>>49 たとえば、
ダンマパダには
「思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ」(中村元訳)
という言葉があり、パーリ注釈文では、非常に深いsaMsAra sAgara(sAgaraは=海、大きな湖など)のなかに自分のよりどころpatiTThAである真人の境地(arahattaphala)という島をつくれ、
すなわちつくることができるように(vol. I, p.255.)としている。
つまり、海の激流(荒波?)がsaMsAra(輪廻)なのであり、それを乗り越えて克服することが真人の境地、島(洲)=涅槃なのです。
また、川の激流もsaMsAraです。原始仏典では随所に「川の激流を渡り対岸へ至れ」というような表現があり、これらも同じです。
つまり、
苦・迷いの人生(欲・煩悩を絶つこと)=激流=saMsAra=輪廻=生まれ変わり(という表現、物理的生死ではない)
苦・迷いの人生を克服すること(欲・煩悩を絶つこと)=彼岸に至る=真人の境地=涅槃=再び生まれない(という表現、物理的再生ではない)
ということなのです。
>原始仏典における1の意味で用いられるsa.msaaraの頻度はどのくらいですか?
全てです。