1 :
口下手番長152:
2 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 12:40:26 ID:Iea+F4WL
2ch用意見スレ 1、A宗擁護スレ
http://www2.atchs.jp/agama/ >108 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:21:34 ID:3wDiyPfk
>結局2chの板は批判板だから何を言ってもいい、というルールだからいいのですよ。
>批判のための板ですから、我々信者を改心させようなど思ってないし、するつもりもない。
>心変わりをしかかったものでさえも、少しでもA宗を信じている傾向があれば憎くてたまらない。
>心の奥に憎悪をもっているのですよ。
自灯明で行くと宣言しても、こうやってまだ書く。
こういう大日さんこそ、議論で批判されて、悔しくて書いているとか見えないのですよ。
あなたはこれを書くのに、私の憎悪を具体的に何も指摘していない。
批判側は具体的にあなたの書いたことの間違いを指摘している。
自灯明の件もそうです。
あなたは悔し紛れに、自灯明という釈尊の言葉を用いて、私に一矢報いたつもりだった。
だが、その使い方は間違いですよ、と逆手に取られた。
毎度毎度、何をどう反撃しようが、やり返されるから、大日さんも○○屋さんも悔しくて仕方ない。
他に因縁の付けようもないから、「名無し」にまた噛みつき、
スマナサーラ長老の本まで持ち出して、私を批判した。
だが、それをすればするほど、みっともないのはお二人だとどうして気が付かないのだろう。
3 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 12:43:42 ID:Iea+F4WL
>>108 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:21:34 ID:3wDiyPfk
>結局2chの板は批判板だから何を言ってもいい、というルールだからいいのですよ。
「何を言ってもいい」なんて、そんなルールがどこにあるのだ?
まるで罵詈雑言を並べてもかまわないような言い方だが、
批判側の何をさしてあなたは「何を言ってもいい」などと言うのですか。
どうしてこういう根拠の無いことを言うのだろう。
批判側が全員が礼儀正しいとは言わないが、普段書き込んでいる大半の人たちは、
礼儀正しく、罵りをせず、議論において根拠のない批判は書かない。
世間的なスレの主旨を守らないのは明らかに擁護側です。
一度だけ罵倒したにすぎない大日さんをいつまでも責めるつもりはないが、
でも、私との議論で罵りというルール違反をしたのはあなたであって、私ではない。
スレの主旨を無視して、クドクドと読書のメモ代わりにここを使うのも信者側。
ユビキタスさんが一度間違ったことを書き、それを修正したにもかかわらず、
執念深くそれを貼り付け、何を書いているのかさっぱりわからないような
独り言を貼り付けて、徹底した嫌がらせを続けているのも擁護側です。
「何を言ってもいい」とばかりにルールを無視しているのは擁護側だけです。
4 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 12:52:37 ID:Iea+F4WL
>108 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:21:34 ID:3wDiyPfk
>結局2chの板は批判板だから何を言ってもいい、というルールだからいいのですよ。
>批判のための板ですから、我々信者を改心させようなど思ってないし、するつもりもない。
>心変わりをしかかったものでさえも、少しでもA宗を信じている傾向があれば憎くてたまらない。
>心の奥に憎悪をもっているのですよ。
こういう根拠のないことをあなたも○○屋さんも皮肉たっぷりに書くから、
私から反撃され、反論できなくなるから、そのたびにあなた方の悔しさがもっと増大する。
私はあなた方が書いていることが間違っていると批判しただけです。
それが正しいというなら、弁明してみればいい。
議論とはそのようなものです。
だが、大日さんが書いた前回の自灯明も、今回の「何を言ってもいい」も何の根拠もなく、
ただ私への憎しみや怒りでいっぱいのあなたの心が、罵る代わりに使った言葉にすぎない。
今回の書き込みを見ても、悔しさと憎悪でいっぱいなのはどうみてもお二人です。
私が何かしたのではなく、あなた方がしたことを批判されただけです。
今回も、「何を言ってもいい」なんて根拠のないことをあなたが書かなければ、
私は反論などしない。
根拠のないことでアゴン宗を擁護すると反撃されるとあなたは学習した。
同様に、擁護でなくても、根拠のないことを書くのをやめればいいだけです。
でも、悔しくてやめられないのでしょう?
つまり、私の憎悪ではなく、お二人の憎悪です。
5 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 12:58:29 ID:Iea+F4WL
>108 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:21:34 ID:3wDiyPfk
>批判のための批判で、自分が無いとかどうのとかはただの表向きの理由。
>結局は批判して優越感に浸りたい・やっつけたいのですよ。
あなたはまるで私が何でもかんでも批判しているかのように書いているが、
事実ではありません。
あなたが間違ったことを書いた時しか批判していない。
私が何もないのに批判したのではなく、先にあなたが間違ったことを書いたのです。
批判側の心の奥に憎悪があるからではなく、あなた方の心の悔しさです。
スマナサーナ師の本を読んでも、あなたの理解ってこんな程度ですよね。
彼の本の主旨をたった一言で言うなら、自分の心を観ることです。
だが、あなたは自分の心は観ないで、ひたすら腹の立つ批判側への
攻撃の道具に使っただけだった。
彼の本を理解したと思うのは間違いです。
金を払った分すら理解していない。
それではまるで、桐山さんが阿含経を、伝統仏教など自分を批判した人たちへの
復讐に使ったのと変わりない。
それでは、私に「桐山さんに洗脳されている」と批判される材料を
わざわざ与えているようなものではありませんか。
6 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 13:04:07 ID:Iea+F4WL
>108 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:21:34 ID:3wDiyPfk
>批判のための板ですから、我々信者を改心させようなど思ってないし、するつもりもない。
>心変わりをしかかったものでさえも、少しでもA宗を信じている傾向があれば憎くてたまらない。
改心させたいと思っていないなんて、ずいぶんな言いがかりですね。
私がいつもいつも信者さんたちに対して、桐山さんの嘘を示し、
本当の釈尊の教法に目を向けるように、話をしているのに、
あなたはどこを読んでいるのだ?
私があなたを辞めさせようななんて気はないと書いたから、
そのことにただ反発して、それを一般論にまで拡大したのですね。
私は毎度書いていることだが、「十人に一人」の信者のために書いている。
事実と理屈を示せば理解し、自分の間違いを認めるだけの知性と良識の残っている人です。
だが、それが誰であるかなんて、私は神様ではないからわからないし、
また選ぶつもりもない。
十人に一人のなかに大日さんが入っているかどうかなんて、
私の知ったことではないと書いただけです。
それを選択するのはあなたであって、私ではない。
あなたの書いた内容に私は懇切丁寧にその間違いを指摘した。
これだけ丁寧にあなた個人の信仰について反論されたことがあるか。
信仰の間違いを事細かく指摘されても、それでも折れず、頑迷にしがみつき、
指摘を憎しみとしか受け取らない者に、凡人の私に何ができる?
私はただ情報を伝えるだけです。
腹を立てて「憎しみだ」と蹴飛ばすか、腹立たしいのに耐えて、
事実を見て自分の信仰を振り返るかは、あなたの問題であって、私ではない。
7 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 13:07:25 ID:Iea+F4WL
>108 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:21:34 ID:3wDiyPfk
>批判のための批判で、自分が無いとかどうのとかはただの表向きの理由。
>結局は批判して優越感に浸りたい・やっつけたいのですよ。
スマナサーナ師の本を使って、私を批判するのはあなたの自由だ。
悔し紛れにそういうことをするのはあなたが始めてではない。
信者と思われる人が、釈尊の説いた「論争をするな」という教えの
経典をそのまま引用して、貼り付けた。
ここでの批判が釈尊のこの教えに違反すると言いたいのです。
これは仏教を信じている人がよくやる間違いで、お釈迦さんとは
議論などせず、黙って瞑想していた人なのだと思っている。
だが、間違いです。
釈尊は議論を挑まれてこばんだことはないし、弟子たちに奨励した。
だから、仏教には教律論が三本柱として残ったのです。
禁止したのは、争論や論争です。
簡単に言えば感情的な議論です。
釈尊が他宗教に対して、手厳しい批判をしているのをあなたは読んでいないのか。
スマナサーナ長老も日本の伝統仏教を仏教ではないとまで批判している。
あなたの解釈から言ったら、二人の態度はおかしくないか。
二人を「結局は批判して優越感に浸りたい・やっつけたいのですよ。」と大日さんは言うのか。
それどころか、あなたもアゴン宗の批判をしているではないか。
桐山さんを頭から信じている信者たちがあなたのアゴン宗批判を読んだら、
「結局は批判して優越感に浸りたい・やっつけたいのですよ。」
としか受けとられないでしょうね。
8 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 13:13:06 ID:Iea+F4WL
>108 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:21:34 ID:3wDiyPfk
>結局は批判して優越感に浸りたい・やっつけたいのですよ。
>本人がそれに気がついてないだけ。いや、気づいていても認めないでしょうね。
>判断は第三者が決めればいいなんて、ただの綺麗ごとです。
そのとおりで第三者が決めればいいことです。
私の批判は常に根拠を示すようにしている。
なぜ桐山さんが間違っているか、大日さんの書いたことの何が間違っているのか、
その根拠を示しながら批判している。
だが、上記のあなたの私へ批判に、何か根拠を示したのか。
あなたが私への嫌悪を表す時の文章の大半は、上記がそうであるように、
何の根拠も示さずに、ただ私が桐山憎しで書いているのだといつも書く。
それがどれほど読者に説得力があるでしょう。
○○屋さんや干柿さんや、私を嫌いな信者たちは賛同するだろうが、
第三者には説得力がない。
あなたに賛同する人たちこそ、自分の信仰を批判されたことへの復讐心から、
ただ感情的に私に腹を立て、憎んで、仕返ししてやりたい一念です。
教祖が憎悪から阿含経を己の復讐の道具に使ったように、
信者も批判されるとただただ腹を立て、憎しみを持つ。
このドロドロの煩悩だらけのアゴン宗が仏陀の智慧だの賢劫の千仏なんて
綺麗ごとを言うから笑われるのです。
9 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/19(金) 13:18:03 ID:VP00cFCI
>>1 スレ立てありがとうございます。
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/ >401:大日如来 * eu6hMsrO3Q :2008/12/18 21:54:35 ID:3wDiyPfk
>いざ手術が始まるあたりに花に囲まれた映像が娘さん本人に見え、天井などを見てもその映像が消えないのだという。
>不思議に思って術後母親に聞いたら、お手配願いの写真のことがわかったという。
>親子だから、というのはありえないのですけど・・・。
昔このスレで取り上げられたネタですが、再度蒸し返してお答えします。
まず当時私の出した科学で説明のつかない親子のテレパシー のごとき交信(親の念じた画像を娘が
キャッチした)の話はあくまでも私としては異例で、桐山さんのテレパシー的法力など出すくらいなら
親子の間でも話はまとまるのではないかと仮説を書いたまでです。
親子の絆、情愛の不思議、奇跡とでも言うか。
しかしこれはこんな無理な仮説を出さずとも合理的に説明はつきます。
これは報告が厳密でないからわからないが、娘さんの見た画像、映像は決して提出した写真そのもの
でもなく、スナップ写真を撮った時の〇〇公園とか自宅の庭とかの記憶が甦ったようでもない。
単に赤っぽい花園のような光景ではないか?
となると、こんな夢か幻か残像など簡単に見れます。
手術に先駆け全麻か下半身麻酔か局麻かわからないが、局麻でも、別の注射もあり、意識は朦朧とします。
そして手術台の頭上ではライトがこうこうと照らしています。
眠りにつく前、あるいは眠りについてからも網膜にその残像が刻まれます。
明るい光は赤っぽい模様に化けます。
花のようになります 。
花だと認識すれば花になります。夢とは朧気な半覚醒状態の意識なんてこのように気まぐれに作れます。
それを語ると「提出した写真も花園で撮った写真なのよ」とお母さんは関連付ける。
それだけです。
10 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 13:19:23 ID:Iea+F4WL
>110 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:48:24 ID:3wDiyPfk
>元信者で大方のことは判っているのでしょうが、全然心に響かない。
>批判ばかりしているからですよ。つまり、知識やデータは豊富にある。しかし、心が無いのですよ。
>それの判断は私もROM者に任せますかw
私に心がないのではなく、事実は、あなたが私に対して気分を害しているだけです。
他人のせいにしないで、自分の心をもっと観たらどうか。
心がないとは、愛情がないと前にあなたが書いたのと同じでしょう。
自分の信じていることを徹底的に批判されて、あなたはものすごく傷ついた。
自分が傷ついたことをあなたは「七氏に愛情がない」と置き換えたのです。
あなたが傷ついたのは、桐山さんから騙されたからであり、あなたが嘘を
見抜けなかったからであって、私に愛情があろうがなかろうが、関係ない。
あなたの長年の信仰は間違っていた、という現実があるだけです。
ミジメでみっともない現実の自分を見たくないから、愛情がないとか、
心がないとか、私のせいにしているのですよね。
私もミジメな思いをした元信者だからよくわかる。
だが、いったいあなたも○○屋さんも、何歳なのだ?
まるで子供みたいです。
間違いを注意された子供が悔し紛れに、「ボクは悪くない!ヲマイが悪い」と
言い返しているようなものです。
私のハンドルがないことと、お二人の信仰上の間違いとは何の関係もない。
あなた方が間違っているであって、私が名無しであることは関係ありません。
名無しに指摘されようが、誰に指摘されようが、
相手の名前ではなく、指摘された内容、反論された内容だけが重要なのです。
だが、あなた方は反論できず、自分の間違いを一方的に指摘され、
悔しくて仕方なく、他に因縁の付けようもないから、名無しに噛みついてる。
子供が、注意した大人に向かって「なんだ、このメダボオヤジ!」と罵るのと同じです。
11 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 13:24:14 ID:Iea+F4WL
>110 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/18(木) 22:48:24 ID:3wDiyPfk
>111 名前: ○○屋 2008/12/19(金) 09:34:28 ID:G8bvx9gM
四十を過ぎている中年なら、心がない、愛情がない、などと他人に甘えるのは
そろそろやめたらどうか。
自分の間違いを指摘されて、ウジウジといつまでも他人のせいにするなんて、みっともない。
世間が経済の大嵐だというのに、中年が二人雁首そろえて、
「そうだ、七氏が悪い!」などと気勢を上げ、傷の舐めあいをしているなんて・・。
世俗であれ、宗教であれ、もっと他に考えることはないのですか。
議論以前の話として、私とお二人ではかなり感覚が違うのだとしか言いようがない。
私があなた方の立場で、同じように感情的になっていても、私なら沈黙する。
宗教的な理由ではなく、男としてのミエと虚栄心があなた方よりも強いからです。
12 :
○○屋:2008/12/19(金) 22:39:11 ID:Ezj5AXRi
>502 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 18:08:39 ID:sm9OdKda
>
>>496 いつも色々と教えていただき、感謝しています
>
>平静を装うのも大変みたいですね。
>皮肉っぽくさらりを書いたつもりでしょうが、
>○○屋さんの動揺と怒りが手に取るように伝わってきます。
>無視するのは悔しいし、といって、まともに反論もできない。
>
>心の内がよく伝わってくる文章です。
一体この決め付けはどうでしょう?
あ、わかった、名無しさんは釈尊の禁じた苦行をひそかに修したため
他心通が身についたのですね。
しかし、名無しさんの他心通はいまだに成就していないようですね・・・
>こういう根拠のないことをあなたも○○屋さんも皮肉たっぷりに書くから、
>私から反撃され、反論できなくなるから、そのたびにあなた方の悔しさがもっと増大する。
自分の皮肉たっぷりなレスは、根拠のない決め付けなのに気がつかないようですね。
他心通はあるが、自分の心は見ぬけないようです。
>四十を過ぎている中年なら、心がない、愛情がない、などと他人に甘えるのは
そろそろやめたらどうか。
あなたのその偽善の仮面を指摘しているだけだが?名無しさんに甘えようなど
これっぽっちもないと思います。四十過ぎだの、他人のせいにするなど、明らかに
印象操作ですね。あなたのその情けない態度を指摘していることが、私の甘えだと
言うのならば、私の態度を指摘するあなたの甘えはどうなのですか?
13 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 00:08:33 ID:1ojayhHe
>>12 :○○屋:2008/12/19(金) 22:39:11 ID:Ezj5AXRi
>一体この決め付けはどうでしょう?
あなたの推測と違い、502を書いたのは、
>>11までを書いた私「七氏」ではありません。
私はあなたの書いた496にはレスをつけていません。
502さんは議論を見ている観客の意見です。
同じ名無しでも、書式が違うことに気が付きませんか。
さらにここが長い人なら、私とは文章の書き方も違うことに気が付くはずです。
「だから、名無しは嫌いなのだ。ワタシとは誰のことだ!!」と二人とも怒りそうだが、
そう言わずに、個々の文章に対応すればいいだけのことです。
わからないなら、同じ人かどうかを確認することです。
多くの人がそうしている。
ペテン大作さんはしばしば名無しで書くが、批判側は
漏れなくペテン大作さんだと見抜く。
以前、彼がまるで通行人のような姿で出てきて、私は最初気が付かなかったが、
いきなりユビキタスさんに見抜かれたことがあります。
他人通でも神通力でもなく、文章から推測しているのです。
コテハンを付けるべきだという自分流の価値観を押し付けるのではなく、
こういうやり方にも適応して楽しんだほうがいいですよ。
14 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 00:14:09 ID:1ojayhHe
>>12 :○○屋:2008/12/19(金) 22:39:11 ID:Ezj5AXRi
>あなたのその偽善の仮面を指摘しているだけだが?名無しさんに甘えようなど
>これっぽっちもないと思います。四十過ぎだの、他人のせいにするなど、明らかに
>印象操作ですね。あなたのその情けない態度を指摘していることが、私の甘えだと
>言うのならば、私の態度を指摘するあなたの甘えはどうなのですか?
これは失礼。
愛情がない、心がないと批判したのは大日さんであって、○○屋さんではありませんでしたね。
だが、あなたも本来の議論である釈尊が運命を論じているかどうかについて
私から批判されたら、そのことだけに議論を絞ってはどうですか。
釈尊は運命など説いていない、そんなことをいつまで主張するのは、
桐山さんからの洗脳からまだ抜けきれないからだと批判されて、
496のあなたは特に反論する様子もないから、私もレスを付けなかった。
だが、次に書いたのは大日さんのスレで、私を
「趣味が無い、ヒステリック、冷静でない、頓珍漢」と罵り始めた。
今回も、何の根拠も示すこともなく「偽善」と罵る。
子供が注意された腹いせに、大人に罵りを投げつけるのと同じと書いたから、
またそれをやってのけた。
あなたのしたことは、本論では何も反論できない腹いせに、
本論とは関係ないことで私への皮肉や毒舌を並べたにすぎない。
それをいい年をした男のすることかと批判したのです。
そういうのを「情けない態度」というのです。
私が印象操作したのではなく、あなたがしたことをただ描写しただけです。
あなたのその態度を情けないと思うのは、私だけではなく、
502さんのような第三者もいるこということです。
15 :
○○屋:2008/12/20(土) 09:41:49 ID:06artt3g
はあ、なるほど。いろいろ失礼したようで、申し訳ありませんでした。いつもレスする舌蜂鋭く有名な名無しさんを別のそうでない名無しさんと勘違いしたりして、さぞや不快であったことでしょう。
私の考えでは、釈尊は『運命』というカテゴリーよりも上の範疇を目的としたと理解している。
もう少し言うならば、運命の転換よりも輪廻の解脱の方がより高度で難度の高い境地であろうと考えている。
そもそも、運命など不安定で、あるのかないのか分からぬものにしがみつき、これこれだったらどうしよう。何て考える必要なはない。少なくとも、仏教を修行しようと志すならば、そんなことを念頭におく必要はない。
なぜならば運命というのは『我』に依存しなければ成り立たないものであるから『諸法無我』の悟りで運命などは吹き飛んでしまうのでしょう。
しかし、その悟りに至る前段階では我が識にくっついているのだから『行』として運命も受けやすい。
我のあるうちは運命に翻弄され易く、輪廻も止まない。諸法無我の悟りを開けば運命など考える必要はなくなり、輪廻も止む。
16 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 12:13:03 ID:0E93AzG8
お〜い、ケンカすんなよ。
『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ』
山本五十六 (元帥・海軍大将・連合艦隊司令長官)
17 :
高城浄海:2008/12/20(土) 14:14:35 ID:FcFup0CX
>>15 >しかし、その悟りに至る前段階では我が識にくっついているのだから『行』として運命も受けやすい。
行として運命、サンスカーラまたはサンスクリタとして運命…?形成されることは運命、形成されたものには運命がある、ということですか?
18 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 14:40:27 ID:O0SCz5UT
前から不思議に思っているんだが、
他所のスレを何故ここでやってるのだ?
マナー違反じゃないのか?
19 :
○○屋:2008/12/20(土) 14:49:17 ID:06artt3g
それは名無しさんに聞いてくれ。
20 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/20(土) 15:20:56 ID:FS+zwKRz
>>19 他人事のように言うなよ。
自分だって、あちら(大日スレ)を利用して、こちらのことを書いている一人だろ?
〇〇屋さんだけでなく、大日さんもこちらには書かずに、わざわざ他スレ評価用なんてスレを立て、
一修行者さんもそれを活用している。
一修行者さんは批判側が立てたスレには書きたくないというポリシーがあるようだが。
私の場合はそれぞれのスレに書いていたのだが@chsはアクセス制限にひっかかり書き込めないだけだが。
21 :
○○屋:2008/12/20(土) 16:07:19 ID:06artt3g
22 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:32:34 ID:EKlJ4LL1
>>15 :○○屋:2008/12/20(土) 09:41:49 ID:06artt3g
>私の考えでは、釈尊は『運命』というカテゴリーよりも上の範疇を目的としたと理解している。
○○屋さんがそのように考えていることはあなた個人の考えだから、
基本的に私は口出しするつもりはありません。
反論することもできるが、それをすればスレの主旨から離れるばかりか、
お互いの無用な対立を招くだけだから、しません。
しかし、あなたが書きこんでいるのはいずれもアゴン宗関係のスレです。
桐山さんが、因縁解脱と称する運命転換を説き、あなたがこれを直接支持しなくても、
釈尊の教法と運命との関連を書かれれば、私は反論せざるを得ない。
あなたの意見そのものに反論しているのではなく、
アゴン宗の正当化にはならないと書くしかない。
もちろん、あなたは「アゴン宗の正当化をしているのではなく、
自分の意見を書いているにすぎない」と言うだろうし、それはわかる。
だが、スレはあなたと私だけが見ているのではなく、多くの信者が見ているのです。
23 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:36:36 ID:EKlJ4LL1
>>15 :○○屋:2008/12/20(土) 09:41:49 ID:06artt3g
>私の考えでは、釈尊は『運命』というカテゴリーよりも上の範疇を目的としたと理解している。
スレの批判をまともに読んだら、アゴン宗など粉々です。
だから、信者はカケラでもいいからアゴン宗擁護を欲しがって、
どこかに救いがないかと探す。
そこに○○屋さんが、餌をばらまいたら(と言っては失礼だが)、
内容などわからなくても、釈尊が運命を説いているのだと
「積極的に誤解」する信者が出てきます。
○○屋さんはそんなことは書いていないのだが、
彼らはそのように積極的に誤解したいのです。
これは、大日さんについてもいえる。
彼はただアゴン宗について検証するためにアゴン宗の良い面も取り上げたにすぎない。
だが、読む信者はそれをアゴン宗の正当性と受け取りかねない。
だから、私は正当性は成り立たないと批判する。
こうやってお二人は特別にアゴン宗を擁護したつもりがないのに、
私が徹底して批判するから、とても気分を害する。
24 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:40:21 ID:EKlJ4LL1
>>15 :○○屋:2008/12/20(土) 09:41:49 ID:06artt3g
>私の考えでは、釈尊は『運命』というカテゴリーよりも上の範疇を目的としたと理解している。
それで私が○○屋さんに提案しているのが、仏教を運命という観点から
検証するのをいったんやめて、まず釈尊が何を説いているのかを
ストレートに理解するように努力してはどうかというものです。
最初から、運命という物差しで阿含経をあれこれ測るのではなく、
それを捨てろとは言わないから、ちょっと脇に置いて、
阿含経で説かれたままをまず理解してはどうかという提案です。
なぜなら、○○屋さんはまだそういう努力をしていない。
「どうしてそんなことヲマイにわかるのか」と言うだろうが、わかるのです。
逆説的になるが、理解したら、運命なんて物差しで測ろうとするはずがない。
縁起を正しく理解しただけでもそうなるし、あなたが出している常見、断見も
釈尊が何を指しているのか、またなぜそのような説明をしているのか理解したら、
運命はもちろん、占いなんてやろうとする気すら起きなくなる。
占いなど禁止されなくても、これはするべきではないと理解する。
逆に言うなら、仏教徒でありながら、占いをするなど、仏教の初歩を
理解していない人だと気が付く。
教法を正しく理解することは難しいことではなく、
毎度申し上げるように、中学生程度の学力があれば十分です。
大日さんもスマナサーラ長老の本などを読み始めたようだし、
互いに情報を補足し交換するためにも、○○屋さんも、
少なくとも桐山洗脳だと批判されないような立場から
仏教を学んでみてはどうでしょう。
25 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:46:40 ID:EKlJ4LL1
http://www2.atchs.jp/agama/ 2ch用意見スレ 1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>釈尊が生きていたら絶対にそういう言い方はしない。
また釈尊を持ち出すとは、自灯明で反論されたことから学ばないようだ。
あなたが所属している宗教がどんなものか、ここ数ヶ月の間、繰り返し述べた。
釈尊の教法を偽る教団にいるのに釈尊を引き合いにするのはどういうものか。
私は信者時代、釈尊の教法と全然違うことを自分が信じて周囲に
吹聴していたことに気が付いた時、釈尊にとても悪いことをしたと恥じた。
こんなことまで桐山さんの真似をしないことです。
桐山さんは釈尊を自分の気分の好悪の道具に使っている。
長年、釈尊になした無礼を考えたら、議論に勝てないからといって、
釈尊の名前や教法を持ち出して、自分の感情をぶつけるなんてすべきでない。
こんな時に釈尊を引き合いにするのは、議論に勝てない子供が悔し紛れに
「うちの父ちゃんは警官で柔道三段だ」と言っているようなもので、格好悪い。
26 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:52:23 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>以前も言ったかも知れないが、私が批判派に寝返ったとしても迷っている・困っている
>A宗信者や真剣に考えている信者を見たら、批判などせずに教えます。
>そして、脱会させます。
だいぶん前、あなたとそっくり同じようなことを言った人がいた。
それに対する私の返事は、「あなたが実行してみせてください」というものだった。
他人に「こういうやり方でしろ」なんて説教していないで、
自分が見事にやってみせれば、何よりも説得力がある。
口先であれこれ言うだけなら誰でも出来ます。
だが、それは、少なくともあなたがアゴン宗を辞めてから言うべき台詞ではありませんか。
「自分が金持ちになったら困っている人のためにどんどん寄付する」と
言っているのと同じで、何の迫力もない。
あなたはまだ退会していないことを理由とするだろうが、
それなら、一修行者さんとの意見の違いを説得してみたらどうか。
お二人の間では明らかにアゴン宗の教義について見解が違う。
意図的にお二人はその議論を避けているようにすら見えるが、
それはあなたの上記の考えとはずいぶん違う。
一修行者さんが間違った考えを持っているのなら、
「批判などせずに教える」のがあなたのやり方ですよね。
どうぞ、あなたの言うやり方の模範を示して、彼の間違い正してください。
27 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:57:31 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>桐山憎し、信者憎しをごまかしている。自分にはそういうものは無い。
>いいえ、ありありですよ。そうでなきゃ執拗に批判などできるものか。
あなたみたいな反応は信者に非常に多い。
桐山さんから、「批判はただの悪口だ。自分がやめたことを正当化するために
ただ悪口を言っているだけだ。あるいは金で雇われた連中が、商売仇の
アゴン宗をつぶすためにやっているだけだ」なんて教えられて本気にしている。
私が桐山憎しだというのだから、「桐山洗脳」そのままです。
あなたは自分では七氏の心を批判したつもりだが、
その内容は桐山さんから教えられた範囲を出ていないのです。
こんなふうに感情的に追いつめられたり、仏教に関する思考をしようとすると、
必ず桐山洗脳が顔を出す。
運命について何事か考え、釈尊の解脱がただの煩悩解脱であるはずが
ないだろうと、自分では知性的な思考をしているつもりだが、
出てくる内容は全部桐山さんに教えられたそのままです。
それを指摘されると、強烈に反発し、しかも議論内容で反論するのではなく、
「桐山憎し」という議論とは関係のない話を持ち出す。
まるでこの反応は、催眠術で暗示をかられた人の反応のようです。
なぜなら、あなたは理屈を並べて私を批判したつもりだろうが、
「桐山憎し」とアゴン宗批判との間には何の脈絡もないことに気が付いていない。
28 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:59:31 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>桐山憎し、信者憎しをごまかしている。自分にはそういうものは無い。
>いいえ、ありありですよ。そうでなきゃ執拗に批判などできるものか。
私が桐山さんを憎んでいるかどうかなど、あなたの信仰やここでの議論とどう関係しているのだ?
今回、あなたは初めて、桐山憎しの根拠として、私が長年批判をしていることを出した。
あなたの言うとおりに、仮に私が桐山憎しで批判したとしましょう。
では、私が長年批判しなければ、桐山アゴン宗の嘘がなくなるのですか。
あなたはまるで私の感情とアゴン宗批判との間に何か相関関係があるかのような
言い方をしているが、両者はまるで関係ないのです。
私が憎もうが嫌おうが、桐山さんの嘘が消えることも減ることもない。
それどころか、私がいようがいまいが、アゴン宗は三宝が偽物であり、
因縁解脱や霊障解脱の話が嘘で、桐山さんには霊能力などなく、
桐山さんは経典を捏造して、釈尊の説く解脱とは全然違う解脱を説いたという
宗教的な犯罪行為はいっさい消えることも変わることもない。
29 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 19:05:04 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>桐山憎し、信者憎しをごまかしている。自分にはそういうものは無い。
>いいえ、ありありですよ。そうでなきゃ執拗に批判などできるものか。
「私の感情」と「桐山アゴン宗の嘘」という、どうしてこんなに脈絡のない
二つのものをあなたはくっつけようとするのだ?
自分の反応を奇妙だとは思わないか。
テレビで、催眠術をかけられた人が靴に花を生けた。
しかも、被験者は、自分の行動こそが正しいと信じて、必ずそれに理屈をつける。
さらに、その行動を妨害しようとすると、猛烈に反発する。
靴と花という脈絡のないものをくっつけて、しかも、本人はそれを正しいと信じ、
絶対に譲らない。
あなたの反応はまさにこれと同じです。
なぜあなたや他の信者が脈絡のないことをくっつけるかというと、
「批判は桐山憎し」「批判は根拠のない悪口」「批判側は伝統宗教の回し者」と
桐山さんから長年そのように教え込まされ、頭に染みついているからです。
だから、いざという時に条件反射のようにパッと出てくる。
30 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 19:10:23 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>桐山憎し、信者憎しをごまかしている。自分にはそういうものは無い。
>いいえ、ありありですよ。そうでなきゃ執拗に批判などできるものか。
私が「桐山憎し」なら、退会後、ずっと批判しているユビキタスさんも桐山憎しに見えますか。
ユビキタスさんは違うとあなたは言うでしょう。
あなたにとって痛くないから、ユビキタスさんは桐山憎しでなく、
あなたにとって痛いことをするから、七氏は桐山憎しだという。
結局、桐山憎しの話ではなく、あなた自身が痛いか痛くないかの違いですよね。
私がここで批判を続けるのはいくつも理由があります。
その一つで、今回もっともあなたが理解しやすく、同時に理解しにくい理由を
上げるなら、楽しいからです。
あなたはここに来て数ヶ月になり、その間、あなたは自分の信仰の
多くを否定することになり、激烈な痛みを感じたはずだ。
だが、どうしてネットの書き込みから去らないのだ?
ミクシーの閉鎖社会をどうして選ばないのだ?
七氏が憎いから、復讐するために残っているのですか。
違いますよね。
31 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 19:16:27 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>桐山憎し、信者憎しをごまかしている。自分にはそういうものは無い。
>いいえ、ありありですよ。そうでなきゃ執拗に批判などできるものか。
大日さんがネットに残ったのは苦痛だが「楽しい」からです。
あなたの知的な好奇心、宗教的な求道心を強烈に刺激しているからです。
そんなことはアゴン宗に入っていらい、もうしばらく味わったことがないはずです。
アゴン宗がすっかりだれて、低迷し、縮小再生産になっているのに比べて、
本物の仏教らしいものの手がかりをこのネットで見いだした。
だが、それを手に入れるためには、ミクシーなど閉鎖社会ではだめで、
七氏がどんな嫌な奴でも、ネット上でなければ意味をなさないことを知っている。
虎穴に入らないと虎児は得られない。
そこで、あなたに聞くが、その好奇心を満足させるのに、
七氏はいやな奴だが、何年でも恨んでいたい存在か。
七氏への嫌悪よりも、好奇心のほうがはるかに上回っているはずだ。
たがらこそ、あなたは私に気分を害しても書き込みを続けている。
私のいう楽しいとはそれです。
その楽しさに比べたら、あなたにとって七氏の存在が小さいように、
私にとっても、桐山さんなんて小さな存在です。
むしろ、反面教師としてのスタートを与えてくれたのだから、恩義を感じるべきでしょう。
桐山さんの教えた内容を否定すると、全部、釈尊の説いた仏教になることに
気が付いた時には、腹を抱えて笑いました。
あなたはまだ信者だから、桐山さんの存在は大きい。
だが、私は辞めた時にすでに、今のあなたの中の桐山さんよりも小さかったし、
ここのスレで様々な桐山さんの暴露を読むたびに、桐山さんが縮小していった。
32 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 19:22:37 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>桐山憎し、信者憎しをごまかしている。自分にはそういうものは無い。
>いいえ、ありありですよ。そうでなきゃ執拗に批判などできるものか。
あなたは学生時代、同級生に問題の解き方を教えた時、
不思議なことに気が付きませんでしたか。
教えた自分がより問題の内容を理解できるようになったことです。
他人に理解できるように説明するためには、自分がわかっただけでは不十分で、
もう一工夫が必要です。
その工夫によって、逆に自分がよりいっそう理解できるようになる。
だから、私は大日さんよりもはるかにアゴン宗も桐山さんも理解している。
私は、桐山さんの良き理解者なのです。
私は、信者や元信者を問わず、もっと桐山さんを理解してほしいと願っている。
だから、信者さんたちにはアゴン宗の教義を正しく理解するように勧め、丁寧に解説する。
あなたも、桐山さんが神通力で解脱すると説いていることを知らなかったと
書いていませんでしたか。
とすれば、その正しい知識は私がかつての同級生として教えたものです。
現実と照らし合わせて、アゴン宗の教義がいかに嘘かを知ることに、
あなたは信仰が崩壊する苦痛と同時に、震えがくるような楽しさを感じないか。
大袈裟に言えば、瓦解する虚構の中から、小さく輝く真実を見いだした喜びです。
33 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 19:31:10 ID:EKlJ4LL1
>112 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/19(金) 23:00:22 ID:g8FItwOU
>桐山憎し、信者憎しをごまかしている。自分にはそういうものは無い。
>いいえ、ありありですよ。そうでなきゃ執拗に批判などできるものか。
あなたここ数ヶ月の間にずいぶんと進んだ。
あなたの信仰では過去十年間にはなかった進歩です。
それは元同級生の批判側がよってたかって、それこそ
各教科の家庭教師のように正しい問題の解き方を教えたからです。
「お、大日さんがこれを理解したぞ」「あ、あれも理解したぞ」
これが批判側の喜びであり、楽しさなのです。
だから、あなたが一歩進んだら、批判側は十分な報酬を得ている。
なにせ、ザのスレに、自分こそが先生だと思いこんで、その一歩すらも
断固拒絶しているのがいて、ラシンさんやユビキタスさんなどが頭を抱えている。
ま、デキの悪い生徒とはどこにでもいるものです。
干柿さんはあなたと同じで私に猛烈な反発心を持っている。
だが、その彼も少しだが前に進んでいることは批判側の認めるところです。
彼が私を蛇蝎のように嫌っても、私は気にならない。
私は十分な報酬を得ているからです。
彼が間違ったことを書けば、理解するまで毎度私は修正をかけるだけです。
こうなると、信者がアゴン宗を辞めるかどうかなんて、
大した問題ではなくなり、私が無関心なのも、なんとなくわかりませんか。
無関心なのはもう一つ大事な理由があるのだが、それは今の大日さんに話すのは、
あまりに答を教えすぎであり、各人がそれをつかむべきだと思うし、
スレの主旨からも離れるから、またの機会にします。
34 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/20(土) 19:44:21 ID:dhqxWAMe
破壊衝動に突き動かされ
桐山氏個人の攻撃目的で批判し
批判の恣意的基礎資料にも疎く乏しく
憶測中心の感情的妄想によっての書き込み
しかないものは、法談に無用ですべて
適宜に使われているか以前の話です。
元信者の持つ否定感情としての括りで終了です。
また、異常な
無愧
無慚は、ユビキタスの特徴です。
35 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/20(土) 19:47:04 ID:dhqxWAMe
桐山氏に失恋し信者に嫉妬し狂乱するホモ
↓
ユビキタス
36 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/20(土) 19:53:16 ID:dhqxWAMe
おさらい
ユビキタスの零点答案です。
↓
1.鳩摩羅什も玄丞三蔵も中国人で多くのインドの仏典を中国の言葉に翻訳して
漢訳経典を作りました。その際に中国人ならではの思考とかも影響して、選ぶ漢字語句
などもインドと違う中国人に誤解されて本来の意味が歪められるものもあったかに思います。
37 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/20(土) 19:59:33 ID:dhqxWAMe
おさらい
ユビキタスは桐山氏に不浄の本性を見抜かれ拒否されていました。
仏塔をわっている本来の不浄の我がユビキタスです。
引用
↓
宝塔を割った私が、しかし本来の我を取り戻し、大学に入ってから再入行を志すも
管長に許可を願い出る手紙が必要だった。
事情を話すと相談に応じてくれた先達は、その場で手紙を書くことを勧め
とりもってくれた。
「多分許可は下りますよ」とのことだったが、しばらくして下りた管長の
回答が、認めぬ
38 :
ユビキタス@忘年会 ◆oGqIQwSRtg :2008/12/20(土) 21:03:00 ID:FS+zwKRz
39 :
ユビキタス@忘年会 ◆oGqIQwSRtg :2008/12/20(土) 21:05:13 ID:FS+zwKRz
40 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/20(土) 21:37:17 ID:dhqxWAMe
桐山氏に失恋し信者に嫉妬し狂乱するホモ
↓
ユビキタス
41 :
元会員:2008/12/20(土) 23:28:41 ID:p5puSj9V
米国の告発さんへ
W田さんは間違いなく出版社を買収するでしょう。しかし買収されない出版社もあるはずです。
そこらへんを考慮して頑張ってください。出版されることをこころから願っています。
42 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 00:00:44 ID:FS+zwKRz
おおおお。だいぶ酔いが醒めてきたかいの。
あんまし変わらんか?
43 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 00:31:25 ID:dibDl7MI
>>21 わからんか?
>>18さんが他スレの書き込みをこちらに引用して論じるのはマナー違反ではないかと問題提起している。
あなたは名無しさんに聞いてくれと他人事のように言うが、名無しさんに限らず、あなただって
大日スレにてこちらのことを話題にしているではないか?
つまり
>>18さんに言わせればあなたもマナー違反の部類で他人事でないと書いたのです。
これは各自が各自の考えで弁明なり反論すべきでないか?
私は大日スレにはアクセス規制で書けないからこちらに書いていると弁明した。
しかしたとえあちらに書けたとしても、それを選ばず、こちらに書くも自由だと思っている。
引用元を明示さえすればね。
あなたはあなたで
>>18さんに答えればよいのですよ。
44 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/21(日) 01:10:42 ID:nGFiAikn
破壊衝動に突き動かされ
桐山氏個人の攻撃目的で批判し
批判の恣意的基礎資料にも疎く乏しく
憶測中心の感情的妄想によっての書き込み
しかないものは、法談に無用ですべて
適宜に使われているか以前の話です。
元信者の持つ否定感情としての括りで終了です。
また、異常な
無愧
無慚は、ユビキタスの特徴です。
45 :
○○屋:2008/12/21(日) 02:28:43 ID:Gkt1ioTm
は?
では私はユビキタスさんから言われる覚えもなければ、無礼な横レスに答える必要もないってことね。
46 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/21(日) 08:09:21 ID:ILZSX7AE
堕落者の邪まさ。
↓
「最後にもう一度会わないか?」
「なんで会う必要があるの?あたしそういうの男らしくないと思う」
(てめー・・・)
ようやく気持ちの整理がついてあきらめることにした。(←それしかないだろ?)
最後に電話した。
「それではお幸せに。もう電話しない」
電話を切ってまだやり足りないことを感じた。ダメもとで電話しよう。
「男子に二言あってすみません」
「・・・・・」
「ところで一つだけ聞いておきたいんだけど、前に三田で護摩木書いた時
アレ何て書いたの?」
「縁むすびって書いた」
「やったジャン。願いが叶ったジャン」(←おいおい?)
「ところでもう君とは会わない俺なんだが、今度結婚する君も本当の幸せを
つかむためにも阿含宗の入会を勧めたいのだがどうだい?」
「いいえ、私はお断りします。」
「そうか、わかった。それでは今度こそさようなら」
電話を切る。
47 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/21(日) 08:10:26 ID:ILZSX7AE
その女の人に
もう一度
土下座しながら
電話して
2ちゃんねるの
粘着ユビキタスは僕です。
って叫び
もう三日間泣くとか
職場で2ちゃんねるの
粘着ユビキタスは僕です。
とか
親に2ちゃんねるの
粘着ユビキタスは僕です。
とか
言ったとしても
皆、同じく
不気味と感じるだけでしょう。
48 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 09:28:13 ID:dibDl7MI
>>45 ほう?横レスで指摘を受けただけで無礼?
そう考えるならばたしかに答える必要などない。
逆にあなたも自由に書き込んだことが、あなたの理屈では無礼にして他人に不快を与えるものとなる
ことになりましょう。
他人を見るよりも自分を見よということに尽きる。
おっと、これ独り言ね。あなたにつけたレスではないから答えなくてよい。
49 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 09:34:08 ID:dibDl7MI
>>45 無礼な横レスとは私のレスでなく、
>>18さんの意見レスということかな?
いずれにしても同じです。
掲示板で突然自分の意見を書いたら無礼になるのか?
