創造論と創造科学とID論と進化論Part34

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615絶対神
よく、「イエスの死後、十二使徒が死を恐れずに伝道したのは、何かあるに
違いない、とても不思議な事だ」と言って、復活を根拠づけたり、他の理由
をつけたりする人がいるが(遠藤周作もそうだが)。

     「私は別に、不思議でもなんでもないと思っている」

「宗教というものが唐突に情熱に目覚め、命を捨てるのを覚悟で伝道する
事など歴史の中では、ワリと一般的にある事で、それ自体は、特に驚く
にあたらないし、

     「はっきり言えば、ありきたりな出来事」である」

   「私が十二使徒が後付けだというのはここにも理由がある」

「元々、十二使徒だったものが、裏切って、復活を見た結果、命を捨てるまで
になったのではなく」

「単に逃げ散った信徒の中から、残ったものの内、もっとも熱心なものが、十二
 使徒になったのにすぎないからだ」

        「そう、使徒は明らかに後付けなのである」

「はっきり言えば、「元々、使徒など存在しないのだから、十二使徒は、イエス
を裏切ったりはしていない」」

          「と、私は断言しよう」

最後の晩餐とかなんとかは、後で作られた神話である。

616絶対神:2009/06/09(火) 13:33:05 ID:5pdEgDDF
最後の晩餐とかなんとかは、後で作られた神話である。
以上のように

   「元々、復活などなくてもキリスト教は成立するし、十二使徒の情熱
    は不可思議でもなんでもなく解説できるのである」

無論、生前からいた弟子グループのメンバーだから、

  「大きな意味では、師匠を助けず裏切ったわけで、その意味での罪悪感が
   殉教までさせたのは間違いなかろうが」

「元々は、使徒などいないので、「直接的には別に裏切ってない」のである」

ついでに言うと、元々、彼らは、「イエスと特に親しい人間ではなかった」。
イエスの兄弟のヤコブですらそうだ(生前はイエスをキチガイ扱いし、兄弟
中が悪かったのは聖書に書いてあるばかりではなく、他の資料からも推測出来る)

  「つまり、彼らは、最初から、あまり、イエスの人格や言動なんか知ら
   なかったのだと推測出来る」

 「だからこそ、それに縛られず、自由に「キリスト教」を作れたのである」

 「元々、イエスの直接の言動の資料は、殆ど存在せず。イエスの言動は、
  後のキリスト教徒たちの「宗教」を生み出す研鑽・議論の中で、実践
  の中で、生みだされていったに違いない」

    「はっきり言うと、だからキリスト教は広まったんだと思う」

 「初期のキリスト教は、主要メンバーみんなで、真理を創造していったのだ」