ダンテス・ダイジ

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1神も仏も名無しさん

『 救世主なぞいらない
 
 救世主でないものなど

 何一つありはしないのだから 』




偉大な師、故・雨宮第二老子について語り合いましょう
2神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 22:47:10 ID:7UZ+lUrP
ダイジ単体とか無理がある
ダイジ和尚グルKニサルガEOガンガジ津留エック辺りから、
アジズスレが派生して、覚者総合スレができて
現在、どっちも過疎だ
そこでダイジスレなんて、誰も人来ないって

ダイジ和尚グルKニサルガEOガンガジ津留エック辺り
このタイトルで新しくスレたてたほうが良い
まあ、覚者スレなんて害のほうが多いから、必要ないんだけどなあ
でもあるとついつい見てしまう
3神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 22:49:22 ID:Dbbxc3je
俺とかきちゃうんだけどな
4神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 23:42:02 ID:EjQeItkP
来ないならそれもまたよし
5情報:2009/04/29(水) 16:31:50 ID:En9PEsCw
「ここが変だよ。ろりぽっぷ2」
[PC版]http://www.vote5.net/2kote/htm/1208337146
[携帯版]http://www.vote5.net/2kote/ivote.cgi?result=on&room=1208337146

「2ちゃんコテ嫌い投票箱 Part.2」
[PC版]http://www.vote5.net/2kote/htm/1211808089
[携帯版]http://www.vote5.net/2kote/ivote.cgi?result=on&room=1211808089
6神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 20:45:35 ID:C05GLGYd

大切なことは君がどうかいだよ。君がどうかい?いい?

君がどうなのかということさ。

そして、君が生き生きしているか、君がOKか。

君がOKならさ、君は今度は共通の約束事の中でさ、本当に役立つことができるよ。

7神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 21:25:56 ID:xTf4wIk6
なんか有名な人なの?
8神も仏も名無しさん:2009/04/30(木) 21:56:28 ID:C05GLGYd
ダイジは、愛を説き人間を説き、自由に生きた本当に素敵な男だよ。
9神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 23:06:23 ID:4Zf4S2Ll

道元よ
余りにも余りにも純粋透明な何者よ。
21世紀の水晶の中の水晶よ。
10神も仏も名無しさん:2009/05/02(土) 03:00:03 ID:GzJ2tMZi
今・吾・ここにて

道元老古仏に深く深く深く

帰依したてまつります
11神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 02:30:35 ID:iEgzpBXy


あなたは
満足を求めているのではない。
絶対の満足そのものの中に、
消え果たいのだ。
だが、
それは、あなたには断じてできないことになっている。

12神も仏も名無しさん:2009/05/07(木) 00:24:26 ID:Q30zxRdo
さあ
起こっている全てを感じよう
13神も仏も名無しさん:2009/05/07(木) 22:41:43 ID:9NbLVXjw


冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。

であって、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。

それは宗教でさえないから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。

そうすれば、いろんなそれらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。

だから冥想から宗教家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。

冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。

ただ冥想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるということを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。

ただその限りにあるだけなんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。

それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。

霊の世界と言っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。

早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。

そういうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。だから冥想の何々、という風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。
14神も仏も名無しさん:2009/05/08(金) 15:15:47 ID:R8LkXMOT
神秘を知性的に分析して解明するのではなく、神秘を神秘として目覚めるのだ
15神も仏も名無しさん:2009/05/12(火) 20:18:34 ID:5JVDJC1y
ダイジーーーーー!!!
16神も仏も名無しさん:2009/05/15(金) 00:11:22 ID:gz0CTODR
ダイジは言ってた

もしこの世が滅びないなら、禅が栄えるだろう、もし滅びるならそのときクンダリニヨガが栄えるだろうって
17神も仏も名無しさん:2009/05/15(金) 08:14:53 ID:PpiS039Y
それが一番ダイジ
18神も仏も名無しさん:2009/05/15(金) 22:12:38 ID:8/ea1Qp4
ダイジに会ってみたかったな
19:2009/05/19(火) 23:36:53 ID:tdu7gHf1
20神も仏も名無しさん:2009/05/21(木) 14:16:49 ID:sINzyGvT

私はもう一度この世に生まれてきたい
花となり木となり
幾たびもなく幾たびもなく 

わたしたちは出会いたい 
君に

あそこで出会い ここで出会い
遠い昔に出会い 遠い未来に出会い
21神も仏も名無しさん:2009/05/22(金) 16:01:36 ID:hX8gu3uM
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ・・・・・・

「全ては神秘だ さよなら 私のあらゆる顔よ」
22神も仏も名無しさん:2009/05/22(金) 17:26:16 ID:hX8gu3uM
例えば、心霊学者等は言うわけよ。そもそも何とか霊界から出て来てね、そして死んだ後には、またそこに戻るというようなことをね。

 でもそれはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っているある部分が、霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。
 いい?

 本当の俺達っていうのは光なんだ。だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。
 それは来もしなければ、行くこともないんだ。
 いつでもいっぱなしなんだ。

 いい?

 そしてそれはさ、光と言う言葉より、もっと正確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね。
 それはそのものずばりで言えば「愛」なんだ。

 人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。
 しかも、愛の中から出て来ながら、その、一緒に愛といるんだ。

 愛が愛の中から出て来る。
 いい?
 君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。
23神も仏も名無しさん:2009/05/22(金) 17:38:40 ID:hX8gu3uM
 瞑想の窮極において、一切の現象は終息する。
 時間、空間物質は仮象であり、その本来の無に帰し去る。
 瞑想には自己と世界とのあらゆる対立抗争は存在せず、
 それゆえいかなる人間的争いも苦悩もない。
 瞑想そのものは、どのような制約限定をも越えた愛と歓喜の広がりであり、
 そこに、私達は久遠の自由を生き、
 またあらゆる愛を生きている。

 様々な瞑想行によって私達が純粋に瞑想自体を体得してゆくに従い、
 私達は、絶対の愛や安心や自由が何であるかを知る。
 瞑想には何ものも存在せず、何もないと認識する自己も存在していない。
 しかも、瞑想は瞑想自体で久遠の光明を自覚している。
 私達は瞑想においてあらゆる自由を生き、
 不安と不満とによってエゴイズム的に成り立っている現代物質文明の暴走を否定超克する。
 不安と不満はいかなる物質的繁栄によっても解消することはない。
 不安と不満との原因である個的自我という妄想から私達は解放されねばならない。
 その時、私達は無我の限りなきさわやかさを生きる。
24神も仏も名無しさん:2009/05/22(金) 17:39:29 ID:hX8gu3uM
 西洋的都市文明の物質的暴走は、不安による逃避的あがきをくり返し、
 今その終末を向かえている。
 物質は本来私たちの肉体生命を維持するのに必要なだけあればよいのであって、
 物質が私達に本当の幸福をもたらすことはない。
 農業こそが、もっとも非エゴイズム的な文明形態であり、
 この現代商工業都市文明が、その物質的暴走ゆえに崩壊したあとに、
 農業重視の新しい精神文明が起るであろう。
 農業は、私たちの肉体生命の基礎であり、商工業都市文明には存在しない。
 個的自我という妄想から自由である私達は、欲望と不安とから解放され、
 もっともあたり前に農業を尊重する。

 私達はあらゆる経験の中で、現実そのものに何の恐れもなく直面し、
 自我意識という妄想の非存在を確認する。
 坐禅も祈りも、感謝報恩も、現実の絶対性の前に無心になることもすべて、
 愛と自由の瞑想そのものの自己開示なのである。
 私達は、夢も理想もエセ・ヒューマニズムも、理屈思想もいらない。
 あるがままの無想無我なる私達は何ものに制約されることもない。
 自己も世界もない世界には平和運動などという欲求不満のヒステリー的暴力も存在せず、
 ただありのままの平和を私達は生きている。
25神も仏も名無しさん:2009/05/22(金) 17:42:00 ID:hX8gu3uM
月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している
26神も仏も名無しさん:2009/05/22(金) 19:01:50 ID:ikvn5/3S
漏れもダンテスダイジに会ってみたかった。
やっぱ本物の教えってなかなか出会えないし。
形骸化した宗教なんてチンカス同然だからな。
27神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 13:55:46 ID:wsmL0kmI
『電信柱だろうと、道路だろうとね、みんな見知らぬものなんだ。
 ところが見知らぬっていうのは、知ってること、
 何か知ってるものがあってそれに対して見知らぬだろう。
 そんなこと抜きにして、見知らぬものなんだ。みんな。
 それに近い感覚っていうのはここにいる人たち、
 みんな経験しているはずだ。そういう時代が来てるからだよ。

 ところが本当にどんづまりに来た時っていうのはさ、
 見知らないんだ。本当に見知らぬものなんだ。

 ところが見知らぬっていうふうにして、
 慌てるっていう意識さえない。
 まるでね、そう魂をどっかに落っことしたような。
(中略)
 本当にもう灰色というか白というか、ゼロというかゼロポイント。』
28神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 13:57:08 ID:wsmL0kmI
『で、このくらいまで行けばさ、もうブラック・マジックも成立しない。
 ブラック・マジック、つまり破戒っていうけど、
 破戒無慙とか破戒僧とかいうのはね。
 ゼロポイントのひとつ手前に留まるんだ。
 つまり差し引きゼロの世界にとってはさ、
 もうやることがないんだよ。

 ところがまだ観念が先行している時に、差し引きゼロって気がつくとね、
 もう何してもいいという発想が出てくる。

 でも、いい?
 本当に本当に悲しめよ。いいか。悟りっていうのは、悲しみのことなんだ。
 命の悲しみのことなんだよ。
 理屈抜きの本当に悲しみに直面できる感受性、それが悟りだ。

 ああ、神秘学とかさ、なんか霊的なんとかいうのはさ、全部ままごとさ。
この世界においては。』
29神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 14:41:54 ID:wsmL0kmI
 さあ! 此処にいよう!いいんだ! もう、 いいんだよ! 
 よくないって頑張るのは、君の頭だけなんだ。 もう、いいんだ。 

 他人の事や外況に惑わされないことだ。それはいろいろなものがある。 
 悟り、ビジョン、霊界、高次元世界、でも、誰が決めるんだ。そんな事。 
 いいか、一回きりのものなんだぞ!誰が、シャカが聖者で、君が聖者でない、なんて決めたんだ。
 どこに根拠がある。 本に書かれている事が、 
 やれ、光を見た!やれ、背骨がバイブレートした。やれ、ハイになった。 
 それで?それで、どうしたの? 

 でも、もっと先の世界がある。もっと、何かある。 
 もっと、 もっと----------。ああ、 そうやって、 頭で考えている。
 そして、それらが全て、 外からやってくる。 
 そう、 外に引っ掛けられているんだ。 外のトリックに
 なあ! 君達! 本当に、 本当に、 当り前になってみろよ。
 頭の中に積め込んだ、 いろいろな知識を抜きにして・・・・・・、
 頭の中の知識はいろいろな事を言うさ。
 やれ、何とかの生まれ変わりだ。やれ、聖者だ。救世主の印がある。
 でも、君達、一人一人っていうのは、かけがいのない一人一人なんだぜ!
 それは、とても恐ろしい事だ。 一回きりの君達! 一回きりの今!

 たとえば、とてつもないやさしさがこみ上げてくる時がある。
 それはそれでいいんだ。
 ところが、人間というのは、すぐそれに今までつめ込んだ観念をつけ足す。
 そうすると、
 俺の今いる境地は、どの位のレベルだ。まだ、先がある。とか言う。 

 当り前の今に   直面せよ! 直面せよ! 此処に! 
 一回きりなんだ! 一回きり! かけがえのない一回きり。

 それは----------今。
30神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 15:02:06 ID:wsmL0kmI
 もう、 いいんだ-----
 おかえりなさい
31神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 21:57:49 ID:wsmL0kmI
「一つの教えは、その時のその人に応じてしかありえない。

 どのような神秘不可思議な教えも、結局、愛と自由との確認につきるんだ。
君が秘密結社のようなものを作って、支配欲という不安にかられた時は思い出してほしい。
君が一番身近な愛をどんなにか忘れてしまったかを。
 君はもともと愛の救世主としてこの世に生きている。
他のすべてのものも同様だ。
 そして、愛と自由は、君の思い込んでいる人間性の中にはない。
 君が救世主であるということは、君の永遠の自己訓練としてのみあり得る。
 あるがままのすべては救世主だが、あるがままである自己訓練ほど、
 君にとって恐ろしいものはない。それは、君のすべてを必要とするからだ。
 君は君のすべてを解放することによってのみ永遠の自己訓練
 つまり久遠の戯れを戯れることができる。
 死ぬことは、最も恐ろしいことだ。でも君、死になさい。」

 そして、もう一度思い出そう。「救世主入門」の一番最後の章句を。
 これは君だけに語りかけている。
 「完全」は君以外の誰に代わってもらうこともできないのだから。

 「この本に書かれていることほど無責任なことはない
  この本に書かれていることを信じない方がいい
  書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」
32神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 22:01:29 ID:wsmL0kmI
 いつでも家の中にいるよ、今君たちは。

 だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
 それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
 おかしな言い方かもしれない。
 それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。
 人間が死ぬっていうことは、人間の悩みの原因なんだよ。

 例えば死そのものが目の前に現れた時にどうするかってことさ。

 その時ね、自分っていうものの観念を持っててさ、
 自分て言うものを保っておこうと思っていたらね、死はあり続けるよ。
 なぜなら死って言うのはね、自分と宇宙との摩擦の間に起こる幻だから。
 その時宇宙そのもののパーフェクトって言うものを認めれば、死は消えるよ。
 もともとひとつながりの命であってね、それが君たちになっていることがわかる。

 自分勝手なものは通用しないんだってことを教えようとしたわけ、宇宙は。
 
 つまり何をそんな頑張ってんのって言うのさ。
33神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 22:32:08 ID:wsmL0kmI
 神にあって、いかに悪魔を戯れるか。
 これが君の、人間としての全使命である。

 生きている それで充分なのだ。
 死んでいく それで充分なのだ。
 なぜなら 太陽がどれほどの大きさだろうと
 私という中心太陽から見れば爪のアカにも相当しない

 まして本当の私が神に光あれと命じたのであれば

 愛は、人間の中の一つの感情などではない。愛はこの宇宙そのものの
 根源なのだ。
 
 終わりの時節が来た。
 終わりを精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
 終わりの時節が来た。
 終わりを、精一杯嘆き悲しみなさい。
 その叫びであらゆる宇宙が破裂するほど・・・

 神の終わりの時が来た。愛が凍る時が来た。
 終わりの時を感謝して歓びなさい。
 神の死は、真の神の始まりだからです。愛の死は、真の愛の始まりだからです。

 その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、
 君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。
34神も仏も名無しさん:2009/05/23(土) 23:54:33 ID:wsmL0kmI
 例えば、霊的中心太陽は一つの実在であり、
 この現象世界は、その最も外側を右回りに旋回している。

 ブタが空を飛んでいる完全な無意味さを愛してるのは誰か?
 
 ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
 これを知れば、君は、君自身が久遠の人間であり、
 君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。

 もちろん、悟りそれ自身は、霊的中心太陽の光でさえもないし、
 また、実在しているとも言えない。

 私は誰か?誰かとは誰か?
 君という何らかの自覚が、根本無明であり、そして同時に神の戯れそのものだ。
 誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか。
 永遠を通じて、ただ一度だけの全面的絶望は、君が欲望以外の何ものでもないにもかかわらず、
 君自身が、神であるがゆえに起こる。
 私が、どのような生き様をしようと、私という何者かは、一回限りの生を生きている。
 転生というものは、あるにはあるが、それは、心霊学的なものではない。
 いずれにせよ、一度しかない人生なのだ。

          
35神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 00:01:46 ID:wsmL0kmI
 覚者というイタヅラ者が、世に出てきては、世の人々を惑わするかな。
 惑わされなかったら、惑いつづけるばかりだ。
 神も消え果てた。もう誰一人、神を知らない。神が神をしている時には・・・
 二万五千年サイクルにわたる、アメンティー・タントリズムの全使命も、
 今、ここに、完結する。

 三神歌−−−

 われもなくうつし世もなくなにもかも 夢のなかなる夢のたわむれ
 われもなくうつし世もなくなにもかも 神の中なる神のあらわれ
 われもなくうつし世もなくなにもかも なにもかもなしなにもかもなし

 君が今、どのような状態でいようと、この今を愛は、考えられないくらい愛している。

 もし、あなたが、どんなものにも納得を見出せないということが確実になったならば、
 私のもとに本当に素直に帰ってきて下さい。

 あなたに真実の出会いが 
       起こりますように
                  おかえり
 
   神とは絶対の未知自身だ。神・すべてのすべて。
  そういうわけで、神などと言っているうちは、ぜんぜん楽しくないのである。

 いずれにせよ、この書は、プロローグである。
 あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。
 
 この文明らしきものの週末後、神に目覚めた、水晶の魂を持ってあなたは、
 まったく新しい文明を産み出し得るだろうか?
36神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 00:10:17 ID:+A2LWJbE
 『まことに、まことに汝らに告げる汝らを産みしものなる神に その愛のすべてを捧げよ。
  次にすべての隣人たちにその愛を捧げよ。
  君たちはよく思う。神に愛を捧げたら他のものが台無しになるんじゃないかと。
  そして他のもの全部を台無しにしている。
  神って何?すべてだ。
  君たちがすべてに愛を捧げたら、
  君たちの当たり前の人生が台無しになるんじゃないかといつも怯えている。
  が、そうじゃない。
  君たちを産んだものが、まず第一にある。
  君たちの心臓を動かし、君たちの頭に様々な妄想を感じさせ、君たちの感覚を働かせている、
  そのものがまず第一にある。
  それはいいといっても悪いと言っても始まらない。

  あるんだ!

  そして、その愛がすべてになれば、他の事は全部整っていく。
  夫婦関係だろうと、セックスだろうと、必要なだけの金だろうと、
  必要なだけの地位だろうと、必要なだけの安心だろうと・・・。

  ところが君たちは、まず最初に外側のごちゃごちゃしたものを一生懸命つかもうとする。
  そんなことしていたら永遠の時間があったって、そこに行き着くことなんか決してないよ。』
37神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 11:11:14 ID:+A2LWJbE
 たった一呼吸の中に多様多元の玄妙不可思議がいる。

 ここにいつもここがあり、今はいつも今だ。
 それゆえ、何もかもが瞑想している。
 但し、君は断じて、
 今、ここにいることはできない。

 すべては、神の夢の戯れであり すべては、神の真実それ自身である。

 君という欲望は、結局、一つのものしか求めてはいない。
 それゆえ、君とは、苦そのものに他ならない。

 君そのものが一つの緊張である。瞑想とは、完全なリラックスであり、存在の全面的戯れだ。
 だが、そこに至るには限りない限りない限りない、全面的努力と緊張がともなうであろう。

 あらゆる観念・信念・思考を超越して生きること、
 それが、あるがままに生きるということである。
 あなたは、あなたの全渇望を、あなたのあるがままの探求に燃やし尽くさねばなるまい。

 いとし子よ、どのように過酷で冷たい冬も、初春を迎える時が必ずくる。
 ただし、君があくまでも清く正直に生き続けた場合には。
 これが、ヨブ記の単純な答えである。

 愛情とは、あなたという欲望の、最初の変容である。

 一たび、無限愛に目覚めたなら
 それ以後の瞑想の流れは、おだやかなものとなる。

 それがそうであり、これがこうであるのなら、
 もっとも素直に直面していく以外にない。
38神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 11:54:54 ID:+A2LWJbE
 底抜けのほがらかさに至らざれば瞑想にあらず。
 単純極まりない素朴さに至らざれば瞑想にあらず。
 余りのあたりまえさに至らざれば瞑想にあらず。

 時間とは、君の見ている観念もしくはトリックである。
 それ故、君は、正確に必要なだけの時間を、忍耐せねばならない。
 君には、正確に必要な時間だけを知ることはできない。
 
 人間自我が消滅すれば、何もかもが消滅する。そしたら、君はどうすりゃいいんだ?
 どうする必要もなく 至福は、ただ、生きている。
 君なぞどうでもいいから愛自身なのだ。君なぞあったためしがないから自由なのだ。
 君がないことが知恵であり、絶対無とは、君自身だ。

 純粋瞑想を生きること。それ以外に、この人類が、戦争もしくは破滅するのを
 避ける道はないだろう。生きている間に、死ぬということ、これが純粋瞑想である。

 あんたには、この数限りない神々が見えないのかね
 バカモン!悟りも迷いもあったためしはない。

 それが、外的なものでも内的なものであっても救世主には気をつけなさい。
 タナからボタモチは落ちてきはしない。うまい話にはウソがある。急がばまわれ
 君自身がたどる道は、君の心すべてが、たどる道なんだ。 

 水晶のように透明に、あるがままの素直さで、何かに直面することによっても、
 神は開示される。直面するものは何でもいいのだ。

 あなたは、満足を求めているのではない。絶対の満足そのものの中に、消え果たいのだ。
 愛情は、あなたなしにはあり得ないが、愛はあなたがあったら目覚めない。

 完全な自由とは何か?あらゆる現象を、この世とかの世のすべてを包みつらぬいて、
 しかも、それぞれの現象自身なる愛だ。
39神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 12:24:33 ID:+A2LWJbE
 夢想する事もできないだろうが、君自身は、すべてと、
 すべてのすべてをと知り尽くしている。けれども、それも又、どうということはない。
 君が、本物の悟りをかいま見る、それが、本物の煉獄の出発点だ。
 全体性の回復とは回復ではない。あたりまえなことだ。
 すべてが、完全だと言うも、すでに手遅れだ。
 恐怖を恐怖すれば、恐怖という恵みをだいなしにしてしまう。
 現実として、一切万象の中に単独として存在しているものはない。
 重要なのは、万象の一体性が、絶対愛だということにある。
 神から見れば、君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。

 愛は、よくあやまちを犯すが、その傷跡を残さない。
 生きて愛せ、地上の何ものにも固着することなく。

 あらゆる出来事も存在も、すべては一回限りのものであり、
 連続性とは、観念的虚構にすぎない。

 私は愛したから この世に産まれてきた
 この今も又
 二度ととりかえしのつかぬ夢であれば
 二度と帰ることのない世界であれば
 今、したたかに酒に酔った私は 夢を見続ける

 そして私は ここに・かしこに戯れる。

 私の正体を見破り、神に目覚めるのだ

 権力中毒は不安に至って終わる。セックス中毒は虚しさに至って終わる。
 麻薬中毒は衰弱に至って終わる。
 ところが、神中毒ときたら 永遠に終わる見込みはない・・・

 ありがとう すべてのありとしあらゆるものよ・・・
40神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 12:25:17 ID:+A2LWJbE
 さあ 帰っておいで 君はおれなんだから
 さあ 帰っておいで 君はトボケを見ている絶対者なんだから

 おかえりなさい そしてまたおれ達は おれ達のトボケを戯れよう
 死よりも恐ろしい まごころをこめて おれ達はいつもトボケてる

 私はわが家に安座している 生命に生命の生命を与えたまえ

 詩人は詩をかきとどめようとする 恐れることはない
 この地上に残るものなぞ 何一つないのだ・・・・・・

 瞑想
 詩人は一輪の野の花を 野の花と歌っている
 年老いた夫は日々に その年老いた妻の名を呼んでいる
 クリシュナは 水浴びしている小麦色の娘達の衣を 樹の上に隠し戯れ
 道元は今もなお 息をととのえて只管打坐する

 虎にわが身を与えた王子は 釈迦として生まれ変わってもまだ
 その身を与え続け 果てしのない瞑想は
 つねに われら一切のもののもとに開かれる

 今・ここで 言葉は神になった
               ダンテス・ケンタウロス・アメンティーより

 波の音が聞こえる この波の音は私しか知らない やがて誰も知らなくなるだろう

 そういうウソツキ

 私がどうなろうと あなたがどうなろうと
 愛は愛を楽しんで つきることがないのだ
41神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 13:15:42 ID:+A2LWJbE
 今は君はバッタで 僕はどうやら人間というものらしい
 この次の出会いでは 僕は一ぴきのバッタで 君は天使になっているかもしれない
 バッタよ、君よ、愛しているよ バッタよ、君よ、未来の天使よ、私自身よ

 意識の極北に言葉は無用だ あらゆる生命達は 永遠にそれを知ることはない
 「あれ さきまっでの夜が朝になった」 「パン屋のオヤジさんが死んだからだよ」

 私は神という夢が好きで 神は私という夢が好きだ そこで私は 
 何不自由なくすべてを実現し すべてのすべてを愛し尽してしまった
 たぶん君は神という夢が好きなんだろう
 だから決して 神という夢さえも無くなったら何がある?などと問いはしないだろう

 もう闇さえも忘れたこのいのち いかなる緊張も持たぬ情熱が
 いのちの限りない広がりへ 命を回帰させる
 「あなたは誰ですか?」 私は、魚よ、君自身だ
 この限りない海そのもののいのちだ 君、魚よ、私自身よ、海よ

 私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝 ナーガよ 私自身よ
 ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ 
 ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠に解けぬ逆説
 ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ
 ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた究極実在
 ナーガ 全智全能なる私自身よ 

 如意第慈 瞑想三昧は 愛を越えた愛と
 自由を超えた自由の私の自己確認であり その完全が 神が
 私に私の天命を生かしめる
 夜の享楽の町も 夜明けの大自然の風光とまったく同じに 私の中にある
 どうしても私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
 私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
 帰る家などを問題にするのはやめよう 何もない所で
 私はわが家に安座している 
42神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 13:31:21 ID:+A2LWJbE
 「もし、あなたが存在の罠から解放されたいのなら・・・・・・」
 クリシュナの微笑はささやき続ける
 「もし、あなたが存在の罠から解放されたいのなら・・・・・・心の底から
 本当に解放を願うのなら・・・・・・」
 今 あらゆる存在の彼方から クリシュナの微笑はささやく

 ダンテス・ダイジ、1978年早稲田大学での講話より
 『ジャンプ台は尾てい骨にある。
 君たちが自分の尾てい骨を完全に知覚することができたら、崩れる。
 世界のゲシュタルト、形態っていうのが必ず崩壊する。
 発狂する人って言うのは尾てい骨の接続点が、バチン!とはずれるんだ。
 尾てい骨のなかで、クンダリニーとムラダーラチャクラが接続しているから、
 俺は俺、君は君とかここに紅茶があるっていう世界にいるつもりになっている。
 君たちに見えるのは相も変らずひとつの喫茶店だ。
 しかしこれがはずれると全部、認識形式が変る。
 つまり世界そのものが変ってしまう。
 だから、ジャンプ台そのものは尾てい骨のクンダリニーにある。

43神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 13:33:58 ID:+A2LWJbE
 そしてクンダリニーが活性化する方法はふたつしかない。
 平静に知覚するっていう方向、平静に努力を重ねていく方向。
 そして、もうひとつは、ショックだ。
 ショックと言うのはどういうものかというと、
 例えば突然、明日死ぬ事を宣告されるだとか・・・。
 君がどっか調子が悪くて病院へ行った。
 するとあなたはガンであと一日しか寿命がありませんって言われた。
 どうなると思う?何もかもが崩れてしまう。
 もう、テーブルもテーブルじゃない。紅茶も味がわからない。これはね、はずれたわけ。
 ショックとは何かと言うと、現実認識なんだ。おわかりかな?
 瞑想のふたつの方向って言うのね、現実直視の方向と、平静さや愛の方向、そのふたつなんだ。
 女の人には愛がとても向いている。それはある一人の男の人への愛でもかまわない。
 それがとても成熟させてくれる。でも簡単にはみつからないよ。
 本当に自分に会う相手なんて、一生に一回か二回あったらいいほうだ。
 さて、そして問題は現実認識のほうなんだが・・・
 はっきりと認識するとこの世とは苦楽、喜怒哀楽なんだ。
 それに完全に直面できるってことなんだ。
 直面したら(クンダリニーは)はずれる。
 でも逃げればいつまででも逃げられる。』
44神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 13:41:00 ID:+A2LWJbE

 俺たちが絶対そのものになったら、絶対って言葉はもう必要なくなっちまう。
 だけど実在のひとつ手前がね「菩薩」って言って一番大切な場所なの。
 なぜならそれは人間と神とをつなぐものだから。神の子たちの世界だから。
 
 そして・・・いいよ、実在そのものになったやつなんて、全部向こうに任しとけよ。
 あんな奴ら、なんの役にも立たないから。オレもなりかねないけど・・・
 とにかくなんの役にも立たない。とにかく充足して宇宙の一切と、同時に存在しているだけだ。
 で、一番素敵なのはね、生きていて、生きるって言う意味とさ、
 生きるものを越えてるっていう意味を同時に持ってるのは、その中間に位置している存在なの。
 その人にとって「絶対」があるわけ。絶対の愛の喜びっていうのがある。
 絶対の自由の触れ合いっていうのがある。で、それを有想三昧っていうんだ。
 無想三昧と有想三昧と分けると。

 ラーマクリシュナがまさに嫌ったところっていうのはさ、
 実在そのものになってしまうことなの。弟子のヴィヴェーカーナンダに言ってるでしょ?
 「お前、絶対ニルヴァーナは経験するな・・・」って。
 ニルヴァーナ、無想三昧なんかに入ったってなんの役にも立たない。
 だって、それは死ぬことなんだよ。すべてが終わってしまうことなんだ。
 完全な死って言ってもいいね。肉体の死でさえない、完全な死だ。
 例えばシャカがね、無想三昧っていうのを知ったとき、
 説くのを止めてもう死のうと思ったっていう伝説が残ってるでしょ?
 つまり全く、それくらい人と関係ないんだ。多くの人と。
 おそらく、人間の99パーセントと無関係の話しだよ。いい?
 だって人間の99パーセントは何を求める?
 深いふれいあいでありさ・・・触れ合いじゃないか?何より。
 で、それは物語なんだよ、ひとつの、美しい。触れ合いの世界っていうのは。
45神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 13:43:22 ID:+A2LWJbE
 そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、
 触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。
 触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
 始まりも終わりもない世界だ。
 でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。
 なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。

 だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。
 いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、
 離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?
 神は戯れるのが好きなんだ。
46神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 18:13:20 ID:+A2LWJbE
 君は
 思考を停止させて静寂を探したり
 思念を集中して世界を光明化したり
 思考を制御して内面を光明化したり
 思念を統一して禅定と称する気分に入ったりして
 根本無明のオモチャ・ゲームを
 いつまで続けるつもりなのか

 すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための瞑想修行という
 果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ

 君は救世主でいる あらゆるものと同じように もし君が救世主でないのなら
 君はパン屋にも自動車修理工にも 農夫にも遊び人にもなれはしない

 この世には様々な栄光や満足や快楽がある だが人間は ただ遊び人として戯れるのみ

 救世主とは君が死んだ君自身のことにほかならない
 救世主とは 救済すべき何ものもないことに
 目覚めた君自身のことにほかならない

 救世主になるための瞑想修行は 余りにもイージーすぎて
 渇望と情熱が豊すぎない人達には 迷惑千万、危険きわまりないものとなる

 危険とか障害とかは エゴのみにとってのものである
 それゆえ現代においては 真実の瞑想は反自然的行為に見られる

 いうなれば、君達は、体験ではない体験それ自身を再体験しようとしている

 君達こそ あらゆる素晴らしい体験と あらゆる醜悪な体験との
 演じ手であると同時にそれ以上のものであるにもかかわらずだ。
 
47神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 18:14:51 ID:+A2LWJbE

 この宇宙やかの宇宙の、いかなるものにも、もはや、愛着も憎悪も抱かぬ時、
 絶対愛の流れとなってそれは開示される。

 悟りと迷いとは同じだけ真実だ。それゆえに私達は悟りの方法だけを問題にすればいい。

 真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである

 神聖なる書物は、すべて ニルヴァーナが、神ロゴスと顕われたものを、
 仮に言語化したものにすぎない。それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
 聖なる進化をうながすための刺激を与えるためのものである。

 ニルヴァーナとは、あらゆるものの終極のことだけではない。それは、
 あらゆる生命達の久遠の始まりである。この時でない時に、あらゆる宇宙生命体達が、
 あらゆる多様多元のリアリティー達が、終わりながら始まっている。

 何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。

 ニルヴァーナはマーヤだ、否! ニルヴァーナはニルヴァーナだ、否!
 ただただニルヴァーナ、否!! ニルヴァーナ、否!!!!

 プロセスもテクニックなぞも ないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる

 この限りない空間−−   この限りない時間−−
 私は私だったんだ すべてはすべてだったんだ さあ、お前、何が言いたい
 ある人がこう言った  「わからん」    −−何という美しい言葉
48神も仏も名無しさん:2009/05/24(日) 18:17:50 ID:nWe5ktAH
水晶のように透明に
49神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 12:01:22 ID:BjdsmO01
ダイジ  居酒屋

みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう 
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい   みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている

愛してるよ  君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ

いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる

なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
50神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 12:03:14 ID:BjdsmO01
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ

悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ 
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
51神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 12:12:38 ID:YXm82WAk
おや、ダイジのスレだ
オウムの麻原がしばらく出入りしていたって知ってます?

麻原は自分の修行の進み具合について、ダイジに質問していた
みたい
バーで会って、ダイジは酒飲んでいたとか、、
52神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 12:14:30 ID:BjdsmO01
そう まるで いま話していることは一つのたわむれだ
でも この世にはふたつしかない たわむれかたわむれを包んだぜったいか
そして君たちが生きているってこと 君たちの心臓が動くってこと
ひとつのグラスのなかにビールをつげるってこと それは かけがえなくきみたちが
戯れているってことだ それでこの戯れを恐ろしいっておれはいいたいよ
なぜなら ほんとうの戯れってのは おそろしさそのものとぶつかり合った時に
分かるものだから さあ ちっぽけな君から抜け出すんだ 
君は何がそんなに怖いんだい? 君はまるでこの宇宙とひとつのように生きればいいんだ
君しかいないせかいに どうして何かが君に害をあたえるようなことがある
さあ、放して 何もかもはなして ときほどくんだ
そして 俺の中に帰っておいで   それは 君の中に帰ることだ 

53神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 12:16:13 ID:BjdsmO01
それだけだ それ以外に何もいらない 生きていれば君にふさわしい技術が君に身につくよ
でも 技術だけだったら君はぜんぜん生きた感じがしない 
ただ 愛だけが どんな流行歌だって歌っているじゃないか 愛については
愛だけがすべてだ きみは愛なしには一瞬間も生きることあたわずって

俺が天国から降りてくる時 天国にいる元締めの親父さんから言われたよ
おまえ 行って愛せって そして この世でも かの世でも 
現われるどのようなものにもよることなく 汝 生きて 愛せ
地上のなにものにもとらわれる事無く

とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから

そしたら君はきっといい音楽をうたえる そしたら君はきっといい野菜をつくれる
そしたら君はきっといい自動車整備工になるよ

きみ達は物語を演じている その物語をどんな筋にしようと それは
君たちのもっとも深い思いも自由に委ねられているけど
もし この世という戯れのドラマにテーマがただ一つだけ テーマがあるとしたら
それは愛というテーマだ でも、この愛というテーマに目くじらたてて
そうしなくちゃならないなんて思う必要ないんだよ

愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる。
54神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 13:07:57 ID:YXm82WAk
自殺しちゃ説得力が無いな
生きているのが苦だからしたんだと思われる
悟ったら、自殺するのもありだったそうだけども

死にあこがれるような部分があったみたいだし
55神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 20:14:26 ID:TkjuQtWZ
自殺じゃないんだけどねって、何度もあちこちで書いてんだけど・・ 
いいかげんめんどくさいから、長文の人に任せるわこのスレ
56神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 20:52:17 ID:hPaDuah3
>>55
還ったってこと?
でもそのまま寿命までこの世に生きるより、死を選んだんだよね?
そのあたりよく知らないけど違うの?
57神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 21:33:29 ID:BjdsmO01
>>55
教えて下さい。
おねがいします。
58神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 02:49:34 ID:RPxa/K0I
o
59神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 14:15:17 ID:XxfgZvHb
 おれは神
 あらゆる人間達が片時も忘れず おれを求め続け そして生きている
 おれの眼の前の灰皿を おれは あらゆる政治や文化や思想よりも
 何兆倍も魂をこめて 産み出した おれの指の動きの一つ一つが
 銀河系宇宙や その他のあらゆる宇宙を 粉微塵にしては又こねあげる
 でもそんなことより おれはあの小学生の女の子の自殺を
 もっともっと愛してる 百姓のおおらかな生活に憧れた青年が
 幾年もの作物づくりに疲れ果て 希望も生気も失った中に
 おれは限りない希望と生気となって実在する おれは神だから
 何ものにも頼ることがないなどと 変な意地をはって
 パン屋からヌードスタジオへと 勤め変えしながら おれを愛し続けてくれた女房を
 だいになしにして自殺させてしまった そしておれは神だから
 女房がどんなに神だったかを 死なれたあとに気がついて おろおろとするばかりだ
 おれの胸には大きな風穴があいて その風穴から
 無限宇宙をいつでも眺めることができるのに 神なるおれは神が嫌いで
 胸の風穴を 酒と薬で埋めようとする おれは神 いまだかつて一度たりとも
 面と向かって正々堂々と 人間の顔を見たことがなく すずめの鳴き声を聞いたことがなく
 太陽も月も星も見たことがなく アイスクリームを本当に食べたこともない
 おれは神だから 冷汗をかきながらすべての人々と話し合い おれは神だから
 終わりのない愛ですべての人々を包む おれは神だから
60神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 14:16:29 ID:XxfgZvHb
 あるいは高笑いあるいは泣きくずれ 道のどまんなかで ヘドとクソをたれ流す
 おれは神 欲望にかられて女のすべてを欲しがるもの
 神を求めて求めてやまないもの ヒマラヤの洞くつなんぞ 一軒のマージャン屋にも
 価しないにもかかわらず 坐禅瞑想のあらゆる終りを 洞くつの中で楽しみ続けるもの
 おれは神 おれの女房が中絶した胎児を 神なる看護婦が
 アルコールづけにしたビンを持ってきた時 あほうづらをして眺めることしかできぬもの
 冷たい雪山の中でストーブのぬくもりを求め 砂漠の只中ではションベンをさえ飲むもの
 おれは神だから 求道生活を馬鹿にしてあざけり笑い おれは神だから
 湖に映った月の影のように なによりも求道生活に精進する 聖者という俗人が
 迷いと悟りを分けたばかりに 悟り好きの求道者は 悟りに至る様々な道を
 もの狂おしくたどり続ける そのあげくにおれが神であるばかりに
 悟りという迷いを開いて喜ぶ おれは売春婦という神だから あの十七才の少女のように
 一日として男がいなくちゃいられない 一切万物の幸福好きもこまったものだ
 これもあれもみんな神なるおれの責任だ おれは神
61神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 14:19:53 ID:XxfgZvHb
 一ぱいのお茶をやさしく友人に出す 釈迦やクリシュナや老子などという ニセ者が出たばかりに
 世も末だ おまえは神だからおまえを生きろ おれは神だからおれを生きる
 ヒマを持て余したおれは やれ文明の没落だの やれ宗教だ哲学だなぞと言い張り
 ヒマを持て余したおれは 神だ神だと言い張る ヒマを持て余したおれは
 のどかな田舎風景や 輝く陽光と銀色の海を愛し よせばいいのにあそこのキャバレーで
 女の子を口説きだす そして神なるおれは ヒマを持て余しているから
 よせばいいのに神そのものであり続ける
 おまえにはおまえの惚れているものがあり おれにはおれの惚れているものがある
 おれは人間として必死に 今死にゆく癌患者の手を握り
 処世の達人なぞ遠い妄想にすぎない 今までにおまえは 一瞬でも本気になったことがあるか
 ありはしまい なにしろおまえは神なんだから
 おれはいつも正真正銘の本気だ なぜならおれは神なんだから
 おれは四六時中ウソばかりついてる 神だからだ おまえは四六時中真実でいる
 おまえが神だからだ おれは神 おれの孤独を何とかしてくれと 叫び続けるもの
 おれは神 さびしさなんぞどこ吹く風 絶対なる幸福なんぞにひっかかるなよ
 おれ達は神なんだから 絶対なるこの幸福を戯れよう おれ達は神なんだから
 おれは神 蜜よりも甘い甘えで甘えるもの おれは神 一抹の甘えも弱さも持たぬもの
 おれは神 弱くて軟弱なめめしい生きもの
62神も仏も名無しさん:2009/05/26(火) 17:48:25 ID:XxfgZvHb
愛は愛を楽しんで

私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り 
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は 
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない

私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ
63神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 00:15:56 ID:Tok0Xuks
http://homepage3.nifty.com/egghouse/nukegara.htm

これ読んだけど、実際ダイジってよく言えば奔放、わるく言えばテキトーだったのかね
ダイジが見てた世界ってのはどれくらい確かだったのだろう
確かか確かでないかって判断もなんだけど
ダイジからしてみれば、きみはどうだい?で済んじゃうのかな
禅宗側がダイジの見性に異議ありだったって話とかあるけど、ダイジは悟ってとは思うけど
余分な部分(残った自我の見る無明)は無かったのだろうか
ダイジの悟りは本当の大悟だったのだろうか
64神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 11:36:26 ID:6E3eWiYS
>>63
それを言うならEOはどうなるってことだよな。
彼は本当に悟ってるのか否か?
65神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 17:26:36 ID:l5bGvhxs
どのスレだったか忘れたが、EOは後見人の方算が創り上げフィクションの
部分が多分にありというのが、おうかたの見解。
66神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 22:14:05 ID:Tok0Xuks
>>64
eoはほうざんだと思うし、そうじゃなくても元々悟ってない(大悟してない)と思う
もちろんある程度の体験(小悟)はあるんだろうけど
理由は自我というか固執してる部分があると思うので、自由じゃないというか
実際どうだか知らないけど

ダイジの発言とかも自我のようなものを感じるけど、それは固執するでもしないでもなく
あえて語り、ようするにたのしんでやってるだけなのか、そこらへんが微妙
自分は前世でクリシュナムルティとラジニーシと三人で話し合って役割分担を決めこの世に
生まれたとか言ってるけど、そういうのはそのままとるべきか、ある種の象徴話なのか、
ダイジの残った自我からくる無明なのか、とか
67神も仏も名無しさん:2009/05/29(金) 23:59:30 ID:M+wCtzZv
>>66
EOについては同意する。
68神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 10:37:28 ID:GVKT+bhj
 私達は、目下のところ、欲望を生きること以外、考えられない。
 そして、欲望には、本当の完全・無限・絶対の至福はあり得ないことも知っている。
 私は本当にいいということさえ必要ない程、いいということが、決してあり得ないことを知った。

 私は、ただ只管打坐を続けたい。あなたたたちは、本当にいいということを欲しくないのか。
 私は、ただただ只管打坐を続けたい!

 私は、ただ全身全霊で只管打坐を続けただけだ。そして、その中には、一切の苦しみと、
 一切の楽しみとが交互に起こってきた。なぜなら、現代の人々にとって、欲望以外、
 原動力はないからだ。そして欲望が何の答にもならないことも知り尽くしている。

 もう私は、絶対に救われないということは自明になっていた。もう救われないということと
 闘う気もなくなっていた。
 突然、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。
 私の体も、私の意識も、それ以外のいっさいもやさしく消え去った。私は、すべてのすべてである
 私自身であったのだ。宇宙との合一だとか、神秘体験だとか、霊的体験だとか、そんなマンガチック
 なものでは全然なかった。
  
 結局只管打坐とは、何もかもがいいということさえ言う必要がない。
 何もかもがいいということさえも・・・・・・。
69神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 16:56:49 ID:GVKT+bhj
旧約聖書創世記より

ナーガ賛歌 ナーガ かつてイブをそそのかして 知恵の木の実を食べさせた蛇
ナーガ 今この瞬簡に再来し 現し世の原動因 魔的エネルギーを その体内に深く豊かにひそめ
転生のアダム達に 生命の樹の実 迷悟去来の知恵を食べさせる

生命の樹にちかづくことを禁じた 妬みの神エホヴァ
吾が蛇神ナーガよ 悪魔に化身し 人間だけの神エホヴァを殺せ
そしてアダムに 人間を越えた 久遠生命の密儀を開示せよ

人間性という虚妄から幻出した神エホヴァ お前は今 ナーガにかまれて死滅し
人間性を離脱した久遠のアダムは ナーガのその恐ろしき蛇体と溶け合い 限りない光となる

ナーガ 観世音菩薩の妙変化よ ナーガ エホヴァの兄弟なるサタン ナーガ エホヴァをかみ殺す蛇
ナーガ 玄妙神秘の蛇神 ナーガ 有から無へ寂滅せんとする情熱 ナーガ すべてを飲みこむ神
ナーガ アダム自身よ

汝蛇神ナーガよ 人間が人間自身の宇宙を見限る時 その虚空のうちに 闇の情熱と言詮不及の光を顕すものよ

ナーガよ その麗しき白光の蛇体よ
私はあなたを恐れはしない 虚無を消散する空寂を与える汝
恐怖を恐怖自身によって粉砕し 時間のない恍惚を与える汝
私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝
ナーガよ 私自身よ

ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ
ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠の解けぬ逆説
ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ

70神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 16:58:36 ID:GVKT+bhj
人間である私は どのくらい悲しめばよいというのか すべてが夢にすぎないことを
ナーガよ あなたである私は 限りなく限りなく歓喜する すべてが夢にすぎないことを
ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた窮極実在

ナーガは私を時空を越えた狂気に導く 邪神よ 邪なるものよ 悪魔よ
ナーガ 無限自由の目くるめく魅惑 ナーガ 全智全能なる魔王
ナーガ 全智全能なる神 ナーガ アダムを苦海に落とした竜神
ナーガ 喜怒哀楽の私自身ナーガ 全智全能なる私自身よ
71神も仏も名無しさん:2009/06/01(月) 17:07:36 ID:GVKT+bhj
奥深い心

 すでに人間はいない あらゆるものを構え その中でとりとめもない
 人間の喜びと悲しみとを持つ そのものはすでにいない

 人間の喜びと悲しみとから生まれる あのしみじみとした心の果てには すでに人間はいない

 人間にとってあるというすべてのものは ことごとく消え果て
 ただその奥深い心だけが 何の束縛もなく 現前している

 それは人間の心ではない 人間の喜びも悲しみも その心のどこにもないのだから
 人の子の悲惨な死も 甘美な恋慕も その心には見えない
 また その心には 石ころと人間とに区別がつかない めくらで不人情な心だ

 だが その非人間的な心の絶対から 人間の喜びと悲しみとを
 しみじみと眺めあたたかく包む
 何ものかが
 限りなくあふれ出す
72神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 12:31:13 ID:NQbnM4H3
 何が善で何が悪だ? 瞑想とは、善悪の彼岸であるなぞと
 思っている人物は、超人になるどころか
 人間や動植物や鉱物にもなれまい。

 禅であろうが、ヨーガであろうが、 それが純粋なものであるならば、
 個人的人格や、人格のいわゆる成熟を問題にしない。
 真実とは、人間の個人的人格性とは、いかなる関係も持っていない。

 完全な絶望からも自己解放は、起こりうる。
 ただし、完全な絶望とは、観念的な希望に対する絶望ではない。

 真実の瞑想には、額面どおりの至福の生き様と、完全無比なる全体性と
 一切万象の余りにあらわな絶対解答がある。
 だが、純粋瞑想ほど、その理論の知的心情的理解と現実即実践とが隔絶しているものは、
 おそらく、この世には、他に例がないであろう。
 純粋瞑想が、本当に理解されるかどうかは、私達個々人の感受性の質と理解力にかかっている。
 したがって、純粋瞑想について何かを解説するのは、まったく無意味である。

 瞑想の極点は、ニルヴァーナではない。瞑想に極点があったら、
 それは、瞑想ではなく、何らかの瞑想的ゲームにすぎない。

 本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、
 あなたは、問うことをやめてはいけない。 少なくとも問いも答えも、
 あなたも世界も、消え果るまでは・・・

 ここにいつも全体がいるから 只管打坐が純粋瞑想なのだ。
 ここにいつも呼吸があるから アパーナ・サティ・ヨーガが、純粋瞑想なのだ。
 ここにいつも知覚があるから尾骶骨の中の生命力を、あらゆるものを知覚し切ることに
 使い果たすのが純粋瞑想なのだ。
73神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 12:34:49 ID:NQbnM4H3
 迷いから見上げると 悟りは逆説的なドンデン返しに思える。
 だが、悟りの眼には、迷いと悟りとは決して切り離すことのできぬ限りなく美しい神秘だ。

 この世とかの世を通じて 君にとっての最大の恐怖は、君が君自身に変容する瞬間である。
 そして最大の至福も・・・

 完璧な透明さは、修練によって起こすことは出来ない、愛情と信頼の上に即非的に全面愛が産まれ、
 全面愛は、それ自身、ニルヴァーナへ、おのずから流れ込む。

 あらゆる神通・超能力、あらゆる宿命転換やカルマの改善は、
 君を、君なぞないというところまで導く君自身のトリックである。

 ニルヴァーナとは、不二一元でさえもない。神とは、ニルヴァーナの中なるマーヤの流出源にすぎない。

 人は、完璧に地上にいて、地上にいないのがいい。
 地上の欲望による堂々巡りのトリックを実感する度合いに応じて、君は、君自身を想い出し始める。

 いわゆる大人と称する、未成熟な大人たちが、
 「君、それ考えすぎだよ」という。本当の全身全霊的な思索からしか、決して成熟は、起こらない。

 デタラメきわまりない、社会性という、欲望ルールを、あまり信じすぎてはいけない。

 その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、
 君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。

 君が、おのずからウソをつけなくなったら、君は本ものの超人だ。

 死後の生命を自覚するとは、単に不死性を獲得するということだけではない。
 嘘という概念も、暴力という概念も、恐怖という概念も、ただ、消失している。
 そして、最高の生き方を、すでに生きている。

 それがそうであり、 これがこうであるなら、 もっとも素直に 直面していく以外にない。
74神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 21:43:38 ID:P7CZP0/F
ここにいつも知覚があるから尾?骨の中の生命力を、あらゆるものを知覚し切ることに
 使い果たすのが純粋瞑想なのだ。

これはクンダリニヨガだね。
これはクリシュナムルティの言うchoiceless awareness(スペル適当)や、釈迦のヴィパサナにも通じる考えだなって思ってる
75神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 09:47:08 ID:8KroGrKq
うん。よく救世主というか、偉大な聖者というか、そういうものっていうのはさ、一つの時代に一人いるとか

さ、いろんなこと言われるでしょ。それはサットグルとかなんとかいう(笑)。

いいじゃあないか。そんな固いこと言わなくても。うん?何故ならね、救世主っていうのは人間を、全ての人間

、そしてこれをこの服を表現しているその元のものだ。救世主っていうのは人間だよ。人間の中に救世主がある

んじゃあない。救世主の中に人間やいろんなものがあるんだ。命たち。だから『救世主は全ての場所と時間を通

じてただ一人しかありえない』うん。全ての場所と時間を通じてただ一人しかありえないんだ。 つまり、宇宙がい

つ始まったか知らん。いつ終わるかも知らん。でもただ一人しかいない。そんな幾人も出てきやしないから。

幾人も出てきたと見えるのも、ただそういう目で見たからに過ぎない。それはどんな形も持ってない。

一人の人間の中に救世主を見たらね、きっと行き詰まりが来る。もっともその一人の救世主の中に、ただ

一人人間としての救世主の中に、無限の救世主っていうのを見る、というような形でもって救世主と出会ってる

とする、それはもちろん決して行き詰まりは来ない。だけど救世主っていうのはそれだけじゃあない。何かこの

世の果てまで行き着いた人、それを指すんじゃあない。救世主っていうのは、今ここにいる君達すべてだ。
76神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 09:50:44 ID:Bdgt2tCn
ダイジという人は悟りを得た人として好評なのですか
77神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 09:55:30 ID:8KroGrKq
そしてもう一つ言えることは、ただし、冥想というのは、一つの座ったりというような形だけではないということ。

ある人間が、本当に素直な生き方を通している時に、ぶつかった壁というのを、心をかたくなにしないで、

素直にぶつかった時、自分が本当に解放されるといったこと、それはもちろん冥想。
78神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 10:47:41 ID:cHKVWdwc
――君は本当に、宇宙が一大生命体であり、
           その歓びと暖かさとを感じたことがあるかい?

――君は、君の身心の死後、私とは一切の創造主兼それ自身であり、
           すべてのすべての戯れであることがわかるかい?

 あなたが、どんなに素晴らしい体験をしたと言い張ったところで、それは、
 何やらわけのわからぬあなたと称するものの一経験にすぎないのではなかろうか。
 依然として、あなたは、わけのわからぬあなたなのではないか。
 『これ』は『これ』なのだ。
 この事実に目覚めることを、私は神秘体験と仮に名づけるばかりだ。

 まったく、花も実もありゃしない。まったく、不粋だ!

 君が瞑想者である限り、君は愛も歓喜も卒業する時がくる。
 が、自分が自分なら、卒業などありはしない。

 君が意識をはっきりさせたまま人生を終える時には
 君は知るだろう――  何もかもがいいということを。

 ――君は道元のニルヴァーナの中のすべてであることがわかるかい?

