571 :
絶対神:
昔、熱心な修道士から、浄土真宗の僧侶に転向した西洋人の話を聞いた時、
「私はまさに、コントラスト効果だな」と思った。
理由は、単純である。
「キリスト教では、悪人は全員地獄に落ちる」
それに対して、浄土真宗は、
「悪人は、全員救われる」
キリスト教一本で、厳格な戒律に縛られ、必死で修行して、神の声を聞こうと
して、遂に聞けず、苦しい心理状態にある人間には、
「まさにうってつけのコントラスト効果である」(笑)
人間の心理なんて、「こんな幼稚なシステムで動いているのである」。
冷静になって考えてみろよw
「そんなの浄土真宗が勝手に言ってるだけだぞ。何の客観的証明もないんだぞ」ww
572 :
絶対神:2009/06/09(火) 01:42:13 ID:5pdEgDDF
人間の不思議なところは、「何ら実証されていない言葉上の事を本気で信じられる
所である」。
「私は時々、人間は、実は、「知的生命体」なんかじゃなく
「単なる馬鹿なんじゃないか」
と思う時がある」
当たり前だが、「悪行をすれば、罰せられる。下手したら「死刑」になる」。
「神」も「仏」もそれを止められない。
「これが現実である」
「本当の事を言えば、「死後の世界」の話なんかしても何の意味もない」
例えば、クリスチャンでも「信仰によって救われる」という考えに疑問を呈する
人がいる。
「アメリカでは、死刑前の凶悪犯罪者が熱心なクリスチャンになる事がワリと
よくある」
福音的に報道されたりして、「信仰は本物だ」と牧師なども思ったりする。
「でもちょっと待ってね。おかしくないですか?」
何人も強姦したり、拷問したりして人を殺した犯人。
「中には、熱心なクリスチャンの家族もあったかもしれません」
「そしてその事件のお陰で、娘や恋人を失い、信仰を失ったかも
知れません。「神も仏もあるものか!」と」
「悪を行った凶悪犯は死後救われ、被害者である遺族は「地獄に落ちる」
のですか?」
「それは明らかにおかしいです。「絶対認められません!」」
私は、「必ずしも、「信仰」が救いの条件でないと考えます」。
「どんなに悔い改め、信仰を持っても、「地獄に落ちる人間は絶対います!」」
「また、神を罵り、信仰を持たなくても、救われる人間は絶対います!!」
「私は、はっきり、そう思ってます」
573 :
絶対神:2009/06/09(火) 01:54:21 ID:5pdEgDDF
「要するに、私は、ある程度以上のレベルになると、行いに取り返しはつかない」
「と、考えています」。
「はっきり言えば、そのレベルまで行っちゃうと、「信仰の有無」は余り問題
ではありません」
「信仰を持つ前にやった! という言い訳すら聞く必要はないです」(別に
善人はクリスチャンにしかいない訳ではありませんので)
「どんな事をしても救われるなんて考えは!」
「それが、浄土真宗だろうが、キリスト教だろうが、絶対有害です!!」
「絶対あってはいけません! そんな神仏なら「悪魔」以外のなにものでもないです!」
どんな事でも、限度、許容範囲内・外、というのは設けられるべきです。
「そういう意味では、「信仰義認」も「絶対の教理ではあってはいけません」」
それは、「人間が倫理を守る為に、絶対必要な限度だと思います」。
574 :
絶対神:2009/06/09(火) 02:16:32 ID:5pdEgDDF
つまり、私の提唱する「説」は、
「信仰と行いによる義認です」
当たり前ですが、「行い」を抜きにして、「どうやって義認する」っていうんですか?
