1 :
神も仏も名無しさん:
プラトンに比肩し得る現代の哲人、ケン・ウィルバーを語る
2000年のアメリカ合州国大統領選挙期間中、アルバート・ゴア民主党候補の
愛読する著者としてケン・ウィルバーがニューヨーク・タイムズ紙に紹介された際、
「ディーパック・チョプラを師と仰ぐアメリカを代表する思想家」と
記述されたそうです。
しかしその数日後、チョプラからニューヨーク・タイムズ紙に手紙が届き、
次のような訂正依頼をしたそうです――
「彼が私を師と仰ぐのではなく、私がケン・ウィルバーを師と仰いでいるのです。」
2 :
神も仏も名無しさん:2009/01/14(水) 21:51:52 ID:xcfqEgMX
まってました!
ウィルバー
4 :
神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 00:22:47 ID:9Ap8y6Kt
グレース&グリッドおすすめ
チベット仏教、トンレン、ゴエンカ、サイババ、ア・コース・イン・ミラクル、
ジェラルド・ジャンポルスキー、ハンドヒーリング、禅、
それでも人の悩みは続く
意識のスペクトル
6 :
神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 00:41:24 ID:wGBPVVy9
「真理」はあまりにも広大で、たった一つの宗教でカバーしうるものではない。
それぞれの宗教にそれぞれの真理があり、次元や捕らえ方が違うだけである。
ゆえに、宗教間対立は本質的とはいえず、不毛なものである。
7 :
神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 11:59:39 ID:GelPNXYq
お、宗教版にも立ったか。
日本では「宗教」という単語に良いイメージを持っていない人が多いのが問題だが。
かと言って「霊性」といってしまうと超能力的なものを連想しがちかもしれない。
だが「スピリチュアリティ」としても、日本で言ういわゆる「スピリチュアリティ」と
ウィルバーの言う「spirituality」にはかなり意味のずれがあるだろうし。
何となく、日本でウィルバーが広まりにくい理由が見えてくるような。
8 :
神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 15:56:36 ID:7B2iqHEm
難しそうだったので、中高生向けも意識した解説書「ウィルバーメッセージ
奇跡の起こし方」を買いました。これから読みます。
存在することのシンプルな感覚
エデンより
アートマンプロジェクト
10 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 14:19:51 ID:3hIM1Bco
ウィルバーの唱える「正しい宗教」は内容も何も
【ただあるがものをあるがままに正しく見る】以上の意味を持ってはいけないとか
そういう内容のものだよ
仏教の禅宗でいう「正法眼」とか「正真眼」とかいう類のみ
ウィルバー自身が熱心な禅の修業者だからもっともだが
11 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 14:33:12 ID:wU3yiOkU
やはり禅ですか
12 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 14:44:30 ID:lHtefbns
真理という法則は幾つもの法則によってバランスよくなりたっているものだ
13 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 21:51:18 ID:l+54w80o
>>10 いや「〜以上の意味を持ってはいけない」なんて発想はウィルバーの対極だと思うんだが。むしろ
「○○という意味もあっていいし、△△という意味もあっていい。しかし□□という意味の方がより正確な見方である」
というような発想がウィルバーだと思う。全部正しいけど、より正しいものが存在する。
宗教と一言に言っても神話的・教義的な部分と瞑想的・神秘主義的な部分がある。
しかも瞑想的な伝統に限って考えても、禅からキリスト教神秘主義からスーフィズムから
ヴェーダンタ学派から道教からチベット仏教までさまざまな伝統がある。
それぞれの伝統を互いに関連付けるならばどういう関係になるのかというのを示すことで、
一方では共通の普遍的部分を取り出すとともに、
他方ではそれぞれの伝統の多様性や独自性を明確化して尊重しやすくしたのだと思う。
14 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 22:01:10 ID:wU3yiOkU
なんでもかんでも同じってわけじゃないんですね
到達するところは
15 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 22:07:31 ID:3hIM1Bco
>>13 ウィルバーをわかってるようでわかってない
それはウィルバーの言う「相対的な真実」に由来する部分
ウィルバーは「二つの真実がある」という風に言ってることから理解してほしい
二つの真実というのは「絶対的な真実」と「相対的な真実」
相対的な真実は文字通り、あれもあればこれもあるという考え
そして【それを見る側が絶対的な真実】
宗教は人の心に由来する「絶対的な真実」の側
宗教がなぜこれまで過ちを犯したのか口をすっぱくして、ウィルバーは散々語ってるのは理解してる?