答える答えないは各自の自由裁量ですが、無礼と評価を書くこと自体己の無礼さを掲示板に示した
ことになる。
おっと、独り言、独り言。
50 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/21(日) 09:47:16 ID:ILZSX7AE
異常な
無愧
無慚は、ユビキタスの特徴です。
51 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 10:02:58 ID:6V6/nxsG
ここはどうかな。
52 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:11:46 ID:BDtBRfgV
○○屋は、ユビキタスにはそうだったのですかとすぐに馴れ合いするよ。
「解脱→三明」説は間違っている話の続きです。
もう飽きてしまった人はどうぞスルーしてください。
まずは話の発端部分から順を追って説明しましょう。
>332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
>仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
>全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
このように七氏さんは自身満々に言い放った。
だが私から文献上の根拠を要求され、何も出せなかった。
こうしていつものハッタリであることがバレてしまった。
彼が根拠を出せなかったのは当然だった。
この文章には解脱の意味はないからです。
では何を意味しているのか。
「ヨーガ・スートラ」には行者の心の状態を指すのに
「心の清澄」、「心の安定」、「心の不動」、「憂いを離れ」といった
上記の文章と、同一か類似したものが使われています(前スレ457)
ヨーガと仏教の関係を考えれば上記の文章がヨーガ・スートラと同様に
修行者の心の状態を指す言葉であることは容易に推察できます。
上記の文章が解脱を意味していないことは学者の文献も裏付けています。
『精神がこのように一点に集中され、純粋明朗で煩悩を離れ、
不動の状態に達すると、修行者は精神を傾けて、
ある別の霊的ないし霊的な身体〔意所成身〕を形成することに努める』
(『仏教(下)』83頁 ベック著、岩波文庫)
これは沙門果経85節です。
ベックによれば沙門果経における神通力の描写はすべて
第四静慮(禅)の状態から生じるのだといいます(同書82頁)。
第四静慮とは解脱前にあたるので
上記の文章は解脱前の状態であることがわかります。
ということは、
『精神がこのように一点に集中され・・・・・・不動の状態に達すると、』
の部分は解脱したという意味ではないことになります。
つまりこれも修行者の心の状態を指しているわけです。
また実際に、この後に出てくる97節の終わりで比丘は解脱するのです。
以上により上記の文章が解脱を意味していないのは明らかです。
七氏さんは完全に間違えた解釈をしたわけです。
そしてその間違えた解釈を臆面も無く何度も何度も書き込んでいたのです。
仏教学者が見たらさぞかし大笑いするでしょう。
しかもそれを認めず素知らぬ顔をしている。
これが信者を「無知と無恥と傲慢」だと言う人間のしていることなのです。
>421 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:27:01 ID:XUx9Dp19
>『これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
>さとったのではありません。』 ( 『ブッダ入門』中村元、131ページ)
>509 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:02:22 ID:7FWNDGJ5
>解脱した後で、三明で自分の過去世を透視したという話ですから、つまり、
>「解脱→三明」
>となり、あなたは私の説を支持するような文章をわざわざ引用しているのです。
「心が統一され・・・・・・」には解脱の意味など無く、
その証拠にそれを証明する文献での根拠もなかった。
あれほど自分が主張していたことが間違いだったことを
読者に対して認めるべきなのだが
そこは負けず嫌いで厚顔無恥な七氏さんのことです。
間違いを認める代わりに出してきたのが上記の文章です。
きっと必死になって探し出したのでしょうね。
『それから若干の叙述によると、過去世を見通したということも書いてあります。
これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。
すると、仏典の記述は一定していないわけですね。」
さとった結果、過去世を透視したのだから「解脱→三明」には違いないのだが
だからといって博士は、
自分は「解脱→三明」を支持する、と言っているわけでもないのです。
それは当然であって、上記の文章は宿命通のことしか言っていないのだから
「解脱→三明」の根拠にはなり得ない。
そしてもっと大事なことは、
過去世を見通した話は若干の叙述にしか書かれていないということです。
若干とは「多少、いくらか」といった意味です。
中村元著作集でも調べたが、上記の文章に関連した記述はたったの一件でした。
博士は、十二因縁については、さとりの後に説かれたものであることを断言していますが
それは裏づける資料が豊富だからです。
それに対してさとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない。
だから博士は著作集の中で「解脱→三明」を支持するようなことは書いていない。
ところが七氏さんは 「さとった結果、過去世を透視したのです」という文章を
「解脱→三明」の根拠にしてしまった。
博士本人が「解脱→三明」を支持していないのに、彼は勝手に「解脱→三明」の根拠にしてしまったのです。
57 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 15:40:06 ID:dibDl7MI
517:ユビキタス◆oGqIQwSRtg :2008/12/18(木) 00:10:11 ID:sWwbmMy8
Qさん、Qさん。
一つ質問じゃがの、あなたは釈尊が入滅する場面を持ち出しているのだが・・・
釈尊というのは入滅する以前は解脱した ことがなかったのか?
釈尊は35歳の時、菩提樹の下で悟りを開き、以後45年間伝道生活を続けたのだが、実は死ぬ直前まで
解脱してなかったのか?
あなたは私のこの問いを笑うだろう。
しかしどうして私がこんな問いをするかわかるか?
要するに入滅という一生に一度の限られたシーンだけ題材に持ち出して・・・
あんた何が言いたいの?
アゴン宗スレでなにがしたいの?
神通力によって解脱を得るというのがあなたや桐山さんの考えだ。
つまり神通力で死ぬと説きたかったのか?最初の議論の段階から。
「解脱→三明」なんて本気で言っている学者などこの世にいないのです。
こんな根拠もない説を一教団を批判のネタにしているのだから
その度胸と無謀さには呆れるばかりです。
>553 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:59:14 ID:jIDimAnm
>「第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた」
>(『ブッダ最後の旅』160頁)
>この事実を私は書いただけです。
>印象操作などしていない。
いや、もう十分にしていますよ。
印象操作というより情報操作ですね。
【落武者実態レポート】
★情報操作が大好き!!
>413 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 21:10:18 ID:em5icHRM
>沙門果経で神通力を発揮している比丘は第四静慮の状態だということです。
>だから当然、解脱はしていません。
↓
>419 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:22:12 ID:XUx9Dp19
>413 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 21:10:18 ID:em5icHRM
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。
>第四禅で入滅したのなら、三明は解脱にはいらないことになる。
私が413で、沙門果経で神通力を発揮している比丘は
第四静慮の状態だから解脱していない、と言ったことに対して、
七氏さんは419で「第四禅で釈尊は入滅した」と書いた。
しかしそれは釈尊の二回目のアプローチであって
その前のアプローチで釈尊は滅尽定まで経験していた。
七氏さんはそれを十分に知っていたのに、第四禅で入滅したと書いた。
これは「三明は解脱にはいらない」ことを言いたいがための情報の操作です。
あなたの口から自分は知っていたと言い出すように
知らなかったんですか?と大袈裟に煽ってあげたのです。
そうとも知らずにあなたは自分はすべて知っていたと詳細に説明してくれた。
阿波踊りを踊っていたのはあなただったのです。
>554 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:00:59 ID:V2eghjpq
>536 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 22:16:21 ID:pPIfFGHw
>しかし比丘が第四禅から涅槃に入れるわけではありません。
>比丘が涅槃に入るには九つの階梯があるのです。
>どこにそのように書いてあるのか、元となる阿含経や学者の説を示してください。
何度も同じことを書かせたいようだが
パソコンの槍杉で老眼が進んだせいか?
>411 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 20:55:24 ID:em5icHRM
『ヨーガ派によれば精神統一〔凝念〕・瞑想ないし観想〔静慮〕・静観〔三昧〕
という三段階の上にはさらに無種子三昧があり、
この三昧によって潜在意識の構成力〔行〕に打撃を加え、
したがって、それによって再生への萌芽が絶滅される。
仏教の道が目指す目標もそれと同じである。
しかし、仏教ではこの目標を達するためには、
第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。
これらの意識状態はすでに『大般涅槃経』に述べてあるものと同じであって、
仏陀は入滅に先だってこれらの意識状態を次々に経験されたのである。
これらの意識状態のことは、『沙門果経』における瞑想の章節には出ていないが、
その他の多くの仏典の箇所にて言及され、詳述されている。』
(『仏教「下」―第二部教理―』 59、60頁 ベック著、岩波文庫)
>412 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 20:57:46 ID:em5icHRM
『第四瞑想段階のすぐ上が“虚空の無限性の界”〔空無変処〕、
その上が“意識の無限性の界”〔識無変処〕、
その次の段階が“虚無の界”〔無所有処〕、
それに続いて、“意識と無意識を超越した界”〔非想非非想処〕にまでのぼる。
これに続くのが最後の段階であり、
これによって修行者は現世の肉体において達成し得る最高の目的を達成する。
これを“知覚意識〔想〕と感覚とを(意志によって)絶滅すること”〔想受滅〕と名づけ、
あるいは単に“絶滅”〔滅〕ともいう。
「増支部経典」四・四一〇ページ以下においては、
四の瞑想段階と、それに続く四の界の段階(ついに滅尽にいたる)とを
九の“次々に滞在すること〔次第住定〕”の九の状態として記述してある。』
(同書60頁)
>桐山さんは9つの瞑想によって解脱するとは説いていない。
>四禅三明の神通力でカルマ解脱したのだという。
>ところが、いつの間にか、神通力によるカルマ解脱ではなく、
>9つの瞑想階梯で解脱という桐山さんとは違う説を出した。
桐山ゲイカは三明の神通力で解脱すると説かれる。
一方、ベックは三明(漏尽通)で解脱すると書いている。
だから両者は三明で解脱するという点で同じということになる。
あなたは私にこう言った。
>509 :神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 23:02:22 ID:7FWNDGJ5
>あなたは桐山説である、三明という神通力で解脱した、つまり、
>「三明→解脱」 を証明しなければならないのですよ。
私はそれを証明したのでこれで私の仕事は終わりです。
9つの瞑想階梯とゲイカ説との関連を知りたければ自分で調べてください。
私はそこまで面倒を見る義務はありません。
>328 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:12:31 ID:YDAYFU3L
>釈尊は、煩悩を断ち切ることや神通力を得ることを一連のこととして描写している。
>557 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:08:21 ID:V2eghjpq
>>543 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:00:01 ID:pPIfFGHw
>第四静慮にいたり肉体から五体を具えた霊体〔意正成身〕が抜けて出てくる。
>修行者は、意正成身によって神通という高度の霊力を発揮する器官を具える。
>六つの神通力は瞑想に基づいている。
>如来は三重の智慧を獲得し達成することによって仏陀になった。
>何度も言うように、仏教では解脱とは「解脱の内容」も全部含むのです。
>ベックも、菅沼教授も、他の学者たちも、十二縁起や
>三明を含めた過程を含めて、解脱というのです。
ペテン氏の面目躍如といったところか。
三明を解脱に含めてしまえば最初から「三明→解脱」は存在しなくなる。
それがあなたの狙いですね。
しかしそれだったら「解脱→三明」はどうなりますか?
あなたの解釈ではこの三明は解脱の確認作業です。
解脱できたかどうかを確認するのはとても大事な作業ですよ。
だったらこれだって解脱に含めてもいいのではないですか?
ほーら、どうします?
たぶんあなたは確認作業は解脱への過程ではないから
解脱の内容には含めない、と言い出すでしょうね。
そうやって勝手なルールを敷いて自己主張するのがあなたという人間です。
>だが、今ここで議論しているのは、
>「神通力でカルマ解脱した」という桐山説が正しいかどうかです。
>ベックは神通力の説明をしているだけで、神通力で煩悩を切るとは言っていなし、
言ってますよ。
あなたは字が読めないか認めたくないだけなのです。
あなたが問題にしているのは
>294 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:11:07 ID:BjNrG6dO
>だが、今議論しているのは、どの段階で煩悩を断ちきったのかという
>厳密な区切りです。
ということですね。ならば煩悩が切れたのは
「これは苦悩である・・・・・・」と認識した時点になります。
>558 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:10:37 ID:V2eghjpq
>あなたは桐山意生身が間違いだと認めるのですね。
>桐山さんは意生身とは霊魂だと主張している。
>だが、ベックの説明だと、霊魂でもなんでもなく、第四禅で出てくるものらしい。
>どう見ても、桐山さんのいう霊魂とは違います。
桐山さんのいう霊魂とは何か、あなたにはっきりと説明できるのだろうか?
たぶん出来ないでしょう。
それが出来なくて何で第四禅で出てくる意生身とちがうと言えるのか?
頭を冷やしてよく考えてください。
それともうひとつ。
あなたが
「第四禅で出てくる意生身(=沙門果経の意生身)は桐山さんのいう霊魂とは違います。」
と主張することは
あなたが以前唱えた「沙門果経意生身≠霊魂だから身命経意生身≠霊魂」(s131ー310)
を否定することになりますよ。
これは、「沙門果経意生身=(≒)身命経意生身」が条件だからです。
またもや自爆しましたね。
これで何度目ですか?
>559 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:14:28 ID:V2eghjpq
>自分が煩悩を完全に消滅したと確認する能力であり、仏教の知恵の一つです。
>煩悩を断ち切った後にそれを確認する能力だから、
>煩悩を断ち切ったのはこの神通力よりも前なのです。
全くちがいます。
漏尽通で切ったのです。
そして切れたことを確認したのです。
>545 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:08:58 ID:pPIfFGHw
『瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、
その心はあらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。
その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である・・・・・・」とこのように認識する。
また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、』
↓
1.その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、 ←専念
2.「これは苦悩である・・・・・・」とこのように認識する。 ← 認識
3.瞑想者自身は、〔欲漏〕、〔有漏〕、〔無明漏〕から解放される。 ← 解放
4.瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る ←解脱
5.「これが解脱である、再生は滅し・・・・・・」 ←解脱の内容
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>しかも、ベックは第三の英知でカルマを断ち切ったとは書いていない。
ベックの言う「第三の英知」とは漏尽智のことです。
>562 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:23:04 ID:V2eghjpq
>なぜ、一番肝心な質問にあなたは答えないのだ?
>話をそらさないで、あなたの引用したベックの説明のどこにカルマ解脱が
>あるのか答えてみたらどうか。
>長々と引用して、さも自説が証明されたかのような書き方をしているが、
>ベックの説明には、神通力でカルマを断ち切ったなんて、一言もありません。
>「釈尊は神通力でカルマを切り、解脱した」というベックの文章を示しなさい。
同じことをダラダラ繰り返されて、
読者も飽きているでしょう(最初から見てないか)
これ以上詳細な「解脱」の描写を私は知りません。
>545 :神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 23:08:58 ID:pPIfFGHw
『瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、
その心はあらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。
その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、これは苦悩の絶滅である、
これは苦悩の克服にいたる道である、これは俗世の迷妄である、これは俗世の起源である、
これは俗世の絶滅である、これは俗世の絶滅にいたる道である」とこのように認識する。
また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
>563 :神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 00:29:56 ID:V2eghjpq
>これもあなたに逆に何度も質問した。
>スシーマ経の神通力を持たない解脱者たちをあなたはどう説明するのだ?
>彼らの解脱を釈尊が認めたが、神通力を持たなかった。
その答えはあなたが引用した『ブッダ入門』にあります。
あなたは読んでいないのか?
勉強不足ですね。
『すると、仏典の記述は一定していないわけですね。
けれども、別に一定していなくても、それでかまわないのだろうと思います。
それからどういう結論が得られるのかというと、
第一には、仏教そのものが特定の教義をもっていなかったということです。
もし、それに背いたら仏教徒ではないというような教義があれば、
仏典によって説明が分かれるというようなことはない。
つまり、釈尊自身、自分のさとりの内容を形式化して説くことを欲しなかったということです。
だから、機縁に応じ、相手に応じて、異なった説き方をしたのです。
第二に、特定の教義がないということは決して無思想ということではありません。
そうではなくて、あらかじめ教義を立てることなしに、現実の人間をあるがままに見るという態度があるから、
それに則った教えがいろいろ説かれているのです。
それから第三に、人間の理法というのは固定したものではなく、
具体的な生きた人間に即して展開するものである、ということができるでしょう。
だからこそ、その後の仏教の発展が成り立ったのです。
そういうことが結論としていえると思います。
(『ブッダ入門』 130〜131頁)
>いつまでもダラダラとここをあなたの読書のメモ代わりにするのはやめて、
人のことを言える立場か?
よそのレスをここで垂れ流しているのはどこのどいつだ?
入れ忘れました。
これは
>>59の後です。
>419 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:22:12 ID:XUx9Dp19
>阿含経の釈尊が第四禅から入滅しており、あなたが引用した学者も
>そのように説明しているのに、ペテン大作さんは、
>「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」・・・→「涅槃」 (
>>362)
>などと、さも第四禅から先に進んでから入滅したかのように書いた。
仏典にあるように実際には「第四静慮」以上の階梯は存在するのです。
それを「・・・」で表現したのです。
ブッダは二回目ではそれらを飛び越えて涅槃に入った。
だから「・・・→」と書いたのです。
あなたがそれを曲解して言掛りをつけているだけです。
どうやら私の芸術的な表現が理解できなかったようですね。
仏典を
読めば読むほど
諭される
七氏と指の
出鱈目さ
71 :
樹意:2008/12/21(日) 16:49:17 ID:4UCGdJ7N
>>1 さんスレッドありがとうございます。
では 毎度の梵網経、沙門果経 等戒蘊篇にて説く 戒律(大、中、小)
小戒 売買から離れる、 賄賂や詐欺虚偽といった不正行為から離れている 障害ーー暴行から離れる
−−−−
中戒 踊り 歌 音楽 見世物 語り物 −−もろもろの娯楽から離れる
八目将棋 十目将棋 虚空の将棋 けんけん遊び、山くずし、さいころ遊び −−−そのような
賭け事や怠惰のものになるものから離れている。
国王の話 盗賊の話、大臣の話、軍隊の話、恐怖の話、戦争の話、食べ物の話、−−親族の話、
乗り物、村、都 町、 女性、男性、 英雄、道路、井戸端話、 先祖の話、四方山話 −−−
このような無益な話から離れる。
ごかまし、饒舌、なぞかけ、脅し、利益を貪り求める −−そのような騙したりホラを吹いたりする
ことから離れる。
72 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 17:19:20 ID:Kaoeidj2
Qさんとやら、ご苦労さん。要するに、桐・山師の説く『カルマからの解脱』説は間違いということでよーござんすね。
73 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 17:24:43 ID:dibDl7MI
74 :
○○屋:2008/12/21(日) 18:15:19 ID:zvGxhQly
さて、先ずは独り言に対しての私の独り言で反論レスをつけて差し上げようと思う。これはスレ違いであるが、あえて、私をそのように誘導した責任を採っていただく意味で
皆さんにはご迷惑かと思うがが、その原因を作成した浅はかな考えを是正していただくことが、最終的には有益であると考える。
そもそも私がレスしたのは名無しさんが、自分の態度を棚に上げて内容で反論したらどうだ、と私にレスをつけてきた。だから私は自分の考えを述べたのだ。
私は名無しさんのやり方―私へのレスはスレ違いであることを以前指摘したはずである。
にも拘らずどこ吹く風で、私の態度などをすれ違いスレし続けて、挙句、私に内容で反論して来いと言ったから、先のレスとなり、
>>18 :神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 14:40:27 ID:O0SCz5UT
前から不思議に思っているんだが、
他所のスレを何故ここでやってるのだ?
マナー違反じゃないのか?
と指摘されたのである。
そのことを、その原因を作った本人に聞いてくれ、と言ったら、ユビキタ氏からの
無礼な横レスである。ユビキタス氏が名無しさんを尊敬しようが神の様に崇拝しようが
勝手であり、頓着するつもりはないが、名無し氏のゴキブリのようなレススタイルは昔から
未来に至るまで、尊敬できるものではないと今は思っている。
ただし、レス内容によっては、勉強になったり、納得する部分はある。
その経緯を熟知しながら
>>20 のレスはもはや失礼な横レスと言うべきであり
>>48 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 09:28:13 ID:dibDl7MI
>>45 ほう?横レスで指摘を受けただけで無礼?
そう考えるならばたしかに答える必要などない。
逆にあなたも自由に書き込んだことが、あなたの理屈では無礼にして他人に不快を与えるものとなる
ことになりましょう。
の指摘は言われたから言い返す子供のけんかのようですね。
75 :
樹意:2008/12/21(日) 18:26:19 ID:4UCGdJ7N
大戒
肢体の占い、前兆の占い、天変の占い、夢の占い、身体的特徴の占い、ネズミの齧りあとの占い、
火の献供、柄杓の献供、籾殻の献供、糠の献供、米の献供、バター油の献供、油の献供、口の献供
血の献供、肢体の呪術、宅地の呪術、王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術、土の呪術、蛇の呪術、
毒の呪術、サソリの呪術、ネズミの呪術、鶏の呪術、寿命判断、矢の護呪、獣の輪、ーー
このような無益な呪術による邪な暮らしから離れる。
−−−「地震が起こるであろう」ーー「雷が発生し、これこれの結果になるであろう」 −−
「諸星は軌道を進むであろう」 −−− このような無益な呪術による邪な暮らしから離れる。
「大雨があるであろう、」「旱魃があるであろう」「食べ物が豊富になるであろう」
「食べ物が欠乏するであろう」「平和になるであろう」「恐怖があるであろう」「病気になるであろう」
「健康になるであろう」とか、指算術、計算術、目算術、詩作術、詭弁術といった、このような
無益な呪術によって邪な暮らしをしている。しかし沙門ゴータマは、そのような無益な呪術による
邪な暮らしから離れている。
借金のとりたて、金の貸し出し、幸運をもたらすころ、不運をもたらすことーーー神への問い
大いなるものへの崇拝 −−−
願掛け儀礼、 願解き儀礼、鬼霊儀礼、土の儀礼、勢力回復の儀礼、精力減退の儀礼、宅地化儀礼、
宅地の撤布儀礼、ーー供犠ーーー根と薬草との調合 −−
76 :
樹意:2008/12/21(日) 18:47:34 ID:4UCGdJ7N
>>72 > Qさんとやら、ご苦労さん。要するに、桐・山師の説く『カルマからの解脱』説は間違いということでよーござんすね。
「勝者(jina)は法(dhamma)を説き給う
その法にまた足場[ padatthana] あり
すべての法はこのとおり(iti)
これが足場の運用なり」 (『指導論』)
「長部復註」 − 「指導論」(netti-pakarana)
片山一良氏 長部解説。 仏典の解釈法
敵意をいだくことなどを行わないことは天の完成をはじめとする
すべての完成の足場である。「殺生などから離れること」は、
「聖なる戒蘊」の足場である。聖なる戒蘊は、「聖なる定」の足場である。
聖なる定は「聖なる慧蘊」の足場である。
長部戒蘊篇 ○T 46p
そもそも戒蘊を説く経典を根拠に 破戒 の団体の擁護にはならないし
仏陀は破戒した挙句 超能力でエイヤ! と因縁を切るなんて
説いてはいない。
Q氏は どう転んでも七氏さんには叶わない。 w w w
77 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 18:49:12 ID:cyU9PWVC
>>53 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:14:11 ID:zfaVNI7a
>こうしていつものハッタリであることがバレてしまった。
>彼が根拠を出せなかったのは当然だった。
と、あなたが繰り返し言っているだけで、
私は中村博士の文章の根拠を示したばかりか、あなたまで
中村博士の文章から根拠を示してくれた。
「三明→解脱」なんて桐山説は真っ赤な嘘で、正しくは、
「解脱→三明」です。
これが中村博士の説明です。
>>55 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:21:44 ID:zfaVNI7a
>きっと必死になって探し出したのでしょうね。
必死に探したのではなく、中村博士はそのように学術書にも書いていることを
あなたも引用して示してくれたではないか。
私が必死になって探したのではなく、
ペテン大作さんが中村博士の説明を逆の意味にとって、
実際は、私の説を支持してくれていたのです。
大爆笑をいつもありがとう。
78 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 18:53:05 ID:cyU9PWVC
>>56 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:24:47 ID:9be/v++M
>自分は「解脱→三明」を支持する、と言っているわけでもないのです。
>>58 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:40:14 ID:9be/v++M
>「解脱→三明」なんて本気で言っている学者などこの世にいないのです。
『これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。』 ( 『ブッダ入門』中村元、131ページ)
ごらんのように、中村博士は「解脱→三明」と言っているのです。
解脱してから三明という神通力で、自分と他人が煩悩によって
繰り返し輪廻している様子と、今の自分が煩悩を断ち切ったことによって、
その輪廻から完全に脱出したことを確認したのです。
過去世を透視すると煩悩が切れるなんておかしな話はない。
その前に煩悩を切ったとみれば、三明は内容的にも矛盾しない。
三明で解脱したなんて桐山説がおかしいのであって、
中村博士の説明のほうが筋が通っています。
79 :
樹意:2008/12/21(日) 18:54:49 ID:4UCGdJ7N
この法における足場の運用は どこかで聞いた覚えがあるかと思います。
そうです、あの四神足 四如意足 の説明です。
四神足は 四禅 (近行定〜 )の修道順を足場の喩をもって説明するものでしたが
仏陀の修道法全てをこの足場の運用をもって説明される場合もあるようです。
従って Q氏がどう 七氏さんに因縁をつけようが、ゲイカのイベントの殆ど全てに
おいて破戒から成り立つ現状から、彼のイチャ門は全て むなしく空を切る
のみとなるわけです、破戒の足場からは 慧 は生まれないのです。
80 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 18:58:22 ID:cyU9PWVC
>>53 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:14:11 ID:zfaVNI7a
>「ヨーガ・スートラ」には行者の心の状態を指すのに
あなたが『ヨーガ・スートラ』を出しても私は完全に無視していた。
ベックが出しているといって、そのまま引用して、何をしたいのだ?
釈迦仏教を議論するなら、阿含経以外には拠るべき経典などない。
『ヨーガ・スートラ』が成立したのは紀元後400〜450年ころだろうというのが
中村博士の解説です。(『ヨーガとサーンキャの思想』69頁)
『ヨーガ・スートラ』とは仏教経典ですらなく、成立もずっと後の資料です。
これを持ち出して、仏教の解脱について議論して、いったい何の役に立つのだ?
「ヨーガと仏教の関係を考えれば」とは、阿含経の何を根拠して述べているのだ?
「大乗経典によれば」と主張するほうがまだ根拠もあろうが、
仏教とは全然別な宗教です。
ベックは学者だから、その立場で何かを主張するのはかまわない。
だが、ここでの議論はアゴン宗と阿含経です。
それとも、あなたも、知識があるかのようにあちこちから切り貼りして、
いかにも自説が正しいかのように見せかける桐山さんの手法を真似たつもりか。
だったら、信者らしい行為だと誉めておきましょう。
81 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:00:23 ID:cyU9PWVC
>>54 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:16:37 ID:zfaVNI7a
>第四静慮とは解脱前にあたるので
>上記の文章は解脱前の状態であることがわかります。
釈尊が解脱した時、どこで意生身を作り出したのですか。
学者たちの説では、四禅三明は解脱の内容として説明されるが、
意生身を作り出したなんて説明はありません。
第四禅が解脱前なら、入滅した時の釈尊はまだ解脱前だったのですね。
釈尊は初禅から第9段階まで行き、そこから初禅に戻り、第四禅で入滅した。
釈尊は初禅から入ったのだから、あなたの説によれば、
解脱前だということになる。
ペテン大作さんの説によれば、釈尊は解脱していなかったらしい。
ユビキタスさんがこの件を指摘したのは
>>57で二度目です。
だが、ペテン大作さんは完全無視して同じ説をただ吠える。
82 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:06:33 ID:cyU9PWVC
>>65 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 16:06:06 ID:9be/v++M
>桐山さんのいう霊魂とは何か、あなたにはっきりと説明できるのだろうか?
>たぶん出来ないでしょう。
>それが出来なくて何で第四禅で出てくる意生身とちがうと言えるのか?
自分が説明できないものだから、私に質問して、
何か書けば揚げ足をとってやろうというのですね。
沙門果経を最初に出して時も、批判側がなんて反応するかじっと待っていた。
こういう小狡いところが、いかにもペテン大作さんらしい。
あなたみたいに勝手な説明なんかしません。
「肉体なく意識だけの生命存在――意生身」(『間脳思考』136頁)
このように桐山さん本人が説明している。
これは好戦経のタイトルです。
意生身の出てくる身命経では、
「死後の存在についても、もっともわかりやすく、簡明に説かれた経典があります。」(『輪廻する葦』159頁)
と、どちらの説明でも、桐山さんは意生身を死後の存在としての霊魂を指している。
釈尊が霊魂を説いたという根拠です。
だが、あなたが引用した沙門果経もベックの解説も、
意生身とは神通力の一つであって、いわゆる霊魂などではありません。
・・・あ、そうだ、思い出した。
あなたは身命経に意生身があることを知らないで、沙門果経を出して、
読者の大爆笑を誘いましたね。
わざわざ沙門果経の意生身を持ち出したから、てっきり桐山さんの身命経の
解説を読んだ上で出したのかと思ったら、ナなんと、知らなかった!!
あれは一年前くらいでしたか、いつも自爆ネタのお笑いをありがとうございます。
83 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:11:01 ID:cyU9PWVC
>>65 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 16:06:06 ID:9be/v++M
>あなたが以前唱えた「沙門果経意生身≠霊魂だから身命経意生身≠霊魂」(s131ー310)
>を否定することになりますよ。
>これは、「沙門果経意生身=(≒)身命経意生身」が条件だからです。
何度説明されても、まだ同じ事を執念深く書いている。
あなたのいう「沙門果経意生身=(≒)身命経意生身」て、なんですか、これ?
これはあなたが勝手に作った前提です。
私の批判に、こんな前提は必要としない。
沙門果経の意生身が釈尊の説く意生身なら、桐山意生身が霊魂であることには
ならないと言っているのです。
身命経の意生身は婆蹉種出家が言い出した意生身であって、
釈尊はただその言葉を繰り返しているにすぎない。
両者が同じか違うかはわからない。
だが、沙門果経の意生身は釈尊が述べたことになっている。
しかも、身命経の意生身は他の経典にはこの訳がないことから、
「超訳」(素人流に言えば誤訳)ではないかという意見も出ていた。
いずれにしろ、沙門果経の釈尊の説いた意生身は明らかに霊魂ではありません。
それを、桐山さんが、まるで釈尊が意生身という霊魂を説いたかのように
書いたのは真っ赤な嘘だと述べたのです。
沙門果経の意生身をここに取り上げてくれたのはペテン大作さんだから、
桐山さんの嘘を暴露してくれたあなたに、批判側一同を代表して再度感謝します。
84 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:15:10 ID:cyU9PWVC
>>56 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:24:47 ID:9be/v++M
>博士は、十二因縁については、さとりの後に説かれたものであることを断言していますが
>それは裏づける資料が豊富だからです。
>それに対してさとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない。
学者の説を勝手に捏造しないことです。
まるであなたの説明では、中村博士の十二縁起を否定する説を支持するような、
釈尊の解脱を描写した経典が多数存在するかのような書き方ですね。
そんなものありません。
また、中村博士はそんなことを言っているのではない。
どうしてあなたはいつもそうやって他人の文章を斜め読みして一知半解なのだ?
釈尊の解脱の時の描写には、十二縁起も四禅三明も同じ程度に載っています。
だから、学者の多くはこれらを羅列するに留めていることは、
菅沼先生の解説まで引用して示したとおりです。
あなたはこうやって、毎度他人の話を自分に都合良くねじ曲げるから悪質です。
85 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:17:10 ID:cyU9PWVC
>>59 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:43:46 ID:9be/v++M
>七氏さんは419で「第四禅で釈尊は入滅した」と書いた。
はい、何度も申し上げるとおり、そのとおりです。
あなたがどんな屁理屈つけようが、ご託を並べようが、
釈尊は第四禅から入滅した。
私はそれ以上も以下も述べていない。
ご希望らしいから、何度でもあなたのゴマカシを掲載してあげましょう。
「第一静慮」→「第二静慮」→「第三静慮」→「第四静慮」・・・→「涅槃」 (スレ150の362)
あなたが「・・・」をつけて、いかにも第四禅の後がさらにあるかように
見せかけた。
それを私からゴマカシだと指摘されたというのが事実です。
86 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:24:13 ID:cyU9PWVC
>>60 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:45:23 ID:9be/v++M
>第四瞑想段階よりもさらに上にある意識状態の諸階梯〔識住〕
>をすべて経過して進まねばならない(増支部経典四・三九頁)。
これが、「比丘が涅槃に入るには九つの階梯がある」、というあなたの説の根拠ですか。
では、また同じ質問をしよう。
第九段階が解脱なら、なんで経典には四禅三明なのですか。
釈尊の解脱の内容は、桐山さんが著書で引用し、
菅沼先生も解説しているように、3〜5項目に分けられる。
それらは十二縁起や四禅三明などです。
だが、四禅はあるが、九段階の瞑想は出てきません。
第九段階の瞑想が解脱なら、なんで釈尊が解脱した時に
それが出てこないのだ?
四禅の後は三明に入っている。
また、あなたの好きな沙門果経での四禅の説明でも、
その後の九段階の瞑想なんて出てこない。
それから、質問をはぐらかしているから、再度質問する。
あなたによれば九番目の瞑想が解脱らしいが、
では、それと三明とどう関係しているのだ?
桐山さんは三明の神通力で解脱すると言っているのであって、
九番目の瞑想階梯が解脱だなんて言っていない。
87 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:30:27 ID:cyU9PWVC
>>61 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:46:19 ID:9be/v++M
>これを“知覚意識〔想〕と感覚とを(意志によって)絶滅すること”〔想受滅〕と名づけ、
>あるいは単に“絶滅”〔滅〕ともいう。
上記のベックが、瞑想の最高の状態に達する、と説明しているのはわかります。
また、そのとおりでしょうね。
だから、何なのですか。
これは瞑想の状態をただ説明しているだけです。
私があなたに質問したのは、あなたが、
>比丘が涅槃に入るには九つの階梯があるのです。 (スレ151の536)
と、涅槃に入る階梯として書いたから、その根拠を聞いたのです。
比丘がこのような階梯をたどって涅槃に入る、つまり解脱すると
どこにあるのですか。
あなたの引用したベックの話はただ瞑想の話を書いているだけで、
涅槃や解脱ではありません。
つまり、あなたの書いた「比丘が涅槃に入るには九つの階梯」など
根拠のない勝手な解釈です。
あなたが何を誤解しているかわかるから、本当は説明してあげたい。
だが、それをすればいよいよペテン大作さんは私に噛みついてくる。
88 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:33:45 ID:cyU9PWVC
>>63 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:56:44 ID:9be/v++M
>あなたの解釈ではこの三明は解脱の確認作業です。
>解脱できたかどうかを確認するのはとても大事な作業ですよ。
>だったらこれだって解脱に含めてもいいのではないですか?
今、あなたと議論しているのは、「カルマを切るのが解脱かどうか」です。
つまり、何によってカルマを断ちきったのか、どの段階で
カルマを断ちきったのかを議論しているのです。
解脱を、解脱の内容まで含めず、狭い意味で議論しているのです。
しかも、狭い意味で用いているのは私だけではなく、桐山さんも同じです。
桐山さんは三明という神通力でカルマを切り解脱したと言っている。
解脱をカルマ解脱の狭い意味に用いているのです。
今の議論は、この桐山さんに合わせている。
私の勝手なルールでなく、桐山さんのやり方に合わせているのです。
そこで、三明によってカルマを断ちきったのかどうか、
三明はカルマ解脱の前か後か、あなたと議論してきたのです。
こんな初歩的な議論の前提すらもあなたの頭から脱落しているのですね。
89 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:37:03 ID:cyU9PWVC
>>62 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:51:04 ID:9be/v++M
>桐山ゲイカは三明の神通力で解脱すると説かれる。
>一方、ベックは三明(漏尽通)で解脱すると書いている。
>だから両者は三明で解脱するという点で同じということになる。
ベックは三明で解脱するなんて説いていません。
あなたの勝手な解釈です。
「三明で解脱した」とどこにあるのですか。
あなたが引用したベックの文章のどこにあるのだ?
ベックの文章をあなたがそのように勝手に解釈しているだけで、
そんな文章はありません。
ベックは「解脱の内容」を延々と書き並べているだけです。
沙門果経に出てくるような内容をただ並べている。
三明はその一つにすぎず、三明で解脱すると言っているのではなく、
解脱の内容の一つとして三明を出しているにすぎない。
90 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:44:28 ID:cyU9PWVC
>>66 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 16:12:05 ID:9be/v++M
>1.その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、 ←専念
>2.「これは苦悩である・・・・・・」とこのように認識する。 ← 認識
>3.瞑想者自身は、〔欲漏〕、〔有漏〕、〔無明漏〕から解放される。 ← 解放
>4.瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る ←解脱
>5.「これが解脱である、再生は滅し・・・・・・」 ←解脱の内容
これが神通力によるカルマ解脱を説いたという学者の説の根拠??!!
読んでいる人たちが唖然、茫然、絶句していることに気が付いているか。
あなたに聞くが、これのどこがカルマ解脱なのだ?
ベックの文章ではなく、あなたの解説を引用してさえも、
どこにも、神通力によるカルマ解脱などない。
上記はあなたがまとめた文章ですよね。
文章に書き直しながら、どこにも神通力によるカルマ解脱なんて
ないことにどうして気が付かないのだろう???
カルマという言葉は一言もないし、神通力による解脱ともないし、
もちろん、カルマ解脱なんて概念すらない。
だが、あなたにはこれが、神通力によるカルマ解脱に読めるのですね?
文章にないことが読めるペテン大作さんの精神の健康を読者が疑っていることを自覚したほうがいい。
91 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:51:17 ID:kVgTJAn/
>>66 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 16:12:05 ID:9be/v++M
>その心はあらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。
>その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
>「これは苦悩である・・・・・・」とこのように認識する。
>また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
>世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
ベックの文章のどこをどう読んでも、単語だけ並べても、
「世俗のけがれと煩悩とから解放され」「俗世の迷妄の絶滅」「〔欲漏〕、〔有漏〕、〔無明漏〕」などと
全部、これらは煩悩をなくす話、つまり漏尽解脱ばかりです。
ここに書いてあることは、煩悩を断ちきって解脱して、
その結果、輪廻しないことを自覚したという、ありふれた文章です。
ただの一言も神通力によるカルマ解脱などない。
また、この文章のどこに「三明」の神通力でカルマを切ったとあるのですか。
最後に解脱したと認識するというのは漏尽通でしょう。
だが、あなたが引用したベックの文章には三明そのものが出てこない。
ましてや、三明の神通力で解脱したと書いていない。
だが、あなたの目には、
>漏尽通で切ったのです。
と読めるのですね??!!
書いていない文章から読めるというあなたの脳味噌は、私には理解不能です。
92 :
ラシン:2008/12/21(日) 20:05:39 ID:Phv3vaEd
○○屋さんは普段冷静なのに、七氏さんのことに関しては、
冷静な姿勢とは受け取れない理屈があることに少し違和感を
覚えます。
議論は好嫌ではない、内容の正否妥当を旨とすべきでしょう。
大日さん、一修行者さんも、余りにもその常道を軽んじた
意趣返しのみにこだわり、反論の域に達していないのが残念です。
93 :
神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 21:09:48 ID:DbhFqwYM
きょうはアホー集零細だった。
94 :
樹意:2008/12/21(日) 21:21:03 ID:4UCGdJ7N
水野弘元著 原始仏教 224p
従って初禅までは、外界を見たり聞いたりすることもあるが、第二禅になると
世俗的な思惟作用は全くなくなってしまうとされる。更に第三禅や第四禅では
苦楽の感情もなければ、五官からの影響も全くなくなり、純粋に浄化された内観
のみが残るとされる。第四禅を止観均等の状態であると云うのであるが、止とは
心が静止し寂静となることであり、無念無想の状態となることである。
観とは統一された心による思惟観察の作用である。
そこで第四禅には、寂静なる状態と思惟観察の作用とが、均等に程よく備わっていて、
禅定としては最も理想的なものであるとせられる。
止のみがある無念夢想の無色定では、何等の思惟作用も無い。これに反して
思惟観察のみある初禅あたりでは、まだ静寂な精神統一が得られたとは云えないので
ある。
その両極端の中間にある第四禅は、止と観とが均等しているから、すぐれた精神作用の
ためには最も好都合である。
宿明通や天眼智などの神通的な智慧が得られるのも第四禅においてであるとせられ、
仏陀が入滅されたのも第四禅の心の状態においてであったとせられる。
そこには十分の意識もあり、無色定のように意識が失われ、又は微弱になっている
ということがないのである。
---------------------------------------------------------------------------
95 :
樹意:2008/12/21(日) 21:27:15 ID:4UCGdJ7N
セヤドー 旧HPより (現在はありません)
阿那含と阿羅漢は、絶え間なく名・色とその因縁の生滅を見るか、または壊滅だけをみる。
睡眠中を除いて、彼らは一日中、一晩中、毎日、何ヶ月も、何年もこれらの生滅の過程を見る。
ゆえに、彼らは時には、これらの壊滅現象(bhanga-dhamma)を見続けたくないと思い、
彼らに味気なさと倦怠が生まれる。しかし、彼らの寿命が未だ終わらないために、
般涅槃の時間はまだ来ない。こうして、これらの壊滅現象を見続けたくないと思うとき、
彼らは滅尽定に入る。
なぜ、これらの壊滅の現象を見るのか?通常あのような境地まできた場合、彼らはすでに
禅支と対立する五蓋を取り除いているため、彼らには十分な定力がある。専注の心は如実に
究極法(paramattha-dhamma)を照見することができる。ゆえに彼らはずっと壊滅現象を
見続けることになる。(壊滅の現象は)究極名色法の本質である。そして、滅尽定に入ったなら
――例えば七日間として――この七日間の間、彼らは壊滅の現象をみることがない。というのは、
壊滅現象を認知することのできる、全ての心と心所が、停止したからである
----------------------------------------------------------------------------------
タマに滅尽定に入って、究極名色法の生滅を観知する 識 を滅尽させて休憩するわけです。
仏陀は半月とか三ヶ月入定してたりしたそうです。 (相応部 45 12 54 −− )
セヤドーの説明は本物だけが持つ迫力があります、ゲイカのインチキ ルテン水槽管なんて
比べ物にもなりません。 wwww
96 :
ラシン:2008/12/21(日) 21:43:22 ID:Phv3vaEd
>62ベックは三明(漏尽通)で解脱すると書いている。
だから両者は三明で解脱するという点で同じということになる。
そんな記述をあなたは示されていません、どこか教示してください。
ー大パリニッバーナ経抜粋ー
「また、修行僧たちよ。ブッダに関し、あるいは法に関し、あるいは集いに関し、
あるいは道に関し、あるいは実践に関し、一人の修行僧に、疑い、疑惑が起るかもしれない。
修行僧たちよ。問いなさい。あとになって、「わたしたちは師に目のあたり
お目にかかっていた。
それなのにわたしたちは尊師に目のあたりにおたずねすることができなかった」
と言って後悔することのないように 。」、、、、
七氏さんが何度も引用しているように、釈尊は自らの教えに誤りや疑念が
あるならば質問せよと、法の確認作業をしています。
大パリニッバーナ経にある通り、初禅から第四禅に入り、四無色界定と
滅尽定の境地に入り、その後逆順に、滅想受定から非想非非想処定、
無所有処定、識無辺処定、空無辺処定、第四禅、第三禅、第二禅、から
初禅に入られ、また第二禅、第三禅、第四禅に入られ、そこから起って、
世尊はただちに完きニルヴァーナ(無余依涅槃)に入りました。
Qさんの指摘する学説通りなら、どうして滅尽定の境地で般涅槃ではないのか?
ベックの学説通りならここで入滅するのが妥当です。
だが、そこを再度通り越して、わざわざ第四禅から無余依涅槃に何故入ったのか?
その事実をどうして無視し、ベックの広義的学説のみで判断するのでしょうか?
経典記述記載を第一義として解釈するのが教法解釈の常道です。
ユビキタスさんが指摘した意義がここにあると思いませんか。
上記大パリニッバーナ経抜粋で引用したように釈尊は弟子たちにまで、
師の誤りの有無を問うている。
完全なる般涅槃の瞬間にまで釈尊は色界無色界での漏れの無いことを確認して、
四禅から無余依涅槃に趣いたと、解釈できるものです。
なんとなれば四無色界定は解脱の必須条件ではないとの結論を得ます。
97 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 22:14:48 ID:dibDl7MI
>>74:○○屋 :2008/12/21(日) 18:15:19 ID:zvGxhQly
>そのことを、その原因を作った本人に聞いてくれ、と言ったら、ユビキタ氏からの
>無礼な横レスである。
無礼な横レスとはやはり私のことなんですね。
ならば遠慮なく無礼とか言うレスを直接付けましょう。
つまりたとえ話にすると、まず七氏さんがあなたに唾を吐きつけたとする。
これが大本の原因であり、対してあなたは負けじと七氏さんに唾を吐き返した。
ある日ギャラリーの
>>18さんが問題提起した。唾を吐くのはマナー違反ではないかと。
そこで〇〇屋さんは
>>18さんに答えた。大本の原因を作った、最初に唾を吐いた七氏さんに聞いてくれと。
これがあなたの書き込みから読み取れる弁解です。
なおここで唾を吐くと書いたのはあくまでもたとえ話です。
本当はこれまでのスレを飛び越えてのレス応酬合戦は、相手に唾を吐くような無礼な話ではない。
しかし〇〇屋さんがレスを受けて勝手に感じた気持ちも代弁してあげて、唾をかける話をたとえとした。
さて、いくら大本があちらにあるのだとしても、自分もまた相手と同じ唾をかけるという手段で応酬
したのでは説得力ありませんよね。
相手がそんないやらしい手段で来るのなら、自分だけは絶対にそれを真似しない。
つまり相手がどうあろうと、自分だけは自分の信念に基づいて、必ず直接レスを付け、よそのレスで
付けるような真似はしない。それを実行することは簡単なことです。
それをしてこそ、
>>18さんの問題提起にあなたは「七氏さんに聞いてくれ」と堂々と言う資格がある。
しかし自分も唾を吐いたのならば、弁明のしようがない。
どうして原因さん、大本さんとは異なる自分の態度が示せなかったのか?
つづく
98 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 22:37:57 ID:dibDl7MI
>>74:○○屋 :2008/12/21(日) 18:15:19 ID:zvGxhQly
>そのことを、その原因を作った本人に聞いてくれ、と言ったら、ユビキタ氏からの
>無礼な横レスである。
もう一つ重要なことがある。
それは
>>18さんの書いた問題提起とは、スレを飛び越えて他スレの書き込みをこちらに引用して
思うことを書くその「スタイル」のみをマナー違反と評価している。
それしかあの短い文章からは読み取れないではないか?
