創造論と創造科学とID論と進化論Part34

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881絶対神
もう二、三付け加えておくか。
所謂、キリスト教が推奨する、「父権主義的封建的保守的価値観」と「男女
平等的価値観」との間に「違い」はあるか?
           「本質的な違いはありません」
単純に言いましょう。「男女平等の場合、単に、悪や不正やセクハラをする
人口が「二倍」になるだけです」。
          「これは客観的データとして現れています」
以前は少なかった、女性の犯罪や
 「性犯罪の数が、アメリカなどの男女平等の地域では確実に増えています」
当たり前ですが、女性が社会に進出する事と、
           「父権社会の消滅」
とは無関係です。別に「性別が女でも権力の亡者には幾らでもなれるので」「
上意下達の組織構造そのものが変わる通りもありません」
     「単に、権力や欲望を強くするものが二倍になるだけです」
要するに、男女平等という考えは、根本的におかしいです。
はっきりしている事実を教えましょう。
  「人間は、抑圧されない限り、清らかに正しく生きようとしません」
意味がないからです。
自由に生きていいのに、わざわざ「縛られる馬鹿はいません」。
そういう意味では、
          「宗教は永遠に封建的でいいのです」
882絶対神:2009/06/13(土) 04:28:00 ID:paDcoyu6
私も別に、「神様」がきちんと役割を果たしてくれているなら。

        「新興宗教など作る必要はなかったのです」

でも、現実には、「神様」は「人間」を助けてくれません。
だから、この世に現臨している「神」の私がなんとかするしかないのです。
言ってみれば、私にとって、「教祖」とは、「次善の作」なのです。

「誰だって、自分の事を「神」だといって人類の絶対的支配者になんてなりたく
 ないです」
そんな重い責任は、それこそ、「神様」にゆだねたいに決まってるじゃないですか。

私は「必死に聖書信仰を維持しようと命がけで努力しました」。
万策つきて、「こうなったのです」。
ですから、もし、聖書の神が実在し、ハルマゲドンがあって、私が裁かれる時、

        「私ははっきり「神様」に弁明出来ます」

        「私は必死であなたを信じようとしたのだと」
本当に、気が狂うまで!!
883絶対神:2009/06/13(土) 04:35:21 ID:paDcoyu6
ですから、私が「絶対神」を名乗り、宗教を作ったのは正当な行為です。

   「私は、原理主義クリスチャンにして、「異教の神」なのです」

この「矛盾」をおかしいと思いますか?
私だって「こんな事したくないですよ」。
私についてきている信者には悪いですけど。

 「普通の原理主義クリスチャンでいれたらどんなによかったでしょう!!」

だから、私は「両方」肯定する事にしたんです。

     「自分は、異教の神にして、クリスチャンなのだと!」

聖書的におかしいって?
そんな事言われても、「困ります」。

            「これが私の精一杯です」

もし、私の超能力が発達したら、「私があなたたちを粛清し、裁きます」。
悪いんですけど、

    「原理主義クリスチャンの仲間もそのつもりでいてください」
884神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 04:40:02 ID:RVHY2Zq9




885絶対神:2009/06/13(土) 04:51:59 ID:paDcoyu6
      「じゃあ、ひとつ、あなたがたと契約を結びましょう」

     「聖書を純粋に信じる「原理主義クリスチャン」の皆さん」

もし、私が本当に「絶対神」と化し、己の力で、「ハルマゲドン」を起こした
としても、

          「無条件であなたがたを救います」

これでいいですか?
私だって、「自分の仲間を滅ぼしたくなんてないです」から。

         「あなたがたと契約を結びましょう」

ただし、「聖書の教えを著しく破っている人間はクリスチャンでも滅ぼすから
ね」。

              「当然だけど」
886絶対神:2009/06/13(土) 05:04:57 ID:paDcoyu6
私は、正直言って、「何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない」。
と思っています。
別に、これは意思を持って積極的にやる必要はありません。
例えば、