   
79神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 11:20:30 ID:cHKVWdwc
愛のないところはどこでも 見知らぬ世界だ
見知らぬ世界という不安を 私は歩いていた
宇宙も私自身も愛さえも ぜんぜん知らないという私自身だ
本当に見知らぬ私自身は 私のいかなる不安な感情とも無縁だ

神秘が今ここに歩いている  神秘が今ここに坐っている

おめでとう 君は 君自身の旅を終わらせた
おめでとう 君は 君自身の旅を始めた
おめでとう 君は 今・ここで 絶対の終りと絶対の始まりとを見破った

さようなら君自身 さようなら君自身の旅

神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる

あらゆる宇宙や生命達が こんなにも私の身近かにある

あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
太陽はあなたに 命を与えまた命を奪う

この宇宙もやがては死に そしてまた宇宙が産まれ来る
一つぶの雨の生涯が あらゆる人々の生涯であり
かげろうの生命の営みが 宇宙の生命の営みとなる
そしてそれが すずめのさえずりの一小節
80神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 11:27:50 ID:cHKVWdwc
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
いやおうなく
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
密かな懐かしさを内に抱いて

あらゆる個生命達は これを求めて 旅しているのだ。

ここにいる者は 転変極まりなきこの世を見ず ここにいることをも忘れ
移ろいゆく浮世も忘れ 久遠の光明であることも忘れた者

終りの時節が来た。
終りを、精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
終りの時節が来た。
終りを精一杯、嘆き悲しみなさい。その叫びで、あらゆる宇宙が破裂するほど・・・
81神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 20:19:49 ID:rqnCpYmd
ヤクやってる人のかいた詩みたいだね。
82神も仏も名無しさん:2009/06/04(木) 22:12:19 ID:rGdpnCYg
ダイジはこう言ったよね

瞑想は完全にその人をその人に自覚させるって。瞑想から乞食になる奴もいれば政治家になる奴もいるって。
その人の本性を生きるというのかな。

ダイジはこの事を結構重視してたように思う。
ある人に、「キミは絶対におれのようにはならない。キミはキミ自身になる」って言ってた。
それから別の人にも「どうして誰かになろうとなんてするんだい?」と言っていた。

自分らしく、素直に、そういう生き方を皆に提案してたんじゃないかと思う。
83神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:29:48 ID:lNhka77+
さて、狂言まわしは、このぐらいにして、私達人類の緊急課題をここに提示する。
それは、いかにして戦争をなくして、平和を得るかではない。政治経済の混乱でも、
人間性の超管理下や堕落の問題でもない。エネルギーや公害の問題でもない。
人類の最終目的や意味や価値の発見でもない。現代物質科学文明の崩壊でもない。
それらは、症状であって、病因そのものではない。それ以前の根本原因が、
人間の内にあることの結果にすぎない。
私達人類全員は、この私という根本原因を、何よりも先に、探求せねばならない。
84神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:34:59 ID:lNhka77+
私とは何なのか? 私の死とは何なのか? 私の生とは何なのか?
この究明はいかなる観点を持ってしても解答を出すことはできない。
あらゆる観点と立場が、すでに、私という欲望の混乱だからである。
にもかかわらず、私の正体を開示しない限り、私達人類は、とめどもない混乱と
崩壊の中に悲惨な死滅を死滅するだろう。
私達は、何はさておき、私自身というこの根本前提の暗黙の了解を否定して、
私とは何かを、まったく新しく究明し直さねばならないのである。
これが、この終末の時代の全人類的な最重要問題なのだ。
私の正体を見破り、神に目覚めるのだ。

こころみに問う。
欲望とは何か?
人間とは何か?

これは、哲学的あるいは宗教的あるいは、どうのような一定の立場の命題にも
なり得ない。
85神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 11:44:44 ID:lNhka77+
今やプラトン周期約二万五千年の内の半周期約一万二千年の下降サイクルが終わろうとしている。
キリスト教黙示的に言えば、至福七千年期の始まりに到達できるかという時節である。
真の占星学は、クンダリニー・ヨーガの完成なくしてはありえない。
それゆえ、本当の占星学はアトランテス文明のアメンティー・タントリズムの中に包含されていた。

それはともかくとして、いずれにせよ、西暦二千年前後に、双魚宮の時代は、
宝瓶宮の時代へ完全に移行することは、現代の占星術師達の共通見解であろう。

願わくば、アクエアリースへの終末と新生とが成ぜんことを・・・・
86神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 13:01:00 ID:9TQ7F6G7
誰かが大悟していて、誰かは悟っていないと判断するのは、
大悟している禅僧も含めて迷っているだけw
87神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 17:36:47 ID:lNhka77+
悟りには方法がない。悟りは悟りが開くしかない。
そこで、迷える君は、あらゆる方法を追い回し続ける。

快楽は苦痛であり、安心は不安であり、
満足は不満足であり、悟りは迷いである。
これでよいのだ。それでよいのだ。
ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。

個が、だんだんと全体に成っていくというのは妄想である。
全体しかなかったと目覚めるのが、悟りであり、
私は、だんだんと全体と一つであることを悟り始めたというのが、迷いである。
修行のプロセスが、どのように起伏にとみ長い苦闘の連続だとしても、
悟りを開く時は、一瞬の内にである。
修行とは、それが、どれほど完璧で徹底的なものであろうと迷いである。
修行とは、それが、どれほど純粋なものであろうと迷いである。

悟りしかない立場から見れば、一切万象は永遠に修行している。

迷いが悟りになることはない。
迷いの位相は、永遠のまよいであり、悟りの位相は、久遠に悟りである。

透明なる光の光源に向かって飛翔せよ!
今や、未知は、君自身の至上の故郷へと変容している。
神とは無限の彼方の光源自身だ。
目覚めよ!
ジャンプせよ!
君自身が遠い昔に出て来た発出現へ、今や帰る刹那が来ているのだ。
神とは絶対の未知自身だ。

88神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 17:41:31 ID:lNhka77+
誰が、真実を体得できるものか。
イエスもゾロアスターもクリシュナも、
釈迦も老子も道元も空海も、太郎も花子も猫もタバコも、
みんなみんな消え果ててしまったんだぜ。

この世とあの世の喜びのすべては、絶対無から、
かぼそくチョロチョロ流れ出てくる、
小川のせせらぎにすぎない。

君は、心を捨て身を捨て魂を捨てて、
ただただ一つの真実を発見せねばならない。
なぜと問うなかれ。

君は、色即是空・空即是色で止まってはならない。
色是色・空是空こそ、あたりまえの君だからだ。

89神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 17:43:12 ID:lNhka77+
私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?

一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。

七つのチャクラを通過し、七つのローカを通過したとしても、
禅の十牛図をたどり尽くしたとしても、それが、すべてではない。

誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか?

君が君自身を手に入れることは、絶対に不可能だ。

純粋瞑想とは果てしなき修行であり、限りなき戯れである。

言葉を言葉として聞けば言葉にしかならない。

神は恐怖で失神するほどの、ジョークやトリックやアイロニーが好きだ。
だから神は悪魔でもある。この戯れ自身が、自分自身に目覚めること、
それを、解脱・大悟・ニルヴァーナなどと名づけているらしい。
90神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 20:20:28 ID:koIKCn7d
如何にして煩悩世界を尽滅させるか?如何にして愛であり続けるか?
如何にして自我を死ぬか?如何にして解脱を得るか?
これが
君たちの学んでいるオカシナ・テクニックであり、
君たちの遊んでいるオカシナ・トリックである。

それが、どのような形象であろうと、形象を持っていることが地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。

君のにとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。

「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?

諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いずれにせよ、楽しい話ではないかい?

ただ一人とも言えないただ一人の絶対者の様々な表情
私達はこの表情の千変万化にいつもいつもだまされている それにしても初夏の草いきれよ

人が絶対の至福を求め始めた時が、絶対の至福を失うときだ。
――それが恐怖だ! それがわけのわからぬ不可解だ! それが人間のものではない久遠の至福だ!!
死が恐ろしいものだと誰がきめた?――あなただ。
不安と不満と苦悩と苦痛とをいけないのものにしてしまったのは誰だ?――あなただ!!

91神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 20:22:23 ID:koIKCn7d
ふと見ると 地獄にも何やら光明がある。ああ、その悲痛をどうすることができよう。
ああ この絶対を どうすることができよう!

鳥飛んで鳥のごとし、魚泳いで魚に似たり 石ころは笑う! 完全に終わった!!
あなたは初めてあなただ 絶対者にして絶対無!! 我もなく現し世もなく何もかも
何もかもなし何もかもなし そして これも どうということはない。

何か確信といったもの・・・ 血わき肉おどる何者か。 存在をも忘れ果てたそれ!
永遠に未知なるものへの旅!!

なんとかいうチンピラ禅師のたまわく「求めるは苦なり」だとさ・・・・・・ 笑っちゃったよ

鈴木大拙はそれはどこにも中心のない円のようなものだと、語られたらしい
私は言う。それはそれだ、これはこれだ。
絶対・絶対無・神・チンプンカンプン。 名付け得ないもの。 何者ぞ

産まれて生きて死ぬというのに 君は このうえ何を問題だというのかね?
92神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 20:24:05 ID:koIKCn7d

アメンティー・タントリズムのメシアン・タブレットと
アトランテス文明終末以後のあらゆる覚者たちの瞑想修行についてのひとつのアフォリズム。

救世主なぞいらない救世主でないのものなど何一つありはしないのだから

救世主とは 君が死んだ君自身にほかならない
救世主とは救済すべき何ものもないことに 目覚めた君自身のことにほかならない

何ものも救うことはできないし 救う必要もない
このことを頭によらずに理解したら 君は正真正銘の救世主であり
救うというマインドなしに すべてを救うように生きている

救世主とはまったくあたりまえの人間である だが あたりまえになることほど
難しくて 簡単なことはない
93神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 20:46:41 ID:koIKCn7d
悟りのテクニシャン

私は宇宙のカラクリを見抜くテクニシャン。
すべての道術家がそうであるように私はこのテクニックに、すべてをかけているつもりだ。

そして すべての答え――私自身の愛と全知全能とを いくたびか知り
そしてそれと合一した。 が、私は何も知らない。尾骶骨が痛むように・・・

見性とはなにもかもいいんだ!という、理解ではない。
見性は、なにもかもよい!というそのことだ。

大悟にはいい! いやだもない。
なにしろ大悟には悟りも迷いもありはしない。

何を語れば、いいというのだ。 語るべきものなぞ 何一つとてない。
石ころは、一体何を語っているのだろうか。 かたちあるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら おろかに なにもかも忘れ果てるがいい。

私は髪の毛、一本、白くも黒くもできはしない・・・

一刹那を戯れなさい。次の刹那なぞありはしないのだから!
これは刹那主義ではない。刹那主義という、永遠の欲求不満のトリックではない。
一刹那の戯れとは夢にだに見ることのできぬ、あなた自身のことだ・・・

あなたは恐怖を恐れてはならない。あなたは、あなた自身を恐怖してはならない。
94神も仏も名無しさん:2009/06/11(木) 15:50:37 ID:Umeb1nKJ
 アメンティーに近づけば近づくほど、あなたにとっての現象宇宙は、深い闇に包まれていく。
 あなたが存在すると妄信している現象宇宙は、仮象にすぎないからである。
 あなたの見ている現象宇宙が希薄になればなるほど、絶対そのもなるアメンティーの光明が、あなたを包む。
 そのアメンティーの光明の中に、すべての答えならぬ答えが実在している。

 私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。
 どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。

 この「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」という小冊子は、まだるっこしい逆説に満ちていると感じるかもしれない。
 だが、私は、あなたの気やすめのためにいるのではない。

 たぶん、この小冊子を読んで曲解や自分勝手な誤解をする人々が出てくるであろう。
 だが、それは、どのように厳密に表現された教説についても言えることだ。

 ここに書かれた言葉は、それがどのような印象をあなたに与えようと、
 「愛」そのものの自然な表現にほかならない。

 私は、二元対立の人間性を決して肯定しない。
 「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」の言葉のすべてはことごとく絶対愛なるあなたを示しているのだ。

95神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 10:28:11 ID:Urh0xkG7
人間とは確固とした何者かであろうとする。
人間とは欲望を自覚した分裂的な個生命体のことだ

人間的な一体感は安心を仮作するが
その安心感ゆえに不安でもあることになる
人間は確かなものを求めざるを得ない
確かなものが人間自体にないことを
知ってしまったからだ

人間的安定は絶対者の戯れと正反対の立場にある
産みの苦しみは本当に産みの苦しみだ

人間性は完全な束縛を嫌い
そして、また、あらゆる束縛からの解放を願う

観念的であるということは 現実的であるということだ
現実的行動派は実はあまりに夢想的なのだ

確実なものが何一つないここでは
あらゆる方向性が意味を持ち あらゆる価値づけが無意味だ

96神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 10:49:31 ID:Urh0xkG7
この世のあらゆることには、完成ということがない

それは時計が回るように回帰する。
人生それは、また時計のように成熟し得る。
時計には個生命としての生老病死がある。

あらゆる個生命達の 夢と真実と愛のストーリー

THIS IS DREAM―TRUTH

欲望は欲望を尽滅させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。

私は私に直面しよう、知性を英知に変容しめる何ものかを。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。

なぜなら  欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら  マーヤのゲームに果てはないだろうから

人間というジャンキーよ 
おれたちは、なんといとおしいのだろう・・・

人間とはジャンキーのことだ。
それにしても なんと美しいことだろう・・・

97神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 11:11:05 ID:Urh0xkG7
どうでもいい、には二つある。
初めの、どうでもいいは、キマッテいない。
終りの、どうでもいいは、ステキだ。


鳥は鳥に帰るのだ。魚は魚に帰るのだ。
限りなき高みを天にかける孤独の鳥は、その量り知れぬ意志ゆえに、
空の果てまでも見破って、永遠の神秘におののく。

この魚も海の底深く、深海魚よりも、さらに深く、
まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。

鳥が太陽に向かって飛ぶように、魚は海に溶け込みたいのだ・・・

もし、太陽が鳥を愛し、海が一ぴきの魚を慈しむのなら、

かれらは 太陽となり海となるだろう。

そうして帰ってくるのだ。
鳥は一ぴきの愚かな鳥として、
魚は一ぴきの無知なる魚として、
帰るともなく帰ってくるに違いない。

すべてが、よかったのだ。
渇望の狂暴なパンチがあらゆる生命を駆り立てる。
98神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 11:21:43 ID:Urh0xkG7
パンドラの箱

パンドラの箱は開けないにこしたことはない
知恵の樹の実は食べないにこしたほうがいい

けれども どうゆうわけか 種子は花開き 果実になってゆく

そうなって行く そのままに まかす以外ないじゃないかい

なんと完全なんだろう!

見知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ

そして
それよりもっと恐ろしいことは 君がすでに未知だということだ

私は、なにも知らないとも 言えない

なんと完全なんだろう!

いくたびもなく・・・
いくたびもなく・・・
ここに終わり
ここに始まる
今は死ぬに最高の時だ!
99神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 11:40:16 ID:Urh0xkG7
メシアン・ハンドブック

救世主は知っている いかなる人であっても
自分を神の子だと考えるのは もっともなことだと

立派な救世主は 自分に行きたい道を行く

できないことはできない

救世主でいるくらいなら 手品しか催眠術師のほうがましだ

君はつねに神でいることはできない だが、素直でいようとすることはできる

知るべし君は何もできなしない 春夏秋冬があるように

あたりまえでいる・・・ これが救世主の極意だ

よう君 いい役 演じてるじゃねえか!
100神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 11:41:08 ID:Urh0xkG7
決して情熱をやめないこと

情熱なんぞどうでもいいなぞと

カタイことをいわないでくれたまえ

何ものかへの情熱こそ

世界を世界にしているのだから

君はあらゆるものとともに死ぬ

君も世界も

もともとありもしないここに

あらゆるものが戯れている

いうなれば君達は体験でない体験

それ自身を

再体験しようとしている
101神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 11:54:32 ID:Urh0xkG7
本性を 忘れた人間は、
決して 本性を忘れ果てはしない
しかし、本性に帰るには、いのちがけの行為が必要であり、
そこには、人間の苦はもうない。
生きることが 耐えることだとあきらめのつく人はそれでいい。

だが、完全を絶対至福を求めざるをえないほど
苦悩している人には、自己と世界を捨てて
そこに至る道すじがある。

だが、その完全なる知恵と愛のやすらぎとは、
現代人にとっては、危険きわまりないものになったようだ。

自殺もまた完全なるやすらぎへのあこがれなのだろう。
人類よ 気づけ!

ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・
102神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 11:58:50 ID:Urh0xkG7
三神歌―――

われもなくうつし世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし
103神も仏も名無しさん:2009/06/12(金) 15:30:55 ID:Urh0xkG7
ここに、グルにして戦士なるよき家庭教師クリシュナが王子アルジュナに語った言葉をバガヴァット・ギターから引用してみよう。


   恐れるな、アルジュナよ
   戦え、アルジュナよ
   殺せ、アルジュナよ
   人間の本性は
   決して生まれも死にもしない

   人々がいかなる方法で
   私を求めようと
   私はその願いに答える
   人の旅するいかなる道も
   すべて私の道だ
   どこを歩いたとしても
   すべては
   私に帰ってくる

  そのとおり。
トスといいダンティスといいクリシュナといいアルジュナというも、皆あなた自身のことなのである
104神も仏も名無しさん:2009/06/13(土) 00:16:27 ID:W3din7kT
ダイジは、多くの人が「俺の方が悟りが深い」とか、「俺の方が上だ、俺の方が知ってる」とかってやってるって指摘してた。
ここの掲示板の人たちの多くもそうだね。
オレの方が上だ、おれはこれを読んだ、俺は瞑想が深いんだ、SPを確立したんだ、俺の方が進んでる、俺は俺は、俺が俺が
ダイジは、本当の最後の最後まで行った人以外はみんな同じなんだって言ってた。
しかし多くの人は、そうじゃない、「俺は特別だ」って言いたがる。だから今度は人すら恐れる、なぜならどんなに言い張って見たところで、内面じゃちっとも優越してないってことを自分はよく知ってるからだって。
例外なんてないんだ、と。自分だけ特別だ、自分だけは違う、そんなことあるものか、と。だからこそ愛があるんだ、と。

みな同じなんだ、だからこそ愛があるんだ。
いやほんとにそのとおりだと思うよ。
105神も仏も名無しさん:2009/06/17(水) 19:34:02 ID:smkUYYc/
ダイジー!
106神も仏も名無しさん:2009/06/17(水) 23:43:39 ID:lZW3+H2b
粘着オワタ
107神も仏も名無しさん:2009/06/18(木) 17:20:50 ID:3iERuod/
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ・・・・・・

「全ては神秘だ さよなら 私のあらゆる顔よ」


例えば、心霊学者等は言うわけよ。そもそも何とか霊界から出て来てね、
そして死んだ後には、またそこに戻るというようなことをね。
でもそれはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っているある部分が、
霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。  いい?

本当の俺達っていうのは光なんだ。だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。
それは来もしなければ、行くこともないんだ。
いつでもいっぱなしなんだ。  いい?
そしてそれはさ、光と言う言葉より、もっと正確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね。
それはそのものずばりで言えば「愛」なんだ。

人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。
しかも、愛の中から出て来ながら、その、一緒に愛といるんだ。

愛が愛の中から出て来る。  いい? 君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。

月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している

108神も仏も名無しさん:2009/06/18(木) 17:31:15 ID:3iERuod/
 ニルヴァーナとは、
 あらゆるものの終局のことだけではない。
 それは、
 あらゆる生命達の久遠の始まりである。
 この時でない時に、
 あらゆる宇宙生命達が、
 あらゆる多様多元のリアリティー達が、
 終わりながら始まっている。

109神も仏も名無しさん:2009/06/19(金) 19:47:53 ID:t/XyEAi0
ダイジ  「人は、そう、俺たちはどうして一人っきりになるのをそんなに怖がっているんだ。うん?」
      「確かなものが、ないからです」
ダイジ  「うーん・・・一人っきりになると空虚であることがいよいよはっきりしてくる・・・
そして、それでいて今度は外に・・・・色々な人と付き合うとか・・・いろいろなことをやってみる。
ああそんときはいい。うまくいける。
・・・・だけど、だけど、、、今度は人さえ恐れる。
同じ原因だ。
だってきみたちは、とにかく、おれは空虚ではないってあくまでもがんばんなきゃいけないから。

ただ一つも例外はない。
ただ一つも例外はない!
この世に例外なんてただ一つもありはしない。
だからこそ愛があるんだ!

自分だけ違う
自分だけ力にみちてる
自分だけ完璧だ
そんなこはない・・・そんなバカなことはない

そして一生懸命ぬけがけすることを考える。
だからいよいよ人を怖がる。・・・・なにしろ、ぬけがけしたような様子を見せても、自分の内面じゃちっとも優越してないことを知ってるから」
110神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 00:00:23 ID:0wsrytv+
本当にダイジはすごい人だったんだなあ・・・
111神も仏も名無しさん:2009/06/23(火) 23:10:58 ID:mWolzOEw
ダイジも高く評価してたクリシュナムルティの本読んでたらダイジの話に通じるところがあったので以下引用。


「生と出会う」より

生きることは学ぶことと別ではありません。そしてこの事の中に素晴らしい美があるのです。
というもの、愛がそれだからです。
愛は慈悲、情熱、すべてのものに対する情熱です。
愛がある時観察者は存在しません。二元性は存在しません。私を愛するあなた、あなたを愛する私は存在しないのです。
愛だけがあるのです。
それが一人を愛することであっても千人をあいすることであっても、あるのは、ただ愛だけなのです。

愛があるとき、そのときあなたには間違ったことはできません。あなたはしたいことをするのです。
112神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 10:11:15 ID:dovoZaer
君が、今どのような状態でいようと、
この今を愛は、考えられないくらい愛している。

愛情は、あなたなしにはあり得ないが、
愛は、あなたがあったら目覚めない。

人が、絶対愛に目覚める瞬間は、激烈な場合のほうが多い。

この言葉が、君にとって、
どんなにチンプに聞こえようと、
清く正直な生き方をしない限り
悟りは、開けない。

愛着は憎悪を内に含んでいる。愛情は悲しみを内に含んでいる。
そして、全面的悲しみは、愛へ変容する可能性を持ている。

君なぞどうでもいいから愛自身なのだ。
君なぞあったためしがないから自由なのだ。
君がないことが知恵であり、絶対無とは、君自身だ。

正しい瞑想法は、
一番安全で一番危険な道だ。
率直で無理のない気の長い道だから安全で、結局、人間自我の終りまで行かざるを得ないのだから危険だ。
しかし、どうして人間自我の消滅が、危険なのだろうか?

現象しているあらゆる形象は、すべて根本無明によるがゆえに、
消えることのない根源的渇望の相続を、内に秘めている。

何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。

もし、あなたが、幸福に、この世を生き尽くしたら、
あなたは必ず、死と存在とを問う時節を待つ。
113神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 10:12:40 ID:dovoZaer
空とは、体験ではないし、
まして、神秘体験とか、実在体験とか、宇宙意識の体験なぞといったガラクタでは、断じてない。

空もしくはニルヴァーナとは、
身心脱落であり、全体脱落である。宇宙脱落であり、絶対者脱落である。
空もしくはニルヴァーナには、どのようなものの痕跡もない。
神、もしくは絶対者のあとかたさえもない。
しかも、それは、目覚めきっている。充実しきっている。

今・ここにいることは、
君に出来ることではない。君に、
今の中に完全にいることが起こったら、余りの不気味さに圧倒されてはならない。
余りの未知・余りの神秘。それは決して理解することはできない。
その時、すべてが開示される可能性を得る。

純粋瞑想は
あらゆる生きる目的の喪失か、
あらゆる生きる目的の到着点であり、
現代人の大多数にとっては、
もっともクダラナイものであり、
神にとっては、
愉快極まることを知らない・・・

それが、どのような形象であろうと、
形象をもっていることが地獄の始まりであり、
そして、それこそが神のかけがえのないゲームなのだ。
114神も仏も名無しさん:2009/06/27(土) 10:35:12 ID:dovoZaer
君自身がたどる道は、君の心のすべてが、たどる道なんだ。

まして本当の私が神に光あれと命じたのであれば


115神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 13:21:30 ID:mF8wkE9s
居酒屋  ダイジ 2

なんかある?

「どうしたら、自由になれるの?」
自由になる方法はひとつだけある。たった一つだけ。それはね。今、自由になることだ。
「どうしたら、殻がとれるの?」
君が、殻がとれるっていうような余計なことを、考えなくなる時、
殻はとれるものでもないし、存在するものでもないのさ。
君を阻んでいるものは何一つないんだ。
だから、君を阻んでいるどんなものも無いって思う限り。
せいぜい君を束縛するものと付き合えばいい。
それもちょっと付き合うなんていうさ、何かその、こころのこりの付き合い方しないでほしい。
ほんとに付き合ってくれ。
君の限界や、君の束縛や、君の不条理や、君の不如意と。
そしたら、そういったものがさ、きみが描いている夢にすぎないことが分かる。

さあ、今でいいんだよ、いま、うん、いま自由でいいんだ。
そしてその自由の中をね、さらに自由を求めて生きていくっていうのが人間の戯れなの、この宇宙の戯れなんだ。
そんなカタイこと言うなよ。
今、自由なんだ。自由だからこそ君は精一杯生きることが出来るんだ。

「それは愛なの?自由ってのは?」
愛は自由。愛は愛でもないし、自由は自由でもない。
でも、言葉にしたらそうとしか言えない。
116神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 13:23:05 ID:mF8wkE9s
愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。

それは、同時にあるんだよ。

それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。

さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。
117神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 13:29:06 ID:mF8wkE9s
人間が 人間のものではない人間性を自覚する途上において 言葉は無効だなどと 
今さらとやかく言うにはおよばぬ 人類すべてが すでに求道者としてしかありえぬ 時節に入って久しい 
ことばとは実体験とは別のものだと 言いたい人は言えばいいし そのように生きたらいい

この現在の 様々な姿をとった求道者達にとっては 言葉は一輪の野の花であり
瞑想体験の一つともなる どんなことも結局は あなた次第なのだから

言葉の中には瞑想はないだろう しかし瞑想の中には 言葉もある

今・ここで 言葉は神になった

絶対無の戯れ    ――瞑想は言葉となった  言葉は瞑想となった

私が地獄なのだ それにマチガイない。 宇宙が地獄なのだ それに間ちがいない。

私は宇宙の トラワレビトで 頼るものなぞ 何一つとしてない。

きみは君自身をおそれてはならない

つぼみへと成熟する時 君は不可思議な喜びに包まれている。
つぼみが破裂して花開く時、君は 君を失う言語を絶した恐怖と法悦にいるだろう。
やがて、君自身という花が散る時が来る 透明なやすらぎが すべてに満ち渡っている
そして 何もかもが忘越された刹那 たった一つの果実が結ばれていた
君は 君ということのない 君自身だったのだ。

あなたは、満足を求めているのではない。 
絶対の満足そのものの中に、消え果たいのだ。
だが、それは、あなたには断じて出来ないことになっている。

とらわれる必要ないんだ みんな 一繋がりなんだから。
118神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 13:54:42 ID:mF8wkE9s
本ものの瞑想修行に
本格的に全生涯をかけてとりくむには
正しい師、正しいグルの指示に
全面的に従う用意が必要である。

なにが正しい師の基準か?
基準はない、ただ、あなたの完全に成熟したエゴが、直感によって正しい師を
見分けることが出来るのみである。

一つの植物が発芽し そして花が開き種子となるように
地球にも、人間にも、花開く時がある。
一輪の野の花が、現代文明の実用的観点からは黙殺されるように、
花開いた人間、すなわち覚者も、実用性の上からは、何の意味も持たない。
この無用性こそが実用性の基本であることに目覚めぬ限り、現代商工業都市文明は、
花開くことなく西暦二千年前後に崩壊するであろう。
一輪の野の花が、他の何者に対しても自分から影響力を行使しないように、
覚者は、決して他者に無理強いしない。

あなたが、エデンの園から追放されたのは、神の意志ではあるが、
東洋的重農文明を選ばずに、西洋工業都市文明を選んだのは、あなたの意志である。
それと同様に、管理下と堕落を選ぶか、霊的進化を選ぶかは、神の意志ではなく、
あなたがた一人一人の意志と努力にかかっている。

文明終末期において、もろもろの悪をなさず もろもろの善をなす人は、正真正銘の救世主である。
             
119神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 13:55:56 ID:mF8wkE9s
もはや、すべての苦しみと悲しみは 過ぎ去った。
今と同じように 21世紀も まったく新しい 楽園となるだろう。
疑いの余地なく・・・
福生の飲み屋街は真夜中を迎え
それゆえ
永遠の光は輝き続けている。
あなたの愛がすべてであるように
21世紀の光もまた
あなたにおいて花開き続ける。
この大いなる死のなつかしさにおいて・・・

    21世紀とあらゆる時代に限りない感謝をこめて
              DANTES DAIJI

――師ダンテス・ダイジの意志に基づき、
            その大悲大慈がより正しく
                  伝わらんことを祈りつつ 
120神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 18:59:24 ID:mF8wkE9s
禅でよく言われる、
自我の死、大死一番とは何をさしているのだろうか?
もちろん、自我の死、あるいは、
クンダリニー・ヨーガにおける、肉体上の死と復活が、
善悪を超えた
まったく新しい善悪という自由を実現することは、真実である。
自我の死とは、自我の知覚する宇宙の死であり、一切万象の死であり、一切万象それ自身の目覚めである。

君は、心を捨て身を捨て魂を捨てて、
ただただ一つの真実を発見せねばならない。  なぜと問うなかれ。

これは、七重の至福の世界
これは 十種類の
まったく違った無限次元
これは
神としての私自身の照応
これは
私自身の久遠に続く最初にして
最後の夢
121神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 19:09:36 ID:mF8wkE9s
真理に至る道などない。
それが真理の真理たる所以である。
部屋の片すみに坐って
朝から晩まで、
真理について思索していたら、
真理に目覚めることもある。
そこが又
真理の面白いところである。

すべては、神の夢の戯れであり
すべては、神の真実それ自身である。

肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体・コザール体が、死に果てれば、
アートマンは、ブラフマンに直結する。
死とは神である。
神とは七つ、もしくは十の無限次元を持つ全体者それ自身のことである。
創造の光とは、この全体者の中心次元のことである。

122神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:39:38 ID:mF8wkE9s
およそ、 死んだら霊界があるとか、死んだら魂が転生するとか、
そんな事は、 人間の観念の世界の事なんだ。
じやあ、仮に霊界があってさ転生したとする。でも相変わらず、それは続くのさ。
君達は。 たとえ極楽に行っても地獄に行っても同じように喜怒哀楽がある。
そう 、君達はいつも何かを追いかけている。 いつも何かを追いかけている。 いつも何かの依り処を探している。
それはいろいろなもの−−−。

映画を見たり、本を読んだり、それからいろいろな事を考える。音楽を聞く、でもいい。
そうする事は君達が、何かを追っかけざるを得ないからなんだ。
君達は、一生懸命、探している。
本当の歓びを、本当の満足を、−−−
そうやって、次から次へと、どこまでも、どこまでもやっている。
そうして、そういう堂々めぐりが、一向に、気にならないのだったら、それを続ければいい。
でも、少なくとも、君達は、もう、そんな堂々めぐりなんか、ご免だっていう事なんだ。
何か確かなもの、 何か本当なもの、
そうやって、 いろいろな事をやる。
依り処を探しているんだ。
頼れるもの、
本当に好きなもの−−−
たとえば
一つの仕事をやっているとする。 その仕事をやっている時はいい。
でも、その仕事が終わったら?
元の空虚な君なんだ。
或は恋愛、 或は結婚
本当の最愛の妻、愛人、
みんな、とてもすてきだ。
その時は、どんな防御もいらない。
それでも、それに頼る事に、それを依り処とする事に君達はいつも不安を感じている。
心の底で−−−、
123神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:43:42 ID:mF8wkE9s
いつ分かれる。
いつ裏切られる。

本当に確かなこと。それは一体何だ。
或いは、ドラッグでハイになる。そうハイになった時は確かにいい。
おお! ハイだ
それも一つの拠り処。はかない拠り処。それがすぎたら元のもくあみだ。
一体、永続するものがあるのか?本当に確かなものがあるのか?
完全な満足があるのか?絶対の幸福があるのか?
或いは冥想でもいい。冥想をやっている。
この中の人に、悟りらしきものを開いたものがいる。
その時は、とても素敵だ。本当に解放された気分になる。でも、それも、いつかは消える。
思い出になってしまう。
いつのまにか君たちは、そういう感覚体験を、頼っていたんだ。
あらゆる感覚体験、それはみんな、頭の中の観念にすぎない。
そんな、観念によって、何とか、自分をハッピーに、満足するようにしよう、としている。
追っかけているんだ 、追っかけられているんだ

空虚に。
だったらどうする?
どんな刺激もなくなったら。
どんな拠り処もなくなったら。

君たちは、友達に会える。酒も飲める。彼女と出会える。冥想もできる。
映画も、音楽も、本を読むことも、文章を書くこともできる。社会人として立派に生きることも・・・・。
で、それで、それが本当に確かか?それが君をどうかしてくれるのか?
くり返しだろう。くり返す。そう、人生とは、くり返しさ。
幸福や、不幸がいろいろと混って続いていくだけさ。
そんな風に考えられる人があったら、それでいいじゃないか。どうぞ、続けて下さい。それを。
本当に、そんな堂々めぐりが、どうしようもなく嫌になるまで、続けて下さい。 
あなたは、まだその時期じゃないんだ。
124神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:48:09 ID:mF8wkE9s
さあ、本当に絶対なものが、どこかにあるのか?人間が救われるっていうことがあるのであろうか?
救われた気分になる事はあるのだろう。でもそれは気分だ。常に変わっている。
だから言ってるじやないか。君達は髪の毛一本、白くも黒くもすることはできない、と。誰かできる人いるかい?

さあ、当たり前に見よう、 当たり前に、...当たり前に見るんだ。
何か人間に決着つくような事があるか?
死ぬんだぜ!−−−君達は!皆死ぬんだ!
今日、君達が素敵だ、と思ったもの、それも幾日か、たったら、もう素敵だ!、って言えないんだぜ。
それを無理して素敵だ!、素敵だ!ってやったって、むなしいことだ。
じゃあ、どうする。
君達が、此処にいるっていうことは、
本当に本当に本当に、ハッピーに生きたいんだろう?
そんな事考えない、って心の底から言えるんだったら、もう俺は必要ない。

だけど、何かあるんじゃないか、何かあるんじゃないか、と君達がこうして集まってきている。
お互いの顔を見ることができる。或いは社会の中に属する。
うん・・・・それは、とても安心だ!でも、一人っきりになったら?・・・
本当に君達を助けてくれるだろうか?君達は、今、砂漠のど真中にいる。
いつでもいるんだ。これは修飾語でなく事実なんだ。
君達が、どこかへ行って、一人っきりになる。その時の、むなしさとか、不安とか、堂々めぐりとか。
そういうものを、一体、誰がかわってくれる?
そして、更には一人っきりの君達っていう、その君、その君自身でさえ、しょっ中、動き回っている。

やれ、幸福だ。やれ、快楽だ。やれ、苦痛だ。やれ、出会った。やれ、離れた。

やれ、年老いた。やれ、病気になった。やれ、死んだ。 −−−−
125神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:50:46 ID:mF8wkE9s
みんな観念だ。君達の頭がそれを作り出している。さあ、どうしたらいい。一体、どうしたらいいんだ。
今、此処では、いろいろな人達がいる。と君達は信じ込んでいる。そう頭の中で。
だから、私がしゃべっている言葉が、とてもゆっくりしか君達の中には入っていかない。
でも、一人っきりになったら、その事は、どうしようもない事実なんだ。
そして、一人っきりで、その一人がいればまだいい。でもその自分さえ、どうにもしてくれない。
さあ、どうしたらいい。冥想する?お祈りする?みんな君達がやる事だ。
どうして、 どこかに行きつこう、なんってするんだ。
今迄、この世に生まれた人間で、どこかに行きついた人達がいるか?
シャカは行きついた?キリストは行きついた?クリシュナは行きついた?

みんな死んだじゃないか。今、どこにいる。
君達が、本当に一人っきりに、それも、観念で一人っきりになるのでなく、一人っきりにならなければ、
当り前な人間関係も、当り前な生き方も、できやしない。あたりを、しょっ中見回している。
そう、此処にいられないんだ。いつも、此処以外の事を考えている。
何かあるんじゃないか、何か、何か、と頑張っているんだ。
観念というのはいつでも此処にない。観念が、死と恐れと不安を作り出したのだ。
さあ!よーく見よう!人間の当り前の姿を、
神通力?−−−−−−−−−−麻雀だ! 映画だ! 神通力なんて。
それでどうした?神通力を得てどうした?

ハイになった。 ビジョンを見た。----------それで? 社会的に成功した----------それで?
まだ充分に時期の来ていない人にとってそれは魅力だ。
神通力も、社会的成功も、恋人との愛の語らいも。
でも、それを本当にいやというほど、やってみたらいい。そして、この中には いやというほどやった人もいる。
そうしたらその正体がわかる。 それが堂々めぐりの一つだっていう事が。

君は死ぬ 君は死ぬ 君は死ぬ 君は死ぬ
そして、此処にでてくる。
126神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:54:21 ID:mF8wkE9s
君が生まれる前の君の姿ってどんなもの。君の両親が生まれる前の君自身ってどんなもの?
それは、 とっても恐ろしい事だ。
此処にいるっていう事は、理屈抜きで安らぐっていう事は、条件抜きで安らぐっていう事は、

本当はそのあいだの距離っていうのはとても短いんだ。 
うす紙一枚ほど短い。 ---------- 誰にとっても。 
ところがそのあいだにいろいろなものがあると思っている。
やれ、冥想のテクニックだやれ、修行だ ---------- 

でも、本当はものすごく単純さ。 条件抜きで安らげるんだよ。 

人間がどうなるのか、だって?ものすごく当たり前の事さ。誰でも気づく。 
気づかない人はいないんじゃないか。 
ただ、それを観念で処理するか、 それとも、そのまま続けるか。そのちがいにすぎない。 

シャカが青年だった頃、俺は死にたくないって頑張るんだ。 
そうすると父である王が、死ぬなんていうこのは、当たり前の事じゃないか、というんだ。
ところがシャカの方は納得できない。それだけのちがい ---------- 

さあ! 此処にいよう! 
いいんだ! もう、いいんだよ! 
よくないって頑張るのは、君の頭だけなんだ。 
もう、いいんだ。 
127神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:56:11 ID:mF8wkE9s
他人の事や外況に惑わされないことだ。それはいろいろなものがある。 
悟り、ビジョン、霊界、高次元世界、 でも、誰が決めるんだ。そんな事。 
いいか、一回きりのものなんだぞ!誰が、シャカが聖者で、君が聖者でない、なんて決めたんだ。
どこに根拠がある。 本に書かれている事が、 やれ、光を見た! やれ、背骨がバイブレートした。やれ、ハイになった。 
それで?それで、どうしたの? 

でも、もっと先の世界がある。もっと、何かある。もっと、もっと----------。
ああ、そうやって、頭で考えている。そして、それらが全て、外からやってくる。 
そう、外に引っ掛けられているんだ。外のトリックに
なあ!君達!本当に、本当に、当り前になってみろよ。
頭の中に積め込んだ、いろいろな知識を抜きにして----------、頭の中の知識はいろいろな事を言うさ。
やれ、何とかの生まれ変わりだ。やれ、聖者だ。救世主の印がある。
でも、君達、一人一人っていうのは、かけがいのない一人一人なんだぜ!それは、とても恐ろしい事だ。

一回きりの君達!一回きりの今!

たとえば、とてつもないやさしさがこみ上げてくる時がある。
それはそれでいいんだ。
ところが、人間というのは、すぐそれに今までつめ込んだ観念をつけ足す。
そうすると、俺の今いる境地は、どの位のレベルだ。まだ、先がある。とか言う。 
当り前の今に直面せよ!   直面せよ!  此処に! 
一回きりなんだ!一回きり!かけがえのない一回きり。
それは----------今。

128神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 22:59:26 ID:mF8wkE9s
どんなしばるものもない。
勿論、君が愛しさを感じるものを大いに愛しめばいい。尊敬するものを尊敬しろ! 
だけど、君自身は君自身だ。それ以外の何ものでもない。

冥想には、二つの方向がある。一つは、肉体的、精神的機能を最大限に発達させる方向。
それは、悟り、とかいう問題ではなく、最適なコンディションを整える働きがある。これを実用三昧という。 
他のもう一つはそれとは全然ちがう。それは人間であることの絶対的な悲しみと表裏一体なものだ。 
人間が本当にどうしようもないもの、という、その直視と一体のものだ。 
否、もっとはっきり言えば、 本当に人間がどうしようもないものだ。どうしようもないものだ、という事が、本当にわかった時さ、 
ほら、その時、あれが起るんだ。 みんな同じに見えてしまうんだ。 何もかもが。

その時、もう意味ないんだ。自分が一定の形を保つっていることが。そして直面するんだ。
ところが問題なのは、人間が本当にどうしようもないっていうことが、嫌っていう程---------- 
つまり、それは、最愛のものの死によって起こるかも知れない。或いは、ガンを宣告されて、起るかもしれない。
兎角 -------- それが起こった時  そう。
みんな同じに見えてしまう。
もう、男も女もなく、優劣も劣等もなく、みんな意味がなくなってしまうんだ。
そうして更には、そのように感じている自分さえ意味ないんだ。
でも、それは灰色だ。入り口にすぎない。
何故なら、まだ、 そのような意味ない、と思っている自分があるから。
129神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 23:00:54 ID:CiHuxwa/
1
130神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 23:01:44 ID:mF8wkE9s
もし、本当のニヒリズムっていうものがあるなら、大抵のニヒリズムは、ロマンティシズムだけど、
本当のニヒリズムっていうものは、その灰色の世界、
つまり、みんな同じに見えてしまうんだよ。
もう、一定の自分っていうものを保つ必要がなくなってしまうんだ。
俺は、会社員として仕事についているから、こういう風にきっぱりいかなくちゃいけない、とか、
俺は、教師であるから教師らしくしなくちゃいかん、とか、 
人とつき会った時に好印象を与えなくちゃいかんとか-----
そんな事が全然意味なさないんだ。それも、理屈として意味なす必要がない、とか、
そういう事に捉われる必要がない、とか頑張る必要もないんだ。
いずれも同じだからさ。その時は。
でも、それは灰色だ。まだ見ている自分がある。同じだ、と見ている自分がある。

ある時、本当に全てとつき会った時、全てを当たり前に見た時、
もう何が目の前に現れようと、全然、意味なさない時が来る。
みんな同じに見えてしまうのさ!
ただ、見える立場がそこにある。だから灰色なんだ。
その時、何をする。やる事がないんだ。

131神も仏も名無しさん:2009/06/29(月) 23:03:19 ID:mF8wkE9s
その時、座るんだよ!その時、座るんだ、と言わなくても座るんだよ。そういう風に出来ているんだよ。

訳は知らない、 ------- 万事休す ------- その時、見ている自分が消えるんだよ

面白いものなんだぜ。電信柱だろうと、道路だろうと、みんな見知らぬものなんだ。
ところが、見知らぬっていうのは、知っている事、
何か知っているものがあって、それに対して見知らぬ、だろ。
そんな事抜きにして見知らぬもの、なんだよ。みんな。
それに近い感覚っていうのは、此処にいる人達はみんな経験しているはずだ。
そういう時代が来ているからだよ。
ところが、本当に、どんずまりに来たっていうのは
本当に見知らないんだ。つまり、見知らぬっていう風にして、あわてる意識さえないんだよ。
まるで、そう、魂を、どこかに落っことしたような。

ほら、あるじゃないか、たとえば、とてもすてきな人が、 
そばに来れば、いくらすましていても、やっぱり−−−そういう事ってあるじゃないか。
そんな事さえないんだよ。本当に灰色というか、白というか、ゼロというか。
ゼロポイント、そう、このゼロポイントまでいけば、ブラックマジックも成立しない。
ブラックマジックつまり破壊というのはゼロポイントの一つ手前にとどまる。
つまり差引きゼロの世界では、もう、やる事がないんだ。
ところが、まだ観念が先行している時に差引きゼロっていう事に気づくと、もう何をしてもいいという発想が出てくる。
でも、本当に本当に悲しめよ!
いいか。悟りっていうのは理屈抜きの悲しみの事なんだ。生命の悲しみの事なんだ。
本当に悲しみに直面できる感受性、それが悟りだ。
132神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 00:59:17 ID:cxe4t6Jb
ダイジ!!!!
133神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 08:40:32 ID:BBKBXXXE
神秘学とか、霊的何とか、っていうのは全部ままごとさ。
この世界に於いても同じだよ。又、究極的世界の於いても同じだよ。
映画を見たり、何か気をまぎらわしたりするのとどこが違う。

人は、いろいろな刺激によって生きている。外部からの刺激によって。
自分の中から起こったことさえ外部からのものだ。
そして、それによって生きている。それを拠り処にしているんだ。

平常のそのままでいいんだ。いいんだよ!平常の、そのまま、で。

どうして何かになろう、なんて考える。そんなものマスコミにのせられているだけだ。
一人一人が又とない生命(いのち)だ。平常そのままでいいんだ。とても恐ろしい。
何故なら、人は、いつでも自分が空虚だ、と意識し--------------あるいは意識しなくても-------------感じている。

平常のそのままでいいんだ。でも、それはとても恐ろしいすごく、すごく恐ろしいことだ。
平常のそのままでいいんだ。自分の思うようにしたらいい。
決してためらわずに。これは、決して、助平根性があったら出来ることじゃないんだ。
つまり、何かがうまくいくとか、何か先行きうまくいく、とか、そういうことを考えていたら、自分の本当に好きなようには出来ないんだ。
もし、そういうものがあるとしたら、それは、自分の本当に好きなようにしているのではなく、自分の妄想が好きだ、と考えている事をやっているにすぎない。
つまり、観念のゲームさ。君の本当に好きなようにするという事は
これ又、恐ろしい。
とても、とても恐ろしい。
自分の本当に好きな事をするっていう事が−−−間違えないで欲しい−−−−たった一人、
自分のすきなようにした人間だけが、友情とか、親子の愛情とか、恋愛とか、仕事とか、
−−−それら全てを、一番、本来の姿でやる事ができる。ちょうど、降ってきた雨のように。

雨が降る。鳥が飛ぶ。自動車が走る。本当に好きな事をする。
134神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 08:43:15 ID:BBKBXXXE
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。

うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか−−−−−
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
135神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 08:44:33 ID:BBKBXXXE
外からくるもの、それは、いつでも優劣や、美醜や、いろいろな、がい念というものを、頭の中に、植えつける
その、がい念、というものがコンプレックスとか、何とか心理学でいうことと結びつく。

誰が決めたッ!−−−−−
君達は、かけがいのない君達自身だ!一回きり、の。
君達は、シャカとか、キリストとか、聖者とか、何でもいい。−−−−−
全く同じだ!  全く!  全く!

君達が全てを、つまり、君達の心を、君達の考えを、君達の身体を、 本当にすみずみまで、
愛しめば-------、そう!それが信じ切るっていうことさ。

臨済
「お前達は、信じ切れないから、あたふたとうろたえ、 
いろいろな外教についてまわり、蛮教の為に自己を見失って自由になれない。
お前達がもし、外に向かって求めまわる心を断ち切る事ができるなら、 
そのまま祖師であり、仏である。」

外へ向かって追い求めるっていう事は、
内面の中でもって何かを発見するっていう事も含まれる。
それも外の事さ。
何故なら、止まっていないから-------
満足っていうのは、外のどこにもないんだ。

今、満足しなければ、永遠に満足する事なんかないんだ。
満足というのは、とても巧妙なトリックを使う。
あの条件がそろったら俺は満足する。
こうなったら満足する-------。
一人のせむし男が言う。俺はせむしが治ったら満足するだろう。
ああ-------治ってみろ!又、外に向かって何かを探し出す。
そういう風にできているんだよ。どういう訳か一向に知らないが。
136神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 08:57:20 ID:BBKBXXXE
そのままでいい。いいんだ!そのままで。今、満足すればいいんだ。
単純な事さ。
満足したら阿片だっていうのか?そうじゃないさ。
阿片なんて感覚だろ。宗教は阿片だ。

今、満足する事。本当に満足したら、すべてが整う。
本当に此の中に安らいでみたらいい。

しみわたるっていうのは例えば、砂漠を放浪してて、一杯の水に、やっとありつけたっていう時、
本当に、しみわたるんだ。どうやって?
今、安らいだら、何もできなくなるなんて、まっ赤なうそだよ。
完全な安らぎが、完全なバイタリティを生むんだよ。
137神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 08:58:47 ID:BBKBXXXE
臨在
「お前が、もし、外に向かって求めまわる心を、たち切ることが、できたなら、
そのまま、祖師であり仏である。」

勿論、どれは必要だ。
たち切ったら、たち切ったら、
ああ、これ又、とても恐ろしいことだ。とても、とても素敵なことだ。
たち切ったらってどういうこと?
いろいろな予定や、いろいろな目標や、いろいろな何か、実現や、いろいろな欲望や、

いろいろなすてきさや、
いろいろな理想や--------とりわけ理想、夢、希望、それを断ち切るっていうこと。
何故、断ち切らなくちゃならない。それらが、此処にあるっていうのに、みんな此処に。
何をあくせくする。何をかまえる必要がある。
今、今、安らぎがある。かまえは自然に此処から出て、日々を生きる過程で起こる。

臨在
 「お前達がそこで、此の説法を聞いているそいつが祖師であり仏である。
 ただ、お前達は、それを信じ切れない為に、外に向かって求める。
 そんな事をして、たとえ求め得たとしても、それは、文字、言句の概念で、
 生きた生命の祖師ではない。とりちがえてはいけない。
 お前達、今、此処で、してとれないなら、永遠に迷いの世界に輪廻して、
 愛欲にひかれて畜生道に落ち、ロバや牛の股に宿ることになるだろう。
 お前達、わしの見下からすれば、此の自己とシャカと別ではない。
 現在、日常の働きに何が欠けているか。六根を通じての自由な働きは、
 今まで、一秒たりとも、止まったことがないではないか。
 もし、よくこのように徹底することができれば、これこそ、一生大安心のできた、めでたい人である。」

お前達、今、此処でしてとれないなら永遠に輪廻する-------
ああ、苦しい。堂々めぐり。

安心しろよ! ほら!
138神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 08:59:40 ID:BBKBXXXE
その間っていうのは距離があるんじゃないんだ。
今、此処で、安心するっていうこと。此処で、リラックスするっていうこと、
そして、それが、できなかったら、永遠に、輪廻するっていうこと。

そう、輪廻する。つまり、そういう風に、苦しみ多き日々を生きるっていうことはね。
たとえば、苦しみ多き日々、三年後のその時でもいいんだ。
でも、折角だから、此処で決めて欲しい。
決めるっなんて言わないでいいよ。当たり前でいいんだ。
ものすごく恐ろしいんだぜ。
何故なら、人間っていうのは、条件が好きだから。
人がリラックスできない理由は単純なことさ。ものすごく、それは単純だ。
自分が満ち足りない、って妄想しているのさ。
今の自分はまだまだ、って妄想しているのさ。
勿論、
この世を、人間として最後まで全うするには、
まだまだっていうのは必要だ。
でも、それは二次的なものだ。
それは、あとから出てくるものだ。
君達の、
今いる君達に
何が欠けてる?
欠けてる、と考えるのは、
皆、頭でもって吸収した、いろいろな情報のせいだ。

できるんだ。今、今、此処で、できるんだ
139神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 09:15:31 ID:BBKBXXXE

六根を通じて、というのは、君達の感覚、今、此処で、働いている感覚さえ、
いろいろな妄想や、こいつ何話してる、とかそういう働きが全て。さ。

 大安心。
 どんなことを考えようと
 大安心。
 いいんだ-----
 いいんだ-----
 もう、 いいんだ-----
 おかえりなさい

(完)

(ダンテス・ダイジ)

黄色い冊子 著・DAIJI AMAMIYA。
140神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 09:23:19 ID:BBKBXXXE
至福ハンドブック=死とSex

  ’83 Sept,3
  Form ダンテス・ダイジ

人はその内的満足によってのみ その内的外的調和、平和、幸福、快楽を実現させることができるのである。

この場合の内的満足とは自我欲望の満足といった意味ではない。
なんとなれば自我欲望の満足は不可能だからである。
自我は底知れぬ虚無の上に立脚しているものにすぎない
自我にとって一切は不条理なのである。
従って内的満足とは自我欲望からの解放すなわちオルガズム或いはエクスタシーを意味する。

オルガズム或いはエクスタシーといったものは、欲望の延長線上にある満足ではない。
それは欲望すなわち自我の消滅としての満足を意味する。
オルガズム或いはエクスタシーは自我の消滅もしくは欲望からの全面的解放を意味する。
絶対満足であるがゆえに人間を進化、成熟せしめるものである。

現代に最も必要なことは、この自我からの全面的解放を意味するエクスタシーのみなのである。
一般人にとってエクスタシーは死もしくはセックスによってのみその可能性を開き得るのである。
勿論、純粋冥想はあらゆるものを含む全面的エクスタシーのカギではあるが、それは人類の1/3のみに有効な方法にすぎない。
ここでは全人類一般人全てにエクスタシーを来す為の暗示が記述されている。
141神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 09:24:54 ID:BBKBXXXE
もう一度言おう。
エクスタシーこそが全人類の究極的テーマであり、あらゆる問題の唯一の解決法なのである。
人は自己満足を求めているのではない。
自己満足は不毛であることを知っているのだ。
本当の人間性は自我からの解放、すなわち、
欲望からの解放すなわちエクスタシーのみを真実求めているのである。

人はなぜ苦しむのか?
人はなぜ虚しいのか?
人はなぜ大らかで楽しくないのか?
人はなぜ生き生きと血湧き肉踊っていないのか?