それ以上の意味を
>>18さんの書き込みに添えるのは間違っている。
たとえば私は今回のレス応酬を唾を吐くことに仮にたとえてみた。
そしてまず七氏さんがあなた方に唾を吐いたから、こちらも唾を吐いたと示しました。
あなたは不服でしょう。自分は相手に唾を吐くようなひどい書き方をしていない。(どうかわからんが)
しかし七氏が唾を吐くことになぞらえていやらしいと思うのは、そのスタイルの話ではなく
無神経にこちらの心臓をえぐってくるようなやり方にあるのだと言いたいかもしれませんよね。
しかし
>>18さんはあくまでもそんなことを批判しているのではなく、あくまでもスレを飛び越えて
レスを付ける「スタイル」しか「マナー違反」として批判していないのです。
同じスレの中で直接レスを付けられても不快に感じるその表現の切り口まで
>>18さんは述べていない。
つまりスタイルだけが提起された問題なのだから、スレを飛び越えてマナー違反をしたのは〇〇屋さんも
同罪であるわけです。マナー違反という
>>18さんの指摘が正当ならばね。
だからあなたはあなたのマナー違反を弁明なり反論をする必要がある。
繰り返すがあくまでもスレを飛び越えたというスタイルだけなんですよ。今回の論点は。
しかもあなたはいつもいつも「やられかたらやり返した」というわけでもなく、大日スレができる以前から
そのマナー違反をあなたの方から自発的にしてましたよ。ザのスレで。
99 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/21(日) 23:24:33 ID:dibDl7MI
>>74:○○屋 :2008/12/21(日) 18:15:19 ID:zvGxhQly
>そのことを、その原因を作った本人に聞いてくれ、と言ったら、ユビキタ氏からの
>無礼な横レスである。
最後に、誤解の無いように補足しておくと、私が当初
>>20で「他人事のように言うなよ」と横レスを
入れたのは、そういう意味で、問題を七氏さんだけに押し付けないで、あなたはあなたで
>>18さんの
問題提起に弁明なり反論を書けばよいではないかと示したわけです。
あなたはこの2ちゃんねるに直接書き込むこともあるし、他スレでここのことを批判するようなことも
両方します。私はあなたが他スレでここのことを書くことを、相手に唾を吐くがごとき無礼とは
思っていない。つまり私は基本的に
>>18さんの問題提起に反対の立場なのです。
だから私は私なりの弁明と反論をした。
あなたもあなたなりに反論すればよいだけなんです。
あなたの「スタイル」が悪いなんて私は批判してない。
>>18さんの書き込みにレスせずにスルーするのも自由な権利です。
しかしそこを敢えてレスするのならば「名無しさんに聞いてくれ」はないだろう?と自覚を促した次第で
それ以上のあなたに対する批判はありません。
100 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/21(日) 23:38:37 ID:O8T/vch+
異常な
無愧
無慚は、ユビキタスの特徴です。
101 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:12:54 ID:VDGvfzi1
四禅
↓
四大色身合成(自分と同じ自分を化作)
↓
琉璃摩尼
珠ヨガ
↓
一心修習神通智證
↓
一心修習證天耳智
↓
一心修習證他心智
↓
102 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:15:06 ID:VDGvfzi1
一心修習證他心智
↓
一心修習宿命智證
↓
無明永滅大明法生
↓
闇冥消滅光曜法生
↓
一心修習見生死智證
↓
見生死智證
↓
斷除無明生於慧明
↓
捨離闇冥出智慧光
↓
103 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:21:08 ID:VDGvfzi1
捨離闇冥出智慧光
↓
一心修習無漏智證
↓
心得解脱得解脱智
↓
斷除無明生於慧明
↓
捨離闇冥出大智光
↓
無漏智明
以上の
>>101>>102>>103=釈尊の説法(阿含経)
104 :
○○屋:2008/12/22(月) 01:22:37 ID:Pl8ZmlL9
105 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:29:04 ID:VDGvfzi1
解脱のプロセスを進めるのは、全て四神足。
独覚は四禅で入滅する。
四大色身合成(自分と同じ自分を化作)と琉璃摩尼のステージであり、
現在過去未来を存在する悟りの領域で担保する。
阿含経
106 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:40:07 ID:VDGvfzi1
○過去にさとりを開いた仏たち、また未来にさとりを開く仏たち、
また多くの人々の憂いを除く現在の世の仏、
正しい教えの師であるこれらすべての人々は、
過去に住したし、
現在住し、
また未来に住するであろう。
これが諸仏のあいだの決まりである。
107 :
○○屋:2008/12/22(月) 01:42:17 ID:Pl8ZmlL9
それに対して
【1:118】 2ch用意見スレ 1
1 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/10/13(月) 22:39:46 ID:lTvrWm2M
「A宗考察意見交換スレ」ではせっかくの法談ペースがこわされてしまうので、ここで2ch向けに意見を書くスレを立てました。
意見は大人の姿勢を保つことが原則で、罵り・喧嘩口調は警告・削除に原因になります。あくまで意見ということを前提とし悪言は発しないようにお願いします。
と示されているように、2chの内容を検討するスレであり、ここでは2chの内容や態度などを批判擁護に関係なく、意見を交換する趣旨のスレであるのです。
ここで、2chのことを論じるのはスレ趣旨に反していないことは明白であり「マナー違反」にはならず、その反論があるならばここに書けばよいだけです。
ここに書きたくなければほかにも方法はいくつかあると思う。
そのように思い、その名無しさんの態度を批判する意味も込めて私の先のレスとなったわけである。
それに対して
>>20で「他人事のように言うなよ」と横レスを
入れたのは、そういう意味で、問題を七氏さんだけに押し付けないで、あなたはあなたで
>>18さんの
問題提起に弁明なり反論を書けばよいではないかと示したわけです。
と言っているが、ユビキタス氏のぶっきら棒な態度が
>>18さんの書き込みにレスせずにスルーするのも自由な権利です。
しかしそこを敢えてレスするのならば「名無しさんに聞いてくれ」はないだろう?と自覚を促した次第で
それ以上のあなたに対する批判はありません。
と奇麗事をいっているが、十分批判的な、いわば「喧嘩を売る」態度にしか取れなかったので
「無礼な横レス」と表現したわけです。
108 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:42:19 ID:VDGvfzi1
>>106は、世間の正見を構成させている大前提となります。
109 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:52:54 ID:VDGvfzi1
業と命があっても
煩悩が“無効化”されているのが
預流、一来、不還、独覚。
善業も悪業も超えている
生存の素因と潜在勢力
入滅
以上のすべてが存在する悟りの領域に担保されています。
ダンマの顕現によってそうなっているのです。
110 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 01:59:29 ID:VDGvfzi1
煩悩解脱と運命解脱は、二者択一の論議とはならないのです。
これを正しく理解しましょう。
↓
雑阿含経五百九十のエピソード
雑阿含三十三
111 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/22(月) 08:40:18 ID:Ay2hOc1j
>>104 あなたと七氏さんとの間における個別なやりとりの話ではなく、あくまでもスレを跨がってレスが
飛び交うスタイルについて疑問が提示されたのだから、そこだけに弁明なり反論 をすればよいわけです。
なお、〇〇屋さんがもはや擁護を離れた退会を果たした元信者であっても、書き込み内容に桐山さんから
植え付けられた偏見や妄執から抜けきれてないと見えたら、同じような考えを持つ人の為にもレスはつきます。
よってスレ違いか否かは幅広い識見によって判断されます。
それはさておき今問題が提起されたのは異なるスレを跨がることなのです。
そこに照準を当てるべきです。
>>107 だからそのように分析を進めて、大日スレに2ch用スレという他スレのことにレスをつける
>>18に言わせればそれこそマナー違反になってしまうスレの立った経緯とか説明すればよい。
そしてその大日スレなんだが、ここに直接書かないのは決して七氏さんの問題ではなく、大日さんの問題
なんだと気づくはずです。
大日さんも当初は2ちゃんねるに書いていた。
しかし自分のスレを立てたのは七氏さんでもない他からの荒らしや中傷、意味不明な書き込みが混在する
雑然さを嫌ったからです。つまりスレを跨ぐレスの応酬は大日さんの嗜好に原因があったのです。
だからこの経緯と構図を理解せずに七氏さんに聞いてくれと責任転嫁するのはおかしい。
私から他人事のように言うなよと言われたら、喧嘩を売られたと癇癪を起こすのではなく、ここまで
分析を進めるべきなのです。
あるいは言われた瞬間むっとするのも致し方ないとしても、一晩二晩と十分に考える時間があれば
冷静さを取り戻して考えることです。
112 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/22(月) 08:53:14 ID:Ay2hOc1j
なお余談になりますが、雑然さを嫌い整然とした展開を志向した大日スレですが、2ch用スレに
ついては、読み返すとかえって雑然としてますね。
というのは、2ちゃんねるのどこの何番のどういう書き込み内容に書かれて付けられたレスや感想で
あるのか時間が経ってしまうとわからなくなるからです。
それでも書いた当事者などは覚えているのかもしれないが、後から過去スレを遡る人のことを配慮していない。
この辺整然を好むはずの大日さんが意外にも雑然たるズボラですね。
やはり後々のことを考慮して、最低限どこの何番に対するレスとして示した方がよいと、参考意見と
して指摘しておきます。
113 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 10:21:18 ID:+gR0kUc8
ユビキタスは
ぐうたらで
あつかましい
馬鹿爺
114 :
応援団:2008/12/22(月) 10:50:57 ID:qn6bCX4b
>W田さんは間違いなく出版社を買収するでしょう。しかし買収されない出版社もあるはずです。
必ず出るようにしましょう。
115 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 12:34:43 ID:r5M3tIf6
>>104 :○○屋:2008/12/22(月) 01:22:37 ID:Pl8ZmlL9
>しかし、今回の名無しさんのレスは明らかにスレ違いであり、後のレスで名無しさん自身述べているが
>私の意見を促したことは誤りであったことを暗に認めている。それに対する説明も述べられているが・・・
>私の中ではそれで区切りはついたと考えているので、名無しさんのレスに私は敢えて何もレスしていない。
私の文章をそんなふうに受け取ることもできるのですね。
少なくとも、
>私の意見を促したことは誤りであったことを暗に認めている
との推測は誤解であり、私は誤りだったなどと認めたつもりはありません。
私は誤りだったとわかったら、はっきりと「撤回します」と書きます。
あなたの意見はこのアゴン宗批判と関係しているから引用したのです。
あなたの意見を含めて、私はこれまでスレの主旨と関係ない書き込みを
引用して批判したことはありません。
その場合なら、「スレの主旨と違うが」と断ります。
他人に、スレの主旨と違う、と言う私が、あなたの引用がスレの主旨と違うと
わかっていて、断りもせずに引用して批判するなどありえません。
116 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 12:38:01 ID:r5M3tIf6
>>104 :○○屋:2008/12/22(月) 01:22:37 ID:Pl8ZmlL9
>私の意見を促したことは誤りであったことを暗に認めている。それに対する説明も述べられているが・・・
あなたは阿含経の中にも運命についての記述があるのではないかと検討している。
それだけのテーマならあなた個人の問題だから、たとえば、どこかの
仏教スレや個人のブログで書く分には、私は知る機会もないだろうし、
引用して批判することもないでしょう。
だが、ここやザなどアゴン宗関係スレに書かれたら、それはアゴン宗擁護と
みなして、反論すると書いたのです。
なぜなら、阿含経の中に運命について論じているというのは
まさに桐山さんの考えだからです。
しかも、こんなことは無知から来る真っ赤な嘘です。
これを信者さんたちに私は説明して、正しく阿含経を理解するように話している。
ところが、あなたは自分の興味から、アゴン宗のこの説と
似たような主張をしようとしている。
信者たちは、あなたの目的や中身を十分理解することなく、
「阿含経の釈尊はやはり運命を論じているのだ」と安心する。
これではせっかく、釈尊は因縁解脱や運命改造なんて説いていないのだと
気がつき始めた信者たちに、また誤解を与えることになるのですよ。
あなたのしていることは、麻薬はいけないと教えている時に、
「マリファナは害も少ないし・・」などと言っているようなものです。
117 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 12:44:33 ID:r5M3tIf6
>>104 :○○屋:2008/12/22(月) 01:22:37 ID:Pl8ZmlL9
>私の意見を促したことは誤りであったことを暗に認めている。それに対する説明も述べられているが・・・
○○屋さんにアゴン宗を擁護しようという意図がないのはわかるが、
意図があろうが、なかろうが、それは信者たちに大きな誤解を与える。
すでに誤解し、さらに誤解したがっている人たちの前で、
誤解するような話を書いたから、誤解するに決まっている。
だから、私はその都度あなたの文章を引用して成り立たないと批判したのです。
あなたのためではなく、読んでいる信者のためです。
あなたも大日さんも擁護する意図などないのに、私から擁護と分類されて
批判されたものだから、ものすごく腹が立ったのでしょう?
だが、自分の意見がどうであるかではなく、信者たちからどう受け取られるかを、
擁護する意図がないなら、もう少し気を付けてほしいと書いたのです。
お二人とも他人には自分の意見や心情を理解することを求めるのに、自分の議論に夢中で、
スレに出てこない沈黙の読者たちがどう受け取るかについて配慮が少ない。
それは
>>112でユビキタスさんが大日さんのスレの作りについても述べている。
批判側は読者を意識しているが、お二人とも自分たちの議論に関心が集中し、
読者がどう自分の意見を受け取るか、あるいはスレが簡単に読めて、
リピーターになってもらえるかどうか、という配慮が少ない。
118 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 12:51:15 ID:r5M3tIf6
>>104 :○○屋:2008/12/22(月) 01:22:37 ID:Pl8ZmlL9
>私の意見を促したことは誤りであったことを暗に認めている。それに対する説明も述べられているが・・・
私は、阿含経にはない運命なんて話を強引に解釈しようとすること自体が、
桐山洗脳から抜けられないからだと批判した。
このあたりにいたく気分を害したのだろうが、私は今でもそのとおりだと思っています。
阿含経を真っ正面から普通に読んだら、運命なんて解釈は絶対に出てこない。
その議論はここや関連スレではしないほうがいいのではないかと提案したのです。
今後もあなたが同じような趣旨の文章を書くなら、批判ネタを
提供してくれたものとみなし、私は引用して批判せざるを得ない。
あなたにいまさらアゴン宗を擁護する意図がないのはわかる。
だが、それなら、これまでのような主張を避けてください。
意見を封殺しようというのではなく、場所柄を考えてくれと言っているのです。
そんな桐山さんの使い古しで、釈尊が相手にしなかった次元の低いテーマを
いまさらいじくるよりも、学ぶべきことは山のようにあります。
119 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 13:01:22 ID:r5M3tIf6
>104 :○○屋:2008/12/22(月) 01:22:37 ID:Pl8ZmlL9
スレの趣旨から外れて、○○屋さんなどに意見を言うなら、
最初から難しい内容を理解しようとしないことです。
あなたを含めた何人かを見ていると、仏教の難しい単語や、神秘的な概念が
並んでいると強烈に惹かれて反応し、それがシャカ仏教の本質なのだと思いたいようですね。
逆に、仏教の基本的で簡単な内容を侮蔑的にさえ見る。
あなたは怒るだろうが、それ自体が桐山さんからの洗脳ですよ。
桐山さんはそれを仏陀の智慧と称して、自分のような間脳を開いた者にしか
仏教の本当の内容は理解できないとした。
「ヲマイラとは違う」と自分を際だたせ、信者たちを無知な宗教家畜にしておくための方策です。
それをしているうちは釈尊の教法は見えなくなります。
事実、信者たちは未だに仏教を因縁解脱だと思い込んでいる。
釈尊の教法が、複雑で神秘的な奥義こそがそれだと思うのは、
木を見て森を見ないどころか、葉の葉脈や木の根の複雑な美しさに魅了され、
これこそ釈尊の説いた森だと思い込んでいるようなものです。
葉脈や木の根をいくら追求しても、森を理解したことにはならない。
あなたと同じようなことを昔の人たちもしたし、その最初が部派仏教です。
解説書もあるから、ぜひ読んでみるといい。
その典型が三十七道品という分類です。
三十七道品なんて名前を聞くと、何か深い深い内容があるかのように信じ込み、
こちらから、これは適当な分類であり、八正道が目次なのだといくら説明されても、
言葉や概念に囚われたまま、意味を理解できない信者がザにいる。
私が前にこれを含めて「迷いの森」と書いたら、あなたは少女趣味とあざ笑ったが、
解説書を読んでもまだ笑えるかどうかは自分で確認してください。
ただ、釈尊の教法が二千五百年前、つまり縄文時代の無学な人たちにも理解できて、
実践することができたという事実をよく見ることです。
120 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 13:25:41 ID:gFCHXGhw
文章がまるくなってるな。 相当気配りしてますね、感心感心。
121 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 13:42:39 ID:WhkfofvN
(*^・ェ・)ノにゃー
122 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 14:16:46 ID:8vR6yWiX
プロと対戦!! 阿含・桐山杯 百面打ち
阿含・桐山杯 第10期早碁オープン戦 日中決戦 開催記念
同時開催 阿含・桐山杯 第10期早碁オープン戦 日中決戦
日本阿含・桐山杯者 張 栩 × 中国阿含・桐山杯者 古 力
日 時 : 平成21年1月17日(土)午前11時30分から
会 場 : 阿含宗本山総本殿・釈迦山大菩提寺(京都市山科区北花山大峰)
※ 百面打ち終了後に、小林光一九段と特別協賛である阿含宗管長・桐山靖雄の
日中決戦10周年記念対談、小林九段による日中決戦大盤解説会をご覧いただけます。
応募方法 : 「百面打ち希望」の旨、住所、氏名、年齢、電話番号をご記入のうえ、
ハガキまたはFaxでご応募ください。抽選で100名様をご招待いたします。
当選は発表はご招待状の発送をもってかえさせていただきます。
応募先 : [ ハガキ ] 〒550ー0013 大阪市西区新町1丁目4ー30 大阪新町POビル301
「阿含・桐山杯 日中決戦事務局」
[ fax ] 06(6536)2373
応募期間 : 平成21年1月13日(火)必着
応募に関するお問い合わせ : 電話 06(6536)2372
※ 12月27日(土)―1月3日(土)は休みになります。
主 催 : (財)日本棋院/中国国際友好聯絡会/中国棋院
後 援 : 中央電視台/毎日新聞社/京都新聞社/KBS京都
特別協賛 : 阿含宗
http://www.nihonkiin.or.jp/news/2008/12/post_205.html
123 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/22(月) 21:21:32 ID:M91lB0y5
釈尊の教え(初期仏教)により
間違っています。
↓
116 :神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 12:38:01 ID:r5M3tIf6
118 :神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 12:51:15 ID:r5M3tIf6
119 :神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 13:01:22 ID:r5M3tIf6
124 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/22(月) 22:28:18 ID:Ay2hOc1j
ぷっ
ぷっ
ぷっ
ぷぷぷぷ
ぶはははははははははははははははははは(≧▽≦)
いや、失礼。
他スレを読んでて。
125 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 23:17:48 ID:2KVzoCJP
ユビさん、ユビさん
「ぶはははははははははははははははははは(≧▽≦)」って
そんなにおもろいスレがあるんでっか?
126 :
神も仏も名無しさん:2008/12/22(月) 23:55:05 ID:r5M3tIf6
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[478]如来の子孫 08/12/22 15:18 TiBMNgJrRl
>これで、推奨株なんて言ってたら、笑いが止まりません。
>批難派の方〃も、冗談は休み休みしてください。
知り合いの信者が、桐山さんが11月の例祭法話で下記のように述べたと、
あきれ顔で先月メールをくれました。
「世の中の動き、鉄道を敷くなど社会の基盤整備の情報をとらえておけば、どの株が上がるかは一目瞭然である。
今アメリカでは、もう一本大きな鉄道を敷く予定である。
そうすると線路の発注は必ず日本に来る。
その内、財運強化の一つとして、私が、その株の会社名を教えよう。また、その他の株価の上がる会社を教えよう。
そうなりゃ、諸君も左うちわですよ。株を買うための資金をまず貯めておく事が肝要だ。」
法話のビデオが流れているのを立ち聞きしただけのようで、原発の件は入っていません。
株を勧めたという点では、干柿さんが書いた内容とほぼ同じです。
子孫さんは法話すらもろくに聞かないで、その法話を伝えた批判側に
「笑いが止まりません」「冗談は休み休みしてください」だってさ。
年末の爆笑大賞を取りたいらしい。
127 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 00:06:01 ID:srYYrho8
笑い藁い笑い藁い笑い藁い笑い藁い
笑うセールスマンに笑い走り大根天。
128 :
樹意:2008/12/23(火) 03:27:20 ID:1uWkLm+k
>>126 オバマさんはぼちぼち耐用年数のきた公共インフラをやるようですからね、ばら撒きした挙句
数年後に消費税上げますなんて どこかの国とは違うようです。
というか11月の呆話だとネタが古いというか、情報的にも新しくない。
基本的に(投資家)というのは金融業です。金融業ですから当然のこと
業種としての覚悟が必要で、業種でありますから相応のノウハウと覚悟が
必要とされるのです。
返済可能性の高い利益率のいい事業家に融資したからといって、その回収が
叶う叶わないは別の問題なのと同様です。
株の騰落を当てたところで経営陣、財務内容判定他 基本的な見識
行動力がないと 最後には大きな傷を負う可能性がある。
そもそも今の不況の原因からして、ヘッジファンドだのといった
機関投資家が証券化商品のリスク判定を誤り借金して投資していたものが
破綻したのがその発端です。
大体にして銘柄指定して どこいらへんで買って どこいらへんで売れと指示しても
各自欲目に振り回されて云うこと聞かず、最後には破綻する人が多いのに。
ゲイカにしろ子孫氏にしろ本質的なものが何もわかっていない。
市況板、投資板の住人でもある私に言わせるならこういったただ株価が上がる会社を
教えるだのといった発言は 無責任な発言で 宗教家の発言ではありません。
それでもキチンと学習した方がいいと書いたりするのは、こういうものは年金問題とリンクする
からで、アボンのような団体はお年寄りからむしったりするけれど、年取ってから
落とし穴に嵌るのは避けた方がいいからです。 それと政府はあてにならない。
政策からみても日本の政治家がやっている政策売り、ばら撒き等は--見るに耐えない。
129 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 05:34:05 ID:QfUdkazJ
アメリカの鉄道の話はテレビの経済番組で言ってました。
日本の鉄は一級品だから“新日鉄”の鉄が使われるって言ってました。
“新日鉄”の事を金とって教えるってか。
どこまで強欲な人間なんだ。
その番組を見てから“新日鉄”の株を注意して見てましたから。
そういえば11月頃だったかな。テレビでアナリストがアメリカの鉄道の話をしてました。
130 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 05:53:05 ID:QfUdkazJ
桐山さんの話は予言でも予知でもなんでもなくて
元ネタがあるんです。それも、そこいらのテレビで聞いた話や
本で読んだ事の肝心なところを隠して金儲けにするんです。
強欲じじいの話は冷静に聞いてみればおかしいです。
131 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 08:51:42 ID:IUH02gL8
株の話は、先入観をもってはいけません。素直に聞けないとだめです。
聞いてから情報の分析をしていくのです。
アメリカの公共事業の情報についても感情が入ってはだめです。
樹意のような幼稚な内容を感情で書き込みをする人は、哀れです。
132 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 08:57:52 ID:IUH02gL8
樹意はたちの悪い印象操作をしています。
これは名誉毀損といえるでしょう。
公益法人などへの出資は、
寄付行為で返還義務・利益分配・議決権が生じない。
宗教法人の会計についても
その内容を確認することについては、
決まった手続きをすれば良いのです。
133 :
○○屋:2008/12/23(火) 11:46:41 ID:fS9e4I2f
株や鉄道の法話は真実でしたか。管長、最近は見境ないですね。
134 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 11:59:02 ID:zjKDmPRZ
ゲーカに対する『シラケ気分』の広がり、これが会員の財布のヒモを堅くしてしまうなぁ。しばらく様子見、そして退会という流れが止まらない。
ゲーカが何を言いだすか、職員もコワイだろうな。
135 :
樹意:2008/12/23(火) 12:42:47 ID:1uWkLm+k
>>131 耳打ち情報で投資するなんてのは昔から カルト家畜同様投資の世界では
機関投資家のカモネギ、 嵌めこみの一発目。
こんなのは常識。
キチンと学べば、ゲイカの説いた継栄(経営)も 栄豊 も現実のものとなる
智慧の宝庫です、ことに上手な経営を学ぶのによい。
だから賢い従業員は、経営陣が下手だと思ったら退陣を迫る。
私がここと市況板で褒めた不動産(H) は評価されなおしたようです。
つい最近のことです。
そんなことよかウソを根拠に基金を集めた釈明をしなさいよ。
136 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 13:04:33 ID:tOE0kjGW
樹意のおぞましい開き直りには
本当に呆れかえります。
宗教行為と信仰に関わる寄付行為について
の意図的印象操作はやめなさい。
137 :
○○屋:2008/12/23(火) 14:55:47 ID:fS9e4I2f
だいたい、よい株があったら教えるから資金を貯めておけ、なんて、解脱、冥徳供養を進めたり、杭打ちなどを有料で受講させておいて、やることが180違うのではないか?
138 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 17:35:54 ID:g1UoBYRj
あほらしくてもう会員やってられない
あのボケはや逝っちまえ
あのブス女も捕っちまえ
みんな狂ってる
139 :
樹意:2008/12/23(火) 19:34:10 ID:1uWkLm+k
>>136 > 宗教行為と信仰に関わる寄付行為について
> の意図的印象操作はやめなさい。
それって開き直りでしょう、 宗教団体ならウソを根拠に
金員を集めていいなんてあっていいはずがない、
すくなくとも 基金は出資金ですから 私は出資した一人として
批判いたします。
ゲダツクヨウの根拠、 基金を集める名目に。
真性のホンゾンシャリーーー 偽。
ジョウブツ呆を成就したドウシ、 仏陀が説く戒律に殆ど違背
破戒の団体。 そもそもゲイカは僧侶ですらない。
ソンディ理論も 論破されたし、クヨウしたはずの幕末のレイショウ武士なんて
歴史上存在しない。
まず あなたがしなければいけないのはこれらに根拠を添えて反論する
事です。
140 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 20:49:40 ID:M0CQT3UE
公益法人などへの出資は、
寄付行為で返還義務・利益分配・議決権が生じない。
宗教行為と信仰に関わることは
信仰への同意がなされたということです。
樹意は卑屈にもこそこそいってるなら
言ったことに責任をもって
調停なり司法の判断を仰ぎなさい。
宗教法人の会計についても
その内容を確認することについては、
決まった手続きをすれば良いのです。
やってもいない卑怯な樹意
141 :
樹意:2008/12/23(火) 20:59:26 ID:1uWkLm+k
>>140 139 で批判したことの答えになってないな〜
だからさ、 三法偽だった言い訳をしなさいよ。
ほれ ほれ 。
うそついて金集めたことを批判してんの 解る 。
142 :
樹意:2008/12/23(火) 21:11:00 ID:1uWkLm+k
>>140 > 宗教行為と信仰に関わることは
> 信仰への同意がなされたということです。
だからさ、その同意をさせた根拠がウソだったわけだ。
しかも 本尊は本物じゃなきゃダメだとか、
ジョウブツ呆を体得したドウシじゃなきゃだめだとか。
ジョウブツ呆じゃなきゃだめだとか。
そのものさしは あんた方が決めたわけだ、ゲイカと教団がね。
根拠がウソだったわけだし、 阿含経で説かれる戒律には殆どの
イベントが違背だったわけだし、
批判する自由はあるでしょう、 いくらなんでも。
批判を批判する前に きちんと釈明しなさいよ。 三法が本物だというさ。
ほれ ほれ。
143 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 21:15:42 ID:M0CQT3UE
樹意は姑息な言い訳をやはぐらかしいってるなら
責任をもって
調停なり司法の判断を仰ぎなさい。
144 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 21:52:53 ID:tx+uZZ1V
樹意は原理主義。神道仏教は全てウソで認めない樹意
145 :
神も仏も名無しさん:2008/12/23(火) 22:03:42 ID:J/QP9sU0
146 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 00:22:34 ID:DhvZKIYp
●アメリカの経済学者 ラビ・バトラ博士 の予言
(インド出身 サザン・メソジスト大学経済学部教授
国際貿易理論 デリー大学卒)
私の現時点(1978年)におけるこの予測は
『経済60年周期説』に基づくものである。」
「世界同時大恐慌はアメリカ住宅バブル・原油バブルの
2つの投機バブルの崩壊から始まるだろう。
NYダウは 大暴落するだろう。資本主義は花火のように爆発する。
日本と世界は同時に崩壊するだろう。」
「世界は大恐慌による混乱期を経てプラウト主義経済
(均衡貿易、賃金格差の縮小、均衡財政、自国産業保護、
終身雇用、 環境保護、銀行規制など)による
共存共栄の社会へと徐々に移行して行くだろう。
光は極東の日本から。」
http://ameblo.jp/eikananda/entry-10140703595.html
147 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 07:48:42 ID:XmxJChA6
批判側は頭悪いから逆洗脳に変わっただけ
148 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:23:51 ID:nDvg4MH7
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
[457]如来の子孫 08/12/20 17:11 TiBMNgJrRl
岩波仏教辞典には、下記のようにあります。「 」は辞典の記述。
「悟り」の語には、
「悟りは仏教の究極の目的であり、智慧を本質として成立する」
「悟りを求める点では小乗も大乗も共通である」
「煩悩」の項には、
「煩悩を智慧によって断滅し、真実の認識を得ることが大乗仏教の
求める悟りにほかならない」
「煩悩を断ずることが大乗仏教の基本思想であることを示す」
「解脱」の語には、
「煩悩から解放されて自由な心堺となること」
「インド一般の思想では輪廻からの解脱を意味する」
「原始仏教の阿羅漢では五分法身を備えることが必須条件である」
149 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:27:22 ID:nDvg4MH7
>[457]如来の子孫 08/12/20 17:11 TiBMNgJrRl
>岩波仏教辞典には、下記のようにあります。「 」は辞典の記述。
子孫さんがちょうどよい事例を出してくれた。
悟り、解脱とは何かを辞典から引用してくれています。
まず、信者さんたちに、子孫さんの引用の仕方で反面教師にしてほしいのは、
子孫さんは釈迦仏教も大乗仏教もゴチャ混ぜにして引用している点です。
釈迦仏教に近い部派仏教ですら、同じ言葉の意味が微妙に違うことがあります。
子孫さんはしばしば大乗仏教の意味を持ち出すばかりか、[502]では禅宗の話まで出している。
釈迦仏教にも禅定はあるが、禅宗とは中国で作られた仏教です。
釈尊の禅定と禅宗を一緒にするのはあまりに無知です。
実は、こういうゴチャ混ぜ手法は桐山さんが使って見本を示しているだけでなく、
アゴン宗の教義のほとんどがゴチャ混ぜです。
その頂点にあると言ってもいいのが、解脱の内容です。
解脱は仏教の目的なのに、それすらも近代の新興宗教が発明した因縁解脱と
やらをくっつけている。
釈尊の説いた禅定と、中国人が作り上げた禅宗が別物である以上に、
仏教の解脱と因縁解脱はまったく別物です。
150 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:31:00 ID:nDvg4MH7
>[457]如来の子孫 08/12/20 17:11 TiBMNgJrRl
>岩波仏教辞典には、下記のようにあります。「 」は辞典の記述。
子孫さんの解釈はデタラメだが、良い機会ですから、
信者さんたちもしっかりと読んでみてください。
ザでユビキタスさんが[499]で引用してくれているように、仏教の悟りとは、
「煩悩(ぼんのう)の炎を吹き消し,輪廻(りんね)の世界を超脱したというところから,
涅槃(ねはん)や解脱(げだつ)とも同義とされる.」(『岩波仏教辞典』)
つまり、「悟り=解脱=涅槃」です。
解脱や涅槃は、釈尊の作った言葉ではなく、当時の宗教家たちが用いていた言葉を
そのまま使ったにすぎず、切り口や表現が少し違うだけです。
また、釈尊はこういう言葉を猛烈に厳密に使うということはしません。
悟りを得た、解脱した、涅槃に到達した、これらは同じ事です。
ここで、まず信者さんたちに気が付いてほしいのは、どこにも因縁解脱なんてないことです。
だが、桐山さんはなんと書いているか。
151 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:35:36 ID:z9iCMver
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』2頁、2007年
「釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。」
因縁解脱こそが釈尊の説いた解脱や悟りであるとしています。
だが、子孫さんが引用した辞典の意味のどこを開いても、因縁解脱なんて出てきません。
まず信者さんたちにこの事実をよおく認識してほしい。
子孫さんはここしばらく「漏尽解脱だけが解脱ではない」と主張して、
様々な本や辞書を引用している。
彼が証明しなければならないのは、
「漏尽解脱(煩悩解脱)=小解脱、因縁解脱=大解脱」
という桐山説です。
彼が示さなければならないは様々な解脱ではなく、「阿含経にある因縁解脱」です。
だが、ただの一度も、「因縁解脱が解脱だ」という桐山説を
裏付ける資料を示せたことはありません。
様々な○○解脱は示せても、因縁解脱はただの一つもない。
批判側がないと言うだけなら、信者さんたちは信じないかもしれないが、
桐山さんを絶対的に信じている子孫さんが探しても見つからないのです。
因縁解脱の他に、桐山さんが釈迦の成仏法によって可能になったという霊障解脱や
先祖供養もありません。
これらは信者さんたちがアゴン宗で釈迦の成仏法として信仰している内容ですよね。
だが、阿含経にもなく、仏教辞典にもない。
いくらなんでも、おかしくないか。
アゴン宗が最大の売り物にしている因縁解脱や霊障解脱が
阿含経にも、それどころか大乗仏教を含めた仏教に存在しないのです。
152 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:41:01 ID:z9iCMver
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』2頁、2007年
「釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。」
アゴン宗は仏教とは解脱の定義が違う。
「悟り=解脱=涅槃」ですから、悟りや涅槃の定義も違ってきます。
解脱の定義が違ったら、仏教ではありません。
このことを、信者さんたちは目をそらさずに、よくよく見てほしい。
信者さんたちには恐ろしいことであり、認めたくないだろうが、そのとおりなのです。
信者さんたちは「アゴン宗こそが釈尊の教法である阿含経を元にした真の仏教、
完全仏教である」と誇りに思っている。
釈迦の成仏法で世界を救うと信じているから、海外まで行って柴燈護摩を
焚いているのですよね。
私も元信者だから、一時、そのプライドを持ち、「阿含経を現代の日本に蘇らせる!
いや、初めて釈迦仏教が日本に現れたのだ。ゲイカがそれを蘇らせ、
我々は初めて日本に真の仏教をひろめ、世界を救うのだ」
なんて誇り高い気持ちで信じていた。
だが、因縁解脱も死者成仏や霊障解脱も仏教には最初から存在しないのです。
思い出すと、あまりの無知に、今でも恥ずかしさで体中から冷や汗が出てくる。
もっとも、そのおかけで、無知のまま書き込む信者への侮蔑心を抑えることができる。
153 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:46:52 ID:z9iCMver
『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』2頁、2007年
「釈尊がお説きになった仏教は、生きている人間が、生きているまま、
悪業を消滅し、因縁を解脱して、仏陀(ほとけ)になることを目的にしたものです。」
私は信者さんたちに一日も早く、その根本的な間違いに気が付いてほしい。
過去の自分を見ても、ある意味で悲惨な喜劇です。
釈尊の真の教法だと信じ込んで、伝統仏教に侮蔑心すら持ちながら、
実は、仏教とはほど遠い外道を信じて、慢心の上にあぐらをかいていた。
桐山教を信じたい人はいいが、信者さんたちの心にほんの少しでも、
釈尊を信じたい、という気持ちがあるなら、あなたの信仰は百八十度も間違っている。
大乗仏教や伝統仏教よりもアゴン宗のほうがもっと釈迦仏教からは遠い。
アゴン宗は真の仏教どころか、仏教ですらない外道にすぎない。
だが、このように書くと、信者さんたちの中には次のように思う人がいる。
「批判側の理屈や学者たちの説はわかった。そのようなものなのだろう。
だが、所詮、あなた方は凡人であり、悟りを開いたわけではない。
これに対して、桐山ゲイカは理屈よりも前に、修行によって、
悟りを開き、釈迦の成仏法を体得したのだ。
体得したという実体験に基づいて、理論を作っているのだ。
あなた方はどんなに頑張っても凡夫の知恵にすぎないが、
桐山ゲイカは仏陀の智慧という人間をはるかに超えた、
超人的な智慧によって判断されているのだ」
私も桐山さんの間違いに気が付いても、「それは凡夫の知性での
判断であり、桐山ゲイカは高度な智慧で判断しているのだ」と
思い込もうとしたことがあったから、こういう意見を笑うつもりはない。
だが、このように言う信者さんたちにお聞きするが、
あなた方は桐山さんの高い知性を見たことがあるのですか。
154 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:53:28 ID:z9iCMver
>[457]如来の子孫 08/12/20 17:11 TiBMNgJrRl
「悟りは仏教の究極の目的であり、智慧を本質として成立する」
私は信者時代、桐山さんの高度の知性なんて見たことがなかった。
普通の人がやるように、桐山さんが記憶違いや思い違いをするのは見た。
修行者たちが布教活動で問題点を抱えて、先達が定例会でゲイカに助言を頼むと、
ピンボケの指摘と、自慢話で終わったのは見たことがある。
他宗教に論戦で叩き潰された先達がゲイカに助言をお願いすると、
どこがどう間違っていたのかの指摘は何もなく、ただ「議論するな」で
終わったのを見たことがある。
今回の法話での株の話のように、経済関係のアナリストの話を鵜呑みにして
法話で経済予測を出して外れた例は知っている。
だが、桐山さんに普通の人にはないような高い知性など、
批判を抜きにして、私は見たことがない。
また、それを見たという人も知りません。
信者さんたちは桐山さんは高度の知性を持っていると教え込まされ、
ただ「信じているだけ」ではありませんか。
桐山さんが高度の知性を持っている証拠なんて何もありません。
そもそも、解脱の定義を間違える程度の人の知性を高いと思うか。
解脱の定義とは、解脱しなくても普通の人が理解できる内容です。
素人はエベレストには登頂できないが、その山がどこにあり、
登ることがいかに困難かを知識として知ることはできます。
エベレストに登頂したと自慢する人が「エベレストはハワイにあってね、
魚が泳いでいてきれいだった」と言ったら、あなたは信じるか。
登山の意味も理解していない愚か者、ただの法螺吹きです。
解脱の定義を間違えている桐山さんはまさにそうです。
桐山さんを仏陀の智慧を持っているとか、釈迦の成仏法を体得したなどと頭から
信じる前に、普通の知性で彼の言っていることをまず検証してみることです。
155 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 12:59:31 ID:z9iCMver
>[457]如来の子孫 08/12/20 17:11 TiBMNgJrRl
「悟りは仏教の究極の目的であり、智慧を本質として成立する」
子孫さんが引用した文章に、智慧を本質とする、とあります。
智慧というと、信者さんたちは条件反射のように、
仏陀の智慧、つまり桐山ゲイカが持っている成仏力だと信じていませんか。
桐山さんのいう智慧とはおおよそ次のようなものです。
桐山智慧1.仏陀の智慧というようなとてつもない神秘的で高度な知性
桐山智慧2.念力のような神秘力で、これでカルマや煩悩を切る
こんなふうに思いこまされている。
解脱するには、凡夫には理解できないほどの高度な智慧を身につけ(桐山智慧1)、
その智慧の持つ念力のような力でカルマを断ちきるのだと信じている(桐山智慧)。
子孫さんも、「煩悩を智慧によって断滅し、」とわざわざ大乗仏教の説明を引用しているのは、
上記の桐山智慧2の意味が頭にあるからです。
しかし、仏教の智慧にはこのような意味はありません。
156 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 13:10:32 ID:z9iCMver
智慧・智・慧(岩波仏教辞典)
「第1の意味では,無常・苦・無我,縁起,中道などの諸法の道理を
洞察する強靭な認識の力を指し,三学の一つとされた.」
これが釈尊の説いた智慧です。
簡単に言ってしまえば、普通の知性で釈尊の説いた教法を徹底的に理解すること、
これが仏教のいう智慧です。
説明を聞いて「ああ、わかった」と受け流すのではなく、「強靭な認識の力」と
あるように、自分に何度も何度もたたき込んでいく。
なぜ、たたき込むかというと、実践するためです。
たたき込む内容は、釈尊の教法である上記で、簡単に言えば四諦です。
人生は苦であり(無常、無我、不浄など)、苦の元が煩悩であり(縁起)、
苦行などに執着することなく(中道)、八正道を実践することで苦の元の煩悩を
断ち切れば解脱する、という基本を繰り返し思索し、洞察し、認識するのです。
こんなふうに説明されると、「なんだ、そんな程度か」と言う人がいる。
では、私の上記の説明を見ないで、あなた自身の言葉で釈尊の教法を
自分に説明してみてください。
他人の文章や単語を羅列するだけなら誰でもできるが、意味を理解しながら
説明するのは容易ではない。
自分が理解していないと説明もできないからです。
こういう釈尊の教法の思索を来る日も来る日も、一瞬も怠らずに、
繰り返すことで煩悩を断ち切っていくのです。
だから、智慧で煩悩を断ち切って解脱する、というのであって、
神通力や仏陀の智慧というような不思議な智慧で解脱するのではありません。
受験合格が不断の普通の勉強によって成就するのであって、超能力や
運で合格するのではないのと同じです。
また、子孫さんが「智慧→解脱」として「解脱→智慧」に噛みついているが、
解脱したことやその内容を確認するのも智慧ですから、「解脱→智慧」は
間違ってはいません。
157 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 13:22:04 ID:z9iCMver
「第1の意味では,無常・苦・無我,縁起,中道などの諸法の道理を
洞察する強靭な認識の力を指し,三学の一つとされた.」
「無常・苦・無我,縁起,中道」と並べられると、
バラバラのことを学ぶのかと誤解する人がいる。
「無常も無我も同じことで、それは縁起のことです」と言われて意味が分かりましたか?
