>>680 >ウパニシャッドの哲人、ヤージャニバルキャですら「我」は否定でしか表せないといっている。
確認してみました。
『アートマンは客体化することのできない認識主体である。見ることの背後にある見る主体を、
だれも対象化して見ることはできない。対象化されたものは、もはや真の主体ではない。対象
化されたものは、把捉されないもの、どのような述語によっても限定されないものである。ただ、
「甲に非(あら)ず、乙に非ず」という否定的表現を用いる以外に、それを表示する方法はない。
この「非ず、非ず」neti netiという表現は、ウパニシャッドにおける最も有名な語の一つである。
このようなアートマンこそは、個体における不滅不死のものであり、万物に内在する普遍者であ
る。それは万物を内部から制御する「内制者(アンタルヤーミン)」である。』
(長尾雅人/服部正明著『バラモン経典・原始仏典』哲学者ヤージニャヴァルキヤ/中央公論社刊)
また、
「それら(五蘊)はアートマンに非ず」は、ゴータマの無記の姿勢に抵触しませんが、
「アートマンはない」という断定は一つの極端であり、
無記とは相成れない矛盾した発言ということになると思います。
私は、「アートマンでないものをアートマンと見なすことなかれ」
と、ゴータマが戒めていたものと解したいと思います。