それは自分が自我意識満足を求める欲望だ、と錯覚しているからである。
全人類は、今や、自我から出た虚しさを如何にだますかにきゅうきゅうとしている有様である。
やめなさい! やめなさい!
自我は虚しさと欲求不満と苦悩を生む以外にはないのだ。
それらの虚しさ不満苦悩が、それなりに素敵だと思うのであればこれ以上この文章を読む必要はない。

ああ! エクスタシー! おお! エクスタシー!
自我にとって果てしなく遠く彼方にあり、そして常に今この場にピッタリくっついているものよ。
142神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 09:30:25 ID:BBKBXXXE
注意せよ! エクスタシーとはあなたのエゴがあこがれているエクスタシーではないのだ。
そんなエクスタシーは単なるまがいものにすぎない。
しょせん一時的な自己満足なのだ。
真実にして絶対なるエクスタシーとは あなた、すなわちエゴが消滅するところに花開く神秘にして不可思議なるなにかなのだ。
その時、一切の苦悩も一切の喜びも完全に終わり、苦悩でも歓喜でもない完全無欠なる至福が無限に満ちわたっているのである。
エクスタシーはあなたを成熟せしめ、一輪の野の花にも、海のさざ波にも、山の中の静じゃくにも、大空の広がりにも、風のささやきにも、
しとしとぴっちゃんしとぴっちゃんの雨ふりにも、便所のこえだめのうじ虫にも、一服のタバコにも、ほんのかすかな肌の触れ合いにも、
限りない味わいがあることを生きることになるのだ。

さて何故、死がエクスタシーになるのであろうか。
答えは簡単だ。
あなたというエゴがなくなること、ナチュラルになくなること、そこに唯一実在しているエクスタシーがあらわれるから、というにすぎない。
ところが、存在しているのは自分だと妄想している現代人にとっては死は最も恐ろしいものに映ることとなる。
死ぬことによってエクスタシーにかえることは現代人にとっては困難なことであろう。
そこでよりイージーな道としてセックスをあげざるを得ないのだ。
143神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 10:04:20 ID:BBKBXXXE
セックスによりオルガズムエクスタシーには、その男女のエーテル的すなわち全一的合一が必要なのだ。
平たく言えば愛情こそが全身的オルガズムすなわちエクスタシーを開花させるということなのだ。

誠に誠に告げる、性的快楽は性的快楽を追求してとっかえひっかえ異性をかえることによって実現したためしは今だかって一度もあったためしがない。
何よりも重要なのは、心の底からフィットする、心の底から愛情を感じるたった一人の異性との出会いを待つことなのだ。

実際、この地上で最も美しいのは全面的な愛情、トータルな恋愛なのだ。
そこに低俗的な意味ではないオルガズム、エクスタシー、成熟、宇宙の意思が働いている。

人が本当に求めているものは何なのであろうか。
人は様々なものを、その欲望の奴隷となって追い求めている。
全面的な満足が欲しいのだ。
だが、自我には断じて全面的満足はあり得ない。
本当のことを言おう。
人は誰でも自我というやっかいなもののドレイから解放されたいのだ。
本当のことを言おう。
人は誰でも自己という重荷を消滅させたいのだ
144神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 10:05:13 ID:BBKBXXXE
なぜなら、唯一楽しくなるのは自分が絶対完全無限なそのものであるということに目覚めることであるからだ。
それを私は仮にエクスタシーと名づけているだけのこと。

女性にとっては全面的な愛情が全てであり、それによって自ずから男性とのSEXがエクスタシーそのものを開示する。だが男性にとっては、ただ愛情があるというだけではダメなのである。
そこには、さめた知性が必要なのだ。
愛情があればSEXにおいて女性は努力を全く必要としない。
だが男性はある種の努力が必要なのである。
この由に男性の至福への道は、死をかけた何物かを必要とするのである。

男性は一人の女性に対して全面的愛情を感じたとしても、それは一切の問題の解決とはなりえないであろう。
それ故、男性は自己の生命を捨ててもいいという風に生きなければ悟り、至福、エクスタシーに目覚めることはないのだ。
純粋なる坐禅冥想は勿論、全面的な死への道であり、全面的な至福への道であるが、それはごく限られた人々のものでしかない。
そこで男性は、職業、家庭、友情、使命などに生命をかけねばならないのである。
それらが自己満足としてあるのではなく、自己放棄としてあらねばならない。
つまり、自己満足の虚しさと恐怖の構造を理解して、自己満足ではない、純粋に正しい行為を生きつづけるのだ。
145神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 10:08:33 ID:BBKBXXXE
たとえ、その行為の結果が完全に失敗に終わっても、である、
自己を豊かにしてはならない。
自己満足を目標にしてはならない。
エゴの肥大こそが虚しさと鈍感さと不安と恐怖の原因であることに気づきなさい。

女性は本当の愛情を自覚した時が、人間的悟り、成熟といってよい。
そしてそこから、そのエクスタシーから、その成熟から、健全な未来の子供達を出産するのである。
愛情のあるSEXからの出産は単に産みの苦しみといった様なものではない。
それは苦しみであると同時にエクスタシーからのエクスタシーなのだ。

愛情あるSEXは女情を自ずから成る性的エクスタシーへ導きそこに女性としての大いなる成熟があるのだ。これだけで現代女性のかかえている全問題は解決したといってよい。
死んでもいいと言う程の生き方、それこそ現代人は自覚しているといないとにかかわらず、求めているものである。
一般に女性にとってそれは一人の男性との性愛であり、男性にとっては天職とか家庭ということになるのだが、現状では、そうは問屋がおろさなくなっている。
というのは現代人一般があまりにも快楽、権力、金の奴隷になっているからである。
従って今や天命としての職業なぞありはしないのだ。
146神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 10:16:02 ID:BBKBXXXE
警告する!
快楽と自己満足の為に生きるのをやめなさい。
女は女でなく、男は男でなく、人間は人間でなく、家庭は家庭でなく、社会は社会でなく、自然は自然でなくなっているのだから。

本当に正直に答えて欲しい。
あなたはむなしくありませんか?

現代の女性は本当の恋愛を知らない。
現代の男性は本当の天職を知らない。
現代の人間はその天命を知らないのだ。
性的快楽のみを求める女性に、むなしさから逃げるために満足を求める女性に、どうして本物の恋愛が起こるであろうか。
金、権力、地位、名声、快楽を求める男性にどうして本当の天職が発見できるであろうか。
そこで現代人一般は享楽的なSEX、ほんのささやかな趣味娯楽、或いは美容、健康、SEXの様々なテクニックに自閉的な満足を求めているという次第である。

現代文明にとって最も必要なことは、出産、性愛、死という人間としての根本的基盤に目覚めることなのだ。
神秘を知性的に分析して解明するのではなく、神秘を神秘として目覚めるのだ。
この目覚めが実現しなければ、この西洋商工業都市文明は今世紀一杯で自滅するであろう。

(完)
147神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 10:58:21 ID:BBKBXXXE
死生観 1

天と地とは永久に      陰と陽との生き通し
神の水火より生まれたる   人は神の子神の宮
生くるも死ぬるも同じこと  これをば物にたとうれば
神の世界は故郷の      恋しき親のいます家
この世に生まれた人生は   露のしとねの草まくら
旅に出でたる旅人の     クス野をたどるが如くなり
辿りたどりて黄昏に     いずれの家か求めつつ
これに宿りしその時は    この世を去りし時ぞかし
一夜の宿を立ち出でて    またもや旅をなす時は
まだ人間と生まれ来て    神の働きなす時ぞ
生まれて、一日働いて    死んで、夜をまた休む
148神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 10:59:09 ID:BBKBXXXE
死ぬというのは人の世の   果てにはあらず 生魂
重荷下して休むとき     神のみ前に遊ぶとき
栄えの花の開くとき     歓喜充てる時そかし
またもや神の命令に     神世の宿を立ち出でて
再び人生の旅をする     旅は愛いもの辛いもの
辛い中にもまた一つ     都に至る限りなき
歓喜の花は咲き匂う     神の御子たる人の身は
生まれて死んでまた生まれ  死んで生まれてまた生まれ
堅磐常磐に栄えゆく     常磐の松の美し世の
五六七の神の太柱      玉の礎つき固め
高天原に千木高く      宮居を造る働きは
神の御子たる人の身の    勤めの中の勤めなり
ああ頼母しき人の旅     ああたのもしき人の身の
人は神の子神の宮      神と人とは生きかわり
死にかわりして永久に    五六七の世まで栄えゆく
五六七の世まで栄えゆく

(完)

著・ダンテス ダイジ 

雨宮 第慈
149神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 11:06:02 ID:BBKBXXXE
戯れに冥想を  著・雨宮第慈

プロローグ

この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。

「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを
神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。

「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。

このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、
絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。

バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン−−−−−−それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。
魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。

まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。

人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。
150神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 11:15:17 ID:BBKBXXXE
超人ダンテス(又はダンティス)の伝説

一搬的な歴史の中でダンテスの名を発見する事はむずかしい。
もしあなたがあらゆる宗教神秘主義的伝説への妄従者であり、その表に現れた密教的規律に従う事をもって、満足する人であるならば、ダンティスのアトランティス以来、現代に至るまでの間にいたる所にちりばめられたダンティスの暗示を読み取る事はできないであろう。

なぜなら、ダンティスのアトランティス密教の高度な道術は、アトランティスの黄金時代を別にすれば、ダンティスの教育的使命にはならなかったからである。
例えば、ヘルメス・トートメの秘教的奥義に決定的影響を与えたアトランティスの聖王トースは、明らかに導師(グル)としてそのたち場をキテイできるものであったが、
ダンティスは常にその様なキテイの片ちがいにあった。
ダンティスはもちろんそのニルバーナの究極的解放において全体性の観賞(照)者でありえた事はもちろんであるが、
彼は、そこにとどまる者としてではなく、むしろ、ニルバーナの化身であり、全体性の至上の天国と極悪の地獄を自由自在に戯れるものとして生きた。

無限生命の絶頂を完全な解放を意味するニルヴァーナというサンスクリット語はアトランティス当時の正確な発音ではニーバーナとしたほうが良いであろう。
ニーバーナとは、ニーが無、バーナが有を表し、これはアメンと同じ意味の真言(言霊)であった。
151神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 11:18:45 ID:BBKBXXXE
  無          有            (タオイズム、禅仏教)
 ニー         バーナ          (主にインド・ウィグル)
 メン          ア             (主に古代エジプト・アトランティス)
 メン          アー           (キリスト教)
 ム          オー           (サンスクリットのマントラ・オーム)
 ウン         ア             (真言密教)
 カ           ミ             (日本古神道)
152神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 11:21:27 ID:BBKBXXXE
ダンティスの生涯には、超越界を、自分の住所とし続けている。
いわゆる、聖者的な姿というものを、見いだす事は、できない。
彼は時に、多くのアトランティス並びにエジプトの人々にとって、そして、とりわけ、選ばれたごく少数の者に対しては、まぎれもなく、絶対無の内に宇宙を手玉に取って見せる事もできる人物であった。
確かに彼は、人間という者が宇宙の内でどの様に戯れたら良いかを、ごく少数の弟子に伝えている。
もしあなたが独自の観察眼を、神秘学の歴史にむける事のできる密教学徒あるいは、完全にあたりまえな人間であれば、
古代エジプトのヘルメス秘教の中に、エメラルド・タブレット、沈黙の声の中に、古神道の野立彦の神示の中に、ヴェーダやウパニシャッド文献の中に、
さらには、オカルティックな奇説、例えば、悪名高き魔術師、アリエスタ・クローリーの若く純粋であった当時の著作の中に、
さらには、ファンタジー作家のインスピレーションによる書物の中にさえ、ダンテスの名前やその足跡を発見できるかも知れない。

なぜなら、ダンテスとは、あなたの魂の暗闇の中に秘められている完璧な愛自身のことにほかならないからである。
153神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 11:26:42 ID:BBKBXXXE
エピローグ

 この本は、
 今や死のうとしている君と
 今や死んでいる私との
 果てしない果てしない果てしない戯れである。

 そして君は冥想を決して止めてはならないし、
 君が冥想を止めることはできないのだ。

 この本は、私という存在もしない夢幻
 が雲をつかむようなあなたに、
 法悦の酔いのなかで書かれた。
 「カキクドキ」の文句の集まりである。

 あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
 だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
 私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
 そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!

-----それが冥想である
-----これが冥想の戯れである。

ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んで下さい。
154神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 12:36:34 ID:BBKBXXXE
ほんとうに勝手にしてみろよ。
君たちがさ、ほんとうに大丈夫だから。
ああ、神なんだよ。神。分かる?神。 
あの神様って言ってるだろ、色んな教会かなんかで、あそこに祭ってある全てであり、それを超えたものだよ。ひとりひとりが。
ほんとに勝手にやってくれよ、ほんとに開いてみろよ。自分を。
そしたら分かるさ。何をオドオドするんだ。勝手に自分で造り上げるな。
ほんとに開いてみたらばさ、そしたらわかるよ。
無理しないで、全然無理がなく、自分の好きな事を自然にできるよ。
まるで一番静かな流れのように、豊かな流れのように。

どんなに人間っていうのがね、鏡、鏡っていうことに騙されるか分からない。
つまり勝手になにか自分でさ、縛るものがあると思い込むんだ。

だけど、どっちにしてもさ、一番自分のすきなものを選べるって事さ。
そして好きなものを選ぶって事はね、あらゆるものを背負うことになるけど。
だけど、ほんとに好きなものを選んでいる時はさ、背負ってるって意識がね。
普通の背負ってるっていうかたちではない。
155神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:29:41 ID:WCk5WNAJ
ダイジ、いいね
なんかダイジの本読みたくなってきた
156神も仏も名無しさん:2009/06/30(火) 22:34:02 ID:oTy9x1Gi
ダイジの肉声テープって聞いたことある人いる?
ミクシイのコミュで手に入るらしいけど
どんなかんじだろ
157神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 11:01:14 ID:bY7Fj5fq
ダイジのテープ、いいですよ。
158神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 15:43:29 ID:bY7Fj5fq
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~scl/medi.htm

雨宮第慈講話録 書籍
159神も仏も名無しさん:2009/07/01(水) 18:08:10 ID:v/6iDLKQ
ダイジは釈迦の悪口言っているけど(半分本気で半分ジョークだと思う)、
釈迦もイエスもダイジもラジニーシもエドガーケーシーもシルバーバーチも
あっちでは同じ町のお隣さん、実はみんな最初から兄弟みたいなもの、のパターンだと思う。
時代ごとに「誰がどこの説教師になる?」と相談してぽちっと生まれる感じ。
その手のグループリーダーはイエスらしいけど、おそらくダイジもこのグループの人物なんじゃないかな。

地上の物事を改善する使命なのにこの世の儚さを説いてしまった釈迦は、少し失敗だったらしいけど。
160pass 160:2009/07/02(木) 11:32:33 ID:HlkLMNXL
Mg_5738.zip

tp://www.axfc.net/uploader/
1 〜 1.5 GB

daiji tape
161神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:08:43 ID:HlkLMNXL
悟りが夢であるように

迷いが一場の夢であるように
悟りもまた場を持たぬ一場の夢

悟りが夢であるように
迷いが夢であるように

7つのスペースから
熱と光は去り
私は未知以外の未知を知らぬ

かつての情熱は今や消え去り
私の夢は
私自身である「なにもかもなし」それ自身を夢見る。
162神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:11:01 ID:HlkLMNXL
一つの夢が終わり
新しい夢が始まっているはずだが
悟りが夢であるように
私には何一つ
つかまえるものが見えない

私の眼がくもってしまったのか
新鮮な何かを私は
なおかつ、待ち続ける

神よ、
「何もかもなし」それ自身よ、
悟りが夢であったように
私という夢をことごとく

あなたの中へ消し去りたまえ

神よ「なにもかもなし」それ自身よ、
私自身よ
163神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:21:16 ID:HlkLMNXL
I AM NOT POET

私は、詩人でもないのに詩人にされ
私は、著述家でもないのに著述家にされた

すべては詩でもあるかもしれない
ウグイスの鳴き声も、
海ヘビの泳ぎも、詩そのものかもしれない

すべては という一つのパラノイア

存在・神・全知全能への欲望
果てしなく続く欲念のリィンカネーション
そして
それとなった
時なき時

164神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 12:32:06 ID:HlkLMNXL
 現在のアトランティスは、トウラスの周期にあり、そして、あとすこしで崩壊しようとしている。
 次の人類の華は、アクェアリスの時代の終りに起こるであろう。
 それは、この地球精神の周期的な絶頂期の最大のものになろう。

 真の黄金文明とは、その外見的繁栄のことではない。
 すべてのものが、「愛」の流れの中で調和している世界をこそ黄金文明と呼ぶ。
 「愛」なくして万物万象は、一瞬も生きるあたわずである。
 このアトランティス文明末期のように、精神物理エネルギーの誤用による崩壊のにのまいを踏まぬことを祈るばかりだ。

 「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」は、新しい黄金文明の種まきであり、
 そして、何よりもあなたというかけがいのない一つの個性が、
 十全にこの世とかの世とをおおらかに戯れるために書いたものであり、
 そしてまた何よりも、私自身の果てしない遊びである。

 さあ、神を戯れよう。
165神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 13:17:56 ID:HlkLMNXL
ニルヴァーナを体験だなどと思わないでほしい。

「完全」は君以外のなにものにも代わってもらうことはできないのだから。



166神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 13:21:31 ID:HlkLMNXL

ダイジ 「基本推薦図書12冊」

「臨済録」
「イリュージョン」(リチャード・バック 集英社)
「維摩経」
「自己変革の方法」(クリシュナ・ムーティー)
「愛の叡智」(ヴィヴェーカーナンダ)
「イクストランへの旅」(カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズより)
「荘子・内篇」
「生と死の記録」(佐藤幸治 講談社)
「究極への旅」(ラジネーシ)
「生命の実相」シリーズより 観行篇 生活篇(谷口雅春 日本教文社)
「バガバット・ギーター」
167神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 13:24:35 ID:HlkLMNXL
黄色い冊子抜け分

その中から、 すべての力と
自分の個性にふさわしい生き方とが
ひとりでに流れ出す。
逆なんだ。
俺の友達が昔、言った事がある。
「本当に安心して、 そして何もない
そのものになりきったら、 あとは
どうなる?」

あとはどうなる?、 だって?
あとはどうなる、 なんて考える必要はない
そこから流れ出す。
その時、 初めて自然さ、 がわかる。
雨のように。

本当にあるんだ!

本当にあるんだよ!

もう、苦しもうったって苦しめない、

そういう生き方ってあるんだ。

それが、 本来の姿だ。

もう何一つ問題ないそれがある。

それは、今-------。
168神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 13:42:53 ID:HlkLMNXL
『そして、もう一度思い出そう。『救世主入門』の一番最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。「完全」は、君以外の誰に代わってもらうことができないのだから

「この本に書かれていることほど
 無責任なことはない
 この本に書かれていることを
 信じない方がいい
 書かれていることはすべて
 逆の意味かもしれないから」』
(ダンテス・ダイジ著『メディテーション・トラベル・ガイド』より)
169神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 13:52:31 ID:HlkLMNXL


ダン「完全はね、
   君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
   完全なんて言葉は言う必要がない。
   本当に納得した、
   本当にすてきな、
   本当におおらかな、
   本当に深いこまやかな人生。
   君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。

   『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。
   釈迦の教えが深遠なんじゃない。
   キリストの教えが深遠なんじゃない。
   ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
   そうじゃない。
   君たちが、深遠なんだ。
   君達の中が深遠そのものなんだ。
   それ以外に完全はない。  いい?」
170169:2009/07/02(木) 14:05:07 ID:HlkLMNXL
雨宮第慈講和録1 十三番目の瞑想 SCL刊より。
171神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 14:27:55 ID:HKP4IyUp
最後に自殺したんだしてにおはがおかしいところがあるし

俺の中ではダンテス大事はただの精白だなかわいそうな人にすぎない。
172神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 16:39:52 ID:N2Et7j3n
>>171
ダイジなら、「そう思いたいなら思ってくれて一向にかまわない」って言うかな・・・言うだろうな。
173神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 17:25:27 ID:HlkLMNXL
ダンテス・ダイジの初転法輪、救世主入門。

君の命が動く時新しい時代が動き始める。

君は救世主でいる あらゆるものと同じように

『世界の遊戯に寄与する
 君達の使命が 終了したかどうかを判断する簡単な基準がある。
 もし、君たちが生きていれば
 瀕死の重傷でかすかに息がある場合でも生きていれば、まだ使命は終わっていない。
 たとえ君が死んだとしても 君は終わることはないから
 結局、君は 世界という遊戯に 寄与し続けるしかない』

 もし君が救世主でないのなら 君は、パン屋にも自動車修理工にもなれはしない

 救世主はすべての場所と時間を通じて 只一人しかありえない
 それゆえ救世主は 一つの肉体や人格でないばかりか どのような決まった形態も持っていない

 この世界にもどのような世界にも 救世主しかありえないというのに救世主になろうとする君は
 どうしようもないもの好きと言える

 君の幸福と不幸は 君が死ぬことから来ている 君は間違いなく死ぬ
 君の人間としての生涯は 君がすでに死んでいることを 学ぶためにある

 君が愛を感じたり 君が何かを愛したりすることはない 君がすでに死んでいるのなら
 愛のみが感じている 愛のみが愛している

 何ものも救うことはできないし 救う必要もない このことを頭によらずに理解したら
 君は救世主であり すべてを救うように生きている

174神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 17:30:27 ID:HlkLMNXL
 常に三歩先を行く精神を心がけること 何歩先でも何歩後でもいいが 常に三歩先を行く精神を心がけること

 どのような君も どのような宇宙も 君自身の描いた夢であり 夢から目覚めるという夢を見ようと
 どのような夢を生きようと それは君の好き好きである

 君に現われるどのような出来事も 君自身の鏡であって 君の責任である

 いかなる夢にも君が惑わされなければ 君はいかなる夢をも 惑い楽しむことができる

 過ぎ去ってしまった 出来事や言葉を信じないこと たとえそれが 天使のものでも悪魔のものであっても 今以外に 君の居場所はない

 救世主は 救世主につめのあかほどの価値も置いていない

 三歩先を見る能力を常に活用せよ さもなくば 常に三歩後を歩むことになる

 そのことについて考えよ どこから来てどこへ行くのか
 最初の地で 君が自ら身を投じた混乱の渦がある その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない

 君達は恐ろしい死を遂げる それもまた忘れないように

 君にふりかかることは全て訓練である 訓練であることを自覚しておけば 君はそれをもっと楽しむことができる

 君はすべてと付き合わねばならない 君が常にすべてとつき合っていることを知れば 君はすべてである

 しかし死に際しては 厳粛に取り組まねばならない
 三歩先を歩くことのできない生物たちは ギロチンに首を突っ込んだまま笑う君のことを理解できないだろう 君は狂人と呼ばれる

 君は本当に好きなことをすればよい 本当に好きなこと以外 君にすることはない
 だがおうおうにして単に自分にとって好きだということと 本当に好きだということとは正反対に見えることがある

 君が天使のようだろうと 悪魔やそれ以外の何者のようだろうと
 君自身は 天国にも地獄にも 決して長くは住まない 場所も時間もなく 君は 今・ここに・いる
175神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 17:38:01 ID:HlkLMNXL
 人間というものはどこにもいない 人間というものが 君のイメージの一つにすぎないように
 時間の持続としての永遠もまた 永遠の夢にすぎない 永遠とは場所も時間もない 君自身のことである

 学習はすでに知り尽くしていることの発見 行為は学習の証明
 教育とは被教育者に 君らも教育者と同じ程度のことを 知っているのだと気付かせること

 君はもちろん 学習者であり実行者であり教育者であって
 いかなる種類の 生や死を選ぼうと自由だが 義務というものがあるとすれば
 自分に忠実でなければならないということ それ一つだけである

 他人や他の事情に忠実であることは 不可能なばかりでなく 偽物の救世主であることの証明となる

 最も単純な疑問が 最も深い意味を持っている なぜ君はいるのか? 君とは何なのか?
 君の頭は 決してこれらの単純な疑問に答えることはできないが 君自身はすでに答えている

 君はどこで生まれ どこで育ち どこで何をしようとしているのか?これらの答えは 君達自身と共に 常に変化しているはずである

 このことを憶えておく必要はない 君はいつも見知らぬ世界に いつも見知らぬ旅人としてある
 君達は常に今からまったく新しい旅へ出発する

 最も学ぶべきことは それを君は最もうまく 生きたり教えたりできる

 学習者として実行者として教育者として以外に救世主はあり得ない

 君の行為や表現が 世に公表されたとしても 決して恥じてはならない 例え公表されたものが真実でないとしても決して恥じてはならない

 世の人々が 君を自分勝手な奴だと非難したとしても 君が本当に好きなことをしたのであれば
 本物の救世主である 君は自分に忠実に生きること以外に生きることはできない

 束縛好きの生物たちは とかく本物の救世主を悪魔と思いたがる

 責任を回避する一番の方法を教える「私はすでに責任を果たした」そう大声でいいたまえ
176神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 17:39:44 ID:HlkLMNXL
 君の中は何種類もの生き物によって構成されている
 君がある方向への一歩を踏み出すのは その中の 学習意欲旺盛な一匹によるものである

 君が現実から顔をそむけなければ あらゆる現実が君の夢であることがわかる

 君達にはいつでも選択が任されている 別の未来 別の現在 そして別の過去も

 自分は救世主であると 信じていること それ以外に 救世主の あり方などというものはない

 行って愛したまえ 君が愛するのに 地上の何ものにも頼る必要はないし
 天国の何ものにも 頼る必要がないのは 言うまでもない

 理由のある安心を持ってはならない 絶対の安心には どのような根拠もない 君の素直さが君を安心させる

 救世主はいつも一番らくでいる ちょっとらくでいるのではなく 一番らくでいる
 一番らくでいることが どれほど恐ろしいものであっても 君は恐れてはならない

 君がこうだと断言すること それが 君という役者が演じているドラマであり
 君はどのようなドラマを演じることもできるが ドラマのテーマがあるとしたら
 それは愛というすべてしかない

 いかなる種類や程度のものであっても 困難は君達に何かを与える

 君達は言うなれば 困難さを捜しているのである
 困難さが与えてくれるものには 価値があることを知っているからである

 君が変化せずにあるのだと信じ込みたがること それが困難さの原因であり困難さから解放される原因でもある
177神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 17:42:32 ID:HlkLMNXL
 家族の絆は血ではない 一個の家族が一つ屋根の下で成長し合うことは ほとんどない

 君達は君達自身の家族と新しく出会う それは君達がたった一人で成長している時に

 限界 常にそれが問題である 君達自身の限界に直面せよ そうすれば君達は限界そのものを手に入れることができる

 それでも君が 死を恐れるなら 君は一度だけ死んでみたらいい
 死のない所には どのようなドラマもないから 君はきっと 新しいドラマを創るために甦る

 ありありと想像せよ 宇宙は美しく完璧であると 救世主は君達よりうまく それを想像するだけだ

 それが何であろうと 君が心の底から願っているものは すでに君が持っている 君の眺めている
 現実と言う催眠術にだまされる必要はない

 ある願望が君の中に生まれる その時 君はそれを実現されるパワーが同時に在ることに 気付かねばならない
 しかし そのパワーの芽は きっとまだ柔らかい

 君の見ている 時間というトリックにも だまされる必要はない

 いつも君は白い紙を持っている それはほとんどの場合 計算のための用紙として使用される
 しかし もし君が望むのなら そこに現実を書き込むことが可能だ
 意味のないこと 嘘 何でも書き込むことができる そしてもちろん 破り捨てるのも自由だ

 雲は知ってはいない なぜこの方向に このスピードで動いていくのかを 知らない
 しかし 空はすべての雲の秩序を把握している 君達にもそのことがわかるだろう
 地平線の向こう側が見える程の 高みに立った時には

 救世主は ただ一つの生き物しか救うことはできない その一つの生き物とは 君自身である
178神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 17:46:49 ID:HlkLMNXL
 君は自分の中に 救世主が住んでいるのを知っている
 救世主を閉じ込めてはいけない それは絶対に避けるべきである

 友人は君について君の知人が千年かかって知るよりはるかに多くのことを出会いの一刹那で知るだろう

 君が愛人と出会う時 そこにはどのような意味での必然も偶然もない
 時を忘れた時の中で君は思い出すだろう 愛人との いくたびもの戯れのすべてを

 物語の登場人物に なろうとしたことはなかっただろうか?
 もしそういう経験があるならば 君達にもわかるかも知れない
 時として 虚構の中の登場人物の方が 心臓の鼓動をもつ人間よりも 強く真実を語ることを

 エゴのない救世主は 空中に描く花よりも 不確かな存在である

 良心とは尺度である 君が自分のエゴに どれだけ忠実であるか それを決定する尺度に他ならない

 君達すべての者に告げる 君達が遭遇する事件はすべて 君達自らが招き寄せたものである
 その事件の発展の方向を決めるのは もちろん君たちであって 神ではない

 君が 生きたり死んだりするのは 君が選んだ 無数の見方のうちの一つにすぎない
 君がその見方を 気に入ってるのなら 生きたり死んだりすればいい 気に入らないのなら 捨てればいい

 愛は姿のない君自身 そして 君の姿がどのようなものであろうと自由は君の姿である
179神も仏も名無しさん:2009/07/02(木) 17:50:49 ID:HlkLMNXL
 君達が自己に忠実に話す時 そこに過去や未来に関わりなく 真実が永久に光り輝く
 自己に忠実に話す それのみが 真実の正当な在り様なのである

 自由に生きるためには退屈と戦う必要がある 
 退屈を殺して灰にしてしまうか 退屈に殺されて家具になるか
 激しく根気のいる戦いである

 君が消えてしまったとしても 君は永遠に生き続けている 人々が死体と呼んでいる生きものの上に
 太陽がある世界には太陽が輝き 海はいつまでも波打ち続ける

 この世界に生きている人間は 一人の例外もなく いかさま師である
 本当の自分ではないものになりすまして生きている もちろん 救世主も例外ではない

 二つは比例する 君達の知性と 君達が悲劇の存在を認める度合い
 毛虫が終末と思う その形態 救世主は蝶と名付けた

 おめでとう 君は救世主でいる どのような救いの叫びにも どのようにも答えることができる

 この本に書かれていることほど  無責任なことはない  この本に書かれていることを  信じない方がいい
 書かれていることはすべて  逆の意味かもしれないから
180神も仏も名無しさん:2009/07/03(金) 20:43:38 ID:uIxqoD8E
究極講座 ダンテス・ダイジ テープより。

なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。

「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ?」

もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。

みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。


『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
181神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:22:20 ID:TjIcn+FI
ダイジ・テープ抜粋

進化が神様といっていい。成長が。成熟が。

そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。

君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。


よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。

が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
182神も仏も名無しさん:2009/07/04(土) 13:23:05 ID:TjIcn+FI
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。

じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。

宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。

悟りとか、なんとかってすべてが、いいという事。勘違いしないでほしい。

君の中にすべてのうちゅうがある。

K_44287.zip 200 〜 300 MB daiji tape mini
tp://www.axfc.net/uploader/  検索 daiji
183神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 09:48:21 ID:eD7gyjda
184神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 09:49:50 ID:eD7gyjda
ダイジ  居酒屋

みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう 
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい   みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている

愛してるよ  君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ

いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる

なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
185神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 09:51:00 ID:eD7gyjda
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ

悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ 
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
186神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:24:28 ID:eD7gyjda
ダンテス・ダイジ 雨宮第慈 講和録4 素直になる SCL刊 抜粋

「ダイジ、最初の悟りを開いたのはいつ?」
『十七歳六月二十六日』
「最初の悟りを開いた後に、またどんどん広がってくるというか、深まってくるということがあるわけ?」
『うん、深まり方っていうのは全然別のところで起こるんだ』
「基本的にはそれで一応究極に行って・・・」
『うん。それは究極自体が俺を占領したんだ。それ以外の人生っていうのは全てさ、俺という一個の肉体を持った人間が味わう深さなんだ。その楽しみ方なんだ』
「例えば、釈迦の場合なんかね、最初悟りを開いて、それでもすぐ菩提樹の下から去らずにずっと瞑想してたというのは、あれはどういうこと?」
『そりゃあ味合ってたのさ。一つ一つを噛みしめてたのさ』
「ダイジの場合も?」
『うん。もちろん噛みしめてた。本当にその噛みしめ方っていうのが続いたのはね、やっぱりニ、三ヶ月続いた』
「はぁー」
『うん』
「何でももう、結局そのものになっちゃうとさ、後は一切の緊張とかさ、自制とか、そういうもの、全然必要なくてそれが逃げるということもないわけ?」
『うん。逃げるっていうことがないっていうよりも、逃げるっていう概念とか、緊張っていう概念とか、リラックスするっていう概念とか、
そういうもの自体っていうのが全然、もう意味をなさなくなる。 で、そこでものすごく難しいんだけど、人が何の基準もなしに、
突然何かの影響でもって悟りっていうものに近い、まぁ疑似悟りなんだけど、経験しちまうと、全く廃人同様になっちまう場合がある。
それはもう、完璧でもう何の問題もないからさ、何にもならないんだ。うん。それで飢えても何しても平気なんだ。そんなふうになっちまう。
ところが、そりゃあ本当の究極の悟りではない。何故なら、人間はこの世に生きてる限り、必ず実現したいと思う楽しみがあるんだ。
それが、よくほらヒマラヤなんかで、バグワンなんかがうんと否定してるとこだけど、
要するに悟りだけっていうふうにかぶれちゃうと・・・』
187神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:26:01 ID:eD7gyjda
「あ、(笑)」
『うん。ところが奴さん、本当は内面は実現しなくちゃあなんないもの、一杯抱えてるんだけど、まだ気付いちゃあいない。
じゃあなきゃあ生まれてくる必要ねえじゃないか。最初から。最初から悟りなんだろ。
なんで、何のためにこの世に出て来る』
「何のために出て来るんですか?」
『もちろん!楽しむためだ。心の底から苦しむためだ』
「心の底から苦しむことと、心の底から楽しむってことっていうのは?」
『うん。全く同じことだね。それが同じだって分かったら、もう少なくとも人生の側の悟りっていうのは完全に体得してると言える』
「人生の側の悟りって?」
『うん。つまり人生の中の様々な出来事を生きて、それを乗り越えて行くっていう人間の生きざまの。人間に属する悟りっていうのはそれでもうOK』
「それは死って呼ばれるもの?」
『うん?』
「死ぬっていうこと。やっぱり」
『うん、それは死に近いけど死んではいない』
188神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:35:34 ID:eD7gyjda
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
189神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:36:15 ID:eD7gyjda
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
190神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:38:02 ID:eD7gyjda
「まあ、暇な時やるって感じだね。隙間を縫うって感じだよな。そう」
『うん、でもそれは、逆転を知ってるっていうことなのさ。
つまり瞑想が展開しているってことを知ってるっていうことなのさ。
そして瞑想が全てに展開しているっていうことを知ってる時、出来ることなのさ。
ただね、ひとつだけ言えることは、人は瞑想っていうのを人間である限りやめてはならない。
どんなに自分がハッピーだと感じていても。それは人間ていうのはそういう性質を持ってるからなんだ。
瞑想をやめるといつしか必ず何かが出て来る。とても忘れやすいし、とても頑固なんだ。
自分との闘い、自分との甘えとの闘い。
カスタネダが言う。カスタネダが言うようにね『ああー、どうやってさ、克服できるのよ』って。
『とてもそんなすぐには僕にはできそうにないよ』ってたら、
ドンファンが『馬鹿者。精神があるための道は一生の道なんだ』って。
一生かけてその内うまく行くかも知れん。行かないかも知れん。
でも、俺達はそれに向かって行くしかないんだ。もちろんいいよ。忘れてしまうのもまたいい。
そう、忘れてしまったんなら忘れてしまったんだ』
「やっぱり知的に考えるとさ、えらいきつそうに見えるんだよね。実際はきつくないんだけどさ。瞬間も逃さないっていうあれなのかなぁ」
『でも、瞬間を逃さないっていう形で追い詰めても意味はないよ。それよりは自分の死ぬことを考えた方がずっといいよ』
「自分の死ぬこと?」
『うん、結局は死ぬんだっていうこと。年老いて、あるいはいつ死ぬか分からないっていう』
「うん」
『そりゃあ、自分が本当に気に入ったっていう方向にどんどん進んで行けばさ、同じように瞑想に出会う。うん。必ず」
「それは形とか瞑想っていう言葉を超えた、いわゆる瞑想でしょ?」
『ううん。と、言うより瞑想っていうもの自体が本当は形を持ってない。だから座禅瞑想ってわざわざ、座禅瞑想ってつけたりさ』
「座禅瞑想って組んでる時以外の日常生活も、瞑想的な生活ってのはある?」
『て、言うよりも瞑想の生活になるっていう形以外にさ、人間の生活はあり得ない。いわゆる瞑想的生活って、
いろんな規律立てていろんなことをやるっていう意味ではないよ(笑)』
191神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:41:40 ID:eD7gyjda
『一番楽な方法とったらいい』
「楽な方法より楽しい方がいい」
『うん』
「バグワンじゃあないけど降参が楽だっていうかね、降参が素晴らしいっていうのが分かるね」
『ああ、ただし、降参するんだったら本当にどうにもならないものに降参して欲しいよ。
どうにかなるものに降参しても、意味ないからね。
あるって!必ずあるって。どんな問題が、ものすごい問題が起こったって、
必ずそれを超える道があるって。生きてる限り』

『絶体絶命の時はすぐに入れ替わってくれるから大丈夫だよ』
「何が入れ替わる?」
『うーん、超えた世界っていうものに入っていくんだ。そんなことは考える必要ない』

『瞑想って、そんなに自分をさ、狭めないでほしい。いい。本当に素直になった時、その人間とって浮かぶ想いでさ実現しないものは何一つない。
そういうふうに出来てるんだ。どうしてか説明出来ないけどね』
192神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:47:44 ID:eD7gyjda
「個性は変わらないもの?」
『もっとも深い個性は、変わらない。それはこの世を戯れるためのもの。
もし、本質的個性がなければ、この世はあり得ない』
「それは個人個人の中でそれぞれに一番深い個性があるっていう?」
『うん、みんな人それぞれかけがえのない個性を持ってる。セルフイデアだ』
「そこにはきつさっていうのは全然ない?」
『きつさがあろうとなかろうと、そんなことは知ったことではない。自分自身の道を歩くんだ』
「そのときのノリで、選び取ったものっていうのが個性でしょ?」
『ううん、選び取り、選び取り、それを繰り返していくうちに本当の個性に』
「出会って。うん」
『うん』
「常にチェック?」
『うん。ただし、やらなければ絶対に出会わない。その時、良しと思うものをやるんだ。それを繰り返していく内にわかってくる。
いいか!またとないんだよ。今ここに会ってることが。そう、たった一、二、三、四人だけだ。だけどこれが全てなんだよ。
これが!またとない。またとない。愛』
193神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 17:49:57 ID:eD7gyjda
『俺がいない時は何?』
「うん」
『Sがいない時はないよ』
「うん、そうなんだ。それに気付いた」
『いい?ここに集まってるだろ。これだけのために宇宙はあるんだ。
うん。全く常識的には馬鹿げたことかも知れない。でもたったここに四人いる。
ここに集まって、そしてここに座っている。それだけのために宇宙は出来た』
「宇宙にいるのはただ一人っていうこと?」
『うん』
「それをやっぱり自覚しなければいけない?」
『うん。そして、それは幾たびもなく幾たびもなく自覚するんだ。それにはきりがない』
「終りはないんだ」
『うん。終りはない』
「悟りに終りはない」
『うん、終りは』
「究極に終りはない」
『うん。だから究極。究極って(笑)』
「うん。やっぱりイメージがあるんだよね。一番最後にさ、死に出合ってさ、ぶち抜けたらさ、うん。それからもう」
『うん、確かにぶち抜けるっていうつまり、大悟っていうかな。大いなる悟り。
あるいは無想三昧の境地っていうものを完全に体得するっていうことは確かにある。
だけど、それはほんの始まりに過ぎない』
「また次に」
『それはこの世が生まれてきた理由だ。俺は君達がグル、いや神であることを知っている。
君達は神なんだよ。いつも何かに追われている君達っていうのは、本当にはありやしない。
君達は神なんだよ。一つ一つ神なんだ。一人一人神なんだ。そこにはどんな比較もない。
聖者が神である、神だっていうんじゃあないんだ。どんな人達も、どんなものも全く同じだけ神だ』
「どんな人達も何?」
『どんな人達も、全く同じだけ神なんだ。それは理屈ではない。そこにはどんな優劣もない。どんな比較もなく、競争はない』
194神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:16:01 ID:eD7gyjda
「でも、好き嫌いっていうのはある?」
『もちろん』
「憎悪は好悪は?」
『好き嫌いはあっても、憎悪はない』
「やっぱり自分の中にある高慢さを殺したいんだ」
『うん。それも一つの観念に過ぎない。いい?今君達はここにいる。
君達が果たすべき唯一絶対の事柄っていうのはね、もう、今果たしてるんだ!
ただ、観念(頭)だけが『そうじゃあない、そうじゃあない』って言ってる。
どうだい、見てみろ、ほら。風が入ってくる。電気がついてる。
そこに何が、どんな足りないものがあるっていうんだ?』
「居心地がいいか悪いかも関係ない?」
『それは(笑)、居心地がいい方がいいだろう(笑)さぁ、坐ろう』

『力むな』

『素直であれ』

『みな何かを分かったためしはない(笑)』
「わかろうとすることは?」
『わかろうとして生きるんだ』
「わかろうとして生きる?」
『うん。そして『分かったかなぁ』っていう感じのところへ、そのすぐ側に行き着くときがあるかも知れない。
でも、本当に分かるっていうことは、人間にとって絶対にあり得ない』
「結局反対の意味かも知れないっていうこと?」
『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』

『どんな能力をつけてね、人を思い通りに操ろうと何しようとね、絶対本当の安らぎは来ないからだよ。
本当の安らぎっていうのはね、自分を超えた自分が、自分より遥かに超えた無限に向かって奉仕した時、
献身した時初めて来るんだ』
195神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:21:22 ID:eD7gyjda
『大切なことはね、君が人からどう見られるかじゃなくてね、君が人にどう対するかだ』
「まだまだ、人付き合いの部分が変わっていくはずですか?」
『うん。もちろん変わっていくよ』
「まだ迷いが、非常にありますか?」
『だって人間から迷いを取ったら何やるんだい。『やー、やれ惚れた』『やれ失恋した』とか『やれうまく行った』『やれ失敗した』
それは人間が生きてる限り、つまり君の肉体、その肉体がある限り続くことだ。
ただ、どこが違うかって言ったらね、それが物語として味合えるか、
それからそれしかないとして、ものすごくしんどい目に合うか、ただそれだけの違いだ』
「やや、味合える段階に入ったていう感じがする」
『うん、うん。だけど自分の心境とかね、自分の高まりとかをそんなに気にする必要はない。
うん。いつでも初めての日のようにね、自分らしく生きればいい』

『それからこれだけは忘れないで欲しい。どんなに不思議な経験をしようとね、
どんな意識のレベルに合おうと、どんな感情的な体験、あるいは感覚的な体験をしようとね、
もし、そこに爽やかさ、あるいは優しさ、本当に自分の心が晴れたものがなければ、
それは意味がないものだってことだ。
いい? どんな形からだって人は不思議な経験をすることがある。
でも一番大切なことは自分以上のものに自分を捧げること。それに溶け込むこと。
そして、忘れないで欲しい。常に、常に瞑想っていうのはね、とても大らかなものだ。
とても優しいもんだ。とても愛深きものだ。
 
どうするんだよ。『俺はスーパーマンだ』ってこんなして頑張ったって(笑)』
196神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:23:10 ID:eD7gyjda

『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』

『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』

『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
197神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:26:35 ID:eD7gyjda
一九七八年十月十七日  第慈宅

「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
198神も仏も名無しさん:2009/07/06(月) 19:28:08 ID:eD7gyjda
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・

ダンテス・ダイジ 雨宮第慈 講和録4 素直になる SCL刊 抜粋

>>160 he
199神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 00:24:21 ID:7JnwJbKb
>>198
zip期限切れてるよ
200神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 06:21:26 ID:9IM3fqPu
>>184
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネ

この「メガネ」って云う男知ってるよ、懐かしい名を聞きました。

井の頭にあったダンテスダイジの実家も懐かしい。
201神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 13:02:36 ID:uSjvJAXk
>>199
切れてないよ
http://www1.axfc.net/uploader/Mg/so/5738

>>200
どうもはじめまして。
ダイジさんはどんな瞑想を指導してたんですか?

202神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 13:07:21 ID:Py7Xd17h
スレタイってどういう意味?
ダンテズ・ピークならわかるんだが。(注:映画のタイトルです)
203神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 14:02:56 ID:9IM3fqPu
>>201

只管打坐
204神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 14:03:33 ID:nmY9GG+x
今未来への不安と現在の苦痛と過去の記憶からの苦しさで死んでしまいそうだ
助けてくれ
205神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 14:07:09 ID:nmY9GG+x
>>203
ダイジに指導を受けた方でしょうか?
すごいなあ。
ニルヴァーナのプロセスと〜読むと、只管打坐は、なんの期待も持たずに、ひたすら背筋を伸ばして、全身全霊で坐るって書いてありますよね?
その時は、クンダリニでやるような「聞き守る」というか、「気づき」みたいな行為は行わないんでしょうか?
206神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 16:36:54 ID:9IM3fqPu
初期は只管打坐,ただひたすら只管打坐でした。

ところが世の中ではクンダリーニの目覚めた人が多くなり、
指導ををクンダリーニに変更したようです。

そういう時代背景になったとか聞いてます。
207神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 16:43:05 ID:9IM3fqPu
>>204
あと2年辛抱出来ない?
208神も仏も名無しさん:2009/07/07(火) 20:33:06 ID:4PS7qY2S
>>206
ありがとうございます。
ダイジは何度も何度も繰り返し座り続けろって書いてましたね。
ぜひダイジの話聞かせてください

>>207
うん辛抱してみるよ。ありがとう
209神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 07:46:47 ID:QLFB3Day
>>198さん
ポイントのついた数ある文章からの抜粋、大変ご苦労様です。

ダシジの印象に残る言葉

「偽物ほど心の表面で大きく、艶やかな声で誘いかける、
 本物は心の奥で、しかも小さな声で囁いている」
210神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 13:20:36 ID://pBId9j
ダン『いや、恐怖っていうのは、完全に恐怖自体があるだけだ。
恐怖っていうのはね、自己があって恐怖がある時に恐怖であるに過ぎないんだよ。
いい?俺という自我が見るから恐怖なんだよ。うん。俺という自我がなくなっちまえば、もう恐怖でも何でもないんだよ。
不安もそう。虚無もそう。対立があるからそうなんだ。
だから二元性っていうの、ああ、こんなんだったら禅門で悟り開いたなんて、足が痛くて悟ったなんているじゃあない。
こう、座ってて座り慣れてないんだよ。その内、足がもう痛くて痺れてどうしようもないんだ。
で、無理して座るし、大体禅宗の座り方っていうのは非常に肉体的に負担が大きいから。
それをもう頑張ってやってると、もう痛さがもうどうしようもなくなってくるんだよな。
そう、それがもう、それを気にすまいすまいと思っても絶対的にその痛さがさ、自分に取り巻いてくるんだ。
そいでその内もう、ずーとそれを我慢して座り続けてたら、痛さそのものになっちまったんだ。
それで痛さそのものになっちまったらもう、痛さとかへったくれもないんだ。
その瞬間遠くかなんかでさ、何か知らんけど、小鳥か何か知らんけど、小鳥か何かの鳴き声聞いた瞬間、一気に悟った』
「ふーん。小鳥の鳴き声って、なんて言うのかな、きっかけになるのかな」
『どんなもんだってきっかけになるよ。うん。おならの音だって。なんていう老子だったかなぁ。
お婆さんがおしっこしてる姿を見て悟った人がいる。おしっこ』
211神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 13:22:45 ID://pBId9j
「へぇー」
「そうすると、どんな人でも死ぬとそれは確実に入れ替わる?」
『死ぬってどういうふうに?』
「死ぬ。肉体が滅びると必ず悟るんだ?」
『うん、じゃあなくて、肉体が滅びるっていうことではなくて、精神と肉体と宇宙との全てが死んだ時、入れ替わる。
つまり君が考えてる宇宙っていうのはね、君の観念の中にしかないんだ。だから君が死ぬってことはさ、宇宙が死ぬってことだ。
入れ替わるっていうより、だって元々それしかないんだ。これしかないんだ。
これしかないのに、これしかないっていうことがわからない。一生懸命自分勝手に頑張ってるんだ。
うん、それで瞑想やってて、自分の道見つけて瞑想なんか全然気にしなくなるなんていう人だっているし、それもまた結構なことだ。
ただ俺はどっちかっていうと、瞑想好きというか、悟り好きという厄介なさ、厄介な好みという趣味を持ってるからさ、ちょっとは悲しんでる。
やっぱり、心がいつでも開かれていてさ、流れるように生きてる人見るのが、俺は好きだ』

君達が死ぬって言うことはね。君たちの完璧さから来ているんだ。君達が勝手な想いで出てきたんじゃないってこと。

212神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 13:24:41 ID://pBId9j
『そのことについて考えよ、どこから来てどこへ行くのか、
最初の地で、君が自ら投じた混乱の渦がある。
その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない』

ダン『そこで、一節切れるんだ。そのことについて考えよ。どこから来てどこへ行くのか。
このことがわかれば人間がどこへ行こうと決して離れないことがわかる。いつでも自由で。
そうすると、例えば心霊科学者等は言うわけよ。
そもそも何とか霊界から出て来てね、そして死んだ後には、またそこに戻るというようなことをね。
でも、それはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っているある部分が、
霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。
いい?本当の俺達、ここにいる俺達っていうのは光なんだ。
だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。
それは、来もしなければ、行くこともないんだ。いつでもいっぱなしなんだ。
いい?そしてそれはさ、光という言葉より、もっと明確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね、
それは、そのものずばりで言えば 愛 なんだ。
人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。
しかも、愛の中から出て来ながら、その、一緒に、愛といるんだ。愛が合いの中から出て来る。
いい?君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。その次』
213神も仏も名無しさん:2009/07/08(水) 13:35:01 ID://pBId9j
「この地に出て来たというのは、愛の中にいるのに退屈したからなのかな」
『うん、そうじゃなくて、愛というものを表現したかったの』
「そういう意志があったわけ」
『うん、意志があるよ。愛には、はっきりした意志が。
例えば一人の人が、どんなことをやったって自由だという悟りを得たとしたらさ、
本当にその悟りが真実のものだったらさ、きっとその人は自分にふさわしいことしかしないよ。
なぜならさ、人間はそんなふうにいろんなことができるようにはできてないからさ。
例えばさ、高い所に何かあったら、きっと一番身長の高い人に頼むでしょ。
この中で一番高いのはたぶん俺だからさ、俺が頼まれ役できっと取るよ。違う?
それで物語じゃない?背の低い人がいちいち取るとどうなの?人にはそれぞれ与えられた役割があるんだ。
その役割というのがさ、完全にぴったり一つになるわけ、愛の流れと。その時に人間は完璧に自由なんだ。
何やってもいいというのはそういうことなんだ。
だから何やってもいいというのは、ものすごく誤解されやすい言葉であってね。
何やってもいいというのは、自分にふさわしいことをおのずから、ひとりでにやってる状態のことを言うんだ。じゃあ次』

素直になる 十三番目の瞑想 より

絶対無なる愛の化身 クリシュナ・マイク・ダイジ・ダンは囁く
『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』

 いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
 だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
 それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
 おかしな言い方かもしれない。
 それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
 既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。

 
214神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 12:13:05 ID:hu/DP7Gh
ダンテス・ダイジ 推薦図書 追記

金剛般若経
215神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 17:54:45 ID:MdWmw5qp
リチャードバック「イリュージョン(村上龍訳)」読んだ?