宗教は人の心に由来して、「人の意識の根源は包括的であるから、現実だけでなく妄想まで包括してしまう」
その結果、宗教は妄想と現実の境がなくなって過ちを犯したというのがウィルバーの主張
だから宗教は「あるがものをあるがままに見る」以上の目的を持ってはいけない
つまり、現実は現実と見て、妄想は妄想と見る主張こそが正しい宗教
だからウィルバーはニューエイジを唱える団体はダメだとか
自身がかつて位置していたトランスパーソナル心理学さえ否定したんだよ
やっぱり禅っぽいんだな
17 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 22:55:58 ID:pvDgKwX6
そりゃ道元を1番尊敬してるっていうくらいだもん
18 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 23:50:37 ID:Z5mxWjwv
ウィルバーのチベット仏教やテーラワーダ仏教についての評価はどんなもの?
19 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 00:38:21 ID:YzssJfAe
>>15 絶対的な真実と相対的な真実の違いは理解してるつもりだ。
俺はただ
>>10での発言が相対的な真実(顕現世界)の方を無視してるように見えたから
顕現世界の重要性を強調したのであって、絶対的な真実を否定たわけでもなければ、
顕現世界における無数の惨害を仕方ないことだと甘受しているわけでもない。
以下は全部「相対的な真実」の話だが、
重要なのは「人はみな最も低い意識段階で生まれる」ってこと。
生まれた時からみな合理的思考ができるわけではない。
明らかに病理的な宗教はともかく、例えば神話的な宗教を全て否定してしまうことは問題がある。
なぜなら、人類の半分以上は神話段階かそれ以下にあり、そのレベルの意識段階の人にとっては
確かに神話的な宗教は“真実”であるから。
大学があるからといって小学校がいらないということにならない。
あと「宗教」という言葉の意味について述べているようだが、
あまりに多義的な言葉だしウィルバー自身も「宗教」という言葉を
文脈によって使い分けていると思われるので、そこにはあまり深入りしたくない。
20 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 00:44:55 ID:rPwBICxY
仏陀や龍樹とか、キリストとか人物についてはいろいろコメントしてるけど
アメリカだからそういうのがタブーなのもあるんだろうけど
基本、この人はそういう宗教自体や宗派については明確なコメントないっぽい
禅についても、曹洞宗寄りかと思いきや、臨済宗側でも修行してたり
ヨガもやったり、そういう宗派とか宗教とか形や組織にはこだわりはないみたい
(私は仏教徒ですと本で主張はしていたが)
21 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 00:50:33 ID:YzssJfAe
>>18 チベット仏教は結構高く評価してると思う。
ウィルバー自身ゾクチェンの修行もかなりやってたみたいだしね。
トンレン(慈悲の瞑想)のやり方が書いてあったり。
ウィルバーは「非二元」(涅槃と輪廻は二つではない)を強調するので、
輪廻を嫌って涅槃を求める原始仏教は、いわば「半分だけ正しい」
でもヴィパッサナー瞑想という方法論自体は素晴らしいと評価してるよ。
22 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 01:08:54 ID:rPwBICxY
>>19 相対的な真実について無視するも何も
「宗教はその域を論するものではない」
仏教徒達から、ウィルバーの主張は仏教でないと批判されたときに
だからウィルバーは相対的な真実という言葉を用いて
仏教は絶対的な真実については言及されているが、
相対的な真実を論することができないから
自分はその事をまとめるために本を書いていると言っている
そして、絶対的な真実というのは、いわば相対的な真実を包括するものであって
いかなる意識レベルにも存在するものなんだよ
だからウィルバーは神話的な宗教を否定しているのではなく
宗教の「神話的な部分のみ」を否定していて
どんな宗教にもそれなりの意味はあると言ってる
(もちろん、その意味がその宗教の主張通りの形態で生み出されたものかは別であるといってるが)
いわゆる、胡散臭い宗教家の手法で、なんらかの効果や回復をした人間がいるのは事実だが
その胡散臭い宗教家が説明するようなカラクリ
(自分は神に愛されたとか、あなたの中の蛇を取り除いたなど)
