日本人がキリスト教徒に対して行った蛮行の歴史

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671CDU ◆2xKCm7UiXI
>>650
>例を出してみな。w
まあ、宣教師は布教活動をしていただけで、侵略などはしていないがな。
「リッチは中国において知識階級に受け入れられるために儒学者の衣服をまとい、中国語と中国文化を学んだ。
相手を低く見てヨーロッパの文化を一方的に押し付けるのではなく、相手の文化を評価・尊重し、これに適応するのがイエズス会の「適応政策」(適応主義)であった。」

「中国人の生活の中にこれらの宗教は密接に結びついていた。特に儒教と道教において祖先の位牌の前で香を焚き、祈りをささげる行為は人々の生活から切り離せないものだった。
イエズス会員たちはこれを「宗教的儀式」ではなく「宗教色のない古来からの社会的習慣」であると主張し、カトリックに改宗したものであってもそれらの儀式を行うことはさしつかえないと主張した。」

>占領、征服は何のため?w
一向宗門徒が作ろうとしたのと同じような宗教王国を作ろうとしたんだろう。
「宗麟自身もキリスト教の教義に惹かれるようになり、遂には入信し日向にムシカ(理想郷。漢字表記は務志賀とされる。現在の宮崎県延岡市無鹿町の付近)の建国を夢見て耳川の合戦を引き起こすことになる。
ムシカとはスペイン語で音楽を意味する「ムジカ」に由来し、宗麟はかつて西洋の音楽を聴いて非常に感銘を受け、その旋律のように平和な理想郷を夢見た。」

>間接的な手段によって相手国の内部で反乱や騒擾を引き起こして武力攻撃する間接侵略
相手国の内部での反乱や騒擾は既に起こっていただろうが。w
宣教師がやってきたとき、たまたま戦国時代だったというのは、宣教師や信者たちにとってはむしろ不運だった。
好戦的な糞ジャップらしい時代じゃないかといわれてしまえば、そうだというしかないけどね。w
もし宣教師がやってきたときに既に絶対的かつ継続的な支配者が確定していれば、彼に許可を得れば安定した布教活動を続けていくことができたであろうに。中国みたいにな。