「唐人」と基本が申し上げているのは、幕末期から明治にかけて、「西洋のカルト・オカルト思想」に支配された日本の政治権力の問題です。
ザ掲示板、おやさまに、きちんつ申し上げています。引用しますと、
http://religion.bbs.thebbs.jp/1164116611/61- 『・・例えば、吉田松陰は、
『獄中にて遺書として門弟達に向けて「留魂録」を書き残す。』
『その冒頭に記された辞世”身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂” 』
と、残していますが、日本の神道の思想には、「魂が留まる」と言う思想は、飛鳥。奈良。平安。見当たりません。
「祟りや怨霊が残る」事はあっても、高天原の神は、魂として留まらないのが、普通です。
魂が留まるというのは、平田国学が唱えた説であり、死後の世界について体系的な宗教思想を持っていなかった神道が、実は、洋学を学ぶ事によって
キリスト教の思想を取り込むなどして、日本古来ではない、唐人の異説に変貌していたことを意味しています。
『その冒頭に記された辞世”身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂” 』
この大和魂が、実は、唐人の説にままにされていたものだったとという事実は、おやさま以外、誰一人も見抜いていなかった。
日本人は、天孫降臨の子孫として、天皇一人のための国家の下僕であるという、カルトは、熱狂的なナショナリストの吉田松陰や坂本竜馬の命がけの改革運動として、打ち出され、
そこに、洋学と言う実学の果実があり、国民は、大教宣布を、世直しとして、何の疑いも無く受け入れていった。
おやさまの、心配されたことは、まさに「とふじん」が「にほん」をままにするという、幕末期の、カルトの問題であったと言うことです。』
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このように、にほんの地に、具体的に思想侵略があったということを、おやさまは、「とふじん」として、理をしらされた。
そういうことを、申し上げています。