【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3
>>前スレ462
> しかし、仏教には「無自性」 「空」 「一如」 などの「個」を否定する思想
> もあります。 果たしてこれらの思想と業報思想は両立し得るのでしょうか?
「一如」はともかく、「無自性」「空」或いは「無我(非我)」は、「個」を否定するものではありません。
このスレでもよく見られる言い方として「仮設されたもの」というのがあります。
また、「仮和合」という言い方がされることもあります。(「個」は「仮設されて“ある”」と言えるでしょう。)
≪(因により縁により)「個」【として】現れているが、それは「無常」「無我」なるものであり「縁起」するものである≫
と見れば解決できる話です。(「個」を完全否定してしまっては自灯明(自洲)の譬えが霞んでしまいます。)
「世俗で見れば、唯一最後の拠り所として「個」にすがる」こともできますが、
「勝義に於いては、そのようにすがれるものではない」と言うこともできます。
仏教で「真実(諦)(sacca)」とか「如実に(あるがままに)(yatha^ bhu^taM)」とか
“正しい見解”“正しい行い”“梵行”などの際の「正しい(samma^)」や「梵(brahma)(すぐれた・清浄な)」とか
「聖なる(ariya)」などと言われる時、それは
「仏教という枠(視線)の中で」ということです。「仏教では」ということです。
「“涅槃に資するかどうか”という基準に立っている」とも言えます。