については、それが正しいとは思えないってこと
23 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 01:32:28 ID:rPwBICxY
難しくなったから簡単にまとめると
合理的だとか、存在するかしないかは
実験と理論による分野(科学)が検証や言及するものであって
もし、宗教がその分野に手を出せば、結果はどうなるかは目に見えている
顕現世界は「ただ見ればそこにある」ものであって(見て存在しないなら、顕現世界ではない)
それを判断するのには合理性も何も必要はない
意識レベルの高い低いも関係ないってことね
神話は確かに見る人間の意識にとっては“真実”かもしれないが
それは見る人間が作り出したものだと意識のレベルに関わらずわかる
わからないなら、その人は病気
「進化の構造」でも書かれているが、
神話的な宗教を信仰してる人間が合理性を出されると弱いのは
現実でないと信仰してる人間も気付いているから
つまり本気で神話的な宗教を現実と思って信仰している正常な人間はいない
ニヒリズムも同じ論調でウィルバーは否定した
25 :
18:2009/01/18(日) 19:03:57 ID:OZZylj8W
レスありがとうございます。
チベット仏教と禅を修しヴィパッサナーを評価し、尊敬するのは道元か。
興味深い。
26 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 15:16:55 ID:Oi4aAcK6
ぼくが瞑想の修行に真剣になったのは、聖者ラマナ・マハリシの次の行を読んでからであった。
「夢のない深い眠りにおいて現前していないものは、リアルなものではない」
これは衝撃的な言明である。なぜなら、深い、夢のない眠りには、文字通り何もないからである。
それがラマナのポイントであった。
究極的なリアリティ、あるいは「スピリット」は、
何か意識のなかに浮かんできたり、また消えていったりするものではありえない。
それは恒常的であり、永続的であり、さらに言えば時間を超えているために、
どのような時点においても現前していなければならない。
したがって、究極のリアリティは、夢のない深い眠りにおいても現前しているはずであり、
逆に言えば、そこにおいて現前していないものは、究極のリアリティではありえない。
(中略)
ラマナのこの一行に出会うまで、ぼくはかなり集中した瞑想を行っていた。
禅を片桐老師、前住老師に学び、ヴィジラヤーナ〔金剛乗〕をカル・リンポチェとチョギャル・トゥルンパに、
ゾクチェンをペマ・ノルブとチャグダッドに学んでいた。また、ヴェーダンタ、超越瞑想、キリスト教神秘主義、
カバラ、道教、スーフィー教などを、それぞれ短い間、あるいはかなり長い間、学んだこともあった。
それは長いリストだった。
27 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 15:17:24 ID:Oi4aAcK6
ぼくがラマナの一行に出会った時は、ゾクチェンをチャグダッド・リンポチェについて修行していた。
リンポチェも、「ミラー・マインド」(すべてを公平に映し出す鏡の心)を、
夢、および、夢のない深い眠りにまで維持する重要性を強調していた。
ぼくは、非二元的な意識を、一瞬でも、この三つのすべての状態で体験し、そのことを、リンポチェは確認してくれた。
しかしすべてが結実したのは、その一年後――それは11日間にわたる集中的な瞑想の期間においてであったが、
その時、分離した自己が根本的に、完全に死んだように思えた――であった。
この11日間、ぼくはまったく眠らなかった。あるいはむしろ、11日間、夜も昼も意識があった。
その間、身体も心も起きたり、眠ったりしていた。けれどもその変化のなかにあって、ぼくはまったく動かなかった。
そこにあるのは、まったく変化しない、空なる意識であった。
それは輝く鏡の心であり、目撃されるものと一つとしての「目撃者」であった。
ぼくは自分であるものに立ち返った。
そして、それ以後、多かれ少なかれ、そのようであった。
28 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 23:55:24 ID:WryAlUo7
>>26 そのチュギャム・トゥルンパ師の幹部弟子が書いた
「すべてがうまくいかないとき チベット密教からのアドバイス」という本があるんだけど、
なかなかの良書だった。
大雑把にいって、チベット密教におけるヴィパッサナー瞑想法について書かれた本だけど、
トンレンのこともばっちり載ってる。
トレヤさんが病気のときはacim(ア・コース・イン・ミラクル)なんかもやってたんだな。
あの本はアメリカ限定で有名なの?
