【正義顕揚】日蓮正宗のスレッドその6【750年】

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643神も仏も名無しさん

釈迦在世時の説法は、その当時において文字化されていない。
しかし、
その肝心なる法華経に出現した釈迦は、経典など存在しない時代にも
関わらず、自身の説法において「経典」や「法華経」との指摘が存在する矛盾。
寿量品では
作如是説。諸善男子。如来所演”経典”。皆為度脱衆生。
自我得仏来 所経諸劫数  無量百千万 億載阿僧祇
分別功徳品でも
聞我説寿命 是則能信受 如是諸人等 頂受此”経典” 
願我於未来 長寿度衆生
受持読誦。是”経典”者。為已起塔。造立僧坊。供養衆僧。
種種因縁。随義解説。此”法華経”。復能清浄持戒。

釈迦が自らの説法を”経典 法華経”と言うのだから、すでに経が存在していたか、
作者がいて執筆していたかのどちらかであり、お経として成立していない時期の
釈迦の言葉ではないと、簡単に解釈できる。