>>369 >『PTS』1.『モニエル』『アプテ』3. が語釈として出しているTransmigrationは輪廻転生に他なりません。
一体何をやっているのか・・・循環論的な混乱に陥ってないかい??
英語でも、transmigrationの第一義の意味は「移動」であって、輪廻転生は後付け。
samsara「流れること、流転すること」にtransmigration「移動」という訳語を当てたので、漢訳
の「輪廻」と合わせてsamsara=transmigration=輪廻となっているのであって、
samsaraを英語辞書で確認してtransmigrationだから輪廻転生などというのは、
本末転倒、というか、何の説明にもなっていない。
詳しい情報を書いてくれることはありがたいけど。
ともかく、transmigrationは「移動」であり(生まれ変わりという意味はない).『モニエル』『アプテ』も
samsaraは第一義は”going or wandering through ” ” Course, passage.”であって、
単に「流れること」であることは明らか。「生まれ変わり」というのは後付の派生的なものでしかない。
しかも誤訳から逆算して原義に組み入れてしまった可能性が高い。
生死についても、仏典では頻繁にメタファーとして使われていて、本当に「生きる」「死ぬ」で使われている
例は少ない。正確に訳す場合は「死の境地」「死の境涯」「死のようなものである」と訳している。
だから「生死と訳された言葉がサムサーラで〜」というのも、何の説明にもなってない。
>辻先生の『ウパニシャッド』でも原先生等の『インド思想史』でも輪廻は生まれ変わり死に変わりの経巡りを意味しています。逆に「生まれ変わりという概念とは関係ない」という説は誰が言ってるのでしょうか?
そりゃ「ウパニシャッド」ではそうですよ。ウパニシャッドの時代頃からサムサーラに「生まれ変わり」の意を(派生的に)もたせるようになったのだから。
言葉の意味というのは、時代背景・文化背景・文献によって違うのは当然なんですよ。「ウパニシャッド」ではこういう意味だからといって、仏典でも
同じ意味で使われていると思ったら間違い。
だから、枠組みを無視して「生まれ変わりという概念とは関係ない」と言っているわけではない。
むしろ、釈尊自身が「生まれ変わり」を説いた、と主張している(まともな)学者なんているんでしょうかね?