615 :
絶対神:
よく、「イエスの死後、十二使徒が死を恐れずに伝道したのは、何かあるに
違いない、とても不思議な事だ」と言って、復活を根拠づけたり、他の理由
をつけたりする人がいるが(遠藤周作もそうだが)。
「私は別に、不思議でもなんでもないと思っている」
「宗教というものが唐突に情熱に目覚め、命を捨てるのを覚悟で伝道する
事など歴史の中では、ワリと一般的にある事で、それ自体は、特に驚く
にあたらないし、
「はっきり言えば、ありきたりな出来事」である」
「私が十二使徒が後付けだというのはここにも理由がある」
「元々、十二使徒だったものが、裏切って、復活を見た結果、命を捨てるまで
になったのではなく」
「単に逃げ散った信徒の中から、残ったものの内、もっとも熱心なものが、十二
使徒になったのにすぎないからだ」
「そう、使徒は明らかに後付けなのである」
「はっきり言えば、「元々、使徒など存在しないのだから、十二使徒は、イエス
を裏切ったりはしていない」」
「と、私は断言しよう」
最後の晩餐とかなんとかは、後で作られた神話である。
616 :
絶対神:2009/06/09(火) 13:33:05 ID:5pdEgDDF
最後の晩餐とかなんとかは、後で作られた神話である。
以上のように
「元々、復活などなくてもキリスト教は成立するし、十二使徒の情熱
は不可思議でもなんでもなく解説できるのである」
無論、生前からいた弟子グループのメンバーだから、
「大きな意味では、師匠を助けず裏切ったわけで、その意味での罪悪感が
殉教までさせたのは間違いなかろうが」
「元々は、使徒などいないので、「直接的には別に裏切ってない」のである」
ついでに言うと、元々、彼らは、「イエスと特に親しい人間ではなかった」。
イエスの兄弟のヤコブですらそうだ(生前はイエスをキチガイ扱いし、兄弟
中が悪かったのは聖書に書いてあるばかりではなく、他の資料からも推測出来る)
「つまり、彼らは、最初から、あまり、イエスの人格や言動なんか知ら
なかったのだと推測出来る」
「だからこそ、それに縛られず、自由に「キリスト教」を作れたのである」
「元々、イエスの直接の言動の資料は、殆ど存在せず。イエスの言動は、
後のキリスト教徒たちの「宗教」を生み出す研鑽・議論の中で、実践
の中で、生みだされていったに違いない」
「はっきり言うと、だからキリスト教は広まったんだと思う」
「初期のキリスト教は、主要メンバーみんなで、真理を創造していったのだ」