【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】6

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369神も仏も名無しさん
注意:『アプテ』は「長過ぎる行がある」ということで、何度か整形したものの巧くいかなかったので、用例を削りました。


『PTS』1.『モニエル』『アプテ』3. が語釈として出しているTransmigrationは輪廻転生に他なりません。

『PTS』が輪廻転生の用例として挙げているSn 517は『スッタニパータ』517で中村訳では以下の通り。
517 あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、
塵を離れ、汚れなく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」

Dh 60は『ダンマパダ』60で中村訳では以下の通り。
60 眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。
正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。

生死と訳された言葉がサムサーラで、『PTS』の編者は当然のことながら輪廻転生の意味と採ったわけです。

『アプテ』 Kath. 3.7は『カタ・ウパニシャッド』3.7で
(行をせず心不浄で無明な)彼は、かの(再生しない)境地に達せず、輪廻を行く。

辻先生の『ウパニシャッド』でも原先生等の『インド思想史』でも輪廻は生まれ変わり死に変わりの経巡りを意味しています。
逆に「生まれ変わりという概念とは関係ない」という説は誰が言ってるのでしょうか?
ということサンスクリット、特にパーリではサムサーラは主に「生まれ変わりという概念」を表す言葉に他なりません。