「神との対話15」

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230神も仏も名無しさん
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、これがどういうことか理屈の上で
だけでも分かっている人がどれぐらいいるだろうか?少なくとも世間一般の現状は
「人を憎んで罪を憎まず」という考えの方が支配的であることは分かると思う。
しかしこの逆とはどういうものなのか?最低でも理屈ぐらいは分からねば実践は
出来ないだろう。

一つ考えられることは、とにかく人に責任を持って来ないことだ。例えば見通しの
悪い交差点でよく交通事故が起こるという場合、「人を憎む」の方で考えるので
あれば事故を起こした人を罰すれば良いということになる。罪を憎むの方で考え
るのであれば見通しの悪い交差点を工事して見通しを良くするということになる。

どちらの方がより良い選択かは考えるまでもなく後者だ。後者であれば事故が
恒久的に減る。初心者ドライバーでも事故を起こしにくくなる。前者の場合人間が
努力してそれなりに気を付けたりテクニックを磨いたりしなければ実現出来ない。
人間の負担が大きい。すると当然守りたくても守れなくなった者が事故を起こす。
厳罰化したって起こる時は起こる。努力には限界がある。どんなに力持ちでも
重荷を永遠に持ち続けることは出来ない。

このように罪の起点を人に持って来ずに人以外の所に求めるのが「罪を憎んで人を
憎まず」ということではないかと思える。そう考えると現在の社会はまだまだ
足りない。まだまだ厳罰化して解決したかのように錯覚し、他に何の対策もしない
せいで似たような罪を犯す者が現れるということを繰り返している。原因に対処
せず結果だけを避けようとしている。雑草の根を抜かず地上に出た部分だけを
刈っている。これでは終わるわけがない。少しづつでも原因に対処し続けなければ
延々と繰り返されるだけだろう。