ダンテス・ダイジ

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597神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 15:37:59 ID:0RC2NehG
『まことに、まことに汝らに告げる汝らを産みしものなる神に その愛のすべてを捧げよ。
  次にすべての隣人たちにその愛を捧げよ。
  君たちはよく思う。神に愛を捧げたら他のものが台無しになるんじゃないかと。
  そして他のもの全部を台無しにしている。
  神って何?すべてだ。
  君たちがすべてに愛を捧げたら、
  君たちの当たり前の人生が台無しになるんじゃないかといつも怯えている。
  が、そうじゃない。
  君たちを産んだものが、まず第一にある。
  君たちの心臓を動かし、君たちの頭に様々な妄想を感じさせ、君たちの感覚を働かせている、
  そのものがまず第一にある。
  それはいいといっても悪いと言っても始まらない。

  あるんだ!

  そして、その愛がすべてになれば、他の事は全部整っていく。
  夫婦関係だろうと、セックスだろうと、必要なだけの金だろうと、
  必要なだけの地位だろうと、必要なだけの安心だろうと・・・。

  ところが君たちは、まず最初に外側のごちゃごちゃしたものを一生懸命つかもうとする。
  そんなことしていたら永遠の時間があったって、そこに行き着くことなんか決してないよ。』

たった一呼吸の中に多様多元の玄妙不可思議がいる。

 ここにいつもここがあり、今はいつも今だ。
 それゆえ、何もかもが瞑想している。
 但し、君は断じて、
 今、ここにいることはできない。
598神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:10:49 ID:cCXNOV+m
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
599神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:13:39 ID:cCXNOV+m
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
600神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:14:21 ID:4GvHFB6p
KEN自己啓発研究所とは、日本で唯一の本物の潜在意識の超人養成機関である。
成功のための潜在意識活用法、能力開発、自己啓発、成功心理学、成功哲学、スポーツ心理学、自己実現、開運、占い、イメージトレーニング、瞑想、リラクゼーション、想念術、
ポジティブ思考法、超科学、量子力学、超心理学、ヨガ、気功、東洋医学、東洋哲学、ヒーリング、癒し、催眠療法等、古今東西のあらゆる技法を駆使し、人々の人生に数々の奇跡を起こし続けてきた、知る人ぞ知る凄腕の世界最高峰の名門超人養成輩出所である。

また、潜在意識を活用し奇跡を起こす成功法則を歴史的偉人たちの名言により 毎日メルマガで配信し人々の潜在意識に刻みつける啓蒙活動も盛んに行なっている。

オーム・マニペーメ・フーム(-m-) 偉大なるグル・シバ神に帰依し奉ります。

代表:多賀井健次(maha-guru・basil-tagai 43歳、前科有、超能力ヘルパー介護員、SRFクリアヨガ通信講座修了生)

〜多賀井健次代表(通称KENさん)は潜在意識活用の達人であり、利他の精神と奉仕を喜びとする本物のカルマヨギである。
10年前から本物のクリヤヨガで、驚くべき霊的進歩を遂げたKEN氏は、メルマガで多くの人から尊敬され 感動をあたえたカリスマメルマガライターにして瞑想家という超有名人物である。
2chの手品掲示板のカラクリや キチガイ連中の正体まで千里眼・神眼により見破り続け、その恐るべき瞑想能力・直感力には定評がある。
私生活では格闘家の一面もあり、有名大学ボクシング部主将にして、フルコン空手の地方大会でも史上最年少優勝経験のあるガチの猛者であり、文武両道の人である。

◎所在地:大阪市此花区春日出北1丁目26−3(地上3階・地下2階建ての白亜の豪邸)
http://maps.google.co.jp/maps?utm_campaign=ja&utm_medium=ha&utm_source=ja-ha-apla-jp-google-gm

601神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:17:09 ID:cCXNOV+m
うん。よく救世主というか、偉大な聖者というか、そういうものっていうのはさ、一つの時代に一人いるとか

さ、いろんなこと言われるでしょ。それはサットグルとかなんとかいう(笑)。

いいじゃあないか。そんな固いこと言わなくても。うん?何故ならね、救世主っていうのは人間を、全ての人間

、そしてこれをこの服を表現しているその元のものだ。救世主っていうのは人間だよ。人間の中に救世主がある

んじゃあない。救世主の中に人間やいろんなものがあるんだ。命たち。だから『救世主は全ての場所と時間を通

じてただ一人しかありえない』うん。全ての場所と時間を通じてただ一人しかありえないんだ。 つまり、宇宙がい

つ始まったか知らん。いつ終わるかも知らん。でもただ一人しかいない。そんな幾人も出てきやしないから。

幾人も出てきたと見えるのも、ただそういう目で見たからに過ぎない。それはどんな形も持ってない。

一人の人間の中に救世主を見たらね、きっと行き詰まりが来る。もっともその一人の救世主の中に、ただ

一人人間としての救世主の中に、無限の救世主っていうのを見る、というような形でもって救世主と出会ってる

とする、それはもちろん決して行き詰まりは来ない。だけど救世主っていうのはそれだけじゃあない。何かこの

世の果てまで行き着いた人、それを指すんじゃあない。救世主っていうのは、今ここにいる君達すべてだ。
602神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:19:57 ID:cCXNOV+m
その道が、
君自身の道であるかどうかは、
その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、
それが君の心ある道だ。