こういう内容をバラバラに理解していると、子孫さんのように、
解脱がたくさんある、なんて言い出す。
三明などの神通力で解脱するとか、四禅や九段階の「瞑想」で解脱するなんて、
ピンボケな解釈が出てくる。
まずは、釈尊は、煩悩を断ち切るという一つのことしか説いていないと理解することです。
すると、これらの項目や修行法がすべて周囲の取り巻きにすぎないことに気が付く。
三十七道品なんて適当な分類にすぎず、八正道にまとめられ、
さらにそれらは四諦の中に入り、切り口を変えれば三学になり、
それの拡大版が五分法身だと気が付く。
「無常・苦・無我,縁起,中道」は、なぜ煩悩を断ち切る必要があるのか、
その理由を示しているのです。
我々は様々なものに欲望を持ち、執着している。
なぜなら、それらが自分にとって楽しいものだからです。
だが、釈尊はそれらは無常であり、無我であるから、
苦をもたらすにすぎないと説いている。
と、言われて、信者さんたちは納得して、捨てましたか。
納得もせず、理解もしていないはずです。
なぜなら、理解したら護摩木祈願なんて絶対にできない。
158 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 13:28:25 ID:z9iCMver
「第1の意味では,無常・苦・無我,縁起,中道などの諸法の道理を
洞察する強靭な認識の力を指し,三学の一つとされた.」
護摩木祈願なんて、無常や無我だけてなく、中道にすら反することに気が付いていますか。
それを理解できるまで自分で考え続けるのが、仏教でいう智慧です。
釈尊が、こうしろ、ああしろと手取り足取り教えてくれるわけではない。
彼は教師だから、問題の解き方を教えてくれるだけで、
護摩木祈願で百年お願いしても、解いてはくれません。
桐山さんみたいに、頭の中で、クー、フジョー、ムガー、ムジョー
なんて念仏みたいに唱えても、単語の暗記にすぎず、智慧による理解ではありません。
考え続けなければならないから、仏教は智慧の宗教と言われるのです。
それを理解しないから、「煩悩を切るなんてオシエにすぎない」などと、
いくらこちらから説明されも愚かな発言を繰り返す。
桐山さんから、瞑想のポーズをとり、前述の「桐山智慧1、2」のような
摩訶不思議な力によって解脱するというアニメ解脱を植え付けられているから、
釈尊が説いている自らの知性によって教法を理解し、
繰り返し吟味し、現実にあてはめて考え続けるのが仏教の智慧だと
言われても、「そんな簡単なことなはずがない」などと受け入れない。
簡単かどうか、三分でいいからやってみればいいのに、やろうともしない。
かつての私と今の信者さんたちは、目の前にエベレストが見えているのに、
「せめてエベレストのふもとにだけでも行こう」と思って、
まったく逆の方向に歩き始めたようなものです。
我々が頼りにした、登山のエキスパートだと自称するガイドが
実は山など登ったこともない大嘘つきだからです。
そして、信者さんたちは今でもまだ一歩ずつエベレストから遠ざかっている。
護摩木一本、冥徳供養一つで、またエベレストから一歩遠ざかります。
159 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/24(水) 23:55:55 ID:gXVdGqc6
如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給
孤獨園。爾時世尊告諸比丘。過去世時。拘薩
羅國。有諸商人。五百乘車。共行治生。至曠
野中。曠野有五百群賊。在後隨逐。伺便
欲作劫盜。時曠野中。有一天神。止住路
側。時彼天神作是念。當往詣彼拘薩羅國
諸商人所。問其義理。若彼商人喜我所問。
時解説者。我當方便。令其安隱。得脱賊難。
若不喜我所問者。當放捨之。如餘天神。
時彼天神作是念已。即放身光。遍照商人車營。而説偈言
誰於覺睡眠 誰復睡眠覺
誰有解此義 誰能爲我説
160 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/24(水) 23:58:45 ID:gXVdGqc6
爾時商人中。有一優婆塞。信佛信法信比丘
僧。一心向佛法僧。歸依佛法僧。於佛離疑。
於法僧離疑。於苦集滅道離疑。見四聖
諦得第一無間等果。在商人中。與諸商人。
共爲行侶。彼優婆塞於後夜時。端坐思惟。
繋念在前。於十二因縁。逆順觀察。所謂是
事有故是事有。是事起故是事起。謂縁無明
行。縁行識。縁識名色。縁名色六入處。縁六
入處觸。縁觸受。縁受愛。縁愛取。縁取有。
縁有生。縁生老死憂悲惱苦。如是純大苦
聚集。如是無明滅則行滅。行滅則識滅。識滅
則名色滅。名色滅則六入處滅。六入處滅則
觸滅。觸滅則受滅。受滅則愛滅。愛滅則取滅。
取滅則有滅。有滅則生滅。生滅則老死憂悲
161 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 00:06:37 ID:gXVdGqc6
生滅則老死憂悲惱苦滅。
如是如是純大苦聚滅。
時彼優婆塞如是思惟已。
而説偈言
我於覺睡眠 我於睡眠覺
我解知此義 能爲人記説
時彼天神問優婆塞。云何覺睡眠。
云何睡眠覺。云何能解知。
云何能記説。時優婆塞説偈
答言
貪欲及瞋恚 愚癡得離欲
漏盡阿羅漢 正智心解脱
彼則爲覺悟 我於彼睡眠
不知因生苦 及苦因縁集
於此一切苦 得無餘滅盡
又不知正道 等趣息苦處
斯等爲常眠 我於彼則覺
如是覺睡眠 如是睡眠覺
如是善知義 如是能記説
時彼天神復説偈言
善哉覺睡眠 善哉眠中覺
善哉解知義 善哉能記説
久遠乃今見 諸兄弟而來
縁汝恩力故 令諸商人衆
得免於劫賊 隨道安樂去
如是諸比丘彼拘薩羅澤中。
諸商人衆。皆得安隱。
從曠野出。佛説此經已。
諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
162 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 00:12:57 ID:Jk2vcfgs
運命解脱、因縁解脱、大乗も阿含経にあります。
その一例をあげました。
163 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 00:30:48 ID:Jk2vcfgs
四禅から光の身体がつくられていくプロセスの御経(阿含経)があります。
四大と感覚からすべて同じくそなえた身体までがつくられていくのです。
四大〜マニ珠の記述もあります。
アナパナの円輪vattamは、流転する存在の意になり
輪廻転生samsaraと同義とされました。
初期仏典において
地界を想い念じ同調するということが、
流転と同じくするとあります。
円輪相になった地界は、地輪とよばれています。
光の身体の構成要素を地水火風の円輪相として、
禅定の一過程を行う経典の記述は
よく知られているところです。
仏陀の顕現した神通はこの想いによって作業されています。
これもヨガにある行法と同じで
仏教独自のものではありません。
164 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 00:42:04 ID:Jk2vcfgs
阿含経より、
身中便出種種火焔。
青黄赤白中水精色。
下身出火上身出水。
上身出火下身出水。
165 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 00:51:00 ID:Jk2vcfgs
八正道は、
世間と聖のオシエがあります。
苦快二道とは別のオシエであると説法があります
正見(世間)
前世此世来世(輪廻転生の仕組み)
因果応報
仏陀の存在(梵を超えた終焉を切り開きそこに至る道を完成させた存在)
正見(聖)
智慧・智慧の根・智慧の力・択法覚支
釈尊が切り開いた道で、
正定がすべての中心となります。
正定はその他の七つが重なり成立します。
その他の各々には、『正見・正精進・正念』が重なり成立します。
『正見・正精進・正念』
『正見・正精進・正念』
『正見・正精進・正念』
『正見・正精進・正念』
『正見・正精進・正念』
『正見・正精進・正念』
『正見・正精進・正念』
『正見・正精進・正念』
重ね成立させ
梵を超えるのが、
「四神足」です。
166 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 00:54:49 ID:Jk2vcfgs
正定により
正見に重なり成立させている
『正見・正精進・正念』の正見
が聖に入り、
正定とその他の七道と重なる正見とが聖に成ります。
世間の正見正思正語正業正命
↓
聖の正見正思正語正業正命
その世間から聖にはいり、
聖を成立させているのは、
「四神足」です。
167 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 01:26:45 ID:Jk2vcfgs
他従的自己管理・道徳
↓=四神足
智慧・智慧の根・智慧の力・「択法覚支」
168 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 01:39:28 ID:Jk2vcfgs
阿含経での阿羅漢の価値観では、
光の身体の超人的眼智恵の眼による
四大〜への深い同調による観が、
聖正見となって行動しています。
(世間世俗の限定された区切りでの価値観や道徳とはちがいます。)
「身体」
肉体の眼のみ
「光の身体」
超人的眼(肉体の眼と同じ物質領域も含)
智慧の眼
169 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:06:16 ID:Zd/JwbMp
阿含宗と桐山氏について―第三十七章―
[349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
説いてますよ。
例えば、遊行経には、釈迦に食事を提供したバラモンに、
「・・持戒の修行者に供養した者は福徳増し安穏になる。
行くところ危険はない。生においては災難にあわない」
と、説いてますよ。在家者が三宝に供養すると、災難にあわない、
と説いています。比丘達が修行によって災難にあわなくなるのは
当然でしょう。
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
[524]如来の子孫 08/12/23 17:17 TiBMNgJrRl
ユビ元さんは読んでも忘れているだろうから記す。
遊行経で釈迦が毘沙陀耶というバラモンに施食供養を受けた後で、
次のように説いています。
170 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:11:26 ID:Zd/JwbMp
>[524]如来の子孫 08/12/23 17:17 TiBMNgJrRl
>ユビ元さんは読んでも忘れているだろうから記す。
読んでも忘れているのは子孫さんのほうです。
子孫さんがこの件を出したのは、五ヶ月ほど前のザ37の[349]で、
その後、ユビキタスさんが37の[413]以降でちゃんと反論しています。
子孫さんはユビキタスさんの反論はきれいに忘れて、また同じことを書いている。
これは擁護側に非常に多い態度です。
批判側の反論を完全無視して、また同じ主張をただ繰り返す。
人間だから忘れるのは仕方ないが、子孫さんは自分が書いたことは
覚えているのに、ユビキタスさんの反論内容はおろか、
反論されたことすらきれいに忘れている。
せめて同じ経典から主張するなら、ユビキタスさんの反論を
踏まえて書くべきなのに、まるで何事もなかったかのように、
まったく同じ内容を繰り返す。
私も子孫さんの引用した本に基づいて、スレ144の404以降で
丁寧に反論している。
だが、子孫さんはこちらのスレなど読んでもいないのでしょう。
5ヶ月前書いたのをそのままコピペするのは少々気が引けるが、
釈尊が御利益を説いたかどうかはとても重要な点だから、
信者さんたちには再度読んでほしい。
171 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:15:29 ID:Zd/JwbMp
>[349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
説いてますよ。
信者さんたちの多くも、子孫さんと同じような誤解をしている人たちが多い。
釈尊が御利益を説いたという説です。
信者さんたちも護摩木などでお願い事として御利益を願っている。
因縁切りや霊障解脱すらも自分以外の者にお願いして
何かをしてもらうのだから、仏教から見たら御利益です。
釈尊はこういう信仰は説かなかったと批判されたものだから、
子孫さんが阿含経から釈尊が御利益を説いた例を示したのです。
結論からいうと、釈尊はこの経典でも御利益など説いていない。
こんな程度の経典なら他にいくらでもあります。
遊行経は、釈尊が亡くなる数ヶ月前の様子を書いたもので、
『ブッダ最後の旅』(中村元)で平易な日本語で紹介してされています。
ところで、子孫さんが引用した内容は漢訳経典の遊行経にはあるが、
パーリ仏典やサンスクリット本にはありません。
つまり『ブッダ最後の旅』(中村元)には載っていません。
また、漢訳でも『大般涅槃経』(法顕訳)にもありません。
ただし、これをもってこの話が後世の作り話だということにはなりません。
厳密な議論は学者に任せて、遊行経からこの話を検証してみましょう。
子孫さんが読んだのは『現代語訳 阿含経典 長阿含経1』(平河出版社)らしいので、
尊重して、ここから和訳を引用します。
172 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:16:36 ID:Zd/JwbMp
『現代語訳 阿含経典 長阿含経1』(平河出版社、234頁)
もし飲食や 衣服の臥具を 持戒の人に施すならば 大いなる果報を得る
この果報は真の伴侶であり いつも彼につき従う いたところで 影が形に随うようなものである
それゆえに善根を種えるとは 来世の糧である
福徳は根本であり それにより衆生は安穏になる
福徳は天の護りであり 行くところ危険がない
生にあっては災難にあわず 死しては天に上るのである
173 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:19:10 ID:0LgmHSkq
「もし飲食や 衣服の臥具を 持戒の人に施すならば 大いなる果報を得る」
ヴィシャリーを出発した釈尊がある竹林に留まった時、
バラモンが釈尊の説法を聞いて感動し、食事に招待した。
上記は食事の後の説法です。
この説法を聞いて、信者さんたちは何か特別なことを説いたように読めますか。
良い行いをすれば良い報いがあるという因果応報を説いたにすぎない。
因果応報は釈尊時代のウパニシャッドなどで説かれていた思想で、
釈尊はそれを「部分的」に採用した。
良い行いをすれば、相手が凡人であれ、修行者であれ、良い果報がある。
仏教だけが説いたものではありません。
釈尊が説いたのは、良い行いの中でも清浄な行をする比丘たちに
供養することは最も良い行いだから、大きな果報があると説いたのです。
良い行いにも大小があり、その中でも比丘に供養することは
最大級によい行いだと言ったにすぎない。
これは釈尊の説いた仏教の教説というよりも、
当時のウパニシャッドなどの宗教一般で受け入れられていた因果応報や
善因善果の話をしているにすぎません。
因果応報を釈尊は部分的には取り入れたが、釈尊が説いた修行としての
教法の一部ではあっても、そのものではありません。
174 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:24:51 ID:0LgmHSkq
「もし飲食や 衣服の臥具を 持戒の人に施すならば 大いなる果報を得る」
信者さんたちが誤解しやすいのは二点あります。
一つは、如来に供養すると(因縁)解脱できると信じている点です。
供養と解脱とはまったく関係ありません。
釈尊は善業による善果を得ることを宗教の目的として説いたのではありません。
アゴン宗では、三福道と称して、釈尊が善業による功徳で解脱すると
説いたかのように言っている。
だが、釈尊は教法としては説いていません。
在家に対してさえも、供養などによって解脱が得られるとは説いていない。
釈尊が説いたのは、相手が在家でも出家でも、自分で煩悩を断ち切ることです。
供養することの善業の報いとしては、煩悩解脱すら説いていません。
信者さんたちはこの点を桐山さんから三福道によって
嘘を教えられているから、十分に気をつけたほうがいい。
繰り返すが、釈尊は、供養の見返りに解脱するとは説いていません。
引用した経典のどこにも、供養によって解脱するなどとは説いていない。
信者さんたちは三福道を植え付けられているから、釈尊がこういう因果応報を
説くと、供養によって解脱できると説いたかのような錯覚してしまうのです。
175 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:28:14 ID:0LgmHSkq
「もし飲食や 衣服の臥具を 持戒の人に施すならば 大いなる果報を得る」
似たような経典の例として前にも出したのが、大金持ちなのに、
けちくさい生活をして、まるで貧乏人のように死んだ男の話です。
王様がこの男が死んだ後、釈尊に質問した。
釈尊は、「男が前世で、清浄な修行者に供養した果報によって、
今世で大金になって生まれたが、比丘に供養するときに
惜しいという気持ちを持ったために、その煩悩から大金持ちを享受することができなかった。
しかも、彼は今回の人生で人に施しをしなかった。
彼の前世の供養による果報は尽きたから、後は苦しい境涯に生まれる」と説明しています。
ご覧のように、比丘に供養することと解脱とはまったく関係がない。
供養そのものは善業であるにすぎず、煩悩解脱も因縁解脱とも関係ないのです。
彼は前世で比丘に供養しても、今世に釈尊と同時代に生まれながら、
仏縁一つできなかった。
相手が如来であれ、凡人であれ、良い行いをすればそれは来世の果報になるが、
それは解脱とは関係ないのです。
三福道なんて絶対に成り立たないことはこの事例一つを見れば十分です。
176 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:36:58 ID:0LgmHSkq
「もし飲食や 衣服の臥具を 持戒の人に施すならば 大いなる果報を得る」
信者さんたちの間違いの二つ目は、
善業による善果は釈尊が授けてくれると誤解している点です。
良い報いを授けるのは釈尊ではありません。
信者さんたちは、如来に供養すると如来が功徳を授けてくれると教え込まれている。
だが、釈尊にいくら供養しても何もくれません。
この経典での釈尊の言葉をよく読んでみてください。
供養したバラモンに
「福徳は天の護りであり 行くところ危険がない
生にあっては災難にあわず 死しては天に上るのである」
という果報を釈尊が授けると説いているのではありません。
釈尊が功徳や果報を授けるのではなく、この世界の仕組みがそのようになっているだけです。
天に唾を吐いたら自分の顔に落ちるのは、神様が罰を下したのではなく、
それがこの世界の仕組みだからです。
釈尊のいう供養による果報とはこの世界の法則を述べたにすぎない。
比丘に供養することは善行の中でも最高の善行だから、
最大級の果報が得られると説いたのです。
だから、釈尊は比丘にだけでなく、持てる者が持たない者に施すことも説いている。
アゴン宗みたいに、いったん教団に寄付しろと説いているのではありません。
直接、飢えている人たちに施しをするように説いている。
こういう点も桐山さんの話は嘘です。
「釈尊に何を差し出そうが、功徳を含めて、何もくれない」
という大原則を覚えておくことです。
177 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:42:29 ID:0LgmHSkq
「もし飲食や 衣服の臥具を 持戒の人に施すならば 大いなる果報を得る」
「如来に供養すればやっぱり果報があるんだ」と信者さんたちは喜んだかもしれない。
だが、喜ぶ前にもう少し丁寧に意味を取ったほうがいい。
釈尊が大きな果報があると説いているのは、
「持戒の人に施すならば」
という条件付きです。
持戒の人とは、釈尊などの仏教の比丘を指します。
信者さんたちに気が付いてほしいのは、持戒ですから、戒律を持つ者、
戒律を守る者という意味です。
釈尊たちが持戒の人たちであること、戒律をいかに重視していたか
これを見てもわかります。
逆に言うなら、戒律を軽視しているような人のことを持戒の人とは呼ばない。
桐山ゲイカは持戒の人ではなく、破戒の人です。
釈尊は持戒の比丘に飲食などを提供することが、大きな果報となると説いている。
だから、信者さんたちも果報が欲しければ、戒律をきちんと
守っている出家に供養しなければ意味がないのです。
また生きている持戒の人に供養してこそ意味があるが、骨に飲食を供養しても意味はない。
アゴン宗でいくら骨仏に金や物を提供しても、 桐山さんとその一派には
持戒の人などいないから、 この釈尊の述べている条件には合わないのです。
だから、信者さんたちには、釈尊の説いている果報を受けることはできません。
178 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:47:30 ID:0LgmHSkq
「それゆえに善根を種えるとは 来世の糧である 」
もう一つ、信者さんたちに気が付いてほしいことがあります。
それは上記の「来世の糧である」という文章です。
信者さんたちは、供養すると、今の自分の因縁がキレテ、
運が良くなることを望んでいる。
だが、釈尊は来世に果報があると説いているのです。
だから、たまたま持戒の比丘を見つけることができて、
彼に衣食を供養し、うまく受け取ってくれたとしても、
その果報が来るのはもっぱら来世なのです。
今の人生がラッキーになるのではありません。
179 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 12:50:41 ID:0LgmHSkq
>[349]如来の子孫 08/07/03 13:15 LGksRgot8d
>ちゃんと、布施供養のご利益も説いてるし、因縁解脱の内容も
>説いてますよ。
「福徳は天の護りであり 行くところ危険がない
生にあっては災難にあわず 死しては天に上るのである」
子孫さんの言っている因縁解脱とは、どうなら上記の文章のことらしい。
しかし、まるっきりピント外れです。
上記のどこにも「横変死の因縁を切って、災難に遭わない」なんてありません。
彼は善因善果を因縁解脱だと解釈したのです。
過去の悪業の結果である横変死の因縁を切りますよ、と説いているのではなく、
良い行いの果報を来世で得ると説いているだけです。
過去に為したことの報いを消すなど釈尊でもできない。
釈尊は因縁解脱など説いていません。
子孫さんの国語力のなさから来た勝手な解釈です。
180 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 13:04:53 ID:0LgmHSkq
「福徳は天の護りであり 行くところ危険がない
生にあっては災難にあわず 死しては天に上るのである」
バラモンは竹林に来た釈尊の話を聞き、尊重して、供養した。
だが、彼がしたのはそこまでです。
説法を聞いても、それを尊重しただけで、出家はもちろん、
在家としてさえも帰依しなかった。
おそらくこのバラモンは仏教以外の出家にも供養しており、
釈尊はその一人にすぎなかったのでしょう。
バラモンは目の前に解脱へのチャンスがあるにもかかわらず、
つかもうとしなかった。
何か今の信者さんたちと似ています。
釈尊の教法は阿含経にあることを知っているのに、
それをオシエにすぎないと小馬鹿にして、読もうともせず、
供養すると見返りに解脱できるなどというタワケを信じて、
本物の如来に供養したつもりで、破戒の者の差し出す骨仏に貢いでいる。
バラモンも釈尊を尊重したが、その教法に価値を置かなかった。
信者さんたちも釈尊にぬかずき、敬い、拝んでいるのに、
その教法を小解脱として価値を置いていない。
そして、逆に禁止された護摩をイスラエルで焚いた。
ただ大きな違いは、バラモンは如来に供養したから、
少なくとも来世は大きな果報を得られるが、
信者さんたちが供養している相手は持戒の人ではなく、
欲にかられた老人にすぎないから、良い果報は何もありません。
むしろ、信者さんたちも私も、釈尊の名を使い、因縁解脱などという嘘の
教法を世間に広める手伝いをした悪業の報いだけはしっかりと返ってきます。
過去の悪業とその報いは変わらないが、悪業を今から減らすことはできる。
間違いだと気が付いたら、間違っていることはすぐにやめて、
それ以上の悪業を為さないことです。(四正断)
181 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 16:23:25 ID:CpC3/faQ
う〜む、卓見です!!!
洗脳信者は襟を正して心読すべきですね。
もう欲惚けの詐欺師マスオ爺さんや側近たちは引き返す事が出来ずに行き先は
地獄必定なのですが、信者さんたちは今ならまだやり直せるのですから四正断を実践すべきですね。
【落武者実態レポート】
★話をすり替えるのが大好き!!
(学者の言葉を別の根拠にすり替える)
>332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
↓
>>53 :神も仏も名無しさん
このように七氏さんは自身満々に言い放った。
だが私から文献上の根拠を要求され、何も出せなかった。
こうしていつものハッタリであることがバレてしまった。
彼が根拠を出せなかったのは当然だった。
この文章には解脱の意味はないからです。
↓
>>77 :神も仏も名無しさん
>>53 :神も仏も名無しさん
>こうしていつものハッタリであることがバレてしまった。
>彼が根拠を出せなかったのは当然だった。
>と、あなたが繰り返し言っているだけで、
>私は中村博士の文章の根拠を示したばかりか、あなたまで
>中村博士の文章から根拠を示してくれた。
↓
↓
これは話のすり替えですね。
博士が言っている「さとった結果、過去世を透視した」
という言葉の意味は
『「このように四神足が修練され豊にされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、
もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た・・・・・・」
という文句が、釈尊がさとりを開いた後の心境を叙する部分に述べられている』
(ゴータマ・ブッダT 410頁)
ということです。
つまり、過去世を見通した話がそのまま丸ごと、さとりの後に書かれている、
という意味です。
(この「さとりを開いた後の心境を叙する部分」とは何か、本には書いてありません)。
このように博士の言葉と「心が統一され・・・」は最初から関連が無いのです。
そして「心が統一され・・・」には解脱の意味は無かった。
その証拠にあなたは何一つ文献での根拠を出せなかった。
そこであなたは博士の文章が「解脱→三明」だから
「心が統一され・・・」も解脱の意味である、
というように話をすり替えたのです。
何という悪賢さだろう。
流石に私がペテン氏だと見込んだだけのことはあります。
今回も立派にそれを証明してくれました。
拍手します。
>>55 :神も仏も名無しさん
>私が必死になって探したのではなく、
>ペテン大作さんが中村博士の説明を逆の意味にとって、
>実際は、私の説を支持してくれていたのです。
本来ならばあなたがやるべき裏付け作業を
私が代わりにしてあげたのです。
そういう意味で感謝してください。
しかしそれはあなたの説を支持するものではない。
あなたの引用した言葉の実状がどういうものか、
読者にはよく伝わったと思います。
>>78 :神も仏も名無しさん
>ごらんのように、中村博士は「解脱→三明」と言っているのです。
>解脱してから三明という神通力で、自分と他人が煩悩によって
>繰り返し輪廻している様子と、今の自分が煩悩を断ち切ったことによって、
>その輪廻から完全に脱出したことを確認したのです。
>過去世を透視すると煩悩が切れるなんておかしな話はない。
>その前に煩悩を切ったとみれば、三明は内容的にも矛盾しない。
解脱した後に過去世を見る方がもっとおかしな話です。
解脱後に過去世を見て何の意味があるのか。
解脱したことを確認するために過去世を見るのか。
それとも解脱した感慨に耽るために過去世を見るのか。
仏典にそんな無駄なことが説かれていると考えるより
過去世を見ることが解脱に関与していると考えた方が自然です。
あなたは博士が言った「さとった結果、過去を見通した」
という言葉を「解脱→三明」の根拠にしたがっているだけです。
だが神通力は第四禅の状態から生じることは学者が証明している。
「神通力が描写されるのは第四禅の状態」(ベック)
「神通的な智慧が得られるのは第四禅」(水野教授)
そしてこの第四禅の後はあなたの大好きな「第四禅→入滅」、
すなわち解脱が待っているのです。
神通力は解脱前であることは明らかです。
「解脱→三明」などあり得ないのです。
>>80 :神も仏も名無しさん
>釈迦仏教を議論するなら、阿含経以外には拠るべき経典などない。
それは間違いです。
学者たちの意見を紹介しましょう。
長尾雅人博士はこう語っています。
『原始仏典にしても、ウパニシャッドなどが前提となっていて、
ある意味ではそのリアクション、その影響のもとにできあがってきています。
仏教の位置づけのためにも、バラモン教典を勉強することは非常に重要であるし、
それによって仏教のほんとうの姿もわかってくると思いますね。』
(『世界の名著T』付録 8頁)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ベックは沙門果経86節の意所成身についてこう書いています。
『これらの具体的な実例を示したのは、ただふつうな意味での比較ではなくして、
霊体が肉体から分離する超感覚的な意味での過程に伴う一定の想念を描いたものなのである。
これらの形象はヨーガの技術として見て興味深いものであるが、
これらは仏陀によって考案されたものではなくて、もっと古い起源のものであろう。
葉鞘からムンジャ草を引き離すという形象は、すでに「カータカ・ウパニシャッド」(2・3・17)
の終わりのところに見出される(なおこのウパニシャッドは多くの点で仏教と似ている)。
こういう点で仏教が全く“ヨーガの領域”で活動していることは改めて言うまでもない。』
(『仏教(下)』 84頁)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中村博士の場合はこうです。
『今後仏教を研究するためにはジャイナ経聖典を研究することは不可欠である。
それによって仏教と他の宗教との異同がはっきりして、仏教の本質が判明するからである。
そうでないと、仏教に特有でないものを仏教の本質だと誤認する恐れがあるからである。
(『中村元選集10巻 「思想の自由とジャイナ教」』 870頁)
↓
以上をまとめるとこうなります。
原始仏典はウパニシャッドなどが前提となって、その影響のもとにできあがっている。
仏教のほんとうの姿を知るにはバラモン経典を勉強する必要がある。
仏教は全く“ヨーガの領域”で活動している。
仏教の本質を理解するにはジャイナ経聖典を研究することは不可欠である。
>>80 :神も仏も名無しさん
>『ヨーガ・スートラ』とは仏教経典ですらなく、成立もずっと後の資料です。
>これを持ち出して、仏教の解脱について議論して、いったい何の役に立つのだ?
>仏教とは全然別な宗教です。
違うんだな、これが。
『ヨーガ・スートラ』 とは何か。
『ヨーガの教科書のうちでもっとも有名でかつ重要なものは、
パタンジャリの著わした『ヨーガ・スートラ』である。
この書物は以前には西暦紀元前二世紀と推定されていたが、
ヤコービの新しい研究によると、ずっとくだって紀元後の作ということになった。
この『ヨーガ・スートラ』で用いられている術語が仏教の用語と一致することは、
すでにスナ―ルが指摘したところである。
それは仏教をよく知っているものがこの経典を読めばすぐにわかることである。
年代的に言えば、『ヨーガ・スートラ』の著者が仏教から智慧を借りたと推定できそうであるが、
おそらくそうではあるまい。
なぜかというと、すでに注意しておいたように(本書上巻148頁)、自分の教理を外面的ないし
概念的な言葉で言いあらわす術語的表現という点で、仏陀はあまり創意をこらさなかったようである。
そのうえ、いま問題にしている用語は他の文献、とくに『マハーバーラタ』にも見られる。
したがって、次のように推定したらよいであろう。
すなわち、現存する『ヨーガ・スートラ』は後世の作であるとしても、そこに用いられている素材は、
インドの文献によくあるように、はるかに古いものであった。
かつまた、仏陀も、『ヨーガ・スートラ』の著者も、同じように似かよった資料からその術語を採用した。
このことは、上にも説明したように、
仏教とヨーガとの間に内面的な関係があることから見ても、明らかである。』
(『仏教(下)』 17頁)
↓
以上をまとめるとこうなります。
『ヨーガ・スートラ』の術語は仏教の用語と一致する。
仏陀も、『ヨーガ・スートラ』の著者も、同じように似かよった資料からその術語を採用した。
このように 『ヨーガ・スートラ』 は仏教の理解に大いに役立つのです。
さてそれを頭に入れて『ヨーガ・スートラ』をもう一度見てみると
ヨーガ根本経典(ヨーガ・スートラ)
第一章 三昧
(一) これから「ヨーガの解説」(が述べられる)。ヨーガは三昧であり、心の状態を指す。
(三三) 心の清澄とは、心が専念状態になって、安定した状態をいう。
(三四) あるいは、呼吸の吐出と保持とによって(心の安定が得られる)。
(三五) あるいは、対象を伴った(感覚器官の異常な)はたらきが生ずるとき、
(それは)心の不動の原因となる。
(三六) あるいは、憂いを離れ、光輝ある(はたらきが生ずるとき心の安定が得られる)。
(三七) あるいは、愛欲を離れた(聖者たちの)心を(凝念の)対象とする
(ヨーガ行者の)心(は、安定を得ることができる)。
(三八) あるいは、夢や睡眠における知を(凝念の)対象とする(心も、安定に達することができる)
(三九) あるいは、何でも望むものを瞑想することからも(心の安定が得られる)。
(四〇) 彼(ヨーガ行者)の支配力は、極微のものから極大のものに及ぶ(心の安定を保持している)。
(『世界の名著1 バラモン経典・原始仏典』 211〜216頁、中央公論社)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↓
(一)には、ヨーガは三昧であり、心の状態を指す、とあります。
「心の清澄」、「心が専念状態」、「心の安定」、「心の不動」、「憂いを離れ」
といった言葉が使われていますが
これらは皆、修行者の「心の状態」を指していることになります。
『ヨーガ・スートラ』の術語は仏教の用語と一致します。
ということは
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
(ゴータマ・ブッダT 412頁)
という文章も比丘の心の状態を指していることは一目瞭然です。
解脱するという意味はありません。
今度はジャイナ教聖典を見てみます。
ジャイナ教とは
『ジャイナ教は、仏教と同じ時代にほぼ同じ地方(東北インド)で
同じ階級(王族)の出身によって創められ、
同様な社会的地盤において生育し、相似た発展過程をたどり、
時代ごとに同様な変化を示している。
教理も似ているし、同じような術語を用い、神話伝説にも共通なものが少なくない。
開祖の生涯・伝記も類似している。
(『中村元選集10巻 「思想の自由とジャイナ教」』 171頁)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↓
ジャイナ教は、仏教と同じような術語を用いている。
そのジャイナ教の聖典に書かれた禅定の記述です。
(七)禅定
修行のうちではとくに精神統一、禅定を重んじたらしい。
マハ―ヴィーラ自身も修行を始めてのち、第十三年の夏の第二月に、深い禅定に入っているとき、
特別に清らかな禅定に入って、そこでさとりを開いたという。
聖典によると、修行者は心を統一し、真理のことばを念じ、念相によって心を清め、
心をしずめるべきであるとされる。
心を一つの対象に向けて統一することによって心の支配を得る、とも説かれているから、
後代の『ヨーガ・スートラ』における定義を思わせるような説明がすでになされているのである。
(『中村元選集10巻 「思想の自由とジャイナ教」』 736、737頁)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↓
ここにも禅定における修行者の心を指す言葉として
「心を統一」、「心を清め」といった言葉が使われています。
仏教はジャイナ教と同じような術語を使っているので
仏典の「心が統一され・・・」もジャイナ教と同じく
修行者の心を指していることがわかります。
解脱の意味はありません。
>>191訂正
ここにも禅定における修行者の心を指す言葉として
↓
ここにも禅定における修行者の心の状態を指す言葉として
修行者の心を指していることがわかります。
↓
修行者の心の状態を指していることがわかります。
>>81 :神も仏も名無しさん
>釈尊が解脱した時、どこで意生身を作り出したのですか。
>学者たちの説では、四禅三明は解脱の内容として説明されるが、
>意生身を作り出したなんて説明はありません。
はい??
釈尊が解脱した時、意生身を作り出したと誰が言ったのですか?
そんなことを言った人の顔が見てみたい。
意生身とは神通・神変を実現する道具です。
解脱の内容として説明されるわけがなかろう。
これを見ればわかります。
↓
『長部経典』の瞑想の章では、物質的な肉体から“完全な感覚器官を具えた”
霊気的ないし霊的な身体を引き出すということが述べてあった。
そこで瞑想者はこれを道具に用いて超感覚的な完成、
つまり一層高度な精神力の諸奇跡〔神通、神変〕を実現することができる。
このことは、『長部経典』瞑想の章(沙門果経八七節以下)その他、
仏典のいたるところで叙述されている。』
(仏教(下)86頁)
>>81 :神も仏も名無しさん
>第四禅が解脱前なら、入滅した時の釈尊はまだ解脱前だったのですね。
はい??
入滅とは涅槃に入ることで解脱です。
それが解脱前とはどういう意味ですか?
>釈尊は初禅から第9段階まで行き、そこから初禅に戻り、第四禅で入滅した。
>釈尊は初禅から入ったのだから、あなたの説によれば、
>解脱前だということになる。
>ペテン大作さんの説によれば、釈尊は解脱していなかったらしい。
はい??
釈尊は初禅から入ったのだから解脱前だ、とはどういうことですか?
「初禅→第9段階→初禅→第四禅→入滅」
これでいいと思いますが。
>ユビキタスさんがこの件を指摘したのは
>>57で二度目です。
>だが、ペテン大作さんは完全無視して同じ説をただ吠える。
無視したのではなくて何を言っているのかさっぱりわからない。
だから飛ばしたのです。
彼の難解な文章に付き合っているほど暇ではありませんので。
>>82 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:06:33 ID:cyU9PWVC
>だが、あなたが引用した沙門果経もベックの解説も、
>意生身とは神通力の一つであって、いわゆる霊魂などではありません。
だからその「いわゆる霊魂」とは何のことか、という話です。
それは生前の記憶や人格をすべて持った存在なのか。
それとも部分的に持っているのか。
あるいは怪談に出てくるふわふわした人魂を指すのか。
あなたは霊魂を全く定義できずに“霊魂”と言っているのです。
だから最初から話にならないのです。
違いますか?
ならばここではっきり定義してください。
あなたの言う霊魂とは何ですか?
>あれは一年前くらいでしたか、いつも自爆ネタのお笑いをありがとうございます。
そいう言われると恐縮です。
あなたこそ毎回毎回、自爆していただいて有難うございます。
83 :神も仏も名無しさん
>何度説明されても、まだ同じ事を執念深く書いている。
>あなたのいう「沙門果経意生身=(≒)身命経意生身」て、なんですか、これ?
>これはあなたが勝手に作った前提です。
>私の批判に、こんな前提は必要としない。
>沙門果経の意生身が釈尊の説く意生身なら、桐山意生身が霊魂であることには
>ならないと言っているのです。
前提を必要としないのではなくて
あなたの主張から必然的に前提が導かれるのです。
わかりやすい例を挙げます。
「地球は恒星ではないから土星も恒星ではない。」
これは地球と土星は惑星としては同じだというのが前提です。
これと同じ論理です。
「沙門果経の意生身が釈尊の説く意生身なら、桐山意生身が霊魂であることにはならない。」
というのは以前あなたが言った
「沙門果経意生身は霊魂ではないから身命経意生身も霊魂ではない。」(スレ131−>310)
と同じ意味ですよね。
これは沙門果経意生身と身命経意生身は意生身としては同じだというのが前提です。
それを=もしくは≒で表現したのです。
ところがあなたは後になって
沙門果経意生身≠身命経意生身だと言い出した。(スレ133−>478)
だから自爆したと言ったのです。
この話を何度も書かせていただき感謝します。
84 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:15:10 ID:cyU9PWVC
>>56 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:24:47 ID:9be/v++M
>博士は、十二因縁については、さとりの後に説かれたものであることを断言していますが
>それは裏づける資料が豊富だからです。
>それに対してさとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない。
>どうしてあなたはいつもそうやって他人の文章を斜め読みして一知半解なのだ?
>釈尊の解脱の時の描写には、十二縁起も四禅三明も同じ程度に載っています。
>だから、学者の多くはこれらを羅列するに留めていることは、
>菅沼先生の解説まで引用して示したとおりです。
>あなたはこうやって、毎度他人の話を自分に都合良くねじ曲げるから悪質です。
そうやって話をすり替えるのはやめなさい。
私がいつ四禅三明のことを言いましたか?
私が極めて資料が少ないと言ったのは
「さとりの後に過去を透視した話」のことです。
この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁)
それにくらべれば十二縁起の引用は多い。
だから博士は
「十二支縁起説はかなり遅い時期になって
さとりを説く場所に挿入されたにちがいない」(400頁)
「散文の部分の十二因縁の説は、さとりのときに
釈尊の説いたものではないことがはっきりと断言できる」(401頁)
と書いたのです。
私の書いた
>博士は、十二因縁については、さとりの後に説かれたものであることを断言していますが
は間違っていません。
一体、これのどこが捻じ曲げだというのか?
あなたは「さとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない。」
と書かれたことについカッとなって咄嗟に話をすり替えたのです。
すり替えはあなたの得意技でしたね。
今回もお粗末な技を披露してくれました。
>>85 :神も仏も名無しさん
>はい、何度も申し上げるとおり、そのとおりです。
>あなたがどんな屁理屈つけようが、ご託を並べようが、
>釈尊は第四禅から入滅した。
【落武者実態レポート】
★情報操作が大好き!!
(最初から第四禅で入滅したかのように書いた)
>413 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 21:10:18 ID:em5icHRM
>沙門果経で神通力を発揮している比丘は第四静慮の状態だということです。
>だから当然、解脱はしていません。
↓
>419 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 23:22:12 ID:XUx9Dp19
>413 :神も仏も名無しさん:2008/12/15(月) 21:10:18 ID:em5icHRM
>だが、第四禅で釈尊は入滅したのです。
>第四禅で入滅したのなら、三明は解脱にはいらないことになる。
釈尊は第四禅で入滅する前に滅尽定まで経験していた。
七氏さんはそれを十分過ぎるくらい知っていたのだが
「三明は解脱にはいらない」ことを言いたいために
最初から第四禅で入滅したかのように書いて
滅尽定まで経験していたことを隠したのです。
これは「解脱→三明」 を有利に見せようとする情報操作です。
199 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/25(木) 23:32:46 ID:HMYAZ1av
如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀
竹園。時有婆蹉種出家。來詣佛所合掌問訊。
問訊已退坐一面。白佛言。瞿曇。欲有所問。
寧有閑暇見答以不。佛告婆蹉種出家。
隨汝所問。當爲汝説。婆蹉種出家白佛言。
云何瞿曇。命即身耶。佛告婆蹉種出家。
命即身者。此是無記。云何瞿曇。爲命異身異耶。
佛告婆蹉種出家。命異身異者。此亦無記。
婆蹉種出家白佛。云何瞿曇。命即身耶。
答言無記。命異身異。答言無記。
沙門瞿曇有何等奇。弟子命終即記説言。
某生彼處某生彼處。彼諸弟子於此命終捨身。
即乘意生身。
生於餘處。當於爾時。非爲命異身異也。
佛告婆蹉。此説有餘。不説無餘。婆蹉白佛。
瞿曇。云何説有餘不説無餘。佛告婆蹉。
譬如火有餘得然非無餘。婆蹉白佛。我
見火無餘亦然。佛告婆蹉。
云何見火無餘亦然。婆蹉白佛。譬如大聚熾火疾風來吹。
火飛空中。豈非無餘火耶。佛告婆蹉。風吹
飛火即是有餘。非無餘也。婆蹉白佛。
瞿曇。空中飛火。云何名有餘。佛告婆蹉。
空中飛火依風故住。依風故然。以依風故。
故説有餘。婆蹉白佛。衆生於此命終。
乘意生身往生餘處。云何有餘。佛告婆蹉。
衆生於此處命終。乘意生身生於餘處。當於爾時。
因愛故取。因愛而住故説有餘。婆蹉白佛。
衆生以愛樂有餘染著有餘。唯有世尊得彼無餘成等正覺。
沙門瞿曇。世間多縁請辭還去。
佛告婆蹉。宜知是時。婆蹉出家聞佛所説。
歡喜隨喜。從坐起而去
>>88 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 19:33:45 ID:cyU9PWVC
>そこで、三明によってカルマを断ちきったのかどうか、
>三明はカルマ解脱の前か後か、あなたと議論してきたのです。
>こんな初歩的な議論の前提すらもあなたの頭から脱落しているのですね。
議論の前提が脱落しているのはあなたですよ。
私が水野教授の
>280 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 16:08:39 ID:yKGjiSFp
>釈尊も菩提樹下で三明を得ることによって、さとりを得て仏陀となったとせられている
という文章を出したとき、あなたは
>294 :神も仏も名無しさん:2008/12/13(土) 19:11:07 ID:BjNrG6dO
>「三明」→「さとり」などではなく、三明も含めて普通は解脱というのです。
と言った。しかし同時に
>今議論しているのは、どの段階で煩悩を断ちきったのかという厳密な区切りです。
とも言った。
だが厳密な区切りを重視するのなら三明を得て解脱したことを
解脱の一連の動作に含めるのはおかしいのです。
つまりあなたの言うことには矛盾がある。
あなたは三明を得て解脱したという水野教授の説明に対しては
三明を解脱の一連の動作に含め、その一方で
どこで煩悩を切ったのか厳密な区切りが必要だと言っているのです。
自分の態度が矛盾していることに気づかないのか?
私は厳密な区切りを付けるのには大賛成です。
水野博士は「三明を得ることによってさとりを得た」と書いているから
「三明→解脱」です。
以下の書き込みは全部嘘です。
これほど嘘を書き続けた例も珍しい。
まず、読者に対して嘘を書いたことを謝罪する必要があります。
↓
332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>>305 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:07:50 ID:4ff+gO9z
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
115 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:54:17 ID:s8pu1w+h
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」
『原始仏典 6』(春秋社、189頁)
釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱したと宣言しているのです。
205 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:21:11 ID:574E+w79
こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。
234 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:34:25 ID:pKE3Cyk3
「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」です。(
>>205)
安定、清浄、純潔、汚れないとは、心が煩悩から離れている状態、つまり解脱です。
237 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:47:03 ID:pKE3Cyk3
沙門果経の「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」を
あなたは煩悩から離れた解脱であるとみなしていない点です。
これらは煩悩から離れた状態だと>205で説明したのです。
煩悩から離れたとは、解脱したという意味です。
239 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:56:02 ID:pKE3Cyk3
「小さな煩悩も離れ」とは、「小さい煩悩は言うに及ばず、すべての煩悩を離れた」
という意味です。
だから、この段階ですでに解脱している。
240 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:02:50 ID:pKE3Cyk3
清浄、純潔とは、煩悩から完全に離れた状態、つまり解脱をさす。
282 :ラシン:2008/11/26(水) 12:12:24 ID:y9LFGnyE
心の安定、清浄で純潔、汚れなく、これらはすべて解脱を得たからこその境地、
との七氏さんの解説に納得出来るものです。
317 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/27(木) 08:48:41 ID:9KY5a8B+
しかしこれを以て、宿住宿命の明知を得る以前まで貪りや怒り、執着などの煩悩の
解脱ができていなかったということにはならない。
それは解脱できていたのです。心の汚れがなくなっていたという記述でわかります。
324 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:55:38 ID:YDAYFU3L
沙門果経の場合も、「小さな煩悩も離れ」とは、
すべての煩悩を残りなく離れたという意味だと書いた。
>278さんがもっとも簡潔にわかりやすいたとえで説明している。
沙門果経の記述は誰が読んでも、三明の前にすでに煩悩を断ち切っていると
釈尊は表明しているのです。
604 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:08:49 ID:6vqPNoyl
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、
汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
という経典の文章の意味が、解脱でないという学者がいるなら出してみなさい。
と私から言われて、あなたは出せたのか。
↓
88 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:22:56 ID:qzg9f1IX
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」 (菩提王子経)
『原始仏典 6』(春秋社、189頁)
この描写ではすでに、「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」とある。
これらは全部同じことで、煩悩がない、つまり解脱したという意味です。
89 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:32:59 ID:Y9QwwZmh
「(83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。 」
(『世界の名著1 バラモン教典、原始仏典』 531頁)
ペテン大作さんが反論としてあげたのか、上記の沙門果経です。
先にあげた菩提王子経と描写がほとんど同じです。
内容も、「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」
とは、煩悩が消滅し、解脱したことを意味します。
91 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:42:36 ID:Y9QwwZmh
「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」(菩提王子経)
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」(沙門果経)
の記述が解脱を表すからこそ、その後に三明が出てくるのです。
157 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 23:06:53 ID:TPwl2TU+
それならば、「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動」 が、解脱を表すのは当たり前です。
204 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:53:39 ID:0LgmHSkq
>>185 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 22:08:02 ID:IgFzv94j
>そしてこの第四禅の後はあなたの大好きな「第四禅→入滅」、
>すなわち解脱が待っているのです。
>神通力は解脱前であることは明らかです。
あなたの上記の屁理屈を並べる前に、ユビキタスさんの
>>57や
私の
>>81で、質問されたことにきちんと答えてみたらどうか。
あなたの理屈から言うと、第四禅から入った釈尊はまだ解脱していないことになる。
釈尊は初禅から入ったのだから、解脱していなかったのですね?
私やユビキタスさんに何度も指摘されても、まだ自分の書いていることの
矛盾がわからないのですね。
205 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:55:05 ID:0LgmHSkq
>>194 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:06:34 ID:IgFzv94j
>入滅とは涅槃に入ることで解脱です。
>それが解脱前とはどういう意味ですか?
>>54 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:16:37 ID:zfaVNI7a
>第四静慮とは解脱前にあたるので
>上記の文章は解脱前の状態であることがわかります。
ペテン大作さんは、第四禅は解脱前だと書いた。
釈尊は初禅から入ったのだから、第四禅の前であり、
それなら解脱していないことになる。
初禅や第四禅の状態にいた釈尊は解脱しているのか、いないか、
あなたに質問しているのです。
解脱しているというなら、上記の54に矛盾する。
解脱していないというなら、釈尊は亡くなる直前に
まだ解脱していなかったとあなたは主張したことになる。
どっちなのだ?
