146 :
準シュダオン:
「水」という文字は、水、そのものではない。
だから、「水」という文字は飲むことが出来ないし、
喉を潤すことはできない。
桐山管長の説く内容は、新皮質脳だけでは、内容を理解できないのです。
霊性の「場」が、少しでも開けば、理解できるようになります。
いくら修行をしても、霊性の場が少しも開けない人は、
やがて「インチキ宗教」と言うようになります。
水という文字が、水そのものではないように、言葉だけを新皮質脳で、
いくら考えても桐山管長の教えを理解することはできません。
いくら頭脳明晰でも、それは不可能でしょう。
ある脳科学者は、「霊視なんてのは脳の病気である」と言っています。
霊視能力のない人には、そう考えても不思議はないのです。