ニューエイジの潮流のド真ん中の本って気がするんだが、ケンは妥当性を認めてたのかな。
まあ、病気で死ぬほど苦しい時は、宗教の智慧の側面なんかクソクラエで慈悲の面のほうが
よっぽど有効と思うんだが。
30 :
神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 01:54:07 ID:qVsEkUxQ
>>29 あの本がどの本なのかは知らないけど、
ウィルバーは基本的に、ニューエイジにはかなり批判的だと思うけどな。
初期の頃はウィルバーをニューエイジの一派とみなす人も多かったのかな。
『進化の構造』だとかあの辺の大著を出してからはともかく。
31 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 15:55:25 ID:Gb1I4wwi
名前:*[sage] 投稿日:2009/02/21(土) 17:37:43 ID:QRV3RZgo
ゴータマ・ブッダがインドにもたらした真の革命はその精神的な実践にある
というよりも――彼のヨーガの方法はすでに根付いていた――むしろ彼が
カースト・システムを否定したという事実にある。宗教的な先駆者であるとともに、
彼はそれよりはるかに社会革命家であり、それはインドを深いところまで
揺さぶった。これは理性の力がもたらした「革命的な情熱」の例である。
ゴータマは超合理的であったが、彼の宗教は、世界で最初の「合理宗教」の
一つであり、神話的な世界観に内在する支配的な階層――カースト・システム
も否定した。これが彼のシステムをかくも革命的なものにした理由である。
インドにおけるそれ以前の宗教はほとんどが神と女神から始まっていた。
そして神々をなだめたり、願いを聞いてもらうために祭式や祈祷を勧めていた。
それに対してブッダはそれらすべてを不要とし、意識の流れに対する、
主体(サブジェクト)に対する集中的な内観を勧めたのである。しかも彼は
それらを非常に合理的な言葉で語った。
わたしは歴史上のゴータマ・ブッダがいかなる対象もない完全停止の状態で
あるニルヴァーナ、あるいは専門的にニロードという、元因領域や純粋に非顕在
の無形態の領域に至る最初の明瞭な道を見出したことをはっきりと証拠が
示していると思います。ブッダはそうした状態を三昧の力だけで獲得したわけ
ではない。それでは一時的なものになってしまう。顕在的なサンサーラの領域に
現れようとするすべての領域を根こそぎにする洞察力、すなわちヴィパシュヤナ
によって獲得したのです。
(ケン・ウィルバー 『進化の構造2』)
顕現は罪ではない。顕現の中で迷子になることが罪なのだ。私たちは自我が
自然が〈コスモス〉全体における唯一のリアリティであると考えている。
そこに私たちの罪と苦しみがある。私たちは人生という粗大な映画の中で
迷子になり、投射機、光、スクリーンすべてが究極の〈ワン・テイスト〉の形に
他ならず、輝く〈空〉から投射される波動であることを忘れている。
(ケン・ウィルバー 『〈ワンテイスト〉・上』)
こっちで信者を引き取ってくれませんか?
名前:階層性[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 22:29:35 ID:L6HHr5Vf
超越的なスピリットが顕現するとき、それは階層性をともなう。それが存在の
偉大な連鎖である。しかし、スピリットないし実在(リアリティ)そのものが
階層的なのではない。絶対のスピリットは、いかなる属性も(階層的という
属性も)もたない。しかし、それはステップを踏んで(段階的に、多次元的に)
顕現する。仏教では、八つのレベルの識(八識)である。
これらは、顕現された、マーヤーの世界の段階なのである。マーヤーが
神性の戯れであることを認識できないとき、それは幻影以外の何者でもない。
階層性は幻影である。しかし、世界の智慧の伝統は、まさに此岸の世界
(サンサーラ)の階層的な性質を理解することによって、そしてその階層を
登ることができると理解することによってのみ、階層は、その素晴らしい目的
を果たして、捨て去られると教えている。
(ケン・ウィルバー 『統合心理学への道』 2004年)
名前:222[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 00:06:55 ID:LHfThH14
ケン・ウィルバーは、現代を代表する思想家の一人となっているが、
いまだに一般に知られるところが少ない。簡単にいうと、彼は「西洋と東洋
の融合」を試み、一つの新しい宇宙観を提示することを試みている。
ウィルバー思想の背景としては、デカルト=ニュートン的な世界観の絶対性
が崩壊したという事実がある。第二は、心理学における展開から、「ノーマル
を超える自己成長」という視点が登場してきたという流れである。またグロフ
などによる、機械論的枠組みでは理解不能な心的経験が発見され、
心というものが通常考えられている以上の広がりをもつという可能性が
見出されたことがある。そして第三には、さまざまな宗教における神秘体験
の共通性に注目し、「諸宗教の超越的一致」という立場に立つ宗教思想の
台頭という要素がある。これは、オルダス・ハックスレーの『永遠の哲学』
という書に代表される。それは、西洋近代の唯物思想に反対して、伝統的な
宇宙観の価値を復興させようとするものである。ただしそれを教義として
ではなく、その中核には経験があり、それに基礎をおいているものと見なす
のである。
ウィルバーは、このような流れを受け、東洋の伝統における「叡知」の立場と、
西洋心理学を接合することによって、より包括的なパラダイムを提示できる
と考えた。
その特徴は、これまで発見されてきた、人間が持ちうる心的経験を階層的に
位置づけた「スペクトル・モデル」にある。ウィルバーの理論は時間と共に
発展しているが、今は『アートマン・プロジェクト』(1980年)を中心にして見て
みよう。ただし、理解しやすくするため若干簡略化してある。
35 :
神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 22:40:01 ID:nHtD/ybb
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
36 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 10:25:11 ID:f1fQWN8f
保守あげ
37 :
神も仏も名無しさん:
ウィルバー