206 :
神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:58:57 ID:0LgmHSkq
>>186 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 22:10:11 ID:IgFzv94j
>長尾雅人博士はこう語っています。
>>187 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 22:12:16 ID:IgFzv94j
>仏教は全く“ヨーガの領域”で活動している。
長尾博士が書いているのは、仏教の背景となっているウパニシャッドなどを
研究することは仏教の理解に役立つと言っているのです。
ウパニシャッドは仏教よりも前にできあがっていた。
涅槃、輪廻、仏陀、解脱、因果応報などはすべてウパニシャッドにあります。
私が前に、あなたと霊魂の議論をした時、ウパニシャッドの解説本を
読んでみたらどうかと勧めたのを覚えていないか。
中村博士も同様で、釈尊の同時代のジャイナ教は、兄弟宗教と言われるくらい、
似ている部分があるから、仏教を知る上でジャイナ教の研究は欠かせないと言っているのです。
釈尊の説いた仏教を理解する上で、釈迦仏教よりも前や同時代の宗教を
勉強することは意義があると述べているだけで、釈迦仏教よりもはるかに後で
できた『ヨーガ・スートラ』とは意味が違います。
あなたがベックの引用をするのは自由だ。
だが、長尾博士も中村博士も、後世の教典にすぎない『ヨーガ・スートラ』が
シャカ仏教を理解する上で役立つなんて述べていない。
勝手に混ぜないことです。
>>204 :神も仏も名無しさん
>あなたの理屈から言うと、第四禅から入った釈尊はまだ解脱していないことになる。
はい??
あなたの言う意味がまったく理解できません。
私は以下のことを言ってるだけですよ。
↓
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
(81,82頁)
208 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:04:06 ID:LiW2bejT
>>188 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 22:14:27 ID:IgFzv94j
>仏教とヨーガとの間に内面的な関係があることから見ても、明らかである。』
>>191 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 22:29:08 ID:IgFzv94j
>今度はジャイナ教聖典を見てみます。
またあなたの読書のメモ書きが始まりましたね。
そうやって何事か専門書から長々と引用すると理解したかのように錯覚するのでしょう。
仏教が単独で存在した宗教でないのだから、ウパニシャッド、ジャイナなど
様々な宗教と共通した概念や言葉があっても何の不思議もない。
それはヨーガについても当たり前です。
インダス文明時代にすでにヨーガはあったと言われる。
仏教の中に、ヨーガの概念があったとして、だから何なのだ?
そんなこと言い出したら、インド宗教は全部ヨーガと関係してしまう。
何を議論しているのかすっかりあなたは忘れているようだが、
解脱の議論をしている時に、あなたは意味も分からずベックの書いたヨーガを持ち出したのだ。
アゴン宗の解脱が因縁解脱で、仏教の解脱が漏尽解脱であり、
ジャイナ教の解脱がカルマ解脱であるように、
宗教が違ったら、解脱の概念も違ってくるのです。
ド素人にすぎないあなたが、『ヨーガ・スートラ』まで出して何の意味があるのだ?
209 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:05:26 ID:LiW2bejT
>>193 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 22:34:09 ID:IgFzv94j
>釈尊が解脱した時、意生身を作り出したと誰が言ったのですか?
ほら、あなたは何の議論をしているのをすっかり忘れている。
あなたが今回の議論を始めたのは、私が、釈尊が神通力で解脱したなんて嘘だと
書いたことに対する反論です。
だから、あなたが証明しなければならないのは、
「神通力でカルマを切って解脱した」という根拠です。
釈尊の解脱と意生身が関係ないなら、なんのために出したのだ?
私は、あなたが意生身を出したから、釈尊が解脱したとき
意生身を表したという記述がどこにあるのかと質問したのです。
あなたのしたことを質問しただけです。
210 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:08:37 ID:LiW2bejT
>>195 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:08:31 ID:IgFzv94j
>あなたの言う霊魂とは何ですか?
桐山さんのいう霊魂です。
あなたが
>>65で質問したから、桐山さんの言葉をそのまま
>>82に引用した。
ここをどこだと思っているのだ?
桐山アゴン宗を議論するスレです。
桐山さんの定義した言葉や概念を使って批判している。
そして、実際に私はそれを示した。
ここは霊魂一般について議論するスレではない。
桐山さんの言う霊魂について批判しているのです。
・・・こんなことまで説明されないとわからないのですか。
いや、わかっていても、とにかくなんでもいいから、因縁をつけて、
揚げ足を取りたいのですよね?
211 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 00:10:19 ID:63deHOzl
如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀
竹園。時有婆蹉種出家。來詣佛所合掌問訊。
問訊已退坐一面。白佛言。瞿曇。欲有所問。
寧有閑暇見答以不。佛告婆蹉種出家。
隨汝所問。當爲汝説。婆蹉種出家白佛言。
云何瞿曇。命即身耶。佛告婆蹉種出家。
命即身者。此是無記。云何瞿曇。爲命異身異耶。
佛告婆蹉種出家。命異身異者。此亦無記。
婆蹉種出家白佛。云何瞿曇。命即身耶。
答言無記。命異身異。答言無記。
沙門瞿曇有何等奇。弟子命終即記説言。
某生彼處某生彼處。彼諸弟子於此命終捨身。
即乘意生身。
生於餘處。當於爾時。非爲命異身異也。
佛告婆蹉。此説有餘。不説無餘。婆蹉白佛。
瞿曇。云何説有餘不説無餘。佛告婆蹉。
譬如火有餘得然非無餘。婆蹉白佛。我
見火無餘亦然。佛告婆蹉。
云何見火無餘亦然。婆蹉白佛。譬如大聚熾火疾風來吹。
火飛空中。豈非無餘火耶。佛告婆蹉。風吹
飛火即是有餘。非無餘也。婆蹉白佛。
瞿曇。空中飛火。云何名有餘。佛告婆蹉。
空中飛火依風故住。依風故然。以依風故。
故説有餘。婆蹉白佛。衆生於此命終。
乘意生身往生餘處。云何有餘。佛告婆蹉。
衆生於此處命終。乘意生身生於餘處。當於爾時。
因愛故取。因愛而住故説有餘。婆蹉白佛。
衆生以愛樂有餘染著有餘。唯有世尊得彼無餘成等正覺。
沙門瞿曇。世間多縁請辭還去。
佛告婆蹉。宜知是時。婆蹉出家聞佛所説。
歡喜隨喜。從坐起而去
212 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:13:54 ID:LiW2bejT
>>197 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:10:14 ID:IgFzv94j
>この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁)
>それにくらべれば十二縁起の引用は多い。
一件しかないとあなたは書いているが、中村博士は410頁の
どこにそのように書いているのですか。
私の本には、その経典が引用されているだけで、
たった「一件しかない」という文言がみつかりません。
何行目ですか。
また、解脱の時の十二縁起がたくさんあると言うが、
中村博士がこの本で出しているのは、律蔵とウダーナだけです。
多い、とは何頁の何行目に書いてあるのですか。
私はあなたに言わせると「お粗末」らしいから、探してもみつからない。
具体的に示してください。
213 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 00:16:16 ID:63deHOzl
間違っています。
↓
ID:LiW2bejT
>>205 :神も仏も名無しさん
>ペテン大作さんは、第四禅は解脱前だと書いた。
>釈尊は初禅から入ったのだから、第四禅の前であり、
>それなら解脱していないことになる。
当たり前ではないか?
あなたは何が言いたいのだ?
↓
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
(81,82頁)
>>209 :神も仏も名無しさん
>だから、あなたが証明しなければならないのは、
>「神通力でカルマを切って解脱した」という根拠です。
>釈尊の解脱と意生身が関係ないなら、なんのために出したのだ?
関係ないと何処で書きましたか?
書いていませんよ。
何のために出したと言われても経典にあるから出したのです。
これをよく読なさい。
↓
>>193 >意生身とは神通・神変を実現する道具です。
『長部経典』の瞑想の章では、物質的な肉体から“完全な感覚器官を具えた”
霊気的ないし霊的な身体を引き出すということが述べてあった。
そこで瞑想者はこれを道具に用いて超感覚的な完成、
つまり一層高度な精神力の諸奇跡〔神通、神変〕を実現することができる。
このことは、『長部経典』瞑想の章(沙門果経八七節以下)その他、
仏典のいたるところで叙述されている。』
(仏教(下)86頁)
216 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:20:34 ID:LiW2bejT
>>200 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:34:42 ID:IgFzv94j
>あなたは三明を得て解脱したという水野教授の説明に対しては
>三明を解脱の一連の動作に含め、その一方で
>どこで煩悩を切ったのか厳密な区切りが必要だと言っているのです。
>自分の態度が矛盾していることに気づかないのか?
いいえ、何の矛盾もありません。
学者たちのいう解脱とは解脱の内容を全部含めている。
四禅三明も含めて、これが「解脱の内容」です。
しかし、桐山さんも私も、解脱を、カルマや煩悩を切ったのは
どこなのかという点に限定して議論している。
あなたが、広い意味で解釈している水野博士はじめ
多くの学者の説を持ち出し、自己流に狭く解釈しているだけです。
だから、学者たちは三明の神通力でカルマを切ったなんて書いていない。
水野博士がどこでそんなことを書いてるのか出してみなさい。
あなたがしなければならないことは、それだけです。
あなたが
>>66で引用したベックの文章には、どこにもカルマもカルマ解脱もなかった。
だが、あなたの眼には読めるのだと主張して、読者一同、絶句したのです。(
>>90)
水野博士が、神通力によるカルマ解脱を説いているというなら、出してみなさい。
あなたの解説はいらないから、原文を引用してください。
217 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:21:44 ID:LiW2bejT
>>182 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 21:57:27 ID:IgFzv94j
>彼が根拠を出せなかったのは当然だった。
>この文章には解脱の意味はないからです。
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、煩悩が消滅したという意味です。
仏教の、よごれや汚れとは煩悩のことであり、清浄や清らかとは、
煩悩がないことを意味します。
こんな当たり前の解釈すらできないあなたが仏教を理解していないだけです。
218 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:26:29 ID:LiW2bejT
>>183 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 21:58:44 ID:IgFzv94j
>つまり、過去世を見通した話がそのまま丸ごと、さとりの後に書かれている、
はい、そのとおりです。
「解脱→三明」
であると中村博士も書いている。
『これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。』 ( 『ブッダ入門』中村元、131ページ)
>>201 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:43:28 ID:IgFzv94j
>まず、読者に対して嘘を書いたことを謝罪する必要があります。
あなたの無知に私が謝罪するのですか。
なかなかおもしろい発想ですね。
何度でも書いてあげましょう。
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、煩悩を断ち切って解脱したという意味です。
>>212 :神も仏も名無しさん
>一件しかないとあなたは書いているが、中村博士は410頁の
>どこにそのように書いているのですか。
> 私の本には、その経典が引用されているだけで、
>たった「一件しかない」という文言がみつかりません。
そんな子供みたいな理屈を言い出してみっともないですよ、
七氏いやペテン師さん。
博士が一件だと言わなくても一件しか書いてないのだから一件ですよ。
>また、解脱の時の十二縁起がたくさんあると言うが、
>中村博士がこの本で出しているのは、律蔵とウダーナだけです。
たくさんなんて言ってませんよ。
人の文章はよく読みましょうね。
↓
>>197 私が極めて資料が少ないと言ったのは
「さとりの後に過去を透視した話」のことです。
この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁)
それにくらべれば十二縁起の引用は多い。
220 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:28:54 ID:LiW2bejT
>>196 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:09:15 ID:IgFzv94j
>この話を何度も書かせていただき感謝します。
沙門果経をあなたが引用してくれたおかげで、
釈尊のいう意生身が霊魂などではないことがはっきりして、
桐山さんの大嘘つきぶりが信者の手によって証明された。
こんな証拠を出してくれたあなたに批判側は感謝し、
あなたも我々に感謝するという。
お互いに感謝する心は大事ですね。
>>218 :神も仏も名無しさん
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩を断ち切って解脱したという意味です。
おやおや、開き直るつもりですか?
それならもう一度出してあげましょう。
>>183 :神も仏も名無しさん
つまり、過去世を見通した話がそのまま丸ごと、さとりの後に書かれている、
という意味です。
(この「さとりを開いた後の心境を叙する部分」とは何か、本には書いてありません)。
このように博士の言葉と「心が統一され・・・」は最初から関連が無いのです。
そして「心が統一され・・・」には解脱の意味は無かった。
その証拠にあなたは何一つ文献での根拠を出せなかった。
そこであなたは博士の文章が「解脱→三明」だから
「心が統一され・・・」も解脱の意味である、
というように話をすり替えたのです。
あなたがどうしても解脱だと言いたいのなら
「心が統一され・・・」の文章は確かに解脱であると解釈している文献を出してください。
それさえ出してくれたら誰でも納得するでしょう。
さあ、どうぞ。
>>220 :神も仏も名無しさん
>こんな証拠を出してくれたあなたに批判側は感謝し、
>あなたも我々に感謝するという。
>お互いに感謝する心は大事ですね。
あなたがこう言いながら目を真っ赤にしているかと思うと
こちらも切ない気がします。
223 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 01:11:25 ID:63deHOzl
初期仏教において
釈尊は同じようにつかっています。
↓
意生身=識=識神=神識
爾時世尊告諸比丘。有三因縁識來受胎。云何爲三。・・・・・
我見人死
識神出生。有好色者有惡色者。
有勇強者有怯弱者。或生善處或生苦處。・・・・・・
佛告諸比丘。跋迦梨善男子不住識神。・・・・・・
神識上昇向安樂處。未來生天。・・・・・・・
於此命終捨身。即乘意生身生於餘處。・・・・・・
以上すべて阿含・・・・・
224 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 01:15:09 ID:63deHOzl
間違っています。
↓
ID:LiW2bejT
225 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 01:27:57 ID:63deHOzl
阿含経での阿羅漢の価値観では、
光の身体の超人的眼智恵の眼による
四大〜への「深い同調による観」が、
聖正見となって行動しています。
(世間世俗の限定された区切りでの価値観や道徳とはちがいます。)
化作異身、四禅から光の身体がつくられていくプロセスの御経(阿含経)があります。
四大と感覚からすべて同じくそなえた身体までがつくられていくのです。
四大〜部位の化作
四大〜マニ珠の記述もあります。
アナパナの円輪vattamは、流転する存在の意になり
輪廻転生samsaraと同義とされました。
初期仏典において
地界を想い念じ同調するということが、
流転と同じくするとあります。
円輪相になった地界は、地輪とよばれています。
光の身体の構成要素を地水火風の円輪相として、
禅定の一過程を行う経典の記述は
よく知られているところです。
仏陀の顕現した神通はこの想いによって作業されています。
これもヨガにある行法と同じで
仏教独自のものではありません。
「身体」
肉体の眼のみ
「光の身体」
超人的眼(肉体の眼と同じ物質領域も含)
智慧の眼
226 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 01:46:37 ID:63deHOzl
唯願屈意過貧聚中。
所以然者。
欲盡有家飮食牀臥衣服湯藥奉獻世尊。
世尊。
受已家内獲安
227 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 01:59:32 ID:63deHOzl
是時世尊便作是念。
此鴦掘魔當爲五逆。
即放眉間相。
光明普照彼山林。
是時鴦掘魔見光明已。
228 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 02:00:20 ID:63deHOzl
間違っています。
↓
ID:LiW2bejT
229 :
元カリフォルニア支部会員:2008/12/26(金) 02:32:10 ID:dPcY4+ET
>あほらしくてもう会員やってられない
>あのボケはや逝っちまえ
>あのブス女も捕っちまえ
>みんな狂ってる
ブス女は必ず捕まるでしょう。だが桐山管長さんはそれまで健在かな?
230 :
樹意:2008/12/26(金) 05:59:47 ID:wRh5OTwf
>>222 > あなたがこう言いながら目を真っ赤にしているかと思うと
> こちらも切ない気がします。
だから、破戒教団の擁護に 戒 を説く経典もってきて何がいいたいの?
戒定慧の 戒 が逆さまなんだから、勝敗を問うなら
はじめから勝敗Qさんの負け。
人の言葉尻をとらえようとするだけの 議論は醜い。
231 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 09:46:45 ID:Mq5LF2bc
樹意は原理主義者
232 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 12:34:34 ID:vay/AmP6
>>214 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:18:12 ID:/OdEK1lb
>当たり前ではないか?
>あなたは何が言いたいのだ?
初禅や第四禅の状態にいた釈尊は解脱しているのか、いないか、 (
>>205)
の質問に答えればいいだけです。
205でも書いたように、あなたは過去にいろいろと書いてしまっているから、
どちらに答えても自己矛盾する。
屁理屈魔のペテン大作さんも屁理屈が思いつかなかった。
だから、「はい?? 」(
>>194)「何が言いたいのだ」などととぼけて、
わからないふりをしているのですよね。
『ヨーガ・スートラ』でも出してごまかしてみたらどうですか。
読者の苦笑いくらいとれるでしょう。
233 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 12:40:45 ID:vay/AmP6
>>215 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:19:00 ID:/OdEK1lb
>何のために出したと言われても経典にあるから出したのです。
>これをよく読なさい。
経典とは、あなたの引用した学者の解説では沙門果経ですよね。
沙門果経とは、釈尊の解脱の話ではなく、修行した時の果報の説明です。
修行すればこんな果報があるというのだから、解脱した時とは限らない。
今のテーマは解脱、特に釈尊の解脱についてです。
このテーマで議論しているのに、あなたは意生身を出した。
だから、釈尊が解脱した内容について、四禅三明の経典はあるが、
意生身の神通力を示したという経典がどこにあるのかと聞いているのです。
沙門果経が根拠だというなら、釈尊の解脱の内容の説明ではないから、
根拠にはなりません。
また、意生身はカルマ解脱の根拠にはもとよりならない、
つまり、あなたが意生身を出したのは何の意味もないということです。
こんなふうにあなたも子孫さんも、自分の興味のままに話をどんどん
関係ない方向に拡散させ、しかも、自説が裏付けられかのように錯覚する。
関係ない話をいくら出しても、カルマ解脱の根拠になりません。
234 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 12:47:09 ID:vay/AmP6
>>56 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:24:47 ID:9be/v++M
>博士は、十二因縁については、さとりの後に説かれたものであることを断言していますが
>それは裏づける資料が豊富だからです。
>それに対してさとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない
>>197 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:10:14 ID:IgFzv94j
>この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁)
>それにくらべれば十二縁起の引用は多い。
>>219 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:28:21 ID:/OdEK1lb
>博士が一件だと言わなくても一件しか書いてないのだから一件ですよ。
あなたが書いた内容がいかに根拠がないか、流れを読んでみなさい。
あなたは56で、釈尊の解脱の内容については、十二縁起はたくさんあるが、
三明の阿含経は少ないと書いた。
私から、あなたの恒例の読み間違いだと
>>84で指摘され、
あなたは開き直りに、197で、三明の阿含経は一件しかないかのように、
また十二縁起はたくさんあるかのように書いた。
しかも、悪質なことに、まるで中村博士が本で書いているかのように、
本の題名と頁数まで載せた。
十二縁起がたくさんあって、三明が一つしかないなんて
中村博士は書いていないことをあなたも219で認めた。
中村博士は書いていないのに、
>この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁)
などと、いかにも書いているかのように見せかけた。
つまり、56も197も嘘、あなたの作り話です。
私から指摘されたから、悔し紛れについた嘘です。
あなたの悪質な点は、自分の思い込みを根拠もなしに堂々と書くばかりか、
それを学者が書いたかのように平然と書き、それを指摘されもて、
どこまでも屁理屈を並べて、開き直りをすることです。
毎度書くが、そんなことまで桐山さんの真似をしなさんな。
235 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 12:52:46 ID:vay/AmP6
>>221 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:36:53 ID:/OdEK1lb
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
「清浄・・煩悩(ぼんのう)の汚れを意味する<雑染(ぞうぜん)>(saklea)に対立する」(『岩波仏教辞典』).
仏教では、清浄とは、煩悩がないことを意味するのです。
開き直りでもなんでもなく、心が煩悩から離れているから統一され、
煩悩がないから清浄で、煩悩に左右されないから不動なのです。
煩悩から離れたことを解脱といいます。
だから、「「心が統一され、清浄で、・・」とは解脱したことを意味する。
この文章が解脱を表していないのなら、仏教での「清浄」「清らか」
「よごれなく」「汚れなく」とは何を指しているか、説明してください。
あなたの国語辞典的な説明ではなく、学者の説明を出してください。
私に要求するなら、まずあなたが、学者たちが、「よごれ」や「汚れ」が煩悩以外の
どのような意味に使っているのか、引用するべきです。
すでに反論された内容を何度も書くのではなく、
解脱における「よごれ」「汚れ」が煩悩以外のどのような
意味があると説明しているのか、学者の説明を引用して示しなさい。
236 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 13:08:01 ID:vay/AmP6
>>222 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:40:17 ID:/OdEK1lb
>あなたがこう言いながら目を真っ赤にしているかと思うと
「神通力でカルマ解脱した」という桐山説をあなたは未だに証明できない。
阿含経の根拠も示せなければ、学者の説も出せない。
あなたが示したベックの解説には、カルマもカルマ解脱もない。
だが、あなたの目にはそれが見えると主張して、読者の爆笑を誘った。(
>>90)
一文字もないのに、読めるのだという?!
あまりのあなたの思い込みの激しさ、読解力の低さに、
みんな笑いすぎて涙が出て、目が真っ赤になっているでしょう。
釈尊の四禅からの入滅もあなたは自己矛盾したから、ユビキタスさんや私からの
質問を理解できないふりをして、とぼけている。
皆さん、笑う準備をして待っているから、屁理屈を唱えて、
「オレが勝った!」と吠えて、自滅ネタでまた笑わせてください。
中村博士の本を利用して、いかにも十二縁起が多く、三明がないかのように
書いたが、私からその嘘を暴露された。
神通力によるカルマ解脱なんて阿含経にあるはずもなく、学者も書いていない。
だから、『ヨーガ・スートラ』やジャイナ教なんて、全然関係のない
資料を書き並べているうちに、何事か証明したかのように錯覚しているのでしょう?
あなたは先月からずっと大量の書き込みをしているが、
「神通力でカルマ解脱した」という桐山説の根拠は何一つ示していない。
つまり、あなたの書き込みは全部、七氏憎しという「汚れ」のついたゴミにすぎない。
237 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 13:35:42 ID:vXEVEy4X
Qって、大学のゼミとか企業の会議とか、まともに経験してないのがバレバレだよな。論理的思考力も感情制御力も無いし…阿含宗会員だし。いいこと無いね、フフフ。
238 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 16:10:01 ID:H+/1Pnpl
>>2229 :元カリフォルニア支部会員:2008/12/26(金) 02:32:10 ID:dPcY4+ET
>ブス女は必ず捕まるでしょう。
このブス女というのは、あのニューヨーク広報センターとカリフォルニア支部を消滅させた、
かの有名なA宅職員のことですか。なぜなら、彼女もかなりのブスなので・・・。
239 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 16:14:13 ID:H+/1Pnpl
訂正
>>229 :元カリフォルニア支部会員:2008/12/26(金) 02:32:10 ID:dPcY4+ET
>ブス女は必ず捕まるでしょう。
このブス女というのは、あのニューヨーク広報センターとカリフォルニア支部を消滅させた、
かの有名なA宅職員のことですか。なぜなら、彼女もかなりのブスなので・・・。
240 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 22:22:59 ID:v2jJYMvb
是謂欲別知無明者當修四正斷。欲斷無明者當修四如意足。
云何欲斷無明者當修四如意足。
若時如來出世無所著等正覺明行成爲善逝世間解無上士道法御天人師號佛衆祐。
彼斷乃至五蓋心穢慧羸。
修欲定如意足成就斷行。依離依無欲依滅趣非品。如是修精進定心定也。
修思惟定如意足成就斷行。依離依無欲依滅趣非品。
是謂欲斷無明者當修四如意足如是數斷解脱過度拔滅止。
總知別知。欲別知無明者當修四如意足。云何欲別知無明者當修四如意足。
若時如來出世無所著等正覺明行成爲善逝世間解無上士道法御天人師號佛衆祐。
彼斷乃至五蓋心穢慧羸。修欲定如意足成就斷行。依離依無欲依滅趣非品。
如是修精進定心定也。修思惟定如意足成就斷行。依離依無欲依滅趣非品。
是謂欲別知無明者當修四如意足。欲斷無明者當修四禪。
241 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 23:05:44 ID:vay/AmP6
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
[591]如来の子孫 08/12/26 11:38 TiBMNgJrRl
では次に、ユビ元さんへ、釈迦が阿難に告げた果報の話を提供する。
釈迦が周那にキノコの食事供養を受けて、腹痛を起こした。
それを見た阿難が釈迦に言う。
「周那は供養をしたが、福徳と利益はない」と。
すると釈迦が阿難に言う。
「そのようなことを言ってはならない。今、周那は、大きな利益を得
、寿命を得、容色を得、力を得、良い名声を得、生きているときは多
くの財宝に恵まれ、死んでからは天に生まれることができ、望むもの
は思いのままになる」と。
この話は現代語訳「阿含経典」第T巻遊行経(四)P266に書かれ
ています。
どうですか?ユビ元さん。周那も毘沙陀那バラモンと同じく、
施食供用をしたのです。それなのに、片方は来世だけの果報で、
もう片方は現生での果報もある、そういう馬鹿な話があると思いま
すか?
2ちゃんで私の批判をしてる人は、間違いです。
迷える現職信徒さん方、安心なさいね。管長の言うことに間違いは
ありません。阿含宗の如来様に布施供養する者には、果報がありま
す。釈迦が遊行経で説いてるごとく。
242 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 23:11:38 ID:vay/AmP6
>[591]如来の子孫 08/12/26 11:38 TiBMNgJrRl
>では次に、ユビ元さんへ、釈迦が阿難に告げた果報の話を提供する。
信者さんたちも、釈尊がチュンダの供養した食べ物にあたって亡くなったことはご存じでしょう。
子孫さんによれば、釈尊がチュンダについて語った内容は、
供養による果報を説いているのだそうです。
釈尊に食べ物を供養した見返りに、チュンダは財宝や名声を得るのだそうだ。
チュンダの供養の話が御利益話にしか見えないのですね。
こういう解釈をみるたびに、あまりの品性の賤しさに驚いてしまう。
実はこういう子孫さんのような解釈をする信者は初めてではありません。
スレの始まった頃にも同じようなこと書いた人がいたし、
その後、2003年頃にも、子孫さんとそっくり同じように、
釈尊が現世利益の真理を説いたのだと堂々と主張する信者がいた。
だから、子孫さんの書きこみを見て、またか、という思いです。
ここまで来ると、知能や解釈の問題ですらなく、子孫さんの「品性の賤しさ」です。
議論を抜きにして、どうしてこういう「餓鬼解釈」しかできないのかと
元アゴン宗の信者としては、本当に情けなくなる。
ガツガツと、話をことごとく御利益話にしないと気が済まない。
信者さんたちは、釈尊のチャンダに語った言葉を御利益話と受け取るか?
もし、子孫さんの話に同意するのなら、大いに自分の信仰に疑問をもってほしい。
243 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 23:15:51 ID:vay/AmP6
「そのようなことを言ってはならない。今、周那は、大きな利益を得
、寿命を得、容色を得、力を得、良い名声を得、生きているときは多
くの財宝に恵まれ、死んでからは天に生まれることができ、望むもの
は思いのままになる」と。
釈尊がアーナンダに、入滅する前に如来に供養したチュンダには
大きな功徳があると伝えるように言った言葉です。
利益、寿命、容色、力、名声、財宝、天界とまさに御利益満載です。
しかし、ここだけ引用するのがいかにも餓鬼の目しか持たない子孫さんらしい。
この文章の最初と後で、釈尊は何と言っているか。
「アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言って
取り除かなければならぬ」(『ブッダ最後の旅』123頁)
「アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言って
取り除かなければならぬと。」(124頁)
なんのために釈尊がこれらの果報の話をチュンダに伝えるように
アーナンダに言ったか、理由を釈尊本人がはっきりと二度に渡って述べている。
チュンダの後悔の念を取り除くためです。
それが目的で果報の話をするのだとはっきり釈尊は述べている。
ところが、餓鬼の目だと、二度も釈尊が強調しているのに読めない。
244 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 23:21:08 ID:vay/AmP6
「アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言って
取り除かなければならぬ」(『ブッダ最後の旅』123頁)
チュンダは、尊敬する聖者に供養したつもりが、なんと殺してしまった。
信者さんたちもその立場になって考えてください。
信者さんたちは桐山ゲイカを尊崇している。
あなたが差し上げた食べ物にあたって桐山ゲイカが亡くなったら、
どんな気持ちになる。
その後悔の念たるや、悔いても悔いきれないものでしょう。
チャンダもものすごい後悔の念にさらされていたことは間違いない。
後悔の念だけでなく、周囲も冷たい目で見て、非難したでしょう。
そのことを予想させる言葉が釈尊の口から出ている。
「誰かが、鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない」(『ブッダ最後の旅』123頁)
大聖者を、はっきり言うなら、殺してしまったとなったら、
その信者たちはチュンダを激しい口調で非難したに違いありません。
彼は自身の後悔の念と、周囲の非難に身の置き所もなかったでしょう。
経典によっては、チュンダがこの後、自殺したのではないかと思われる記述があるほどです。
245 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 23:26:18 ID:vay/AmP6
>[595]如来の子孫 08/12/26 15:52 TiBMNgJrRl
>「そこで周那はただちに仏の前において完全な涅槃に入った」
これは漢訳経典に載っている記述で、南伝の和訳である『ブッダ最後の旅』にはありません。
在家の一信者にすぎないチュンダが突然解脱するはずもなく、
これは自殺したという記述ではないかという説があります。
もう一つの説は、出家したのではないかというものです。
アーナンダにチュンダのことを告げる直前に、唐突にチュンダカと
いう比丘が釈尊の世話をしていることになっています。
また、チュンダ本人もそばに座っていたことになっています。
チュンダカは供養をしたチュンダその人であるとする説です。
つまり、在家だったチュンダは釈尊の容態がおかしくなったことに後悔の念にかられ、
そのまま後をついて行き、お世話して、しかも釈尊の入滅後に出家して
解脱したために、経典では比丘として扱っているという考えです。
漢訳で、チュンダが完全な涅槃に入ったという記述を見ても、
後の説のほうが筋が通るように思います。
ところが、こういう考察を抜きにして、どこかの餓鬼の目で読むと、
上記の記述は、なんと如来に供養した見返りに、俗人の
チュンダはたちまち解脱してしまったのだと解釈しているのです。
「現世と来世の二世の果報」([595])だそうです。
もう、あまりの餓鬼界そのままの解釈に私は言葉もありません。
彼は「如来の子孫」ではなく「餓鬼の子孫」にハンドルを変えた方がいい。
246 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 23:31:32 ID:vay/AmP6
「アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言って
取り除かなければならぬと。」(124頁)
果報に狂っている子孫さんはさておき、信者さんたちは、
釈尊の深い慈悲の心、他人への気づかいに目をむけてほしい。
釈尊は死にかけている自分の身をさておき、チュンダをかばおうとしたのです。
自分のことだけで精一杯だろうに、自分を死に追いやった男のことを
心配してあげているのです。
信者さんたちも、読んでいて感動しませんか。
中村博士も次のように解説しています。
「みずからは苦痛に悩みながらも、チュンダのことを気づかっていたのである。
チュンダをかばう思いやりがみられる。
ゴータマ・ブッダは思いやりの深い人であった」(『ブッダ最後の旅』123頁)
釈尊は功徳の大きさを説いたのではなく、チュンダをかばったのです。
彼が出した食べ物で釈尊が死んだことは事実なのだから、
周囲から激しく非難されるだけでなく、彼自身が後悔の念に襲われる。
これを防ぐために、釈尊は彼の供養がいかに素晴らしいかを遺言した。
本人はチュンダのキノコ料理が原因で死にかけていた。
ところが、自分の命よりも、チュンダのことを優先した。
どこかの口先だけの教祖様と違い、釈尊が深い慈悲の持ち主であった何よりの証拠です。
247 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 23:40:04 ID:v2jJYMvb
如天大雨水流隨下。
瞿曇法律亦復如是。
比丘比丘尼。
優婆塞優婆夷。
若男若女。
悉皆隨流。
向於涅槃。
浚輸涅槃。
248 :
神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 23:41:10 ID:vay/AmP6
「アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言って
取り除かなければならぬと。」(124頁)
信者さんたちは、子孫さんがどうしてああも餓鬼の目でしか
経典を読めないか、その理由に気が付いていますか。
桐山さんがそうだからです。
アゴン宗は何でも御利益ですよね。
因縁解脱だの霊障解脱だのと、解脱とついているから、御大層な話のようだが、
実は、それによって運をよくするとか、自分がラッキーになるとか
全部、自分に何かが返ってくる御利益信仰です。
仏に金と人を差し出すと、見返りに何かがもらえるというのは御利益信仰、
取引信仰にすぎない。
神通力でカルマを切るとか、運命改造なんてのも全部御利益信仰です。
こういう心癖がついているから、釈尊がはっきりとチュンダの苦しみを
取るためであることを前と後ろで述べているのに見えず、
果報の御利益のところだけを見た。
子孫さんに言わせると、こういう前後を省略するのは「要点」([595])だけを
引用しているのだそうです。
彼の要点とは、御利益のことです。
桐山さんのように餓鬼の総大将の元で信仰していると、自ずと子孫さんのようになる。
信者さんたちは彼を桐山さんが認めていない他人だと思ってはならない。
餓鬼の心を恥じるどころか、逆に大いに誇りながら、威張っている子孫さんは
信者さんたちの姿を映すカガミです。
再度お聞きするが、信者さんたちは釈尊のチュンダへの深い慈悲の心に感動しませんでしたか。
もし感動したのなら、こういう釈尊に護摩木祈願などのおねだりの餓鬼信仰を
している自分を深く恥じてほしい。
249 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/26(金) 23:43:24 ID:v2jJYMvb
チュンダは自殺するとき解脱しました。
如来に両舌(かばう)はありません。
250 :
樹意:2008/12/27(土) 00:25:06 ID:pMBmqB/M
>>243 ふむ ふむ
七氏さんありがとう。 GJ!
251 :
元カリフォルニア支部会員:2008/12/27(土) 03:07:52 ID:Zy9MY+OH
>このブス女というのは、あのニューヨーク広報センターとカリフォルニア支部を消滅させた、
>かの有名なA宅職員のことですか。なぜなら、彼女もかなりのブスなので・・・。
W田さんのことでしょう。A宅もS崎もW田さんの命により悪をせっせとやってましたから。
252 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 09:32:23 ID:xpHf9d/j
樹意は脳内さむいし懐さむい)^o^(
253 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 11:37:20 ID:t4kKZrAw
桐山さんは何食ってもあたらんでしょ。
254 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 12:00:29 ID:VTJs3bmr
>>251:元カリフォルニア支部会員:2008/12/27(土) 03:07:52 ID:Zy9MY+OH
>>このブス女というのは、あのニューヨーク広報センターとカリフォルニア支部を消滅させた、
>>かの有名なA宅職員のことですか。なぜなら、彼女もかなりのブスなので・・・。
>W田さんのことでしょう。A宅もS崎もW田さんの命により悪をせっせとやってましたから。
A宅は、海外会員の間では「潰し屋A宅」と呼ばれいるそうです。A宅が担当する海外支部や拠点が
軒並み A宅に潰されたからです。今、欧州支部、カナダ支部、ハワイ支部も縮小・閉鎖の方向で
A宅はせっせと活動していると、ある海外会員から聞きました。これもW田さんの指示なのでしょう。
ということは、W田さんは海外布教などする気はないということですね。
A宅が関わっている海外支部の会員は御愁傷様です。
255 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 12:07:51 ID:t4kKZrAw
邪教は潰したほうが良いです。
256 :
樹意:2008/12/27(土) 12:55:04 ID:pMBmqB/M
>>252 正解。
ここはアボンのスレッドです、アボンのことを語りましょう。
257 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 13:56:30 ID:mghjh78b
来年こそ阿呆宗を徹底的に潰してくれ
日本の癌であり国民の敵だ
オウムの対極に位置して、じわりじわりと精神的な毒ガスを放ち
信者の脳を麻痺させて財産を奪い続けている
こんな存在を絶対に許してはいけない
>>217 :神も仏も名無しさん
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅したという意味です。
>>221 :神も仏も名無しさん
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩を断ち切って解脱したという意味です。
>>235 :神も仏も名無しさん
>だから、「「心が統一され、清浄で、・・」とは解脱したことを意味する。
>>201で謝罪を要求されたのにこうしてまだ嘘を書き続けている。
仏説を歪曲するとは本当に罪深いことをするものです。
「心が統一され・・・」に解脱の意味はありません。
学者がそう解釈しているのです。
「心が統一され・・・」に相当する文句は
『仏教 (下)』(岩波文庫)に四箇所出て来ます。
それらを出て来る順に書いてみます。
『『長部経典』の瞑想の章では(『沙門果経』八三節)、次のように述べている。
「このようにして、精神的要素〔心〕が集中され、純化され、明朗に遍く照らされ、
あらゆる不純や俗世の煩悩から解放され、柔軟かつ従順で、堅固かつ不動となってしまうと、
その人はこの精神的要素を洞察的観照(もしくは観照的洞察〔智見〕にふりむける」。』
(82頁)
↓
『このことは『長部経典」の瞑想の章では(『沙門果経』八五−八六節)、次のように叙述されている。
精神がこのように一点に集中され、純粋明朗で煩悩を離れ、不動の状態に達すると、
修行者は精神を傾けて、ある別の霊的ないし霊的な身体〔意所成身〕を形成することに努める。』
(83頁)
↓
『「精神集中によって精神的要素〔心〕が燈明となり、純化され、
不純と俗世の煩悩とから解放され、柔軟従順でかつ確固不動となると、
修行者はこの精神的要素を導いて、
さまざまな超感性的な完成の実行へと向かわせる〔心を神変に引発誘導〕(『沙門果経』八七節)。』
(87頁)
↓
『これと同じように、瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、
その心はあらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。
その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し・・・・・・』
(104頁)
↓ ↓ ↓
このように沙門果経の神通力の描写には
「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」
という内容の決り文句が繰り返し出て来ます。
ではこれって解脱しているのか?
していません。
何故なら解脱の描写はこれらの文句の後に出て来るからです。
『その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、これは苦悩の絶滅である、
これは苦悩の克服にいたる道である、これは俗世の迷妄である、これは俗世の起源である、
これは俗世の絶滅である、これは俗世の絶滅にいたる道である」とこのように認識する。
また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
(104頁)
「瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る」
とあるように、
ここで修行者は初めて解脱するのです。
ということは著者のヘルマン・ベックは
「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」、
という決まり文句を、解脱だとは解釈していないことになります。
またベックがこの決り文句を解脱だと解釈している記述はありません。
ではベックは見落としたのか?
だがベックは仏教の分野では一流の学者であり
この『仏教(下)』は1977年の初版以来、26刷を重ねています。
非常に信頼の置ける著作であると言えるでしょう。
だから「心が統一され・・・」は解脱ではない、
というのが大方の専門家の見方であると思われます。
「煩悩から解放され」、「煩悩を離れ」という言葉から
解脱だと解釈するのは素人の浅はかさです。
「素人の生兵法は大怪我の基」とはこのことです。
では沙門果経で神通力を発揮している修行者とは一体どういう人たちなのか?
ベックはこう述べています。
『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。
それは、あらゆる欲情〔煩悩〕、感覚的および超感覚的な対象についてのあらゆる表象、
悦楽とか苦痛とかというあらゆる感覚、そのようなものから完全に解放されている段階なのである。
この状態に入った修行者は、汚点のない純白な衣服を頭からすっぽりかぶったようなものだと言われている。』
(82頁)
『あらゆる欲情〔煩悩〕、感覚的および超感覚的な対象についてのあらゆる表象、
悦楽とか苦痛とかというあらゆる感覚、
そのようなものから完全に解放されている段階なのである。』
神通力を発揮している修行者とはこういう人たちです。
注目すべきは
「あらゆる欲情〔煩悩〕から完全に解放されている」
と書いているがこれを解脱とは解釈していない点です。
『この状態に入った修行者は、汚点のない純白な衣服を
頭からすっぽりかぶったようなものだと言われている。』
これは沙門果経に出ています。
『(八二)たとえば大王よ、人が白い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっているとすれば、
彼の身体はいたるところ、白い衣服がおおっていないところはないでしょう。
それと同じく、大王よ、比丘はこの身体を清浄で純潔な心で遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が満ち満ちていないところはありません。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりさらにすぐれてより霊妙な、目に見えぬ沙門の果報であります。』
(『世界の名著Tバラモン経典・原始仏典』 531頁)
ベックはこれについても解脱だという解釈はしていません。
「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はありません。
その根拠として
1.ベックはこの文句を解脱だとは解釈していない。(>>258-
>>261)
2.仏教と同じ術語を用いる 『ヨーガ・スートラ』やジャイナ教では
修行者の心を状態を指す言葉としてこの文句が使われている。
(
>>188ー
>>191)
これに対し七氏さんが根拠として出した中村博士の言葉は
「四神足で過去世を見通した話がさとりを開いた後に書かれている」
ということであって
この「さとりを開いた」というのが
「心が統一され・・・」に相当するわけではありません。
この両者は別個の話であり七氏さんは話をすり替えているのです。
「心が統一され・・・」が解脱であるという文献での根拠は無いのです。
>>205 :神も仏も名無しさん
>>54 :神も仏も名無しさん
>第四静慮とは解脱前にあたるので
>上記の文章は解脱前の状態であることがわかります。
解脱しているというなら、上記の54に矛盾する。
解脱していないというなら、釈尊は亡くなる直前に
まだ解脱していなかったとあなたは主張したことになる。
どっちなのだ?
>>232 :神も仏も名無しさん
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊は解脱しているのか、いないか、 (
>>205)
>の質問に答えればいいだけです。
何が言いたいのか知らんが一応答えておきましょう。
釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
そしてその後、第四禅からニルヴァーナに入った。
ニルヴァーナに入ったのだから解脱です。
私がいつ釈尊は亡くなる直前にまだ解脱していなかったと言いましたか?
私は『仏教(下)』や『ブッダ最後の旅』に書かれてあるままを言っているだけです。
あなたは変な解釈をして言いがかりをつけているだけです。
267 :
ラシン:2008/12/27(土) 17:02:20 ID:EdY5eleV
>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
そしてその後、第四禅からニルヴァーナに入った。
ニルヴァーナに入ったのだから解脱です。
私がいつ釈尊は亡くなる直前にまだ解脱していなかったと言いましたか?
述べています↓↑。 まあQさんは直前という語句に拘るでしょうが。
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
ところで、ネーランジャー川のほとりで有余涅槃を得た釈尊は
解脱していなかったのですか?
>>233 :神も仏も名無しさん
>沙門果経とは、釈尊の解脱の話ではなく、修行した時の果報の説明です。
>修行すればこんな果報があるというのだから、解脱した時とは限らない。
それはあなたやユビキタスの解釈です。
素人に過ぎないあなた方が自分勝手な解釈を押し付けるのはやめなさい。
ベックはあなた方とは違って
沙門果経は解脱へのプロセスを説いた教典であると解釈しています。
>今のテーマは解脱、特に釈尊の解脱についてです。
>このテーマで議論しているのに、あなたは意生身を出した。
>だから、釈尊が解脱した内容について、四禅三明の経典はあるが、
>意生身の神通力を示したという経典がどこにあるのかと聞いているのです。
意生身の神通力って何ですか?
あなたは人の話を聞いていないらしい。
意生身とは三明を含めた神通力を起こす道具であると書いています。
経典にある神通力や奇跡は意生身をベースにしているのです。
>>233:神も仏も名無しさん
>沙門果経が根拠だというなら、釈尊の解脱の内容の説明ではないから、
>根拠にはなりません。
>また、意生身はカルマ解脱の根拠にはもとよりならない、
>つまり、あなたが意生身を出したのは何の意味もないということです。
わかります、わかります。
これがあなたの本音なのですね。
沙門果経は果報を説く教典だから
解脱の内容には関係ないことにして抹殺したいらしい。
あなた方にとって沙門果経が目障りなのはわかります。
しかし話は冒頭に戻るが
沙門果経が果報を説く教典だというのはあなた方の解釈です。
あるいはそう言っている学者もいるかもしれないが
ベックはそういう解釈はしていないのです。
沙門果経は解脱のプロセスを説いた教典であり、
意生身は解脱にとって重要な意味を持っている。
あなた方は自分等の解釈をもとに
世の中にあるものを決め付けないことです。
もっともそれが落武者さんの正体ではありますが。
言い方は悪いが沙門果経は落武者さんたちにとっては猛毒なんです。
私もそれがわかっているからこうして披露するわけです。
270 :
ラシン:2008/12/27(土) 17:12:40 ID:EdY5eleV
>261 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 15:37:36 ID:dwpSi7Nw
「煩悩から解放され」、「煩悩を離れ」という言葉から
解脱だと解釈するのは素人の浅はかさです。
「素人の生兵法は大怪我の基」とはこのことです。
Qさん個人の生兵法的解釈は要りませんから、
ベックがこれらは解脱ではないと言う記述をご提示してくんさい。
解脱:(梵) vimoka; vimukti煩悩の束縛から解放されて、
安らかで自由な悟りの境地に達すること。悟ること。涅槃。(大辞林/三省堂)
>>267 :ラシン
>述べています↓↑。 まあQさんは直前という語句に拘るでしょうが。
別に拘りませんよ。
こう言ってもいいですよ。
「私がいつ釈尊は亡くなる前にまだ解脱していなかったと言いましたか?」
>ところで、ネーランジャー川のほとりで有余涅槃を得た釈尊は
>解脱していなかったのですか?