ダイジと関係してるよ。

アトランテスの末期にダイジが出版した本と類似しているらしいよ。

好い本だよ。  お薦めです。
216神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 18:44:17 ID:hu/DP7Gh
イリュージョン新訳(佐宗 鈴夫)の方を読みました。

ダイジが十三番目の瞑想で村上龍訳のイリュージョンの原典救世主入門と違うと
指摘している文章が新訳はダイジが言ったとおりそのまま直されてました。

多分、村上龍が変えて訳したんだと思います。
217神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 19:24:57 ID:GMZ4NQEX
イリュージョン読んだよ。普通に面白い小説だった。なんかいいよね。
218神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 23:37:06 ID:9qaAm2vQ
俺も読んだ。面白かったなあ。例のパンてこの本だっけ
219160 同:2009/07/10(金) 08:33:13 ID:2PxBZDtx
http://www.axfc.net/uploader/
1 〜 1.5 GB
dantes Mg_5850.zip
220神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 21:07:59 ID:ypEZncQ5
>>167
これは黄色い冊子の何処に入るんでしょう?
221神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 21:10:05 ID:irtatX1n
>>219
重すぎてダメだった
222神も仏も名無しさん:2009/07/11(土) 09:43:36 ID:JR56RB+1
>>220
そのままでいい。
いいんだ!
そのままで。
今、満足すればいいんだ。
単純な事さ。
満足したら阿片だっていうのか?
そうじゃないさ。
阿片なんて感覚だろ。
宗教は阿片だ。

今、 満足する事。
本当に満足したら、 すべてが整う。
本当に
此の中に安らいでみたらいい。

の後です。
223神も仏も名無しさん:2009/07/11(土) 15:54:44 ID:JR56RB+1
>>221
三分割 ttp://www.axfc.net/uploader/
Be_27859.zip dan1 400 〜 600 MB

F_25482.zip dan2 300 〜 400 MB

K_44769.zip dan3 200 〜 300 MB
224神も仏も名無しさん:2009/07/11(土) 16:17:05 ID:Q5sxI9t/
ニコニコやyoutube辺りにうpろうかな
225神も仏も名無しさん:2009/07/11(土) 16:47:30 ID:cIi+0k5g
>>223
(`・ω・´) b
226220:2009/07/11(土) 21:05:14 ID:AIaiS3er
>>222
ありがとうございました。合掌。
ファイルも2つとも落とせました。
これでダイジの写真と(ハンサムすぎたので自殺未遂でちょっと不細工にしたというお顔を見てみたい)
どんな亡くなり方をしたのか聞けたらうれしいです。
勝手に結跏趺坐して逝ったと思い込んでいますが…
227神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 11:49:05 ID:MDk1JR1R
>>224
あのファイルは、弟子の方の御好意で貸していただいたものだ。
だからこそmixiなどで、大事にみんなで共有してきた。
それを不特定多数の人にバラまくってのはどうなんだ?弟子の方に失礼にあたらないかな?
本当ならmixiのコミュに入って、だ。ここでひっそりとうpっていうくらいならいいかもしれないけどYOUTUBEとかニコニコとかは、提供してくれた弟子の方に本当に失礼にあたるんじゃないか?
そんな軽いもんじゃないだろ?
228神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 11:54:30 ID:MDk1JR1R
あれは個人名も出るし、プライバシーの問題もある
それをばらまくなんてありえない行為だってのがなぜわからないのか。
弟子の方の本当の御好意を踏みにじる行為だ。
こんな人たちにバトンが渡ったのかと思うと悲しい。

以後、ダイジの肉声が聞きたい方はmixiのコミュに入ってそこからバトンを受け取ってください。
それが、提供してくれた弟子の方への礼儀だと思います。
ここでUPするのもよくないと思いますが、YOUTUBEにUPとか言語道断です。とんでもない話です。
229神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 16:38:46 ID:TB+Aq4p5
ファイルをあげた者ですが、ニコニコ、you tubeなどへのUPはおやめ下さいお願いします。
ファイルの方も削除しました。
お騒わせしました。すいません。
230神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 17:19:52 ID:Rq/caoGq
ダイジならなんと言うだろう
重いとか軽いとか、大事に共有とかプライバシーとか、そんなことまだ言ってるのかと言い
そうな気もするが
ばらまくのがいけない理由がわからない
釈迦の頃の仏教もプライバシーなどといってお経を伝えるのを制限したのだろうか
一体何を守ろうというのか、守らないといけない何かなんてあるのだろうか
どっちみちミクシイでバトンもらえば誰でも手に入れられるんだし
知らない人が手に取れる機会があるのはそれはそれでいい部分でもあるのではないか
自分はそう思うけど、でもまあばらまくのがいけないと思う人はそうするのがいいでしょう
人はみな自分で考えて好きにするのでしょう
それでいいでしょう
231神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 17:36:53 ID:9kEEzWZf
>>229
ありがとう。おつかれ。
ダイジは、みんなの話を、うん、うんと言いながら聞いてくれて、答えてるよね。
なんかとってもいいなあと思った。
232神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 18:21:14 ID:ULzeGl6u
>>230
なんでも宗教にしちゃうからね。
233神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 18:49:46 ID:KJZM19K9
ダイジならなんていうか、俺も考えた。
ダイジなら、「不特定多数にばらまいちゃいかんよ。ここには名前も出てるし、そいつらには生活もある。本当に縁があればどんなことがあったって俺にたどりつくさ」
とか言うんじゃないかな?
ダイジへの気持ちもそうだけど、あれを提供してくれた弟子の方への気持ちを考えるとどうしても疑問がわく。
弟子の方が「どんどんあちこちにばら撒いてくれ」っておっしゃるならいいかもしれないけど、そういうことが嫌だから最低限身元のわかる形で配布したんでしょう?
あれをたどれば本名も住所もわかるから。

プライバシーなんてないとか、ばらまいてもいいという人は、自分が本心から泣いて、苦しんで、全てをさらけ出してる動画を本名つきでYOUTUBEにUPするといい。
それをしてから、「守らないといけない何かなんてない」と書いてほしい。
234神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 18:59:20 ID:Rq/caoGq
でもあのテープに入ってるのなんてずっと昔のことじゃない?
今のプライバシーならまだわかるけど
むしろ過去の執着から脱するいいチャンスにすらなると思うけど
まあでも人それぞれだよね
235神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:06:33 ID:KJZM19K9
普通は、どんな形でも見知らぬ人が聴くことができるモノじゃない
自分の心からの悩みを、恥ずかしいとか、みっともないとか、そういうものもきっとあるであろうものを公開してくれた人の好意を本当に感じる
あれは、提供してくれた方の、自分が犠牲になっても人のために、っていう行為でしょ?
それを「好きにするのでしょう」とかよく言えると思うよ。売りモノなんかじゃない。あの提供は本当の好意じゃないか。なぜmixiに加入するって言う手間すら惜しむ人間に聞いてもらいたいとおもってあれを提供してくれたんだろうか。
弟子の方のしてくれたことは、そんなに軽いものなのか。弟子の方は聖人君子でも死んだ人でもない。今現在普通に生きておられる方だ。
自分の本当の内面が世間の不特定多数に見られることが快い人なんているのか?そうだという人はここに本名と住所を書いてからにしてほしい。
嫌だろ?そんなの。
提供してくれた方、今までバトンをつないでくれた方の気持ちを踏みにじる行為だ
236神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:08:07 ID:KJZM19K9
>>234
じゃあ20年前のあなたの写真、住所、年齢、本名、すべて何から何まで公開して。
それから話しよう。
237神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:11:08 ID:KJZM19K9
>>234
もちろん、あなたが公開したものはニコニコやらYOUTUBEに公開してください。
過去の執着から脱するいいチャンスなんでしょ?
住所氏名、年齢、写真、音声、全部公開してみてよ。そして自分の手でニコニコやら2chやらYOUTUBEに公開してみてよ。

本当にあなたがそれをしてからそういうセリフはいた方がいいよ
238神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:15:36 ID:TB+Aq4p5
私の考え足らずでした。すいません。
テープを持ったかたもyou tube などでのUPは遠慮下さい。
お願いします。
239神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:17:49 ID:ULzeGl6u
ミク氏の公開もやめてしまえばいいのにね。
240神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:19:49 ID:ULzeGl6u
死んだ人間を勝手に生き返らせて、説教するんだね。
241神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:22:16 ID:KJZM19K9
ミクシも弟子の一部の方、フィイルに登場されておられる方は今でも反対らしいです。
それでも、「まあまあ、あそこにも本当に真摯にダイジのメッセージを聞きたいっていう人もいるよ」、って言って続けておられるそうです。
242神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:22:53 ID:ULzeGl6u
>>235
同じことはこれからも起こるから、ミク氏の公開をやめるように
ミク氏で訴えたらいいと、思うよ。
243神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:24:24 ID:KJZM19K9
>>242
今まで一度もそんなことはなかった。今回が初めて。
244神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:30:40 ID:ULzeGl6u
一部だけで公開しますなんて、出来ないのが常識だし、
ミク氏だけなら大丈夫というのは、あり得ない。

そんなに危険なものなら、やはり公開をやめるなりしないと
いけないと思うが?
245神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:31:55 ID:TB+Aq4p5
お弟子の方の事も考えず浅はかに配布した張本人の私ですが、
ダイジ氏のテープが完全にシャットアウトされるような事はどうにか避けるようにお願いしたいしだいです。
本当にすいませんでした。
246神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:38:35 ID:KJZM19K9
>>244
不特定多数にばら撒く人がいたら
「やめなよ。」
っていう。それでいいんじゃない?
今回のように。
そうしようとした人も悪気があってやるわけじゃないんだし
247神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:43:23 ID:ULzeGl6u
>>246
そこまでお弟子さんのことを思っているなら、
危険なものを公開しているのを放置しているのは、
マズイでしょう?

ミク氏だけなら、大丈夫とか、もうありえない時代だから。
公開が不味いなら、手を打つべきでしょう。
248神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 19:56:25 ID:KJZM19K9
>>247
ミクシで公開してるんだからミクシで聞きなさいって言ってるだけ。
YOUTUBEにUPしようとしてる人がいたからやめた方がいいよ、と言ってるだけ。
それでもYOUTUBEなりニコニコなりでUPするようになれば、もちろん今後ミクシでも公開しなくなるでしょう。
もちろん、今後弟子の方から新たなダイジの肉声テープを聞かせて頂けるような事も永遠になくなると思います。
249神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 20:08:02 ID:ULzeGl6u
なんか話を聞いていると、
そうとう危険なものを公開しているから、やめなさいということ
で、怒っているのに

ミク氏だけなら大丈夫ってあり得ないでしょ。

あと、もう宗教グループになってしまったみたいだから、
そんなリスクがあるものは、公開しなくていいじゃない。
250神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 20:18:32 ID:TB+Aq4p5
本当にすいませんでした。
勝手な事をして沢山の方を不愉快な気持ちにさせてしまいました。
テープが完全に消えてしまうのは本当に心苦しいので、
どうか、テープの方はミクシィの存続でお願いします。
謝りようもないですがお願いします。
テープの内容は決して危険なものじゃないのですが
お弟子さんや当時関係していた方達に迷惑をかける行為で、浅はかでした。
本当にすいませんでした。
251神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 20:22:28 ID:ULzeGl6u
お弟子さんたち
聞かれては不味いものを、ネットにあげて共有した挙句に
説教しているのって、おかしいと思うんだよね。

最初から公開しなければいい話でしょ?



252神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 20:27:17 ID:Rq/caoGq
>>250
ダイジなら、気にすんな、それが自分ならいいじゃないか!迷惑なんて誰でもかかってる
お互いさまだ!、って言うと思うよ
僕はダイジじゃないからわかんないけどね
253神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 20:39:15 ID:KJZM19K9
まあとりあえず、YOUTUBEとかはやめたほうがいいよ
それを望まないからミクシで公開したんだから
そう気持ちわかるでしょ?
254神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 20:44:30 ID:KJZM19K9
本名も出てる、学校名も出てる、そこで泣く人もいる、性について語る人もいる、聞かれたくないだろ
それでもダイジについて学びたいっていう人のために、公開してくれたんだがら、最低限礼はつくそうよ
255神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 21:39:03 ID:TB+Aq4p5
どうもすいませんでした。
256神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 21:43:47 ID:ULzeGl6u
投稿した本人たち以外って、権利を主張するよなw

いつかダイジの大仏でも建てるのかな。
257神も仏も名無しさん:2009/07/13(月) 21:48:39 ID:9kEEzWZf
俺はミクシは嫌いなんだ。閉鎖的で、一人でいることもできないし。
だから、ダイジの声は聞いてみたかったけど、戻るのいやだから、あきらめてた。
だから、とても嬉しかったよ。ここで手に入れられて。
本当にありがとう。感謝している。それじゃ。
258神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 02:19:46 ID:Ia7taaP1
なんだか知らないけど、
テープの弟子と自己同一化してみたり、ダイジに自己同一化してみたりして、
ひたすら怒っている人がいるが、エゴの押し付けにしか見えない。


259神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 09:38:32 ID:GN1+iXr4
言える立場じゃないのですが私が原因なので皆さんもう争わないで下さい。
本当にすいませんでした。
テープをもたれた方は大事に聞いて頂ければ幸いです。
どうか、YOU TUBEなどへのUPだけはおやめ下さい。
私の考えたらずでした、どうかお願いします。
今回は本当にすいませんでした。
260神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 09:51:58 ID:FCrX48cd
それも含めてみんな学んでるからいいじゃん
ここで意見言うのもそれで考えるのも自己の気付きのきっかけだよ
261神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 15:39:08 ID:Rffmf60o
不特定多数に聞かれるのがいやだからある程度クローズドな環境にしたんだろうに
そんなことも理解できんやつってなんなんだろ
他人への共感ができないのかな
262神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 15:51:15 ID:Ia7taaP1
そんなに卑猥なものなら、ネットにさらしとくなよ。

公開した人は捨てきっているのに、
おたくが、テープの主であるように、思い込んでいるんじゃないの?


263神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 15:58:47 ID:Rffmf60o
なんでお前が勝手に捨てきってるとか決めつけてんだ。
捨てきってないからクローズドなとこでやってんだろうが
仮に捨てきってたとしてもお前が決めつけて言うことじゃない
そんなにそう思うならお前がミクシ行って自分の本名住所電話番号晒して上でそう書いて来いよ
ほんと、最低限のルールも守れない人っているんだな。こういう人に聞いてもらいたくないからミクシで公開したんだろう
264神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:02:13 ID:Rffmf60o
>>262
はやくミクシでそう書いて来いよ。
卑猥なものならネットにさらしとくな、って。そうじゃないならYOUTUBEで公開するから、どっちか選べって書いて来い。
ちゃんと住所と本名もさらしてな
265神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:03:33 ID:Ia7taaP1
だったら、余計にミクシでの公開をやめるべきだろう、
聞かれては不味いテープをネットに上げている時点で
おかしいだろう?

弟子のプライバシーを考えると言っているわりには、独善的すぎる。

266神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:10:05 ID:Ia7taaP1
>>264
どこのお子様ですか、他人が思い通りにならないと発狂するとは?

ネットに流れることが
危険だというなら、公開はやめるべきだろう。

ミクシなら安全とはおかしい、
そんなものをネットにあげておいて怒るほうが変だと思う。

あなたが、それだけ弟子のプライバシーを考えているなら
やめるように働きかけたらいい。
267神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:11:12 ID:Rffmf60o
>>265
だからお前がそう思うなら、直接ミクシで言ってこい。
YOUTUBEにUPしたりなんてのはルール違反。わかる?
そうしようと思うなら最初からそうしてる。わかる?

もっかい言うか?直接ミクシで言ってこい。おまえの本名と住所があるIDで。なんでそれをしない?
ミクシでは多くの人が本名、住所さらしてるな。なんで?

お前がいうように、仮に「聞かれてはまずいものがネットにあったらおかしい」として、なんでミクシで本名さらしてる人があるわけ?

答えてみろよ。

とにかく、お前が本当にそのわけのわからない屁理屈をこねたいなら、ミクシで住所と本名さらして書いて来いよ
それともここでもいいよ。住所と名前さらせよ。俺が直接会って話してもいい

やらないのならそれはなんで?なぜ?言ってみろ。なぜお前はここで本名をさらしたくないか、言ってみろよ
268神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:14:06 ID:Ia7taaP1
必要がないから。

それ以外にない。
269神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:17:16 ID:Rffmf60o
>>268
必要はあるだろ?
俺が直接お前と話すためにはお前の住所と本名が必要だよな?
必要はある。

はい書いて。書けないのならそれはなぜ?
答えて。

それからなぜ、ミクシには本名や住所をさらしている人がいるのか、考えてみろ。
おまえの独自論理では、「ネットにあるもので知られて不味いモノはない」っていうことなんだろ?

なんでミクシで本名晒してる人がいるんだ?

早く答えろよ
270神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:19:06 ID:Ia7taaP1
分かってないな

そんなに流出することに
危険性があるテープの公開なんてやめた方がいいだろう?
271神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:22:46 ID:Rffmf60o
>>270
お前はさ、読解力がないんだよ。

文章を読む能力がない。
俺が何を書こうとしてるかわかる?わからんだろ?

もう一度書こうか。お前でもわかるように、箇条書きにしてやる

1・お前の住所と本名をここでさらせ。必要性はある(>>269)。それが嫌ならその理由はなにか?

2・おまえの独自論理では、「ネットにあるもので知られて不味いモノはない」とのことだが、なんでミクシで本名晒してる人がいるのか?


この二つに答えてみろ。そうすればお前がどれだけアホかって自覚できるから。
272神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:23:53 ID:Ia7taaP1
他人のせいにしないで分かるように書いてくれ
273神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:24:32 ID:Rffmf60o
>>272
は??

これでもわからない?なぜ?答えるだけだろ?子供でもできることだ。なぜできん?

1・お前の住所と本名をここでさらせ。必要性はある(>>269)。それが嫌ならその理由はなにか?

2・おまえの独自論理では、「ネットにあるもので知られて不味いモノはない」とのことだが、なんでミクシで本名晒してる人がいるのか?


早くしろよ
274神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:26:30 ID:Ia7taaP1
もう答えたよw

必要がないから
275神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:28:00 ID:Rffmf60o
>>274
必要があるっていってるだろ?
俺が直接お前と会って話すためにはそれが必要なんだよ。

それからお前の発言がお前から出たものだと確実視するためにも必要だ。とにかく必要なんだよ。早くしろよ。
必要があるなら、お前はここで名前と住所をさらすんだろ?必要があるんだよ。
276神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:28:48 ID:Ia7taaP1
ストーカさん、混乱しないようにね。一行だけだから

流出することに、危険性があるテープの公開なんてやめた方がいいだろう?
277神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:30:22 ID:Rffmf60o
お前は嫌なんだろ?
2chみたいな不特定多数の人に自分の名前や住所が知られるのが。嫌じゃないならさらせよ。
必要ないとかあるとかじゃないだろ。さらせよ。今すぐ。

嫌なんだろ?違うか?

流出危険があるのに、なぜミクシで本名をさらしてる人がいる??

何度も聞いてる答えてみろよ?
278神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:31:52 ID:Ia7taaP1
だから、脅迫するあなたにも丁寧に答えている

流出することに、危険性があるテープの公開なんてやめた方がいいだろう?
279神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:32:52 ID:FCrX48cd
ミクシイでも本名出さないようにってのが最近の流れじゃないのかな
ミクシイで安全だっていうならみんな名前出してるよ
でも出してるのは一部だけ
単に名前出す危険性がわかってないだけでしょ
280神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:33:02 ID:Rffmf60o

お前がここで不特定多数の人に本名や素性を知られるのが嫌なように、あれを公開してくれた人も嫌だ。

これくらいはわかるか?

そして、ミクシで本名や住所をさらしている人のように、ある程度クローズドな環境においてそれを許容する人がいる、

これくらい書けば理解できるか?

これでも理解できないなら本当にどうしようもないレベルだぞ?
281神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:38:17 ID:Ia7taaP1
同じようなことは、何度も起きるだろうし、これから
どこかへアップされる危険性があることも知っているなら

なおさら、そんな個人を危険にさらすものは
公開しなくていいでしょ?

あなたからすると、もの凄く危険なら、やめさせるべきではないか
282神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:39:21 ID:FCrX48cd
そもそもあのテープにそんな特定できるほどの細かい個人情報あったっけ?
流して聞いてたから憶えてないけど
あるんなら最近は素人でもピー音入れて編集できるんだからそうすればいいんじゃない?
それならID:Rffmf60oもいいのかな?
283神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:42:13 ID:Rffmf60o
>>281
お前はさ、ただたんにいいがかりをつけたいだけなんだろ?
なんなの?
今まであそこで有志の人たちの手で一人一人に渡って行ったんだよ。
今まで不特定多数の人にばらまくような人は一人もいなかった。
みんな特別な気持ちで、あのファイルに接していた。

なぜお前みたいなわけのわからん奴が、YOUTUBEにUPできないようなものは危険だから公開中止しろ、とか言いだすわけ?なんなのお前?

上にもいたけど、ミクシは一人になれないからやりたくないとか言う奴がいたけど、そんなやつは聞く必要ないよ。そんなことすら我慢できん奴は。
それが公開してくれた人への最低限の礼儀だろうが。

いいか?公開してくれた人は、本当の好意でやってくれてんだ。自分の恥部をさらしてんだよ。これだけ書いてもわからんか?人としておかしいぞお前
284神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 16:43:59 ID:Ia7taaP1
実際ここで起きていることから目を離すのをやめようよ
285神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:00:34 ID:Ia7taaP1
「今まであそこで有志の人たちの手で一人一人に渡って行ったんだよ。
今まで不特定多数の人にばらまくような人は一人もいなかった。
みんな特別な気持ちで、あのファイルに接していた。」

俺ね、これが本音で公開するなというなら分かりやすいよ。至極当然だと思うよ。

流出することに、個人が危険になるテープをスレ主が公開したからと
脅迫したり罵倒するなら、偽善臭い。最初から流すなそんなもの。

286神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:05:38 ID:Rffmf60o
>>285
お前は何様だ、馬鹿野郎
287神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:08:35 ID:Ia7taaP1
ダイジにも、テープにも興味ねーよ。
おまえに興味があったんだよ。
288神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:11:53 ID:FCrX48cd
>>286
個人が特定されないなら不特定多数に公開されてもいいの?
それとも不特定多数に公開されること自体ダメなの?
ダイジの考えが不特定多数の目にふれることはいいことだとも思うけど
289神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:17:06 ID:Rffmf60o
>>287
お前はただ自尊心のために発言してるにすぎない。くだらないよお前。

>>288
あのさあ、常識的に考えろよ。いいわけないだろ?それがいいなら公開者がそうしてる、そう思わん?
あんたが独断でやろうとしてることは、公開者と有志の人たちの気持ちを踏みにじる行為だ。
あんたはバトンを受け取ったの?名前なに?
290神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:19:48 ID:Ia7taaP1
怒っても、なにも理想どうりにならないよ。
291神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:22:00 ID:Ia7taaP1
あなたのダイジワールドという狭い世界に
入れておきたいものなら、

なおさら公開なんてやめてしまえばいい
ダイジは架空の人物でいなかったでもいいよ。
292神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:23:12 ID:FCrX48cd
>>289
それは多少の個人情報があるからだと思ったけど
だから個人が特定されないならいいの?って聞いたんだけど
個人が特定されないなら何が問題なの?
293神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:25:17 ID:FCrX48cd
公開者と有志の人たちだって、個人情報の問題がなければもっとたくさんの人にダイジを
知ってもらいたいって人多いんじゃないかなあ
294神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:30:33 ID:Rffmf60o
>>292
そう思うなら、まずミクシ上でそう発言してください。

それが「当たり前」だと思わない?そんな常識すらない?そういう気持ちすらもてない?
295神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:38:44 ID:FCrX48cd
>>294
自分はダイジの考えにみんながふれる機会があるほうが「当たり前」だと思うから
でも個人は守られるべきだと思うから別に公開しようとは言わないけど
ただその問題がクリアーされるとしたら、なぜ公開しないのかがわからない
単なる神聖視、信仰、自分達の持ち物にしたいだけのように思えるよ
296神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:41:53 ID:Rffmf60o
>>295
じゃあそのようにミクシで書いて、みんなの意見を聞くといいよ。
なんでそうしないの?
297神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:46:02 ID:FCrX48cd
>>296
だから個人の問題が片付いてないのにしたいと思わないって言ってるでしょ
それに自分は公開したい人がすればいいって立場だから
公開はいけないって人にはなんで?って理由聞くし、する人はさせとくだけ
別にどうであろうといい
ここで書き込んでるのはあなたの意見が聞きたかっただけ
あなたの意見は?
298神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:50:12 ID:Rffmf60o
>>297
じゃあ公開した人がなぜ公開しないのか聞けば?
ミクシで。

おまえはさ、単に許容できないんだろ?

何かを神聖視したり、何かを自分のモノのようにしたり、何かを特別視したりする人が。それが不愉快なんだろ?
お前はお前の人間的な卑小さゆえにそれを許せないわけだ。しかし人間というのは愛する者が汚されれば嫌なもんだ。それが人間だ。当り前のことだ。

とにかく、それでもお前が、グダグダ言い続けんならミクシで直接、公開してくれた方とコンタクトとって言え。
299神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 17:55:29 ID:FCrX48cd
>>298
つまり「愛する者」が「汚され」た気がして「嫌」だったってことですね、わかりました
ありがとう
わかったのでもういいです
さようなら
300神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 18:01:14 ID:Rffmf60o
>>299
君は単に人を傷つけたかっただけなんだろ?
気持ち良さそうな人が妬ましいんだろ?

だから嘘をつく。「こうした方がもっとダイジを知ってもらえる」、とか。大嘘だ。
単に、気に入らない、って言うだけ。
妬みに近い感情。
ゆえに、他人が大事にしてるものを破壊したくなる。そうして人が悲しむのを見て快感を感じたい。

こういう邪悪な人間は自分の邪悪さにすら気付かない。
301神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 18:20:34 ID:Ia7taaP1
君の理想とするの世界が崩れても、
相手を悪だと決めつけて罵倒してはいけないと思うよ。

君の本音が出るまで、付き合ってくれただけに見えるよ。

302神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 19:17:57 ID:9V+Z9Q9p
>>301
お前の方が悪かもね
303神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 20:20:31 ID:eT7cuR2Z
宇宙は完璧なんだよ。
わかるか。
304神も仏も名無しさん:2009/07/14(火) 22:27:38 ID:9V+Z9Q9p
宇宙はいつもパーフェクト
305神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 08:46:26 ID:Pp9BIADD
せっかくダンテスダイジのスレ見つけたのに・・・他人の罵倒?

他人の事は無視して、次の書き込みお願いします。

ダイジファンより
306神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 11:20:37 ID:un9hwD++
ID:Rffmf60oは、音声データの配布は有志の方々の善意を拠に成立している、
その善意を踏みにじるなと訴えているわけだが、
ミクシィとはいえネットで公開されたものの流出を防ぐのに
善意をその拠とするのは誤っているということを
ID:FCrX48cdとID:Ia7taaP1は言っているのではないだろうか。

しかしダイジに惹かれている人が、「馬鹿野郎、邪悪、妬ましいんだろ?」
などと書くとは、トボケがきつい。

ところで、私の持っている音声データにはダイジの歌がないから、聴いてみたいなあ。
307神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 14:24:37 ID:0tNhNI+H
ファイルについて言いたいことがあるならミクシで言えばいいんじゃないかな?
ファイルが聞きたいならちゃんと正式な手続きをとればいいのに、それは面倒だ、でも聞いてみたいからよこせって・・・・
どうしようもない人っているんだね。
308神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 14:45:15 ID:un9hwD++
>307は>306に向けてなのか?

ダイジの歌を聴いてみたいという呟きが、
よこせと言っていると解釈されたのか。

もしそうだとしたら、
誤解される表現をした私が悪かった。
申し訳ない。

しかし、誰かをどうしようもない人であると
あなたが思い込むのは勝手だが、
わざわざ書かなくてもいい。
309神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 14:50:38 ID:0tNhNI+H
>>308
そんならあんたのその言葉も「わざわざ書かなくてもいい。」よ
310神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 14:57:49 ID:k8HJWVKb
おお、おお。
絶対無どもが戯れとるわい(笑)

やれ、私が悪い。
やれ、読解力が無い。
やれ、ミクシだ、ダイジワールドだ。
やれ、権利だ、不当だ、何様だ。
やれ、プライバシーだ、流出だ、ストーカーだ。
やれ、脅迫、罵倒だ、偽善だ。

そんなふうに。
おれたちゃいつもトボけてる。
311神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 15:03:46 ID:0tNhNI+H
>>310
と、絶対無が申しております(笑)
312神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 15:23:57 ID:MLy7KP6Y
なんだよ、昨日
俺のダイジを汚すなって言って、正直者になった奴が、
偽善にもどんなよw

いいじゃない、俺のダイジを汚すなって
313神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 23:46:44 ID:xciLoRp2
不生不滅  始めから生じてないし滅するものもないよ
何かを守る必要もないし守る何かなど生じてない
そういった何かがあると思ってるならそれは自我の錯覚

クリシュナムルティは、否定して破壊して最後に残るものが真理だ、否定して破壊して無く
なるようならそれは真理などではない、どんどん否定し破壊しなさい、といった

とりあえずみなさん今日も元気だったようでなにより
314神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 00:13:07 ID:HNCr/DH4
偉そうな事言う前にまずあたり前に生きよう
315神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 00:17:33 ID:HNCr/DH4
>>313
>始めから生じてないし滅するものもない

まずこれが嘘。何言ってんだろうか。馬鹿だね

>そういった何かがあると思ってるならそれは自我の錯覚

これも思い込みだね。アホだなあ。

丸出しのアホ書き込みだね。これ
316神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 00:26:50 ID:YOVoJkNk
>>315
じゃあとりあえず、この世で滅しないものをひとつあげてみてください
317神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 00:29:38 ID:HNCr/DH4
>>316
ほんとにお前はダメだね。わかってないよ。
全然ダメだわ。まったくわかってない。
お前はダメ。
318神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 01:20:31 ID:7AcdYGyr
>>316
聖なるものを犬にやるな。
319神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 01:42:36 ID:HNCr/DH4
>>318
こいつもダメだね。
320神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 01:44:26 ID:HNCr/DH4
守る何かなどない、と言いながら、自分のわけのわからん妄想を守る馬鹿

聖なるものを犬にやるな、という犬。

こんなやつばかりだな
321神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 07:54:28 ID:vXzFNq+j
>>313
全て破壊出来ちゃったらどうなるんでしょう?
322神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 11:43:52 ID:YOVoJkNk
>>321
さっぱりしていんじゃない?自由で
破壊されるようなものを大事に抱え込む理由もわからないし
もしそれが嫌なのなら何故嫌なのかっていう
自分の中の何が何故嫌がってるのかっていう
どっちにしろ自分が死ぬときに持っていけるものなんて何もないし
変わらないものなんて何もないし
と思うケド
323神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 11:59:23 ID:RwFEqCvv
発生に原因を持たないものは破壊できないんだよ。
たとえば、俺の脂ぎった愛さ。
324神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 15:08:50 ID:C1Wo0oTE
偉そうな事言うのは「信長の野望 烈風伝」クリアしてからにしたらどうだ?
325神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 15:18:37 ID:C1Wo0oTE
破壊できないんだ〜、とかえっらそうに上から目線で気持ちよく書き込んでてる奴が
「え〜い城を破壊だ〜秀吉いけ〜」とかやってんだからどうしようもねえな

ただただ上から目線で気持ちよくなりたいだけのアホ。

お前らのどうでもいいどっかで聞きかじった妄想は本当にどうでもいいからさ、自分で金稼いで自分の力で生活してみろよ。だれもがそうしてんじゃん。
何でそんなに偉そうにしたいわけ?
326神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 15:32:07 ID:RwFEqCvv
他人が偉そうに見えてしまうのは、精神的に未熟でしかないからだよ、君。
327神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 15:43:45 ID:YOVoJkNk
自分に言われてるように感じるのは自分に何らかの負い目や劣等感があるから
そういったものがなければ自分に言われている気はしない
また言われたとしても気にならない
他人は自己の鏡である
328神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 18:40:38 ID:7AcdYGyr
>>320
やっぱ「犬」っつったら自分の事だと思って反応しちゃうのね。
別にアンタへのレスじゃないのにさ。

前々から、何でアンタみたいに無知な人が宗教板にいるんだろって不思議に思ってたんだけど、マジでどこから湧いてくんのかね。
ゲームやアニメのセリフに真理を見出したのか知らんが、無生法忍すら知らない門外漢がのこのこやってきてお説教始める様じゃ、酔っ払いのオヤジよか性質悪いね。
実際、説破もせずにダメ出ししかしてないし。マジで下らんよ、アンタ。

アニオタ、ゲーオタを悪いとは言わないが、これ以上恥をさらしたくなかったら、とっとと自分の巣に帰った方がお互いの為だと思うぞ。
329神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 19:22:35 ID:YOVoJkNk
犬でも人間でも無知でも知者でもなんでもいい
犬畜生に仏性有りや無きや?
330神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 20:04:51 ID:RwFEqCvv
犬が犬のままで何が悪いワン?
331神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 23:51:38 ID:fjMwMT9f
>>328
顔真っ赤にして怒りすぎw
こいつが一番くだらないわw
332神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:02:33 ID:bsd4QmS8
君の素直さが君を安心させる。

根拠のある安心を持ってはならない。

何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。

時間とは、君の見ている観念もしくはトリックである。
それ故、君は、正確に必要なだけの時間を、忍耐せねばならない。
君には、正確に必要な時間だけを知ることはできない。

真実の公案禅とは、只管打坐になる。
真実の公案とは、あなたという渇望自体から発した、解決不可能な唯一の問題である。
この全体性とは何か?これは何なのか?存在とは何か?
私とは何か?わたしの『わ』とは何か?

あらゆる神秘体験は、君の記憶を豊富にすることだろう。
そして、その記憶の豊富さは、君を束縛する。
神秘体験とは、それが体験である限り、高価な物質に他ならない。

人間の死ではなく、自分自身の死滅を本気で思いなさい。
そこに、禅定が生ずる可能性がある。
333神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:04:48 ID:bsd4QmS8
自分自身のあらゆる側面を、完全に自覚することによっても、禅定は起こり得る。

禅定とは、完璧に透明な明晰性の中に、ただいるということか(有想定)
いるということもない一つの完全に透明な空白である(無想定)
その禅定の中に、全体性は目覚める。神は目覚める。
絶対愛が、ありとおしであったことに目覚める。  これが三昧である。
したがって、すべてのすべてが三昧である。

瞑想における禅定とは、君の身心の状態の深遠にすぎない。三昧とは、神のあたりまえな身心である。
それゆえに、瞑想が瞑想を瞑想している以外に、この世にもかの世にもどのような世にも、何一つとして例外的なありようはない。

永遠を通じて、ただ一度だけの全面的絶望は、
君が欲望以外の何ものでもないにもかかわらず、君自身が、神であるがゆえに起こる。

神にあって、いかに悪魔を戯れるか。これが君の、人間としての全使命である。

この世の出来事は、それが、どのように長い時間に思えても、一刹那にすぎない。あの世の出来事についても同じである。

正反対のものとの和合によって、個生命は成熟していく。成熟とは、器量と柔軟性との質的深まりことである。

ニルヴァーナ・神
あるいは全面的統合は、人格成熟の延長線上には決して現われない。
超越的覚醒と人格成熟とには、いかなる関係もない。
人格的成熟とは、永遠に相対的概念である。

大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ そう君のなかに流れているその愛だ 
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある

君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから 
それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
334神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:08:33 ID:bsd4QmS8
君が、本物の悟りをかいま見る。それが、煉獄の出発点だ。

決して情熱をやめないこと

情熱なんぞどうでもいいなぞと

カタイことをいわないでくれたまえ

何ものかへの情熱こそ

世界を世界にしているのだから

君はあらゆるものとともに死ぬ

君も世界も

もともとありもしないここに

あらゆるものが戯れている

いうなれば君達は体験でない体験

それ自身を

再体験しようとしている

君にとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。

君という欲望は、結局一つのものしか求めてはいない。
それゆえ、君とは、苦そのものに他ならない。
335神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 21:32:36 ID:dxxcJn+Q
生命に生命の生命をあたえたまえ
336神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 13:37:40 ID:siG1rmH/
私の歌をわかってくれた たった 一人のマーヤ
求めて尽きることのない尽きることのない情熱よ。
しなやかな美しさを秘めた情熱 おまえ―私自身よ。
私は神秘の恋の囚人だ。
牢獄は私自身。おおマーヤよ、マーヤよ。

帰しておくれ。おまえの何ものかのもとへ。
今や私の情熱は尽きんやもしれぬ!?
337神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 13:48:36 ID:siG1rmH/
私は私に直面しよう、知性を英智に変容せしめる何ものかを。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。

なぜなら欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら
マーヤのゲームに果てはないだろうから
338神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 13:59:29 ID:siG1rmH/
ウウィリアム・ブレイク
そうなってゆく そのままでよいのだ。
人は喜び悲しむために産まれて来たのだ。

だが、この絶対者は違う。絶対者は喜怒哀楽から離れて、喜怒哀楽を戯れ
そしてまったく同時に喜怒哀楽を超越して絶対の流れを流れ続ける。

そして絶対者はすべてのすべてで久遠にいませり。
存在と非存在とに何のかかわることもなく。

私が絶対者なのだ。ほんの卵だけれどもね・・・
339神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:08:21 ID:siG1rmH/
極楽さえチンケなほどの、悦楽を味わうのだ。

地獄がママゴトに見えるほどの、苦痛を味わうがいい!

そしたら私達は 二度と答えを求めはしなくなるだろう。

340神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:13:26 ID:siG1rmH/
鳥は鳥に帰るのだ。魚は魚に帰るのだ。
限りなき高みを天にかける孤独の鳥は、その量り知れぬ意志ゆえに、
空の果てまでも見破って、永遠の神秘におののく。

この魚も海の底深く、深海魚よりも、さらに深く、
まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。

鳥が太陽に向かって飛ぶように、魚は海に溶け込みたいのだ・・・

もし、太陽が鳥を愛し、海が一ぴきの魚を慈しむのなら、

かれらは 太陽となり海となるだろう。

そうして帰ってくるのだ。
鳥は一ぴきの愚かな鳥として、
魚は一ぴきの無知なる魚として、
帰るともなく帰ってくるに違いない。

すべてが、よかったのだ。
341神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:28:18 ID:siG1rmH/
マーヤとは無常を内に秘めた 甘美なるものへのたんできだ

なにもかもがないと知ったら なにもかもが輝いている 底知れぬ闇さえも光り輝く

ああ生命力よ!情熱よ!あこがれよ!クンダリニーよ!

なにもかもいいんだよ・・・
342神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:32:35 ID:siG1rmH/
なんと完全なんだろう!

身知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ

そしてそれよりもっと恐ろしいことは 君が、すでに未知だということだ

私は何も知らないともいえない 何と完全なんだろう!
343神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:40:24 ID:siG1rmH/
すべてがわかるっていいね

なにもかもゆるすというところにただようことになるさ・・・

天国は素敵だし 地獄は嫌だし 快楽はイイし 苦痛はいやだし

なにもかも よかったんだと 味わう時よ 時出ない時よ

すべてを ゆるす時よ 完全敗北の時よ

すべてがわかるっていいね

・・・それさえ忘れ果てて・・・
344神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 21:16:02 ID:UMTmKiJ1
仏教は普遍性を感じるけど、シュタイナーとかの言説読むと、
歴史性とか地域性みたいなものを強く感じる。

「アカシア年代記」とか「日本は霊的にどんな国で〜」とか。

こういう「ストーリー」は、ちょっとなぁ、検証不可能なだけに、受け入れがたいよ。
もちろん否定する材料も無いわけだが。
345神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 21:18:07 ID:UMTmKiJ1
っていうかダイジのスレだったな。

346神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:51:42 ID:Hdtw/J4/
>>344
ダイジもアトランティスとかアカシックレコードとかそういうった類のこと言ってるよね
そのあたりはどうなんだろと思う

悟ったゆえにそうなのか、悟りきれてない部分があったのか
どうなんだろうな
347神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 15:41:31 ID:U0S/mHdO
彼は霊界など目に観えない世界の事はあまり話しませんでした。

とうぜん聞いたら答えてくれるけど。

「目に見えない世界の話しをしたって、みんなは見えないから
別世界の話しをしても解らないだろう・・」って云っていた。
348神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 13:19:35 ID:8FC5SCY2
なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。

「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ?」

もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。

みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。


『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
349神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 13:20:32 ID:8FC5SCY2
進化が神様といっていい。成長が。成熟が。

そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。

君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。
350神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 13:21:17 ID:8FC5SCY2
よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。

が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
351神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 13:23:49 ID:8FC5SCY2
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。

じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。

宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。

悟りとか、なんとかってすべてが、いいという事。勘違いしないでほしい。

君の中にすべてのうちゅうがある。
352神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 13:31:40 ID:8FC5SCY2
「あのー、『新・救世主入門』、『メシアンハンドブック』、それは何のために書かれたんですか」
『何のために?』
「はい」
『それは世界の遊戯に貢献するためだ』
「貢献するってどういうことですか」
『例えば、君は今何のために質問したかっていうことさ。その時君はさ、俺の言葉通りにさ、
 世界の遊戯に貢献するためだって答えてもさ、俺は多分『ううん、それじゃあないんじゃない?』
 っていうかもしれないよ。で、こういうふうに俺が今喋ってることがさ、世界への遊戯の貢献だ。
 つまり、俺が世界への遊戯に貢献するって、喋った時にさ、俺にとってさ、神っていうものがさ、
 ここにいるわけだよ。今。そして遊戯に貢献するっていう答えを、そう、かなり品よく答えてるわけだよ。
 この答え方は。上品な答え方だ』
353神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 13:33:24 ID:8FC5SCY2
『 救世主なぞいらない
 
 救世主でないものなど

 何一つありはしないのだから 』
354神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 11:39:12 ID:DQuhYhmI
あんたには、この数限りない神々が見えないのかね
バカモン!悟りも迷いもあったためしはない。

君は
思考を停止させて静寂を探したり
思念を集中して世界を光明化したり
思考を制御して内面を光明化したり
思念を統一して禅定と称する気分に入ったりして
根本無明のオモチャ・ゲームを
いつまで続けるつもりなのか

すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための瞑想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ

I AM NOT POET

私は、詩人でもないのに詩人にされ
私は、著述家でもないのに著述家にされた

すべては詩でもあるかもしれない
ウグイスの鳴き声も、
海ヘビの泳ぎも、詩そのものかもしれない

すべては という一つのパラノイア

存在・神・全知全能への欲望
果てしなく続く欲念のリィンカネーション
そして
それとなった
時なき時

355神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 11:43:20 ID:DQuhYhmI
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
356神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 11:44:42 ID:DQuhYhmI
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
357神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 11:53:42 ID:DQuhYhmI
悟りには方法がない。悟りは悟りが開くしかない。
そこで、迷える君は、あらゆる方法を追い回し続ける。

快楽は苦痛であり、安心は不安であり、
満足は不満足であり、悟りは迷いである。
これでよいのだ。それでよいのだ。
ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。

個が、だんだんと全体に成っていくというのは妄想である。
全体しかなかったと目覚めるのが、悟りであり、
私は、だんだんと全体と一つであることを悟り始めたというのが、迷いである。
修行のプロセスが、どのように起伏にとみ長い苦闘の連続だとしても、
悟りを開く時は、一瞬の内にである。
修行とは、それが、どれほど完璧で徹底的なものであろうと迷いである。
修行とは、それが、どれほど純粋なものであろうと迷いである。

悟りしかない立場から見れば、一切万象は永遠に修行している。

迷いが悟りになることはない。
迷いの位相は、永遠のまよいであり、悟りの位相は、久遠に悟りである。
358神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 11:57:36 ID:DQuhYhmI
透明なる光の光源に向かって飛翔せよ!
今や、未知は、君自身の至上の故郷へと変容している。
神とは無限の彼方の光源自身だ。
目覚めよ!
ジャンプせよ!
君自身が遠い昔に出て来た発出現へ、今や帰る刹那が来ているのだ。
神とは絶対の未知自身だ

誰が、真実を体得できるものか。
イエスもゾロアスターもクリシュナも、
釈迦も老子も道元も空海も、太郎も花子も猫もタバコも、
みんなみんな消え果ててしまったんだぜ。

この世とあの世の喜びのすべては、絶対無から、
かぼそくチョロチョロ流れ出てくる、
小川のせせらぎにすぎない。

君は、心を捨て身を捨て魂を捨てて、
ただただ一つの真実を発見せねばならない。
なぜと問うなかれ。

君は、色即是空・空即是色で止まってはならない。
色是色・空是空こそ、あたりまえの君だからだ。

私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?

一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。
359神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 12:12:33 ID:DQuhYhmI
人間は確固とした何者かであろうとする
人間とは欲望を自覚した分裂的個生命体の事だ
人間的な一体感は安心を仮作するが その安心感ゆえに不安であることになる
人間は確かなものを求めざるを得ない
確かなものが人間自体に無い事を知ってしまったからだ

人間的安定は、絶対者の戯れの正反対の立場にある
産みの苦しみは本当に産みの苦しみだ

人間性は完全な束縛を願い、そしてまたあらゆる束縛からの解放を願う

観念的であるということは 現実的であることだ 現実的行動派は実は余りに夢想的なのだ
確実なものが何一つないここでは あらゆる方向性が意味を持ち あらゆる価値付けが無意味だ

只管打坐の坐禅修行に励んでいるある婦人が、こう言った
「今日の坐禅中はひたすらタタミの目の数を数えていました」

コリャア一体何者ぞ?

全てが根本無明であり根本無明なんか無いってことがわかるよ。

360神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 12:26:43 ID:DQuhYhmI
欲望は欲望を滅尽させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。

老子

老子について何も知らない
ただ気楽な人だったなあと、わたしは思う。
そうなってゆく、そのままの人。そうなってゆく石ころ。そうなっていく雨だれ。

ただ素直にやわらかく、豊だったなあと、私は思う。
イエスのうように純真だが、そのオトボケは、ソクラテスを楽々とノイローゼにさせるほどの俗物中の俗物。

もちろん老子とは個人の名前でもなく。老子という本の名前でもない。

宇宙の名前だといったらよいのか?無限の名前といったらいいのか?
否、否、三度否!

なにもかもないそれを、老子が老子と名付けたらしい。ありとあらゆるものそれ自身を。
誰かが仮に老子と名付けたらしい。
ありとあらゆるそれ自身を、誰かが仮りに、老子 と名付けたようだ。

それだからこそ老子はあたりまえな人間なのだ・・・
361神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 12:36:50 ID:DQuhYhmI
君達に命ずるこれからずっと幸福でいなさい。

決して情熱をやめないこと

情熱なんぞどうでもいいなぞと

カタイことをいわないでくれたまえ

何ものかへの情熱こそ

世界を世界にしているのだから

君はあらゆるものとともに死ぬ
君も世界も
もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている

いうなれば君達は体験でない体験

それ自身を

再体験しようとしている

どんな人でも 心の底では 自分も宇宙もどうなるものでもないことを 深く深く知っています
362神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 12:43:39 ID:DQuhYhmI
黒は白なのだ

黒を白と言いくるめる そうすると黒は間違いなく白だ
これが人間世界という狂気ありさまである

それは暗示とかイメージとかのことではない
潜在想念界のトリックのことでもない
ただ 黒と白が別れる以前からの 断言にすぎない
夢、気の持ちようだだとか 信念の力だなぞと考えるなかれ

夢でしかない世界は黒は白なのだ

されば、汝、人間よ、
進め、進め!
限りない黒と白と混沌の中を・・・

ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか
363神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 12:48:28 ID:DQuhYhmI
瞑想が公案なのだ!?
公案が瞑想なのだ!?

瞑想が瞑想なのだ!!
そして
公案が公案なのだ??

戯れは果てしがない
364神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 17:19:44 ID:DQuhYhmI
パンドラの箱

パンドラの箱は開けないにこしたことはない
知恵の樹の実は食べないにこしたほうがいい

けれども どうゆうわけか 種子は花開き 果実になってゆく

そうなって行く そのままに まかす以外ないじゃないかい

なんと完全なんだろう!

見知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ

そして
それよりもっと恐ろしいことは 君がすでに未知だということだ

私は、なにも知らないとも 言えない

なんと完全なんだろう!

いくたびもなく・・・
いくたびもなく・・・
ここに終わり
ここに始まる
今は死ぬに最高の時だ!
365神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 17:26:40 ID:DQuhYhmI
メシアン・ハンドブック

救世主は知っている いかなる人であっても
自分を神の子だと考えるのは もっともなことだと

立派な救世主は 自分に行きたい道を行く

できないことはできない

救世主でいるくらいなら 手品しか催眠術師のほうがましだ

君はつねに神でいることはできない だが、素直でいようとすることはできる

知るべし君は何もできなしない 春夏秋冬があるように

あたりまえでいる・・・ これが救世主の極意だ

よう君 いい役 演じてるじゃねえか!
366神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 17:28:41 ID:DQuhYhmI

みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう 
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい   みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている

愛してるよ  君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ

いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる

なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
367神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 17:29:32 ID:DQuhYhmI
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ

悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ 
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
368神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 17:35:27 ID:DQuhYhmI
そう まるで いま話していることは一つのたわむれだ
でも この世にはふたつしかない たわむれかたわむれを包んだぜったいか
そして君たちが生きているってこと 君たちの心臓が動くってこと
ひとつのグラスのなかにビールをつげるってこと それは かけがえなくきみたちが
戯れているってことだ それでこの戯れを恐ろしいっておれはいいたいよ
なぜなら ほんとうの戯れってのは おそろしさそのものとぶつかり合った時に
分かるものだから さあ ちっぽけな君から抜け出すんだ 
君は何がそんなに怖いんだい? 君はまるでこの宇宙とひとつのように生きればいいんだ
君しかいないせかいに どうして何かが君に害をあたえるようなことがある
さあ、放して 何もかもはなして ときほどくんだ
そして 俺の中に帰っておいで   それは 君の中に帰ることだ 

それだけだ それ以外に何もいらない 生きていれば君にふさわしい技術が君に身につくよ
でも 技術だけだったら君はぜんぜん生きた感じがしない 
ただ 愛だけが どんな流行歌だって歌っているじゃないか 愛については
愛だけがすべてだ きみは愛なしには一瞬間も生きることあたわずって

俺が天国から降りてくる時 天国にいる元締めの親父さんから言われたよ
おまえ 行って愛せって そして この世でも かの世でも 
現われるどのようなものにもよることなく 汝 生きて 愛せ
地上のなにものにもとらわれる事無く
369神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 17:37:29 ID:DQuhYhmI
とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから

そしたら君はきっといい音楽をうたえる そしたら君はきっといい野菜をつくれる
そしたら君はきっといい自動車整備工になるよ

きみ達は物語を演じている その物語をどんな筋にしようと それは
君たちのもっとも深い思いも自由に委ねられているけど
もし この世という戯れのドラマにテーマがただ一つだけ テーマがあるとしたら
それは愛というテーマだ でも、この愛というテーマに目くじらたてて
そうしなくちゃならないなんて思う必要ないんだよ

愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる
370神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 17:40:46 ID:DQuhYhmI
あなたは 満足を求めているのではない。
絶対の満足そのものの中に、 消え果たいのだ。
だが、 それは、あなたには断じてできないことになっている。

神にあって、いかに悪魔を戯れるか。 これが君の、人間としての全使命である。

生きている それで充分なのだ。
死んでいく それで充分なのだ。
なぜなら 太陽がどれほどの大きさだろうと
私という中心太陽から見れば爪のアカにも相当しない

まして本当の私が神に光あれと命じたのであれば

愛は、人間の中の一つの感情などではない。愛はこの宇宙そのものの 根源なのだ。
 
 終わりの時節が来た。
 終わりを精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
 終わりの時節が来た。
 終わりを、精一杯嘆き悲しみなさい。
 その叫びであらゆる宇宙が破裂するほど・・・

 神の終わりの時が来た。愛が凍る時が来た。
 終わりの時を感謝して歓びなさい。
 神の死は、真の神の始まりだからです。愛の死は、真の愛の始まりだからです。

 その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、
 君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ
371神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 18:01:10 ID:DQuhYhmI
大切なことは君がどうかいだよ。君がどうかい?いい?

君がどうなのかということさ。

そして、君が生き生きしているか、君がOKか。

君がOKならさ、君は今度は共通の約束事の中でさ、本当に役立つことができるよ。
372神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 18:05:27 ID:DQuhYhmI
奥深い心

 すでに人間はいない あらゆるものを構え その中でとりとめもない
 人間の喜びと悲しみとを持つ そのものはすでにいない

 人間の喜びと悲しみとから生まれる あのしみじみとした心の果てには すでに人間はいない

 人間にとってあるというすべてのものは ことごとく消え果て
 ただその奥深い心だけが 何の束縛もなく 現前している

 それは人間の心ではない 人間の喜びも悲しみも その心のどこにもないのだから
 人の子の悲惨な死も 甘美な恋慕も その心には見えない
 また その心には 石ころと人間とに区別がつかない めくらで不人情な心だ

 だが その非人間的な心の絶対から 人間の喜びと悲しみとを
 しみじみと眺めあたたかく包む
 何ものかが
 限りなくあふれ出す
373神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 18:06:53 ID:DQuhYhmI
愛は愛を楽しんで

私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り 
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は 
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない

私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ
374神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 23:12:48 ID:dGl1R7Zk
DQuhYhmIさんありがとうございます。
375神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 08:19:06 ID:g+Fg9Pyd
「キリスト教で言う内在のキリストと仏教で言う仏性というのは同じものなんですか」

『同じものです。ただし同じものだけど注意してほしいのは命そのものにおいては同じなんだけど、
 個性においては違うということ。それは信仰にも関係するんだけど、本質的な個性ということと、
 神でも絶対無でも実相でもいい、君は今、実相の本を読んでるからね、
 その実相ということと個性というものは切り離すことができない形で存在するんだ。
 例えばよく宗教というものをただ額面通りに読むと、個性というものを否定して完全に帳消しにしてゼロになって無我になってそこが悟りだ、
 ということを言うんだけど、そうじゃない。実相というものが厳然として存在していて、
 実相的個性というものがみんなに備わっているんだ』

「その個性というのは、いいも悪いもないんですか」

『ない。絶対的にいいことだ』

「別の言葉では魂と言ってもいいんですか」

『うん、いいよ。みんなどっちかを選ぶよ。タイプによるんだけど、厭世的というかこの世の全体を否定してしまうという
 性分の人だといきなり実相そのものの中に飛び込もうという形で生きていくよ。
 そうではなくまだこの世の中に魅力や心ひかれる部分をもっている人の場合だと、
 自分自身の本当の個性に出会おうとして生きていくよ」
376神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 10:21:46 ID:hbm17YjS
ダイジさんは、カルマについては何かおっしゃっていますか?
377神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 10:41:47 ID:g+Fg9Pyd
「地獄へ落ちろ、クソ婆ばあ!」

釈迦は決して大ウソツキではない ウソツキであっただけだ
釈迦というウソツキ キリストというウソツキ クリシュナというウソツキ
花子というウソツキ 太郎というウソツキ 道元というウソツキ
どん百姓というウソツキ 総理大臣というウソツキ 
ウソを知らないというウソツキ すべてを忘れたというウソツキ
すべてを知っているというウソツキ 何も知らないというウソツキ
子供達の遊び声というウソツキ すずめのさえずりというウソツキ
悟りや迷いというウソツキ 聖者やさぎ師というウソツキ
美しいというウソツキ 病気というウソツキ 死というウソツキ
愛と憎悪というウソツキ 私というウソツキ あなたというウソツキ
ふれ合いというウソツキ 人間というウソツキ 深い深いやすらぎというウソツキ
時間というウソツキ やさしさというウソツキ 薄情というウソツキ
人間関係がうまくいかないんだよというウソツキ 幸福や不幸というウソツキ
悟りを開いた解脱をした宇宙意識になったというウソツキ
便所の中で首吊り自殺した青年というウソツキ
暴力や非暴力というウソツキ 子供達と遊ぶ良寛というウソツキ 一休の助平というウソツキ
愛・平和・調和・知恵・安心・歓喜・自由というウソツキ ニヒリズムというウソツキ
癌で明日死ぬんだよというウソツキ 天使と犬と悪魔とタンポポというウソツキ
私は二度とウソにだまされないというウソツキ 私は見た私は直視したというウソツキ
ウソを見抜いた人の静寂というウソツキ ウソがこの世のゲームを戯れているんだというウソツキ
ウソ本来なしというウソツキ もういいじゃないかというウソツキ
おれはおれを生きるだけだというウソツキ
不立文字・教外別伝なぞチャンチャラおかしいというウソツキ
ウソツキというウソツキ ウソツキというウソツキだというウソツキ

老婆は聖者に 正真正銘の真剣さでたずねた
「どうしたらこの地獄から解放されましょうか?」
聖者は素直に答えた
「地獄へ落ちろ、クソ婆ばあ!」
そういうウソツキ
378神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 10:43:17 ID:g+Fg9Pyd
ダイジ  「人は、そう、俺たちはどうして一人っきりになるのをそんなに怖がっているんだ。うん?」
      「確かなものが、ないからです」
ダイジ  「うーん・・・一人っきりになると空虚であることがいよいよはっきりしてくる・・・
そして、それでいて今度は外に・・・・色々な人と付き合うとか・・・いろいろなことをやってみる。
ああそんときはいい。うまくいける。
・・・・だけど、だけど、、、今度は人さえ恐れる。
同じ原因だ。
だってきみたちは、とにかく、おれは空虚ではないってあくまでもがんばんなきゃいけないから。

ただ一つも例外はない。
ただ一つも例外はない!
この世に例外なんてただ一つもありはしない。
だからこそ愛があるんだ!

