【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】10

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408宝珠愚者
>>332>>335
 すもません。これは私のいい方が悪いのだと思います。
 「情状酌量の余地」や【“本来なら!”受けるべき“果”】を【受けずに済んでしまっている】というよりも、カ
ルマの総計として、そのトータル的な結果として、例えば極端な話ですが・・自分が来世では殺害されるハ
メに遭う筈であった悪業が、その後の善行の効果によって+ -の差し引きで出生前の死去という出来事で
済んだ。といったことを想定しての喩話なのでした。
 ただ、ここで私がいいたかったことというのは、カルマの報いというのは、どうやらかなり複雑なもののよ
うであり、個々の一つ一つの行為はそのまま同果の報いとしてそのまま返ってくるものとは限らず、幾つか
の行為の類計として返ってきたりする、という意味なのです。

 本来、受けるべきカルマの報いが軽減されるケースとしては、自分の師匠/導師によるカルマの肩代わり
というのがあります。スレ8/347で、紹介した話などがそれに該当するものです。
 そのようなことは当然、そのようなことができるレベルに到達した存在しかできないことであり、そしてこれ
は導師に相当な負担を掛けるので、非常に稀な出来事だということです。このようなことから導師は、誰で
も容易に弟子にすることはないのです(そこが信仰宗教の会員集めとはワケが違う)。

http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1233/12333/1233367815.dat
 「わたしは、ババジについて、驚くべき出来事を二度目撃したことがある。ある晩、ヴェーダの儀式が行
われていたとき、弟子たちが大きなかがり火を囲んですわっていた。すると大師は、突然1本のあかあか
と燃えたたきぎを取り上げて、傍らにすわっていた一人の弟子の裸の肩を軽く打たれた。
 『師よ、何という事を!』同席していたラヒリ・マハサヤが驚いて抗議するように言った。
 『お前は、この男が過去のカルマの定めによって、お前の目の前で焼け死ぬのを見るほうがよいか』
 ババジはこう言われると、その弟子の焼けただれた肩に癒しの手を置かれた『わたしは今夜、お前を無
残な死の運命から救ってやったのだ。このわずかなやけどを受けたことによって、お前のカルマは果たさ
れたのだ』(「あるヨギの自叙伝」パラマンサ・ヨガナンダ著)