 「正しい人間であるためには自分を常に抑圧していなければなりません」

言うまでもなく、これは、「鬱病」を誘発します。

     「でも、自分を抑圧しなければ正しい人間にはなれません」

そういう風に、「何事も表裏一体である」というのが真実だと思っています。
例えば、親に殴られないような子供は、好き勝手にやる迷惑な大人になるで
しょうが、

      「殴られれば心に傷がずっと残る事だってあるのです」

どちらか一方ではありません。
昨日言いましたが、「道徳」と「精神医学」を区別する必要があるように。
「心理学」と「教育」とは区別される必要があります。

「理想的な心理状態にさせる事と、理想的な人間に育てる事はまったく違います」

互いに矛盾する事だと私は思いますね。
887絶対神:2009/06/13(土) 05:15:01 ID:paDcoyu6
「抑圧」と「道徳」が非常に強い関係があるように、
「恐怖」と「善行」も密接な関係があります。

 「人間生来、そんなに「正しく」生きれるように出来ていないのです」
だから、「仏教」でも「キリスト教」でも、善行をつませるために「恐怖」
を利用します(地獄とか、先祖の祟りなど)。
「元々の教えは違う!」という人もいるでしょうが。
元々の教えは関係ありません。
「現実にそうしなければ、人間が善をおこなわないからそういうシステムにな
っているだけです」

         「最後に、信仰義認と善行について」

を話して終わります(まあ、これからも思いついたら、ちょくちょく書き込む
かもしれませんが)。
888絶対神:2009/06/13(土) 05:25:10 ID:paDcoyu6
ある牧師が、地方のホテルに行った時、その地方に住んでいるクリスチャンの
女を呼びました(その牧師は有名な人で全国の教会に超教派的影響力を持って
いた訳です)。
有名な牧師の神の尊い働きのお手伝いが出来ると、その女クリスチャンは喜び
いさんでホテルに行きました。
           「どうなったと思います?」
部屋に入った途端、「押し倒されて、裸にされて、犯されてしまいました」。
非常に混乱したと思います。
私が女でも呆然とします。「自殺」するかもしれません。
       「ええ、その女クリスチャンは「自殺」しました」。
その牧師は、どうなりましたか?
         「実は、今でも、牧師をやっています」
その牧師が妻がある身で女を犯した事と、自殺に追い込んだ事は、「誰でも
知っています」。
何故、こんな事が起きるのでしょうか?
単純に言えば、「二つ理由があります」。
           「教会の権威を守るため」
             「信仰義認です」
幾らなんでもおかしいと私は思います。
女が自殺して四年後、さすがに暫くは、聖職者としての活動は自粛していた
ようですが、「牧師は、勝手に「自分の罪は許された」と涙ながらに宣言して
活動を再開します」。
もう一度言いますけど、
          「幾らなんでもおかしくないですか?」
悔い改めれば、「本当にどんな罪でも許されるんでしょうか?」
      「私は、それって、「凄く恐ろしい教え」だと思うんです」
889絶対神:2009/06/13(土) 05:35:39 ID:paDcoyu6
この牧師の気持ちは、実は判らない訳でもありません。

     「はっきり言って、人を救う仕事はストレスがたまります」

時には、若い女に溺れたくなる時だってあるでしょうよ。
でもねえ。

        「それなら、商売女を愛人にでもしなさいよ」

クリスチャンの女を堕落させてどうするんですか?