自分だけ違う
自分だけ力にみちてる
自分だけ完璧だ
そんなこはない・・・そんなバカなことはない

そして一生懸命ぬけがけすることを考える。
だからいよいよ人を怖がる。・・・・なにしろ、ぬけがけしたような様子を見せても、自分の内面じゃちっとも優越してないことを知ってるから」
379神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 10:45:11 ID:g+Fg9Pyd
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
380神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 10:53:06 ID:g+Fg9Pyd
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・

ダンテス・ダイジ 雨宮第慈 講和録4 素直になる SCL刊 抜粋
381神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 11:46:43 ID:g+Fg9Pyd
三神歌―――

われもなくうつし世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし

ここに、グルにして戦士なるよき家庭教師クリシュナが王子アルジュナに語った言葉をバガヴァット・ギターから引用してみよう。


   恐れるな、アルジュナよ
   戦え、アルジュナよ
   殺せ、アルジュナよ
   人間の本性は
   決して生まれも死にもしない

   人々がいかなる方法で
   私を求めようと
   私はその願いに答える
   人の旅するいかなる道も
   すべて私の道だ
   どこを歩いたとしても
   すべては
   私に帰ってくる

  そのとおり。
トスといいダンティスといいクリシュナといいアルジュナというも、皆あなた自身のことなのである
382神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 21:57:35 ID:g+Fg9Pyd
>>376
私が知っている範囲では第慈さんはカルマはただの癖だとか、
悟った人でも悪い因をすれば悪い結果が出ると言っていました。
383神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 15:34:08 ID:E9Um7iVo
一般に臨済宗では、
身息心の調和を重視した坐禅を修行している。
そして、公案によって人為的に大疑団を起こそうとする。
しかし、大疑団は、いかなる人為によっても作り出すことはできない。
公案が疑団を作り出すことはあり得ない。
大疑団が、おのずから公案として結晶化するのだ。
人生と存在全体に対する内発的な根本的疑問―これが大疑団である。

人生と存在への根本疑問なしで、公案禅を修行するのは、
愚かさ以外の何ものでもない。
公案とは、あなたから自発的絶望として出てくるものであって、
いかなる覚者も、あなたに公案を作り出してあげることはできない。

本質的な問いには、解答というものはない。
にもかかわらず、あなたは、問うことをやめてはいけない。
少なくとも、問いも答えも、あなたも世界も、消え果てるまでは....

現在、臨済宗でおこなわれている、いわゆる公案禅とは、
単なる丹田呼吸法とどっこいの心身医学的なものにすぎない。
だからこそ公案体系などという役立たずの形式至上主義があるわけだ。

大疑団なしで公案禅をやるぐらいなら、健康法としての丹田禅の方が、はるかにまともだ。
丹田禅とは、仙道などの錬丹法や丹田呼吸法を、より強烈にしたものである。
384神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 15:38:34 ID:E9Um7iVo
その道が、
君自身の道であるかどうかは、
その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、
それが君の心ある道だ。



正しい師とは、文句なく、その人物に全面信頼や愛情を持てるということであり、
したがって、このさい、その正しい師が、本当に悟りを開いているかいないかなぞ
二義的問題にすぎない。

正師の発見は、あなたの全身全霊的直観による。
その全身全霊的直観が、全面的信頼を自発自起せしめる。

あなたに、正師との出会いによっても、全面信頼が生起しないとしたら、
あなたは、あなたの人生というドロ沼を、もっと徹底的に真摯に生きてみねばならない。
385神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 15:50:42 ID:E9Um7iVo
だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ

だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ
死んだら あたたかい夜のぬくもりの中で
君と僕は 君と僕のいのちを
あたためあう
夜闇のフクロウも 僕達の命だ
フクロウの鳴き声が 静かに僕達の瞳をしめらすことだろう                                                                

だいじょうぶだよ君は必ず死ぬ
死ぬべき君には もうどのような恐れも無用だ
そして僕達は 時間を忘れた夜明けの すがすがしい大気を吸い込む
まるで初めて 大気を吸いこんだように
僕達は 夜明けの息吹きを感じることだろう

だいじょうぶだよ やがて死ぬ時が来る
僕達の宇宙ゲームを終らせて 夢もない眠りに やすらかに帰る時がくる
初めがないここには生も死も 初めから夢にすぎなかった

だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬさあ今 君は君自身に帰る 帰っておいで
君自身である 僕自身の胸の中に

人々は どういうわけか 死をいみ嫌っていた
だが だいじょうぶだよ 君もやがては死ぬ
死が 君にすべての生命達との ふれ合いを教えてくれる
だいじょうぶだ 君は死なないのだから 生と死の中をつらぬき
やさしさがいつも響いていた虚しさを見切った人芸者であろうが売春婦だろうが
殺人狂だろうが聖者だろうが乞食だろうがサラリーマンであろうが
この人間世界のあるがままを見切った人達のその深く静かな眸が美しい
386神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 15:53:00 ID:E9Um7iVo

釈迦の酒飲み修行は
人間と人間世界とを忘れ切ったところから始まり
誰を見ても神様に見えるほど
へべれけに酔いつぶれて終わったチーズ入りの味噌汁ヨガの行者であるインド人と
ヒッピー風の青年とが
瞑想について話しをしていた
・・・魂が肉体を離れてね
  あっちをこっちをねえ・・・・
・・・それよりももっと深まると
  三昧という経験があって・・・
不思議な憧れが
ヒッピー風の青年を
いよいよ話しに熱中させる
私は二人の熱心な話し合いを
そばで聞いていておかしくなった
青年が作ってくれた
チーズ入りの味噌汁は
変わった味がした
387神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 15:58:17 ID:E9Um7iVo
人間になれなかった道元

かわいそうな道元よ
あなたは その全生涯を 奥深き冷厳な山林にありて
人間になろうと全身全霊で 努め励んだ

今・吾・ここにて
道元老古仏に深く深く深く
帰依したてまつります

あなたは 人間になろうとして只管打座の日々を送り「正法眼蔵」を著述した
あなたの言う正法眼蔵が人間そのものに他ならぬことを私は知っている
しかもあなたは決して人間になれなかった
道元よあなたはあまりにも弱すぎて
人間ドラマを愛することはできても人間ドラマを演ずることはできなかった
そして肺結核で若死してその人間への仏道修行を閉じた
あなたは煩悩を生きるには余りにも弱すぎたのだ

今・吾・ここにて道元老古仏に深く深く深く帰依したてまつします

あなたは人間の限りない喜びと悲しみそして虚無とそれら一切を現成せしめる山河大地とを果てしなく見切った
だがあなたは「修証一如」という悪知恵によって煩悩の汚濁を見渡したがついに煩悩そのものへは帰れなかった
太郎や花子は煩悩そのものを生きている煩悩そのものの人間ドラマには煩悩も悟りもない
かわいそうな道元よあなたは すべてを知りすぎた

今・吾・ここにて道元老古仏に深く深く深く帰依したてまつります
388神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 15:59:38 ID:E9Um7iVo
あなたは貧しい仏道者だ余りにも心の貧しい仏道者だ
あなたは終生心貧しき仏道者として生き切り
ついに豊かな人間達にはなれなかった
二十世紀末の今日
フーテン娘は赤ん坊をコインロッカーの中に捨てる
デリケートな現代人達は山林の自然を恐れて都会のネオンサインの中へ逃げる
平凡なサラリーマンの一家団らんの中には肥大した自意識同士の言葉にならない戦いがあり
工場労働を本当に楽しんでいる工員は一人としていない
悟りという愛情ならぬ愛情を求める気力のない哲学青年は
流行歌手の歌声と睡眠薬とガス管の中に自殺する
そして私は
これら本当に豊かな人間の苦悩という営みが二十世紀末の今日だけのものでないことを知っている
そして道元よ
あなたはこれらあらゆる人間達の豊かな営みそのものになろうとしてついになりえなかった

今・吾・ここにて道元老古仏に深く深く深く帰依したてまつります

今・私は説法しようあなたの古仏としての営みは山河大地のみではなく
あらゆる人間達の営みそのものであったことを森羅万象や無数の生命達の営みなどどうでもよい
あなたの只管打座は人間の限りなく豊かな営みそのものであった
万里一条鉄の大生命などどうでもいい
私は 今・ここで
あなたとともに叫ぶ
私は人間だ果てしない喜びと悲しみとを持ったたった一人のかけがえなく豊かな人間そのものだ

今・吾・ここにて
人間道元に深く深く深く
帰依したてまつります
389神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 14:36:23 ID:wJTr6VSn
おれ達はいつもトボケてる

おれ達はいつもトボケてる
やれ天国だ地獄だ やれ虚無だ充実だ
やれ生き生きしている やれ病気だ神経衰弱だ老醜だ死だ
やれ産まれたセックスした やれ大金持ちやれ赤貧洗うがごとし
やれ悟りだ解脱だ解放だ やれ愛しているんだもん
やれ憎悪だ嫉妬だシラケただ やれ救世主やれ仏陀
やれ人間だすずめだなめくじだヘビだ やれ帝王だ大金持ちだ乞食だ奴隷だ
やれウジ虫だ石ころだドブだ龍だライオンだスーパーマンだ
やれ晩のオカズは何にしよう やれ男が欲しい やれ百三十円たりない
やれこのラーメンまずい やれきりがないだ永続だ やれ生まれ変わりだ霊能力だ奇蹟だ
やれおれ達はいつもトボケてるだ そんなふうに おれ達はいつもトボケてる

今、おれの眼には映っている
考えられないくらい素敵な奴らが 考えられないくらい素敵なトボケを 戯れているじゃないか
この世の何もかも 宇宙から素粒子から霊界から 君の眼の前のホコリまで
考えられないくらい素敵にトボケてる
ほんとにすべては パーフェクトな役者達だ
君の演戯は無限を舞台に如意自在だよ
トボケがきついよ・・・

それじゃあ あらゆるトボケが なくなっちまったら
そこに何がある? 何がある? 何がある! これがおれのトボケだ

何しろおれは すべてがなくなっちまった 愛そのもの・・・

さあ 帰っておいで 君はおれなんだから
さあ 帰っておいで 君はトボケを見ている絶対者なんだから

おかえりなさい そしてまたおれ達は おれ達のトボケを戯れよう
死よりも恐ろしい まごころをこめて おれ達はいつもトボケている
390神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 14:45:28 ID:wJTr6VSn
愛について

愛のないところはどこでも 見知らぬ世界だ
見知らぬ世界という不安を 私は歩いていた
宇宙も私自身も愛さえも ぜんぜん知らないという私自身だ
本当に見知らぬ私自身は 私のいかなる不安な感情とも無縁だ
神秘が今ここに歩いている 神秘が今ここに座っている

こちらの病室ではあと一週間の命である病人が不安から逃れようと
一しょうけんめいに般若心経を上げている
となりの病室ではあと一年の命である病人が果物ナイフで自殺を図った
そのとなりの病室では死を明日にひかえた病人が禁じられたタバコをふかして夜空に輝く月と星々とを眺めている
長年の血のにじむような坐禅の修練によってその僧侶は無想定を習得したと思っていた
やがて僧侶は年老いて死が目前に迫った時坐禅を組んで無想定に入ろうと思ったが入ることはできなかった
死の恐怖は余りに激しく死の恐怖におののきながらその僧侶は死んだ
391神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 14:46:50 ID:wJTr6VSn
挫折を信じた大学生が自分のウジ虫のような人生を嘆いていた
海中のヘドロの中の細菌達はウジ虫のような生活に憧れた
ウジ虫は何とも思わずにウジ虫の生命を生きている
いつもキリストの姿に憧れているひとりの牧師がいた
彼は一度でよいから霊なるキリストをじかに見たいと
いつも憧れていたある晩 その牧師が寝ているかたわらへキリストは降臨した
しかし牧師はそれを知らなかった彼は熟睡していたのだ
天地の始まる以前に愛がある 愛は愛である自分自身以外を決して見ることがなかったので
天地も人間達のあらゆる営みも 知ることがなかった
ある一組の老夫婦がいた 彼らは何十年かの生涯を仲良く暮らし 若き日の夜ごとの甘美な一時と
何十年かの仲良く暮らした生涯を愛であると感じていた
その老夫婦が住んでいる小さな家のすぐそばのアパートの一室でトルコ風呂の女が睡眠薬を多量に飲んで自殺した

その女のアパートの窓際にはサボテンの鉢植えが一つ置かれていた
彼女がどんな花よりもサボテンが好きであったことを永遠に誰も知ることがない
彼女は花の咲いていないサボテンを愛していた
彼女が自殺した次の日そのサボテンに小さな花が開いた
サボテンは そのトゲの部分よりも自分の中から出た小さな花をより深く愛していた
392神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 14:54:20 ID:wJTr6VSn
今でない今、ここでないここで

一刹那の生涯でもよい クリシュナとして生き クリシュナとして死にたい

あらゆる演戯を越えた一つの戯れ
根本無明の演戯がなければ 神は神自身を観照することができぬ
根本無明のこの移し世が 神自身の唯一の演戯道場
神は人間の作り出した どんな思想の中にも 宗教の中にもいない
人間自体の死の虚無性が 人間からすべてを奪い 人間をも奪う
無限の中には 時間も空間も因果律さえも存在していない
無限の中に 宇宙の果ては 私の小指の長さにあり
千億光年の天体生命の光芒が 私の肉体の心臓の一鼓動とともに 生まれ来たり滅び去る
熟したリンゴの樹の果実が 地面から枝へと昇る
神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる

ソロモン王の英知が ソロモンの栄華と幸福を実現し
そして又 ソロモンの英知が その英知ゆえに 愚迷のうちに滅亡したように死のないどのような生もあり得ない
愚かさを持たぬどのような智恵もなく 安心のある所に不安があり
愛のある所に憎悪が 勇気のある所に恐怖が
幸福のある所に不幸があり 快楽は苦痛の種となる
老衰と病のない どのような健康もあり得ぬように
善は悪とともにいつもあり 宿善の功徳は 天人の天国を実現するが
その天人にも 五つの衰亡を避ける手だてはない
393神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 14:55:47 ID:wJTr6VSn
一刹那の生涯でよい 神の御意のままに生き 神の御意のままに死にたい
一刹那の神の御意は すべての生命達の生涯とすべての生命達のそれぞれの宇宙であった
神のみが絶対無の中に久遠の安住を続け あくびひとつも神には無縁だ
私は私という心身の 異郷の客であり
何一つとして私のかつて見知った事柄はない
この悲しみが 人間に理解できるだろうか


私達はこの世では孤独であり続ける
私達の眼は私達の故郷を見知らぬものとして眺め 私達の家族を初めて見る
これは私達の眼がかすんだゆえではない 私達の眼がより透明になったせいだ
何もかもが常に未知なものとしてあり 何もかもが常に新しい 何もかもが未知な新しさであれば
私達の脳髄は 尽虚空中に粉砕する
死はなんと私達の身近にあったことだろう 最も身近な死だけが
人類の唯一最大の教師だ手足を放ち去ろう未知の虚空にもともとありもしない手と足を
精神の広大さも物質宇宙の戯曲も 私には何のかかわりもない
私は私の瞑想の旅を続ける旅は方向をもって続けられるが
その旅は私に理由のない確信を与えても 決してどこかに行き着くことはない
私は私自身の中を旅し続けている


私は一瞬間を聖クリシュナとして生き 一瞬間を梅毒病みの娼婦として生きた
梅毒の苦痛が陣痛と出産の苦痛であり 性愛の享楽が聖者の清らかな解脱である
そしてすべては去ることもなく去り また来ることもなく 新しい生涯が来る


止まることのない生々流転よ
私は生々流転のあったためしのないここでゴーヴィンダ・クリシュナの美しい横笛の音を奏でる

今でない今、ここでないここで
私はクリシュナとして生きクリシュナとして死んだ
394神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 15:05:13 ID:wJTr6VSn
 クリシュナの微笑み

「もし あなたが存在の罠から解放されたいのなら・・・」
クリシュナの微笑はささやき続ける
「もし あなたが存在の罠から解放されたいのなら・・・心の底から本当に解放を願うのなら・・・」
 絶対無の愛の化身 なるクリシュナはささやき続ける

 私はこの世ばかりでなく かの世の存在すべてに 別れを告げねばならない
 かつて牛飼いであった頃のクリシュナが ブリンダーヴァンの森の中で横笛を吹きつつ
 この宇宙のすべての存在に 別れを告げたように

 この世とかの世との無数のあたたかく 血のかよった出来事
 私は私の最愛の者との出会いを 全心身の感動の中に味わわなかっただろうか
 時のたつのを忘れた抱擁の その流れる汗と涙とに 甘美な陶酔を味わったのではなかったか
 輝く陽光に海と白い砂浜とは 私を魅了しなかっただろうか
 秋の静かな雨が 私の魂にやすらかな音楽を奏でなかったか
 友人達とのソーマの酒宴は どんなにか私を高揚させ 忘我の踊りに私自身をまかせ果てたことか
 わがいとし子との何気ない散歩が どんなに私に平和を与えてくれたことか
 思い出の中の わが父母との一家団らんの日々のほのぼのとしたのどかさ
 さらにはインド寺院での果てしなきシンバルの響の恍惚
 旅から旅への解放された冒険の日々 そしてわが家に帰った時の明るい夕辺

「もしあなたが存在という罠から解放されたいのなら・・・心の底から本当に解放を願うのなら・・・」
 今 あらゆる存在の彼方からクリシュナの微笑はささやく

 私はこの世とかの世のすべてに別れを告げねばならない
 この世とかの世がどのように豊かに美しく見えてもクリシュナの微笑は言語を絶した恐怖と歓喜で私にささやく
 あらゆるものに執着しだからこそあらゆるものを嫌悪する わがままは消滅する以外にない
 肉体維持という人間最後の努力をクリシュナの微笑はあえなく奪う
395神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 15:06:43 ID:wJTr6VSn
 愛なく安心なく信頼なき私は私という子供じみた甘えを捨てさせられる
 絶対を求める子供じみた情熱は狂気にとって最高の獲物だ
 結局発狂したその狂気が悪魔の妄想であろうと神の聖なる啓示であろうと
 クリシュナである私にはもうどうでもいいことだ
 私は生きるつもりなく生きている無限定な情熱をそそいで私は生きるつもりなく生きている

 ユダの呪いは すべてを呪う
 それは偏執狂の叫びかそれとも生きとし生けるものの 必然な叫びか
 そのユダの叫びの中に仏陀の一切皆苦の教説が溶け入りクリシュナの神秘な微笑が戯れる

 では私はすべてに別れを告げよう明日処刑される死刑囚よりも癌で明日死ぬ病人よりも
 もっともっと高らかにすべてのものに別れを告げよう
 あらゆる過去と未来が幻影であるように現在も又捉えるすべのない幻影
 だから私はいきるつもりなく生きている無限定な情熱が私となって生きている
 だから最悪の罪人が聖なる光となり憎悪に満ちた愛の盲人が聖なる絶対無的愛の最高の器となる
 だから別れを告げ消滅した世界は新しい祈りとなって戻って来る
 クリシュナの微笑をたたえた瞳に新しい祈りが戯れる

 彼に彼の生命を与えたまえ 彼女に彼女の生命を与えたまえ
 子供に子供の生命を与えたまえ 老人に老人の生命を与えたまえ
 生者に生者の生命を与えたまえ 死者に死者の生命を与えたまえ
 蟻に蟻の生命を与えたまえ 蝶に蝶の生命を与えたまえ
 殺人強盗犯に殺人強盗犯の生命を与えたまえ
 仏陀に仏陀の生命を与えたまえ キリストにキリストの生命を与えたまえ
 犬猫に犬猫の生命を与えたまえ ウジ虫にウジ虫の生命を与えたまえ
 この文字にこの文字の生命を与えたまえ クリシュナにクリシュナの生命を与えたまえ
 雑貨屋のおばさんに雑貨屋のおばさんの生命を与えたまえ クリシュナの微笑にクリシュナの微笑の生命を与えたまえ
 私に私の生命を与えたまえ 宇宙に宇宙の生命を与えたまえ

 生命に生命の生命を与えたまえ
396神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 14:28:41 ID:2MNb7SCA
プロセスもテクニックなぞもないことを体現しているあらゆるあなた達に捧げる

――恐らくは現代最高最大の救世主であるJ・クリシュナムルティーの教えが、
正しく聞き入れられるならば、この書を世に出す必要はないであろうに・・・・・・・・・

そこに問題があるならばどうして問題そのものを見極めようとしないのか。

――不安、不満、虚しさ、恐怖、憎悪、嫉妬などを、完全に見守ることが、
「ニルヴァーナ」すなわち
「絶対幸福」の出発点なのである。
397神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 15:23:31 ID:R/gVmFKa
「この地に出て来たというのは、愛の中にいるのに退屈したからなのかな」
『うん、そうじゃなくて、愛というものを表現したかったの』
「そういう意志があったわけ」
『うん、意志があるよ。愛には、はっきりした意志が。
例えば一人の人が、どんなことをやったって自由だという悟りを得たとしたらさ、
本当にその悟りが真実のものだったらさ、きっとその人は自分にふさわしいことしかしないよ。
なぜならさ、人間はそんなふうにいろんなことができるようにはできてないからさ。
例えばさ、高い所に何かあったら、きっと一番身長の高い人に頼むでしょ。
この中で一番高いのはたぶん俺だからさ、俺が頼まれ役できっと取るよ。違う?
それで物語じゃない?背の低い人がいちいち取るとどうなの?人にはそれぞれ与えられた役割があるんだ。
その役割というのがさ、完全にぴったり一つになるわけ、愛の流れと。その時に人間は完璧に自由なんだ。
何やってもいいというのはそういうことなんだ。
だから何やってもいいというのは、ものすごく誤解されやすい言葉であってね。
何やってもいいというのは、自分にふさわしいことをおのずから、ひとりでにやってる状態のことを言うんだ。じゃあ次』
398神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 10:17:16 ID:rn6oImLq
冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。

であって、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。

それは宗教でさえないから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。

そうすれば、いろんなそれらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。

だから冥想から宗教家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。

冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。

ただ冥想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるということを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。

ただその限りにあるだけなんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。

それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。

霊の世界と言っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。

早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。

そういうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。だから冥想の何々、という風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。
399神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 10:18:15 ID:rn6oImLq
 覚者というイタヅラ者が、世に出てきては、世の人々を惑わするかな。
 惑わされなかったら、惑いつづけるばかりだ。
 神も消え果てた。もう誰一人、神を知らない。神が神をしている時には・・・
 二万五千年サイクルにわたる、アメンティー・タントリズムの全使命も、
 今、ここに、完結する。

 三神歌−−−

 われもなくうつし世もなくなにもかも 夢のなかなる夢のたわむれ
 われもなくうつし世もなくなにもかも 神の中なる神のあらわれ
 われもなくうつし世もなくなにもかも なにもかもなしなにもかもなし

 君が今、どのような状態でいようと、この今を愛は、考えられないくらい愛している。

 もし、あなたが、どんなものにも納得を見出せないということが確実になったならば、
 私のもとに本当に素直に帰ってきて下さい。

 あなたに真実の出会いが 
       起こりますように
                  おかえり
 
   神とは絶対の未知自身だ。神・すべてのすべて。
  そういうわけで、神などと言っているうちは、ぜんぜん楽しくないのである。

 いずれにせよ、この書は、プロローグである。
 あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。
 
 この文明らしきものの週末後、神に目覚めた、水晶の魂を持ってあなたは、
 まったく新しい文明を産み出し得るだろうか?
400神も仏も名無しさん:2009/08/14(金) 12:46:07 ID:7I/HuASV
そしてもう一つ言えることは、ただし、瞑想というのは、一つの座ったりというような形だけではないということ。
ある人間が、本当に素直な生き方を通している時に、ぶつかった壁というのを、心をかたくなにしないで、素直にぶつかった時、
自分が本当に解放されるといったこと、それはもちろん瞑想だ。
例えば、俺の最初の恩師である、老子の生まれ変わりの人はさ、女房とのけんかがもとなんだ。
あの人はそれまで瞑想という一つの決められた行というものを全く信じない人だった。
奥さんというのがものすごく勝気な人で、インテリで、二人していつもけんかばかりしていたんだ。
毎日考えるわけ。女房も悪いところがある。俺も、悪いところがある。何としてもこういう生活を改めなくちゃならない。
そして、それを毎日のように考えて、またけんかをするんだ。そして女房も悪い。
しかし、自分の中にも悪いところがあるとまた考えるわけなんだ。ところが、ある日ふと思ったんだ。
女房の悪いところを指摘したって、それは自分の都合だし、
自分の悪いところを指摘したってそれに対して知的理解を得るだけで何も起こりはしない。その時思う。
ああ、こういうことをやってるよりは、今一番自分が素直にやりたいことをやろう。
そして机に向かってさ、原稿を書き出したの。それがなすべきことだったから。心ある道だったから。その人にとって。
そして、その瞬間、それまで、神というのはどこかよそにいると思ってた。
あるいは、そんなものは人間の観念の作り出した空想だと思っていた。それがそうじゃないことがわかった。
神しか本当には存在していないことがわかったんだ。神が様々な姿をとって、一つの道を、一つながりの愛を。
401神も仏も名無しさん:2009/08/14(金) 13:04:16 ID:7I/HuASV
うん、そして別の未来、別の過去の選択ということなんだけどけど、選択というのは、肉体人間の立場から書かれている。
本質的には選択するんじゃなくて、流れそのものになるんだ。流れそのものになったとき、肉体人間の側からみれば、
あたかも、自由に選択したように見える。で、絶対の自由というのは、絶対の不自由。
例えばね、絶対の自由というのはさ、チューリップはチューリップとして咲くこと。桜が桜として咲くこと。
ひまわりはひまわりとして咲くこと。桜が桜として咲くこと。
だからそれは、絶対の自由であり、同時に絶対の不自由。
ところが、頭で理解した自由というのは、そうじゃない。
桜のくせにチューリップになりたがったり、なれると信じ込んじゃう。そういうこと。でもそうじゃない。
一番自分にふさわしい流れというのが既にあるんだ。その流れに自分達が一致したとき、そして一致させるためには、
素直になることだ。一致したとき、ほんとうにその人は安らぎを得る。
そういうわけで、別の未来、別の過去というのは、あなたがあなたに忠実になったということ。
402神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 09:25:47 ID:N83Pnm5T
「ダイジ、最初の悟りを開いたのはいつ?」
『十七歳六月二十六日』
「最初の悟りを開いた後に、またどんどん広がってくるというか、深まってくるということがあるわけ?」
『うん、深まり方っていうのは全然別のところで起こるんだ』
「基本的にはそれで一応究極に行って・・・」
『うん。それは究極自体が俺を占領したんだ。それ以外の人生っていうのは全てさ、俺という一個の肉体を持った人間が味わう深さなんだ。その楽しみ方なんだ』
「例えば、釈迦の場合なんかね、最初悟りを開いて、それでもすぐ菩提樹の下から去らずにずっと瞑想してたというのは、あれはどういうこと?」
『そりゃあ味合ってたのさ。一つ一つを噛みしめてたのさ』
「ダイジの場合も?」
『うん。もちろん噛みしめてた。本当にその噛みしめ方っていうのが続いたのはね、やっぱりニ、三ヶ月続いた』
「はぁー」
『うん』
「何でももう、結局そのものになっちゃうとさ、後は一切の緊張とかさ、自制とか、そういうもの、全然必要なくてそれが逃げるということもないわけ?」
『うん。逃げるっていうことがないっていうよりも、逃げるっていう概念とか、緊張っていう概念とか、リラックスするっていう概念とか、
そういうもの自体っていうのが全然、もう意味をなさなくなる。 で、そこでものすごく難しいんだけど、人が何の基準もなしに、
突然何かの影響でもって悟りっていうものに近い、まぁ疑似悟りなんだけど、経験しちまうと、全く廃人同様になっちまう場合がある。
それはもう、完璧でもう何の問題もないからさ、何にもならないんだ。うん。それで飢えても何しても平気なんだ。そんなふうになっちまう。
ところが、そりゃあ本当の究極の悟りではない。何故なら、人間はこの世に生きてる限り、必ず実現したいと思う楽しみがあるんだ。
それが、よくほらヒマラヤなんかで、バグワンなんかがうんと否定してるとこだけど、
要するに悟りだけっていうふうにかぶれちゃうと・・・』
403神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 09:27:18 ID:N83Pnm5T
「あ、(笑)」
『うん。ところが奴さん、本当は内面は実現しなくちゃあなんないもの、一杯抱えてるんだけど、まだ気付いちゃあいない。
じゃあなきゃあ生まれてくる必要ねえじゃないか。最初から。最初から悟りなんだろ。
なんで、何のためにこの世に出て来る』
「何のために出て来るんですか?」
『もちろん!楽しむためだ。心の底から苦しむためだ』
「心の底から苦しむことと、心の底から楽しむってことっていうのは?」
『うん。全く同じことだね。それが同じだって分かったら、もう少なくとも人生の側の悟りっていうのは完全に体得してると言える』
「人生の側の悟りって?」
『うん。つまり人生の中の様々な出来事を生きて、それを乗り越えて行くっていう人間の生きざまの。人間に属する悟りっていうのはそれでもうOK』
「それは死って呼ばれるもの?」
『うん?』
「死ぬっていうこと。やっぱり」
『うん、それは死に近いけど死んではいない』
404神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 09:28:07 ID:N83Pnm5T
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
405神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 09:39:45 ID:N83Pnm5T
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
406神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 09:53:00 ID:Q7od5+/i
私はクリシュナ・マイク・ダイジ・ダン

私はクリシュナ 絶対なる愛と自由の子
 (個生命達はすべて子供だ 全体生命に育てられる子供達だ)
 
 初夏の日射しの中に野原を駆け牛や蝶や花々や草木と戯れる
 青空に飛び小鳥は私の側を飛び回り さらに高くそして広く私は天空に広がり
 あらゆる天体達と多元宇宙との想いを眺め語り会う
 そして大宇宙の久遠の眠りと尽きることのない波動とを自分の内に自分自身として感じる
 私はクリシュナ初夏の風の香り夕暮れのささやきの中に小麦色の娘達とヤムナーの流れに遊ぶ
 おおラーダァよ今夜ももうふけ果てたお前のもとに帰りお前の胸にやすらごう

 回転するストロボの荒水の中で私は踊る私は踊るクリシュナ
 神秘的な深さとにじみ出す官能性を放射して踊り狂うクリシュナ
 乙女達のため息男達のうるんだ瞳と笑顔
 開かれた宇宙を知らぬお前達にとって私は透明な悪魔だ
 はかり知れぬ魔的エネルギーがお前達の意識と肉体と魂とを奪う
 スポットライトをあびて壇上に立つ私は
 白いスーツを着こなしたマイク私の変幻自在力が
 大衆達に実用的知恵と安心と歓喜との方便を与えている
 私は殉教しないキリストであるマイク
 私は私のやり方で二十世紀の終りのキリストを生きる
 私はクリシュナであるキリストであるマイク
 私の妻達よそのやすらぎよ深き深き交流よ喜悦よ
 のどかな春のそよ風の中に家族そろってシバフの上に憩う
 私の娘がひくピアノの音が聞こえる 海が見える潮風が匂う
 コザの自動車達とネオンサインが夕暮れをつげる
 私のチェリーは軽快に走る軽やかな振動
 私のかたわらには時に妻 時に愛人 時に私のいとし子
407神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 09:56:24 ID:Q7od5+/i
 私の瞑想実修の仕事は大宇宙の御意のままに 完く新しい世界を産んだ
 ここではすべてがその所を得て調和している
 私はクリシュナであるマイクである如意第慈 瞑想三昧は 愛を越えた愛と
 自由を越えた自由の私の自己確認であり その完全が神が 私に私の天命を生かしめる
 瞑想を指導し神霊の絶対健康を顕現する日々
 私は如意第慈カトマンドゥの陽光の中に山々を眺め
 琉球のサンゴ礁に色とりどりの熱帯魚のダンスを見る
 水をわかちあおう生命の水を 決して渇くことのない生命の水を
 生命の水はすべてに満ち渡っている ただそれを私達はわかち合うだけ

 ヨロイをかぶった強くてか弱い戦闘者達その面前に私は歩み寄る
 私の全身全霊のオーラの輝きそれは限りなく恐ろしく限りなく柔和だ私の微笑があなたを溶かす
 水を分かち合おう決して渇くことのない生命の水を

 私の肉体は霊妙な筋力にみなぎっているしかし私に暴力はあり得ない
 霊妙身は神の愛と力と自由に属するものだから
 私はダン夜の享楽の町も夜明けの大自然の風光とまったく同じに私の中にある この私自身の懐かしい涙の中にある
 朝まだき窓は開け放たれ私は潮風の瞑想に入る永遠を生きる活力が溢れる
 そして私はペンを持ち永遠の歌を書きつづける
408神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 09:57:15 ID:Q7od5+/i
 恋人よ 友人達よ同胞達よマリファナとワインを持って海辺に出よう
 夜には無数の星々を眺めながら歌おう
 朝にはヨットで海に出よう時間はとろけて消えてしまった
 畑を横切る時私達は 農夫の黒光りした顔におはようとあいさつする
 あなたにはあなたの生きる場があり私には私の生きる場がある
 バングラやビアフラの餓死した少年達よ私は決して君達を忘れはしない
 十字架にかかって死んだあなたよゴルゴダのあの青い空とともに私は決してあなたを忘れはしない
 たとえ、イエスよ 君が誇大妄想狂だとしても 死ぬことを恐怖して解脱したシャカ君よ
 アル中やジャンキーのさびしさとともに私は決して君達を忘れはしない

 (精神病患者・麻薬中毒者・聖者、彼らは幼児病患者だが、幼児病患者であるのが、人間の素直な姿ではないか)
409神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 10:06:58 ID:Q7od5+/i
 神の柔和な微笑が私を通してすべてに流れゆくすべてをその本来の神の子達の姿として認める
 汝は神なり神の不可解な皮肉な微笑が私の口元から流れ出る
 私はあらゆる悪魔達の友人なのだ私の六大神通力は全智全能だが
 それは超能力などというつまらぬものではない
 私の神通力は神の愛なる通力
 私は信じているから山に向かって動けと言えば山を動かすことができるが
 私はそんなちっぽけなことをやりはしない
 むしろ私は山の中を歩き額の汗を楽しみ谷川の冷たい水に全身を喜ばせる
 私の守護神霊如意神仙・アトランティス大人・クリシュナ
 ありがとう
 私はどのようなドラマもないところで 私だけができる唯一のドラマを生きています
 私はクリシュナ・マイク・ダイジ・ダン
 パン屋がパン焼きの人生をまっとうするように 私は私の人生をまっとうする
 私は 時にクリシュナなるダイジ時に マイクなるダン
 私は無数の輪廻世界に喜悦し久遠の多元宇宙に出入しては 戯れと賛美とをくり返しくり返し生き続ける
 私は時に現象をも忘れ 大宇宙意識の眠りの中に時と空間とを滅尽してやすらぐ
 絶対を忘れた絶対なる無が昏々と眠る虚空もない大虚空から 今、あらゆる宇宙を創造する一つのイメージが出現する
 絶対無の私はクリシュナというイメージを生き続ける クリシュナという宇宙を遊戯する
410神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 10:09:07 ID:Q7od5+/i
 私がクリシュナ‐キリストだからといって私が特別に聖別された者であるのではない私は何ら特別なものではない
 ただ私は私のみのクリシュナという個性を生かされている
 あなたは あなた‐キリストであるからといって特別なものではなく
 もし この世の何かを特別だというなら すべてはそれ自身のかけがえなのないありかたで特別だ
 遥かな山頂に腰を降ろし私の褐色の肉体にふき出した汗を 山の大気が包む私の全身が清浄な大気に溶ける
 私はこの山頂にいて夕焼けの紅に顔をそめる 夜空には一面の星々朝もやの中に山道を下り行く
 山道に咲く花々蝶と虫達谷川のせせらぎ せせらぎの冷ややかな水の感触
 私は野原を駆ける森の樹々の間からのこもれ日
 小鳥のさえずり草の中へ倒れこむ私心臓の鼓動確かなリズム
 大地が私にささやく土の匂い私は私が誰であるかを忘れる
 強烈な太陽が私の肌を射す 潮の香りにまざって愛人の小麦色の肢体の匂い髪の匂い
 ラーダー お前の乳房が揺れる私は海水の塩味をなめる 波、くり返す波のうねり時間が消えている
 そして 私の肉体には終りが来るだろう 私の娘達、息子達、孫達の顔が見える
 のどかな春に私は私の天寿を尽くす 妻達のやさしい雰囲気が年老いた私を包む
 今、私は人の子の眼と神の眼とで同時に世界を見る
 さようなら私の家族達 さようなら私のすべての同胞達
 私の肉体は終るが 私はどこにも行きはしない
 オーム・クリシュナ・ダイジ オーム・マイク・ダン
 そして私は ここに・かしこに戯れる
411神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 14:19:38 ID:Q7od5+/i
神秘学とか、霊的何とか、っていうのは全部ままごとさ。
この世界に於いても同じだよ。又、究極的世界の於いても同じだよ。
映画を見たり、何か気をまぎらわしたりするのとどこが違う。

人は、いろいろな刺激によって生きている。外部からの刺激によって。
自分の中から起こったことさえ外部からのものだ。
そして、それによって生きている。それを拠り処にしているんだ。

平常のそのままでいいんだ。いいんだよ!平常の、そのまま、で。

どうして何かになろう、なんて考える。そんなものマスコミにのせられているだけだ。
一人一人が又とない生命(いのち)だ。平常そのままでいいんだ。とても恐ろしい。
何故なら、人は、いつでも自分が空虚だ、と意識し--------------あるいは意識しなくても-------------感じている。

平常のそのままでいいんだ。でも、それはとても恐ろしいすごく、すごく恐ろしいことだ。
平常のそのままでいいんだ。自分の思うようにしたらいい。
決してためらわずに。これは、決して、助平根性があったら出来ることじゃないんだ。
つまり、何かがうまくいくとか、何か先行きうまくいく、とか、そういうことを考えていたら、自分の本当に好きなようには出来ないんだ。
もし、そういうものがあるとしたら、それは、自分の本当に好きなようにしているのではなく、自分の妄想が好きだ、と考えている事をやっているにすぎない。
つまり、観念のゲームさ。君の本当に好きなようにするという事は
これ又、恐ろしい。
とても、とても恐ろしい。
自分の本当に好きな事をするっていう事が−−−間違えないで欲しい−−−−たった一人、
自分のすきなようにした人間だけが、友情とか、親子の愛情とか、恋愛とか、仕事とか、
−−−それら全てを、一番、本来の姿でやる事ができる。ちょうど、降ってきた雨のように。

雨が降る。鳥が飛ぶ。自動車が走る。本当に好きな事をする。
412神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 14:25:27 ID:Q7od5+/i
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。

うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか−−−−−
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
413神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 14:35:59 ID:Q7od5+/i
わたしは行くだけです

私は行くだけです 帰るところはありません
私はするだけです 得るものはありません
大河はひとつの方向にながれているのです
とどまることも 逆流することもありません
流れは固まって一つになることも ばらばらになって ぶつかり合うこともありません
あなたと私は愛し合うことも憎み合うこともありません
河は人間の生まれる以前 いや天地の生まれる以前から 流れ続けているのです
そして あらゆるものとなって流れているこの流れが 失望し切った私には 何と親しく感じられることでしょう
私を無視し去ったある師も 私と同じように流れているのです
私は死の思惑など 見る必要はなかったのです
今  私は夕焼けを見ています
414神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 14:54:48 ID:Q7od5+/i
 帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
 あの娘は、睡眠薬を飲んで ガス管をくわえて死んだ
 キリストは十字架の上で その激しい苦痛にうめき
 ブッダ・ゴータマの最後には 弟子達や小鳥や牛達が 集まり来て涙を流した
 帰る家がないからといって 家を求めてさ迷うには及ばない
 不安におののく人の心も 吹雪の夜にただ一人 孤独に死んだ旅人も 人力の如何ともし難いところだ
 空気がなければ どのような偉大な人間も 生きられはしない そしてまた空気を作ることはできぬ
 死は私に何を語ろうとするのか どのような宮殿も 暖かいマイホームも
 死の闇の中に その仮の宿であることを顕す
 私達は仮の宿から仮の宿へと
 点々と変転しつつ生命をつなぎ 死ぬものなる私達には
 どのような安住の家も与えられはしない 安住の家がないからといって 悲しむにはあたらない
 竹富島に首をつって自殺した彼 それは真夜中の便所の中だった
 死んでもうどこにもいない彼は 一体私に何を語るか
 何も語りはしないし 私も又何も聞くことはない
 私も又どのようにしてか死に 何を語り何を聞き何を想ったとて 一瞬も生きのびるわけのものでもない
415神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 14:56:17 ID:Q7od5+/i
 キリストはキリストの生命をしか 生きることはできなかった
 彼女は彼女の生命をしか 生きることはできなかった
 立派な社会への貢献者よ あなたはあなたのように生き
 男との生活に疲れて死んでいった あの娘には あの娘の生命以外には与えられていない 
 彼女に帰る家がなかったことを どうしてか悲しまないではいられない
 キリストに帰る家がなかったことを 私は悲しまずにはいられない
 どのような聖なる使命さえ どのようにそれを聖なるものと 思いこんでいても
 それは決して帰る家として 常に変わらずありはしない
 アル中患者の悲惨な日々が 初夏の太陽の下にあり
 流行歌手の華やかな人気生活が 初夏の太陽の下にある
 初夏の太陽が 不思議に輝き デイゴの真紅の花が 開き始める
 かつての原初の海にも コールタールが漂い
 離島のエメラルドの海中に 若者達は潜水する
 青い青い熱帯魚が サンゴの間に踊り 私達は異郷の客であることを忘れる
 帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
 あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
 私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
 太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
 太陽はあなたに 命を与えまた奪う
 私は苦痛を見る時もあり 死の闇に怖れおののくこともあり
 人を呪い自己を呪うこともある
 それは私に 帰る家がないと 嘆かせはするが
 帰る家がないなどということを 嘆くには及ばない
 帰る家がないところに 嘆く私もなく
 時間も 空間も この現象世界一切が ないという必要もなく ないのだ
 どうしても 私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
 私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
 帰る家などを問題にするのはやめよう
 何もないところで 私はわが家に安坐している
416神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 15:32:55 ID:Q7od5+/i
幾度も幾度も繰り返される夢 夢見続けるブラフマン
無数の意識の流れ 輪廻し 上昇しあるいは再び下降し そして帰り着こうとする流れ
眠り続けるブラフマン 一人の人間の中にある無限の宇宙 あらゆる生類達の多様多元の宇宙
一人の人間の中に接弦する多元宇宙 夢見続ける宇宙

久遠の時の中の遠い遠い夢 うつし世の胸高鳴る甘美な悦び そして苦しみ 深い深い嘆き
夢見続けるブラフマン 目覚めることのない久遠の夢 すべてを秘めて眠るアガシャの夢の海

全知全能を内包した一つぶの砂 アガシャの想念の海を泳ぐ無数の生命達
あらゆる想念を具現しまた破壊する ブラフマンの化身シヴァ 破壊と殺戮の神シヴァ そして私自身なるシヴァ
私の手は無限の宇宙を握りつぶし 私の足は永遠の歴史を踏み倒す

シヴァなる私は踊り狂う 眠り続けるブラフマンに気使うことなく 夢の宇宙に私は踊る
モンゴルの平原にさまよう旅人も わたしの酒くさい一息が 全身に吹きかかれば思い出す
あなたはブラフマンの夢 あなたはシヴァの化身
時にはあなたはブラフマンそのもの そしてあなたは私自身
417神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 15:37:05 ID:Q7od5+/i


ダン「完全はね、
   君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
   完全なんて言葉は言う必要がない。
   本当に納得した、
   本当にすてきな、
   本当におおらかな、
   本当に深いこまやかな人生。
   君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。

   『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。
   釈迦の教えが深遠なんじゃない。
   キリストの教えが深遠なんじゃない。
   ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
   そうじゃない。
   君たちが、深遠なんだ。
   君達の中が深遠そのものなんだ。
   それ以外に完全はない。  いい?」
418神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 15:43:41 ID:6t4M44Ec
> 遥かな山頂に腰を降ろし私の褐色の肉体にふき出した汗を 山の大気が包む私の全身が清浄な大気に溶ける
 私はこの山頂にいて夕焼けの紅に顔をそめる 夜空には一面の星々朝もやの中に山道を下り行く
 山道に咲く花々蝶と虫達谷川のせせらぎ せせらぎの冷ややかな水の感触
 私は野原を駆ける森の樹々の間からのこもれ日
 小鳥のさえずり草の中へ倒れこむ私心臓の鼓動確かなリズム
 大地が私にささやく土の匂い私は私が誰であるかを忘れる

ここのフレーズはいいね。
愛だのなんだのはおなかいっぱい
419神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 16:15:54 ID:Q7od5+/i
 「この世に失明やつんぼの苦しみがあり、病や肉体的苦痛があるということは、五官からなるこの物質世界が、
無明の世界・迷いの世界であることを示している。
  すべての肉体は老化し、死滅するということは、この肉体世界が、実在していないことを証している。
  この変転きわまりない不確かな物質的なこの世に不満も疑いも持たない人々にとって瞑想は不必要である。
  この世の不如意と不条理に嘆き、この世の中により素晴らしい不動の生活を実現しようと思うか、
この世を越えたそれ以上の世界を切望する人々にのみ瞑想は、無限の力を発揮するのである」
420神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:01:08 ID:PvEDfNIp
この宇宙やかの宇宙の、いかなるものにも、もはや、愛着も憎悪も抱かぬ時、
 絶対愛の流れとなってそれは開示される。

 悟りと迷いとは同じだけ真実だ。それゆえに私達は悟りの方法だけを問題にすればいい。

 真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである

 神聖なる書物は、すべて ニルヴァーナが、神ロゴスと顕われたものを、
 仮に言語化したものにすぎない。それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
 聖なる進化をうながすための刺激を与えるためのものである。

 ニルヴァーナとは、あらゆるものの終極のことだけではない。それは、
 あらゆる生命達の久遠の始まりである。この時でない時に、あらゆる宇宙生命体達が、
 あらゆる多様多元のリアリティー達が、終わりながら始まっている。

 何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。

 ニルヴァーナはマーヤだ、否! ニルヴァーナはニルヴァーナだ、否!
 ただただニルヴァーナ、否!! ニルヴァーナ、否!!!!

 プロセスもテクニックなぞも ないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる

 この限りない空間−−   この限りない時間−−
 私は私だったんだ すべてはすべてだったんだ さあ、お前、何が言いたい
 ある人がこう言った  「わからん」    −−何という美しい言葉
421神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:11:25 ID:PvEDfNIp
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ・・・・・・

「全ては神秘だ さよなら 私のあらゆる顔よ」
422神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:20:25 ID:PvEDfNIp
女への執着を断ち自由を得ようと 私を色情修行などというものに駆りたてたものは何だったのだろうか
そのあげく 一人の都会へさ迷いだした女にどうしようもなく恋着し
その女の中に見えた純情に天上の愛の結び着きを夢見ようとさせたそのものは一体何だったのだろうか
おまけにその女に出来た子供が私自身の子であるとまったく疑わなかったのだが
女の純潔は私の虫のよさかあるいは女自身のさびしさによって破壊され裏切られていた
所詮その女は無数の精液と堕胎とさびしさの谷間にさ迷い続ける以外にない女だったのか
それともその女はただ女そのものであっただけなのだろうか
いや人間そのものであっただけなのだろうか
この道化た悪夢はそして一体何なのだろうか
私は現実という不安の中で思う私も又さびしくてさびしくてしようがなかったのだ
現実そのものの闇が恐ろしくてしようがなかったのだ
母親の豊かな胸のように私だけの安心できるものを私は必死に求め続けていたのだ
それが私に様々な道化を演じさせそしてそのあげくの果て私は再び同じ場所にいるに過ぎない
私はすがりつきたい何かすがりつくものが私は欲しい
だが現実はそ知らぬ顔をしている
死の苦痛と闇とがすぐそばを漂っているように感じられる
現実のそ知らぬ顔は私には真っ暗闇そのものに思えるのだが
現実はそれさえもそ知らぬ顔で果てしなく広がっている
423神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:29:31 ID:PvEDfNIp
わがあだ名はダン

 ダンは同族を裁く イスラエルの他の部族のように
 ダンは道端の蛇 小道のかげの蝮となり
 馬の踵にかみつけば 乗り手はどっと落馬する
 (ヤハウェよ、私は救いを待つ)

 旧約聖書創世記より

ナーガ賛歌
ナーガ かつてイブをそそのかして 知恵の木の実を食べさせた蛇
ナーガ 今この瞬簡に再来し 現し世の原動因 魔的エネルギーを その体内に深く豊かにひそめ
転生のアダム達に 生命の樹の実 迷悟去来の知恵を食べさせる

生命の樹にちかづくことを禁じた 妬みの神エホヴァ
吾が蛇神ナーガよ 悪魔に化身し 人間だけの神エホヴァを殺せ
そしてアダムに 人間を越えた 久遠生命の密儀を開示せよ

人間性という虚妄から幻出した神エホヴァ お前は今 ナーガにかまれて死滅し
人間性を離脱した久遠のアダムは ナーガのその恐ろしき蛇体と溶け合い 限りない光となる

ナーガ 観世音菩薩の妙変化よ ナーガ エホヴァの兄弟なるサタン ナーガ エホヴァをかみ殺す蛇
ナーガ 玄妙神秘の蛇神ナーガ 有から無へ寂滅せんとする情熱ナーガ すべてを飲みこむ神
ナーガ アダム自身よ
424神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:30:37 ID:PvEDfNIp
汝蛇神ナーガよ
人間が人間自身の宇宙を見限る時 その虚空のうちに 闇の情熱と言詮不及の光を顕すものよ

ナーガよ その麗しき白光の蛇体よ 私はあなたを恐れはしない
虚無を消散する空寂を与える汝 恐怖を恐怖自身によって粉砕し 時間のない恍惚を与える汝
私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝 ナーガよ 私自身よ

ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ
ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠の解けぬ逆説
ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ

人間である私は どのくらい悲しめばよいというのか すべてが夢にすぎないことを
ナーガよ あなたである私は 限りなく限りなく歓喜する すべてが夢にすぎないことを
ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた窮極実在

ナーガは私を時空を越えた狂気に導く 邪神よ 邪なるものよ 悪魔よ
ナーガ 無限自由の目くるめく魅惑 ナーガ 全智全能なる魔王
ナーガ 全智全能なる神 ナーガ アダムを苦海に落とした竜神
ナーガ 喜怒哀楽の私自身 ナーガ 全智全能なる私自身よ

ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・

あらゆるものを知りたいという欲望が完璧になり
あらゆるものを後にする用意が出来た時に また戻って来い
425神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:43:06 ID:PvEDfNIp
戯れに冥想を  著・雨宮第慈  プロローグ

この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。
「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを 神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。
「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。

このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。

バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン−−−−−−それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。 魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。

まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。

人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。

『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』
426神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:44:46 ID:PvEDfNIp
『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』

『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
427神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 18:47:26 ID:PvEDfNIp
エピローグ

 この本は、
 今や死のうとしている君と
 今や死んでいる私との
 果てしない果てしない果てしない戯れである。

 そして君は冥想を決して止めてはならないし、
 君が冥想を止めることはできないのだ。

 この本は、私という存在もしない夢幻
 が雲をつかむようなあなたに、
 法悦の酔いのなかで書かれた。
 「カキクドキ」の文句の集まりである。

 あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
 だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
 私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
 そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!

-----それが冥想である
-----これが冥想の戯れである。

ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んで下さい。
428神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 11:09:56 ID:TeQ0mFRW
なんかある?

「どうしたら、自由になれるの?」
自由になる方法はひとつだけある。たった一つだけ。それはね。今、自由になることだ。
「どうしたら、殻がとれるの?」
君が、殻がとれるっていうような余計なことを、考えなくなる時、
殻はとれるものでもないし、存在するものでもないのさ。
君を阻んでいるものは何一つないんだ。
だから、君を阻んでいるどんなものも無いって思う限り。
せいぜい君を束縛するものと付き合えばいい。
それもちょっと付き合うなんていうさ、何かその、こころのこりの付き合い方しないでほしい。
ほんとに付き合ってくれ。
君の限界や、君の束縛や、君の不条理や、君の不如意と。
そしたら、そういったものがさ、きみが描いている夢にすぎないことが分かる。

さあ、今でいいんだよ、いま、うん、いま自由でいいんだ。
そしてその自由の中をね、さらに自由を求めて生きていくっていうのが人間の戯れなの、この宇宙の戯れなんだ。
そんなカタイこと言うなよ。
今、自由なんだ。自由だからこそ君は精一杯生きることが出来るんだ。

「それは愛なの?自由ってのは?」
愛は自由。愛は愛でもないし、自由は自由でもない。
でも、言葉にしたらそうとしか言えない。
429神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 11:16:53 ID:TeQ0mFRW
愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。

それは、同時にあるんだよ。

それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。

さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。


人間が 人間のものではない人間性を自覚する途上において 言葉は無効だなどと 
今さらとやかく言うにはおよばぬ 人類すべてが すでに求道者としてしかありえぬ 時節に入って久しい 
ことばとは実体験とは別のものだと 言いたい人は言えばいいし そのように生きたらいい

この現在の 様々な姿をとった求道者達にとっては 言葉は一輪の野の花であり
瞑想体験の一つともなる どんなことも結局は あなた次第なのだから
430神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 11:17:36 ID:TeQ0mFRW
言葉の中には瞑想はないだろう しかし瞑想の中には 言葉もある

今・ここで 言葉は神になった

絶対無の戯れ    ――瞑想は言葉となった  言葉は瞑想となった

私が地獄なのだ それにマチガイない。 宇宙が地獄なのだ それに間ちがいない。

私は宇宙の トラワレビトで 頼るものなぞ 何一つとしてない。

きみは君自身をおそれてはならない

つぼみへと成熟する時 君は不可思議な喜びに包まれている。
つぼみが破裂して花開く時、君は 君を失う言語を絶した恐怖と法悦にいるだろう。
やがて、君自身という花が散る時が来る 透明なやすらぎが すべてに満ち渡っている
そして 何もかもが忘越された刹那 たった一つの果実が結ばれていた
君は 君ということのない 君自身だったのだ。

あなたは、満足を求めているのではない。 
絶対の満足そのものの中に、消え果たいのだ。
だが、それは、あなたには断じて出来ないことになっている。

とらわれる必要ないんだ みんな 一繋がりなんだから。
431神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 11:49:11 ID:TeQ0mFRW
純粋瞑想には、初めも終りもない。
純粋瞑想は人間が把握できるいかなる属性も持っていない。
そして、純粋瞑想のみが、全面的平和と全面的幸福の何たるかを人類に、明示できえるのである。

あたりまえに考えると、この人類は奇妙な文明と称する何ものかを生きている。
生とは何か? 死とは何か? 私とは何か? 存在とは何か? 真の幸福とは何か?