正しい師とは、文句なく、その人物に全面信頼や愛情を持てるということであり、
したがって、このさい、その正しい師が、本当に悟りを開いているかいないかなぞ
二義的問題にすぎない。

正師の発見は、あなたの全身全霊的直観による。
その全身全霊的直観が、全面的信頼を自発自起せしめる。

あなたに、正師との出会いによっても、全面信頼が生起しないとしたら、
あなたは、あなたの人生というドロ沼を、もっと徹底的に真摯に生きてみねばならない。
603神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:20:48 ID:cCXNOV+m
冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。

であって、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。

それは宗教でさえないから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。

そうすれば、いろんなそれらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。

だから冥想から宗教家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。

冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。

ただ冥想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるということを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。

ただその限りにあるだけなんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。

それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。

霊の世界と言っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。

早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。

そういうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。だから冥想の何々、という風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。
604神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:24:09 ID:cCXNOV+m
決して情熱をやめないこと
情熱なんぞどうでもいいなぞと
カタイことをいわないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ
世界を世界にしているのだから
君はあらゆるものとともに死ぬ
君も世界も
もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている
いうなれば君達は体験でない体験
それ自身を
再体験しようとしている

本性を 忘れた人間は、
決して 本性を忘れ果てはしない
しかし、本性に帰るには、いのちがけの行為が必要であり、
そこには、人間の苦はもうない。
生きることが 耐えることだとあきらめのつく人はそれでいい。

だが、完全を絶対至福を求めざるをえないほど
苦悩している人には、自己と世界を捨てて
そこに至る道すじがある。

だが、その完全なる知恵と愛のやすらぎとは、
現代人にとっては、危険きわまりないものになったようだ。

自殺もまた完全なるやすらぎへのあこがれなのだろう。
人類よ 気づけ!

ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・

605神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:26:22 ID:cCXNOV+m
黒は白なのだ

黒を白と言いくるめる そうすると黒は間違いなく白だ
これが人間世界という狂気ありさまである

それは暗示とかイメージとかのことではない
潜在想念界のトリックのことでもない
ただ 黒と白が別れる以前からの 断言にすぎない
夢、気の持ちようだだとか 信念の力だなぞと考えるなかれ

夢でしかない世界は黒は白なのだ

されば、汝、人間よ、
進め、進め!
限りない黒と白と混沌の中を・・・

ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか

三神歌―――

われもなくうつし世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし
606神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:27:58 ID:cCXNOV+m
ここに、グルにして戦士なるよき家庭教師クリシュナが王子アルジュナに語った言葉をバガヴァット・ギターから引用してみよう。


恐れるな、アルジュナよ
戦え、アルジュナよ
殺せ、アルジュナよ
人間の本性は
決して生まれも死にもしない

人々がいかなる方法で
私を求めようと
私はその願いに答える
人の旅するいかなる道も
すべて私の道だ
どこを歩いたとしても
すべては
私に帰ってくる

そのとおり。
トスといいダンティスといいクリシュナといいアルジュナというも、皆あなた自身のことなのである
607神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:37:35 ID:cCXNOV+m
人は、その夢の途上で倒れる。ただ夢も時間もない、あらゆる絶対体験・−−
パーフェクト・チェンジング・モメント
あらゆるかたちでの、
エクスタシーのサムシングのサムシング。

ある歌い手は自由を 私なりに追求してきたんだと歌う。
だが、自由ってなんだい?それは ある種の力のことかい?

インドのプリーで若いガンジャ・ババの卵である。スイス人の青年が言った。
「この世界はドリームでしょ・・・?」
私はなぜか知らぬがこう答えた。「これは夢であり、真実だ」と、
ヂャニス・ジョプリンはアルコールとドラッグで若死した・・・

酔いを味わうだけらしい・・・

高いも低いもどうということはない
優秀と劣等とを誰が一体決めるというのだ それでも月は月を生きて死ぬ
スッポンはスッポンを行ききる

こうあるらしいことが こうあるらしいのだ それにしてもこの一瞬よ! ああ、この一刹那よ!

説明できない力が、生命を駆り立て続けている。
私はすべてらしきものとして 酔いを味わうだけらしい・・・
608神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:29:52 ID:cCXNOV+m
一つの夢が終わり
新しい夢が始まっているはずだが
悟りが夢であるように
私には何一つ
つかまえるものが見えない

私の眼がくもってしまったのか
新鮮な何かを私は
なおかつ、待ち続ける

神よ、
「何もかもなし」それ自身よ、
悟りが夢であったように
私という夢をことごとく

あなたの中へ消し去りたまえ

神よ「なにもかもなし」それ自身よ、
私自身よ
609神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:34:42 ID:cCXNOV+m
かのように・・・

あらゆるものは そうなる以外ないかのように生々変化する。

そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。

不安や苦痛や恐怖でさえ神の中なる神の戯れ。

それでよくない!と言ったところで、ストーブの上のヤカンのお湯はうなっている。

欲念相続

悟りへの修行
これもまた他のあらゆる人間営為と同様に
欲望の一形式であり、したがって、欲望のあるところに苦しみがあるのは、当然である。

解脱への修行は

他の一切の人間の欲念の戦いと変わることなく、苦あれば楽ありである。

ああ、それにしても、余りの戯れよ!夢よ!

