位一体と言わず+オリュンポス十二一体とかやりゃあいい)
分裂を防ぐために必要なのは何を正しいとするかをはっきりすることであり、新しいネタを混入すればさらなる分裂の種となる。
「この理由では」的外れと言える。
※当時そのような考え方が既に浸透していたことを示唆するが、このこと自体はイエス本人がどう考えていたかとは別。

とりあえず続きはこちらで

【神話】ツァイトガイスト Zeitgeist【陰謀】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1237543151/l50
972神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 13:47:42 ID:uWKowwNq
ホント、素人のクソカルトだわ。
仏陀が過去に何を言ったかなんて、気にするのは
ただ、利用しようとしてる虎の威を借る糞狐だけ。

ごじゃごじゃいわずに働けよ。
973神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 13:51:57 ID:2t+HtOB7
増上慢を作り出す縁起・空 → 空を説く大乗の性格でもある
 
縁起・空論者は、空を最高の境地であると思い込んでいる。
・・・自分こそは最高の境地に到達した覚者であると自負している。
 
いったんこの世界を空と見なし、その後に、自分の自由に意味づけをする。
・・・これでは<神>のような立場になっていないか。
  
空の中には、かれらを押さえ込む論理がまったくない。
・・・すべては空だから、知らず知らずのうちに唯我独尊になる。
974神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 13:54:02 ID:uWKowwNq
>>973
黙ってろ。クソカルト。
空なんか大乗の最高境地じゃねえんだよ。
このド素人が。
975神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 14:09:34 ID:9MHTa1Z2
>>873
「縁起・空」とは、「万物の関係性」の原理だから、「境地」も「神」
も「増上慢」もない。

「一切」に通用する「永遠・普遍の真理」である。

この「関係性」の自覚から、万物への慈悲や精神の安定と平安が生まれる。
これを「悟り」「解脱」「涅槃」と呼ぶ。
976神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 14:10:19 ID:uWKowwNq
サイコーのきょうちとかサイテーのきょうちとか
お前らの生活に何の関わりがあるってんだ?
いつまでも夢見てんなよ。いい年した大人が。
977神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 14:10:40 ID:x23GfQsK
>966
釈迦は、いわゆるインド人ではなく、肌は黒く無かったと思われる。
仏典によれば、金色というから白人でもなく黄色人種かもね。
978一在家:2009/06/25(木) 15:29:23 ID:IvCEgc4X
>>977
>釈迦は、いわゆるインド人ではなく、肌は黒く無かったと思われる。
>仏典によれば、金色というから白人でもなく黄色人種かもね。

オーラ(アウル)は通常は見えないが、聖者達の場合はオーラが強烈で
可視化したと思われます。

根拠は仏教でもキリスト教でも聖者達の頭の周りに後光が指しております。

シャカ族は太陽族の末裔で、黄色人種であれば筋も通りますね。
黄色が後光で輝いたら「金色」に見えることは幼稚園児でも分ります。
979神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 16:50:02 ID:Lohhh64c
>>975
風吹けば桶屋が儲かる、という関係性はすでに論破されている。
あまりにもゆるゆるすぎて、もはや縁起とは呼べない。
縁起とはコインの裏表のような、きりっと引き締まった関係を言う。
980神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 16:57:19 ID:Lohhh64c
>>947 宝珠愚者氏
中村先生の「自我と無我」の話は参考になりました。ありがとう。
981神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:09:45 ID:bPnh/qIi
>>979
「諸法は空・縁起」である。

「空の思想」は、大乗が発展させたものだから、小乗では何も判らん。
982一在家:2009/06/25(木) 17:14:01 ID:IvCEgc4X
>>975
>「縁起・空」とは、「万物の関係性」の原理だから、「境地」も「神」
>も「増上慢」もない

横レスで済みません。
「神」と「アートマン」、「アートマン」と「アートマン」との関係性も
縁起ですかね。

「地球」と「りんご」、「人」と「人」との間にも万有引力(真理の一つ)が
働くことのアナロジーです。
983神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:17:23 ID:Lohhh64c
>>981
諸法とはアビダルマの五位七十五法のことでしょうか?
これが縁起・空であることの根拠は何。
 
前もって言っておくけど、
そう言われてきたからそうなんだ、では答えになっていないですよ。
984神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:27:36 ID:bPnh/qIi
>>982
釈迦は、「神」や「アートマン」など、人間がいくら考えても無意味な
ものは、「無記」として、考えることを禁じる。「無益で、法に適合せず、
涅槃に導かない」からである。

「諸法は空・縁起」だから、若しそれらがあると仮定すれば、関係性の
原理が適用される。即ち、「神」も「アートマン」も、関係性の集合だ
から、自性はない。
985神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:28:24 ID:Lohhh64c
どうも、このスレの住人は、一切とか、五位七十五法だとかに、
こだわりすぎているような気がしてきている。
 