      「私は信仰義認というのは自己撞着だと思うんです」

判り易く言うと、

「世間一般の人間は絶対に認めない。内部だけで通用する「カルト宗教の教義」」

「ちょうど、死ねば皆、仏になるという浄土真宗の悪人正機説と共通するもの
 がありますね」

そうです。
 
    「信仰義認はモラルハザードを起こさせる可能性があります」(という
より、事実、最悪なモラルハザードを起こしています)
親鸞の時代、「それで大問題が起こり。タンニンショウは、明治維新まで禁書にさ
れます」。

    「本来、信仰義認は、余り強調すべき教義ではないと考えます」

心ならずも罪を犯してしまった人間が反省した場合に、

         「秘儀として言うべき事柄でしょう」
890絶対神:2009/06/13(土) 05:51:14 ID:paDcoyu6
この辺りは非常に難しいですが。
        「悔い改めれば、どんな罪でも許される」
という教義は、
「クリスチャンたちが、物凄く身勝手な行いをした場合の免罪符として、利用
 される恐れがあります」(というより、事実、利用されています)
        「世間一般から見ると、有害無益です」
靖国問題の時に、「悪人も仏になるのが日本の常識なのだから、それを海外に
発信すべきだ」と真顔で言った宗教家がいましたが。
         「馬鹿としかいいようがありません」

「他人に100パーセント理解される訳もない教えを発信すれば、それは、カ
 ルト宗教です」

    「要するに、自己の発言に対して、客観性がまったくない」
「神仏を信じただけで無条件で罪が許される等という教義は、正気の人間は受
 入れられません」

          「明らかにおかしいからです」

「福音派の教会というのは、エホバの証人とは逆の意味での、「構造的問題」
 を抱えています」

     「権威主義でないゆえに、逆に自浄能力がないのです」
891絶対神:2009/06/13(土) 06:05:33 ID:paDcoyu6
この話をどうまとめていいのか、ちょっと判りませんけど(笑)
「罪の許し」というものに対しては、「一定の限界を設けるべきです」。
     「客観的に言って、受け入れられる程度の限界をです」
ある意味、これに関しては、「世俗の法律も、宗教も大差がなくて宜しい」と
私は思っています。
そもそも、キリスト教では、「万人が原罪を持った罪人のはずです」。
         「牧師は罪を犯さない、清らかな人」
ではないはずなのです。だからこそ逆に厳しくしていいと私は思っています。
うーん。なんていうのかな。
「自主独立を重んじ過ぎるよりも、お互いに罪を犯さないように監視するシステム?」
逆に、「それに関しては、ある程度、カルト的である方が現実的だと思う」。
「少なくても、男の牧師が泊まっているホテルに女が呼び出されていくのはや
 めた方がいいです」
つまり、牧師だからと言って、無条件で信用するな! という事です。
そういう意味では、「神」なんか信じなくていいのかもしれません。
         「事実、彼女を守らなかったんだし」
うーん、やはり、どう結論していいのか、迷うなあ……
要するに、「劇的な回心」の時は、凄く有効であっても、
    「普通の日常生活においては、信仰義認は有害無益でしかない」
ってお話でした。
言ってみれば、イエスの十字架は、「劇場での出来事」なんです。
「劇場での出来事」・「極限の真実」を、「我々の日常に持ち込んではいけません」。

要するに、        「許される罪には限度がある」
というお話でした(この点に関しては、私は「悪いけど」聖書を否定します。
肯定すると、「宗教内部でしか通用しない、狭いカルト的観念。になってし
まうから)。
892絶対神:2009/06/13(土) 06:43:44 ID:paDcoyu6
最後にもう一個(大笑)

         「いわゆる、セカンドチャンスについて」

これってさ。
 
         「明らかに不公平だよね。ずるいと思う」

気付かない?

「我々は、神がいるかいないか、あるいはどの宗教の神か判らない状況で神を信じた」
んだよ?

でもさ、「セカンドチャンスは、死後の世界の話だよね?」

「もう、神がいる事と、誰が真の神であるか確定しちゃってるじゃん」ww

はっきり言ってさ、

        「凄いずるい。カンニングに等しいじゃない」

分裂病になるまで苦労して、なんとか信仰を確立した私としては、

           「なんか、納得いかないね」(大笑)

クリスチャンの人もさ

            「おかしいと思うだろ?」