セイナルものという夢

本ものもニセものもない。
あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。
絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。
だが、
聖なるものなぞどこにもない!
610神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:42:17 ID:cCXNOV+m
悟りが夢であるように

迷いが一場の夢であるように
悟りもまた場を持たぬ一場の夢

悟りが夢であるように
迷いが夢であるように

7つのスペースから
熱と光は去り
私は未知以外の未知を知らぬ

かつての情熱は今や消え去り
私の夢は
私自身である「なにもかもなし」それ自身を夢見る。

ウウィリアム・ブレイク
そうなってゆく そのままでよいのだ。
人は喜び悲しむために産まれて来たのだ。

だが、この絶対者は違う。絶対者は喜怒哀楽から離れて、喜怒哀楽を戯れ
そしてまったく同時に喜怒哀楽を超越して絶対の流れを流れ続ける。

そして絶対者はすべてのすべてで久遠にいませり。
存在と非存在とに何のかかわることもなく。

私が絶対者なのだ。ほんの卵だけれどもね・・・

極楽さえチンケなほどの、悦楽を味わうのだ。
地獄がママゴトに見えるほどの、苦痛を味わうがいい!
そしたら私達は 二度と答えを求めはしなくなるだろう。
611神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:51:30 ID:cCXNOV+m
私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?

一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。

七つのチャクラを通過し、七つのローカを通過したとしても、
禅の十牛図をたどり尽くしたとしても、それが、すべてではない。

誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか?

君が君自身を手に入れることは、絶対に不可能だ。

純粋瞑想とは果てしなき修行であり、限りなき戯れである。

言葉を言葉として聞けば言葉にしかならない。

神は恐怖で失神するほどの、ジョークやトリックやアイロニーが好きだ。
だから神は悪魔でもある。この戯れ自身が、自分自身に目覚めること、
それを、解脱・大悟・ニルヴァーナなどと名づけているらしい。
612神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:02:28 ID:cCXNOV+m
如何にして煩悩世界を尽滅させるか?如何にして愛であり続けるか?
如何にして自我を死ぬか?如何にして解脱を得るか?
これが
君たちの学んでいるオカシナ・テクニックであり、
君たちの遊んでいるオカシナ・トリックである。

それが、どのような形象であろうと、形象を持っていることが地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。

君のにとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。

「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?

諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いずれにせよ、楽しい話ではないかい?

ただ一人とも言えないただ一人の絶対者の様々な表情
私達はこの表情の千変万化にいつもいつもだまされている それにしても初夏の草いきれよ
613神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:05:02 ID:cCXNOV+m
パラノイア

パラノイアはおもしろい 私たち人間は、みんなパラノイアだ。

欲望が標テキを仮作する 人間コメディーの幕が上がった

果てしなき流れは終りがない 無限の大海のまっただ中にいるのも知らずに

そこで物語が尽きることなく演じられているというわけだ

大いなるマーヤ・・・ 甘美なる欲念相続・・・ 不可思議な神の遊び 不可知な神の戯れ・・・

さあ、さあ、物語はすでに進行してるんですぜ!
この演技の唯一の観客は、神様ただ一人
あの、ニンマリと微笑を浮かべた   あいつだ!

だが、あいつもまた 一人ぼっちの役者に過ぎないかもね・・・

夢を夢と見るも夢
 夢を夢なる夢のまた夢・・・・・・・・
614神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:06:50 ID:cCXNOV+m
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
615神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:09:32 ID:cCXNOV+m
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・
616神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:11:54 ID:cCXNOV+m
欲望は欲望を滅尽させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。

老子

老子について何も知らない
ただ気楽な人だったなあと、わたしは思う。
そうなってゆく、そのままの人。そうなってゆく石ころ。そうなっていく雨だれ。

ただ素直にやわらかく、豊だったなあと、私は思う。
イエスのうように純真だが、そのオトボケは、ソクラテスを楽々とノイローゼにさせるほどの俗物中の俗物。

もちろん老子とは個人の名前でもなく。老子という本の名前でもない。

宇宙の名前だといったらよいのか?無限の名前といったらいいのか?
否、否、三度否!

なにもかもないそれを、老子が老子と名付けたらしい。ありとあらゆるものそれ自身を。
誰かが仮に老子と名付けたらしい。
ありとあらゆるそれ自身を、誰かが仮りに、老子 と名付けたようだ。

それだからこそ老子はあたりまえな人間なのだ・・・
617神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 19:12:41 ID:yEAFI10i
ダイジいいなぁ。
618神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:04:49 ID:i/pBxhpM
 この宇宙やかの宇宙の、いかなるものにも、もはや、愛着も憎悪も抱かぬ時、
 絶対愛の流れとなってそれは開示される。

 悟りと迷いとは同じだけ真実だ。それゆえに私達は悟りの方法だけを問題にすればいい。

 真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである

 神聖なる書物は、すべて ニルヴァーナが、神ロゴスと顕われたものを、
 仮に言語化したものにすぎない。それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
 聖なる進化をうながすための刺激を与えるためのものである。

 ニルヴァーナとは、あらゆるものの終極のことだけではない。それは、
 あらゆる生命達の久遠の始まりである。この時でない時に、あらゆる宇宙生命体達が、
 あらゆる多様多元のリアリティー達が、終わりながら始まっている。

 何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。

 ニルヴァーナはマーヤだ、否! ニルヴァーナはニルヴァーナだ、否!
 ただただニルヴァーナ、否!! ニルヴァーナ、否!!!!