有余涅槃ですか。
あなた方が何を拘っているのかがわかりました。
ではこれでも読んでください。
↓
『本書において以上論じてきたことは『長部経典』の瞑想の道の叙述に基づいているのであるが、
その説くところは要するに、そこに示されている道を進んで次々に修行のさまざまな“成果”を挙げたのち、
ついには解脱の自覚、すなわち涅槃に到達する、ということなのである。
そして、この境地そのものは、宗教的修行のあらゆる成果のうちで最高なものと称せられ、
「もはやそれ以上に高く尊い成果は存在しない」(『沙門果経』九八節)という。
この意味において、仏教の修行者たちにとって、涅槃は実在するあらゆるもののうちで最高のものである。
そこで、五蘊がたがいに結びつくことによって現出された現世の個人という幻影がなお存続するかどうか、
ないしは前述の“基体”〔依〕が肉体の死と同時に消滅するかどうか、
というようなことは、仏教で涅槃という実在から見れば全くとるにたりないことである。
基体が消滅すればそれと同時に実在性ということも当然なくなるはずであるのに、
到達した境地においてそれらの基体がなお存続しているかどうかによってその境地が実在するかどうかを
決めようとする考えは、仏教の見地からみればまったくばかげている。』
『西欧の学者たちは、このような前提に基づいて、涅槃(阿羅漢たること、生きものが達し得る最高の段階)と
般涅槃(絶対的消滅)とをはっきり区別したが、
このような区別は仏教にはまったく関係ないことであり、そのようなことは仏典には全然出てもいない。
少なくとも本来の仏教においては、般涅槃は涅槃よりも高度な段階を意味するものではなく、
かつまた一般の涅槃とは別の概念を言いあらわすものでもない。
般涅槃の原語はparinirvanaであるが、
その動詞形parinirvaは到達した人の死(したがって、バラモン教で“解脱した人の死”とよぶもの)
つまり“基体”の消滅を意味するにすぎない。しかし、涅槃の実在性そのものは、基体が消滅してもまったく同じである。
この基体がなお存続しているか否かによって、有余依涅槃と無余依涅槃とが区別されるが、
その各々の場合に涅槃そのものがまったく別であるなどとは、仏陀はどこにも言っていない。
“基体”が存続するか否かというようなことは、涅槃の実在性には何のかかわりもない。』
(『仏教 (下)』 139、140頁)
>>270 :ラシン
>Qさん個人の生兵法的解釈は要りませんから、
>ベックがこれらは解脱ではないと言う記述をご提示してくんさい。
解脱:(梵) vimoka; vimukti煩悩の束縛から解放されて、
安らかで自由な悟りの境地に達すること。悟ること。涅槃。(大辞林/三省堂)
まったく落武者さんたちといったら冗談きついですね。
ドイツ人のベック相手にそんな日本の辞書なんて持ち出されても困ります。
ベックが仏教(下)で「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」
という決まり文句を、解脱だとは解釈していないことは紛れも無い事実なんです。
私に反論したいのなら、
ベックが仏教(下)の中で「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」
という決まり文句を解脱だと解釈しているぞ、
という証拠を見せてください。
この本が手元に無いのなら至急取り寄せて調べてください。
275 :
ラシン:2008/12/27(土) 17:40:13 ID:KC/JET0R
Qさん、>272〜>273のご丁寧なる引用説明をありがとうございます。
では、
>>266であなたは何故↓のような見解を出されたのですか?
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
276 :
ラシン:2008/12/27(土) 17:49:23 ID:KC/JET0R
>まったく落武者さんたちといったら冗談きついですね。
ドイツ人のベック相手にそんな日本の辞書なんて持ち出されても困ります。
日本の普通の辞書に解説されるくらい、解脱とは煩悩からの解放だと、
広く一般化されていると、言うことでしょうね。
>ベックが仏教(下)の中で「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」
という決まり文句を解脱だと解釈しているぞ、
という証拠を見せてください。
この本が手元に無いのなら至急取り寄せて調べてください。
つまり、その記述(解脱していない)はベック本には無いわけですね。
ならば、Qさんあなたの推察と言う個人的解釈で反論しているわけですね。
しかし七氏さんは、煩悩からの解放、清浄を辞典を論拠として
明解に反論していますから、七氏さんの個人的独断解釈ではありませんよね。
>>275 :ラシン
>では、
>>266であなたは何故↓のような見解を出されたのですか?
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
滅尽定まで入ってニルバーナに入らずに戻ったのだから解脱していません。
>>276 :ラシン
>つまり、その記述(解脱していない)はベック本には無いわけですね。
>ならば、Qさんあなたの推察と言う個人的解釈で反論しているわけですね。
個人的解釈が入り込む余地は全くありません。
「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」という決まり文句の後に
「解脱」が出てくるのです。
これは「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」という決まり文句を
「解脱」だとは解釈していないことになります。
家族の人にでも聞いてみてください。
皆さんそうだとうなずくと思いますよ。
279 :
ラシン:2008/12/27(土) 18:11:50 ID:BlX75dTN
>277滅尽定まで入ってニルバーナに入らずに戻ったのだから解脱していません。
ははあ、では遊行して説法していた釈尊は仏陀ではなかった?
280 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 18:42:36 ID:CAFUQ7yU
>>258 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 15:30:52 ID:dwpSi7Nw
>「心が統一され・・・」に解脱の意味はありません。
あなたは「心が統一」のところだけを指しているが、では、その後の
「清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
はどうするのだ?
私が質問していることは無視してただ「統一」だけに噛みついている。
仏教の「清浄」「きよらか」「よごれなく」「汚れなく」が
煩悩から離れたこと以外の意味があるなら、
阿含経でも学者の説でもいいから、紹介してください。
「戒律とともに修養された精神統一は、大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された智慧は、大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。
智慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、
生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する、と。」
(『ブッダ最後の旅』107頁)
釈尊のこの説明は戒定慧の三学です。
統一とは定です。
戒定慧を修行すれば、「汚れ」という煩悩から離れて解脱するのです。
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、まさに上記の釈尊の説明と同じで解脱そのものです。
281 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 18:45:19 ID:CAFUQ7yU
>>260 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 15:35:13 ID:dwpSi7Nw
>このように沙門果経の神通力の描写には
>「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」
>という内容の決り文句が繰り返し出て来ます。
>ではこれって解脱しているのか?
>していません。
>何故なら解脱の描写はこれらの文句の後に出て来るからです。
すでに私は反論しているが、完全無視ですね。
あなたの国語力と勝手な解釈におつきあいをするつもりはないが、
あなたが上記の後に引用した文章のどこに、「神通力で解脱した」とあるのですか。
「とこのように認識する。 」とある。
認識するのです。
すでに「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」と、煩悩から解放され解脱しているから、
これらを認識し、確認していくのです。
仏教では普通の解脱の説明です。
しかし、どこにも、神通力でカルマを切って解脱したなんてない。
あなたが示さなければならないのは、「神通力によるカルマ解脱」です。
同じ主張は延々と書くのに、どうしてその根拠を示さないのだ?
根拠がないから、同じ主張を書き続けて、ごまかすつもりなんでしょう?
282 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 18:52:22 ID:CAFUQ7yU
>>268 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:10:02 ID:dwpSi7Nw
>それはあなたやユビキタスの解釈です。
>素人に過ぎないあなた方が自分勝手な解釈を押し付けるのはやめなさい。
>ベックはあなた方とは違って
>沙門果経は解脱へのプロセスを説いた教典であると解釈しています。
また何を議論しているのかすっかり忘れていますね。
私が、「釈尊の解脱とは神通力によるカルマ解脱などではない」と書いたことが
議論の始まりであり、そこからは一歩も出ていない。
あなたが沙門果経やベックを持ち出すのは自由だが、議論の焦点は、釈尊の解脱です。
>>269 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:11:34 ID:dwpSi7Nw
>ベックはそういう解釈はしていないのです。
すでに何度も指摘したが、あなたの解釈はベックの説明とは明らかに違う。
いかにもベックの説であるかように勝手な解釈を並べているだけです。
今回も、
>>272-273の文章を正反対の意味に取っていますね。
なによりも、未だにあなたはベックの書いたカルマ解脱の話など出していない。
ベックは神通力によるカルマ解脱など説いていません。
だが、あなたの目にはそれが見えるらしく、
>>66に引用して、
>>90でみんなから爆笑された。
こういうデタラメな解釈をするペテン大作さんが
>ベックはそういう解釈はしていないのです。
などと解釈しても、何の説得力もない。
誰もあなたの国語力を信用していないからです。
283 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 18:56:56 ID:CAFUQ7yU
>>274 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:37:12 ID:dwpSi7Nw
>私に反論したいのなら、
>ベックが仏教(下)の中で「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」
>という決まり文句を解脱だと解釈しているぞ、
何を筋違いな反論をしているのだ?
ベックが、漏尽解脱を解脱としていないというなら、
それをあなたが示すべきです。
学者たちは漏尽解脱が仏教の解脱であることを大前提として議論している。
だから、仏教辞典にもそのように書いてあるし、日本とドイツでも同じです。
あなたが
>>66で引用したベックの文章には
「世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、 世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される」
とあり、「漏」とは煩悩のことですから、ベックは煩悩から解放されることを解脱だと説明している。
あなたが、ベックが漏尽解脱を解脱だと説いている根拠をすでに示しているのだ。
あなたは自分で引用していて、それがわからないようですね。
284 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 19:01:34 ID:CAFUQ7yU
>>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>そしてその後、第四禅からニルヴァーナに入った。
>私がいつ釈尊は亡くなる直前にまだ解脱していなかったと言いましたか?
言いましたかって、あなたはその直前に「釈尊が解脱していない」と書いていて、
その直後に「言いましたか」と質問されても、他人はペテン大作さんのアタマの中はわからない。
あなたははっきりと「釈尊が解脱していない」と上記に書いた。
なんと、亡くなる直前まで釈尊は解脱していなかったのだそうです。
釈尊は36歳頃に解脱し、それ以後もずっと解脱者であり、仏陀です。
彼は解脱し、悟りを開き、涅槃に入っており、仏陀だった。
解脱から退いたことは一度もなく、亡くなるまで解脱者だった。
これが仏教の大前提です。
だが、ペテン大作さんに言わせると解脱していなかったそうだ。
初禅や第四禅にいた釈尊は解脱していないという??!!
285 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 19:09:53 ID:CAFUQ7yU
>>272 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:22:34 ID:dwpSi7Nw
>>273 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:24:54 ID:dwpSi7Nw
ラシンさんに質問されて、他人の文章をただ引用して終わりか?
他人に読めではなく、文章を引用した後、あなた自身の主張の
どのような裏付けになっているのかを解説すべきです。
いつもダラダラと書きまくるあなたがどうしてこういう時は
何も書かないのだ?
突っ込まれるが怖くて書けないのでしょう?
ベックの主張は何も新しいことは書いていない。
ベックの文章はあなたの、
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。 (
>>266)
という主張とは正反対のことを説いている。
ベックは釈尊が生きていた時から解脱していた、涅槃に入っていたと説き、
あなたはそうではないと説いている。
あなたは自分の主張とは正反対の根拠を示したのだ。
ついこの間も、あなたは
>>66をベックのカルマ解脱の解説だとして出した。
だが、誰一人、
>>66の文章にカルマ解脱の言葉も意味も見いだせない。
これと同じで、
>>266-267のベックの文章があなたの
>>266の
根拠になっているようには読めないばかりか、正反対のことが書いてある。
こういうペテン大作さんに、最初は精神の健康を疑い、
次は知能そのものに疑惑を持ったとしても、誰も責められない。
あなたは前に樹意さんに病院に行けとまで罵ったが、あなたの書き込みを見る限り、
それは天に吐いたツバのように見えます。
286 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/27(土) 19:12:16 ID:TBRkWPjx
>>266:神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw [sage]
>何が言いたいのか知らんが一応答えておきましょう。
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>そしてその後、第四禅からニルヴァーナに入った。
>ニルヴァーナに入ったのだから解脱です。
>私がいつ釈尊は亡くなる直前にまだ解脱していなかったと言いましたか?
いや、違うのですよ。釈尊は35歳の時に菩提樹の下で悟りを開いて、45年間伝道生活を続けたわけですが、
実は亡くなる直前まで解脱していなかったのですか?と訊いたのですよ。
>>284と見事にシンクロしましたが。
私はこれからまた忘年会なので、それではまた。
と言ってもザのスレの方かな。今日書くとしたら。
287 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 19:13:02 ID:DGp4eGmD
佛告婆蹉。
有二法。
修習多修習。
所謂止觀。
此二法修習多修習。
得知界果。 覺了於界。
知種種界。 覺種種界。
如是比丘。
欲求離欲惡不善法。
乃至第四禪具足住。
慈悲喜捨。 空入處。
識入處。 無所有入處。
非想非非想入處。
令我三結盡。
得須陀洹。
三結盡。
貪恚癡薄。
得斯陀含。
五下分結盡。
得阿那含。
種種神通境界。
天眼天耳。 他心智。
宿命智。 生死智。
漏盡智。 皆悉得。
是故比丘。 當修二法。
修習多修習。 修二法故。
知種種界。 乃至漏盡。
爾時尊者婆蹉聞佛所説。 歡喜作禮而去
288 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 19:16:18 ID:DGp4eGmD
阿那含の境涯です。
289 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 19:18:11 ID:CAFUQ7yU
>>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>>277 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:55:33 ID:dwpSi7N
>滅尽定まで入ってニルバーナに入らずに戻ったのだから解脱していません。
入滅直前に、釈尊が初禅から入った段階では、「釈尊は解脱していなかった」
というのが、ペテン大作さんの説のようです。
つまり、ペテン大作さんによれば、釈尊は八十歳で亡くなるまで解脱していなかったらしい。
年末大爆笑賞はやはりペテン大作さんにあげてはどうでしょうか。
繰り返すが、ペテンさんが引用したベックの
>>272-273は
あなたの説とは正反対のことを書いているのです。
同じ文章を読んでも正反対の意味にとれるのですね。
やはり国語力の問題だったか。
私はあなたが引用したベックの本は持っていますが、
どうやったらあなたみたいな変な解釈ができるのか不思議でたまらない。
>家族の人にでも聞いてみてください。(
>>278)
と言われても、普通の人の周囲には、あなたのように書いていないことを読めたり、
正反対の意味に読める人なんていないから無理です。
ペテン大作さんは自分の親族や仕事仲間に自分の意見を述べると、
「うん、わかった、わかった、キミの言うとおりだよ」と言ってくれるから、
第三者も自分と同じ解釈をしていると思っているのですか。
彼らはあなたには異見しても無駄どころか、後で陰に陽に執拗に復讐されるから、
関わりを持たないようにしているだけで、内容に賛同しているのではありません。
290 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 19:19:59 ID:DGp4eGmD
阿羅漢はその先です。
釈尊は、さとりの領域を未来過去現在と担保する存在、仏陀です。
291 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 22:01:49 ID:CAFUQ7yU
http://www2.atchs.jp/agama/ >>411 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/27(土) 16:18:57 ID:/uk2PXGE
>それこそ深く信頼できる感じになれば、どこそこの会員だ、とやるかもしれませんね。
ミクシーに行ったらどうかという私の助言を受け入れて、閉鎖社会での
議論を始めたというなら、もう一つ、私の助言を聞いてほしい。
閉鎖社会内で議論をしても、上記のような信者本人が特定されるような事を
書くのはやめたほうがいい。
非常に危険です。
参加者には決して個人的な情報を書き込まないように警告するのは
参加を呼びかけたあなたの責任です。
あなたはもはやアゴン宗からは心が離れているかもしれない。
だが、あなたが誘っている人たちが必ずしもそうだとは限らない。
閉鎖社会自体がネットである限り、完璧な防御は無理です。
万一、その中に信者を装ってスパイが入り込んだら、全滅です。
スパイとは批判側の話ではなく、宗務局です。
あなたは私など批判側からの攻撃ばかり考えているが、
批判側はある意味で姿を見せて、正面から攻撃するから、怖くない。
問題はあなたの後ろ、アゴン宗と宗務局です。
あなたは自分の後ろこそが危ないことにまだ気が付いていない。
議論のすべてを彼らはちゃんと読んでいる。
彼らが最も嫌うのは、批判側ではなく、「裏切り者」です。
あなたが今しようとしていることは、宗務局から見たら、
アゴン宗の内側に反乱分子を増やそうとしていることです。
あなたはたぶん宗務局ともろに関わったことがないようだし、
桐山さんやW田さんなどの無慈悲なやり方も知らないようだ。
一番わかりやすいたとえでいうなら、彼らのやり方はヤクザです。
と、言われて、あなたがもし「なんだ、また七氏の悪口か」と
思ったら、なおさら、あなたは宗務局と関わったことがないのがわかる。
292 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 22:04:51 ID:CAFUQ7yU
>411 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/27(土) 16:18:57 ID:/uk2PXGE
>それこそ深く信頼できる感じになれば、どこそこの会員だ、とやるかもしれませんね。
「腐ったミカン(リンゴ)はつまみ出せ」
これが桐山さんの口癖であり、宗務局のやり方で、実際にそのようにします。
つまり、一つの腐ったミカン(信者)があれば、他のミカンも腐ってだいなしになる。
だから、腐ったミカンを一つ見つけたら、問答無用でたたき出す。
一罰百戒を信者の前で見せつけ、文句など言う者は
こんなふうになるぞと見せしめにするのです。
精神に問題のある信者などに泥棒の因縁をつけて、
宗務局と修行者と総出で追い出したのを見たことがある。
こんなのは一人や二人ではない。
今はますますW田体制になっているから、締め付けが厳しいはずです。
腐ったミカンとは、もちろん、今のあなたのことです。
自分では中立のつもりでも、宗務局から見て中立などありえない。
あなたは立派な腐ったミカンです。
しかも、さっさと辞めるならいいのに、教団内に残り、
なんと信者を集めて、秘かに教団についての本音トークをするという。
これが宗務局から見て、どう見えるか、まだあなたは理解していない。
だから、上記のようなのんびりしたことが書けるのです。
293 :
神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 22:09:50 ID:CAFUQ7yU
>411 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/27(土) 16:18:57 ID:/uk2PXGE
>それこそ深く信頼できる感じになれば、どこそこの会員だ、とやるかもしれませんね。
あなたは主催者として参加している信者たちを守る義務がある。
つまり、信者として留まりたい者は留まれるような環境です。
だが、上記のような不用心な態度で、個人的なことをペラペラ書いたら、
アゴン宗など信者がそれほど多くないから、ちょっとしたことから個人を特定できる。
地方道場なんか数百人規模のところもあるから、簡単に見破られてしまうでしょう。
スパイに出し抜かれて、一網打尽にされたら、
信者として留まりたいのに、有無を言わさず追い出される。
あるいは、桐山ゲイカを批判した裏切り者という烙印を押され、事あるごとに排除される。
私の助言など聞きたくもないだろうが、アゴン宗には「中立」などというものは存在しない。
それはあなたの幻想です。
桐山さんから見たら、敵と味方しかいないのです。
用心しなければならないのは、前から来る批判側の攻撃ではなく、
あなたがまだまるっきり用心しておらず、良い所も見つけてあげようとしている「後ろ」です。
294 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 22:34:03 ID:DGp4eGmD
五功徳(阿含経)
何謂爲五。
一者諸有所求輒得如願。
二者所有財産増益無損。
三者所往之處衆人敬愛。
四者好名善譽周聞天下。
五者身壞命終必生天上。
時夜已半。告諸信士。宜各還歸。諸清信士即承佛教。
遶佛三匝禮足而歸。爾時世尊於後夜明相出時至閑靜處。
天眼清徹見諸大天神各封宅地。中神下神
亦封宅地。是時世尊即還講堂就座而坐。
295 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 22:38:53 ID:DGp4eGmD
間違っています。
↓
ID:CAFUQ7yU
296 :
樹意:2008/12/27(土) 22:48:08 ID:pMBmqB/M
297 :
樹意:2008/12/27(土) 22:54:39 ID:pMBmqB/M
ザのスレッドに引用したものだが、こちらにも参考に引用する。
旧セヤドーHPより
Q4−5 修行者は近行定だけで、出世間の境地に到達することができますか?
A4−5 出来る。近行定の段階でも、明るく輝き、放射する光が生起する。この光によって、
修行者は色聚、究極色法、究極名法とそれらの因縁を判別することができる。その後に、
修行者は引き続き観禅(ヴィパサナ)の修行を一歩ずつ進めればよい。
Q1 通常、禅那(jhaana)は何種類ありますか?
A1 禅那には二種類ある。それは世間禅(lokiya-jhaana)と出世間禅(lokuttara-jhaana)である。
世間禅とは、すでに解説したとおり初禅、第二禅、第三禅と第四禅である。これらは世間禅である。
修行者が観禅(vipassanaa)を修行した結果、行捨智(sankhhaupekkhaa-nyana)に到達して、名と色、
因と果の無常または苦または無我の本質を覚知・照見するとき、同時に強力に禅那法の三相を識別する
ことができる(ようになるが、また)修行者が初禅法の無常、苦、無我の本質を覚知・照見しているとき
に涅槃を証悟したなら、その道智と果智は初禅道智と初禅果智であるという。それらを初禅と呼ぶのは、
その道智と果智の中に五禅支が含まれているからであるが、これらの修行の到達レベルは出世間禅である。
298 :
樹意:2008/12/27(土) 23:00:34 ID:pMBmqB/M
同様に、第四禅禅那法の無常、苦、無我の本質を覚知・照見しているときにも、修行者は涅槃を証悟する
ことができる。このときの道智と果智は第四禅法といい、これも出世間禅である。その道智と果智の中には
二種類の禅支が含まれているが、それは即ち捨と一境性である。
ーー無色界禅那法省略ーーー
いまだ禅那に到達していない純観行者は、四種類の色法(業生、心生、時節生、食生)と欲界名法
(kaamaavacara-naama-dhamma)の無常、苦、無我の本質を覚知・照見する。色法についていえば、
実際に観禅の対象となるのは、十八種類の真実色であり、名法についていえば、純観行者の観禅の対象は
ただ欲界の名法のみである。欲界の名法とは、六門心路過程、即ち眼門心路過程、耳門心路過程・・・である。
純観行者はいまだ禅那に到達していないので、禅那法の無常、苦、無我を覚知・照見することはできない。そのため、
彼らは、ただ色法と欲界名法の無常、苦、無我だけを覚知・照見することになる。
純観行者はこれらの名法または色法の無常、苦、無我の本質を覚知・照見することによって涅槃を証悟する
ことができる。そのとき、彼らの道智と果智は、やはり初禅法と呼ぶことができる。なぜであるか?彼らの道智
と果智の中には五禅支、即ち尋、伺、喜、楽、一境性が含まれているからである。これは世間禅ではなく、
出世間禅である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一般的には止禅の法門を修して、四禅まで達し、その定力をもって観禅へとシフトするが、神通力その他を
希望せず、ダイレクトに阿羅漢道智を得にいく方々もおり、その方々は実に初禅、近行定の段階で
慧解脱する。 (阿羅漢道智)を得る。 観禅(出世間禅) とのことです。
299 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 23:04:16 ID:DGp4eGmD
ニルバーナいったきり=辟支佛
釈尊⇔法
釈尊⇔梵
釈尊=法身梵身
300 :
樹意:2008/12/27(土) 23:12:18 ID:pMBmqB/M
上記 第二禅、 第三禅 省略が抜けていましたので補正します。
近行定、初禅、第二禅、第三禅、第四禅 このいずれかでも 観禅を執して
阿羅漢道智(涅槃)を得る (出世間禅)に到達するとのことです、
四界分別観から
涅槃への最短距離を走る、純観行阿羅漢(慧解脱)の場合は 近行定とありますが
一応初禅の扱いだとのことです。
いずれにしても三学 戒定慧の 戒清浄より始める必要があるのはいうまでもありません。
301 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 23:32:35 ID:DGp4eGmD
比丘如是入第四禪。心無増減。亦不傾動。住無愛恚無動之地。
此是第四現身得樂。所以者何。斯由精勤不懈念
不錯亂樂靜閑居之所得也。彼得定心清淨無穢。
柔濡調伏住無動地。自於身中起變化心。
化作異身支節具足諸根無闕。彼作是觀。
此身色四大化成彼身。此身亦異彼身亦異。
從此身起心化成彼身。諸根具足支節無闕。
譬如有人鞘中拔刀。彼作是念。鞘異刀異而刀從鞘出。
又如有人合麻爲繩。彼作是念。麻異繩異而繩從麻出。
又如有人篋中出蛇。彼作是念。篋異蛇異而蛇從篋出。
又如有人從簏出衣。彼作是念。簏異衣異而衣從簏出。
摩納。比丘亦如是。此是最初所得勝法。所以者何。
斯由精進念不錯亂。樂靜閑居之所得也。彼已定心清淨無穢。
柔濡調伏住無動地從己四大色身中。起心化作化身一切諸根支節具足。
彼作是觀。此身是四大合成。彼身從化而有。
此身亦異彼身亦異。此心在此身中。
302 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/27(土) 23:56:56 ID:DGp4eGmD
ビルマの仏教のミラクルは、根源的に日本の密教と相通じています。
わたくしはビルマの高僧が日本の護摩のような手法でつくった
銀色の粒をいただいています。
303 :
元カリフォルニア支部会員:2008/12/28(日) 01:13:58 ID:GkkeojyM
54 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 12:00:29 ID:VTJs3bmr
>>254 >今、欧州支部、カナダ支部、ハワイ支部も縮小・閉鎖の方向で
>A宅はせっせと活動していると、ある海外会員から聞きました。これもW田さんの指示なのでしょう。
>ということは、W田さんは海外布教などする気はないということですね。
欧米に限って海外があるとW田さんにとってまずいことがあると聞きました。
海外閉鎖は自己防衛のためでは。
304 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 10:01:20 ID:iZWYFZGf
イスラエル軍ガザ空爆、205人死亡
12月27日21時5分配信 読売新聞
【カイロ=福島利之】イスラエル軍は27日、イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザに
激しい空爆を行い、AFP通信は、少なくとも205人が死亡、300人以上が負傷したと伝えた。
ロイター通信によると、イスラエルの攻撃による一日の犠牲者数としては1980年代の第1次インティファーダ
(対イスラエル蜂起)以降最多。空爆後、ガザの武装勢力がイスラエル南部にロケット弾を撃ち込み、
イスラエル人1人が死亡した。ハマスなどパレスチナ各勢力は「報復」を宣言しており、今後、イスラエルとの間で
全面的な戦闘に発展する恐れも出てきた。
阿含宗のイスラエル護摩法要の結果、イスラエルの情勢は世界平和とは逆の方向に動いているようですね。
305 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 11:25:04 ID:yI1PFbOp
ウソ八百の阿呆宗を徹底的に叩き潰してくれよ
存在できないほどに暴きまくってくれよ
新興宗教界のガンの中のガンである切り山の悪事を世間にばらしてくれ
そして盲目の信者の眼を醒ましてくれ
306 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 11:43:18 ID:yI1PFbOp
来年はイスラエルとアラブの大戦争が勃発します
切り山にはなんの力もありません
世界の金融や経済の状況を見た場合これが必然なのです
アメリカの経済立て直しの為にもそうなります
覇権を賭ける戦いになるでしょう
307 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 11:59:02 ID:yI1PFbOp
焚き火をたいても意味ありません
そこに芋か餅を入れると美味しくなるだけ
眼を醒ませよ
いつまでバカやってんだよ
309 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 14:35:10 ID:KfyoZVUZ
以上
草加ユビキタスでした
>>281 :神も仏も名無しさん
>あなたが上記の後に引用した文章のどこに、「神通力で解脱した」とあるのですか。
>「とこのように認識する。 」とある。
>認識するのです。
>すでに「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」と、煩悩から解放され解脱しているから、
>これらを認識し、確認していくのです。
それはあなたの解釈です。
そういうのはあなたの狂人日記にでも書いておきなさい。
認識したから解脱したのです。
本人がそう言っているのだから間違いありません。
『したがって、仏教の行き方を下から見て行くと、道の本来の予備段階(八正道の中ではやはり第一段階と言われる)
は正しい信条である。それから瞑想に到るまでの道の諸段階は、思考と言葉と行動とにおける“正しいふるまいの規範”として
要約することができよう(この中で、第七の“正しい思念”はすでに瞑想ときわめて密接な関係がある)。
正しい倫理的なふるまいから正し瞑想が生じ、同様にして、その瞑想から正しい認識が生じ、認識から解脱が生ずる。』
(『仏教(下)』24頁)
↓
正しい倫理的なふるまいから正し瞑想が生じ、
同様にして、その瞑想から正しい認識が生じ、
認識から解脱が生ずる。
“認識から解脱が生じる”
この言葉があなたの目には
煩悩から解放され解脱しているから認識すると読めるのか?
ならば至急病院へ行きなさい。
ここでいつまでも頑張って
躾の悪い犬みたいに吼え続けて人に迷惑をかけるのはやめなさい。
【落武者実態レポート】
★すり替え大好き!!
(三明をカルマ解脱にすり替えた)
>>216 :神も仏も名無しさん
>だから、学者たちは三明の神通力でカルマを切ったなんて書いていない。
>>236 :神も仏も名無しさん
「神通力でカルマ解脱した」という桐山説をあなたは未だに証明できない。
阿含経の根拠も示せなければ、学者の説も出せない。
あなたが示したベックの解説には、カルマもカルマ解脱もない。
>>282 :神も仏も名無しさん
>なによりも、未だにあなたはベックの書いたカルマ解脱の話など出していない。
私がいつどこで「神通力でカルマ解脱したことを証明する」と言いましたか?
あなたは私が証明すると言いもしないことを勝手に作り出して
そうら証明できないだろ、と一人で得意がっている。
あなたって本当は「只のバカ」ではないかとこの頃思います。
今回の議論(というよりは戯論)のきっかけは、
あなたの書いた一連の書きこみ、すなわち
>>115 :神も仏も名無しさん
>釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱したと宣言しているのです。
>>117 :神も仏も名無しさん
>三明六通と呼ばれる神通力のいずれもが煩悩を切ることとは関係がないのです。
に対するものです。
私はこれに対してレスをつけているのであってカルマ解脱を証明するなどと言ったことはない。
それがあなたにとってどれほど関心があるか知らんが私には関係の無いことです。
私のやることは三明六通が解脱に関連していることを証明することです。
そしてそれを証明した。
認識したから解脱した。だから「三明→解脱」です。
あなたそれを潰すために 三明の議論をカルマ解脱にすり替えたのです。
こうして落武者は落ちるところまで落ちてゆく。
>>284 :神も仏も名無しさん
>>266 :神も仏も名無しさん
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>そしてその後、第四禅からニルヴァーナに入った。
>私がいつ釈尊は亡くなる直前にまだ解脱していなかったと言いましたか?
>なんと、亡くなる直前まで釈尊は解脱していなかったのだそうです。
>釈尊は36歳頃に解脱し、それ以後もずっと解脱者であり、仏陀です。
>彼は解脱し、悟りを開き、涅槃に入っており、仏陀だった。
>解脱から退いたことは一度もなく、亡くなるまで解脱者だった。
>これが仏教の大前提です。
亡くなる直前まで釈尊は解脱していなかった?
あなたが何を言いたいのかさっぱりわかりません。
私はベックの以下の文章の話をしているだけです。
ここにブッダが解脱した時期が書いてあるんですか?
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
(81,82頁)
最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
これがおかしいのですか?
ならば正しい解釈とはどういうものか書いてみてください。
>>285 :神も仏も名無しさん
>ベックは釈尊が生きていた時から解脱していた、涅槃に入っていたと説き、
>あなたはそうではないと説いている。
これの何処に「生きていた時から解脱していた」と書いてあるのですか?
↓
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
>>286 :ユビキタス
>いや、違うのですよ。釈尊は35歳の時に菩提樹の下で悟りを開いて、45年間伝道生活を続けたわけですが、
>実は亡くなる直前まで解脱していなかったのですか?と訊いたのですよ。
この文章に解脱の時期が書いてあるのですか?
↓
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
【落武者実態レポート】
★すり替え大好き!!
(「さとりの後に過去を透視した話」を「三明」にすり替えた)
>>234 :神も仏も名無しさん
>>56 :神も仏も名無しさん
>博士は、十二因縁については、さとりの後に説かれたものであることを断言していますが
>それは裏づける資料が豊富だからです。
>それに対してさとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない
>あなたが書いた内容がいかに根拠がないか、流れを読んでみなさい。
>あなたは56で、釈尊の解脱の内容については、十二縁起はたくさんあるが、
>三明の阿含経は少ないと書いた。
>私から、あなたの恒例の読み間違いだと
>>84で指摘され
「さとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない」
を
「三明の阿含経は少ない」
にすり替えました。
>>234 :神も仏も名無しさん
>>197 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 23:10:14 ID:IgFzv94j
>この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁)
>それにくらべれば十二縁起の引用は多い。
>>219 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 00:28:21 ID:/OdEK1lb
>博士が一件だと言わなくても一件しか書いてないのだから一件ですよ。
>あなたは開き直りに、197で、三明の阿含経は一件しかないかのように、
>また十二縁起はたくさんあるかのように書いた。
>しかも、悪質なことに、まるで中村博士が本で書いているかのように、
>本の題名と頁数まで載せた。
>十二縁起がたくさんあって、三明が一つしかないなんて
>中村博士は書いていないことをあなたも219で認めた。
>中村博士は書いていないのに、
>この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁)
>などと、いかにも書いているかのように見せかけた。
>つまり、56も197も嘘、あなたの作り話です。
>私から指摘されたから、悔し紛れについた嘘です。
>あなたの悪質な点は、自分の思い込みを根拠もなしに堂々と書くばかりか、
博士が言わなくても
「さとりの後に過去を透視した話」は一件しかない。
そんなに文句が言いたいのなら自分で見つけてくればいいではないか?
しかもその一件にしても私が見つけたのであって
あなたは自分で調べもしなかった。
もっとも知っていたがここには書かなかったのかも知れない。
私は博士の全集で調べた。
しかし「さとりの後に過去を透視した話」は一件しかなかった。
そんなにこの話が気に入らないのなら自分で調べなさい。
それから文句を言いなさい。
この横着者。
>>235 :神も仏も名無しさん:2008/12/26(金) 12:52:46 ID:vay/AmP6
>「清浄・・煩悩(ぼんのう)の汚れを意味する<雑染(ぞうぜん)>(saklea)に対立する」(『岩波仏教辞典』).
>仏教では、清浄とは、煩悩がないことを意味するのです。
>>280 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 18:42:36 ID:CAFUQ7yU
>あなたは「心が統一」のところだけを指しているが、では、その後の
>「清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>はどうするのだ?
そんなものはヨーガ経典にも出てくる修行者の心の状態を表す単語に過ぎない。
どうもあなたの話を聞いていると
解脱というものを煩悩をなくすことだと単純に考えているようだ。
確かにそれは間違いではない。
だが解脱とはそんなに単純なものではない。
博士が書いているだろう?
さとりは色々と説かれているのだと。
自分で引用しながらちっとも身に付いていないようだね。
批判に利用しているだけとはもったいないよ。
ここにあなたが引用したものを挙げておくからよく読んで勉強するように。
↓
90 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:35:01 ID:Y9QwwZmh
『ブッダ入門』中村元、130〜131ページ
「さて、釈尊がブッダガヤーで何をさとったかということですが、これは仏典によって、
いわれていることがみな違うのです。十二因縁によって真理をさとったということが、
よく書物に書かれていますが、よく原典を読んでみると、さとった後で、
十二因縁の道理に気が付いたということになっています。
十二因縁の教えというのは、何といっても新しいのです。
『スッタニパータ』の中には、十二因縁の原型になるような、もっとシンプルな、
簡単なかたちの縁起説が説かれています。だから、十二因縁というのは、
ある時期にきちっとした体系が成り立った、その時期のものだと思います。
それから若干の叙述によると、過去世を見通したということも書いてあります。
これもさとった結果、過去世を透視したのです。過去世を透視したから、
さとったのではありません。
すると、仏典の記述は一定していないわけですね。」
「心が統一され・・・」の文句が解脱を意味してるのなら
>>259、
>>260の文章はこういう風になります。
『解脱者はこの精神的要素を洞察的観照(もしくは観照的洞察〔智見〕にふりむける。』
(82頁)
↓
『解脱者は精神を傾けて、ある別の霊的ないし霊的な身体〔意所成身〕を形成することに努める。』
(83頁)
↓
『解脱者はこの精神的要素を導いて、
さまざまな超感性的な完成の実行へと向かわせる〔心を神変に引発誘導〕(『沙門果経』八七節)。』
(87頁)
↓
『解脱者はその心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、これは苦悩の絶滅である、
これは苦悩の克服にいたる道である、これは俗世の迷妄である、これは俗世の起源である、
これは俗世の絶滅である、これは俗世の絶滅にいたる道である」とこのように認識する。
また、解脱者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
解脱者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
(104頁)
解脱者はわざわざ意生身を作って神通を表わし
御丁寧なことに二度解脱することになる。
こりゃ前代未聞ですな。
あ〜馬鹿くさい。
「精神がこのように一点に集中され、
純粋明朗で煩悩を離れ、不動の状態に達すると、」
に解脱の意味があるわけないだろう?
いい加減にしなさい。
ペテン師さん。
>332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
>とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
>仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
>全員が、これは解脱したことを意味すると解釈するはずです。
仏教学者に聞けというから私は仏教学者の著作を調べて
「心が統一され・・・」を解脱と解釈していない文献を示した。
それに対して七氏さんは、一つ一つの語句を辞典を使って説明しただけで
経典の中に書かれた「心が統一され・・・」という文句が
確かに解脱の意味であると解釈する学者の文献を示せなかった。
中村博士の言葉は「心が統一され・・・」が解脱だと言っているわけではないから
根拠にはならない。
「心が統一され・・・」が解脱だという根拠は一つも無かった。
七氏さんは嘘を書き並べたことになる。
彼は仏典を歪曲するという大変な悪業を積まれた。
心よりお祝い申し上げます。
合唱。
322 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 17:31:15 ID:2tYHgIdi
あいも変わらず自己主張のオンパレードだな
質問に答えてないよ
こんな駄文だったら読む価値なし、いい加減にしろよ
323 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 18:44:11 ID:BmUBx+lj
>>310 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 14:41:42 ID:nF7krmiK
>認識から解脱が生ずる。
あなたのベックの言葉尻をとらえた解釈はいいから、
どこで桐山さんがこのような説を唱えているか説明してみなさい。
ここはペテン大作さんの仏教スレではない。
アゴン宗の批判スレです。
桐山さんを擁護したければ、桐山さんの説く解脱について説明しなさい。
桐山説を擁護するためにベックや中村博士を出すのはかまわない。
だが、桐山さんが説いてもいないことをあれこれと主張したいなら、
それはスレ違いだから、別スレを立てなさい。
あなたのスレ違いぶりは次の文章にもよく現れている。
324 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 18:46:12 ID:BmUBx+lj
>>311 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 14:57:36 ID:nF7krmiK
>私がいつどこで「神通力でカルマ解脱したことを証明する」と言いましたか?
では、先に、あなたは自分の立場を表明するべきだ。
「神通力でカルマ解脱した」という桐山説をあなたは支持するのかしないのか。
なぜなら、これがこのスレのテーマだからです。
あなたがどんな意図で反論してきたかなんて、私にもこのスレにも関係ない。
私は「神通力でカルマ解脱した」という桐山説を批判し、
あなたはそれに反論してきた。
>三明六通と呼ばれる神通力のいずれもが煩悩を切ることとは関係がないのです。
という私の説明は、「神通力でカルマ解脱した」という桐山説に対する批判です。
そこに口を出すのなら、まずあなたが桐山説を支持するのかどうかを
はっきりと示すべきだ。
桐山説を支持もせず、今のように、あなたの勝手な解脱説を表明したいのなら、
スレ違いだから、よそに行きなさい。
325 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 18:48:42 ID:BmUBx+lj
>>311 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 14:57:36 ID:nF7krmiK
>私のやることは三明六通が解脱に関連していることを証明することです。
では、議論は終了です。
三明が解脱に関連していることに反対している人など一人いません。
学者たちは釈尊の解脱の内容に四禅三明が含まれることを認めている。
私を含めて批判側は誰もこの説明に反対している人などいません。
あなたが証明などしなくても、阿含経に四禅三明が出てきます。
あなたの証明など誰も求めていないから、お引き取りください。
326 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 18:53:33 ID:BmUBx+lj
>>315 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:46:32 ID:nF7krmiK
>「さとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない」
>を
>「三明の阿含経は少ない」
>にすり替えました。
あなたが中村博士が書いてもいないことを書いたのです。
しかも、本のページ数まで示して、いかにも中村博士が
そのように書いたかのように見せかけた。
>それに対してさとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない。 (
>>56)
あなたは56で資料が少ないと断定している。
それを追求されると、
>この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁) (
>>197)
などと、まるで中村博士が本で「一件しかない」と書いているかのような書き方をした。
だが、中村博士はそんなことは一言も書いていない。
あなたが印象操作をしようとしたのです。
327 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 18:55:14 ID:BmUBx+lj
>>316 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:57:59 ID:nF7krmiK
>「さとりの後に過去を透視した話」は一件しかない。
あなたは中村博士が「さとりを開いたのち」と書いているから、
410頁の経典だけがそれにあてはまると思っているのですか。
中村博士はそんなことは一言も書いていない。
あなたが引用した410頁の次の頁に、「他の経典では・・・」として、
別な経典を引用している。
また、411頁の後半では、中部経典も引用して、四禅三明について説明している。
これらは全部、「さとりを開いたのち」の事例です。
なぜなら、中村博士は「解脱→三明」を前提としているからです。
過去を透視した経典はここだけでも少なくとも三件も取り上げられているのです。
一件しかない、などというのはあなたの勝手な解釈にすぎない。
328 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 18:59:57 ID:BmUBx+lj
>>317 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 16:21:10 ID:nF7krmiK
>博士が書いているだろう?
>さとりは色々と説かれているのだと。
私はすでにこの件はこのスレになってからも何度も説明した。
中村博士が、
「すると、仏典の記述は一定していないわけですね。」
と言っているのは釈尊の「さとりの内容」「解脱の内容」です。
その内容は桐山さんも取り上げている三項目、
私が引用した菅沼先生は五項目ほどあげている。
釈尊のさとりの内容が3〜5項目もあり、経典によって一定していないと
中村博士は書いただけです。
解脱という言葉の定義にいろいろ種類があると言っているのではありません。
「仏教では煩悩から解放されて自由な境涯になることをいう。」(『岩波仏教辞典』)
これが仏教の解脱の定義です。
この辞典の編集委員の筆頭は中村博士です。
つまり、上記の定義は中村博士も認めているのです。
329 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:04:03 ID:BmUBx+lj
>>317 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 16:21:10 ID:nF7krmiK
>そんなものはヨーガ経典にも出てくる修行者の心の状態を表す単語に過ぎない。
>>280に釈尊その人の言葉を引用されても、まだあなたは
ヨーガ経典など何の根拠にならないものを執念深く出し続ける。
仏教では、あなたのようなねじれた根性を「汚れ」「よごれ」といい、
それは煩悩のことです。
「諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、 生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する」
(『ブッダ最後の旅』107頁)
釈尊が示しているように、汚れ(=煩悩)から離れることが解脱です。
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは煩悩から解き放たれた、つまり解脱したという意味です。
三明の前にすでに解脱しているのです。
330 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:07:36 ID:BmUBx+lj
>>312 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:18:40 ID:nF7krmiK
>最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
>これがおかしいのですか?
>ならば正しい解釈とはどういうものか書いてみてください。
十分におかしいし、その正しい解釈もあなたが引用した
>>284で私はすでに説明しています。
釈尊は菩提樹の下で解脱した後は入滅するまでずっと解脱者、仏陀です。
簡単にいえば、「解脱したまま」だった。
だが、あなたは「解脱していない」とまた書いた。
あなたの説では、『ブッダ最後の旅』など、阿含経に出てくる釈尊は
すべて解脱していないことになる。
331 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:14:54 ID:BmUBx+lj
>>313 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:22:15 ID:nF7krmiK
>これの何処に「生きていた時から解脱していた」と書いてあるのですか?
はい、書いてあるのです。
それが読めないのは、あなたは視野が狭く、目の前の文章しか見えず、
しかも慢心から勝手な解釈をするからです。
説明してあげても、いっさい受け付けないばかりか、説明を罵り、
我流の解釈に固執するからです。
だから、「解脱していない」などと、批判側や信者側を問わず、絶句するようなことを
平然と書いてしまった。
ベックに限らず、釈尊が入滅するまで解脱していなかったなんて言う
学者も僧侶も一人もいない。
桐山さんですら、そんなバカなことは言っていません。
あなた以外の全員が、釈尊の解脱とは菩提樹の下であると認定している。
これが仏教の大前提です。
生きている時の釈尊が解脱していなかったなんて言い出したら、仏教は成り立たない。
釈尊が解脱したのは菩提樹の下であって、沙羅双樹の下ではありません。
332 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:16:49 ID:BmUBx+lj
>>314 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:28:22 ID:nF7krmiK
>この文章に解脱の時期が書いてあるのですか?