「人間は完全には神の律法を守れないにしても、
「だからと言って、滅茶苦茶な事をやって許される道理がないでしょう?」」
「つまり、私の考えは、「放蕩息子の例え」の「否定」です」
あれは「良くありません」。
「例え、本当にイエスの言葉であっても「否定」します」
「はっきり言うと、私は「神は無原罪ではない」と考えています」
「もっと、正確に言うと、この世界を治めているものとしての責任がある」
という事です。
「別にだからと言って、神をやめろとか死ねとか言っている訳ではありません」
「せめて、その人間が何故、信仰を捨てたのか、その事情を考慮して裁いて下さい」
「というだけの話です」
「その点、神は決して、罪がない訳ではない。「神」の手落ちのお陰で、信仰
を失う事もあり得るんだって話です」。
私は、例え、神が世界を作った事を認めるにしても、例え、聖書の奇跡すべてを
認めるにしても、
「神が無原罪だって考えは、「絶対おかしいと思う!!」」
「絶対、そんな事、あり得ない!!」
575 :
絶対神:2009/06/09(火) 02:37:40 ID:5pdEgDDF
「そうです。原理主義者の私の説は」
「神は無原罪ではない」
というものです。
「別に至高神と創造神を分けません」
そもそも、「デミウルゴス」に「この悲惨に満ちた世界を創造させ、人を苦し
ませている時点で」、
「その至高神とやらは「完全」じゃないです」
欺瞞です。寧ろ、
「自分の責任を他の神に押し付けている最悪のカスです」。
その点、聖書の神の方がまともです。
「創造の責任を他の神におしつけて責任逃避しないからです」
「大体からして、ヤハウェは自分を「無原罪」だなんて言ってません」
人間が勝手に、そういう風に祭り上げちゃっただけです。
「そういう意味では、旧約の神はとても立派な存在だと思いますよ」
「この世界の現実を見たら、「もっともすっきりくる存在」。
「私は寧ろ、こっちの神の方に「愛の神」なんかよりリアリティ
を非常に強く感じますし」。
「もし、神が実在したら、こういう存在だと思います」」
寧ろ、この世界の現実から見て、
「聖絶を命じた、ヤハウェの方が遥かに正しいのでは?」
「神は無原罪ではないし、人間にとっては明らかに「不完全」です」
「これが、私の提唱する、「正しい神観念」です」
まあ、こんな事は、旧約時代から人間には判っていた事で。
「だからこそ旧約聖書は、ああなっているんですけどね」
576 :
絶対神:2009/06/09(火) 02:53:54 ID:5pdEgDDF
「私は、聖書からというよりも「現実」から類推して説いている」
「そして、私は、生まれながらの原理主義クリスチャンなので、聖書に対して
無知ではない。つまり、聖書の内容と現実を比較検討出来る」。
「だから、聖書よりも、誤りは少ないだろうよ」
577 :
絶対神:2009/06/09(火) 02:59:25 ID:5pdEgDDF
「原理主義者が、聖書よりも正しいと言えるのは」
「聖書の教理を身につけながら、「現実」の中で信仰を磨いているからだ」
「つまり、体の中に聖書があり、その余分な部分が、実践によって削られていく」
のだ。
「だから、他の誰よりも、「キリスト教」に関しては、「正しくなる」」
「これが、最初から信じていない。刷り込まれていないやつだと、当然、現実
との間の地獄の葛藤を経験しないから磨かれない」
「一度、聖書信仰を本能に叩きこまれて、そして、現実を戦った結果答えを出すからこそ」
「原理主義のキリスト教徒は、「誰よりも正しい」のだ!」
「生きている、聖書であり、聖典であり、彼こそが、「現代の預言者だ」と言
えるのである」
「聖書は絶対に正しい」という信仰を必死で貫こうとしなかったものに。
「キリスト教の真理など、そもそも判る訳がないのだ」
578 :
絶対神:2009/06/09(火) 03:13:52 ID:5pdEgDDF
苦労すれば、人間偉いというものでもないが。
「少なくても、最初から聖書を信じてもいないようなやつよりは偉いな」
「やはり、俺達は、「神に選ばれた人間」だ」
「この世を指導し、導き、救うべき集団、という事だろうな」
「リベラル派ごときが、「私」に適う訳がない!!」(大笑)
やはり、原理主義者こそが、この世に降臨した神の分身。
「究極のクリスチャン」……