>>956 >私は、934さんではないのですが、35歳を過ぎて貯金は100万円もない という状況に近いです。
横から話に加わらせてもらいたい。
>>948からは、碌な回答がないでしょう。
>>961が>> 948から
の回答かも知れませんが、>> 961には中身がない。親鸞仏教の直近にいながら親鸞に触れられ
ず、今後も迷いの中を進んで行く人がいると思えば、とても残念なことだ。
>> 956さん。こういう場合、整理が必要なんです。今、貴方は自分で自分をどう思っているのか。
今は、危機なのか、それとも平常時なのか。
自分は確かに今苦しいけど、まだまだこのままの今の状態で人生の歩みを進めていこう。今の
現在の状況を進めていけばいいはずだ。まだギブアップするときではない。そう思っているので
しょうか。もしそのように思うなら、今の自分の環境を激変させることなく、もう少しそのまま進めて
いけばいいでしょう。人には常に、山もあり、谷もある。平常時と言っても平坦ではない。そう思うな
ら、今の貴方には宗教の出番はありません。
今は危機である。にっちもさっちもいかない人生の危機なんだ。もうこれ以上足が進まない。そう
いう時期なのでしょうか。例えば、火事場などがそれに当たります。回りが火の海になれば身動き
がとれなくなります。止まっていても、やがて火は押し寄せてくる。この場合には、早く火を消さない
といけない。
平常時と思うか、危機と思うか。どっちを考えてもいいんですよ。年齢は35歳だが、貯金は百万
もないと考えれば、危機と考える方向に近いでしょう。百万はないが、五十万はある。まだまだ見込
みはある。今は下り坂だが、また上り坂もあるだろう。そう考えれば平常時という考えに近いでしょう。