生きていた時の釈尊が解脱していないなら、
では、あなたとこれまで議論してきた菩提樹の下での解脱とは何なのだ?
釈尊がどの段階で解脱したのかという議論をしてきたのではありませんか。
私はてっきり、あなたも釈尊が菩提樹の下で解脱したという前提で
いるのかと思ったが、どうやら、あなたはあれを解脱とはみなしていないようだ。
桐山説「三明→解脱」は間違いだと批判して、私は「解脱→三明」だと述べた。
だが、ペテン大作説では「三明→解脱」ですらなく、釈尊は亡くなってから解脱したらしい。
だったら、今まであなたは何の議論をしてきたのだ?
333 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:21:32 ID:BmUBx+lj
>>312 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:18:40 ID:nF7krmiK
>ならば正しい解釈とはどういうものか書いてみてください。
あなたが何を誤解しているのか、私は丁寧に説明してあげたいと内心思っている。
それどころか、簡単な答えも説明もすでにしている。
だが、ここで再度説明しないのは、釈尊が入滅してから解脱したなんて
オカルト仏教のアゴン宗ですら説いていない珍説であり、ここでの議論対象外だという理由が一つ。
もう一つは、私は凡人なので、あなたみたいな人に説明しようという気がおきない。
大日さんや信者時代の○○屋さんには説明してきた。
私に反発しても、礼儀を重んじる人たちだからです。
他の信者さんたちのためにも、何を誤解しているのか、何を思い込んでいるのかを
解説することは有意義です。
だが、あなたは礼儀も知らず、ただ私を罵倒することにしか興味がない。
牙をむきだしてうなっている犬の口に手を出すような度胸は私はありません。
334 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:27:14 ID:BmUBx+lj
>312 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:18:40 ID:nF7krmiK
今回ペテン大作さんは仏教などまったく理解していないという馬脚を現した。
どんな偉そうなことを書き、学者の文章を引用してみせても、
釈尊が生きている間は解脱していなかったなんて書いたら、
いわゆる「お里が知れる」、つまりあなたの仏教理解はゼロだということです。
私は前から、信者さんたちに「桐山本だけでなく、阿含経の現代語訳や
学者の解説本も読んでみてください」としばしば勧めてきた。
今年になって私はこの言葉があてはまらない人たちがいることに気づかされた。
ペテン大作さんと子孫さんです。
二人とも阿含経や学者の解説本を読み、よく引用する。
ペテン大作さんは中村博士の専門書まで買って読んでいる。
だが、その解釈内容にはしばしば絶句させられ、熱が出そうになる。
大半が経典解釈以前の国語の読解力の問題です。
仏教を理解するどころか、ますます我流の解釈に陥り、
しかも学者が自分の自己流解釈を支持していると強く信じ込んでいる。
阿含経や解説本を読んだばかりに、この二人はいよいよ仏教から遠ざかってしまった。
335 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 19:36:10 ID:BmUBx+lj
>312 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:18:40 ID:nF7krmiK
わかりやすい日本語で釈尊本人や学者から説明されれば、正しく理解するだろう、
という私の考えが成り立たないことをお二人は教えてくれた。
ペテン大作さんは本当に勉強になる人です。
信者さんたちも彼のことは迷惑だと思って、性格的にも嫌なやつだと
毛嫌いする人もいるだろうが、ダニが森林にとって必要な生き物であるように、
彼は実はとても役立っている。
ペテン大作さんが桐山さんの正体を知った後でアゴン宗に戻ったことは
私の常識を覆してくれた。
赤松論文を正反対の意味にとって引用した時も驚いたが、これに懲りず、
値段の高い中村本を買って読みながら、まったく内容を理解できず、
ベックの本などまたしても正反対の意味にとっているのを見て、私はさらに学ばされた。
あなたが、釈尊が解脱していなかったと書いた時には、私は目が点になり、
ユビキタスさんと2ちゃんのネコを誘って、阿波踊りでもしようかと思った。
ラシンさんが質問してくれたから助かったが、私はあまりの光景に
なんとレスをつけてよいのやら迷ったほどです。
ペテン大作さんは私の常識を破壊してくれるありがたい存在です。
仏様から「本を読めばわかるだろう、などというお前の考えは
成り立たないぞ。現実をよく見ろ」と突きつけられる。
私の実生活ではお二人のような人はいないのです。
学習能力などで劣っている人は信者時代何人か取り扱った。
彼らは自覚があるから、根気よく丁寧に教えればいつかは理解する。
だが、人並みの理解力すらないのに、自分はすばらしい理解力を持っていると
自惚れる信者に関わるのはお二人が初めてです。
アゴン宗からは、やめてからさえも、本当に学ぶことが多い。
336 :
樹意:2008/12/28(日) 19:50:05 ID:OkxTpi5n
>>312 > 『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
> 後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
> ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
> (81,82頁)
>
> 最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
> これがおかしいのですか?
> ならば正しい解釈とはどういうものか書いてみてください。
悟ったから仏陀と呼ばれるようになったわけだ、
解脱していなかったのなら仏陀とは呼ばれていないわな。
せっかく塩を送っといてあげたのに、間抜け〜。
337 :
樹意:2008/12/28(日) 19:59:06 ID:OkxTpi5n
>>311 > 私がいつどこで「神通力でカルマ解脱したことを証明する」と言いましたか?
ここはゲイカと教団批判のスレッドだと何度言えば解るのかな〜。
擁護でも批判でもないのだったら完全板違い。
七氏さんはアナタが脱線するのを スレッドの趣旨に合うよう
引き戻してくれたのです。
なお以前書いたが この明智の部分は私は七氏さんとは若干見解の相違がある
しかしながら ゲイカの批判、擁護ともリンクしないし、神通力で解脱するというのは
仏教ではありませんし、そもそも三学の戒そのものが破戒団体なのをもって、
慧の議論なんて成り立つ道理がない。
本当にペテン大作さんは変な人だ。 ある種のストーカーではないか。?
338 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 20:51:54 ID:bNLXK2Yw
>>1乙です。
退会マニュアル
・法具類は郵送や宅配で関東別院もしくは関西総本部に送りつける。最寄りの道場でも可。
・退会の旨を記した文章を添える。丁寧にするなら郵便局で内容証明を。書式はいずれも
以下の文面で充分。「阿含宗管長桐山靖雄宛 阿含宗を退会します。 以上。」
・顔を出す必要はない。その他何を言われても一切従う必要はない。(憲法第20条2項・後述)
・解脱供養、護摩木の代金などの未払いを、たとえ一筆書かされてても、精算する必要は無い。(民法第90条・後述)
・阿含宗や光和食品などから来る郵便物がうざければ、赤ペンで「受取拒否」と書いてポストに投函。
339 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 20:52:47 ID:bNLXK2Yw
退会マニュアル解説
宝塔は貸与の建前になってるらしいので、一応送りつけて返却すること。「どういう反応するか
話のネタに見てやろう」という好事家でもない方でストレス無く退会したい人は送りつけで。
その時に退会の旨を記した文書を添えれば常識的には伝わるはずだが、今後法的措置を
とりやがるかも知れないので(ただし、多少もめることになるだけで無効。嫌がらせに過ぎない。
→憲法第20条2項・後述)内容証明を送りつけて退会の意思表示を第三者に判るようにすると丁寧。
内容証明は郵便局にいけば詳しく作成方法を教えてくれる。内容証明は同じ文面の書類を三通書き、
一通は相手、一通は自分の控え一通は郵便局で保管してくれるのだが、受け付けるとき郵便局職員が
文面をチェックするので出来る限り文章は短い方が親切。犯罪者の桐山とそれに荷担してる宗務局に
遠慮する必要も無し。
また、「道場に直接持参でないと受け付けない」「規則になってる」「入行した時点で宗規に従う
ことに同意したことになってるので従う必要がある」などとか言われても一切従う必要はない
→憲法第20条2項・後述
また、内容証明を送りつけないで法具類に退会の旨を記した文書を同梱した場合、嫌がらせ半分で
退会の意思表示と認めないと文句言ってきても取りあう必要なし。その他なんでもあなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。
また、あべこべに阿含宗が内容証明を送りつけて出頭や支払いを言ってくるかも知れませんが、
それでも従わない権利が憲法で保障されてます。
ちなみに内容証明は、相手にある意志を伝えたことを、伝えた内容と事実を公的に証明するものですが、
それだけのモノであって別に何か指示された内容に効力・拘束力があるわけではありません。所定の手続きと
料金さえ払えばどんなムチャクチャな事でも書けるのです。こけおどしに乗らないようにしましょう。
340 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 20:53:30 ID:bNLXK2Yw
退会マニュアル解説続き
解脱供養や護摩木の代金など分納誓約書などを一筆書かされていても一切払う必要も無し。→民法第90条・後述
既に払ったお金を取り戻したい場合は個別に弁護士に相談してください。あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要はありません。
また、阿含宗が何をするのか見て笑ってやろう、このスレに情報を提供してやろうと言うのでもない
限り阿含宗や光和から送られてくる郵便物がうざいと思ったなら、赤ペンで「受取拒否」と書いて
ポストに投函すると返却されます。
また、ストレス無く退会することを主眼にして書きましたが、宝塔を勝手に処分したあと、所有権は
阿含宗にあると言って法的措置を執ってきても、宝塔貸与の約束も民法90条(後述)に基づいて
無効化出来ます。
阿含宗が喧嘩売ってきたら買ってやろうという根性ある方は宝塔など燃えないゴミに出しましょう。
341 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 21:05:57 ID:bNLXK2Yw
ttp://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s3 日本国憲法
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
つまりどういう風に運用されるかというと、阿含宗が何を言ってきても従う義務は無いということです。
「退会するときは道場に来い」「話を聞いた上でないと受け付けない」など、強制できないことが
謳われております。
また、「入会した時点で宗規に従うものとする」「宗規に従え」あるいは宗規に従うことを誓約
させられた文書を取られていて、それがどんなに法的に調ったものであっても、一番上位の
最高法規である憲法に強制できないとある以上、一切従う義務はありません。
もちろんあべこべに阿含宗側が内容証明を送りつけて、出頭や支払いを言って来ても従う必要は
ありません。
また、「宗教上の行為でなく、単なる事務手続きの問題だ」と、言ってくるかもしれませんが、
阿含宗は「宗教法人」なのですべての事業・行為が宗教行為です。
あなたが
「阿含宗の一切を拒否しよう」と、思った瞬間から、何の手続きも必要無しに何も従う必要は無し。
342 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 21:06:32 ID:bNLXK2Yw
ttp://www.houko.com/00/01/M29/089.HTM#s1.5 民法
(公序良俗)
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
これはどう運用されるかというと、阿含宗桐山のウソで固めた一切合切が公序良俗に
反するので、その上で締結した解脱供養料や護摩木代金の未払い金の誓約や分納誓約を
履行する必要がないと言うことです。一番近いことで言えば天皇と無関係な褒章を衒いて
天皇の権威を利用したことですか。 阿含宗は一から十まで詐欺みたいなもので、そんなことに
カネを払う義務はなく、たとえ 法的に調った文書を一筆書かされていても、90条に基づいて
無効と言うことです。
あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と、思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要は無し。
この条文の適用でよく引き合いに出されるのは、ギャンブルの負け金借用書は無効で
履行義務がないと言うことです。ギャンブルは公序良俗に反するどころか法律で禁止まで
されてるから、いかに法的にも様式も調った文書を取られていても無効なのです。
だから、一筆書かされていても護摩木等の未払い金を払う義務は一切ありません。
人としての道?詐欺にカネ払うのですか?また、そうして貢いだカネが新たな詐欺行為に
使われるのですよ?犯罪に荷担するのですか?
また、民法90条は阿含宗が未払い金に対して告訴などの法的措置を執ってきた場合に
出番が来るのであって、多くは憲法20条2項に基づいて一切を拒否して終了です。
343 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 21:07:06 ID:bNLXK2Yw
344 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 21:25:57 ID:bNLXK2Yw
退会マニュアル:ソフトバージョン
出来ることからしてみましょう。
◎道場に一切顔を出さない。
◎勤行を止める。
◎阿含宗グッズをすべて一箇所にまとめて目に触れないようにする。
◎勤行を止めて不具合が出たら、線香を焚いてみる。
345 :
私文書為造 ◆iCtd3oCMyM :2008/12/28(日) 21:26:54 ID:bNLXK2Yw
退会マニュアル:ソフトバージョン解説
退会にまで踏み切れない人、まだ迷いがある人、止めたくともしがらみがある方
まずは無理しないで出来ることから始めましょう。
まず、道場には一切顔を出さないことです。道場外でする奉仕作業やイベント等
にも参加しないことです。理由もあらかじめ考えておきましょう。会費は振り込み
用紙が毎月送られて来るでしょ?
勤行も止めましょう。その他阿含宗から習った修法も止めましょう。
経典に依りますとそもそも仏舎利塔というのは「それを目にすることによって釈尊の
教えや法を思い出し、遺徳をしのぶ」存在です。だから反対に阿含宗グッズが目に
付く状態であると、いつまでも桐山の術中より抜けられません。一箇所にまとめて、
収納するか箱などに入れて、目に触れないようにしましょう。
勤行を止めると頭痛や吐き気、体がだるいなどの不具合が出て、「やっぱり法はあるんだ」と、
錯覚するかも知れません。そう言うときは線香を焚いてみて下さい。もちろん入行したとき
おまけで付いてくる時々斜めに立って灰を受けるのに小皿では間に合わないしょぼい線香立てを
使わずにちゃんと阿含宗と無関係な香炉を使ってです。線香は今まで使ってたのでも構いませんが。
フランス系のアロマテラピーと言うのは香を使う治療法として確立されたものです。
そう言う効果を法と錯覚してることが判ります。
また、長年の良いと思いこんでいた習慣を止めることによるストレスによって、不具合が出ること
もあります。これは線香焚いても治りませんが、しばらく様子を見てると解消します。ゆめゆめ
「やっぱり法はあるんだ」と、錯覚なさらぬように。
346 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/28(日) 21:55:34 ID:m/EDZRSi
>>314:神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 15:28:22 ID:nF7krmiK [sage]
>この文章に解脱の時期が書いてあるのですか?
面白いからまだまだ突っ込んであげましょう。
あなたの書いている話は釈尊の入滅の場面ですね。
入滅は入涅槃とも言う。涅槃に入るのです。全き解脱となる。
それは第四禅で逝っちゃったのかそうでないのかなんて、どうでもよい議論をして熱くなっている。
しかし考えてもみたまえ。入涅槃、入滅の時、その直前に初めて解脱というものを得たのか?
要するに死ぬ時になって生まれて初めて解脱という境地に達することができたのか?と問うているのです。
35歳の時に開いた悟りってのは解脱ではなかったのか?ということです。
45年にわたる伝道の内容である解脱とは、実は自分はまだ到達すらしてなかったのか?
桐山さんだってそんなアホなことは言いません。
桐山さんは自称因縁解脱を成し遂げた聖者なんですよ。
それとも桐山さんでも死ぬ直前にならないと解脱できないと言いたいのか?
>>331 :神も仏も名無しさん
>>313 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:22:15 ID:nF7krmiK
>これの何処に「生きていた時から解脱していた」と書いてあるのですか?
>はい、書いてあるのです。
>それが読めないのは、あなたは視野が狭く、目の前の文章しか見えず、
>しかも慢心から勝手な解釈をするからです。
私がいつ「釈尊は生きていたときは解脱していなかった」と言いましたか?
>>313をよく見てください。
私が言っているのは、
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
というベックの文章の何処に
「釈尊は生きていた時から解脱していた」と書いてあるのですか?
という意味です。
あなたは釈尊が第一禅から入ったから解脱していたとかいないとか
さっぱり訳のわからんことを聞いてくるが
この文章から言えることは
涅槃の手前の滅尽定まで行った釈尊は第一禅に戻り
そこから第四禅まで進みそこから入滅したということだけですよ。
釈尊が生きていた時に入滅したとかしないとか、
何歳で入滅したとか、
そんなことなど何も書いてないだろう?と言っているのです。
あなたは私の言葉尻をつかまえて
「釈尊は生きていた時は解脱していなかったと私が言った」と言い出した。
なんて汚い手を使うんだろう?
あなたのねじくれた心がよく伝わってきます。
>>323 :神も仏も名無しさん
>>310 :神も仏も名無しさん
>認識から解脱が生ずる。
>あなたのベックの言葉尻をとらえた解釈はいいから、
>どこで桐山さんがこのような説を唱えているか説明してみなさい。
言葉尻とは何ですか?
「認識から解脱が生ずる」と書いてある。
だから「認識→解脱」です。
どこに「解脱→認識」と書いてあるんだろうねぇ?
↓
>>281 :神も仏も名無しさん
>すでに「精神を集中し煩悩から解放され不動になる」と、煩悩から解放され解脱しているから、
>これらを認識し、確認していくのです。
>>324 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 18:46:12 ID:BmUBx+lj
>>311 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 14:57:36 ID:nF7krmiK
>私がいつどこで「神通力でカルマ解脱したことを証明する」と言いましたか?
>では、先に、あなたは自分の立場を表明するべきだ。
>「神通力でカルマ解脱した」という桐山説をあなたは支持するのかしないのか。
>なぜなら、これがこのスレのテーマだからです。
このスレのテーマとは阿含宗の批判です。
あなたは教団の「三明→解脱」は嘘だと言っている。
私はそれを嘘だと言っている。
だからスレ違いではありません。
>私は「神通力でカルマ解脱した」という桐山説を批判し、
違いますね。
あなたは「三明→解脱」を批判したのです。
私はそれに対して批判している。
>三明六通と呼ばれる神通力のいずれもが煩悩を切ることとは関係がないのです。
>という私の説明は、「神通力でカルマ解脱した」という桐山説に対する批判です。
違います。
三明と桐山説をすり替えないことです。
「三明六通と呼ばれる神通力のいずれもが煩悩を切ることとは関係がないのです」
これが嘘だと言っているのです。
あなたは仏説を歪曲している。
仏説を勝手に解釈して教団批判をしている。
それが許せないのです。
>>349 :神も仏も名無しさん
>そこに口を出すのなら、まずあなたが桐山説を支持するのかどうかを
>はっきりと示すべきだ。
>桐山説を支持もせず、今のように、あなたの勝手な解脱説を表明したいのなら、
>スレ違いだから、よそに行きなさい。
結局あなたは「三明→解脱」を打ち破れない。
だからこちらに退去命令をしているわけだ。
ついに負け犬根性をさらしたのです。
不様ですね。
>>325 :神も仏も名無しさん
>>311 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 14:57:36 ID:nF7krmiK
>私のやることは三明六通が解脱に関連していることを証明することです。
>では、議論は終了です。
>三明が解脱に関連していることに反対している人など一人いません。
>学者たちは釈尊の解脱の内容に四禅三明が含まれることを認めている。
>私を含めて批判側は誰もこの説明に反対している人などいません。
そりゃそうでしょう。
批判側ならあなたの説に賛成するのは当たり前です。
あなたにはそんな批判側しか味方はいないのです。
あなたの苦しい胸のうち、お察しします。
>>330 :神も仏も名無しさん
>>312 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:18:40 ID:nF7krmiK
>最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
>これがおかしいのですか?
>十分におかしいし、その正しい解釈もあなたが引用した
>>284で私はすでに説明しています。
>釈尊は菩提樹の下で解脱した後は入滅するまでずっと解脱者、仏陀です。
>簡単にいえば、「解脱したまま」だった。
>だが、あなたは「解脱していない」とまた書いた。
>あなたの説では、『ブッダ最後の旅』など、阿含経に出てくる釈尊は
>すべて解脱していないことになる。
どういう意味ですか?
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
仏陀は入滅の前に戻ったのです。
だから解脱はしていません。
それ以外にどういう解釈があるというのか?
頭、大丈夫ですか?(これは愚問でした)
>>331 :神も仏も名無しさん
>ベックに限らず、釈尊が入滅するまで解脱していなかったなんて言う
>学者も僧侶も一人もいない。
ここでいう入滅とは亡くなったことを言っているのですね。
だから亡くなる前に解脱していなかったのなら
45年間の説法時で釈尊は解脱していなかったことになりおかしなことになる。
だから初禅に戻ってから第四禅まで行った釈迦が解脱していないわけはない。
そう言いたいのでしょう?
それで何が言いたいのかもわかります。
釈迦は第四禅ではすでに解脱していたのだから第四禅が解脱前というのは間違いである。
だから神通力は解脱状態で起こせる。
つまり「解脱→三明」だと言いたいのでしょう?
違います。
沙門果経に出てくる比丘は釈尊ではありません。
だから沙門果経で第四禅の状態で神通力を起こしている比丘は解脱していません。
この比丘が解脱していないのは経典を見れば明らかです。
「心が統一され・・・」を解脱の意味にしようと
屁理屈を並べて必死ですが無駄なことです。
もしこれを解脱だと解釈したら、『仏教(下)』104頁に出てくる
『瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、その心は
あらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。』
の瞑想者は解脱したことになります。(
>>259)
だがこの瞑想者は実はこの後に解脱するのです。
『その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である・・・・・・」とこのように認識する。
また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』 (
>>260)
いちど解脱した瞑想者が再び解脱することはありません。
ということは
『瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、その心は
あらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。』
は解脱ではないことになる。
つまり「心が統一され・・・」もまた解脱ではないことになります。
樹意は退院許可が下りたのか?
>>328 :神も仏も名無しさん
>仏教では煩悩から解放されて自由な境涯になることをいう。」(『岩波仏教辞典』)
>これが仏教の解脱の定義です。
>この辞典の編集委員の筆頭は中村博士です。
>つまり、上記の定義は中村博士も認めているのです。
私が以前、辞典の定義を持ち出したことを笑っていたのは誰でしたっけ?
人を笑っておきながら自分では平気で辞典を持ち出すとはお笑いです。
定義なんか持ち出しても駄目ですよ。
三明の経典に書かれた「心が統一され・・・」という文句が
解脱であるという文献を出してください。
>>326 :神も仏も名無しさん
>あなたは56で資料が少ないと断定している。
>それを追求されると、
>この話は一件しかないのです。(『ゴータマ・ブッダT』 410頁) (
>>197)
>などと、まるで中村博士が本で「一件しかない」と書いているかのような書き方をした。
>だが、中村博士はそんなことは一言も書いていない。
>あなたが印象操作をしようとしたのです。
博士が言おうが言うまいが一件しかないのです。
これだけの本を調べて一件しかなかったのです。
↓
「中村元選集」
第11巻 ゴータマ・ブッダT原始仏教T
第12巻 ゴータマ・ブッダU原始仏教U
第13巻 仏弟子の生涯 原始仏教V
第14巻 原始仏教の成立 原始仏教W
第15巻 原始仏教の思想T 原始仏教X
第16巻 原始仏教の思想U 原始仏教Y
第17巻 原始仏教の生活倫理 原始仏教Z
第18巻 原始仏教の社会倫理 原始仏教[
だから前にも言ったように
一件と書かれたことがそんなに気に入らぬなら
あなたが別の例を探してくればいいではいか?
357 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:45:58 ID:RPsSOa4a
>>349 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:58:18 ID:IEhtXfC4
>仏説を勝手に解釈して教団批判をしている。
>それが許せないのです。
スレ違いです
桐山アゴン宗の批判をしている時に、あなたは仏教の議論をしている。
しかも、このスレに沿った私の質問、
>「神通力でカルマ解脱した」という桐山説をあなたは支持するのかしないのか。
には相変わらず答えていない。
スレの本筋の質問に答えず、仏教議論をしようとするのはスレ違いです。
もっとも、「許せない」という言葉にあなたの怨念に満ちた本音が
入っていてわかりやすい。
つまり、「七氏憎し」で書き込んでいるのですよね。
358 :
ラシン:2008/12/29(月) 18:48:19 ID:ofxTm+3E
>312『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』 (81,82頁)
最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
これがおかしいのですか?
ならば正しい解釈とはどういうものか書いてみてください。
>352ここでいう入滅とは亡くなったことを言っているのですね。
だから亡くなる前に解脱していなかったのなら
45年間の説法時で釈尊は解脱していなかったことになりおかしなことになる。
だから初禅に戻ってから第四禅まで行った釈迦が解脱していないわけはない。
そう言いたいのでしょう?
ここまでのあなたの>312の主張(解脱していない)は、大パリニッバーナ経般涅槃時の
九次第定の順逆の瞑想の様子に関しての、第四禅の時の話しですよね。
そしてようやく>352で論筋を理解したと見えた、
だが、この大パリニッバーナ経の話しをQさんは、
>違います。沙門果経に出てくる比丘は釈尊ではありません。
と、目の前で沙門果経に摩り替えて否定している。
私、はじめて見ました、こんなに堂々と論旨を摩り替えたのは、、、
それとも、下記両者を混濁し、混乱しているのでしょうか?
A釈尊のネーランジャ川以降の解脱の有無に関して・・・大パリニッバーナ経の記述
B「解脱→三明」の解釈と神通力による解脱の検証・・・ベック本、沙門果経の記述
359 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:49:16 ID:RPsSOa4a
>>355 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:09:25 ID:IEhtXfC4
>私が以前、辞典の定義を持ち出したことを笑っていたのは誰でしたっけ?
あなたが持ち出したのは国語辞典ですよね。
一般的な意味を持ち出し、ああでもないこうでもないと始まった。
あなたが国語辞典を持ち出しても私は笑ったことはありません。
仏教を議論するなら、仏教で使う意味で言葉を用いたらどうか助言したのです。
桐山さんも「応供の如来」などと、無知な言葉を創り出したり、
梵行をまったく違う意味に用いたりとデタラメです。
いくら信者でもこういう桐山さんの真似はしないほうがいい。
正しく言葉の意味を理解しましょう。
「解脱・・仏教では煩悩から解放されて自由な境涯になることをいう。」(『岩波仏教辞典』)
これが仏教の解脱の定義です。
因縁解脱も霊障解脱もありません。
360 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:52:50 ID:RPsSOa4a
>>355 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:09:25 ID:IEhtXfC4
>三明の経典に書かれた「心が統一され・・・」という文句が
>解脱であるという文献を出してください。
私がすでに示しているにもかかわらず、あなたは絶対に受け付けない。
全部無視して、また同じ要求を繰り返す。
「心が統一され・・・」なんて、阿含経の常套句であることすら知らないのですね。
>>356 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:19:36 ID:IEhtXfC4
>博士が言おうが言うまいが一件しかないのです。
これも成り立たないことをすでに示しているにもかかわらず、完全無視です。
私の反論など読もうとせず、ただただ同じ事を執念深く主張するばかり。
あなたが示した中村本を全部買ったのでしょう。
あなたにとってまったく役立っていないのが、私に驚異です。
結局、あなたがこれらの本を買ったのは、私をやっつけたい一心だからでしょうね。
助言は無駄だと思うが、専門書ではなく、一般解説書を読んだほうがいい。
また、ベックの本は、あなたの場合、下巻ではなく、上巻を読むことです。
361 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:56:25 ID:RPsSOa4a
>>350 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:59:27 ID:IEhtXfC4
>結局あなたは「三明→解脱」を打ち破れない。
いいえ、私は阿含経からも、また中村博士という学者の説も全部示しました。
中村博士ははっきりと、解脱したから過去世を見たのだと書いている。
あなたがそれを絶対に認めないと言っているだけです。
私はあなたを打ち破る必要なんてない。
逆にあなたは三明で解脱したなんて根拠を示せていない。
ベックの「解脱の内容」の説明を拡大解釈しているだけです。
前世を透視するとどうして解脱するのか、
神通力を持たない比丘たちがどうして解脱したのか、
サーリプッタは他心通を持たず、しかも、神通力獲得を
修行の目的にしていないと述べているのをどう説明するのか。
あなたは私の質問にはいずれも答えられなかった。
両者の意見は出尽くしているのだから、議論は終了で、
読者に判断を任せるべきです。
362 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:59:58 ID:RPsSOa4a
>>348 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:29:49 ID:IEhtXfC4
>「認識から解脱が生ずる」と書いてある。
あなたの頭は桐山アゴン宗とは関係ない方向にどんどん拡大していくが、
このスレは違うのです。
だだし、こういう議論はいったん中止です。
なぜなら、あなたは釈尊が解脱していないと書いてしまった。
そんな前提で、菩提樹の下での解脱をあれこれ議論しても何の意味もない。
まず、あなたの言う解脱の内容を説明してもらうのが先決です。
363 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 19:03:30 ID:RPsSOa4a
>>347 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:19:40 ID:IEhtXfC4
>私がいつ「釈尊は生きていたときは解脱していなかった」と言いましたか?
ペテン大作さんのお得意が始まりましたね。
あなたは自分の主張を曖昧に必要最小限だけを述べて、
相手があなたの意見の解釈を言うのを待ち、
「誰がそんなことを言った!」と反撃する。
いつもあなたのやり方を見ていて姑息な人だなあと感心する。
話は簡単です。
>>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>>277 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:55:33 ID:dwpSi7N
>滅尽定まで入ってニルバーナに入らずに戻ったのだから解脱していません。
こういうあなたの書き込みを他人にもわかるように説明してみればいい。
他人に、誤解をしているとなじる前に、自分の意見を堂々と説明してみなさい。
「釈尊が解脱していない」「解脱していません」とあなたははっきりと書いている。
これは釈尊が入滅直前、つまり生きていた時の話です。
だったら、ペテン大作さんは「釈尊は生きていたときは解脱していなかった」と
書いたと他人が受け取るのは当たり前です。
364 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 19:09:57 ID:RPsSOa4a
>>352 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 17:54:53 ID:IEhtXfC4
>だから沙門果経で第四禅の状態で神通力を起こしている比丘は解脱していません
>>353 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 17:57:35 ID:IEhtXfC4
>「心が統一され・・・」を解脱の意味にしようと
何を話をそらしているのだ?
ラシンさんが
>>358で指摘しているように、誰が読んでも、
あなたのしたことはすり替え、ゴマカシです。
こちらが主張してもいない内容を勝手に作らずに、まずあなたの主張内容を
きちんと他人がわかるように説明したらどうか。
沙門果経や「解脱→三明」の話をしているのではない。
あなたは入滅直前の釈尊は解脱していなかったと書いた。
入滅直前だから、まだ釈尊は生きていた。
生きていた釈尊をあなたは解脱していなかったと書いた。
こんな説を唱え続けている人は私の知るかぎりあなたしかいない。
だったら、話をそらして逃げるのではなく、わかりやすく説明するべき義務はあなたにある。
365 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 19:17:42 ID:RPsSOa4a
>>351 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 17:08:05 ID:IEhtXfC4
>仏陀は入滅の前に戻ったのです。
>だから解脱はしていません。
あなたが引用した経典は、まだ釈尊が生きている間の話です。
つまり、「釈尊は生きていたときは解脱していなかった」とあなたは書いているのです。
あなたみたいな説を唱える人は誰もいない。
釈尊は菩提樹の下で解脱していらい、ずっとそのまま解脱していた。
歩いている時も、飯を食っている時も、眠っている時も、彼は解脱していた。
解脱したから仏陀なのです。
だが、あなたは解脱していないのだという。
菩提樹の下で解脱した時以降の釈尊がどういう時に解脱し、
どういう時に解脱していないのか、読者にわかるように丁寧に説明してください。
上記のような短い文章を何度も繰り返すのではなく、きちんと説明するべきです。
いつも長々と執念深く話を蒸し返すペテン大作さんが、
何度説明を求められても、どうして上記のように説明が短いのだ?
ここ数日考えても、屁理屈魔のペテン大作さんでもうまく逃げ道が見つからず、
>>352-353のような姑息な手法しか思いつかなかったようですね。
だが、誰もその手には乗りません。
366 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 19:25:44 ID:RPsSOa4a
>>351 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 17:08:05 ID:IEhtXfC4
>仏陀は入滅の前に戻ったのです。
>だから解脱はしていません。
私に無理解をなじられても困る。
あなたみたいな変わった説を唱える人は見たことがないから、
私に限らず、ペテン大作さんの上記の説明は誰も理解できない。
ペテン大作さんは気が付いていないだろうが、
私はあなたの周囲の人の中では比較的よくあなたを理解しているほうです。
だって現実世界には私ほど丁寧にあなたに対応している人なんていませんよね。
だから、正確には私はあなたが何を言いたいのか理解しています。
あなたが何を思い込んで、このように誤解しているのか知っているからです。
あなたの思い込みを私が説明すれば、読者もたちまち理解するでしょう。
だが、それを説明されてもあなたはただ反発して、さらに私に噛みついてくるだけだ。
実は、気が付いてくれればと、無駄と知りつつも、簡単な説明をしたのです。
もちろん、あなたは憎しみで目が曇っているから、他人の親切なんて気が付かない。
前回、ラシンさんがあなたに質問した時も、質問によって、
何が問題なのかあなたの頭の中を整理してあげたことに気が付いていないようだ。
だったら、まずはあなたの上記の主張を詳しく説明をしてみてはどうでしょう。
>>352のように話をそらさずに、菩提樹の下から沙羅双樹の下までの間、
釈尊はいつ解脱し、いつ解脱していないのか、説明してください。
367 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/29(月) 21:58:35 ID:Uv+TIYz3
解脱については、
輪廻転生の仕組みを
物差しにした法談ではないと
齟齬があり釈尊の真義にそいません。
368 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/29(月) 22:09:05 ID:Uv+TIYz3
八正道が、世間の八正道から出世間の八正道になるときは
非常に難しいです。
釈尊の初期経典には
四つのパターンが説法されています。
1、良い人で悪いところへ
2、良い人で良いところへ
3、悪い人で良いところへ
4、悪い人で悪いところへ
不条理に感じるのは、
悪い人が良いところへ
また、
良い人が悪いところへ
の部分ですが、
仏陀釈尊は(一局面でみると)そのようになっていると説法しています。
369 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/29(月) 22:19:29 ID:Uv+TIYz3
世間の八正道から出世間の八正道になるとき
助けになる主な条件として
初期仏教の釈尊の説法にあるものとは、
○世の仏陀の御身とともにあること(仏陀は、第四禅からの入滅の理由がここにあるます。)
○天の守護(運命を支える)
○神通
○善知識とともにあること
○世間の施と出世間の施がささえあっている。
○自燈明(ただ無心であることによってダンマの顕現があること)
○十二因縁の光明
初期経典ではそのように説かれています。
370 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/29(月) 22:22:01 ID:Uv+TIYz3
2、良い人で良いところへ
3、悪い人で良いところへ
3が多数にとって不条理に感じる局面です。
371 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/29(月) 22:33:51 ID:Uv+TIYz3
欲界、
色界、
無色界
色界の第四禅から無色界の禅定に移行しないで
智慧の完成のヨーガをおこなうのです。
(「神通=四大の統治」であり、ヴィバッサナーではありません。)
神通を以て法を伝える存在となるです。
372 :
神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 22:55:55 ID:5hzLKwCc
釈尊は、涅槃に至る呼吸法と見せたのでしょう。4種類あるのです。
373 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/30(火) 02:10:16 ID:0+TfNv1O
世間の八正道から出世間の八正道になるとき
助けになる主な条件として
初期仏教の釈尊の説法にあるものとは、
○世の仏陀の御身とともにあること(仏陀は、第四禅からの入滅の理由がここにあります。)
○天の守護(運命を支える)
○神通
○善知識とともにあること
○世間の施と出世間の施がささえあっている。
○自燈明(ただ無心であることによってダンマの顕現があること)
○十二因縁の光明
初期経典ではそのように説かれています。
2、良い人で良いところへ
3、悪い人で良いところへ
3が多数にとって不条理に感じる局面です。
欲界、
色界、
無色界
色界の第四禅から無色界の禅定に移行しないで
智慧の完成のヨーガをおこなうのです。
(「神通=四大の統治」であり、ヴィバッサナーではありません。)
神通を以て法を伝える存在となるです。
374 :
樹意:2008/12/30(火) 10:38:11 ID:nAu7bCtr
354 神も仏も名無しさん sage 2008/12/29(月) 18:02:04 ID:IEhtXfC4
樹意は退院許可が下りたのか?
>>296 樹意 2008/12/27(土) 22:48:08 ID:pMBmqB/M
> あ〜あ、Q氏改めペテン代作さんは、苦もなく捻られてやんの。
> 有余涅槃・無余涅槃の違いくらい勉強したら ?
>>336 > 悟ったから仏陀と呼ばれるようになったわけだ、
> 解脱していなかったのなら仏陀とは呼ばれていないわな。
> せっかく塩を送っといてあげたのに、間抜け〜。
>>351 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 17:08:05 ID:IEhtXfC4
>仏陀は入滅の前に戻ったのです。
>だから解脱はしていません。
Qさん、Qさん、あまり苦もなく捻られたら面白く無いからと思ってせっかく
気づくように塩を送ってやったのに、間抜けだな〜、
そういうときは意固地にならないのがいいんだよ。
それとセヤドーのHPからも引用した通り、止禅は観禅のバックボーンであって
法住智は観禅から生じ、これが所謂出世間禅になるわけだ、
禅那には 世間禅と出世間禅の2種がある。
五神通を持たない純観行阿羅漢の場合 近行定乃至初禅の段階で阿羅漢道智を
得てしまう。 仏陀の禅那の説法全体を俯瞰するなら、初禅乃至無色禅まで
どこの段階でも阿羅漢道智を得る場合がある。
375 :
樹意:2008/12/30(火) 10:49:55 ID:nAu7bCtr
パオ セヤドーHPより
Q20 修行者が名法を識別するとき、他心通を具備することはありますか?
A20 外にある名法を識別するには、二種類の方式がある。一つは観禅(vipassanaa)
で、もう一つは他心通(cetopariya-nyana)である。他心通とは、他人の心のなかの
意念を知る能力である。この種の神通は、簡単に他人の心を知ることができるために、
他心通を具備している人は、他人の心を個別に識別することができる。反対に、
観智は他人の心を知ることはできない。観智はただ外側の名法を丸ごと識別するものであり、
個別に識別するのではないからである。観智は、「これは男性、これは女性・・・」と
識別することはできず、外側にある世界を全体的に識別するだけで、個別の対象を研究する
わけではない。ゆえに観智は、他人の心を知ることはできない。
純観行阿羅漢(suddhavipassanaa-arahant)も、内側と外側の名・色法を識別する。彼らは、
禅那と神通を修行しないので、神通を持っていない。しかし彼らは阿羅漢を証悟することは
できる。このように、観禅の領域と神通の領域とは異なっているのである。
これは上座部パオセヤドーの見解であることを断っておきます、
ただ、片山一良氏翻訳の中部、長部の解説を読むに、整合性が完全といっていいほど取れて
いると判断するしだいです。
仏陀は禅那の詳細を説いているのです。
376 :
樹意:2008/12/30(火) 11:23:12 ID:nAu7bCtr
Q7−8 禅定はどのようにして心を清浄(citta-visuddhi)にするのですか?
禅定はどのような煩悩を取り除くことができますか?
A7−8 禅定と五蓋とは、ちょうど相対立している。近行定と初禅の安止定は、
長時間五蓋を取り除くことができる。第二禅は尋(vitakka)と伺(vicaara)
を取り除くことができる。第三禅は喜(piiti)を取り除くことができ、第四禅
は楽(sukha)を取り除くことができる。このように、禅定の心はすでに浄化
されている心であり、ゆえに、禅定を心清浄(citta-visuddhi)というのである。
----------------------------------------------------------------------
今、質問者の質問は、禅那に到達したあと、彼らの心または考えが変わるかどうか?
というものであった。禅那は、長時間五蓋を取り除くことができる。ここでいう
長時間とは、かれらが禅那に一時間入っている間、一時間は五蓋が生じないという
ことである。しかし、かれらが禅那から出ると、五蓋はやはり不如理作意によって再度、
生起する。ゆえに、禅那に到達したあと、彼らの心が変わるかどうかは、確定的に
言い切ることはできない。ただ、禅那に入っている間、五蓋が起きないということだけである。
ただ、マハーナーガ大長老(Mahaanaaga Mahaathera)のような例外もある。
彼は法施阿羅漢(Dhammadinna arahant)の先生で、かつすでに止観を六十年以上
も修行したが、しかしまだ凡夫(puthujjana)であった。彼は凡夫ではあったが、
しかし強くて力のある止観瞑想の修行のおかげで、六十年の間、煩悩が起きなかった。
そのため、彼は自分を「私はすでに阿羅漢果位を証悟した」と認定した。しかし、
彼の弟子である法施阿羅漢は、先生がいまだ凡夫であることを知っていて、
法施阿羅漢は間接的に、彼がいまだ凡夫であることを理解させた。
マハーナーガ大長老は、自分がいまだ凡夫であることを発見して、
再度観禅(vipassanaa)を修行し、かつ何分かの後に、阿羅漢果を証悟した。
これは極めて珍しい特例である。
377 :
心音の月と陽のヘキサゴンフラワー:2008/12/30(火) 11:33:51 ID:Gnw+Tuxp
真言宗阿含宗流
真言宗立川流
真言宗真如苑流
ではどうでしょう?
378 :
樹意:2008/12/30(火) 11:42:49 ID:nAu7bCtr
上記、心清浄というのが出てきますが、七清浄と十六観智というのが重要になりますので
憶えておいてください。
即ち、戒清浄ー心清浄ー見清浄ーーーーーーー
沙門果経に出てくるものはオーソドックスに世間禅四禅(止禅)までいってその後出世間禅
(観禅)ー解脱のものと私は推測しますから、七氏さんや他の批判される方々とは
少し見解が違います、ですが、純観行阿羅漢の説明にもあるように四界分別観から
すでに観禅に入り近行定(初禅)にて阿羅漢道智に入る方々もいるようですから、
比丘の機根や素質により差異があるものと推測されます。
Qさんや、子孫氏のような方を筆頭に 智見清浄の議論を好むようですが、戒清浄から
始まる七清浄を無視する傾向がある、これらは戒定慧であって 仏道修行上セットである
ものですから、戒を完全無視してこれらの議論はまったくの無意味。
ゲイカの擁護にもなっていない、 般涅槃の意味もわからず言葉尻を捕まえようなんてのは
傍からみていて痛々しい。
379 :
心音の月と陽のヘキサゴンフラワー:2008/12/30(火) 11:50:25 ID:Gnw+Tuxp
私が思うに
13清浄なんか
ないんでしょうか?
般若派は
天理なので簡単にわかりますが
まだ隠し事が多い様に思います。
まだあなたは
空間の理が解っていませんね。
380 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:03:11 ID:Bc5fdeMo
樹意は別スレでやれ白痴
桐山と樹意は同類w
381 :
樹意:2008/12/30(火) 14:09:49 ID:nAu7bCtr
>>380 ふふん 真っ当に反論もできんのか。
お笑いにもならんぞ、 wwww。
>>357 :神も仏も名無しさん:
>「神通力でカルマ解脱した」という桐山説をあなたは支持するのかしないのか。
支持するのかしないのかと聞かれても
神通力でカルマ解脱の意味がわからんので
答えようがありません。
それって何ですか?
>>358 :ラシン
>違います。沙門果経に出てくる比丘は釈尊ではありません。
>と、目の前で沙門果経に摩り替えて否定している。
「違います」はその上に書かれている
>だから亡くなる前に解脱していなかったのなら
>45年間の説法時で釈尊は解脱していなかったことになりおかしなことになる。
>だから初禅に戻ってから第四禅まで行った釈迦が解脱していないわけはない。
>そう言いたいのでしょう?
を指しています。
七氏さんたちの言いたいことはこういうことだろうと
私が推察して、それに対して
>違います。
>沙門果経に出てくる比丘は釈尊ではありません。
と言ったのです。
実際、あなた方の言いたいことはこういうことなんでしょう?
違いますか?
>>359 :神も仏も名無しさん
>あなたが持ち出したのは国語辞典ですよね。
>一般的な意味を持ち出し、ああでもないこうでもないと始まった。
百科事典も岩波仏教辞典も出しましたよ。
盂蘭盆の話です。
あなたはそれを笑っていました。
385 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:38:03 ID:Bc5fdeMo
樹意は、まんま桐山の開き直り w
>>360 :神も仏も名無しさん
>「心が統一され・・・」なんて、阿含経の常套句であることすら知らないのですね。
常套句ですよ。
中村博士の本だけでも何度も出てきます。
いや阿含経どころか、
「ヨーガ・スートラ」にも「ジャイナ経聖典」にも出てきます。
それらはすべて、「修行者の心の状態」を指しています。
もし「心が統一され・・・」が仏教の解脱の意味だったら
同じ言葉を使っているヨーガもジャイナ経も
「仏教の解脱」をしていることになってしまいます。
そんな馬鹿な話がありますか?
