> ここに
> どんな境遇の人間であれ、救われる前途が閉ざされているわけではないことを意味するのです。
「ここに」?
「無限的組合せであること」に? 「予め予測が不可能であること」に?
縁起し、無常であるが故に、向上があり、進歩があり、救いがあるのではありませんか?
これ以上何が不足なのか?
※貴方の言いたいことが、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230651094/150 及び
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/125 > 仏教と出会えない人と死期が迫った人間はどうしたら解脱成仏できるのか?
にあるように、
≪「仏教と出遭っていない人、まさに死を目前としている人、出遭わずに死んだ人」は、
どのようにして救われるのか?救われなくてもよいのか?≫
というものであることは解ります。
今レスでは蛇足部分なので、簡潔に(大胆に)言い切ってしまいますが、
それこそ、「仕方ない」でしょう?(だから、クールで冷酷だと評するのです。)
梵天勧請を思い出してください。
(また、死に面した人でも、そこで教えを聞き、頷き、納得し、安心して死を迎える可能性はゼロではありません。)
※だから、人身受け難し仏法聞き難しなのでしょう?