これらは、それぞれに分割できぬ全体をなしているのだが、人類史上ごく少数の人々を除いて、これらが解明され実現されたことはなかった。
この余りにも、当たり前な前提を抜きにして、人類は、便利さ快適さ、快楽・幸福を追求して、
文明と称する何かを作り出している。
そして、今や、人類全体をたやすく滅亡させることのできる巨大兵器を持て遊んでいる。
余りにも、あたりまえな基本抜きでは、単なる欲望の複雑化は、自滅に至って終わるだけだというのに。
こころみに問う。
欲望とは何か? 人間とは何か?
これは哲学的あるいは宗教的あるいは、どのような一定の立場の命題にもなり得ない。

すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための 瞑想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ

本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、あなたは問うことをやめてはいけない。
少なくとも問いも答えも、あなたも世界も、消え果るまでは・・・

君は、心を捨て、身を捨て、魂を捨てて、ただただ一つの真実を発見せねばならない。 なぜと問うなかれ。

この世とあの世の喜びのすべては、絶対無から、かぼそくチョロチョロ流れ出てくる、小川のせせらぎにすぎない。

ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
これを知れば、君は君自身が久遠の人間であり、君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。

すべてがオーケーだと考えたら、すでに手遅れだ。あなたは、もう、ほとんど救われようがない。
432神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 11:51:25 ID:TeQ0mFRW
「一つの教えは、その時のその人に応じてしかありえない。

 どのような神秘不可思議な教えも、結局、愛と自由との確認につきるんだ。
君が秘密結社のようなものを作って、支配欲という不安にかられた時は思い出してほしい。
君が一番身近な愛をどんなにか忘れてしまったかを。
 君はもともと愛の救世主としてこの世に生きている。
他のすべてのものも同様だ。
 そして、愛と自由は、君の思い込んでいる人間性の中にはない。
 君が救世主であるということは、君の永遠の自己訓練としてのみあり得る。
 あるがままのすべては救世主だが、あるがままである自己訓練ほど、
 君にとって恐ろしいものはない。それは、君のすべてを必要とするからだ。
 君は君のすべてを解放することによってのみ永遠の自己訓練
 つまり久遠の戯れを戯れることができる。
 死ぬことは、最も恐ろしいことだ。でも君、死になさい。」

 そして、もう一度思い出そう。「救世主入門」の一番最後の章句を。
 これは君だけに語りかけている。
 「完全」は君以外の誰に代わってもらうこともできないのだから。

 「この本に書かれていることほど無責任なことはない
  この本に書かれていることを信じない方がいい
  書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」

水晶のように透明に、あるがままも素直さで、何かに直面することによっても、神は開示される。
直面するものはなんでもいいのだ。
433神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 15:20:08 ID:+cQFks2m
臨済禅師は、もし、もっと長く生きたならば、老子のありように近くなっただろう。が、
臨済君は臨済君だ。彼は完全な自由を生きた。
老子は老子だ。彼は生き切り、生ききらず、死に切り、死にきらない、
絶対即相対の完璧な体得者であり、余りにもあたりまえなただの人。
そこで超人普化はというと、
ここで、狂僧か何か知らないが、狂僧普化は、カンオケの中で死んだというわけだ・・・

普化おまえのことだ!すべてこことだ!地水火風空無霊有のことだ!

あなた自身の夢・・・・あなたのいない夢・・・・
カオス・不如意・不安恐怖・あらゆるエクスタシー・幸福・不幸・快楽・苦痛
あなたもわたしもない。
何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ・・・・
至高無比の絶対満足のその中に、いいえ、それ自身の夢が戯れているのよ・・・・・・・
見よ! 是れは夢か絶対者か? それとは何か?? 是れ何者ぞ!?

おまえ自身の あらゆるお前自身の気狂い遊戯。
「よくも、あきないもんだ・・・。」
434神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 22:40:46 ID:8z7Qncyj
>433
これは初めて目にする文章ですね。
435神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 18:14:36 ID:+7DyxN1A
ただ、一人の例外もなく、私たちの心と名付けられているものの、内部には、何かわからぬが、
全身全霊で求めている「何ものか」がある。
その「何ものか」は、人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・
遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感をも超えている「何かなのだ」
――もっとも、これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。
絶対不動の光でない光―― 万物万象と一体となっている状態―― 生も死もない慈愛・至福――
もはや、今は、これ以上は語れない。
愛情さえも、本当に深い深い信頼さえも、一場の茶番になってしまうような――
「何ものか」だ。

悟り・見性・見神・神人合一・・・何と名づけてもいいが、
それは至福でも、幸福でも、陶酔でも、エクスタシーでもない。そんなものはそんなものなのである。
436神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 18:29:10 ID:+7DyxN1A
見性においては、あなたは、限りない「何ものか」が、あなたと一体不二であったことを体験する。
それは根源的な納得・充実・自由・歓喜・安心・生命力の爆弾と称せられるものだろう。

私は絶対無の光明とあらゆる多様多元の宇宙が、何もかもが私だったことを生きていたことを知った。
・・・そして、それも忘れ果てることだろう。

君はかくありたいというイメージ、あるいは様々なイメージや、主観的イメージでないビジョンさえも、
さらには見性さえも、答えにはなり得ないことに気付く時がくるだろう。

だが、この絶対不可思議な、限りない「夢」と「真実」、この生々化々千変万化この者を、
実現することは唯一絶対の不可能だ。−−−−君にとっては。

誠実であるのがいい。それは平穏無事の安心を与えてくれる。
437神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 18:36:39 ID:+7DyxN1A
素直さと冒険心・根源的情熱は、あなたに自身を与えてくれるだろう。
そして、あなたは神秘にして不可知な、あらゆる宇宙を旅し続け、味わい続けることだろう。

修練によって、どのようなイメージにも君がひっからなくなったら、客観性を持ったビジョンが、
向こうからやて来るだろう。
ヴィジョンを自由に生きられるようになったならば、君はアストラル界をものにしたというわけだ。
アストラル体は、この物質世界に実質的有効性を持っている。

438神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 18:40:39 ID:+7DyxN1A
三神歌―――

われもなく現し世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなく現し世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなく現し世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし・・・・
439神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 09:16:13 ID:h/VmtcOq
ただそれだけのこと

私は冒険なぞ求めてはいない 血わき肉踊るディオニソスも 一刹那にすぎない

みんなみんな同じであると 知ってしまったからには・・・ この上なにを求めようというのか

今は初夏の香りの中で 野の草花とともに うたたねしたいだけ・・・ ただそれだけのこと
440神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 09:36:06 ID:h/VmtcOq
私はとこしえに楽しく生きたい!
天馬・空を行き 行くところ可ならざるはなしという 人生の達人だからとて
本当にわかるものなど何一つなかろうよ

死の悟りを開き 神と霊のカラクリを つぶさに体験したからといって
実際のところなにがわかったと言うのだろう

光明以上の光明 至悦以上の至悦 わかることのわからないことの彼方の
サマディーを体験したからとて それが何だというのだ

庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・ 時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・

やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか

草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・ 

私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。
441神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 09:49:33 ID:h/VmtcOq
永遠の旅に出る

あらゆるものが そのままで 絶対なのだ。

だから あらゆるものは 夢としては相対し愛し合っている。

一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘う。

バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。

もっとも弱きものは神となってこの地をつぐ。

複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。

とうとう私は神になった。

あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。

さあすべてが終わった。 私達は今永遠の旅に出る。
442神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 13:53:06 ID:j199yALc


月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している


443神も仏も名無しさん:2009/08/28(金) 15:46:40 ID:7eJtt8Dh



あらゆるものを知りたいという欲望が完璧になり、あらゆるものを後にする用意ができた時に、また戻って来い。

444神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 11:27:05 ID:LonNGPhi
危険とか障害とかは エゴのみにとってのものである
それゆえ現代においては 真実の瞑想は反自然的行為に見られる

君が慈愛を感じたり 君が何かを愛したりすることはない
君がすでに死んでいるのなら 慈愛のみが満ち渡っている 愛のみが満ち渡っている

何ものも救うことはできないし 救う必要もない このことを頭によらず理解したら
君は正真正銘の救世主であり 救うというマインドなしに すべてを救うように生きている

死を恐れる必要はない 死はひとつの解放されたリアリティーの中で始まる
死がわかる度合いが生を愛する度合いなのだ

生には究極的には緊張はない しかし 生を生と呼ぶ限り 緊張の波が 一つの断片なのである

断片の集合は、全体者ではない それ以前に 断片の集合によって何を意味しているか知らねばならない 。
445神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 11:28:20 ID:LonNGPhi
神には一つの策略がある 人間が、目覚めんために それは、千変万化する、
あなたは、あなた自身のライフスタイルを発見せねばならない

便利さ快適さは、決して幸福を産まない。能力や技術、決して真実を明らかにしない。
真実に到達するためのいかなる修行も、あり得ない。
だが、真実の中には、方法も修行も、能力や技術も、幸福も便利さも快適さも含まれている。

アトランテス文明は、少数の生き残った覚者達の手によって、神を実現する方法、アメンティータントリズムを、
エメラルドタブレットとして遺産とした。
だが、この現代文明には、遺産とすべき果実がない。
神を実現した人々は余りに少数であり それは 今だ一度も、文明化されなかった。

私達は、熱核戦争の下で 少数の後世の人類のために、アメジストタブレットを、残さねばならなくなるだろうか。
ちなみに、アメジストとは、西暦二千年前後から本格的に影響を発揮し始める、アクエリーアスの時代精神のシンボルである。

いずれにせよ、この書は、プロローグである。あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。

この文明らしきものの終末後、神に目覚めた、水晶の魂を持って あなたは、まったく新しい文明を、産みだし得るだろうか?
446神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 11:43:37 ID:LonNGPhi
すべてに対する全面信頼、それが瞑想の出発点であり帰着点である。

例えば、只管打坐とは、信・不信を超えた全面信頼にただ坐っているだけのことだ。

ダンテスのメシアンタブレットに相当するものとして、現時点までには、次のような書物がある。
道元による「普歓坐禅儀」・「正法眼蔵」・「ヨーガ・スートラ」・「シヴァ・サンヒーター」などシャカによる「大安般意守経」
バグワン・シュリ・ラジニーシによる「瞑想―祝祭の芸術」百丈禅師による「坐禅儀」
呂祖師による「太乙金華宗旨」・「慧命経」天台大師による「天台止観」
J・クリシュナムーティーによる「自己変革の方法」クリシュナによる「バカヴァット・ギター」
「老子道徳経」
ダンテスによる「メシアン・ハンドブック」
その他、もろもろのものがあるが、いずれにせよ、禅なら禅、ヨーガならヨーガ、
一つの道を極めるのがベスト・ウェイだ。
447神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 12:15:03 ID:LonNGPhi
神聖なる書物は、すべてニルヴァーナガが、神ロゴスと顕れたものを、仮に言語化したものにすぎない。
それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
聖なる進化をうながすための 進化を与えるためのものである。

一つの植物が発芽し そして花が開き種子となるように 地球にも人間にも花開く時がある。
一輪の野の花が、現代文明の実用的観点からは黙殺されるように、
花開いた人間、すなわち覚者も、実用性の上からは何の意味も持たない。
この無用性こそ実用性の基本であることに目覚めぬ限り、現代商工業都市文明は、花開くことなく西暦二千年前後に崩壊するであろう。
一輪の野の花が、他者の何者に対しても自分から影響力を行使しないように、
覚者は決して無理強いしない。

文明終末期の人間達は
1、何が善で何が悪なのか判断できないほどに成熟する。
2、次に深い深い内面の旅によって、まったく新しい善悪の判断を体得する。
3、そして正しい善悪の判断、正しい善悪の相補性を身につけながらも、善悪を超越する。
4、無価値の価値が体得された人類には、まったく、新しい、初めての文明が始まる。

あなたが、エデンの園から追放されたのは、神の意志であるが、東洋的重農文明を選ばずに、
西洋工業都市文明を選んだのは、あなたの意志である。
それと同様に、管理下と堕落を選ぶか、霊的進化を選ぶかは、神の意志ではなく、あなたがたひとりひとりの意志と努力にかかっている。

それが、どのような形象であろうと、形象を持っている事が地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。

完全な絶望は、一つのあるがままの状態を産む。そして、現代人の大多数にとって完全な絶望は不可能だ。
完全な絶望は、本当の幸福・愛情・信頼からしか起こらないのだから。

死の直前にも、絶対者の開示は起こりえる、ただし、意識・知覚が、充分に澄み渡っている場合には。
絶対者の開示は、一瞬にして、有限なる人間性を超えた 久遠の生命の源泉を、あなたに、ふりそそぐ。
448神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 12:45:54 ID:LonNGPhi
神は左回りに絶対無へ帰ってゆく、そして、右回りに、あらゆる万象を流出する。
それが、この現象界の卍のビジョンの意味だ。
それは、この次元の、あらゆる現象に適応できる一つのモデルである。
但し、あくまでも、アジナーチャクラにおける 一ビジョンにすぎない。

夢想することもできないだろうが、君自身は、すべてと、すべてのすべてを知り尽くしている。
けれども、それも又、どうということはない。

人は、完璧に、地上にいて地上にいないのがいい。
地上の欲望による堂々巡りのトリックを実感する度合いに応じて、
君は君自身を思い出し始める。

この世の出来事は、それが、どのように長い時間に思えても、一刹那にすぎない。
あの世の出来事についても同じである。

霊界の中心太陽とは、創造の光の発出現にすぎない。
個生命達は、顕界と霊界とに交互に転生しながら、果てしない旅の途上のどこかで、
中心太陽に飲み込まれていく。

449神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 13:13:07 ID:LonNGPhi
リアリティーとは対立の統合ではない永遠の対立である。この、考え方は、人間的知性の限界の表明にすぎない。
リアリティーとは、永遠の対立であり。久遠の統合である。

正反対のものとの和合によって 個生命は成熟していく。
成熟とは、人格の器量と柔軟性との質的深まりのことである。

ニルヴァーナ・神 あるいは全面的統合は、人格成熟の延長線上には決して現われない。
超越的感覚と人格成熟とには、いかなる関係もない。人格的成熟とは、永遠に相対概念である。

七つのチャクラとは、人間的機能としては人間的次元の七つの認識形式のことであり、したがって七つの欲望のことであり、七つの質的に違った快楽のことである。
人は一切皆苦の洞察によって七つのチャクラをつぎつぎに卒業していく。

一般に個生命の最終的成熟とは、人生と世界との現実認識体験にもとづく、よりよき適応状態のことである。

完全に近い人生と世界との適応状態には、完全に近い幸福と絶望とが、ともなっている。
瞑想ほどの、理論と実践のくい違いが激しいものはない。

君が本物の悟りをかいま見る、それが、本物の煉獄の出発点だ。

君にとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。

君という欲望は、結局、一つのものしか求めてはいない。
それゆえ君とは、苦そのものに他ならない。

いとし子よ、どのように過酷で冷たい冬も、初春を迎える時が必ずくる。
ただし、君が、あくまでも正しく生き続けた場合には。
これがヨブ記の単純な答えである。

正しく生きるとは、君が正しいと思った、信念やイデオロギーを生きることではない。
まちがったと思ったときに、ただちにその間違いを認めることである。
450神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 13:29:50 ID:LonNGPhi
初心者にとって瞑想とは、永遠をかけた全面的努力である。
そして、純粋瞑想が開示されるのは、時節が熟した、ほんの一刹那の瞬間。

瞑想とは、全次元存在と絶対的非在との、最終的結末であり、
それと同時に、その中間であり出発点である。
それゆえに、人類の全努力は、純粋瞑想に打ち込むための余暇を作ることにある。

快楽は苦痛であり、安心は不安であり、満足は不満足であり、悟りは迷いである。
これでよいのだ それでよいのだ
ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。
451神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 14:32:00 ID:LonNGPhi
霊的ヴィジョンと禅で言う魔境とは、同じものである場合もある。
霊的ヴィジョンは、仮称なるこの世にとって、ある種の客観性を持っている。
その客観性とは、科学的合理性と投下の実用性を持っている。

光が神の霊的ビジョンであり、あらゆる霊的存在次元の諸形相は、
光と闇との、多様多元な結合によるあらゆる種類のリアリティーに過ぎない。

例えば、霊的中心太陽は一つの実在であり、この現象世界は、その最も外側を右回りに旋回している。

もし霊的中心太陽を、大日如来の中心としてとらえるならば、十の次元を見降ろすことができる。

霊的中心太陽と その最も下層に属するこの世との間にいわゆる神霊界が実在する。
したがって、神霊界が、この世の原型であるという言いかたもできる。

もちろん、悟りそれ自身は、霊的中心太陽の光でさえないし、また、実在しているとも言えない。

ブタが空を飛んでいる。完全な無意味さを愛しているのは誰か?

私は誰か?誰かとは誰か?

生前解脱を果たしても、肉体がある限り、欲望とカルマとがなくなってはこまる。

欲望は、現実という夢を仮作する。だまされているのだ・・・ 現実という夢に。
一切皆苦・諸行無常・諸法無我。あらゆる個別性は苦である。絶対確実なものは何一つない。
永遠不滅なる実体は存在しない。
これが、だまされているという現実の単純な論理的分析である。

真実の愛は、絶対絶命なる虚無を極めつくさねばならない。

物質性から見れば、神もまた一つの物質に他ならない。神から見れば、物資もまた一つの神性である。
452神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 14:55:29 ID:LonNGPhi
ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
これを知れば、君は、君自身が久遠の人間であり、君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。

体験という用語を使うのなら とにかく、ニルヴァーナは体験した方がいい。
なぜなら、一切生類は、ニルヴァーナから生まれ、ニルヴァーナを再体験するためにあらしめられているからだ。
もっとも、体験されたニルヴァーナはニルヴァーナではない。

老子道徳経もまた、純粋瞑想からの手引きだ。
老子を読解する要領は、老子が、戯れの微笑で、老子五千言のメッセージを、書いたのだということ。

山本玄峰老子は、自身から息を止めて臨終したが、
その臨終の瞬間「これで浮世狂言も終りだ」と言ったとか。
終わるはずもない浮世狂言が終わるとは。
これこそ浮世狂言ではないじゃろか。

対外的あるいは対人的な神経過敏は、君が、実存としての感受性を守り抜いていながら
その正しさを疑うことからくる。

デタラメきわまりない、社会性という、欲望ルールを、あまり信じすぎてはいけない。

個別性の世界から見れば、すべては二元対立であり、その対立に終りがあってはこまる。
統合性の眼から見れば、あらゆる相対は、相互扶助に映る。
453神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 14:58:29 ID:LonNGPhi
肉体の栄養は食物である。
エーテル体という網状組織の栄養は呼吸によるプラーナ・気である。
アストラル体の栄養は、情念をともなう映像や言葉である。
メンタル体の栄養は、思索であって思考ではない。 思考とは、肉体頭脳の機能であるにすぎない。

思考には、欲望とその目的がある。
思索には、欲望を原因とする動機はあっても、目的がない。
この思索が一つの限界に達した時、直感が生まれる。 直感には、いかなる動機もない。

思考が、衣食住以外の実現不可能な快楽を目的とした時、ストレスが生じる。
したがって、瞑想とは、思考を単に停止させることではない。

弱肉強食は真実だ。弱きものは強きものとなり、強きものは弱きものとなる真実だ。
通常・考えられている弱肉強食と理解するなかれ、それは、修羅界の一種類の真相にすぎない。

君そのものが一つの緊張である。瞑想とは、完全なリラックスであり、存在の全面的戯れだ。
だが、そこに至るには、限りない限りない限りない、全面的努力と緊張がともなうであろう。

瞑想とは、思考を停止させることではない。心の底から、身体の底から、考えに考え尽くすことである。

いわゆる大人と称する、未成熟な大人たちが、「君、それ考えすぎだよ」という。
ほんとうの全身全霊的な思索からしか、決して成熟は、起こらない。

思考は常に打算的である。一つの問題が起こった時、思考はあらゆる手段で、その解決を計ろうとする。
問題そのもの、手段そのものを、決して見ようとしない。
454神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 15:00:43 ID:LonNGPhi
人は物質的豊かさを求めて、一生、汗して働き、さて暇になったら、
絶望して悪事に走るか、頽廃野中に埋没するか、人生の無意味さに自殺するのですか?

現代人の言う、物質的豊かさとは、一つの精神的慰安への欲望に他ならない。
なぜなら、人間にとっての、本来の物質的必要性とは、単純な衣食住の充実に過ぎないのだから。

衣食住の不足の中には、自殺に至るまでの絶望はない。
あなたが、どれほどまでに外的に豊かであっても、あなたが、愛に変容するまでは、
あなたは、あなたという絶望の中にとどまる。

バビロニアもしくはカルデア占星術は、その起源をアトランテス密教の中に持っている。
事実、黄道十二星座と、太陽系の太陽を含めた十惑星は、アストラル体内の十のチャクラや
スシュムナ・コードの上の七つの大チャクラと対応している。
それは、肉体内の七つの主要な内分泌線に作用し、ホルモンのバランスを変化させて、
ある特定の行動や感情や思考を人間に起こさせる。

絶対者のフォースは三つの位相で働いている。
一つは神ロゴスから人体内へ直属しているクンダリニー・エネルギー。
二つは、絶対者それ自身の全面的エネルギー・フィールド。
三つは、この次元の大自然界に充満しているプラーナ・フィールド。
これはあらゆる呼吸形式で吸収することができる。

絶対者の全面的エネルギー・フィールドとは絶対愛のことである。
したがって、物理学で言う、空間・時間・物質・エネルギーは、単なる仮説にすぎない。

重力は肉体に作用しても、エーテル体以上には直接に作用しない。
したがって反重力の秘密は、アストラル体以上の目覚めにあるだろう。
なぜ、エーテル体以上のボディもしくは知覚は、上昇するように見えるのだろうか?
455神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 18:55:50 ID:LonNGPhi
なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。

「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ?」

もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。

みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。


『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
456神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 18:57:00 ID:LonNGPhi
進化が神様といっていい。成長が。成熟が。

そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。

君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。

よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。

が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
457神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 18:59:54 ID:LonNGPhi
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。

じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。

宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。
458神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 19:04:55 ID:LonNGPhi
ダイジ  「人は、そう、俺たちはどうして一人っきりになるのをそんなに怖がっているんだ。うん?」
      「確かなものが、ないからです」
ダイジ  「うーん・・・一人っきりになると空虚であることがいよいよはっきりしてくる・・・
そして、それでいて今度は外に・・・・色々な人と付き合うとか・・・いろいろなことをやってみる。
ああそんときはいい。うまくいける。
・・・・だけど、だけど、、、今度は人さえ恐れる。
同じ原因だ。
だってきみたちは、とにかく、おれは空虚ではないってあくまでもがんばんなきゃいけないから。

ただ一つも例外はない。
ただ一つも例外はない!
この世に例外なんてただ一つもありはしない。
だからこそ愛があるんだ!

自分だけ違う
自分だけ力にみちてる
自分だけ完璧だ
そんなこはない・・・そんなバカなことはない

そして一生懸命ぬけがけすることを考える。
だからいよいよ人を怖がる。・・・・なにしろ、ぬけがけしたような様子を見せても、自分の内面じゃちっとも優越してないことを知ってるから」
459神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 19:38:50 ID:O2NXoKWL
知らぬが花なのよ、少なくともブタたちにとっては。
言い古された言葉だが、民主主義も共産主義も、愚衆政治にほかならない。
不幸は、ブタをブタ小屋から出したところから始まる。

現在の人間進化のステップでは 99パーセントは、ロボット、もしくはブタである。
現文明の崩壊は、とっくの昔に始まっている。
そして、それは逃げるすべのない宇宙テストでは、あるのだが・・・

ところでブタが本当にブタであり、ロボットが本当にロボットなら
それはそれで素敵だ。

賢者といい聖者といい超人というも
結局、本物のブタでありロボットであることに違いない。
老子よ、あなたはなんという俗物なのか!他のありとあらゆるものと同じように。

産まれて、生きて死ぬというのに、君はこの上何を問題だというのかね?
460神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 19:51:18 ID:O2NXoKWL
人は、その夢の途上で倒れる。ただ夢も時間もない、あらゆる絶対体験・−−
パーフェクト・チェンジング・モメント
あらゆるかたちでの、
エクスタシーのサムシングのサムシング。

ある歌い手は自由を 私なりに追求してきたんだと歌う。
だが、自由ってなんだい?それは ある種の力のことかい?

インドのプリーで若いガンジャ・ババの卵である。スイス人の青年が言った。
「この世界はドリームでしょ・・・?」
私はなぜか知らぬがこう答えた。「これは夢であり、真実だ」と、
ヂャニス・ジョプリンはアルコールとドラッグで若死した・・・

酔いを味わうだけらしい・・・

高いも低いもどうということはない
優秀と劣等とを誰が一体決めるというのだ それでも月は月を生きて死ぬ
スッポンはスッポンを行ききる

こうあるらしいことが こうあるらしいのだ それにしてもこの一瞬よ! ああ、この一刹那よ!

説明できない力が、生命を駆り立て続けている。
私はすべてらしきものとして 酔いを味わうだけらしい・・・

461神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 20:00:59 ID:O2NXoKWL
パラノイア

パラノイアはおもしろい 私たち人間は、みんなパラノイアだ。

欲望が標テキを仮作する 人間コメディーの幕が上がった

果てしなき流れは終りがない 無限の大海のまっただ中にいるのも知らずに

そこで物語が尽きることなく演じられているというわけだ

大いなるマーヤ・・・ 甘美なる欲念相続・・・ 不可思議な神の遊び 不可知な神の戯れ・・・

さあ、さあ、物語はすでに進行してるんですぜ!
この演技の唯一の観客は、神様ただ一人
あの、ニンマリと微笑を浮かべた   あいつだ!

だが、あいつもまた 一人ぼっちの役者に過ぎないかもね・・・

夢を夢と見るも夢
 夢を夢なる夢のまた夢・・・・・・・・

三神歌―――

われもなく現し世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなく現し世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなく現し世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし・・・・
462神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 06:58:04 ID:spN2kpfM
以前にダイジの肉声をアップしてくれた方、ありがとうございます。
ご批判を受けたようですが、少なくとも私にとっては宝物です。
多分、一生聞き続けるような気がします。
本当にありがとう。
463神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 07:22:50 ID:c1a7zOaH
精神病院内の異様な哲学的凡景

シーク教徒は、鉄製のハンドリングをその手首につける。
そのハンド・リングは、火星を意味する。

日本人種は、現在、地球上で 最も知的な民族であり、
かれらは、四六時中読書にふけている。

ブレインダメージは、もうなおらないんですか?ドクター。
ドクターとは、ドッグ・スター、すなわち犬星を現している。

犬星とは、条件をほどこされ 地位・名誉・権力・金・セックスという牢獄である。

彼は戦場で愛の死を見た。死の前にはすべてが、ナンセンスであった。

君は何が欲しいのかい?それ以上。

464神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 07:27:25 ID:c1a7zOaH
これしかないもんだ

人も浮世も猫もシャクシも そんなものありゃせん これしかないもんな・・・

これしかないもんな そうゆうわけで一切万物は 恐ろしく恐ろしく
甘美で至福なる これしかないもんだ

苦しいより楽しいほうがいいのはもっともだけれど・・・
それを超えるのは、もっといい

なにしろ これしかないもんな・・・
465神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 08:47:11 ID:c1a7zOaH
帰っておいで

自分が存在しているという世界の存在は 結局あらゆるものに 悪意をもっている

新宿駅で飛び込み自殺があった 係員がレールのあちこちに散った 肉体のかけらをひろっていた

人間は無限のかけらにすぎない・・・
これが最もごうまんなる人間の 至高のセンチメンタル・エゴイズムだ

人間は無限なるものの一部にすぎない・・・ かけらと一部とは似たようなものだが
貝とコカコーラ程の違いがある たいした違いじゃないけれどね・・・

人間は無限なるものの一部に過ぎない・・・
これが 人間性の究極の深遠である 
これが人間の魂の基調音である これが人間にしての最初にして最後の美
あるいは人間性そのものという何ものか

君は果てしなきものの一部にすぎぬ
だから 果てしなきものに帰るがいい!
もっとも、その頃には、君という人間性の夢も 夢の中へ跡形もなく消え去っている

とにかく どういうわけか、超えていくのさ 超えていくんだ
石を超え 山を越え 彼女を越え いとしい娘子を越え スモッグを越え 文明を越え
ニルヴァーナを越え 越えることを越え・・・

そして 帰っておいで  今 ここに
466神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 08:57:54 ID:c1a7zOaH
わが父に感謝をこめて

どんなにえらくなったつもりでも どんなに落ちぶれたとなげいたつもりでも

父よあなたの命なしには 今の私はありえないのです

ありがとうおとうさん ありがとうすべてのいのち

どんな人でも 心の底では 自分も宇宙も どうなるものでもないことを深く深く深く知っています

おとといは どんよりしたくもり空
きのうは あたたかく輝く初夏の甘やかさ きょうはカラスが鳴いています

おれはカケヒキとハッタリと鉄面皮の 油ぎった支配者だ!
おれは 一ぷくのタバコの煙に 共感の涙を流す か弱き浪費家です

なんでもいいんだ スチャラカチャン! どうでもいいんだスチャラカチャンチャン・・・チャン!
467神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 09:06:04 ID:c1a7zOaH
まるで一輪の野の花のように・・・

何が何だと言うのだ これはこれなんだ いいや、これはこれだという必要もない

何もかも何もかもいいんだ こんなことを言うのも愚かしい それ位これはこれなんだ

生命はジグザグに進む 絶対の到達点などありはしないからだ この静けさを分かってくれるだろうか?

しかも、生命は流れる ニルバーナといったところで

それもまたひとときのふるさとにすぎない

何もかもがすてきだ 何もかもが、時間でない今を楽しんでいる

極楽の極楽と極限の地獄とを戯れている

私は何と無駄なことを書いているのだろう とことん無駄だと知りながら・・・

まるで 一輪の野の花のように・・・
468神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 09:16:49 ID:c1a7zOaH
タオ

これは絶対でも相対でもない 流れているわけでもないし 久遠の静寂というわけでもなし

これはこれだろうあれはあれなんだ

静かじゃないかい・・・うれしいじゃないか 哀しくもあるしね
もちろん 恐ろしくもありんす

みんな生きてる なにもかも死ぬ

そんなにツッパルなよ! もっともっとどうしようもなく、ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!

無が有を産んだのだろうか? 有が無をあらしめたのだろうか?
それとも、無と有が同時にからまっているのか?

ニルヴァーナが真実なのだろうか?マーヤが真実なんだろうか?
それとも、
ニルヴァーナもマーヤも真実なのか?
それじゃなきゃ、
ニルヴァーナもマーヤもありもしないのか?

いいじゃないか?
断じてよくない!!
いいじゃないか!
いいやだめだ!!
・・・・・・・・

秋の虫たちが鳴いているよ・・・
469神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 09:24:31 ID:c1a7zOaH
題名は?

バイクの ケタタマシイ戯れ 
ああ ヘドロがあるヘドロがある ああ 花がある花がある

完全なるニルヴァーナがいる 完全なるマーヤが今っている
どっちがいいといったものでもない

メイッテ、メイッテ、メイル
ステキで、ステキで、ステキだ

秋の虫が鳴いている
老子はおさな子のように泣いている

なにもかもがいいという言う必要もないだろう
470神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 09:27:54 ID:c1a7zOaH
自動車ブーブー

瞑想が公案なのだ!?
公案が瞑想なのだ!?

瞑想が瞑想なのだ!!
そして
公案が公案なのだ??

戯れは果てしがない
471神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 09:44:31 ID:c1a7zOaH
距離

距離などというものはない 遠い遠い昔も未来も『これ』にしかない。

すべての二元対立を悪戦苦闘して 私の最後の疑問に到る。
私は何か? すべてをすべてと認識しているわたしとは何か?

誰が私などというものを現しているのか?

こう現われている このわたしとは何か? こう書いている私は何か?
私を忘れている時の私とは何か?

そもそも すべてとは何なのか?それさえ まだるっこしい。

これは何だ?これ何者ぞ?  これは何だ??

ああ、人間の果てまで来てしまった――というこれは何だ?

そんなことどうでもいいという――これは何だ?

これは何だ???という――
これは何だ?

断じて知的疑問ではない
472神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 09:57:18 ID:c1a7zOaH
不安

いい経験をすればするほど不安はつのる。

が、不安に対処する手段はない。

至福は起こる。それは、おのずから生ずる。

完っき至福――
それは人間が求めてやまないものだ。

だが、『これ』は至福以上だ。 ぜんぜん比較になりはしない。

そうなのだ

そうだ、あらゆる経験を 限りなき経験を 地獄を至福の極楽を経験して経験して体験したいのだ!

私の中に
あると思われる様々な観念―――――――
一体その正体は そりゃ何じゃ?
苦を不安を退屈を倦怠を わけのわからなさを どうしようもなさを 誰がうえつけたというのか

だが、素敵な状態は やぱり繰り返したいし、永遠に続きたい!

すべてのすべてが
神だと私自身だと、至福や自由だと、言える『時』よ!

時を求めれば、時を遠ざからしむ。
時を忘るれば、ただちにその時だ。
473神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 10:10:53 ID:c1a7zOaH
坐禅
特に只管打坐は
その本質は 百パーセント万事休した姿勢でしょ

つまり
あなたは何者でもないかもしれないのだ

牢獄 束縛 催眠術 死 未知 不可知? 疑い 不安 空しさ

情熱 おお、めくらの情熱よ! サットヴァ質の極点よ。

神なるもの 絶対無の限りなき光なるものの・・・ あらゆる忘我の時よ! あらゆるエクスタシーよ!

臨済も普化の禅機にはかなわなかった。

この世に新しき言葉なく この世の神秘は続く・・・

能力によっては 至福は得られない。 それは時なのだ。時がすべて起こす・・・
474神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 10:34:00 ID:c1a7zOaH
すべてが
こうである以上にこうである
そのすべてがすべてでいいんだ
いいや、いいんだ以上のいいんだ

聖人タイプは、すべてのすべてのすべての絶対を欲望する

相対と対立する絶対ではなく
絶対即絶対に至れば もともとなんということもない。

人様にメイワクかけ、世界にメイワクかけ、自分にメイワクをかけ続ける、
いわゆる俗人様つまり恐れ多くも御ブタ様々タイプは、
喜んでいるのか悲しんでいるのか・・・
楽しんでいるのか苦しんでいるのか・・・
ガンにかかってシチテンバットウしている人がミジメなのだろうか???
モグラの近視眼で、国をウレエ、世界をウレエ、だが自己をウレウルことだけは、さけて、
立派な偉大な事業に励んでおられる。
私は心の底から頭の下がる思いだ!

どういうわけか、私は苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている。

さて、
何もかもが、ありとあらゆるもの、まったくないといったもの、
シッチャカメッチャカのすべてのすべてが、生命なわけだから、
生命ゆえに、価値も意味も方向もありはしない。

それが、どのようなプロセスを得たニルヴァーナ・エクスタシーであろうと、
それでも、あるのなら、何もいうことはない・・・・・・・・・・・

チェッ!オレは行っちまった!
475神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 13:32:27 ID:c1a7zOaH
>>474

 訂正     ×行っちまった
        ○言っちまった
476神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 13:41:38 ID:c1a7zOaH
かのように・・・

あらゆるものは そうなる以外ないかのように生々変化する。

そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。

不安や苦痛や恐怖でさえ神の中なる神の戯れ。

それでよくない!と言ったところで、ストーブの上のヤカンのお湯はうなっている。

欲念相続

悟りへの修行
これもまた他のあらゆる人間営為と同様に
欲望の一形式であり、したがって、欲望のあるところに苦しみがあるのは、当然である。

解脱への修行は

他の一切の人間の欲念の戦いと変わることなく、苦あれば楽ありである。

ああ、それにしても、余りの戯れよ!夢よ!
477神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 14:05:47 ID:c1a7zOaH
セイナルものという夢

本ものもニセものもない。
あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。
絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。
だが、
聖なるものなぞどこにもない!

バグワン・シュリ・ラジーニシ―――
奴はシッチャカメッチャカだ。本ものだ。
終末が産んだ本もののコメディアンだ。
奴は最もタチの悪いテクニックで、バグワン中毒を伝染させている。
奴もそう長くはない。
だが、奴は正真正銘の本ものだ。

伊福部隆彦先生―――
老子の再来である。
酒で悟りを持続していた。
悲しいほどに本ものだ。
余りに悲しすぎるほど本ものだった。

ババ・ラム・ダース―――
間違いなくニセものである。
この人物は、
自分が本もののコメディアンであることを知っていない。
だから、自分を神のコメディアンだと思い込んでいる。
478神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 14:06:42 ID:c1a7zOaH
高橋新吉―――
ロマンチストだが、
どうにか一人前になりたての禅僧だ。
ロマンチストゆえに遊びがたりない。

大森曹玄老子―――
この人とは話し合うのもごめんだ!

木村虎山老子―――
釈迦より偉大の上に偉大だ!
無眼子、何の眼力もない。
ただ、淡い定力と、
仏法そのものなるプライドと、
法に対する素朴な親切心があるばかりだ。

チョギャム・ツルンパ・リンポチェ―――
血わき肉おどる理想主義者。
本ものだ。
だが、新宿のトルコ嬢には
とてもかなうまい。
479神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 14:07:28 ID:c1a7zOaH
桐山靖雄―――
ニセモノ。
立派な野心家。
とても出口王任三郎や空海ほどにはいけまい。
ニセモノの度合いがゆるすぎる。

グル・マハラジという青二才―――
ニセモノ・イカサマシ。
ただの人。

君は君なんだ。
それ以外にない。
犬は犬なんだそれ以外にない
480神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 14:32:51 ID:c1a7zOaH
大志をもて。
かつて男にも大志があった。

地位・名声・権力―――
それらは、一種のオルガズムであり得た。
あるいは、知的探求・芸術的創作―――
少なくとも幾ばくかの陶酔を与えてくれた。

男の性的快楽なぞ淡いものだ。
だから男はいつの日か英雄になることを夢見た。
だが、自意識の頂点では、英雄の夢は破れる―――それは生物学的必然なのだ。

破れた夢は、一つの暴力と化す戦争はすぐまじかにある。

人間を大自然に憩わしめるのは、オルガムズ以外にない。

悟りは究極的なオルガムズなのだ。

今や文明は終わった。究極的オルガムズに帰るに最適の時だ。

女はと言うと、女は女でなくなった。

現代女性は自意識的に快楽を求めつつある。
だが、自意識のあるところに全身全霊的オルガムズのあったためしはない。

独立した女は、もう奴隷になることができない。奴隷になれなければ、本当の性的悦楽などありっこない。

性的欲求不満の女達は、自分の産んだ子供を愛することはできない。

おお、宇宙よ!女には性的オルガムズを、男には宇宙的オルガムズを与えたまえ!
481神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 14:59:21 ID:c1a7zOaH
実際のところ・・・

実際のところ帝王とは奴隷である。だから宇宙の奴隷になるがいい。

支配者はつねに被支配者とファッキングしている。
創造主はつねにつねに被造物とファッキングしている。
―――この認識が、すでに。
誰かと誰かのファッキングなのだ。

だから本当に破れかぶれになればいい!
それは一つの素直さであり得る。

信頼とは何だろうか?
それは、信頼なぞ どうでもいいということにほかならない。

低いものはどんなに高きものも秘めている。

瞑想が瞑想を戯れている!
だが副主人公である。君には戯れはないんだ。

私はエクスタシーである。だからして、私が死ぬ時
神に返さなくていいものが一つだけある。
「神様、ああ、あなたは私だったのですね」という自覚。

それはそうと思えばそう思える。こうと思えばこう思える。
すなわち絶対の孤独ということだ!
482神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 15:00:15 ID:c1a7zOaH
すべては不可能であると知ること―――
それが自殺と発狂と悟りへの出発点である。
充分以上の情熱のみが、不可能と可能との区別を忘越せしめる。

思考は常に解答を出したがる。
たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!

快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?
483神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 15:02:23 ID:c1a7zOaH
悟りという体験の思い出―――何という足かせだろうか!

恐怖があることを恐怖するから、あんたは、あたりまえの恐怖を生きられなくなっちまったんだ。

「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?

悟りは悟りとは何の関係もない。犬が鳴いている!ワン・ワン・ワン・・・

人間という奴はつねに小便一部を残している。

それでいいんだ。すべてがすべてになるのは、すべてだけだ。

ああ、あなたはそれほどまでに不安という観念を愛しているのですね。

無駄口ばかりたたいている。

そうなっていくそれでいいというのに。

久遠の戯れは続く。何のためでもなく。



tp://shino44.exblog.jp/
484神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 15:15:43 ID:c1a7zOaH
いかなる根拠も無いということが、これそのものなのだ。

理屈と保障がないからこそ、久遠の安楽なのだ。

喜びも苦しみもないからこそ、あなたは永遠の平安を生きて死ぬ。

そして、あなたは喜びを求めて旅続ける。

ニルヴァーナという妄想 エクスタシーというマーヤ
それを欲すること―――
これが人間という戯れの正体だ!

何もかもなし!ただただ、これの戯れでない戯れ・・・



ない時はないのだ。だめな時はだめなのだ。むなしい時はむなしいのだ。
それ以外にない時はそれ以外にないのだ。

私は空気がなければ生きられはしない。私とは空気なのだ。

私に自由はない。自由が私を使っている。

自由それ自身は完璧な笑いだ!

人間の喜怒哀楽のゲームは決して終わることはない。
だから、ゲームはすでに終わり尽くしている。
485神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 15:19:11 ID:c1a7zOaH
海の波々が寄せては返す。朝ごと太陽は東より昇り、

落日の残光を残して西に沈み行く。

体内の有毒ガスがたまっている現代人は

あたりまえのやすらぎを知ることがない。

それでも血わき肉おどる『これ』は、

笑いに笑いに笑っている!
486神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 15:31:52 ID:c1a7zOaH
いとしいゲーム

肉体は絶対無に直結している。観念は肉体に直結している。

人体七つのチャクラは、極めて具体的な悟りへの道すじである。
それは、人間を至福へと導いていく。

最後のサハスラーラ・チャクラのみは、実用性を越えたものであり、
生理的なものではない。

サハスラーラ・チャクラは、チャクラではないばかりか、
いかなる人間的な概念規定をも越えている。

サハスラーラ・チャクラとは、何ものでもないのだ。

人間がサハスラーラに到達するまでは、命がけの情熱が必要だ。

だが、サハスラーラそのものは、コエダメの中のウジムシの狂言に他ならぬ。

ああ、このいとしさよ!いとしさよ!!いとしさよ!!!
487神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 15:50:58 ID:c1a7zOaH
地獄の天国のあくび

そうなっていく、そのままでいいのだ、とも言えまい。
こうなっていく、このままでいいのだ、ということもわかりはしない。

何もわかっていないのだ!だが、何もわかっていないとも言えまい。

地獄の地獄の地獄の闇。極楽の極まりないカオス!
―――それでも、どんな答えも出やしない。

このモノグルオシサよ!この静寂!もはや静寂とも言えまい。
何もかもが至福である。
すべてがすべてである。
そして、あなたは死んでいる・・・

マハー・マーヤ
すべてがイマジネーションだ。(これもイマジネーションあるいはイリュージョンである)

マハー・マーヤ!
欲念相続である。根本無明である。さっぱりわからないそのことである。
性であり死である。
このあらゆる多様多元の世界である。
不安そのもの恐怖そのもの!

謎そのもの!
神秘!!

久遠に未知なる未知。疑団?
(これ以上は思考不能!?)
488神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 15:58:50 ID:c1a7zOaH
どうしようもない・・・

どうしようもない今は、どうしようもない。

これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これではない。!

どうでもいい なんでもいい シッチャカメッチャカ!

わたしはただこれになり切ろうとするのみ。

念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。
オーム・オーム・・・オーム!!

私が対象を見ようとすることが不安であり、私が対象を聞かせてもらうのが愛である。

禅定にはいれない今は、入れない今だ・・・・・・
489神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 16:11:48 ID:c1a7zOaH
プレイボーイ

オレはプレイボーイで 近いうちに極地のコオリを溶かすつもりだ・・・

なにしろ、この頃の彼女ときたら!

彼女のオナラの臭いこと。だから極地がこごえいるのさ・・・

あんたは、オレの思いなぞナンノソノ・・・
それでも、オイラはプレイボーイ 新しいあんたを産むために
オレのペニスは極地を燃やす・・・

ガイド・ストーン
私は親愛なる同友諸君に言う。
今、君の持っているその理想心を取り去れ、
かくあれかしと望む心を取り去れ。
よりよくなろうという我欲心を取り去れ。
それは君らの愚からきた迷いにすぎない。

かつて私のメディテーション・ガイドの一人だったタオの体得者・無為隆彦先生はそのように語った。

クリシュナムーティ流に言うとイメージがどうしたこうしたということだろう。

諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いづれにせよ、楽しい話ではないかい?
490神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 16:24:06 ID:c1a7zOaH
伊福部隆彦先生の言葉

ある一つの理想状態を考え、そこへ到達しようとすることが、私たちの生活を地獄かさせるものである。
こいつあ、マッタク、どん底だい。思考作用は問題かい?
ふと見ると 地獄にもなにやら光明がある。ああ、その悲痛をどうすることができよう。
ああ、この絶対をどうすることができよう!

オナルティックに

この中有界タイプの世界文明は、20世紀末に終わる。

現代文明とは、マニピュラ・チャクラとアナハタ・チャクラとのバルドのことである。
欲望満足と愛との上下運動のことである。

文明の終末なぞ、別にどうということはない。この世のあらゆるものは生まれ生き死ぬ。

呼吸は出息で死に入息へと再生する、入息は終り出息が始まる。
そのように、あなたは死ぬのだ!

おお、限りなく愛しいマーヤよ!六道のつじよ!  さよなら・・・・

すべては、あなたのためにあるのではない。
491神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 16:31:31 ID:c1a7zOaH
ブタが空を飛んでいる

ゆるいカーブ なだらかな曲線も つま先立ちの緊張や 危機との直面も 油断なき注意も
―――狐が空を飛ぶ!

そして ズッコケズッコケも・・・
ただ一人とも言えないただ一人の 絶対者の様々な表情
私達はこの表情の千変万化に いつもいつもダマされている。

それにしても初夏の草生きれよ!
492神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 16:41:13 ID:c1a7zOaH
女は眠る 一つの久遠の夏 女は官能の極点の果てに眠る
一つの神秘なイビキ 限りない神秘な歯ギシリ どのようにも見れる世界風景

私も眠っている この絶対無の中に そして 空なるエクスタシー自身として

今、オナラがあった

いつも私は評価する。
欲望とは常に、そういったものだ。

人間にとって、この宇宙は永遠に二元対立だ。それでこそ美しさがあり醜さがあるのさ。

人が絶対の至福を求めた時が、絶対の至福を失うときだ。
―――それが恐怖だ!それがわけのわからぬ不可解だ!それが人間のものでない久遠の至福だ!!

死が恐ろしいものだと誰が決めた?――あなただ。
不安と不満と苦悩と苦痛とをいけないものにしてしまったのは誰だ?―――あなただ!!
493神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 16:51:29 ID:c1a7zOaH
意味だけが生きるのだろうか?

なぜ生命は何の意味もないというのに生きているのか。
あらゆる流れがひとりでに静まる
何の理由もなくかすかな解放への呼び声

もう生々化々の流れも消えた無想定
静寂―――喜怒哀楽は消え果てた。
秘められたさわやかさ

突然の爆発!マーヤとブラフマンのファッキング!
あなたは神に貫通されたのだ。
鳥飛んで鳥のごとし、魚に泳いで魚に似たり石ころは笑う!

完全に終わった!!あなたは初めてあなただ 絶対者にして絶対無!!
我もなく現し世もなく何もかも何もかもなし何もかもなし

そしてこれもどうということはない。
494神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 16:58:54 ID:c1a7zOaH
血わき肉おどる

何か確信といったもの・・・ 血わき肉おどる何者か。 存在をも忘れ果てたそれ

それぞれにいいんだなあ、すべてはOKだといった思いの流れ。

私は私なんだなあ、といった感嘆!

永遠に未知なるものへの旅!!