 プロセスもテクニックなぞも ないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる

 この限りない空間−−   この限りない時間−−
 私は私だったんだ すべてはすべてだったんだ さあ、お前、何が言いたい
 ある人がこう言った  「わからん」    −−何という美しい言葉
619神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:07:23 ID:i/pBxhpM
もはや、すべての苦しみと悲しみは 過ぎ去った。
今と同じように 21世紀も まったく新しい 楽園となるだろう。
疑いの余地なく・・・
福生の飲み屋街は真夜中を迎え
それゆえ
永遠の光は輝き続けている。
あなたの愛がすべてであるように
21世紀の光もまた
あなたにおいて花開き続ける。
この大いなる死のなつかしさにおいて・・・

    21世紀とあらゆる時代に限りない感謝をこめて
              DANTES DAIJI

――師ダンテス・ダイジの意志に基づき、
            その大悲大慈がより正しく
                  伝わらんことを祈りつつ 
620神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:09:06 ID:i/pBxhpM
愛は愛を楽しんで

私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り 
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は 
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない

私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ

本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、
あなたは、問うことをやめてはいけない。 少なくとも問いも答えも、
あなたも世界も、消え果るまでは・・・

ここにいつも全体がいるから 只管打坐が純粋瞑想なのだ。
ここにいつも呼吸があるから アパーナ・サティ・ヨーガが、純粋瞑想なのだ。
ここにいつも知覚があるから尾骶骨の中の生命力を、あらゆるものを知覚し切ることに
使い果たすのが純粋瞑想なのだ。
621神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:12:05 ID:i/pBxhpM
私達は、目下のところ、欲望を生きること以外、考えられない。
 そして、欲望には、本当の完全・無限・絶対の至福はあり得ないことも知っている。
 私は本当にいいということさえ必要ない程、いいということが、決してあり得ないことを知った。

 私は、ただ只管打坐を続けたい。あなたたたちは、本当にいいということを欲しくないのか。
 私は、ただただ只管打坐を続けたい!

 私は、ただ全身全霊で只管打坐を続けただけだ。そして、その中には、一切の苦しみと、
 一切の楽しみとが交互に起こってきた。なぜなら、現代の人々にとって、欲望以外、
 原動力はないからだ。そして欲望が何の答にもならないことも知り尽くしている。

 もう私は、絶対に救われないということは自明になっていた。もう救われないということと
 闘う気もなくなっていた。
 突然、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。
 私の体も、私の意識も、それ以外のいっさいもやさしく消え去った。私は、すべてのすべてである
 私自身であったのだ。宇宙との合一だとか、神秘体験だとか、霊的体験だとか、そんなマンガチック
 なものでは全然なかった。
  
 結局只管打坐とは、何もかもがいいということさえ言う必要がない。
 何もかもがいいということさえも・・・・・・。
622神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:16:03 ID:i/pBxhpM
俺たちが絶対そのものになったら、絶対って言葉はもう必要なくなっちまう。
 だけど実在のひとつ手前がね「菩薩」って言って一番大切な場所なの。
 なぜならそれは人間と神とをつなぐものだから。神の子たちの世界だから。
 
 そして・・・いいよ、実在そのものになったやつなんて、全部向こうに任しとけよ。
 あんな奴ら、なんの役にも立たないから。オレもなりかねないけど・・・
 とにかくなんの役にも立たない。とにかく充足して宇宙の一切と、同時に存在しているだけだ。
 で、一番素敵なのはね、生きていて、生きるって言う意味とさ、
 生きるものを越えてるっていう意味を同時に持ってるのは、その中間に位置している存在なの。
 その人にとって「絶対」があるわけ。絶対の愛の喜びっていうのがある。
 絶対の自由の触れ合いっていうのがある。で、それを有想三昧っていうんだ。
 無想三昧と有想三昧と分けると。

 ラーマクリシュナがまさに嫌ったところっていうのはさ、
 実在そのものになってしまうことなの。弟子のヴィヴェーカーナンダに言ってるでしょ?
 「お前、絶対ニルヴァーナは経験するな・・・」って。
 ニルヴァーナ、無想三昧なんかに入ったってなんの役にも立たない。
 だって、それは死ぬことなんだよ。すべてが終わってしまうことなんだ。
 完全な死って言ってもいいね。肉体の死でさえない、完全な死だ。
 例えばシャカがね、無想三昧っていうのを知ったとき、
 説くのを止めてもう死のうと思ったっていう伝説が残ってるでしょ?
 つまり全く、それくらい人と関係ないんだ。多くの人と。
 おそらく、人間の99パーセントと無関係の話しだよ。いい?
 だって人間の99パーセントは何を求める?
 深いふれいあいでありさ・・・触れ合いじゃないか?何より。
 で、それは物語なんだよ、ひとつの、美しい。触れ合いの世界っていうのは。
623神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:16:55 ID:i/pBxhpM
 そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、
 触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。
 触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
 始まりも終わりもない世界だ。
 でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。
 なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。

 だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。
 いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、
 離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?
 神は戯れるのが好きなんだ。
624神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:26:25 ID:i/pBxhpM
「まあ、暇な時やるって感じだね。隙間を縫うって感じだよな。そう」
『うん、でもそれは、逆転を知ってるっていうことなのさ。
つまり瞑想が展開しているってことを知ってるっていうことなのさ。
そして瞑想が全てに展開しているっていうことを知ってる時、出来ることなのさ。
ただね、ひとつだけ言えることは、人は瞑想っていうのを人間である限りやめてはならない。
どんなに自分がハッピーだと感じていても。それは人間ていうのはそういう性質を持ってるからなんだ。
瞑想をやめるといつしか必ず何かが出て来る。とても忘れやすいし、とても頑固なんだ。
自分との闘い、自分との甘えとの闘い。
カスタネダが言う。カスタネダが言うようにね『ああー、どうやってさ、克服できるのよ』って。
『とてもそんなすぐには僕にはできそうにないよ』ってたら、
ドンファンが『馬鹿者。精神があるための道は一生の道なんだ』って。
一生かけてその内うまく行くかも知れん。行かないかも知れん。
でも、俺達はそれに向かって行くしかないんだ。もちろんいいよ。忘れてしまうのもまたいい。
そう、忘れてしまったんなら忘れてしまったんだ』
「やっぱり知的に考えるとさ、えらいきつそうに見えるんだよね。実際はきつくないんだけどさ。瞬間も逃さないっていうあれなのかなぁ」
『でも、瞬間を逃さないっていう形で追い詰めても意味はないよ。それよりは自分の死ぬことを考えた方がずっといいよ』
「自分の死ぬこと?」
『うん、結局は死ぬんだっていうこと。年老いて、あるいはいつ死ぬか分からないっていう』
「うん」
『そりゃあ、自分が本当に気に入ったっていう方向にどんどん進んで行けばさ、同じように瞑想に出会う。うん。必ず」
「それは形とか瞑想っていう言葉を超えた、いわゆる瞑想でしょ?」
『ううん。と、言うより瞑想っていうもの自体が本当は形を持ってない。だから座禅瞑想ってわざわざ、座禅瞑想ってつけたりさ』
「座禅瞑想って組んでる時以外の日常生活も、瞑想的な生活ってのはある?」
『て、言うよりも瞑想の生活になるっていう形以外にさ、人間の生活はあり得ない。いわゆる瞑想的生活って、
いろんな規律立てていろんなことをやるっていう意味ではないよ(笑)』
625神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:29:53 ID:i/pBxhpM
『一番楽な方法とったらいい』
「楽な方法より楽しい方がいい」
『うん』
「バグワンじゃあないけど降参が楽だっていうかね、降参が素晴らしいっていうのが分かるね」
『ああ、ただし、降参するんだったら本当にどうにもならないものに降参して欲しいよ。
どうにかなるものに降参しても、意味ないからね。
あるって!必ずあるって。どんな問題が、ものすごい問題が起こったって、
必ずそれを超える道があるって。生きてる限り』

『絶体絶命の時はすぐに入れ替わってくれるから大丈夫だよ』
「何が入れ替わる?」
『うーん、超えた世界っていうものに入っていくんだ。そんなことは考える必要ない』

『瞑想って、そんなに自分をさ、狭めないでほしい。いい。本当に素直になった時、その人間とって浮かぶ想いでさ実現しないものは何一つない。
そういうふうに出来てるんだ。どうしてか説明出来ないけどね』
626神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:33:12 ID:i/pBxhpM
「個性は変わらないもの?」
『もっとも深い個性は、変わらない。それはこの世を戯れるためのもの。
もし、本質的個性がなければ、この世はあり得ない』
「それは個人個人の中でそれぞれに一番深い個性があるっていう?」
『うん、みんな人それぞれかけがえのない個性を持ってる。セルフイデアだ』
「そこにはきつさっていうのは全然ない?」
『きつさがあろうとなかろうと、そんなことは知ったことではない。自分自身の道を歩くんだ』
「そのときのノリで、選び取ったものっていうのが個性でしょ?」
『ううん、選び取り、選び取り、それを繰り返していくうちに本当の個性に』
「出会って。うん」
『うん』
「常にチェック?」
『うん。ただし、やらなければ絶対に出会わない。その時、良しと思うものをやるんだ。それを繰り返していく内にわかってくる。
いいか!またとないんだよ。今ここに会ってることが。そう、たった一、二、三、四人だけだ。だけどこれが全てなんだよ。
これが!またとない。またとない。愛』
627神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:35:40 ID:i/pBxhpM
『俺がいない時は何?』
「うん」
『Sがいない時はないよ』
「うん、そうなんだ。それに気付いた」
『いい?ここに集まってるだろ。これだけのために宇宙はあるんだ。
うん。全く常識的には馬鹿げたことかも知れない。でもたったここに四人いる。
ここに集まって、そしてここに座っている。それだけのために宇宙は出来た』
「宇宙にいるのはただ一人っていうこと?」
『うん』
「それをやっぱり自覚しなければいけない?」
『うん。そして、それは幾たびもなく幾たびもなく自覚するんだ。それにはきりがない』
「終りはないんだ」
『うん。終りはない』
「悟りに終りはない」
『うん、終りは』
「究極に終りはない」
『うん。だから究極。究極って(笑)』
「うん。やっぱりイメージがあるんだよね。一番最後にさ、死に出合ってさ、ぶち抜けたらさ、うん。それからもう」
『うん、確かにぶち抜けるっていうつまり、大悟っていうかな。大いなる悟り。
あるいは無想三昧の境地っていうものを完全に体得するっていうことは確かにある。
だけど、それはほんの始まりに過ぎない』
「また次に」
『それはこの世が生まれてきた理由だ。俺は君達がグル、いや神であることを知っている。
君達は神なんだよ。いつも何かに追われている君達っていうのは、本当にはありやしない。
君達は神なんだよ。一つ一つ神なんだ。一人一人神なんだ。そこにはどんな比較もない。
聖者が神である、神だっていうんじゃあないんだ。どんな人達も、どんなものも全く同じだけ神だ』
「どんな人達も何?」
『どんな人達も、全く同じだけ神なんだ。それは理屈ではない。そこにはどんな優劣もない。どんな比較もなく、競争はない』
628神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:41:35 ID:i/pBxhpM
「でも、好き嫌いっていうのはある?」
『もちろん』
「憎悪は好悪は?」
『好き嫌いはあっても、憎悪はない』
「やっぱり自分の中にある高慢さを殺したいんだ」
『うん。それも一つの観念に過ぎない。いい?今君達はここにいる。
君達が果たすべき唯一絶対の事柄っていうのはね、もう、今果たしてるんだ!
ただ、観念(頭)だけが『そうじゃあない、そうじゃあない』って言ってる。
どうだい、見てみろ、ほら。風が入ってくる。電気がついてる。
そこに何が、どんな足りないものがあるっていうんだ?』
「居心地がいいか悪いかも関係ない?」
『それは(笑)、居心地がいい方がいいだろう(笑)さぁ、坐ろう』