五位七十五法がまちがった分類表という可能性はないのか?
これは十分に考えられるのであり、有為法と無為法と縁起・空の関係を
洗い直す必要があるように思うのだがどうだろう?
986神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:33:53 ID:bPnh/qIi
>>983
「<法>は多義を含むが、<諸法>とされた場合は、すべての存在要素、
またあらゆる存在、事物を意味する。」(岩波佛教辞典)
987神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:45:34 ID:Lohhh64c
>>986
その定義からすれば、仏教では<諸法とは五位七十五法>ということになる。
問題なのは、その五位七十五法が正しいのかどうか、ということである。
正しくなければ、「諸法は縁起・空」と言っても虚しい話だろう。
988神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:49:25 ID:bPnh/qIi
ここの住民は、仏教用語を使う場合は、まず岩波佛教辞典で、その意味
を充分に確認してくれ。基本的な用語の理解、従って、佛教そのものの
理解が、著しく欠けているようだ。
989一在家:2009/06/25(木) 17:52:58 ID:IvCEgc4X
>>984
>釈迦は、「神」や「アートマン」など、人間がいくら考えても無意味な
>ものは、「無記」として、考えることを禁じる。

その釈迦はスッタニパータ、ディーガニカーヤの中で、「神」、「精霊」と
読心通で対話したという記載が多数あります。

貴兄の立場では、これらの原始仏典(エビデンス)は「不都合な真実」かと
存じますが。

ただし、原始仏典の中にも「無記」はあります。
バラモンの弟子達が形而学上の質問をした時だったと記憶します。
まあ、同じ質問をサーリプッタがしたら、別の回答になったことと推察します。
990神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 17:53:55 ID:Lohhh64c
ダンマパダの<道>によれば、
世尊は「一切の形成されたもの」と「一切の事物」を区別している。
 
「一切の形成されたもの」とは縁起・空を意味している。
「一切の事物」とは、これとは違った視点でとらえられている。
 
この違いはいったい何だろうか。
五位七十五法の有為法・無為法では説明できないように感じている。
世尊は、縁起・空と、事物を区別している。
991ID違うが 旧7:2009/06/25(木) 17:55:23 ID:df57FCrB
>>965
そうか。そうだね。不変でないといけないね。
とするとやはり、(959を第2・第3の読みとし、第1の読みは)言い回しの綾として
『自分が自分を統御すべきである』、『アートマンがアートマンを統御すべきである』。
≪他によってその言動(身口意の行為)が導かれるのでなく、自らによってその言動は導かれねばならない≫
とでも読むか・・・。 (※所謂「自由」の原義のような形で・・・。)
(けど考えてみると、これって、自明過ぎるほど自明な事柄だな・・・w 自分)
これなら、「アートマン」のままでも大丈夫じゃね?
「自己」の、「アートマン」の、『「自律」性』(或いは「実存性」)を述べていると見れば・・。
(てか、959の前段でその言い方をした私が悪いのだなw
 その引用文は後段について言えることであり、前段は今回のレスとほぼ同内容か・・・。 すまん。)
992神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 18:00:12 ID:bPnh/qIi
>>989
だから、原始仏典は、バラモン教から佛教への過渡期の産物で、不完全
であり、「佛教」の理解にはあまり役に立たない。

初期大乗仏教の確立と完成には、「八宗の祖」としての、竜樹の大哲学
を待たなければならない。
993神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 18:09:09 ID:bPnh/qIi
>>991
「アートマン」を以って、「アートマン」を理解することは出来ない。
これは、「バラモン教時代の学識のあるインド人にさえ、常識」。

理解できるのは、アートマンから発生するその「機能」としての「五蘊」
のみである。
994神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 18:13:41 ID:rLN2y2DO
あげ
995神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 18:14:40 ID:rLN2y2DO
あと5
996一在家:2009/06/25(木) 18:14:58 ID:pzvgrrbO
>>992
>だから、原始仏典は、バラモン教から佛教への過渡期の産物で、不完全
>であり、「佛教」の理解にはあまり役に立たない。

「Q文書」よりも完成度の高い「ヨハネの福音書」の価値が高いという
主張と似ているように思います。

大乗仏教の開祖は「龍樹」だというご発言ですか。
素人の私にも、仏教哲学の創始者が誰だか分って参りました。

哲学化して、脳ばかり酷使しておりますと、悟りからは離れていくように
直感します。

IQ200位の人達が皆仏教をしたら、皆解脱できるかも知れませんね。
997神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 18:15:31 ID:Lohhh64c
仏教を学ぶ者は洗脳されていることに無防備ではなかろうか。
 
諸法非我→諸法無我は、空と連動した大乗の洗脳だろう。
 
これと同じようなことが、五位七十五法にあるのではないかという疑問である。
 
簡単に言えば有為法と無為法の区別である。その基準は何か。
998神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 18:16:32 ID:rLN2y2DO
998
999旧7:2009/06/25(木) 18:17:20 ID:df57FCrB
>>997
有為・・・saNkhata
無為・・・asaNkhata
1000神も仏も名無しさん:2009/06/25(木) 18:18:04 ID:Lohhh64c
五位七十五法は、ほんとうに正しいのか。
 
正しくなければ、一切とか、有為法・無為法と言っても無意味である。
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