詩的直感

つねに詩語は古く、詩情は新しい。

詩語に新しきものなし、この人生と同じように・・・詩情はつねに新しい。

時には時さえもない。

495神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 17:18:35 ID:c1a7zOaH
なにもかもいいんだ

人間に与えられた至上の喜悦は なにもないというなにもないという体験だ
快楽の中の快楽の中の快楽・・・
まるで、この12月の暖かい一日のよう まるで一目ぼれのようなもの

LSDで、デッド・トリップして、すべてのすべてを生きるのも素敵だよ

マリファナぼけはマリファナぼけだし
アフェタミンはワォワォワォでイカス!
阿片やヘロインは、それでいいというわけだ・・・

隻手の音声を聞けば、それはさわやかでエネルギッシュ極まりない

只管打坐の坐禅は、なにもかもいいなにもかもいい・・・と来たもんだ
496神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 17:20:21 ID:c1a7zOaH
どうして死人たちは死のうとがんばるのか?
たぶん、すでに死んでいるからだろ
いいや、たぶん、生きても死んでもいないからだ
なにもかもはなにもかもだ

チャクラ・ヨーガもいい
頭のテッペンのサハスラーラ・チャクラが 
覚知されれば、すべてが滅尽し久遠の至福が至福だ

神秘体験はいいものよ〜〜 すべてを越えた快楽はいいものよ〜〜
絶対無・空・解脱・ニルヴァーナ・神は、いいものよ〜〜〜

もっともガンでノタウチまわっている、必死の苦痛の絶望の絶望が、素敵だと同じようにね・・・

すべてが終わった!もっとも、終りなぞありはしないけれどね・・・

それでも私は求めている
尽きることなく――― 尽きることなく――― 果てしなく――― 果てしなく―――

なんとかいうチンピラ禅師のたまわく「求めるは苦なりだとさ」・・・・・・・
笑っちゃったよ


すべてがオーケーだと考えたら、すでに手遅れだ。あなたは、もう、ほとんど救われようがない。
497神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 23:24:49 ID:gasR4lfh
>ID:c1a7zOaHさん
これらはいつ頃の手記なのでしょうか?
498神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 23:38:09 ID:hM5O9H+X
グル・マハラジってニーム・カロリ・ババのことかな
499神も仏も名無しさん:2009/09/04(金) 00:22:40 ID:2fooiZKp
たまに、自分語りも入ってない?w 
これ、大事の言葉(引用)とは思えん・・というのもたまにあるんですけど
500神も仏も名無しさん:2009/09/04(金) 06:25:24 ID:RQjIDdth
>497 これはミク資料の『老子狂言集』です。時期はわかりません。

>498 そうです。

>499 間違いなく 著・雨宮第慈です。
501神も仏も名無しさん:2009/09/04(金) 06:58:30 ID:gkdD2qov
ダイP
502神も仏も名無しさん:2009/09/04(金) 19:34:32 ID:RQjIDdth
 その日も、私は全くの闇の中にいたように思う。すべての出口はふさがれてしまっているように思えた。
私はごろっと横になって、見るともなくテレビを見ていた。テレビ番組は、どれもこれも面白くなかった。
しかし、他にやりたいことも、できることも何もない。
 私は、何気なくチャンネルを回した。つまらない洋画だった。それは、ローマ時代のキリスト者の殉教をテーマにしたもののようだった。
この番組は、既に大半が終わっていたが、その映画の内容は浅薄そのものという印象を与えた。
やがて、場面は或るキリスト者の殉教のところへ来た。そのキリスト者は殉教される直前にこう言う。
「それでも、私は神を愛する」と。
その映画もその演技もその筋書きも、何もかも見えすいていて、つまらないものだった。
しかし、その場面で語られた。「愛」という言葉が、異様な程、私の中に響いてきたのだ。
 その「愛」という言葉が、私の心に入って来ると同時に、
「人間は絶対的に救われない、人間のみではない、一切万物は絶対的に救われないのだ」
という想念が、私の中に浮かびがあってきた。
 それは、胸がつき破れるような悲しみだった。
 それは、そのテレビ映画の内容とは全然関係のない悲しみであり、しかもその悲しみは、
何もかも一切万物に関する悲しみというようなものだった。
503神も仏も名無しさん:2009/09/04(金) 19:37:01 ID:RQjIDdth
私の中に閉じ込められていたすべての思いが爆発した。
こんな悲しみは、私のそれまでの人生で初めてのことだった。私は気が狂ったように泣いた。
涙は後から後から、止めどもなく溢れ出してきた。
その絶対的と言っていい苦痛と悲しみの中に、それは開けたのだ。
それは、突然開けた。
私と世界を含む万物万象を包む愛が開かれた。
それは、信じられぬ愛であり歓喜だった。私は目の前のテーブルの悲しみも、庭にある石ころの悲しみも、
世界中に生きているあらゆる人々、あらゆる生物達の悲しみも感知することができた。
そして、その絶対的悲しみの極限は、愛そのものなのだ。
 愛は人間の中の一つの感情などではない。愛は、この宇宙そのものの根源なのだ。
 私は、歓びと有難さの中に、自ずから姿勢が正されて静座していた。
悲しみの涙は、そのまま歓びと感謝の涙に変った。私の身心の重苦しさは、もうどこにもなかった。
私は大気そのものになったかのように、さわやかに静坐合掌していた。私と私の妄想していた世界は消え去った。
私の絶望は、私と世界全体を洗い流した。
 愛が開かれ、開かれた愛が唯一絶対の存在として、ここにあり、その愛があらゆるものとなって表現されているのがこの世界なのだ。
どの位の時間、私はその至福の中に静坐していたか不明であるが、静坐を終えて立ち上がり、
あたりを見渡すと、何もかもが愛の中に輝いて見えた。
 この愛の感動は、その後一ヶ月位続いていた。その感動のある間、私の身心は軽やかで、自由そのものだった。
504神も仏も名無しさん:2009/09/04(金) 19:53:08 ID:RQjIDdth
やがて、その感動は徐々に薄れていたっが、その時の根本自覚は決して消えることはない。
只管打坐が正に自らなる只管打坐そのものになったのは、この経験があってからであった。
私は、私の欲望としての存在に嫌というほど痛めつけられ、その絶望の闇の中に死んだと言ってよい。
 この仮象であり無常の世界は、私の観念の中にある妄想であり、その妄想の中に、
あらゆる争いや醜悪なるもの、地獄が見えるのである。しかし、自己意識は、その絶望の極点で自滅する。
私が自滅することは、世界全体が自滅することであり、それは言語を絶する不可思議な悲しみであった。

 私は大慈悲が何であるかを知った。大悲は、人間の中にある或る感情などではない。
愛の歓喜が人間の情動ではなどではないのと同じように、大悲は、すべてのものの根源なのだ。
私は、無限の悲しみと無限の歓びを同時に知った。それは、開かれた愛そのものであり、
私もまた、一切万物と同じように愛の中に顕われた愛の一表現なのだ。
505神も仏も名無しさん:2009/09/04(金) 19:58:32 ID:RQjIDdth
永遠

永遠とは時間ではない 

時間を忘越した時である

そこにはもう空間もない

物もない

すべてが「如」だけになって

それが私達に永遠を語りかける

この「如」の深甚微妙

古人はその横顔を見て

これを神と言った


――伊福部無為隆彦老子
506神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 09:50:26 ID:D+0Va1ED
ざん悔

存在する何もかもに

私はざん悔しすぎるということはない

すべての存在の苦悩は 他ならぬ私が見ているのだから

このままでいいなぞと思うのは 良心を昏ますことでしかない

願うべきは 身の切れるような ざん悔ではないか

もはや良心もざん悔もない あるのは一切生類である私だけが

そして又再び

私はどうして一切生類と自己自身とに

ざん悔しないでいられようか

身の切れるようなざん悔のみが

私に私を忘れさせる
507神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 10:13:59 ID:D+0Va1ED
色即是空も空即是色も愛なんだなあ、なんて、

まるでロマンチズムだよ。
508神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 14:44:14 ID:D+0Va1ED
そこの
横丁の
タバコ屋のおじさん
一ぴきの
井の中のカワズだった
ぼくの
超高級神秘力の眼で見てみたら
あ奴が
老子だったのさ・・・
509神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 14:53:13 ID:D+0Va1ED
私の歌をわかってくれた
たった一人のマーヤ。
求めて尽きることのない情熱よ。

しなやかな美しさを秘めた
おまえ――私自身よ。

私は神秘な恋の囚人だ。
牢獄は、私自身。
おお、マーヤよ。マーヤよ。

帰しておくれ
おまえの何ものかのもとへ。
今や、私の情熱は尽きんやもしれぬ!?
510神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 17:43:24 ID:D+0Va1ED
感情とそれからにじみ出す想像力は、欲望として以外にありえぬ個生命――人間にとって実に巨大な力を与えていた。
アトランティス文明の黄金時代は、人類の感情・想像・記憶を司るアストラルパワーの開拓の時だといってよい。
自我意識、合理的理性が今だ発達していないアトランテス人種は、合理的科学法則とは合理的科学法則とは
まったく異質の多くの夢を現実化することができた。
しかし、人類の進化は、そこでとどまることを許さない。
あらゆる個生命は、欲念を原動力として流動転変せざるを得ないからである。
欲念相続には、完全満足なる到達点はあり得ないことはいうまでもないだろう。

欲望は欲望を尽滅させるために欲望としてある。欲望は、充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。

現代西洋文明の合理的理性から見た仮説としての人間観からの人間進化を位置づけてみよう。

そうするとレムリア人種は、意欲人間、アトランテス人種は、感情人間、現代西洋人種は、知性人間ということになろう。
現代西洋人種とは、地理上の西洋、東洋を意味するのではなく、紀元前三一ニ年以後の人類全体のことである。

511神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 17:44:42 ID:D+0Va1ED
現代西洋工業都市文明の私達人類は、知性を中心として人間性の統合を果たさなければならない。
ウサンクサイ、まやかしのオカルティズムや単純な自然回帰という退行的願望や、
センチメンタルな意味での愛情や友情やカウンター・カルチャーなどに逃げ込むことなぞできはしないのだ。

だからこう言える、20世紀末の現代人は、その知性ゆえに誰も彼も死のやすらぎを願っているのだと。
これは決して異論ではない。花が花としての限界に来た時、実が出てこざるをえない。
それは花にとっての絶体絶命の闇である以外になく、実にとっては新しい未知なる実への第一歩なのだ。

もっとも、知性・理性・自我の虚無ゆえに肉体的な意味で死んだとしても、そこに、ほんとうのやすらぎなぞありはしない。
それは肉体的に死んでみたら納得できることだろう。

どうやら、欲望相続としての現代人類は、知性理性を「智慧」にまで進化させ全人的統合を
果たさねばならぬらしい。
それも、いかなるルールも保証もなしで・・・
私は私に直面しよう、知性を英知に変容せしめる『何ものか』を。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。

なぜなら 欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら マーヤのゲームに果てはないだろうから
512神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 17:55:35 ID:D+0Va1ED
人間ジャンキー

人間というジャンキーよ  おれたちは何といとおしいのだろう・・・

麻薬ジャンキー、セックスジャンキー、夢想ジャンキー

性愛ジャンキー、社会性ジャンキー、新興宗教ジャンキー、

権力ジャンキー、支配欲ジャンキー、戦争ジャンキー

殺人ジャンキー、マイホーム・ジャンキー、プライド・ジャンキー

自然ジャンキー、神秘体験ジャンキー、センチメンタル・ジャンキー

ニルヴァーナ・ジャンキー、衣食住ジャンキー、空気と水のジャンキー、

しかり!
ジャンキー・マーヤ・ジャンキー!!
しかり!
ジャンキー・モクシャ・ジャンキー!!

人間とはジャンキーのことだ。
それにしても、なんと美しいことだろう・・・
513神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 18:02:49 ID:D+0Va1ED
どうでもいい

どうでもいいには、二つある。
初めのどうでもいい、は、キマッテいない。
終りの、どうでもいい、は、ステキだ。

そして、初めも終りもないどうでもいい、は、どうでもいいもどうでもいい!

みんな、どうでもいいんだ。みんな、オレなんだ。

センチメンタル・ジャンプ

どこにでも、どこまでも、朗らかさの中を朗らかに自由に飛んでいけるようにと、
私は、あらゆるもの達に願う。

ジャンプ・イン! ジャンプ・アウト!
自由自在な愛と美が踊り狂う!

すべてが、よかったのだ。
渇望の狂暴なパンチが、あらゆる生命を、駆り立てる。
514神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 18:10:14 ID:D+0Va1ED
過ぎ去る夢の夢よ・・・

楽しみが一ミリもない時はどうしたらいいのか?

何もかもがわからないということに気づいたときはどうしたらいいのか?

私はそうである以外にない。

何もかもが全く見知らぬものと化す。不安は意味もないのに不安と感じられる。

重苦しい今の夢よ・・・  過ぎ去る夢の夢よ・・・

なにもかもいいんだよ

マーヤとは無常を内に秘めた 甘美なるものへのたんできだ

なにもかもがないと知ったら なにもかもが輝いている 底知れぬ闇さえも光り輝く

ああ、生命力よ!情熱よ!あこがれよ!クンダリニーよ!マハー・マーヤよ!

なにもかもいいんだよ・・・
515神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 10:01:42 ID:sa/ZZyCv
忘れ果てるがいい

何を語れば、いいというのだ。

語るべきなぞ 何一つとてない。

石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。

すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、
なにもかも忘れ果てるがいい。

私は髪の毛、一本
白くも黒くもできはしない・・・
516神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 10:19:03 ID:sa/ZZyCv
もはや、禅味だけになってしまった。
余りにも、禅定が神秘で力強いエクスターゼだから。

宗教は阿片だ・・・神秘体験以上の歓喜は、この世に存在していないかのようだ。

かつて小麦色のしなやかな肢体の女に、狂喜したように、
今は、ただただ、一切を越えた神秘体験に夢中だ。

これが本当だったのだ。これが完全なる至福だったのだ。否、完全なる至福以上のこれ!

何もかもかもが、本当に本当にどうでもいいのだ。

私は女だ

私は女だ 太古の女神だ!
あたいの子宮は なんでもかんでも受け入れちまうよ。

母なるものの 熱帯のぬくもりが欲しい これも夢だけれどね・・・
517神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 10:35:47 ID:sa/ZZyCv
ホワイト

ホワイト・フォックス おれは、長いこと、お前を嫌っていたらしい。

女の汚れの中の女。何一つ見ることのないホワイト・フォックス。

おまえの頭は打算だけだ。フォックス―――
だが、おまえもおれなのだ。

666のクンダリニーとともに今、おれはホワイトフォックスをも飲む・・・

白狐。所詮、おまえの神通力も、愛の代用品に過ぎない。

そして、いかなる愛も愛情も不安な灰色と化した時

ホワイト・フォックス おまえに一体、何ができよう

快適で豊富なる暮らしの神。聖なるマンモン。白狐。

もう、おれは、おまえについて、どんな判断もしやしない!
518神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 10:52:03 ID:sa/ZZyCv
楽しさをあこがれ続けるらしい

運命はあるらしい 冬が終わって春が始まるように 運命を改善するテクニックもある
天命に流されるというのもある 地獄の堂々巡りもあるだろう
これも過ぎ去る 変易しないものが 何一つないのであれば
一体、人間性という渇望に 何が言えるというのだ
それでも人間性は 楽しさをあこがれ続けるらしい

パンドラの箱

パンドラの箱は あけないにこしたことはない 智慧の樹の実は 食べないにこしたほうがいい
けれども どうゆうわけか種子は花開き果実になってゆく そうなって行くそのままにまかす以外ないじゃないか

何と完全なんだろう!

見知らぬ未知に飛び込むのは本当に恐ろしいことだ
そしてそれよりもっと恐ろしいことは君がすでに未知だということだ
私はなにも知らないとも言えまい 何と完全なんだろう!

519神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 10:58:42 ID:sa/ZZyCv
石ころは高らかに笑う

私は考えられないくらい幸福だから 考えられるほど不幸だ

たしかに観念といえば観念だ でもどうでもいいではないか 無限は無限なのだから・・・

だが これは とこしえにそれ以上だ!

石ころは、すでに、石ころではない これは体験したほうがいいだろう

その刹那 石ころは高らかに笑う
520神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 11:11:09 ID:sa/ZZyCv
ドナルド・シモダ

オレたちゃ空の遊び人 オレと瞑想とは流れもの
干し草畑をふらふらと おてんとさまに包まれて

瞑想 お前がオレの情婦だ 黒いガーターちらりと見せて
酒場で踊る女より オレはお前と寝たいんだ お前の中で寝ていたい

雲は二人の愛の巣だ 風や嵐は恐くない
すねるお前がなお恐い 白し尻から火を吹いて
お前が怒ればオレは死ぬ 死んでもくいはないけれど

王冠かむった帝王や ペントハウスの金持ちが
手をのばしてもとどかない 七千フィートの甘い大気
それが二人の絹布団 オレたちゃ空の流れ者

いくたびもなく・・・いくたびもなく・・・
ここに終わり ここに始まる
今は死ぬに最高の時だ!
521神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 11:25:10 ID:sa/ZZyCv
メシアン・ハンドブック

救世主は知っている いかなる人であっても 自分を神の子だと考えるのは もっともなことだと
健康と病気 豊富と貧困 解放と束縛 これらを受け入れるかどうか 決めるのは君達だ
パッと手を離したらいい あとのことは 流れがやってくれている
君達に命ずる これからずっと幸福でいなさい
思い出してごらん すでに君は死んだことがあるんだよ
立派な救世主は 自由に行きたい道を行く
できないことはできない
救世主でいるくらいなら 手品師か催眠術師のほうがましだ
君はつねに神でいることはできない だが、素直でいようとすることはできる
知るべし 君は何もできはしない 春夏秋冬があるように
あたりまえでいる・・・ これが救世主の極意だ
よう君 いい役 演じてるじゃねえか!

決して情熱をやめないこと 情熱なぞどうでもいいなぞとカタイことは言わないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ 世界を世界にしているのだから

君は あらゆるものとともに死ぬ 君も世界も もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている

いうなれば 君達は体験ではない体験 
それ自身を 再体験しようとしている
522神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 11:35:08 ID:sa/ZZyCv
人にはすべて夢があり

人にはすべて夢があり その悲しみは大きい
あなたは、かつて私に秘密を打ちあけた、ささやき声で・・・ 底力のあるささやき声で、
私は彼方の古里から来たものだが 今は、帰れないことになっているらしい.

すべてに宿る無限性を教えてくれた アストラル界でのあなた―――
最後の天使も 今は、何処にいるのか?

私のイトシイヒト 今、一度、やさしくも堂々と帰っておくれ。

坐禅

坐禅とは、いかなる状況、あるいは、いかなる世界においても、
生き生きと、やすらかに充実している。あるいは、たくましく、充実している。

絶対それ自身を、いくたびも体験し、そして、死のその最後の瞬間まで、
その充実を生き尽くすことにある。
523神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 11:44:20 ID:sa/ZZyCv
どこまで行ってもきりがない・・・

あなたと言ったらすでにわたしが含まれていた

地獄と思ったらもうそこには天国が花開いている
思うがままに生きるのだ 思わないままに生きているのだ

快楽と苦痛とは 果てしない戯れを戯れている この神秘のカオスのただ中には
永遠に答えなぞない

私はどこにも行き着きはしない どこに到達する必要もない
ニルヴァーナとマーヤの 混合歓喜は続き続ける

これが至福だとも知らずに これがやすらぎと生命力だとも知らずに

あなたが何をしたところで あなたにわかるものなぞ一つとしてない
死がわからないと同じように わたしの言葉もわかりはしない

わたしは小麦色の肢体が好きだ 太陽と輝くエメラルドが好きだ
ニルヴァーナを愛し マーヤを愛している

どこまで行ってもきりがない・・・
524神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 11:51:56 ID:sa/ZZyCv
たとへ、あなたがどのような存在であろうと、完全に、意味なく、価値なく、生きる時もある。
このあらゆる世界、あるいは宇宙は、夢なのだ。
時は絶対者のあらわれのひとつであり、それは一つの法則であるが、法則には例外というものがある。

私のことも、私のまわりの出来事と称せられるものについても、
本当に、あるいは、真実にはまったく知ることはできない。
その絶対は起こる。その至福でない至福は起こる。
その確信ではない確信は起こる。

だが、私は、これが、何であるかを、知ることは決してない。

すでに知っていると思いこんでいることと、未知であることとには何の違いはない。
525神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 11:56:29 ID:sa/ZZyCv
思うに、アジナー・チャクラは、相対即絶対のあらゆる 
知覚体得がかかわるある種の生理的位置である。

いいと言うことと 悪いということの 多様多元の世界。
マーヤ、多元宇宙。それ以上、何が必要か・・・?

「あなたは、いつも、もっともっと欲しいのだ」

526神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 12:15:44 ID:sa/ZZyCv
壊れたラジオ・・・人間  調和のとれているラジオ・・・人間

いづれにせよ絶対に条件付けられたラジオだ。出口はない。
余りにも、あたりまえなことだが、あらゆる現象存在にとって、出口はない。
あらゆる形で固定された私たちには。

無意味な、あるいは大いなる意義あるルールを、形式を問わず完うしつくすことが、
欲望のエネルギーである。完全に充実する、完うしつくすとはなにか?

もし、そこに少しも余計なものもなく、ただただの流れが、あなた無しのあなたを。
限りない「それ」であるのは。それはそれなのであり。

この意味でルールを完うしつく続けるだけならば、
そして、その具体的なあらゆる努力を、作為・情熱・倦怠・安心・不安・全智・恐怖
などを抜きにしてなされるある状態を、カルマヨーガと称する。

527神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 12:17:44 ID:sa/ZZyCv
なんかある?

「どうしたら、自由になれるの?」
自由になる方法はひとつだけある。たった一つだけ。それはね。今、自由になることだ。
「どうしたら、殻がとれるの?」
君が、殻がとれるっていうような余計なことを、考えなくなる時、
殻はとれるものでもないし、存在するものでもないのさ。
君を阻んでいるものは何一つないんだ。
だから、君を阻んでいるどんなものも無いって思う限り。
せいぜい君を束縛するものと付き合えばいい。
それもちょっと付き合うなんていうさ、何かその、こころのこりの付き合い方しないでほしい。
ほんとに付き合ってくれ。
君の限界や、君の束縛や、君の不条理や、君の不如意と。
そしたら、そういったものがさ、きみが描いている夢にすぎないことが分かる。

さあ、今でいいんだよ、いま、うん、いま自由でいいんだ。
そしてその自由の中をね、さらに自由を求めて生きていくっていうのが人間の戯れなの、この宇宙の戯れなんだ。
そんなカタイこと言うなよ。
今、自由なんだ。自由だからこそ君は精一杯生きることが出来るんだ。

「それは愛なの?自由ってのは?」
愛は自由。愛は愛でもないし、自由は自由でもない。
でも、言葉にしたらそうとしか言えない。
528神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 12:18:43 ID:sa/ZZyCv
愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。

それは、同時にあるんだよ。

それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。

さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。
529神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 15:27:41 ID:sa/ZZyCv
人のからくり

肉体――→エーテル体
エクトプラズムは、エーテル体の流出のことであり、肉体とエーテル体は死とともに崩壊する。
エーテル体は、漢方医学の経絡に相当する。

アストラル体
7つ、あるいは10個の光輝くチャクラからなりたつ死後にも一定期間存続する本人と類似する光明体である。

霊体(メンタル体)
人間の最初にして最後の個性であり、永遠不滅の実相身である。
各人、各様の形象をとっていて、一定の型を持っていない。原型イデアである。

キリスト・ブッダ・クリシュナ等の霊体は絶対無・絶対光・変幻自在である。
善人においては、イデア相応の最高の美的形象をとった人間的な形を持っている。
悪人においても、その裏返しとしての最高の形を持っている。

サタン・ルシファー・悪魔などの霊体は絶対無それ自身で完結している絶対の暗黒・
そして変幻自在の形象を取り得る。そのイデアは鉱物に近いといってよいだろう。

神の化身としてのアヴァタラと、悪魔の化身としてのサタンの実相身は、
そのイデアの面から見れば、他のあらゆる人々との霊体と同様に絶対的な原型であることに違いはないが、
神の化身は、悪魔を包むことができるが、悪魔の化身は、神以外のすべてに変容することができても、
神・絶対全体に成ることができない。

もっとも神も凡人も悪魔も、たいした差のありようはずもない。

神・すべてのすべてそういうわけで、神などと言ってるうちは、ぜんぜん楽しくないのである。
530神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 07:40:06 ID:edXWcKhH
コザール体 肉体から数えて第五番目の身体であり、肉体と世界を作っている原因体である。
それは肉体のような身体の形式を持たず、霊眼で確認すると、球形の光と見える。
そして、個別性を作り出す原型的な生命光である。

以上のように、神の似姿としての人間の全貌から見れば、人間身体は重層的複合体であり、
例えば、あるチャクラが開けたなどといっても、厳密にはどの身体のどのチャクラのことであるか
というような精密なものである。
531神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 07:44:04 ID:edXWcKhH


宇宙は君たちを餌食にしようとしているんだ。

君は君自身を恐れてはならない。
532神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 07:48:29 ID:edXWcKhH
真理に至る道などない。
それが真理の真理たる所以である。
部屋の片すみに坐って
朝から晩まで、
真理について思索していたら、
真理に目覚めることもある。
そこが又
真理の面白いところである。

すべては、神の夢の戯れであり
すべては、神の真実それ自身である。

肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体・コザール体が、死に果てれば、
アートマンは、ブラフマンに直結する。
死とは神である。
神とは七つ、もしくは十の無限次元を持つ全体者それ自身のことである。
創造の光とは、この全体者の中心次元のことである。
533神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 08:02:08 ID:edXWcKhH
生命の極点という夢

自由自在への憧れも消えた 生きのびるすべは常になく
生きる充実も消えた 死に果てて生命のないもの達も 生命感の躍動という幻も消えた
死に果てて生命もないという 幻も消えた

恐怖を原動力とした無限の宇宙劇 快楽を求める永遠の自己運動
悪魔のような智慧の鋭さも 天使のような柔和な微笑も消えた

無意味なウジ虫のような センチメンタルな人生ももちろん消えた
首つり自殺で死んだ 失恋した少女の静寂ももちろん消えた

卑劣に生きようとする生命達 卑劣に生きられない生命達
それはそれである以外になく これはこれである以外にない

何ものも感じないという石ころ 何ものも見ないという石ころ
けれども石には石の苦悩があり 石には石の生命力がある

悟りという迷い 菩提という煩悩 宇宙意識との合一という幻想

無限という迷信 永遠という偏見 現在という幻

涅槃寂静以外になく

その涅槃寂静も もはや消えた

霊魂が高まり深まるという妄執 宇宙大生命の生成流転という夢 生命の極点という夢
534神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 08:09:46 ID:edXWcKhH
底抜けのほがらかさに至らざれば瞑想にあらず。
 単純極まりない素朴さに至らざれば瞑想にあらず。
 余りのあたりまえさに至らざれば瞑想にあらず。

 時間とは、君の見ている観念もしくはトリックである。
 それ故、君は、正確に必要なだけの時間を、忍耐せねばならない。
 君には、正確に必要な時間だけを知ることはできない。
 
 人間自我が消滅すれば、何もかもが消滅する。そしたら、君はどうすりゃいいんだ?
 どうする必要もなく 至福は、ただ、生きている。
 君なぞどうでもいいから愛自身なのだ。君なぞあったためしがないから自由なのだ。
 君がないことが知恵であり、絶対無とは、君自身だ。

 純粋瞑想を生きること。それ以外に、この人類が、戦争もしくは破滅するのを
 避ける道はないだろう。生きている間に、死ぬということ、これが純粋瞑想である。

 あんたには、この数限りない神々が見えないのかね
 バカモン!悟りも迷いもあったためしはない。

 それが、外的なものでも内的なものであっても救世主には気をつけなさい。
 タナからボタモチは落ちてきはしない。うまい話にはウソがある。急がばまわれ
 君自身がたどる道は、君の心すべてが、たどる道なんだ。 

 水晶のように透明に、あるがままの素直さで、何かに直面することによっても、
 神は開示される。直面するものは何でもいいのだ。

 あなたは、満足を求めているのではない。絶対の満足そのものの中に、消え果たいのだ。
 愛情は、あなたなしにはあり得ないが、愛はあなたがあったら目覚めない。

 完全な自由とは何か?あらゆる現象を、この世とかの世のすべてを包みつらぬいて、
 しかも、それぞれの現象自身なる愛だ。
535神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 09:03:26 ID:edXWcKhH
君はもともと慈悲の救世主として この世に生き切り死に切っている 他のありとあらゆるものと同様に
そして 慈愛と自由とは 君の思い込んでいる人間性の中にはない

救世主は すべての場所と時間を通じて 只一人しかありえない
それゆえ救世主は 一つの肉体や人格でないばかりか どのような決まった形態も持っていない

エゴという幻想が虚構したものでない 幸福を仮に真福と名付けるなら
一切生類は、絶体絶命の逆対応を 必然的に純粋瞑想せざるをえぬ
なぜなら 一切生類が真福であり 純粋瞑想それ自身だから

瞑想とは、人間性・人生・生老病死・大自然・存在の本質に目覚め、
これによって永遠に千変万化しているこれ自身のことである。
したがって瞑想には、いかなる立場も本質も存在しない。

本ものの瞑想修行にイージーな態度で手出ししてはならない。
現代においては、単に日常的人生を生き抜くだけでも、大変な努力を必要とする。
まして、瞑想修行は、全生涯に渡っての、全面的・全身全霊的努力を必須のものとするであろうから。

君の内なる感受性を、社会に無理やり適応するというやり方などで殺してはいけない。
正しい感受性は、とても傷つきやすいが、それは、愛情と信頼、そして瞑想への種子となるものだから。

536神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 09:04:14 ID:edXWcKhH
瞑想の極点は、ニルヴァーナではない。瞑想に極点があったら、
それは、瞑想ではなく、何らかの瞑想的ゲームにすぎない。

救世主なぞいらない。私達、一人一人が、真人間になればいい。

禅であろうが、ヨーガであろうが、それが純粋なものであるならば、
個人的人格や、人格のいわゆる成熟を問題にしない。
真実とは、人間の個人的人格性とは、いかなる関係も持っていない。

あなたの問題が、自我とエゴイズの問題なら、禅がオーケーだ。
あなたの問題が、自我とは何か?自とは何か?我とは何か?何かとは何か?
世界全体とは何か?これとは何か? であるならば、クンダリニー・ヨーガの正しいグルを必要とする。

あなたがいる限り、生老病死の苦悩がある。あなたがいない時、全体性が目覚める。
これが禅である。

あなたにとって、あなたを含めて、確実なものは何一つない。生老病死の苦悩も、絶対不可知である。
何もかもがわからない。わからないということもわからない!
これが、クンダリニー・ヨーガのスタート・ラインである。
537神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 09:08:54 ID:edXWcKhH
この世のものであろうと 地獄や天国のものだろうと
神人合一や解脱・ニルヴァーナであろうと 夢幻や幻覚の中のものであろうと
君は本当に知り尽くさねばならない、断じて君は、何ものも自分だけのものにすることができないことを・・・
それどころか、君は、君さえも、自分だけのものにできはしないのだから。

体験という用語を使うのなら とにかく、ニルヴァーナは体験した方がいい。
なぜなら、一切生類は、ニルヴァーナから生まれ、ニルヴァーナを再体験するために
あらしめられているからだ。
もっとも、体験されたニルヴァーナは、ニルヴァーナではない。

人間自我は、全面的な絶望の、その極限においても消滅する。
だが、これは努力して到達するような、シロモノではないし、努力しないで到達するようなシロモノでもない。

この言葉が、君にとって、どんなにチンプに聞こえようと、清く正直な生き方をしない限り、悟りは開けない。

絶体絶命のダメージやアクシデントによっても、エゴは、消滅しはするが、
発狂か死か悟りか、そのどれが起こるかは、保証の限りではない。
種子からいきなり花は咲きはしない。
538神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 09:52:20 ID:edXWcKhH
タントラ・ヨーガ・スケッチ

それが、どのように 素晴らしい体験であろうと 醜悪極まりない体験であろうと
体験が体験である限りどうということはない。

いうなれば、君達は、体験ではない体験それ自身を再体験しようとしている。
君達こそ あらゆる素晴らしい体験と醜悪な体験との演じ手であると同時にそれ以上のものであるにもかかわらずだ。

アメンティー・タントリズムとアトランテス文明終末以後のあらゆる瞑想行法のトータル・タントラ・ヨーガ
それらを私であるところの私自身はタントラ・ヨーガと名付けることにする

1、占星学 
占星学は処世術ではない、セルフのカルマを解明することによって、
自己の使命をまっとうすることである。

2、ソーマ・ヨーガ
ソーマとは、主に薬草などをケミカルに合成して、意識の変容を体験せしめ、
人間の可能性を拡大させるためのきっかけとして使用される。

3、カーマ・ヨーガ
性愛にもとづく全面的な交合によって、肉体的分泌線とエーテルエネルギーを、
快楽を通じて活性化せしめる。
539神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 10:09:28 ID:edXWcKhH
4、気功導引法
気力・プラーナ・エーテルエネルギーによって、肉体の血行とホルモンバランスを整え、
エーテル体をよりよく健康にする。したがって身心は生命力に満ちた健康体となる。

5、ハタ・ヨーガ
主に、無数のアサナとプラナヤーマとムドラーによって、デリケートな感受性と柔軟性を現実化していく。
その結果、各ボディのブロックも徐々に消えていくわけだが、現代の生存競争と現代物質文明に必須な
自己防衛機能も消滅するエゴの危険をも覚悟していたほうがいい。

4の気功導引法と5のハタ・ヨーガとは、タントラヨーガの分水点と言ってもよいだろう。
4の気功導引法までは、現代物質文明を生きのびる処世術あるいは気晴らしといってもいい。
だが、5のハタ・ヨーガに本気で取り組むつもりなら、自己の全人生にいのちがけで
取り組まなければならない可能性があることを、肝にめいじていたほうがいい。

6、マントラ禅
あらゆるセラピーのもっともシンプルな結晶。1から5までのタントラ・ヨーガの集大成。
自我という欲望からの解放への出発点。

7、丹田禅
政治・経済・社会・労働という物質と、精神・健康・快楽という物質文明に順応するためのセラピーの終息。
自我という欲望を終息。自我という欲望を消滅させるための全身全霊をかけた自我との戦いのオープニング。
540神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 10:28:15 ID:edXWcKhH
8、観想法
実在のリアリティーにもとづいて、観想の対象は決定される。それゆえ、生起次第と究竟次第という二つの観想プロセスは、決して分離することのできない。
それは、あたかも空と色が決してニ分割できないということに相似している。
七つ、あるいは十円周のマンダラ、あるいは、七つのチャクラなど、それらは、リアリティーに立脚しているがゆえに観想の対象になる。
観想法とは、自我と宇宙からの解脱によって実在それ自身に合一するクンダリニー・ヨーガのウォーミングアップの一形態である。

9、クンダリニー・ヨーガ
いかなる前提や観念抜きに、あらゆるチャクラやボディをや次元を通過して実在自身に回帰合一すること。
もはや、個別性はどこにもない。

10、只管打坐
1から9までのすべてを内包するとともに、完璧にそれ以上であり、完璧にそれ以下なるもの。

瞑想とはそれ自身が究極の花であるとともに その花の様々なそよぎである
それは、シリアスだとも言えるし それは、余りにもシンプルだ。

ごく素朴な疑わぬ心 それは人生の洞察から出てくる何か?
それが、坐禅や、タントラ・ヨーガの初めに大切である
あとはとことん全身全霊の日々だその途上にあらゆる断片がある。
541神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 10:31:15 ID:edXWcKhH
死は実在上すなわち自分自身の死はクンダリニー・ヨーガの修行によって体験できるものであり
この死自身の解明が、全面的な安楽と生自身の智慧を与えてくれる
それは、余りにもデリケートだ そしてナチュラルだ

マントラ禅・丹田禅は
心身一元観の上に心身を経過して身心一如にいたる

クンダリニー・ヨーガは
不二一元観にその立場を持ち霊肉二元を経過して絶対実在にいたる

只管打坐は
霊身心一如から生死一如にいたる
色即是空は空即是色となり 色是色・空是空として 永遠の未完結を完結する

禅には、上昇という概念はない。禅は、あくまでも無念の底への落下である。
ヨーガには、脱落という概念はない。クンダリニー・ヨーガは、あくまで根源への上昇である。
禅も、ヨーガも、宗教ではない。しかし脱落と上昇という概念を混同させてはならない。

禅は、神聖を肯定も否定もしない。
クンダリニー・ヨーガには、神聖という、ある種の感覚が、最後まで必要だ。
禅には、最終的には、根源という概念も、根源というリアリティーも不要なものとなる。
クンダリニー・ヨーガにおいては、根源への回帰が、その最終地点となる。
禅には、最終地点というものはない。
542神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 10:40:52 ID:edXWcKhH
腰を入れて定力をつけよ。尾骶骨を燃え上がらせよ。
ムラダーらの中のクンダリニーには、君とこの世とのクサレ縁をほどく、無限のパワーが秘められている。
そして、もちろん、無限の地獄も。

神から見れば君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。
地獄とは、あらゆる個生命達の欲念相続のことだ。地獄とは花開く直前のツボミのことだ。
今や、君が地獄だ。

人間自我という欲望には、いかなる解決もない。そこで、解決不可能を徹底させて、
全体性の愛自身に目覚めるか、それとも、自我と肉体とを死滅させるかということになる。
あらゆる宗教は、以上二つの方法論の観念体系、もしくは、イデオロギーである。
禅とクンダリニー・ヨーガは、この二つの現実的実践方法である。
543神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 10:45:29 ID:edXWcKhH


本当に楽しく生きる。

多くの人々がいまだ知らないもの

それは、伝わり得るが、極めて難しい。

それは、不可思議それ自身の縁によらなければ・・・

それはジョークだが
 
人間の生き方を 根底から変容せしめる

544神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 17:27:47 ID:edXWcKhH
すずめがさえずり


すずめがさえずり

若者は熱病にうなされ悩み

老人が季節のうつろいに眸をしめらす時

あるものが高まろうとしている

あるものが帰ろうとしている

いやおうなく

あるものが高まろうとしている

あるものが帰ろうとしている

密かな懐かしさを内に抱いて
545神も仏も名無しさん:2009/09/08(火) 17:53:27 ID:ljVqRqk5

全体性の回復とは回復ではない。
あたりまえなことだ。
すべてが、完全だというも、
すでに手遅れだ。


君の四つの宝物の内
瞑想行法として形式を持つのは三つだけである

地上を楽しむための丹田禅。 
天上を楽しむためのクンダリニー・ヨーガ。
天地人を楽しむための只管打坐。

ついでに 
君の四つめの宝物を述べておこう
それは
いかなる形式も持っていない
どうでもいいということさえも
どうでもいい。



『何ものか』への情熱、それが全てだ。

546神も仏も名無しさん:2009/09/09(水) 19:03:19 ID:cMSqAorn
瞑想は、人間性の営為の発生源である。
それは、現代までの、いわゆる宗教とは何の関係もない。
芸術・道徳倫理・医学・科学・哲学・宗教・政治・経済・・・
それらは、瞑想の中に、その最終的根拠を持っている。
だが、現代文明のそれらのガラクタとは何の関係もない。

純粋瞑想が、本当に理解されるかどうかは、私達個々人の感受性の質と直観力にかかっている。
したがって、純粋瞑想について何かを解説するのは、まったく無意味である。

全面核戦争と、地殻の変動によるものと思われる各国主要都市の水没は、
禅やヨーガを問わず、真の修行者達が見る共通のヴィジョンである。

君が救世主であるということは
君の久遠の自己訓練としてのみあり得る
あるがままのすべては救世主だが
あるがままにいる自己訓練ほど
君にとって恐ろしいものはない
それは君の死を必要とするからだ
君という欲望が死んで
君自身は君のものなるすべてを解放する
この刹那に
久遠の自己訓練は
果てしなき久遠の戯れになっている

君そのものが苦であることを 全身全霊でわかった時
君は一ミリも動くことができなくなる
そこに救世主があらわれるギャップが可能になる
真実の救世主とは 君の全面的生き様によって
絶体絶命に直面した時 開示される者以外にはない
547神も仏も名無しさん:2009/09/12(土) 19:09:58 ID:hml2coWI
>>63

> 禅宗側がダイジの見性に異議ありだったって話とかあるけど、ダイジは悟ってとは思うけど
> 余分な部分(残った自我の見る無明)は無かったのだろうか
> ダイジの悟りは本当の大悟だったのだろうか

臨済禅の初関を透った程度、次の過程に進んでない(参禅していない)。
548神も仏も名無しさん:2009/09/12(土) 20:03:59 ID:t+vIbMlE
悟りに段階なんかないよw
一回転して元に戻ってくるだけ。
549神も仏も名無しさん:2009/09/14(月) 09:32:34 ID:fHuih+ru

私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。
どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。
550神も仏も名無しさん:2009/09/14(月) 13:03:39 ID:YcpY4962
つうか、他人の悟りが浅いだ深いだ、
気にする習性は、ただの自分大好き教w
551神も仏も名無しさん:2009/09/14(月) 21:33:29 ID:0k6KQgts
>>550
> つうか、他人の悟りが浅いだ深いだ、
> 気にする習性は、ただの自分大好き教w

穿ちすぎ
552神も仏も名無しさん:2009/09/14(月) 22:04:10 ID:hMoep4r5
>>550
他人の悟りを気にするのは単なる自我ですがそれもまた悟りそのものです
この世に悟りでないものはないのです
553神も仏も名無しさん:2009/09/15(火) 06:02:32 ID:E9UzzgLK
禅のどの段階とか、ラジオ体操のハンコウ集めるのと一緒だろw
554神も仏も名無しさん:2009/09/15(火) 21:16:51 ID:m6guwVYZ
548=550=553
555神も仏も名無しさん:2009/09/17(木) 00:39:04 ID:2SzAYesf
分別好きな禅師集合w
556神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 16:20:41 ID:NnS9tRkk

すべては、神の夢の戯れであり すべては、神の真実それ自身である。

進化が神様といっていい。成長が。成熟が。

そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。

君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。

最も学ぶべきことは それを君は最もうまく 生きたり教えたりできる

学習者として実行者として教育者として以外に救世主はあり得ない

何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
557神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 16:23:58 ID:NnS9tRkk


真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである
558神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 17:47:15 ID:cOD8d7vt
37で自殺して、そのとき道場通っていた人たちの多くは、それで離れていったのだろうな。
559神も仏も名無しさん:2009/09/24(木) 18:06:24 ID:+LGSNOuW
他人の程度が気になる禅の境地は、すごく高いのだろうなw
560神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 07:24:45 ID:vl6PJOBG
本物は心の一番奥底から、小さく囁くように語りかけている。

偽物ほど心の表面で、きらびやかな大きな声で語りかけてくる。

ダイジ
561神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 10:27:14 ID:2Tn7XQLR
   冥想の戯れ

すずめが鳴いて すずめとなり

石ころが笑って 石ころを生きている

クリシュナは牧女達とヤムナーの流れに遊び

冥想が冥想を冥想し続ける

ブラフマンもニルヴァーナも忘れ果てたところに

人間も文明も もとより無い

今 ここに 冥想は戯れ

かつて誰も見も知らぬ

まったく新しい 人間と文明とを 産んだ
562神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 09:07:24 ID:Kf/9jpsG
   冥想による絶対平和(1/2)
 冥想の窮極において、一切の現象は終息する。時間、空間
物質は仮象であり、その本来の無に帰し去る。
冥想には自己と世界とのあらゆる対立抗争は存在せず、それ
ゆえいかなる人間的争いも苦悩も無い。
冥想そのものは、どのような制約限定をも超えた愛と歓喜の
広がりであり、そこに、私達は久遠の自由を生き、またあら
ゆる愛を生きている。
様々な冥想行によって私達が純粋に冥想自体を体得してゆく
にしたがい、私達は、絶対の愛や安心や自由が何であるかを
知る。
冥想には何ものも存在せず、何もないと認識する自己も存在
していない。しかも、冥想は冥想自体で久遠の光明を自覚し
ている。
私達は冥想においてあらゆる自由を生き、不安と不満とによ
ってエゴイズム的に成り立っている現代物質文明の暴走を否
定超克する。
不安と不満はいかなる物質的繁栄によっても解消することは
ない。不安と不満とに原因である個的自我という妄想から私
達は解放されねばならない。その時、私達は無我の限りなき
さわやかを生きる。
西洋的都市文明の物質的暴走は、不安による逃避的あがきを
くり返し、今その終末を向えている。
563神も仏も名無しさん:2009/09/30(水) 09:24:50 ID:Kf/9jpsG
   冥想による絶対平和(2/2)

物質は、本来私達の肉体生命を維持するに必要なだけあれば
よいのであって、物質が、私達に本当の幸福をもたらすこと
はない。
農業こそが、もっとも非エゴイズム的な文明形態でありこの
現代商工業都市文明が、その物質的暴走ゆえに崩壊した後に
農業重視の新しい精神文明が起こるであろう。農業は私達の
肉体生命の基礎であり、商工業都市文明には存在しない。
個的自我という妄想から自由である私達は、欲望と不安とか
ら解放され、もっともあたりまえに農業を尊重する。
私達はあらゆる経験の中で、現実そのものに何の恐れもなく
直面し、自我意識という妄想の非存在を確認する。
坐禅も祈りも、感謝報恩も、現実の絶対性の前に無心になる
こともすべて、愛と自由の冥想そのものの自己開示なのであ
る。
私達は、夢も理想もエセ・ヒューマニズムも 理屈思想もい
らない。あるがままの無相無我なる私達は何ものに制約され
ることもない。
自己も世界も無い世界には平和運動などという欲求不満のヒ
ステリー的暴力も存在せず、ただありのままの平和を私達は
生きている。
564神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 09:20:28 ID:0MydNuAE
 今は君はバッタで 僕はどうやら人間というものらしい
 この次の出会いでは 僕は一ぴきのバッタで 君は天使になっているかもしれない
 バッタよ、君よ、愛しているよ バッタよ、君よ、未来の天使よ、私自身よ

 意識の極北に言葉は無用だ あらゆる生命達は 永遠にそれを知ることはない
 「あれ さきまっでの夜が朝になった」 「パン屋のオヤジさんが死んだからだよ」

 私は神という夢が好きで 神は私という夢が好きだ そこで私は 
 何不自由なくすべてを実現し すべてのすべてを愛し尽してしまった
 たぶん君は神という夢が好きなんだろう
 だから決して 神という夢さえも無くなったら何がある?などと問いはしないだろう

 もう闇さえも忘れたこのいのち いかなる緊張も持たぬ情熱が
 いのちの限りない広がりへ 命を回帰させる
 「あなたは誰ですか?」 私は、魚よ、君自身だ
 この限りない海そのもののいのちだ 君、魚よ、私自身よ、海よ

 私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝 ナーガよ 私自身よ
 ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ 
 ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠に解けぬ逆説
 ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ
 ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた究極実在
 ナーガ 全智全能なる私自身よ 

 如意第慈 瞑想三昧は 愛を越えた愛と
 自由を超えた自由の私の自己確認であり その完全が 神が
 私に私の天命を生かしめる
 夜の享楽の町も 夜明けの大自然の風光とまったく同じに 私の中にある
 どうしても私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
 私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
 帰る家などを問題にするのはやめよう 何もない所で
 私はわが家に安座している
565神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 09:21:40 ID:0MydNuAE
そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、
 触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。
 触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
 始まりも終わりもない世界だ。
 でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。
 なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。

 だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。
 いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、
 離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?
 神は戯れるのが好きなんだ。
566神も仏も名無しさん:2009/10/01(木) 14:58:12 ID:M3DtBRvZ
運命の改善と解放

(1)この世
 この世に失明やつんぼの苦しみがあり、病いや肉体的苦痛
があるということは、五官からなるこの物質世界が、無明の
世界・迷いの世界であることを示している。
 すべての肉体は老化し、死滅するということは、この肉体
世界が、実在していないことを証している。
 この転変極まりない不確かな物質的なこの世に不満も疑い
も持たない人々にとって冥想は不必要である。
 この世の不如意と不条理に嘆き、この世の中により素晴し
い不動の世界を実現しようと思うか、この世を越えたそれ以
上の世界を切望する人々にのみ冥想は、無限の力を発揮する
のである。
 人間自身の内部には、通常の五官からなる欲求不満と不安
との日常的自意識以上の高次元意識が存在している。
 この通常の苦しみ多き日常意識以上のより深く高い宇宙的
な意識の中に、人間苦のすべてを解消する玄妙なる潜在力が
実在する。
 この潜在意識、宇宙意識を自由自在に顕現させ光輝く、本
来の生命生活を実現するのが冥想なのである。
567神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 00:26:06 ID:ozDGFIT/
(2)運命の改善−(観想法)
 人間のあらゆる人生的な成り行きは、人間内在の潜在想念
あるいは業想念の結果である。
 その人間内部の霊的意識界に、定着されたイメージが、具
体化して、この世に現れたのが、その人の運命である。
 したがって、悪い運命を、より納得できる幸運に転換する
には、潜在意識と宇宙意識との交流によって想念イメージを
変革させることが必要なのである。
 この想念イメージの変革には、五官的自意識を差って、そ
れ以上の高次元意識へ、自己を高めなければならない。そし
て、その高次元意識の中に、自由自在に、自己自身の願うが
ままの想念イメージを形成定着させればよい。
 運命は、神秘的勢いを持って自在に転換され、おのずから
実現されていくであろう。
 潜在想念界に、自己の願うがままの映像を観ずるこの冥想
を観想法と呼ぶ。
568神も仏も名無しさん:2009/10/03(土) 00:26:56 ID:ozDGFIT/
(3)解脱-(無想法)
 解脱ということを仮りに弁別すると、何か個別的部分的束
縛から解脱するという小さな悟りと、この世の一切万物から
解脱し、神そのものと合一する大いなる絶対的悟りとがある。
 いずれにせよ、潜在意識を浄化し切り、宇宙意識そのもの
の一元性へ帰入することなのであり、それは、肉体人間の自
消自滅であり実在そのものの開顕である。
 窮極の解脱には、通常のあらゆる想念は、すでに存在せず、
それゆり、この無相三昧を無想法と私は仮りに名づける。
 坐禅でも題目でも念仏でも方法は、どのようなものであっ
ても、この現象世界全体からの解脱がニルヴァーナなのであ
る。ニルヴァーナすなわち無想の世界には、二度と人間苦が
現れることはない。

(4)冥想の道
 冥想あるいは精神統一の道と方法は一つだけではない。私
達は、私達の意識を深化高上させる、私達に最もふさわしい
道を進めばよいのである。
 私達は、私達が本当に願っているもの、私達に最もふさわ
しいものを、まず発見しなければならない。
569神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 09:51:29 ID:QKrEZ5y3
私は一人のサニヤーシン

現代文明は私を不適応者と呼び 時に生活無能力者として唾棄する

私の目的は生活を便利にまた豊かにしたりすることではなく

人間が人間である限り決して避けるすべのない人間生命の不如意と不条理を

また病いと老衰と死の虚無とを越えること離脱すること久遠の愛という至福を生きること

何かに対しての自由ではなくすべてのものからの自由を実現することだ

それゆえ私は衣食住に執着することなく因縁に従って出で来る一切を受容し祝福する

私の世界への愛情は人々へ深い安らぎと不滅の智慧とを示唆するばかりだ

私の目には肉体の死は映らずそれゆえ私はこの慈愛に生かされて

餓死も十字架上の死も毒杯もいとうものではない

愛と自由の顕現は自己保存のあらゆる合理性を無視し

私自身の思いのままに大宇宙のいとし子なる私を生かしめる
  
偉大な社会人たちよ時に私の生き方に見られる非情や狂気を許したまえ

あなた達偉大な社会生活者がいなければ私はないのだから

ただ私は私の道を行く以外にないそれは私だけの道であり決してあなたの道ではない  

私は一人のサニヤーシンにすぎない
570神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 09:55:58 ID:QKrEZ5y3
私は一人の社会人である

人間の経済物質世界のバランスのためにこの無数の糸織り成す大社会の中一人の社会人として生きるのみ

私のテーマは常により豊かな衣食住の維持と発展だ

願わくは豊かな物質の恩恵があまねく一切衆生に及ばんことを

相互扶助こそ社会人としての私の理想だ

私は豊かな生存のために私の知力と体力との一切を駆使して行動する

そして 時には戦い

わが家族、わが一族、わが世界の安定のために死するもまた悔いはない

私の頭には常に未来へのより豊かな計算があり

私の四肢は豊かな収穫の日のために力みなぎり飛翔する
571神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 09:57:24 ID:QKrEZ5y3
だが私は知っている

愛なきパンは人々に本当の幸福を決して与えないことを

それゆえ私は戦う愛に死ぬ私はパンと化してあらゆる生命達の上に降る

社会を越えて生きるサニヤーシン達よ

私はあなたがたにどのような供養も惜しまぬ  

あなたがたの智慧がもしこの世になくば社会は弱肉強食と生存競争の機械に成り果て

豊かな物質は火に油をそそぐがごとき魂の飢餓となって社会をくさらせるから

私は一人の社会人私の全心身は 愛にはぐくまれて豊かな物質と魂のパンとなって実る

社会人たちよ 戦え

愛のためにわがしかばねを乗り越えて戦え
572神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 10:02:03 ID:QKrEZ5y3
私はクリシュナ

この現象宇宙そのものの化身生々流転という愛の幻力の子

私は果てることなき世界とともに永遠に遊び戯れるもの

私の微笑は傷つき倒れた兵士の中に歓喜の光を与え

神を呼び叫ぶ苦行者の孤独の中に大宇宙そのものの愛となって現れる

私の遊戯三昧はあらゆる戦いと修行のいばらの道を

一瞬に光り輝く大道と化せしめヴィシュヌ=マーヤの遊戯はその無限救済をも意識することなく

いつまでもいつまでも果てることなき大生命とともにくり広げられる
573神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 10:03:56 ID:QKrEZ5y3
私は抱くともなくブリンダーヴァンの森で牧女たちに愛撫を与え

その甘美な愛撫はいつしか肉体と世界を越える

牛飼いである私は牛を生命そのものの安心で包み

戦士となった私は言語不倒の脅威となってあらゆる恐怖と不安を粉砕する

サニヤーシンと聖者たちすべては私の手足であることの至福に自己と宇宙とを忘れ

時空物の三元のない私自身は時空物という果てなき華を戯れに咲き乱れさせ

戯れに私の胸の中へ吸い込み憩わせる

それでも私は一人のクリシュナにすぎない鹿と間違えられ猟師の矢に死んでも

私の遊戯は尽きることがない

私はクリシュナ

私は私のクリシュナの道を生きる以外になく

そしてサニヤーシンの道も社会人の道も私は生きる以外にない

私はクリシュナであり私は私の大宇宙の化身である他はないのだから
574神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 10:48:38 ID:QKrEZ5y3
さて、狂言まわしは、このぐらいにして、私達人類の緊急課題をここに提示する。
それは、いかにして戦争をなくして、平和を得るかではない。政治経済の混乱でも、
人間性の超管理下や堕落の問題でもない。エネルギーや公害の問題でもない。
人類の最終目的や意味や価値の発見でもない。現代物質科学文明の崩壊でもない。
それらは、症状であって、病因そのものではない。それ以前の根本原因が、
人間の内にあることの結果にすぎない。
私達人類全員は、この私という根本原因を、何よりも先に、探求せねばならない。

あなたが、どんなに素晴らしい体験をしたと言い張ったところで、それは、
何やらわけのわからぬあなたと称するものの一経験にすぎないのではなかろうか。
依然として、あなたは、わけのわからぬあなたなのではないか。 『これ』は『これ』なのだ。
この事実に目覚めることを、私は神秘体験と仮に名づけるばかりだ。

まったく、花も実もありゃしない。まったく、不粋だ!
575神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 10:57:01 ID:QKrEZ5y3
何が善で何が悪だ?
瞑想とは、善悪の彼岸であるなぞと思っている人物は、超人になるどころか人間や動植物や鉱物にもなれまい。

本質的な問いには、解答というものはない。にもかかわらず、あなたは、問うことをやめてはいけない。
少なくとも問いも答えも、あなたも世界も、消え果るまでは・・・

この世とかの世を通じて 君にとっての最大の恐怖は、君が君自身に変容する瞬間である。 そして最大の至福も・・・

人は、完璧に地上にいて、地上にいないのがいい。
地上の欲望による堂々巡りのトリックを実感する度合いに応じて、君は、君自身を想い出し始める。

いわゆる大人と称する、未成熟な大人たちが、
「君、それ考えすぎだよ」という。本当の全身全霊的な思索からしか、決して成熟は、起こらない。

デタラメきわまりない、社会性という、欲望ルールを、あまり信じすぎてはいけない。

その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。

君が、おのずからウソをつけなくなったら、君は本ものの超人だ。

それがそうであり、これがこうであるなら、もっとも素直に直面していく以外にない。

すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための
瞑想修行という 果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ
576神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 11:00:17 ID:QKrEZ5y3
君を救済するとPRする いわゆる救世主とは

ペテン師か催眠術師か誇大妄想狂かそれらでなかったら

トリック・スターに化けている本物の覚者である場合もある
577神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 17:01:07 ID:QKrEZ5y3
ダイジ  居酒屋

みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう 
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい   みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている

愛してるよ  君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ

いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる

なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
578神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 17:03:06 ID:QKrEZ5y3
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ

悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ 
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない
精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
579神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 23:54:05 ID:c5okp0n0
そう まるで いま話していることは一つのたわむれだ
でも この世にはふたつしかない たわむれかたわむれを包んだぜったいか
そして君たちが生きているってこと 君たちの心臓が動くってこと
ひとつのグラスのなかにビールをつげるってこと それは かけがえなくきみたちが
戯れているってことだ それでこの戯れを恐ろしいっておれはいいたいよ
なぜなら ほんとうの戯れってのは おそろしさそのものとぶつかり合った時に
分かるものだから さあ ちっぽけな君から抜け出すんだ 
君は何がそんなに怖いんだい? 君はまるでこの宇宙とひとつのように生きればいいんだ
君しかいないせかいに どうして何かが君に害をあたえるようなことがある
さあ、放して 何もかもはなして ときほどくんだ
そして 俺の中に帰っておいで   それは 君の中に帰ることだ 

それだけだ それ以外に何もいらない 生きていれば君にふさわしい技術が君に身につくよ
でも 技術だけだったら君はぜんぜん生きた感じがしない 
ただ 愛だけが どんな流行歌だって歌っているじゃないか 愛については
愛だけがすべてだ きみは愛なしには一瞬間も生きることあたわずって

俺が天国から降りてくる時 天国にいる元締めの親父さんから言われたよ
おまえ 行って愛せって そして この世でも かの世でも 
現われるどのようなものにもよることなく 汝 生きて 愛せ
地上のなにものにもとらわれる事無く
580神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 23:55:50 ID:c5okp0n0
とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから

そしたら君はきっといい音楽をうたえる そしたら君はきっといい野菜をつくれる
そしたら君はきっといい自動車整備工になるよ

きみ達は物語を演じている その物語をどんな筋にしようと それは
君たちのもっとも深い思いも自由に委ねられているけど
もし この世という戯れのドラマにテーマがただ一つだけ テーマがあるとしたら
それは愛というテーマだ でも、この愛というテーマに目くじらたてて
そうしなくちゃならないなんて思う必要ないんだよ

愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる
581神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 00:08:19 ID:ghc8PcBb
アメンティーに近づけば近づくほど、あなたにとっての現象宇宙は、深い闇に包まれていく。
あなたが存在すると妄信している現象宇宙は、仮象にすぎないからである。
あなたの見ている現象宇宙が希薄になればなるほど、絶対そのもなるアメンティーの光明が、あなたを包む。
そのアメンティーの光明の中に、すべての答えならぬ答えが実在している。

今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。
582神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 00:15:15 ID:ghc8PcBb
『そのことについて考えよ、どこから来てどこへ行くのか、
最初の地で、君が自ら投じた混乱の渦がある。
その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない』

ダン『そこで、一節切れるんだ。そのことについて考えよ。どこから来てどこへ行くのか。
このことがわかれば人間がどこへ行こうと決して離れないことがわかる。いつでも自由で。
そうすると、例えば心霊科学者等は言うわけよ。
そもそも何とか霊界から出て来てね、そして死んだ後には、またそこに戻るというようなことをね。
でも、それはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っているある部分が、
霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。
いい?本当の俺達、ここにいる俺達っていうのは光なんだ。
だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。
それは、来もしなければ、行くこともないんだ。いつでもいっぱなしなんだ。
いい?そしてそれはさ、光という言葉より、もっと明確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね、
それは、そのものずばりで言えば 愛 なんだ。
人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。
しかも、愛の中から出て来ながら、その、一緒に、愛といるんだ。愛が合いの中から出て来る。
いい?君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。その次』
583神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 00:23:44 ID:ghc8PcBb
鳥は鳥に帰るのだ。魚は魚に帰るのだ。
限りなき高みを天にかける孤独の鳥は、その量り知れぬ意志ゆえに、
空の果てまでも見破って、永遠の神秘におののく。

この魚も海の底深く、深海魚よりも、さらに深く、
まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。

鳥が太陽に向かって飛ぶように、魚は海に溶け込みたいのだ・・・

もし、太陽が鳥を愛し、海が一ぴきの魚を慈しむのなら、

かれらは 太陽となり海となるだろう。

そうして帰ってくるのだ。
鳥は一ぴきの愚かな鳥として、
魚は一ぴきの無知なる魚として、
帰るともなく帰ってくるに違いない。

なんと完全なんだろう!