『力むな』

『素直であれ』

『みな何かを分かったためしはない(笑)』
「わかろうとすることは?」
『わかろうとして生きるんだ』
「わかろうとして生きる?」
『うん。そして『分かったかなぁ』っていう感じのところへ、そのすぐ側に行き着くときがあるかも知れない。
でも、本当に分かるっていうことは、人間にとって絶対にあり得ない』
「結局反対の意味かも知れないっていうこと?」
『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』

『どんな能力をつけてね、人を思い通りに操ろうと何しようとね、絶対本当の安らぎは来ないからだよ。
本当の安らぎっていうのはね、自分を超えた自分が、自分より遥かに超えた無限に向かって奉仕した時、
献身した時初めて来るんだ』
629神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:46:42 ID:i/pBxhpM
『大切なことはね、君が人からどう見られるかじゃなくてね、君が人にどう対するかだ』
「まだまだ、人付き合いの部分が変わっていくはずですか?」
『うん。もちろん変わっていくよ』
「まだ迷いが、非常にありますか?」
『だって人間から迷いを取ったら何やるんだい。『やー、やれ惚れた』『やれ失恋した』とか『やれうまく行った』『やれ失敗した』
それは人間が生きてる限り、つまり君の肉体、その肉体がある限り続くことだ。
ただ、どこが違うかって言ったらね、それが物語として味合えるか、
それからそれしかないとして、ものすごくしんどい目に合うか、ただそれだけの違いだ』
「やや、味合える段階に入ったていう感じがする」
『うん、うん。だけど自分の心境とかね、自分の高まりとかをそんなに気にする必要はない。
うん。いつでも初めての日のようにね、自分らしく生きればいい』

『それからこれだけは忘れないで欲しい。どんなに不思議な経験をしようとね、
どんな意識のレベルに合おうと、どんな感情的な体験、あるいは感覚的な体験をしようとね、
もし、そこに爽やかさ、あるいは優しさ、本当に自分の心が晴れたものがなければ、
それは意味がないものだってことだ。
いい? どんな形からだって人は不思議な経験をすることがある。
でも一番大切なことは自分以上のものに自分を捧げること。それに溶け込むこと。
そして、忘れないで欲しい。常に、常に瞑想っていうのはね、とても大らかなものだ。
とても優しいもんだ。とても愛深きものだ。
 
どうするんだよ。『俺はスーパーマンだ』ってこんなして頑張ったって(笑)』
630神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:03:10 ID:i/pBxhpM
『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』

『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』

『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
631神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:08:50 ID:i/pBxhpM
 いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
 だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
 それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
 おかしな言い方かもしれない。
 それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
 既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。

全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ・・・・・・

「全ては神秘だ さよなら 私のあらゆる顔よ」

『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』
632神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:18:34 ID:i/pBxhpM
よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。

が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。

633神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:20:59 ID:i/pBxhpM
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。

じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。

宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。

悟りとか、なんとかってすべてが、いいという事。勘違いしないでほしい。

君の中にすべてのうちゅうがある。
634神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:28:28 ID:i/pBxhpM
戯れに冥想を  著・雨宮第慈

プロローグ

この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。

「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを
神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。

「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。

このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、
絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。

バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン−−−−−−それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。
魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。

まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。

人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。

635神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:29:43 ID:i/pBxhpM
愛のないところはどこでも 見知らぬ世界だ
見知らぬ世界という不安を 私は歩いていた
宇宙も私自身も愛さえも ぜんぜん知らないという私自身だ
本当に見知らぬ私自身は 私のいかなる不安な感情とも無縁だ

