★シルバーバーチ・スピリチュアリズム★19

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6神も仏も名無しさん
では、ここからしばらくは、シルバーバーチからの転用に終始する。

まず、「現実の幻想性、幻影性」から始めよう。
バシャールなどは、地上の人生、地上の現実は実在ではなく幻影に過ぎないと強調している。
で、見落とされがちだが、実はシルバーバーチも同じことを何度も繰り返し繰り返し言っている。
バシャールほどその点を強調して言ってるわけではないため見落とされがちだが、
シルバーバーチは実は、バシャールと同じくらい、いやそれ以上に地上の人生、地上の現実が
実在ではなく幻影に過ぎないことを説いているから、それらをまず転用してみよう。

■地上世界の幻想性

[1] (霊訓2、P123)
私たちの世界こそ実在であり、あなた方の世界は実在ではありません。
そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことでしょう。
あなた方は幻影の中で生きておられます。全て"影"なのです。

[2] (霊訓1、P77)
全てが夢幻しにすぎない物質界に生きているあなた方にとっては、
おぼろげに見ている世界を実在と錯覚しないようにと警告することが
私の任務であるわけです。

[3] (霊訓6、P133)
あなた方が実在と思っておられること(地上の現実)は
私たちにとっては実在ではないのです。

[4] (霊訓9、225P) および (霊訓12、P236)
こちらの世界(霊界)こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。
そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことかも知れません。
7神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 04:07:06 ID:lxETUrLg
[5] (霊訓5、P29-30)
あなたが生きておられる世界(地上世界)が影であり実在でないことを
知っていただけないのが残念でなりません。
地上は影の世界です。実在ではないのです。

[6] ( 霊訓4、P144)
霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。
こちらへ来られるまでは本当の実態感は味わっておられません。

[7] (霊訓5、P69-70)
ご自分を表現しておられるその身体、地上という大地、
住んでおられる住居、口にされる食べ物、どれをとってもこれこそが
実在であると思いたくなります。
でも、それらはことごとく"影"であり"光"ではないことを申し上げねばなりません。

[8] (霊訓2、P156)
地上生活は霊界という名の太陽によってできた影にすぎません。
地上生活は殻であり実質がないのです。
物質が霊によって存在が与えられている以上、物質界には
真に実在と言えるものは何一つ存在しません。
物質というのは霊的実在の波長によって形を与えられた
表現の一つに過ぎません。

[9] (霊訓1、P40)
物質は殻に過ぎません。霊という実在によって投影されたカゲに過ぎません。
物質それ自体には存在はないのです。
8神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 04:17:59 ID:FpxRUDtN
では次に、「地上の現実」と「夢の世界」の関係について。
地上の現実と夢の中の世界が対等(付け加えれば死後の世界や霊界もそれと対等)であることは、
バシャールも説いているがシルバーバーチはもっと詳しく、説明付きで説いている。
では、シルバーバーチが「地上の現実」と「夢の世界」がいかに同じ性質のものであるか
(程度の違いはあれ本質は同じであるということ)について説いている部分を転用してみよう。
(なお、転載本文中のカッコ内は原文ではなく私が補助的に追加したもの)

[1] (霊訓2、P148)
現実というのは相対語であることを忘れないでください。

[2] (霊訓8、P91)
今のあなた(地上の人生)は夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう?

[3] (霊訓10、P71-72)
夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。
もしも永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。
乗る船も飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみは実在です。

[4] (霊訓2、P155-156)
もしあなたが永遠に(夢から)目覚めないと仮定したら、
その夢はあなたにとっていつまでも現実であり、その夢の中の生活と
比較すべき覚醒時の生活がない以上は夢の中で起きたことは
ことごとく現実であり、逆にそれまでの覚醒時に起きたことは
全て夢まぼろしであったことになりませんか?
9神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 04:18:24 ID:FpxRUDtN
[5] (霊訓2、P148)
夢の中で船に乗ろうと思うことがあるでしょう。すると船が現れます。
自分でこしらえるのです。そして少なくとも自分にとっては本物の船です。
それに乗ると動き出します。必要な船員もちゃんと揃ってるでしょ?
その時の意識の場においては現実なのです。
現実というのは相対語であることを忘れないでください。

[6] (霊訓8、P91)
すべては意識している"場"の問題です。
船に乗っている夢を見れば、眠っている間はそれが現実です。
"夢だった"と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だったことになります。
もしも永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となることでしょう。
目が覚めている間は地上生活が実感があるように、
その夢の状態が実感があるように思い続けることでしょう。
今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう?

[7] (霊訓4、126-127)
(人が死んだとき、最初に一時的に滞在する霊界の特定領域に関して、
その領域での体験は夢の世界なのか現実の世界なのかという質問に対して)
そこを通過してしまえば夢の世界だったことになります。
そこに生活している間は現実の世界です。
それを夢と呼ぶか呼ばないかは観点の違いの問題です。
あなた方も夢を見ている間はそれを夢だとは思わないでしょう。
夢から覚めてはじめて夢だったことを知り"なんだ、夢だったのか"と
言うわけです。ですから、霊が夢幻的段階を過ぎてしまうと、その時の体験を
思い出して"夢だった"と言えるわけです。
ですがその夢幻を体験している間は、それがその霊にとっての現実です。