身知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ

そしてそれよりもっと恐ろしいことは 君が、すでに未知だということだ

私は何も知らないともいえない 何と完全なんだろう!

一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。
584神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 00:26:29 ID:ghc8PcBb
「あのー、『新・救世主入門』、『メシアンハンドブック』、それは何のために書かれたんですか」
『何のために?』
「はい」
『それは世界の遊戯に貢献するためだ』
「貢献するってどういうことですか」
『例えば、君は今何のために質問したかっていうことさ。その時君はさ、俺の言葉通りにさ、
世界の遊戯に貢献するためだって答えてもさ、俺は多分『ううん、それじゃあないんじゃない?』
っていうかもしれないよ。で、こういうふうに俺が今喋ってることがさ、世界への遊戯の貢献だ。
つまり、俺が世界への遊戯に貢献するって、喋った時にさ、俺にとってさ、神っていうものがさ、
ここにいるわけだよ。今。そして遊戯に貢献するっていう答えを、そう、かなり品よく答えてるわけだよ。
この答え方は。上品な答え方だ』

君は、心を捨て身を捨て魂を捨てて、ただただ一つの真実を発見せねばならない。
なぜと問うなかれ。

神とは絶対の未知自身だ。神・すべてのすべて。
そういうわけで、神などと言っているうちは、ぜんぜん楽しくないのである。

私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?
585神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 00:28:38 ID:ghc8PcBb
この本は、
今や死のうとしている君と
今や死んでいる私との
果てしない果てしない果てしない戯れである。

そして君は冥想を決して止めてはならないし、
君が冥想を止めることはできないのだ。

この本は、私という存在もしない夢幻 が雲をつかむようなあなたに、法悦の酔いのなかで書かれた。
「カキクドキ」の文句の集まりである。

あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!

-----それが冥想である
-----これが冥想の戯れである。

ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んで下さい。

なぜなら、ダンテスとは、あなたの魂の暗闇の中に秘められている完璧な愛自身のことにほかならないからである。

いずれにせよ、この書は、プロローグである。
あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。
586神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 00:35:50 ID:ghc8PcBb


『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』

587神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 00:38:01 ID:ghc8PcBb
胃ガンで死んだブッダ

かつてインドに生まれて死んだ釈尊のアパーナ・サティ・ヨーガという瞑想道は、

それはそれで完結していて余りにも美しい。

「ただ出る息、止まる息、入る息、止まる息・・・それをそれと自覚し、これをこれと見守るのみ。

あるいは、それをそれと、これをこれと聞き入る、聞き守るといってもいいだろう」

たしか、釈尊は胃がんで死んだ。
588神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 09:35:32 ID:GwV9zEwe
胃がん? 一般には食中毒でしょ。ま、それもどこまでの釈尊流方便かは
わからんけど。
589神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 12:36:07 ID:PM55clSx
     _,,...,_
  /_~,,..::: ~"'ヽ
 (,,"ヾ  ii /^',)
    :i    i"
    |(,,゚Д゚)
    |(ノ  |)
    |    |
    ヽ _ノ
     U"U
590神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 13:41:14 ID:ghc8PcBb
恐れるなアルジュナよ
戦え、アルジュナよ
殺せ、アルジュナよ

人々がいかなる方法で私を求めようと
私はその願いに答える
人の旅するいかなる道も
すべて私の道だ
どこを歩いたとしても
すべて
私に帰ってくる
591神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 14:18:55 ID:ghc8PcBb
ダンティスの悪影響

中国の臨在禅宗の開祖・(臨済将軍)臨済義玄は、ダンティスの霊系に属する分身の一人だったが
こうしたダンティス・ケンタウロスの系流がその逆説的な表現ゆえに、多くの誇大妄想狂やデカダンスや
ニヒリズムや野狐禅者を生み出してしまう結果になったのは、各時代に現れたダンディスの分霊分身達の言動の
悪影響としての社会的事実である。
これは、ダンティスの教示がステップや方便を越えて単刀直入に「現実」に言動せしめることからくる誤解であるが、
ダンティスの系流は勿論誤解や悪影響など知ったことではない。

ダンティスは方便を好まない。ダンティスは聖者を好まない。ダンティスは人間的人格性と人間的努力を認めない。
何故なら、こうしたものは、常に人生を「あるがままである」ということの真意から遠ざけることになりやすいからである。
それ故、無数の時代の無数のダンティスたちは、常に戯れるものとして生きた。
ダンティス・ケンタウロス、クリシュナ、臨済・・・・・・。
彼等は、本質的には己の真実を生きただけであって、宗教などという神聖極まりない何かすら余計なものであったと言うべきである。

ダンティス臨済は、坐禅や聖なるものや悟りや解脱を見ることがない。
本来、健康な人間に病気からの回復などというチンケなものはないのだ。
592神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 14:46:55 ID:ghc8PcBb
臨済曰く『ある種の坊主どもは、腹いっぱい飯を食って坐禅し、瞑想に入るという。
聖なるものという妄念をつかまえて放さず、喧騒を嫌って静寂ばかり好む。外道の教えだ』
ダンティスは言っている。『お前たち、心を停止させて静寂を探したり、心を集中して世界を光明化しようとしたり、
心を制御して内面を光明化したり、心を統一して三昧に入ったりするなら、こんな奴らは皆偽者に過ぎん」と。

こうして臨済録のなかで臨済が、まるで坐禅瞑想など無意味なもののように言ってしまうから、
当時の中国の求道者の中から好き勝手なことを人間的気分からするのが、
究極の悟りなどという考えが起こったり、馬鹿げた一喝を叫ぶことが禅だなどと思い上がったり、
このままこの肉体が仏だなどと叫ぶこととなった。これがダンティスの悪影響の一つである。

また臨済は言う。
『君達、一人前の人間なら、今ここで本来完璧だと判るはずだが、自分自身を信じられないだけでいるだけだ。
それで、君はいつもきょろきょろと自分の顔を忘れて他の顔を探しまわっている。
おれの教えはそんな暇なものではない。ずばり只今だ。

君達はよく言う『道を修行して悟りを悟るんだ』なぞと。いったいどんな真理を悟り、どんな道を修行するんだい。

君たちの、今、ここに、何が不足しているといって補修しようというのだい?

ダンティス臨済は言う。『そのお前の肉体が絶対の真実だ』なぞと。
ダンティス・マイケル・スミスは言う。『汝は神なり』と。
ダンティス・クリシュナは言う。『アルジュナよ、君は決して生まれることも死ぬこともない』と。
ダンティイス・ケンタウロス・アメンティーは言う。『君はもともと救世主である』なぞと。

まったく、ダンティスの系流は、イージーすぎて、情熱豊かでない人たちには迷惑千万な話であり、危険なことこの上ない。
593神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 15:18:57 ID:ghc8PcBb
事実、アトランティス文明末期に十三番目の超人を廃業したダンティスが出版した
「救世主入門」という小冊子は、多くの遊戯三昧者を覚醒させたと同時に、
多くのデカダンスとニヒリズムを加速させる結果となった。

臨済などはまだいい。彼は一つの禅堂の中で、その逆説めいた、その実、まったく逆説ではない教えを述べたからである。
そこには時・所・位の中でひとつながりの行道としての師弟関係があった。
つまり弟子は師の姿全体を見ることができたのである。

しかし、アトランティスのダンティスは、時・所・位にお構いなくあるがままの真実を、
その場の人々に大安売りした。

アトランティス密教の正統派トオスやエジプトのヘルメス、またイエス・キリストや
釈迦のやり方にくらべると、ダンティスの系統が、ある意味でどんなに無責任であるかが知れようというものである。
だが、ダンティスのこの『無責任』さがどこから来ているのか。
ここでダンティスがウルの都で出会った、アトランティスのチャールズ・マンソンみたいな
ラ・イブという名の青年に語った言葉を記すことにする。
594神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 15:20:17 ID:ghc8PcBb
「一つの教えは、その時その人に応じてしかあり得ない。どのような神秘不可思議な教えも結局、愛と自由の自己確認につきるんだ。
君が秘密結社のようなものを作って支配欲という不安にかられた時は、思い出して欲しい
君が一番身近な愛をどんなにも忘れてしまったかを。君は元々愛の救世主としてこの世に生きている
そして、愛と自由とは君の思い込んでいる人間性の中にはない
君が救世主であるということは、君の永遠の自己訓練としてのみあり得る
あるがままのすべては救世主だが、あるがままである自己訓練ほど、君にとって恐ろしいものはない
それは、君のすべてを必要とするからだ。
君は君の全てを解放することによってのみ永遠の自己訓練つまり久遠の戯れと戯れることができる
死ぬことは最も恐ろしいことだ。でも君、死になさい」

そしてもう一度思い出そう。『救世主入門』の最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。『完全』は、君以外の誰にも代わってもらうことはできないのだから。

「この本に書かれていることほど無責任なことはない。
この本に書かれていることを信じない方がいい
書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」
595神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 20:10:35 ID:ZJ7rMtAq

寝言だな
596神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 15:32:22 ID:0RC2NehG
私とは何なのか? 私の死とは何なのか? 私の生とは何なのか?
この究明はいかなる観点を持ってしても解答を出すことはできない。
あらゆる観点と立場が、すでに、私という欲望の混乱だからである。
にもかかわらず、私の正体を開示しない限り、私達人類は、とめどもない混乱と
崩壊の中に悲惨な死滅を死滅するだろう。
私達は、何はさておき、私自身というこの根本前提の暗黙の了解を否定して、
私とは何かを、まったく新しく究明し直さねばならないのである。
これが、この終末の時代の全人類的な最重要問題なのだ。
私の正体を見破り、神に目覚めるのだ。

こころみに問う。
欲望とは何か?
人間とは何か?

これは、哲学的あるいは宗教的あるいは、どうのような一定の立場の命題にも
なり得ない。
597神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 15:37:59 ID:0RC2NehG
『まことに、まことに汝らに告げる汝らを産みしものなる神に その愛のすべてを捧げよ。
  次にすべての隣人たちにその愛を捧げよ。
  君たちはよく思う。神に愛を捧げたら他のものが台無しになるんじゃないかと。
  そして他のもの全部を台無しにしている。
  神って何?すべてだ。
  君たちがすべてに愛を捧げたら、
  君たちの当たり前の人生が台無しになるんじゃないかといつも怯えている。
  が、そうじゃない。
  君たちを産んだものが、まず第一にある。
  君たちの心臓を動かし、君たちの頭に様々な妄想を感じさせ、君たちの感覚を働かせている、
  そのものがまず第一にある。
  それはいいといっても悪いと言っても始まらない。

  あるんだ!

  そして、その愛がすべてになれば、他の事は全部整っていく。
  夫婦関係だろうと、セックスだろうと、必要なだけの金だろうと、
  必要なだけの地位だろうと、必要なだけの安心だろうと・・・。

  ところが君たちは、まず最初に外側のごちゃごちゃしたものを一生懸命つかもうとする。
  そんなことしていたら永遠の時間があったって、そこに行き着くことなんか決してないよ。』

たった一呼吸の中に多様多元の玄妙不可思議がいる。

 ここにいつもここがあり、今はいつも今だ。
 それゆえ、何もかもが瞑想している。
 但し、君は断じて、
 今、ここにいることはできない。
598神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:10:49 ID:cCXNOV+m
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
599神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:13:39 ID:cCXNOV+m
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
600神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:14:21 ID:4GvHFB6p
KEN自己啓発研究所とは、日本で唯一の本物の潜在意識の超人養成機関である。
成功のための潜在意識活用法、能力開発、自己啓発、成功心理学、成功哲学、スポーツ心理学、自己実現、開運、占い、イメージトレーニング、瞑想、リラクゼーション、想念術、
ポジティブ思考法、超科学、量子力学、超心理学、ヨガ、気功、東洋医学、東洋哲学、ヒーリング、癒し、催眠療法等、古今東西のあらゆる技法を駆使し、人々の人生に数々の奇跡を起こし続けてきた、知る人ぞ知る凄腕の世界最高峰の名門超人養成輩出所である。

また、潜在意識を活用し奇跡を起こす成功法則を歴史的偉人たちの名言により 毎日メルマガで配信し人々の潜在意識に刻みつける啓蒙活動も盛んに行なっている。

オーム・マニペーメ・フーム(-m-) 偉大なるグル・シバ神に帰依し奉ります。

代表:多賀井健次(maha-guru・basil-tagai 43歳、前科有、超能力ヘルパー介護員、SRFクリアヨガ通信講座修了生)

〜多賀井健次代表(通称KENさん)は潜在意識活用の達人であり、利他の精神と奉仕を喜びとする本物のカルマヨギである。
10年前から本物のクリヤヨガで、驚くべき霊的進歩を遂げたKEN氏は、メルマガで多くの人から尊敬され 感動をあたえたカリスマメルマガライターにして瞑想家という超有名人物である。
2chの手品掲示板のカラクリや キチガイ連中の正体まで千里眼・神眼により見破り続け、その恐るべき瞑想能力・直感力には定評がある。
私生活では格闘家の一面もあり、有名大学ボクシング部主将にして、フルコン空手の地方大会でも史上最年少優勝経験のあるガチの猛者であり、文武両道の人である。

◎所在地:大阪市此花区春日出北1丁目26−3(地上3階・地下2階建ての白亜の豪邸)
http://maps.google.co.jp/maps?utm_campaign=ja&utm_medium=ha&utm_source=ja-ha-apla-jp-google-gm

601神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:17:09 ID:cCXNOV+m
うん。よく救世主というか、偉大な聖者というか、そういうものっていうのはさ、一つの時代に一人いるとか

さ、いろんなこと言われるでしょ。それはサットグルとかなんとかいう(笑)。

いいじゃあないか。そんな固いこと言わなくても。うん?何故ならね、救世主っていうのは人間を、全ての人間

、そしてこれをこの服を表現しているその元のものだ。救世主っていうのは人間だよ。人間の中に救世主がある

んじゃあない。救世主の中に人間やいろんなものがあるんだ。命たち。だから『救世主は全ての場所と時間を通

じてただ一人しかありえない』うん。全ての場所と時間を通じてただ一人しかありえないんだ。 つまり、宇宙がい

つ始まったか知らん。いつ終わるかも知らん。でもただ一人しかいない。そんな幾人も出てきやしないから。

幾人も出てきたと見えるのも、ただそういう目で見たからに過ぎない。それはどんな形も持ってない。

一人の人間の中に救世主を見たらね、きっと行き詰まりが来る。もっともその一人の救世主の中に、ただ

一人人間としての救世主の中に、無限の救世主っていうのを見る、というような形でもって救世主と出会ってる

とする、それはもちろん決して行き詰まりは来ない。だけど救世主っていうのはそれだけじゃあない。何かこの

世の果てまで行き着いた人、それを指すんじゃあない。救世主っていうのは、今ここにいる君達すべてだ。
602神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:19:57 ID:cCXNOV+m
その道が、
君自身の道であるかどうかは、
その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、
それが君の心ある道だ。



正しい師とは、文句なく、その人物に全面信頼や愛情を持てるということであり、
したがって、このさい、その正しい師が、本当に悟りを開いているかいないかなぞ
二義的問題にすぎない。

正師の発見は、あなたの全身全霊的直観による。
その全身全霊的直観が、全面的信頼を自発自起せしめる。

あなたに、正師との出会いによっても、全面信頼が生起しないとしたら、
あなたは、あなたの人生というドロ沼を、もっと徹底的に真摯に生きてみねばならない。
603神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:20:48 ID:cCXNOV+m
冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。

であって、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。

それは宗教でさえないから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。

そうすれば、いろんなそれらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。

だから冥想から宗教家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。

冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。

ただ冥想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるということを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。

ただその限りにあるだけなんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。

それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。

霊の世界と言っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。

早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。

そういうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。だから冥想の何々、という風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。
604神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:24:09 ID:cCXNOV+m
決して情熱をやめないこと
情熱なんぞどうでもいいなぞと
カタイことをいわないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ
世界を世界にしているのだから
君はあらゆるものとともに死ぬ
君も世界も
もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている
いうなれば君達は体験でない体験
それ自身を
再体験しようとしている

本性を 忘れた人間は、
決して 本性を忘れ果てはしない
しかし、本性に帰るには、いのちがけの行為が必要であり、
そこには、人間の苦はもうない。
生きることが 耐えることだとあきらめのつく人はそれでいい。

だが、完全を絶対至福を求めざるをえないほど
苦悩している人には、自己と世界を捨てて
そこに至る道すじがある。

だが、その完全なる知恵と愛のやすらぎとは、
現代人にとっては、危険きわまりないものになったようだ。

自殺もまた完全なるやすらぎへのあこがれなのだろう。
人類よ 気づけ!

ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・

605神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:26:22 ID:cCXNOV+m
黒は白なのだ

黒を白と言いくるめる そうすると黒は間違いなく白だ
これが人間世界という狂気ありさまである

それは暗示とかイメージとかのことではない
潜在想念界のトリックのことでもない
ただ 黒と白が別れる以前からの 断言にすぎない
夢、気の持ちようだだとか 信念の力だなぞと考えるなかれ

夢でしかない世界は黒は白なのだ

されば、汝、人間よ、
進め、進め!
限りない黒と白と混沌の中を・・・

ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか

三神歌―――

われもなくうつし世もなくなにもかも
 夢の中なる夢のたわむれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 神の中なる神のあらわれ

われもなくうつし世もなくなにもかも
 なにもかもなしなにもかもなし
606神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:27:58 ID:cCXNOV+m
ここに、グルにして戦士なるよき家庭教師クリシュナが王子アルジュナに語った言葉をバガヴァット・ギターから引用してみよう。


恐れるな、アルジュナよ
戦え、アルジュナよ
殺せ、アルジュナよ
人間の本性は
決して生まれも死にもしない

人々がいかなる方法で
私を求めようと
私はその願いに答える
人の旅するいかなる道も
すべて私の道だ
どこを歩いたとしても
すべては
私に帰ってくる

そのとおり。
トスといいダンティスといいクリシュナといいアルジュナというも、皆あなた自身のことなのである
607神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 14:37:35 ID:cCXNOV+m
人は、その夢の途上で倒れる。ただ夢も時間もない、あらゆる絶対体験・−−
パーフェクト・チェンジング・モメント
あらゆるかたちでの、
エクスタシーのサムシングのサムシング。

ある歌い手は自由を 私なりに追求してきたんだと歌う。
だが、自由ってなんだい?それは ある種の力のことかい?

インドのプリーで若いガンジャ・ババの卵である。スイス人の青年が言った。
「この世界はドリームでしょ・・・?」
私はなぜか知らぬがこう答えた。「これは夢であり、真実だ」と、
ヂャニス・ジョプリンはアルコールとドラッグで若死した・・・

酔いを味わうだけらしい・・・

高いも低いもどうということはない
優秀と劣等とを誰が一体決めるというのだ それでも月は月を生きて死ぬ
スッポンはスッポンを行ききる

こうあるらしいことが こうあるらしいのだ それにしてもこの一瞬よ! ああ、この一刹那よ!

説明できない力が、生命を駆り立て続けている。
私はすべてらしきものとして 酔いを味わうだけらしい・・・
608神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:29:52 ID:cCXNOV+m
一つの夢が終わり
新しい夢が始まっているはずだが
悟りが夢であるように
私には何一つ
つかまえるものが見えない

私の眼がくもってしまったのか
新鮮な何かを私は
なおかつ、待ち続ける

神よ、
「何もかもなし」それ自身よ、
悟りが夢であったように
私という夢をことごとく

あなたの中へ消し去りたまえ

神よ「なにもかもなし」それ自身よ、
私自身よ
609神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:34:42 ID:cCXNOV+m
かのように・・・

あらゆるものは そうなる以外ないかのように生々変化する。

そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。

不安や苦痛や恐怖でさえ神の中なる神の戯れ。

それでよくない!と言ったところで、ストーブの上のヤカンのお湯はうなっている。

欲念相続

悟りへの修行
これもまた他のあらゆる人間営為と同様に
欲望の一形式であり、したがって、欲望のあるところに苦しみがあるのは、当然である。

解脱への修行は

他の一切の人間の欲念の戦いと変わることなく、苦あれば楽ありである。

ああ、それにしても、余りの戯れよ!夢よ!

セイナルものという夢

本ものもニセものもない。
あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。
絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。
だが、
聖なるものなぞどこにもない!
610神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:42:17 ID:cCXNOV+m
悟りが夢であるように

迷いが一場の夢であるように
悟りもまた場を持たぬ一場の夢

悟りが夢であるように
迷いが夢であるように

7つのスペースから
熱と光は去り
私は未知以外の未知を知らぬ

かつての情熱は今や消え去り
私の夢は
私自身である「なにもかもなし」それ自身を夢見る。

ウウィリアム・ブレイク
そうなってゆく そのままでよいのだ。
人は喜び悲しむために産まれて来たのだ。

だが、この絶対者は違う。絶対者は喜怒哀楽から離れて、喜怒哀楽を戯れ
そしてまったく同時に喜怒哀楽を超越して絶対の流れを流れ続ける。

そして絶対者はすべてのすべてで久遠にいませり。
存在と非存在とに何のかかわることもなく。

私が絶対者なのだ。ほんの卵だけれどもね・・・

極楽さえチンケなほどの、悦楽を味わうのだ。
地獄がママゴトに見えるほどの、苦痛を味わうがいい!
そしたら私達は 二度と答えを求めはしなくなるだろう。
611神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:51:30 ID:cCXNOV+m
私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?

一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。

七つのチャクラを通過し、七つのローカを通過したとしても、
禅の十牛図をたどり尽くしたとしても、それが、すべてではない。

誰が、私とは誰かということを、知りたがっているのか?

君が君自身を手に入れることは、絶対に不可能だ。

純粋瞑想とは果てしなき修行であり、限りなき戯れである。

言葉を言葉として聞けば言葉にしかならない。

神は恐怖で失神するほどの、ジョークやトリックやアイロニーが好きだ。
だから神は悪魔でもある。この戯れ自身が、自分自身に目覚めること、
それを、解脱・大悟・ニルヴァーナなどと名づけているらしい。
612神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:02:28 ID:cCXNOV+m
如何にして煩悩世界を尽滅させるか?如何にして愛であり続けるか?
如何にして自我を死ぬか?如何にして解脱を得るか?
これが
君たちの学んでいるオカシナ・テクニックであり、
君たちの遊んでいるオカシナ・トリックである。

それが、どのような形象であろうと、形象を持っていることが地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。

君のにとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。

「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?

諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いずれにせよ、楽しい話ではないかい?

ただ一人とも言えないただ一人の絶対者の様々な表情
私達はこの表情の千変万化にいつもいつもだまされている それにしても初夏の草いきれよ
613神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:05:02 ID:cCXNOV+m
パラノイア

パラノイアはおもしろい 私たち人間は、みんなパラノイアだ。

欲望が標テキを仮作する 人間コメディーの幕が上がった

果てしなき流れは終りがない 無限の大海のまっただ中にいるのも知らずに

そこで物語が尽きることなく演じられているというわけだ

大いなるマーヤ・・・ 甘美なる欲念相続・・・ 不可思議な神の遊び 不可知な神の戯れ・・・

さあ、さあ、物語はすでに進行してるんですぜ!
この演技の唯一の観客は、神様ただ一人
あの、ニンマリと微笑を浮かべた   あいつだ!

だが、あいつもまた 一人ぼっちの役者に過ぎないかもね・・・

夢を夢と見るも夢
 夢を夢なる夢のまた夢・・・・・・・・
614神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:06:50 ID:cCXNOV+m
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
615神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:09:32 ID:cCXNOV+m
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・
616神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 16:11:54 ID:cCXNOV+m
欲望は欲望を滅尽させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。

老子

老子について何も知らない
ただ気楽な人だったなあと、わたしは思う。
そうなってゆく、そのままの人。そうなってゆく石ころ。そうなっていく雨だれ。

ただ素直にやわらかく、豊だったなあと、私は思う。
イエスのうように純真だが、そのオトボケは、ソクラテスを楽々とノイローゼにさせるほどの俗物中の俗物。

もちろん老子とは個人の名前でもなく。老子という本の名前でもない。

宇宙の名前だといったらよいのか?無限の名前といったらいいのか?
否、否、三度否!

なにもかもないそれを、老子が老子と名付けたらしい。ありとあらゆるものそれ自身を。
誰かが仮に老子と名付けたらしい。
ありとあらゆるそれ自身を、誰かが仮りに、老子 と名付けたようだ。

それだからこそ老子はあたりまえな人間なのだ・・・
617神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 19:12:41 ID:yEAFI10i
ダイジいいなぁ。
618神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:04:49 ID:i/pBxhpM
 この宇宙やかの宇宙の、いかなるものにも、もはや、愛着も憎悪も抱かぬ時、
 絶対愛の流れとなってそれは開示される。

 悟りと迷いとは同じだけ真実だ。それゆえに私達は悟りの方法だけを問題にすればいい。

 真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである

 神聖なる書物は、すべて ニルヴァーナが、神ロゴスと顕われたものを、
 仮に言語化したものにすぎない。それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
 聖なる進化をうながすための刺激を与えるためのものである。

 ニルヴァーナとは、あらゆるものの終極のことだけではない。それは、
 あらゆる生命達の久遠の始まりである。この時でない時に、あらゆる宇宙生命体達が、
 あらゆる多様多元のリアリティー達が、終わりながら始まっている。

 何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。

 ニルヴァーナはマーヤだ、否! ニルヴァーナはニルヴァーナだ、否!
 ただただニルヴァーナ、否!! ニルヴァーナ、否!!!!

 プロセスもテクニックなぞも ないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる

 この限りない空間−−   この限りない時間−−
 私は私だったんだ すべてはすべてだったんだ さあ、お前、何が言いたい
 ある人がこう言った  「わからん」    −−何という美しい言葉
619神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:07:23 ID:i/pBxhpM
もはや、すべての苦しみと悲しみは 過ぎ去った。
今と同じように 21世紀も まったく新しい 楽園となるだろう。
疑いの余地なく・・・
福生の飲み屋街は真夜中を迎え
それゆえ
永遠の光は輝き続けている。
あなたの愛がすべてであるように
21世紀の光もまた
あなたにおいて花開き続ける。
この大いなる死のなつかしさにおいて・・・

    21世紀とあらゆる時代に限りない感謝をこめて
              DANTES DAIJI

――師ダンテス・ダイジの意志に基づき、
            その大悲大慈がより正しく
                  伝わらんことを祈りつつ 
620神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:09:06 ID:i/pBxhpM
愛は愛を楽しんで

私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り 
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は 
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない

私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ

本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、
あなたは、問うことをやめてはいけない。 少なくとも問いも答えも、
あなたも世界も、消え果るまでは・・・

ここにいつも全体がいるから 只管打坐が純粋瞑想なのだ。
ここにいつも呼吸があるから アパーナ・サティ・ヨーガが、純粋瞑想なのだ。
ここにいつも知覚があるから尾骶骨の中の生命力を、あらゆるものを知覚し切ることに
使い果たすのが純粋瞑想なのだ。
621神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:12:05 ID:i/pBxhpM
私達は、目下のところ、欲望を生きること以外、考えられない。
 そして、欲望には、本当の完全・無限・絶対の至福はあり得ないことも知っている。
 私は本当にいいということさえ必要ない程、いいということが、決してあり得ないことを知った。

 私は、ただ只管打坐を続けたい。あなたたたちは、本当にいいということを欲しくないのか。
 私は、ただただ只管打坐を続けたい!

 私は、ただ全身全霊で只管打坐を続けただけだ。そして、その中には、一切の苦しみと、
 一切の楽しみとが交互に起こってきた。なぜなら、現代の人々にとって、欲望以外、
 原動力はないからだ。そして欲望が何の答にもならないことも知り尽くしている。

 もう私は、絶対に救われないということは自明になっていた。もう救われないということと
 闘う気もなくなっていた。
 突然、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。本当の自然な意味で、それは起こった。
 私の体も、私の意識も、それ以外のいっさいもやさしく消え去った。私は、すべてのすべてである
 私自身であったのだ。宇宙との合一だとか、神秘体験だとか、霊的体験だとか、そんなマンガチック
 なものでは全然なかった。
  
 結局只管打坐とは、何もかもがいいということさえ言う必要がない。
 何もかもがいいということさえも・・・・・・。
622神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:16:03 ID:i/pBxhpM
俺たちが絶対そのものになったら、絶対って言葉はもう必要なくなっちまう。
 だけど実在のひとつ手前がね「菩薩」って言って一番大切な場所なの。
 なぜならそれは人間と神とをつなぐものだから。神の子たちの世界だから。
 
 そして・・・いいよ、実在そのものになったやつなんて、全部向こうに任しとけよ。
 あんな奴ら、なんの役にも立たないから。オレもなりかねないけど・・・
 とにかくなんの役にも立たない。とにかく充足して宇宙の一切と、同時に存在しているだけだ。
 で、一番素敵なのはね、生きていて、生きるって言う意味とさ、
 生きるものを越えてるっていう意味を同時に持ってるのは、その中間に位置している存在なの。
 その人にとって「絶対」があるわけ。絶対の愛の喜びっていうのがある。
 絶対の自由の触れ合いっていうのがある。で、それを有想三昧っていうんだ。
 無想三昧と有想三昧と分けると。

 ラーマクリシュナがまさに嫌ったところっていうのはさ、
 実在そのものになってしまうことなの。弟子のヴィヴェーカーナンダに言ってるでしょ?
 「お前、絶対ニルヴァーナは経験するな・・・」って。
 ニルヴァーナ、無想三昧なんかに入ったってなんの役にも立たない。
 だって、それは死ぬことなんだよ。すべてが終わってしまうことなんだ。
 完全な死って言ってもいいね。肉体の死でさえない、完全な死だ。
 例えばシャカがね、無想三昧っていうのを知ったとき、
 説くのを止めてもう死のうと思ったっていう伝説が残ってるでしょ?
 つまり全く、それくらい人と関係ないんだ。多くの人と。
 おそらく、人間の99パーセントと無関係の話しだよ。いい?
 だって人間の99パーセントは何を求める?
 深いふれいあいでありさ・・・触れ合いじゃないか?何より。
 で、それは物語なんだよ、ひとつの、美しい。触れ合いの世界っていうのは。
623神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:16:55 ID:i/pBxhpM
 そしてシャカの行き着いた世界、つまりニルヴァーナの世界っていうのはね、
 触れ合いが全くない世界。それは触れ合わないって意味じゃないよ。
 触れ合うことも、触れ合わないこともない世界だ。
 始まりも終わりもない世界だ。
 でもたいていその世界を知ったとしたら、(そこへ)入る人はほとんどいないだろう。
 なぜならその時突然こみ上げてくるから。愛が、慈悲心が。

 だってねこの世に物語がなかったら、神はこのマーヤの世界を作る必要はないもん。
 いろんなものがあったり、いろんな出会いがあったりさ、合わさったり、
 離れたり無数の物語があって・・どうしてそんなことやってる?
 神は戯れるのが好きなんだ。
624神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:26:25 ID:i/pBxhpM
「まあ、暇な時やるって感じだね。隙間を縫うって感じだよな。そう」
『うん、でもそれは、逆転を知ってるっていうことなのさ。
つまり瞑想が展開しているってことを知ってるっていうことなのさ。
そして瞑想が全てに展開しているっていうことを知ってる時、出来ることなのさ。
ただね、ひとつだけ言えることは、人は瞑想っていうのを人間である限りやめてはならない。
どんなに自分がハッピーだと感じていても。それは人間ていうのはそういう性質を持ってるからなんだ。
瞑想をやめるといつしか必ず何かが出て来る。とても忘れやすいし、とても頑固なんだ。
自分との闘い、自分との甘えとの闘い。
カスタネダが言う。カスタネダが言うようにね『ああー、どうやってさ、克服できるのよ』って。
『とてもそんなすぐには僕にはできそうにないよ』ってたら、
ドンファンが『馬鹿者。精神があるための道は一生の道なんだ』って。
一生かけてその内うまく行くかも知れん。行かないかも知れん。
でも、俺達はそれに向かって行くしかないんだ。もちろんいいよ。忘れてしまうのもまたいい。
そう、忘れてしまったんなら忘れてしまったんだ』
「やっぱり知的に考えるとさ、えらいきつそうに見えるんだよね。実際はきつくないんだけどさ。瞬間も逃さないっていうあれなのかなぁ」
『でも、瞬間を逃さないっていう形で追い詰めても意味はないよ。それよりは自分の死ぬことを考えた方がずっといいよ』
「自分の死ぬこと?」
『うん、結局は死ぬんだっていうこと。年老いて、あるいはいつ死ぬか分からないっていう』
「うん」
『そりゃあ、自分が本当に気に入ったっていう方向にどんどん進んで行けばさ、同じように瞑想に出会う。うん。必ず」
「それは形とか瞑想っていう言葉を超えた、いわゆる瞑想でしょ?」
『ううん。と、言うより瞑想っていうもの自体が本当は形を持ってない。だから座禅瞑想ってわざわざ、座禅瞑想ってつけたりさ』
「座禅瞑想って組んでる時以外の日常生活も、瞑想的な生活ってのはある?」
『て、言うよりも瞑想の生活になるっていう形以外にさ、人間の生活はあり得ない。いわゆる瞑想的生活って、
いろんな規律立てていろんなことをやるっていう意味ではないよ(笑)』
625神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:29:53 ID:i/pBxhpM
『一番楽な方法とったらいい』
「楽な方法より楽しい方がいい」
『うん』
「バグワンじゃあないけど降参が楽だっていうかね、降参が素晴らしいっていうのが分かるね」
『ああ、ただし、降参するんだったら本当にどうにもならないものに降参して欲しいよ。
どうにかなるものに降参しても、意味ないからね。
あるって!必ずあるって。どんな問題が、ものすごい問題が起こったって、
必ずそれを超える道があるって。生きてる限り』

『絶体絶命の時はすぐに入れ替わってくれるから大丈夫だよ』
「何が入れ替わる?」
『うーん、超えた世界っていうものに入っていくんだ。そんなことは考える必要ない』

『瞑想って、そんなに自分をさ、狭めないでほしい。いい。本当に素直になった時、その人間とって浮かぶ想いでさ実現しないものは何一つない。
そういうふうに出来てるんだ。どうしてか説明出来ないけどね』
626神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:33:12 ID:i/pBxhpM
「個性は変わらないもの?」
『もっとも深い個性は、変わらない。それはこの世を戯れるためのもの。
もし、本質的個性がなければ、この世はあり得ない』
「それは個人個人の中でそれぞれに一番深い個性があるっていう?」
『うん、みんな人それぞれかけがえのない個性を持ってる。セルフイデアだ』
「そこにはきつさっていうのは全然ない?」
『きつさがあろうとなかろうと、そんなことは知ったことではない。自分自身の道を歩くんだ』
「そのときのノリで、選び取ったものっていうのが個性でしょ?」
『ううん、選び取り、選び取り、それを繰り返していくうちに本当の個性に』
「出会って。うん」
『うん』
「常にチェック?」
『うん。ただし、やらなければ絶対に出会わない。その時、良しと思うものをやるんだ。それを繰り返していく内にわかってくる。
いいか!またとないんだよ。今ここに会ってることが。そう、たった一、二、三、四人だけだ。だけどこれが全てなんだよ。
これが!またとない。またとない。愛』
627神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:35:40 ID:i/pBxhpM
『俺がいない時は何?』
「うん」
『Sがいない時はないよ』
「うん、そうなんだ。それに気付いた」
『いい?ここに集まってるだろ。これだけのために宇宙はあるんだ。
うん。全く常識的には馬鹿げたことかも知れない。でもたったここに四人いる。
ここに集まって、そしてここに座っている。それだけのために宇宙は出来た』
「宇宙にいるのはただ一人っていうこと?」
『うん』
「それをやっぱり自覚しなければいけない?」
『うん。そして、それは幾たびもなく幾たびもなく自覚するんだ。それにはきりがない』
「終りはないんだ」
『うん。終りはない』
「悟りに終りはない」
『うん、終りは』
「究極に終りはない」
『うん。だから究極。究極って(笑)』
「うん。やっぱりイメージがあるんだよね。一番最後にさ、死に出合ってさ、ぶち抜けたらさ、うん。それからもう」
『うん、確かにぶち抜けるっていうつまり、大悟っていうかな。大いなる悟り。
あるいは無想三昧の境地っていうものを完全に体得するっていうことは確かにある。
だけど、それはほんの始まりに過ぎない』
「また次に」
『それはこの世が生まれてきた理由だ。俺は君達がグル、いや神であることを知っている。
君達は神なんだよ。いつも何かに追われている君達っていうのは、本当にはありやしない。
君達は神なんだよ。一つ一つ神なんだ。一人一人神なんだ。そこにはどんな比較もない。
聖者が神である、神だっていうんじゃあないんだ。どんな人達も、どんなものも全く同じだけ神だ』
「どんな人達も何?」
『どんな人達も、全く同じだけ神なんだ。それは理屈ではない。そこにはどんな優劣もない。どんな比較もなく、競争はない』
628神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:41:35 ID:i/pBxhpM
「でも、好き嫌いっていうのはある?」
『もちろん』
「憎悪は好悪は?」
『好き嫌いはあっても、憎悪はない』
「やっぱり自分の中にある高慢さを殺したいんだ」
『うん。それも一つの観念に過ぎない。いい?今君達はここにいる。
君達が果たすべき唯一絶対の事柄っていうのはね、もう、今果たしてるんだ!
ただ、観念(頭)だけが『そうじゃあない、そうじゃあない』って言ってる。
どうだい、見てみろ、ほら。風が入ってくる。電気がついてる。
そこに何が、どんな足りないものがあるっていうんだ?』
「居心地がいいか悪いかも関係ない?」
『それは(笑)、居心地がいい方がいいだろう(笑)さぁ、坐ろう』

『力むな』

『素直であれ』

『みな何かを分かったためしはない(笑)』
「わかろうとすることは?」
『わかろうとして生きるんだ』
「わかろうとして生きる?」
『うん。そして『分かったかなぁ』っていう感じのところへ、そのすぐ側に行き着くときがあるかも知れない。
でも、本当に分かるっていうことは、人間にとって絶対にあり得ない』
「結局反対の意味かも知れないっていうこと?」
『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』

『どんな能力をつけてね、人を思い通りに操ろうと何しようとね、絶対本当の安らぎは来ないからだよ。
本当の安らぎっていうのはね、自分を超えた自分が、自分より遥かに超えた無限に向かって奉仕した時、
献身した時初めて来るんだ』
629神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:46:42 ID:i/pBxhpM
『大切なことはね、君が人からどう見られるかじゃなくてね、君が人にどう対するかだ』
「まだまだ、人付き合いの部分が変わっていくはずですか?」
『うん。もちろん変わっていくよ』
「まだ迷いが、非常にありますか?」
『だって人間から迷いを取ったら何やるんだい。『やー、やれ惚れた』『やれ失恋した』とか『やれうまく行った』『やれ失敗した』
それは人間が生きてる限り、つまり君の肉体、その肉体がある限り続くことだ。
ただ、どこが違うかって言ったらね、それが物語として味合えるか、
それからそれしかないとして、ものすごくしんどい目に合うか、ただそれだけの違いだ』
「やや、味合える段階に入ったていう感じがする」
『うん、うん。だけど自分の心境とかね、自分の高まりとかをそんなに気にする必要はない。
うん。いつでも初めての日のようにね、自分らしく生きればいい』

『それからこれだけは忘れないで欲しい。どんなに不思議な経験をしようとね、
どんな意識のレベルに合おうと、どんな感情的な体験、あるいは感覚的な体験をしようとね、
もし、そこに爽やかさ、あるいは優しさ、本当に自分の心が晴れたものがなければ、
それは意味がないものだってことだ。
いい? どんな形からだって人は不思議な経験をすることがある。
でも一番大切なことは自分以上のものに自分を捧げること。それに溶け込むこと。
そして、忘れないで欲しい。常に、常に瞑想っていうのはね、とても大らかなものだ。
とても優しいもんだ。とても愛深きものだ。
 
どうするんだよ。『俺はスーパーマンだ』ってこんなして頑張ったって(笑)』
630神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:03:10 ID:i/pBxhpM
『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』

『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』

『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
631神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:08:50 ID:i/pBxhpM
 いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
 だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
 それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
 おかしな言い方かもしれない。
 それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
 既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。

全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ・・・・・・

「全ては神秘だ さよなら 私のあらゆる顔よ」

『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』
632神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:18:34 ID:i/pBxhpM
よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。

が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。

633神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:20:59 ID:i/pBxhpM
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。

じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。

宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。

悟りとか、なんとかってすべてが、いいという事。勘違いしないでほしい。

君の中にすべてのうちゅうがある。
634神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:28:28 ID:i/pBxhpM
戯れに冥想を  著・雨宮第慈

プロローグ

この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。

「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを
神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。

「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。

このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、
絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。

バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン−−−−−−それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。
魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。

まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。

人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。

635神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:29:43 ID:i/pBxhpM
愛のないところはどこでも 見知らぬ世界だ
見知らぬ世界という不安を 私は歩いていた
宇宙も私自身も愛さえも ぜんぜん知らないという私自身だ
本当に見知らぬ私自身は 私のいかなる不安な感情とも無縁だ

神秘が今ここに歩いている  神秘が今ここに坐っている

おめでとう 君は 君自身の旅を終わらせた
おめでとう 君は 君自身の旅を始めた
おめでとう 君は 今・ここで 絶対の終りと絶対の始まりとを見破った

さようなら君自身 さようなら君自身の旅

神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる

あらゆる宇宙や生命達が こんなにも私の身近かにある

あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
太陽はあなたに 命を与えまた命を奪う

この宇宙もやがては死に そしてまた宇宙が産まれ来る
一つぶの雨の生涯が あらゆる人々の生涯であり
かげろうの生命の営みが 宇宙の生命の営みとなる
そしてそれが すずめのさえずりの一小節

636神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:37:05 ID:i/pBxhpM
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
いやおうなく
あるものが高まろうとしている あるものが帰ろうとしている
密かな懐かしさを内に抱いて

あらゆる個生命達は これを求めて 旅しているのだ。

ここにいる者は 転変極まりなきこの世を見ず ここにいることをも忘れ
移ろいゆく浮世も忘れ 久遠の光明であることも忘れた者

終りの時節が来た。
終りを、精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
終りの時節が来た。
終りを精一杯、嘆き悲しみなさい。その叫びで、あらゆる宇宙が破裂するほど・・・

わたしは行くだけです

私は行くだけです 帰るところはありません
私はするだけです 得るものはありません
大河はひとつの方向にながれているのです
とどまることも 逆流することもありません
流れは固まって一つになることも ばらばらになって ぶつかり合うこともありません
あなたと私は愛し合うことも憎み合うこともありません
河は人間の生まれる以前 いや天地の生まれる以前から 流れ続けているのです
そして あらゆるものとなって流れているこの流れが 失望し切った私には 何と親しく感じられることでしょう
私を無視し去ったある師も 私と同じように流れているのです
私は死の思惑など 見る必要はなかったのです
今  私は夕焼けを見ています
637神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:40:03 ID:i/pBxhpM
 帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
 あの娘は、睡眠薬を飲んで ガス管をくわえて死んだ
 キリストは十字架の上で その激しい苦痛にうめき
 ブッダ・ゴータマの最後には 弟子達や小鳥や牛達が 集まり来て涙を流した
 帰る家がないからといって 家を求めてさ迷うには及ばない
 不安におののく人の心も 吹雪の夜にただ一人 孤独に死んだ旅人も 人力の如何ともし難いところだ
 空気がなければ どのような偉大な人間も 生きられはしない そしてまた空気を作ることはできぬ
 死は私に何を語ろうとするのか どのような宮殿も 暖かいマイホームも
 死の闇の中に その仮の宿であることを顕す
 私達は仮の宿から仮の宿へと
 点々と変転しつつ生命をつなぎ 死ぬものなる私達には
 どのような安住の家も与えられはしない 安住の家がないからといって 悲しむにはあたらない
 竹富島に首をつって自殺した彼 それは真夜中の便所の中だった
 死んでもうどこにもいない彼は 一体私に何を語るか
 何も語りはしないし 私も又何も聞くことはない
 私も又どのようにしてか死に 何を語り何を聞き何を想ったとて 一瞬も生きのびるわけのものでもない
638神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:42:23 ID:i/pBxhpM
 キリストはキリストの生命をしか 生きることはできなかった
 彼女は彼女の生命をしか 生きることはできなかった
 立派な社会への貢献者よ あなたはあなたのように生き
 男との生活に疲れて死んでいった あの娘には あの娘の生命以外には与えられていない 
 彼女に帰る家がなかったことを どうしてか悲しまないではいられない
 キリストに帰る家がなかったことを 私は悲しまずにはいられない
 どのような聖なる使命さえ どのようにそれを聖なるものと 思いこんでいても
 それは決して帰る家として 常に変わらずありはしない
 アル中患者の悲惨な日々が 初夏の太陽の下にあり
 流行歌手の華やかな人気生活が 初夏の太陽の下にある
 初夏の太陽が 不思議に輝き デイゴの真紅の花が 開き始める
 かつての原初の海にも コールタールが漂い
 離島のエメラルドの海中に 若者達は潜水する
 青い青い熱帯魚が サンゴの間に踊り 私達は異郷の客であることを忘れる
 帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
 あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
 私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
 太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
 太陽はあなたに 命を与えまた奪う
 私は苦痛を見る時もあり 死の闇に怖れおののくこともあり
 人を呪い自己を呪うこともある
 それは私に 帰る家がないと 嘆かせはするが
 帰る家がないなどということを 嘆くには及ばない
 帰る家がないところに 嘆く私もなく
 時間も 空間も この現象世界一切が ないという必要もなく ないのだ
 どうしても 私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
 私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
 帰る家などを問題にするのはやめよう
 何もないところで 私はわが家に安坐している
639神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:51:35 ID:i/pBxhpM
アメンティーに近づけば近づくほど、あなたにとっての現象宇宙は、深い闇に包まれていく。
あなたが存在すると妄信している現象宇宙は、仮象にすぎないからである。
あなたの見ている現象宇宙が希薄になればなるほど、絶対そのもなるアメンティーの光明が、あなたを包む。
そのアメンティーの光明の中に、すべての答えならぬ答えが実在している。

私の言葉は、あなたの知的理解を求めてはいない。
どのような崇高な教説も、結局はあなた自身の全生命をかけた霊的な解説によるものだ。
この「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」という小冊子は、まだるっこしい逆説に満ちていると感じるかもしれない。
だが、私は、あなたの気やすめのためにいるのではない。

たぶん、この小冊子を読んで曲解や自分勝手な誤解をする人々が出てくるであろう。
だが、それは、どのように厳密に表現された教説についても言えることだ。
ここに書かれた言葉は、それがどのような印象をあなたに与えようと、
「愛」そのものの自然な表現にほかならない。

私は、二元対立の人間性を決して肯定しない。
「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」の言葉のすべてはことごとく絶対愛なるあなたを示しているのだ。
640神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:04:13 ID:i/pBxhpM
人間とは確固とした何者かであろうとする。 人間とは欲望を自覚した分裂的な個生命体のことだ
人間的な一体感は安心を仮作するが その安心感ゆえに不安でもあることになる
人間は確かなものを求めざるを得ない確かなものが人間自体にないことを知ってしまったからだ

人間的安定は絶対者の戯れと正反対の立場にある
産みの苦しみは本当に産みの苦しみだ
人間性は完全な束縛を嫌い
そして、また、あらゆる束縛からの解放を願う
観念的であるということは 現実的であるということだ
現実的行動派は実はあまりに夢想的なのだ
確実なものが何一つないここでは
あらゆる方向性が意味を持ち あらゆる価値づけが無意味だ
この世のあらゆることには、完成ということがない
それは時計が回るように回帰する。
人生それは、また時計のように成熟し得る。
時計には個生命としての生老病死がある。
あらゆる個生命達の 夢と真実と愛のストーリー

THIS IS DREAM―TRUTH

欲望は欲望を尽滅させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。
私は私に直面しよう、知性を英知に変容しめる何ものかを。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。
なぜなら  欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら  マーヤのゲームに果てはないだろうから
人間というジャンキーよ 
おれたちは、なんといとおしいのだろう・・・
人間とはジャンキーのことだ。
それにしても なんと美しいことだろう・・・
641神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:09:46 ID:qvfQ6Yin
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。

うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか−−−−−
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
642神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:10:40 ID:qvfQ6Yin
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。

本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、 
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。

しみわたらせるんだ!今、此処で!

此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。

うーん−−−−−そう−−−−−通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか−−−−−
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
643神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:11:37 ID:qvfQ6Yin
実際のところ・・・

実際のところ帝王とは奴隷である。だから宇宙の奴隷になるがいい。

支配者はつねに被支配者とファッキングしている。
創造主はつねにつねに被造物とファッキングしている。
―――この認識が、すでに。
誰かと誰かのファッキングなのだ。

だから本当に破れかぶれになればいい!
それは一つの素直さであり得る。

信頼とは何だろうか?
それは、信頼なぞ どうでもいいということにほかならない。

低いものはどんなに高きものも秘めている。

瞑想が瞑想を戯れている!
だが副主人公である。君には戯れはないんだ。

私はエクスタシーである。だからして、私が死ぬ時
神に返さなくていいものが一つだけある。
「神様、ああ、あなたは私だったのですね」という自覚。

それはそうと思えばそう思える。こうと思えばこう思える。
すなわち絶対の孤独ということだ!
644神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:16:52 ID:qvfQ6Yin
どうしようもない・・・

どうしようもない今は、どうしようもない。

これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これではない。!

どうでもいい なんでもいい シッチャカメッチャカ!

わたしはただこれになり切ろうとするのみ。

念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。
オーム・オーム・・・オーム!!

私が対象を見ようとすることが不安であり、私が対象を聞かせてもらうのが愛である。

禅定にはいれない今は、入れない今だ・・・・・・
645神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:25:20 ID:qvfQ6Yin
すべては不可能であると知ること――― それが自殺と発狂と悟りへの出発点である。
充分以上の情熱のみが、不可能と可能との区別を忘越せしめる。

思考は常に解答を出したがる。 たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!

快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?

完全はね、君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
完全なんて言葉は言う必要がない。
本当に納得した、本当にすてきな、本当におおらかな、本当に深いこまやかな人生。
君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。

『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。釈迦の教えが深遠なんじゃない。
キリストの教えが深遠なんじゃない。ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
そうじゃない。 君たちが、深遠なんだ。君達の中が深遠そのものなんだ。
それ以外に完全はない。いい?

忘れ果てるがいい

何を語れば、いいというのだ。
語るべきなぞ 何一つとてない。
石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、 なにもかも忘れ果てるがいい。

私は髪の毛、一本 白くも黒くもできはしない・・・
646神も仏も名無しさん
私はとこしえに楽しく生きたい!
天馬・空を行き 行くところ可ならざるはなしという 人生の達人だからとて
本当にわかるものなど何一つなかろうよ
死の悟りを開き 神と霊のカラクリを つぶさに体験したからといって
実際のところなにがわかったと言うのだろう
光明以上の光明 至悦以上の至悦 わかることのわからないことの彼方の
サマディーを体験したからとて それが何だというのだ
庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・ 時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・
やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか
草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・ 
私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。

永遠の旅に出る

あらゆるものが そのままで 絶対なのだ。
だから あらゆるものは 夢としては相対し愛し合っている。
一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘う。
バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。
もっとも弱きものは神となってこの地をつぐ。
複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。
とうとう私は神になった。
あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。
さあすべてが終わった。 私達は今永遠の旅に出る。