神秘が今ここに歩いている  神秘が今ここに坐っている

おめでとう 君は 君自身の旅を終わらせた
おめでとう 君は 君自身の旅を始めた
おめでとう 君は 今・ここで 絶対の終りと絶対の始まりとを見破った

さようなら君自身 さようなら君自身の旅

神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる

あらゆる宇宙や生命達が こんなにも私の身近かにある

あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
太陽はあなたに 命を与えまた命を奪う

この宇宙もやがては死に そしてまた宇宙が産まれ来る
一つぶの雨の生涯が あらゆる人々の生涯であり
かげろうの生命の営みが 宇宙の生命の営みとなる
そしてそれが すずめのさえずりの一小節

636神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:37:05 ID:i/pBxhpM
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
いやおうなく
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
密かな懐かしさを内に抱いて

あらゆる個生命達は これを求めて 旅しているのだ。

ここにいる者は 転変極まりなきこの世を見ず ここにいることをも忘れ
移ろいゆく浮世も忘れ 久遠の光明であることも忘れた者

終りの時節が来た。
終りを、精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
終りの時節が来た。
終りを精一杯、嘆き悲しみなさい。その叫びで、あらゆる宇宙が破裂するほど・・・

わたしは行くだけです

私は行くだけです 帰るところはありません
私はするだけです 得るものはありません
大河はひとつの方向にながれているのです
とどまることも 逆流することもありません
流れは固まって一つになることも ばらばらになって ぶつかり合うこともありません
あなたと私は愛し合うことも憎み合うこともありません
河は人間の生まれる以前 いや天地の生まれる以前から 流れ続けているのです
そして あらゆるものとなって流れているこの流れが 失望し切った私には 何と親しく感じられることでしょう
私を無視し去ったある師も 私と同じように流れているのです
私は死の思惑など 見る必要はなかったのです
今  私は夕焼けを見ています
637神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:40:03 ID:i/pBxhpM
 帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
 あの娘は、睡眠薬を飲んで ガス管をくわえて死んだ
 キリストは十字架の上で その激しい苦痛にうめき
 ブッダ・ゴータマの最後には 弟子達や小鳥や牛達が 集まり来て涙を流した
 帰る家がないからといって 家を求めてさ迷うには及ばない
 不安におののく人の心も 吹雪の夜にただ一人 孤独に死んだ旅人も 人力の如何ともし難いところだ
 空気がなければ どのような偉大な人間も 生きられはしない そしてまた空気を作ることはできぬ
 死は私に何を語ろうとするのか どのような宮殿も 暖かいマイホームも
 死の闇の中に その仮の宿であることを顕す
 私達は仮の宿から仮の宿へと
 点々と変転しつつ生命をつなぎ 死ぬものなる私達には
 どのような安住の家も与えられはしない 安住の家がないからといって 悲しむにはあたらない
 竹富島に首をつって自殺した彼 それは真夜中の便所の中だった
 死んでもうどこにもいない彼は 一体私に何を語るか
 何も語りはしないし 私も又何も聞くことはない
 私も又どのようにしてか死に 何を語り何を聞き何を想ったとて 一瞬も生きのびるわけのものでもない
638神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:42:23 ID:i/pBxhpM
 キリストはキリストの生命をしか 生きることはできなかった
 彼女は彼女の生命をしか 生きることはできなかった
 立派な社会への貢献者よ あなたはあなたのように生き
 男との生活に疲れて死んでいった あの娘には あの娘の生命以外には与えられていない 
 彼女に帰る家がなかったことを どうしてか悲しまないではいられない
 キリストに帰る家がなかったことを 私は悲しまずにはいられない
 どのような聖なる使命さえ どのようにそれを聖なるものと 思いこんでいても
 それは決して帰る家として 常に変わらずありはしない
 アル中患者の悲惨な日々が 初夏の太陽の下にあり
 流行歌手の華やかな人気生活が 初夏の太陽の下にある
 初夏の太陽が 不思議に輝き デイゴの真紅の花が 開き始める
 かつての原初の海にも コールタールが漂い
 離島のエメラルドの海中に 若者達は潜水する
 青い青い熱帯魚が サンゴの間に踊り 私達は異郷の客であることを忘れる
 帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
 あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
 私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
 太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
 太陽はあなたに 命を与えまた奪う
 私は苦痛を見る時もあり 死の闇に怖れおののくこともあり
 人を呪い自己を呪うこともある
 それは私に 帰る家がないと 嘆かせはするが
 帰る家がないなどということを 嘆くには及ばない
 帰る家がないところに 嘆く私もなく
 時間も 空間も この現象世界一切が ないという必要もなく ないのだ
 どうしても 私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
 私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
 帰る家などを問題にするのはやめよう
 何もないところで 私はわが家に安坐している
639神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:51:35 ID:i/pBxhpM
アメンティーに近づけば近づくほど、あなたにとっての現象宇宙は、深い闇に包まれていく。
あなたが存在すると妄信している現象宇宙は、仮象にすぎないからである。
あなたの見ている現象宇宙が希薄になればなるほど、絶対そのもなるアメンティーの光明が、あなたを包む。
そのアメンティーの光明の中に、すべての答えならぬ答えが実在している。

