隠居は仏教を「宗教として」支持しているのか。
仏教を信じているのか?仏教徒なのか?違うだろ。
今までの流れを見るに、自灯明をすすめる態度や「空」や縁起に
「現代人から見ても妥当性がある」という「評価」をくだしているだけだ。
なら仏陀の思想のうち、この部分には共感する、と言って引用すればいいだけの話であって、
それで何の問題があるんだろう。この時点で仏陀への批判はできており、また盲信になっていないというのに。
>>140 >宗教の「現代に適用しない部分」は廃棄しようと努力している。
廃棄する部分に「聖典そのもの」は入っていない。
バチカンは進化論に妥当性を認めているが、創世記を誤りだとして否定したわけではない。
神の意思だとか、霊的ななんじゃらかんじゃらという解釈を与えてるだけ。
辻褄合わせの例が見たいならwikipediaの「聖書への批判」でも見ればいいよ。
>宗教の開祖は、あくまで、「当時の状況における当時の人々」に対して説いたのである。
(当たり前だが)ある時代に生まれた人間はその時代にしか生きられず、
また同時代の人々にしか会うことがないから結果的にそうなっているだけ。
>開祖の意図を尊重するためには、常に時代の変化と進歩に応じてアップデートして行く努力をすることが、
仏陀にとっての転生は本人にとって前提となる「事実」にあたる部分だ。「方法論」の部分ではない。
>開祖が何を説いたかではなく、開祖が現代に生きていれば何を説くか、を考えることが必要。
そこで形作られた仏陀像があくまで仮想上のものであることを自覚してるなら、それでいいと思うよ。