私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。
どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。
この「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」という小冊子は、まだるっこしい逆説に満ちていると感じるかもしれない。
だが、私は、あなたの気やすめのためにいるのではない。

たぶん、この小冊子を読んで曲解や自分勝手な誤解をする人々が出てくるであろう。
だが、それは、どのように厳密に表現された教説についても言えることだ。
ここに書かれた言葉は、それがどのような印象をあなたに与えようと、
「愛」そのものの自然な表現にほかならない。

私は、二元対立の人間性を決して肯定しない。
「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」の言葉のすべてはことごとく絶対愛なるあなたを示しているのだ。
640神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:04:13 ID:i/pBxhpM
人間とは確固とした何者かであろうとする。 人間とは欲望を自覚した分裂的な個生命体のことだ
人間的な一体感は安心を仮作するが その安心感ゆえに不安でもあることになる
人間は確かなものを求めざるを得ない確かなものが人間自体にないことを知ってしまったからだ

人間的安定は絶対者の戯れと正反対の立場にある
産みの苦しみは本当に産みの苦しみだ
人間性は完全な束縛を嫌い
そして、また、あらゆる束縛からの解放を願う
観念的であるということは 現実的であるということだ
現実的行動派は実はあまりに夢想的なのだ
確実なものが何一つないここでは
あらゆる方向性が意味を持ち あらゆる価値づけが無意味だ
この世のあらゆることには、完成ということがない
それは時計が回るように回帰する。
人生それは、また時計のように成熟し得る。
時計には個生命としての生老病死がある。
あらゆる個生命達の 夢と真実と愛のストーリー

THIS IS DREAM―TRUTH

欲望は欲望を尽滅させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。
私は私に直面しよう、知性を英知に変容しめる何ものかを。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。
なぜなら  欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら  マーヤのゲームに果てはないだろうから
人間というジャンキーよ 
おれたちは、なんといとおしいのだろう・・・
人間とはジャンキーのことだ。
それにしても なんと美しいことだろう・・・
641神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:09:46 ID:qvfQ6Yin
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。

うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか−−−−−
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
642神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:10:40 ID:qvfQ6Yin
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。

うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか−−−−−
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
643神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:11:37 ID:qvfQ6Yin
実際のところ・・・

実際のところ帝王とは奴隷である。だから宇宙の奴隷になるがいい。

支配者はつねに被支配者とファッキングしている。
創造主はつねにつねに被造物とファッキングしている。
―――この認識が、すでに。
誰かと誰かのファッキングなのだ。

だから本当に破れかぶれになればいい!
それは一つの素直さであり得る。

信頼とは何だろうか?
それは、信頼なぞ どうでもいいということにほかならない。

低いものはどんなに高きものも秘めている。

瞑想が瞑想を戯れている!
だが副主人公である。君には戯れはないんだ。

私はエクスタシーである。だからして、私が死ぬ時
神に返さなくていいものが一つだけある。
「神様、ああ、あなたは私だったのですね」という自覚。

それはそうと思えばそう思える。こうと思えばこう思える。
すなわち絶対の孤独ということだ!
644神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:16:52 ID:qvfQ6Yin
どうしようもない・・・

どうしようもない今は、どうしようもない。

これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これではない。!

どうでもいい なんでもいい シッチャカメッチャカ!

わたしはただこれになり切ろうとするのみ。

念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。
オーム・オーム・・・オーム!!

私が対象を見ようとすることが不安であり、私が対象を聞かせてもらうのが愛である。

禅定にはいれない今は、入れない今だ・・・・・・
645神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:25:20 ID:qvfQ6Yin
すべては不可能であると知ること――― それが自殺と発狂と悟りへの出発点である。
充分以上の情熱のみが、不可能と可能との区別を忘越せしめる。

思考は常に解答を出したがる。 たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!

快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?

完全はね、君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
完全なんて言葉は言う必要がない。
本当に納得した、本当にすてきな、本当におおらかな、本当に深いこまやかな人生。
君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。

『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。釈迦の教えが深遠なんじゃない。
キリストの教えが深遠なんじゃない。ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
そうじゃない。 君たちが、深遠なんだ。君達の中が深遠そのものなんだ。
それ以外に完全はない。いい?

忘れ果てるがいい

何を語れば、いいというのだ。
語るべきなぞ 何一つとてない。
石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、 なにもかも忘れ果てるがいい。

私は髪の毛、一本 白くも黒くもできはしない・・・
646神も仏も名無しさん
私はとこしえに楽しく生きたい!
天馬・空を行き 行くところ可ならざるはなしという 人生の達人だからとて
本当にわかるものなど何一つなかろうよ
死の悟りを開き 神と霊のカラクリを つぶさに体験したからといって
実際のところなにがわかったと言うのだろう
光明以上の光明 至悦以上の至悦 わかることのわからないことの彼方の
サマディーを体験したからとて それが何だというのだ
庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・ 時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・
やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか
草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・ 
私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。

永遠の旅に出る

あらゆるものが そのままで 絶対なのだ。
だから あらゆるものは 夢としては相対し愛し合っている。
一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘う。
バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。
もっとも弱きものは神となってこの地をつぐ。
複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。
とうとう私は神になった。
あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。
さあすべてが終わった。 私達は今永遠の旅に出る。