ベックは
『瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、その心は
あらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。』
を解脱とは解釈していない(
>>353)
あなたはこれに対して何故反論しないのだ?
できないからですよね。
>>360 :神も仏も名無しさん
>>356 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:19:36 ID:IEhtXfC4
>博士が言おうが言うまいが一件しかないのです。
>これも成り立たないことをすでに示しているにもかかわらず、完全無視です。
はあ?
成り立たないとは他にもあるのですか?
ならば何処にあるか書名と頁数を書いてください。
「三明」ではなくて
「過去世を見通した話がさとりを開いた後に書かれている」
という話です。
さあ。どうぞ。
>361 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 18:56:25 ID:RPsSOa4a
>>350 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:59:27 ID:IEhtXfC4
>結局あなたは「三明→解脱」を打ち破れない。
>いいえ、私は阿含経からも、また中村博士という学者の説も全部示しました。
あなたの出したのは仏教辞典の言葉の定義と
中村博士のたった一行の言葉です。
これで「三明→解脱」を否定するのですか?
あなた、気は確かですか?
>>364 :神も仏も名無しさん
>何を話をそらしているのだ?
>こちらが主張してもいない内容を勝手に作らずに、まずあなたの主張内容を
>きちんと他人がわかるように説明したらどうか。
>沙門果経や「解脱→三明」の話をしているのではない。
えっ、違うんですか?
だとしたら何を言いたかったのですか?
「釈尊は生きていたときに解脱していた。それを知らなかったのだろう?」
ということを言いたかったのか?
そうだったんだ。
そいつは知らなかった。
>>365 :神も仏も名無しさん
>あなたが引用した経典は、まだ釈尊が生きている間の話です。
>>366 :神も仏も名無しさん
>あなたが何を思い込んで、このように誤解しているのか知っているからです。
>あなたの思い込みを私が説明すれば、読者もたちまち理解するでしょう。
知っているなら早く書けばいいのにね。
一時帰宅を許されたらしい樹意が愚図って五月蝿いことだし
私から説明しましょう。
『仏陀は入滅の前に、あらゆる意識状態を経過して滅尽定にまで到達した後に、
後退して第一静慮の段階にまでたち戻り、そこから改めて第四静慮に上昇し、
ついでこの第四静慮からかの偉大な彼岸〔涅槃〕に入る。』
ここでいう「入滅」というのは
「完全なる滅」(般涅槃)に入るという意味です。
仏陀は四つの意識階梯(処)をすべて経験し滅尽定まで行った。
つまり阿羅漢の悟りを得た。
しかし「完全なる滅」には入らずに初禅にまで戻り
第四禅から偉大な彼岸(般涅槃)=死 に入ったということです。
>>365 :神も仏も名無しさん
>>351 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 17:08:05 ID:IEhtXfC4
>仏陀は入滅の前に戻ったのです。
>だから解脱はしていません。
>あなたが引用した経典は、まだ釈尊が生きている間の話です。
>つまり、「釈尊は生きていたときは解脱していなかった」とあなたは書いているのです。
般涅槃に入らなかったという意味で
「解脱していなかった」と書いたのです。
普通は解脱というと涅槃に入るという意味なので
適切な言葉ではなかったですね。
それは認めまししょう。
393 :
ラシン:2008/12/30(火) 16:12:13 ID:YVJWi9qZ
Qさんだってネーランジャー川菩提樹の下の有余涅槃は
釈尊の解脱成道を為し、維持していたことはご存知なのでしょう。
しかし、仏陀最後の旅大パリニッバーナ経の入滅の禅定に
こだわるから、誤解を生じる見解が出てしまう。
釈尊はすでに危篤寸前で、九次第定を為して漏の無いことを
確認して四禅から入滅された、ということです。
これは普段、釈尊が行っていた瞑想を入滅に際しても行った
と、私は私見ながら理解しています。
Qさんが、指摘していますところの
>>353の世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕は、すべて煩悩に踏襲されています。
>『瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、その心は
あらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。』
ゆえに、この記述自体、解脱している状態だと、解釈できるもので、
それをベックは再度、別の語り口でリフレインしているに過ぎません。
>>205 :神も仏も名無しさん
>>54 :神も仏も名無しさん:2008/12/21(日) 15:16:37 ID:zfaVNI7a
>第四静慮とは解脱前にあたるので
>上記の文章は解脱前の状態であることがわかります。
>ペテン大作さんは、第四禅は解脱前だと書いた。
>釈尊は初禅から入ったのだから、第四禅の前であり、
>それなら解脱していないことになる。
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊は解脱しているのか、いないか、
>あなたに質問しているのです。
>解脱しているというなら、上記の54に矛盾する。
般涅槃ではく普通の涅槃という意味では解脱していたのです。
そしてこれは
>>54には矛盾しません。
>>54の上記の文章とはこれを指します。
↓
『精神がこのように一点に集中され、純粋明朗で煩悩を離れ、
不動の状態に達すると、修行者は精神を傾けて、
ある別の霊的ないし霊的な身体〔意所成身〕を形成することに努める』
(『仏教(下)』83頁 ベック著、岩波文庫)
ここにある修行者とはもちろん釈尊ではなく比丘のことです。
この比丘は釈尊と違って過去に滅尽定までは行っていない。
だからこの文章は解脱前の状態を指します。
釈尊が第四禅から般涅槃に入ろうが入るまいが
第四禅が解脱前であることには変わりません。
釈尊を例に出して沙門果経を解釈しないことです。
>>352の
>釈迦は第四禅ではすでに解脱していたのだから第四禅が解脱前というのは間違いである。
はそれを指しているのです。
>>393 :ラシン
>しかし、仏陀最後の旅大パリニッバーナ経の入滅の禅定に
>こだわるから、誤解を生じる見解が出てしまう。
これに関連した話として
↓
>>346 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/28(日) 21:55:34 ID:m/EDZRSi
>しかし考えてもみたまえ。入涅槃、入滅の時、その直前に初めて解脱というものを得たのか?
>要するに死ぬ時になって生まれて初めて解脱という境地に達することができたのか?と問うているのです。
釈尊は死ぬ間際になって滅尽定に達したのだとしたら
若い頃には解脱していなかったことになるのではないか、
という疑問です。
これも死ぬ間際に拘るからそういう疑問が沸くのでしょう。
もしかして滅まで行ったのは死ぬ間際が初めてでなく
その前に経験していたとも考えられるからです。
もちろんそうなると二度も滅に入るというのも変な話ではありますが。
そのあたりは経典作者に直接聞いてみるより他、正確なことはわからんでしょう。
ベックが述べているのは
「解脱するには第四禅から先の意識階梯(処)をすべて経験する必要がある」
ということです。
彼自身、ユビキタスのような質問をされたら何と答えるでしょうか?
たぶん、私と同じ様なことを言うのではないかと思います。
>>393 :ラシン
>『瞑想者はまじりけのない純粋な精神統一に達すると、その心は
>あらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。』
>ゆえに、この記述自体、解脱している状態だと、解釈できるもので、
>それをベックは再度、別の語り口でリフレインしているに過ぎません。
それはラシンさんの意見ですね。
七氏さんはどうでしょうか?
ベックの解釈だと瞑想者は二度解脱することになります。(
>>353)
「007は二度死ぬ」という映画がありましたが
「比丘は二度解脱する」のでしょうか?
彼の意見をぜひ聞いてみたいですね。
それと『仏教(下)』では、沙門果経の説明文の中で
「修行者」とか「瞑想者」という言葉はあるが
「解脱者」とか「解脱した人」とかいった
解脱を匂わす単語が使われていません。
これを見てもベックは
『まじりけのない純粋な精神統一に達すると、その心は
あらゆる世俗のけがれと煩悩とから解放され、従順で思うままになる。』
といった文句を解脱とは見ていなかったようです。
七氏さんにお年玉を上げましょう。
漏尽智とは何か?
『「長部経典」の瞑想の章においても、
苦悩を説く文を既知事実として引用している個所がある。
そこでは、第三の偉大なる英知
(瞑想中に霊体の分離によって得られる高度な能力で、
ふつう神通とよばれるもののうちの第六番目のもの)を叙述し、
瞑想者が第四静慮の精神統一状態に達して、
世俗の苦悩という迷妄〔漏〕を滅する知識に専念し、
そこで、「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、
これは苦悩の消滅である、これは苦悩の消滅にいたる道である」と認識する。
この“英知”にしても、世俗の存在についての思弁ないし抽象的価値判断というようなものではなくて、
瞑想上の省察からただちに得られる成果なのである。
(『仏教(下)』104頁)
↓
漏尽智とは、瞑想中に霊体の分離によって得られる高度な能力であり
「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、
これは苦悩の消滅である、これは苦悩の消滅にいたる道である」
と認識する英知です。
仏典では「三明→解脱」を説いています。
『 「これは苦悩である、これは苦悩の起源である、これは苦悩の絶滅である、
これは苦悩の克服にいたる道である、これは俗世の迷妄である、これは俗世の起源である、
これは俗世の絶滅である、これは俗世の絶滅にいたる道である」とこのように認識する。
また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
(『仏教(下)』104頁)
↓
「これは苦悩である・・・・・・」と認識し解脱する。
「認識→解脱」で
「三明(漏尽智)→解脱」になります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『正しい倫理的なふるまいから正し瞑想が生じ、同様にして、
その瞑想から正しい認識が生じ、認識から解脱が生ずる。』
(『仏教(下)』24頁)
↓
認識から解脱が生ずる。
「認識→解脱」で
「三明(漏尽智)→解脱」になります。
399 :
ラシン:2008/12/30(火) 17:46:47 ID:YVJWi9qZ
>398 それはラシンさんの意見ですね。
>>259「このようにして、精神的要素〔心〕が集中され、純化され、明朗に遍く照らされ、
あらゆる不純や俗世の煩悩から解放され、柔軟かつ従順で、堅固かつ不動となってしまうと、
その人はこの精神的要素を洞察的観照(もしくは観照的洞察〔智見〕にふりむける」
この記述表現は、解脱、解脱智見への移行です。
Qさんの示している『沙門果経』八五−八六節−八七節なども、
解脱以降の”超感性的”な完成の実行(明智、三明)への解説です。
つまり解脱→三明の説明です。
400 :
樹意:2008/12/30(火) 17:58:59 ID:nAu7bCtr
>>385 > 樹意は、まんま桐山の開き直り w
ふふっふははっは 。 wwww
年末のお笑いありがとう、 今回は派手に捻られたからな〜。
こんだけ根拠のあるマスオ君批判している俺が マスオに組するはず
ないだろう。
こんどは何かい、 批判側を見方につけて 樹意をやっつけたいっての? www
まぁ 私の場合は批判側擁護側関係ないですからね。 中身で論表しますからして。
☆さんの意見も頂いたし、かつてはジミズさんも褒めたことがあり、 ラシン氏には
どんどん批判してくれとか云ったことがある。
せっかく塩を送ってやったのに。 www 懲りないな〜。
何度も書くが七清浄ですからね、これらはセットです、戒清浄の無い 覚りや涅槃は
ありません。 いくら上げ足とろうとしてもマスオ君はショービジネスにする為に
破戒してますからね、 慧 の議論なんてもったいない。
401 :
樹意:2008/12/30(火) 18:13:25 ID:nAu7bCtr
>
>>296 樹意 2008/12/27(土) 22:48:08 ID:pMBmqB/M
> > あ〜あ、Q氏改めペテン代作さんは、苦もなく捻られてやんの。
> > 有余涅槃・無余涅槃の違いくらい勉強したら ?
>>390 > ここでいう「入滅」というのは
> 「完全なる滅」(般涅槃)に入るという意味です。
> 仏陀は四つの意識階梯(処)をすべて経験し滅尽定まで行った。
> つまり阿羅漢の悟りを得た。
> しかし「完全なる滅」には入らずに初禅にまで戻り
> 第四禅から偉大な彼岸(般涅槃)=死 に入ったということです。
>>392 > 般涅槃に入らなかったという意味で
> 「解脱していなかった」と書いたのです。
>>296 で書いてあげて、やっと やっと
>>390でご理解いただけたわけですね。〜
wwww ははは 。
いや 不謹慎なのは解るが www
402 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:20:52 ID:6tpbDBxS
>>382 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:17:52 ID:fTd8HvPO
>神通力でカルマ解脱の意味がわからんので
>答えようがありません。
>それって何ですか?
アゴン宗の因縁解脱は神通力によるカルマ解脱です。
長年、アゴン宗の信者でありながら、こんな基本的なことすら知らない。
こんなことも知らないでペテン大作さんは私と議論していたのですね。
もう少し、桐山さんの本をきちんと読んでください。
説明してあげたいのは山々だが、どうせあなたは噛みつくだけです。
私はこれまでも何度も桐山さんの本を引用して説明してきた。
本来なら、私ではなく、信者であるあなたが説明しなければならないことです。
アゴン宗の因縁解脱が神通力によるカルマ解脱でないというなら、
因縁解脱とは何なのか説明したらどうか。
ただし、あなたの勝手な解釈ではなく、桐山本などから
正確に引用して説明してください。
403 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:22:48 ID:XoB2h+T1
年末も批判しかすることないのかよ。きも。
お前ら明日くらい黙って大掃除しろよ。
404 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:26:10 ID:6tpbDBxS
>>384 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:31:03 ID:fTd8HvPO
>百科事典も岩波仏教辞典も出しましたよ。
>盂蘭盆の話です。
>あなたはそれを笑っていました。
無知と勝手な解釈を自慢気に出せば、笑われて当然です。
正確に引用して、正確に解釈したのを笑ったことなどありません。
>>386 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:41:32 ID:fTd8HvPO
>もし「心が統一され・・・」が仏教の解脱の意味だったら
お互いの意見は出尽くした。
同じ事を繰り返し書いても何の意味もありません。
私は根拠を示し、「心が統一され・・・」が解脱であることを示した。
あなたは何一つ根拠を示さずにただ否定するだけです。
これがこの議論の結果であり、どう判断するかは読者に任せるべきです。
>>387 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:48:33 ID:fTd8HvPO
>はあ?
>成り立たないとは他にもあるのですか?
すでに説明しました。
あなたが無視しているだけです。
前はこういう時は、再度引用して説明をしなおした。
だが、あなたには何度説明しても、無視するか、否定するか、それしかない。
なぜなら、私から
>>326で再度指摘されたあなたのゴマカシを認めることになるからです。
405 :
ラシン:2008/12/30(火) 18:30:08 ID:YVJWi9qZ
>お前ら明日くらい黙って大掃除しろよ。
神道的に考えて、大晦日の大掃除は忌避されます。
大晦日のお飾りも、一夜飾りといって縁起が悪いそうですよ。
桐山批判は、その風習から外れます。
406 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:30:47 ID:6tpbDBxS
>>388 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:52:58 ID:fTd8HvPO
>あなたの出したのは仏教辞典の言葉の定義と
>中村博士のたった一行の言葉です。
私は阿含経の根拠も示した。
中村博士のたった一行とは何ですか。
一行だろうが二行だろうが、彼ははっきりと断定している。
そればかりか、あなたが引用した中村本でも、
「・・釈尊がさとり開いたのちに心境を叙するところに述べられている」
(『ゴータマ・ブッダT』中村元、410頁)
とはっきり書いている。
あなたが私を否定したつもりで引用した内容が、実は私の説を擁護する説明に
なっていたという爆笑ネタです。
逆に、あなたはただの一行も示していない。
407 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:34:47 ID:6tpbDBxS
>>391 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 15:32:01 ID:fTd8HvPO
>ところで
>>353は般涅槃のことではありません。
>>392 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 15:45:56 ID:fTd8HvPO
>般涅槃に入らなかったという意味で
>「解脱していなかった」と書いたのです。
般涅槃とは普通は入滅、つまり釈尊が亡くなったことを指します。
あなたもそういう意味で用いているようだ。
しかし、今議論しているのは般涅槃、つまり入滅後の話をしているではありません。
釈尊は入滅直前に九つの瞑想の階梯をたどったのだから、まだ生きている。
滅尽定に入った時の釈尊は般涅槃の前です。
アーナンダが亡くなったものと勘違いしたのをアヌルッダが否定し、
まだ瞑想の段階にあると述べているのが今議論している経典です。
あなたは入滅後のことを解脱という意味で用いていたのだと説明しているが、
入滅前の話ですから、あなたの説明は筋が通りません。
批判側が質問しているのも、釈尊が亡くなった後の話をしているのではなく、
亡くなる前の話です。
408 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:40:23 ID:6tpbDBxS
>>390 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 15:26:54 ID:fTd8HvPO
>仏陀は四つの意識階梯(処)をすべて経験し滅尽定まで行った。
>>395 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 16:39:33 ID:fTd8HvPO
>もちろんそうなると二度も滅に入るというのも変な話ではありますが。
あなたの考えは、阿羅漢の悟りとは滅尽定だ、としているのですね?
つまり、滅尽定以外は悟りや解脱ではないから、
初禅や第四禅の状態は解脱ではないという意味ですね?
まずこの点をはっきりしてほしい。
「ペテン大作説1.解脱とは九次第定の滅尽定に入ることである」
これがあなたの説だと思うが、違うなら簡潔にわかりやすく訂正してください。
簡潔にとは、くどくどと説明をするのではなく、上記のように一行で書いてほしい。
また、こういう説の根拠となる阿含経や学者の説明を示してください。
409 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:44:56 ID:6tpbDBxS
>>395 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 16:39:33 ID:fTd8HvPO
>もちろんそうなると二度も滅に入るというのも変な話ではありますが。
この「二度」とは、菩提樹の下での解脱と、入滅する直前に滅尽定に
入ったことを指しているのですか。
釈尊は生涯で菩提樹の下と、沙羅双樹の下の二度しか、滅尽定に入らなかった、
と言いたいようだ。
「ペテン大作説2.釈尊が滅尽定に入り解脱したのは生涯二度だけである」
これも違うなら、わかりやすく簡潔に修正してください。
そこで二つ質問があります。
一つは、釈尊が菩提樹の下で解脱した時、滅尽定に入ったという
記述が阿含経のどこにあるのですか。
釈尊の解脱の内容については、四諦や四禅三明はあるが、
滅尽定が解脱だとは初めて聞いたので、阿含経か学者の説を引用してください。
毎回申しあげるが、あなたの思い込みの解釈ではなく、
ズバリ「滅尽定が解脱である」と書いている阿含経や学者の解説です。
410 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:50:10 ID:6tpbDBxS
>>395 :神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 16:39:33 ID:fTd8HvPO
>もちろんそうなると二度も滅に入るというのも変な話ではありますが。
二つ目は、昨日からの同じ質問です。
釈尊が生涯二度しか滅尽定に入ったことがないという「ペテン大作説2」からすると、
それ以外の、つまり、菩提樹の下から立ち上がって、沙羅双樹の
下で亡くなる直前までの約45年間、釈尊は解脱していなかったことになる。
釈尊が入滅する少し前に弟子たちに法を説いてる時は、
滅尽定に入っていないのだから、この時の釈尊は解脱していないことになる。
日常で遊行しながら、説法している時の釈尊は解脱していないと
あなたは言っていることになるが、それでいいのかと質問しているのです。
これもあなたの解釈ではなく、阿含経や学者の説の根拠を示して下さい。
あなたは
>>396でベックの解説がそれだとしているが、
>ベックの解釈だと瞑想者は二度解脱することになります
なんて、どこをどう読めば書いてあるのですか。
あなたと違い、普通の人は文章に書いていないことは読めない。
繰り返すが、こういうあなたの勝手な「解釈」ではなく、釈尊が
「普段のワシは解脱なんぞしておらんぞ」と述べている阿含経か、
「釈尊は生涯二度解脱しただけである」と書いてある解説本を示して下さい。
昨日の中村本を積み上げて見せたのは虎の威を借りて、威嚇してみせたのでは
ないことを示すためにも、ぜひ本から引用してください。
411 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:55:56 ID:6tpbDBxS
>>403 :神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 18:22:48 ID:XoB2h+T1
>年末も批判しかすることないのかよ。きも。
>お前ら明日くらい黙って大掃除しろよ。
スレに捨てられた腐った生ゴミを捨てて、年末の大掃除をしているのです。
アゴン宗という煩悩だらけの教団の信者がここに煩悩というゴミを捨てに来る。
来年までゴミを残したくないから、掃除をしているのです。
除夜の鐘の108とは煩悩の数であることをあなたも知っているでしょう。
つまり、ここでは、仏教ではもっとも正しいゴミの大掃除を
していることにどうしてあなたは気が付かないのだ?
もっと正しく仏教を学んだ方がいいですよ。
412 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/30(火) 22:42:26 ID:AMaOEuTr
我是阿那含生彼無煩天
413 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/30(火) 22:45:01 ID:AMaOEuTr
如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。
時有無煩天子。
容色絶妙。來詣佛所。稽首佛足。
退坐一面。其身光明。遍照祇樹給孤獨園。
414 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/30(火) 22:58:44 ID:AMaOEuTr
釈尊の初期経典に
無煩天があります、
415 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/30(火) 23:06:03 ID:AMaOEuTr
阿含経に
「煩悩の無い天」の天人がいます。
美しすぎています。
釈尊のところに詣で
光輝く身体で辺り一面を遍く照らしています。
416 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 23:17:36 ID:t3Sv9G5f
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[664]如来の子孫 08/12/30 11:20 pMchKcfzt7
>周那が自殺した、なんて話はパーリにも漢訳にもありません。
チュンダが自殺したと経典に書いていないなんて、誰が読んでも当たり前です。
だが、仏教を理解したら、チュンダが突然、入滅したなんて記述を文字通りに受け取る人のほうが少数です。
おそらくは数日前まではただの俗人だったのが、急に解脱して、しかも
入滅なのだから、死んだというのです。
釈尊か許可を出したとして、では「どうやって」死んだのだ?
誰が読んでもおかしい。
「すなわち、現代の用語で申しますと、チュンダが自殺を計り、釈尊はそれを認め、
チュンダが自殺を果たした、ということになり、この内容からは、仏教は
「自殺を許すか許さないか」の議論が生じてきます。」
(『阿含経を読む』三枝充悳、663頁)
学者たちもこの記述には?なのです。
経典は釈尊の言葉をそのまま記述したわけではなく、
後世の誰かが文字にして、しかも、それが漢訳されたのですから、
文字通りに読むではなく、それがどういう意味なのか検証するのが当たり前です。
子孫さんのように一冊の本だけにしがみつき、文字だけ読んで、
我流の解釈をしたら、内容を理解できないのは当たり前です。
417 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 23:21:39 ID:t3Sv9G5f
阿含宗と桐山氏について―第四十章―
>[627]如来の子孫 08/12/28 12:13 pMchKcfzt7
>周那は釈迦の前で涅槃を得た、というのだから、最大の果報なのよ。
>涅槃と比較したら、財宝も長寿も微々たる果報なのよ!
>あんた、そんなことも知らないの?
子孫さんの理屈は、釈尊に供養したその功徳で解脱して、
すぐに死んでしまったというのです。
そんなこと経典のどこにもない。
供養した徳で解脱できるなんて釈尊は説いていません。
釈尊は、経典の中で、チュンダの供養がたいへん功徳の高いものだと述べた。
「今、周那は、大きな利益を得 、寿命を得、容色を得、力を得、良い名声を得、
生きているときは多 くの財宝に恵まれ、死んでからは天に生まれることができ、望むもの
は思いのままになる」(『現代語訳阿含経 1』266頁)
これが釈尊が述べた内容です。
釈尊の述べた功徳には、世俗的な果報は説かれているが、解脱はありません。
「死んでからは天に生まれる」とは、解脱するという意味ではありません。
もし、アゴン宗のように、如来に供養する功徳で因縁が切れて、解脱するというなら、
釈尊もそのように説いたはずだが、ありません。
如来など清浄な修行をしている人たちに供養すれば、果報が得られると釈尊は説いています。
だが、それは善業をなせば善果が得られるという話であって、
釈尊が功徳を授けるのではないし、ましてや、それによって解脱するなんて
話はどこにもありません。
供養の果報で涅槃を得たなんて、子孫さんの作り話です。
418 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 23:27:00 ID:t3Sv9G5f
>[627]如来の子孫 08/12/28 12:13 pMchKcfzt7
>周那は釈迦の前で涅槃を得た、というのだから、最大の果報なのよ。
釈尊がチュンダに大きな果報があると説いた理由は、すでに
>>243で示したように、
「アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言って
取り除かなければならぬ」(『ブッダ最後の旅』123頁)
と、パーリ仏典にはチュンダの自責の念を取り除くのが目的だと
本人がはっきりと述べていますし、漢訳の遊行経でも、
「先ほど、周那に後悔の気持ちがあったか。もしこの気持ちがあるならば、
何によって、生じたのか。」(『現代語訳阿含経 1』266頁)
チュンダの気持ちや立場を気遣っている言葉を述べています。
釈尊がチュンダに果報の大きさを説いたのは、これ以外に理由などありません。
善業を為せば善果があるのだから、果報があるというのは嘘ではなく、
お世辞を言ったのではありません。
だが、釈尊が功徳を授けるのではないのだから、如来に供養したら、
如来が功徳を授けるというアゴン宗の三福道の根拠にはなりません。
まず、信者さんたちに自覚してほしいのは、供養の功徳を釈尊が授けるとか、
ましてやその功徳で解脱するなんて釈尊は説いていない、という点です。
では、チュンダが釈尊の前で入滅したという記述はどうでしょうか。
419 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 23:31:16 ID:t3Sv9G5f
「そこで周那はただちに仏の前において完全な涅槃に入った。」
(『現代語訳阿含経 1』279頁)
これが漢訳の遊行経にある文章です。
完全な涅槃というのだから、チュンダは解脱してアラハンになったことになります。
漢文では般涅槃となっていますから、チュンダが亡くなったともとれます。
繰り返しになるが、この文章を読んでもわかるように、
前述のように、釈尊自身が供養の功徳で解脱するとは説いていないし、
どこにも供養の功徳で解脱したとは書いていません。
子孫さんは主張には根拠がありません。
経典ではいつのまにかチュンダが付き添っており、釈尊の世話をして、
その後に、上記のように、唐突にチュンダは入滅してしまうのです。
しかも、パーリ仏典では、チュンダを比丘として扱っています。
チュンダが最後の供養をしたということは、供養してから、
彼が入滅するまで、数日程度だったことになります。
経典ではチュンダは釈尊に帰依するという申し出をしていませんから、
在家の信者であったかどうかさえもはっきりしないのです。
昨日まで在俗の人間にすぎないチュンダが、出家した様子すらないのに、
突然、解脱してしまった。
話のつじつまが合わず、誰が読んでも、奇妙な話です。
そこで、これは自殺したという意味ではないかと解釈する学者も出てきたのです。
420 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 23:39:04 ID:t3Sv9G5f
「そこで周那はただちに仏の前において完全な涅槃に入った。」
(『現代語訳阿含経 1』279頁)
子孫さんは『遊行経』だけしか読んでおらず、これでは本当の意味で
阿含経を読んだことになりません。
ご存じのように、阿含経には南伝のパーリ仏典と、北伝の漢訳仏典があります。
しかも、釈尊の最後の旅については、漢訳だけでも、取り上げている『遊行経』の他に
『般泥オン経』『大般涅槃経』(法顕訳)など、いくつもあることが知られています。(『遊行経 上』中村元)
これらを丁寧に比較してみる必要があるのです。
まず第一に、チュンダが仏前で涅槃に入ったという記述は遊行経だけで、
パーリ仏典にはありません。
釈尊がチュンダの供養の功徳について述べているのは両方の経典に載っているのに、
チュンダが涅槃に入った話はパーリ仏典にはありません。
パーリ仏典のほうが正しいとは言えないが、漢訳経典にしか載っていないとなると、
信用度は下がります。
また、遊行経の載っている『現代語訳阿含経 1』をお持ちの方は、
278〜280ページを読んでみて、奇妙なことに気が付きませんか。
421 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 23:45:20 ID:t3Sv9G5f
「仏に(滅渡することを)許されて 周那はますます努め励み
行い滅して余すところがない ともしびが尽き火が消えるように」
(『現代語訳阿含経1』280頁)
これは遊行経の偈(韻文)に書いてある内容です。
経典の中には偈と呼ばれる韻文と、散文の二種類あります。
たいてい内容は同じです。
遊行経でも、釈尊が河を渡り、チュンダに命じて敷物をしかせ、
横になり、チュンダが釈尊に入滅を告げたまでの同じ内容を、
散文と偈で繰り返しています。
上記はその偈の最後の部分です。
なぜ、同じ内容を散文と偈で繰り返すは様々な説がありますが、おおまかに言うなら、
「詩型のものないし部分は一般的にいって古い」(『バウッダ佛教』98頁)
つまり、偈(韻文、詩型)のほうが古く、内容的には信用度が高いというのです。
そこで、再度、遊行経の偈を見てください。
上記の一文を見るかぎり、そこには「仏前で入滅」という文字はありません。
422 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 23:53:50 ID:t3Sv9G5f
「仏に(滅渡することを)許されて 周那はますます努め励み
行い滅して余すところがない ともしびが尽き火が消えるように」
(『現代語訳阿含経1』280頁)
偈では、「滅度したい」とチュンダは釈尊に申し出ます。
釈尊は「なすべことはなしおえた 随意にしなさい」と許した。
滅度とだけ読むと、すぐに入滅したともとれが、しかし、それなら、
「周那はますます努め励み」
という文章をどう解釈すればいいのでしょう。
即死したはずの人が、なんで「ますます努め励み」なのですか?
「なすべことはなしおえた 随意にしなさい」と許可をもらってから
「周那はますます努め励み」というのはおかしくありませんか。
そんなバカげた解釈をしなくても普通に読めば話は簡単です。
涅槃に入ることを許された(つまり出家を許された)チュンダは
ますます修行に励み、煩悩を滅して、
灯火が消えるように入滅したととれるだけです。
チュンダは「私も涅槃に到達したいと思います(滅度したいと思います)」と
申し出て、釈尊から「そのようにしなさい」と出家の許可をもらい、
必死に励んで修行して、やがて解脱(滅度)したと解釈すれば筋がとおります。
遊行経の古い文章である偈をみる限り、チュンダが釈尊の目の前で入滅した
という記述はありません。
つまり、偈には、仏の前で入滅したなんて言葉はないにもかかわらず、
散文を作った人が、勝手に付け加えたか、漢訳した人が間違えたのではありませんか。
その証拠に、パーリ仏典にはそんな文章はありません。
仏前での入滅が散文にあるのに偈にはないというのは、
重大な証拠なのだが、他にも証拠があります。
423 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 00:03:22 ID:C6RrNfFq
「仏に(滅渡することを)許されて 周那はますます努め励み
行い滅して余すところがない ともしびが尽き火が消えるように」
(『現代語訳阿含経1』280頁)
サンスクリット経典と『般泥オン経』には、この話のところに奇妙な会話が入っています。
アーナンダが、「チュンダ比丘は欲深く、粗暴なのだが、釈尊が亡くなった後は
彼にどのように対処すればいいか」と釈尊に質問しているのです。
これは『遊行経 下』(中村元、496頁)に引用してあります。
つまり、ここでもチュンダは出家した比丘として取り扱われています。
また、このように欲深く、粗暴で、釈尊から罰を与えるように言い渡される比丘が
その場で解脱してしまうなどありえません。
パーリ仏典でも、チュンダは比丘として出てきています。
このように、他の経典と比較すると、チュンダは出家したのであり、
供養の功徳で仏前即死入滅というシーンはありそうもないのです。
424 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 00:05:20 ID:C6RrNfFq
「だから釈尊を歓待したときには、鍛冶工としての俗人であっても、のちに
出家してビクとなったので、のちの詩句作者がこのように呼んだのであろうか。」
(『遊行経 下』中村元、494頁)
学者もチュンダが出家したのではないかと推測しています。
チュンダが自責の念にかられて出家したとすれば、
先ほどの私の推測も成り立ち、他の経典との整合性もよく、矛盾がなくなります。
結局、「チュンダの仏前入滅」は遊行経の、それも散文にしかないのです。
遊行経の散文にある、
「そこで周那はただちに仏の前において完全な涅槃に入った。」
とは、偈を元にして散文を書いた人が勝手な想像で書き加えたか、漢訳の時に何か
読み違えて誤訳したとみれば、ほぼ矛盾なく説明がついてしまいます。
つまり、どこにも、供養の功徳で解脱したとか、釈尊の許可を得て涅槃に
入ったなんて、荒唐無稽な話は必要ありません。
425 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 00:06:46 ID:C6RrNfFq
『ブッダのことば』175頁
「欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、
解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。」
『真理のことば・感興のことば』252頁
「人は他人を浄めることはできない、――もしもその他人が内的に心のはたらきが浄よらかでなければ。
金剛石が宝石を磨くように悪人を錬磨することは[できない]。」
『ブッダのことば』224頁
「1064.ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させ得ないであろう。
ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るで
あろう」
426 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 00:12:37 ID:C6RrNfFq
「他人が解脱させてくれるのではないからである。」
「人は他人を浄めることはできない、」
「わたくしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させ得ないであろう。」
信者さんたちに、毎度申し上げるのは、子孫さんを反面教師にしてほしいという点です。
釈尊の言葉をよく読んでください。
他人が解脱させてくれることはない、他人が浄めることはできない、と
釈尊は繰り返し述べている。
この釈尊が、「ワシに供養すれば、見返りに解脱できるぞ」なんて説くはずがない。
釈尊はむしろ、そういう欲望を捨てるように説いた方です。
その欲望を捨てろと説いた方に向かって、「供養するから、功徳をちょうだい」と
言っているのと同じなのですよ。
私もやったことがあるが、それはかなり恥ずかしいことです。
だが、アゴン宗にいて餓鬼の心を植え付けられると、
餓鬼信仰や取引信仰を釈尊が説いたと信じ込んでしまう。
その結果、せっかく阿含経を読んでも、餓鬼の目で見るから、
子孫さんのように、全部、功徳の見返りの話に読んでしまう。
何でも御利益話に解釈している子孫さんを見ていて恥ずかしいと思いませんか。
子孫さんの信仰はまさにアゴン宗の模範的な餓鬼信仰です。
427 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 09:06:30 ID:Fp+1HHVV
初期仏教における
釈尊のおしえ
五功徳(阿含経)
何謂爲五。
一者諸有所求輒得如願。
二者所有財産増益無損。
三者所往之處衆人敬愛。
四者好名善譽周聞天下。
五者身壞命終必生天上。
時夜已半。告諸信士。宜各還歸。諸清信士即承佛教。
遶佛三匝禮足而歸。爾時世尊於後夜明相出時至閑靜處。
天眼清徹見諸大天神各封宅地。中神下神
亦封宅地。是時世尊即還講堂就座而坐。
428 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 09:12:42 ID:Fp+1HHVV
如天大雨水流隨下。
瞿曇法律亦復如是。
比丘比丘尼。
優婆塞優婆夷。
若男若女。
悉皆隨流。
向於涅槃。
浚輸涅槃。
429 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 09:13:18 ID:Fp+1HHVV
如天大雨水流隨下。
瞿曇法律亦復如是。
比丘比丘尼。
優婆塞優婆夷。
若男若女。
悉皆隨流。
向於涅槃。
浚輸涅槃。
430 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 09:25:10 ID:Fp+1HHVV
阿那含 生 彼 「無煩天」
阿那含の境涯で種々の神通があります。
そして神通(極限機能のハード・ソフト・卓越したセンサー)によっての
「智」があり
「過去未来現在にわたる輪廻転生の仕組み」との縁を無効化し
最終的に縁を生じさせる因を捨て去り滅するのです。
存在するさとりの領域における過去現在未来における存在としての仏陀
として四禅で作業されます。仏陀の古道である中道の法です。
阿含経にあるおしえです。。
431 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 09:26:29 ID:Fp+1HHVV
事実として
間違っています。
↓
ID:C6RrNfFq
432 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 13:30:02 ID:ttWt8XIT
不浄観による自殺によってどうなるかの問いに
解脱にいたっていると答えがあります。
集団自殺も僧の集団でおきていました。
不浄観による集団自殺によって
お互いに止めをさす行為があり
それは行ってはいけないと、ルールができました。
>>411 :神も仏も名無しさん
>スレに捨てられた腐った生ゴミを捨てて、年末の大掃除をしているのです。
>アゴン宗という煩悩だらけの教団の信者がここに煩悩というゴミを捨てに来る。
>来年までゴミを残したくないから、掃除をしているのです。
いやいや、年末の大掃除どころか
批判側は年の瀬にとんでもないゴミを残してくれました。
このゴミは来年に持ち越しされるようです。
残念ながら私も、今日はゆっくりレスを読んでいる時間がありません。
そこでこれから書かせていただくレスをもちまして
私の本年における締めと致します。
それでは良いお年を。
「心が統一され・・・」に解脱の意味はありません。
沙門果経で繰り返し出てくる「このようにして心が安定し・・・」
の決り文句が比丘の解脱を意味しているのなら
比丘は八三節の前に解脱していなければならない。
沙門果経の節はすべて繋がっているからです。
だが八一節、八二節のどこにも
比丘の解脱を思わせる描写はありません。
八一節から八三節を並べて書いてみると
↓
(八一)さらに大王よ、すすんで比丘は、(その第三の禅定の)安楽をも断ち、
苦をも断つことにより、またすでに先に(初禅や三禅において)喜悦や憂悩は消滅していることから、
第四禅の禅定にはいり、そのなかにとどまります。
そこには苦もなく、楽もなく、最も清浄な(苦楽からの)超越(捨)があり、
最も清浄な思慮深さ(念)があります。
比丘は、この身体に清浄で純潔な心を遍満させてすわり、その身体のいたるところ、
清浄で純潔な心が遍満していないところはありません。
(八二)たとえば、大王よ、人が白い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっているとすれば、
彼の身体はいたるところ、白い衣服がおおっていないところはないでしょう。
それと同じく、大王よ、比丘は、この身体を清浄で純潔な心を遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が満ち満ちていないところはありません。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれtれより霊妙な、
目に見えぬ沙門の果報であります。
(八三)(次に)このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、
小さな煩悩も離れ、柔軟となり、機微にものに応ずるもの、
しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。
(そして)彼は次のように知ります。
『実に、わたしのこの身体は、形をもち、四種の元素からなり・・・・・・以下略 』と。
(『世界の名著Tバラモン経典 原始仏典』 531、532頁)
↓
第四禅に入った比丘は
「苦もなく、楽もなく、最も清浄な(苦楽からの)超越(捨)がある。
「最も清浄な思慮深さ(念)がある。」
「身体に清浄で純潔な心を遍満させてすわっている。」
「白い衣服で、身体がおおわれている。」
という状態であって、
どこにも解脱を思わせる描写はありません。
もしこれが解脱だというのなら
第三禅が終わった段階で比丘は解脱したことになってしまう。
つまり「このようにして心が安定し・・・」が解脱の意味だとしたら
その前には解脱していなかった比丘が
突然、八三節の冒頭で登場することになってしまいます。
おかしいでしょう?
「このようにして心が安定し・・・」の文句に
解脱の意味などないことがわかります。
ということは
「心が統一され・・・」にも解脱の意味はないのです。
437 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 17:44:20 ID:+DlSC+40
>>433-436 すでに反論された内容を無視して、同じ話を繰り返しても無駄です。
いつまでも同じ主張をくどくどと繰り返すペテン大作さんの態度は、
いかにもあなたらしいというか、あまりに子供っぽい。
お互いの主張が終わったのだから、読者に判断に任せるという度量はないのですか。
それよりも、
>>408以降のこちらからの質問に答えてみたらどうか。
読者たちも大いに関心をもっている。
だが、質問に答えることができないから、悔し紛れに同じ話をしつこく
繰り返しているのでしょう?
438 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 17:48:52 ID:+DlSC+40
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/agama/#th1 >416 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/31(水) 06:19:57 ID:48V69EeA
>「あのね・・・私に横変死の因縁あり、と書かれていたの」と哀しそうでした。
こういう信者の反応を桐山さんは期待して、横変死の因縁を付けるのです。
横変死の因縁ありと書かれて、信者さんたちはものすごいショックを受けます。
実はショックというよりも、恐怖に支配されるのです。
誰だって「横変死するぞ」などと言われたら、怖い。
この信者も命を人質に取られたのです。
桐山ゲイカを信じることで、自分の命を人質に出してしまった。
相手を命で脅かすのは、餌で釣るよりもはるかに効果がある。
桐山さんにインネンを付けられて、亡くなるまで馬車馬のように、
供養と称する金と労力を提供することになった。
亡くなったこの方にあれこれ言うのは気の毒だが、脅迫されて必死に貢いだのです。
映画で「お前が手に持っているのは爆弾で、ちょっとでも動かしたら、爆発する」と、
実際は爆弾でないものを持たせて脅かす場面があるが、あれと同じです。
桐山さんから偽物の爆弾を背中にくくりつけられ、
「これはいつ爆発するかわからない。これを取り外せるのはオレだけだ」と
言われたのと同じです。
この信者さんが、背中に偽爆弾を仕掛けられて、
宗教ヤクザに金と労力を脅し取られたのも気の毒だが、
もっと悲惨なのは、そのことに死ぬまで気が付かなかったことです。
439 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 17:54:14 ID:i6jevKcK
如是我聞。一時佛住金剛聚落。
跋求摩河側。薩羅梨林中。
爾時世尊爲諸比丘。説不淨觀。讃歎不淨觀言。
諸比丘修不淨觀。
多修習者。
得果大福利。
時諸比丘。修不淨觀已。
極厭患身。或以刀自殺。或服毒藥。
或繩自絞。投巖自殺。或令餘比丘殺。・・・・・
440 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 17:54:17 ID:+DlSC+40
>「あのね・・・私に横変死の因縁あり、と書かれていたの」と哀しそうでした。
この亡くなった方を信者さんたちは他人事だと思わない方がいい。
多くの信者が、横変死の因縁でなくても、霊的に脅かされている。
しかも、亡くなった方がそうであるように、自分が脅迫されているという自覚がない。
これを読んでいる信者さんにお聞きするが、あなたは自分が悪因縁や
霊障、あるいは天命殺で霊的に脅かされていると自覚していますか。
自覚していた信者も知っているが、ほとんどの人は自覚していない。
アゴン宗の教義の大半が霊的な脅迫で出来ている。
霊障のカルマによる地球壊滅、悪因縁による横変死の因縁、
怖い怖い天命殺など、信者を徹底的に脅かす。
恐怖に怯えた人間を支配するのが容易なのは上記の信者さんが見本を示してくれた。
信者を脅かし、貢がせ、辞めさせないためには脅かすのが一番です。
アゴン宗から離れたら横変死の因縁が出るぞ、という恐怖があるから、
辞めるに辞められなくなります。
だから、桐山さんはそれが目的で横変死の因縁を連発します。
因縁診断が始まった二十年前には、それで信者がパニックになった。
441 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 18:00:07 ID:+DlSC+40
「百人因縁透視をすると、横変死の因縁を持った人がここ十数年、だんだん増え
ている。百人中十五人を越えたら要注意、非常に警戒を要する。
二十人に達したならば、いつ不測の事態が起きてもおかしくないと思っていたところ、
近頃、一挙に八十人を越えた。」
『阿含宗報』50号、1990年
1990年には、なんと横変死の因縁が80%ですよ。
桐山さんは20%を越えたら壊滅的な事件が起きるというのに、
アゴン宗の信者の横変死の因縁の割合はそれをはるかに上回る80%だった。
これを信者さんたちはどう思いますか。
そのくらい世の中が霊障のカルマが多いとか、逆に横変死の因縁を持った人を
仏様が助けようとして集めたからだとか、本気でいう信者がいた。
こんなのは常識で説明がつく。
因縁診断士が片端から横変死の因縁をつけたからです。
彼らに霊視能力があるからではなく、診断を受けた信者の自己申告です。
親族に自殺、他殺、事故死者などがいると申し出れば、横変死の因縁を付けてくれる。
あるいは小さい頃から年中大きな怪我をするなんて言えば、
肉体障害の因縁強しをサービスして、横変死の因縁にしてくれる。
先祖や親族までたどれば、一人くらい横変死した人がいてもおかしくない。
逆に言うなら、8割くらいの人はそうだということです。
これを80%の横変死の因縁だと、信者たちは大騒ぎをした。
因縁診断とは因縁診断士が信者の自己申告に基づいて「因縁を付けた」にすぎない子供騙しです。
442 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 18:01:30 ID:i6jevKcK
五功徳(阿含経)
何謂爲五。
一者諸有所求輒得如願。
二者所有財産増益無損。
三者所往之處衆人敬愛。
四者好名善譽周聞天下。
五者身壞命終必生天上。
時夜已半。告諸信士。宜各還歸。諸清信士即承佛教。
遶佛三匝禮足而歸。爾時世尊於後夜明相出時至閑靜處。
天眼清徹見諸大天神各封宅地。中神下神
亦封宅地。是時世尊即還講堂就座而坐。
443 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 18:08:31 ID:+DlSC+40
>あれ?どっかで見たことのある文章だなあ・・・と思ったら、何のことは無い占いの分析だと後でわかったのです。
そのとおりで、修行者宝鑑の短所、長所は天源淘宮術と称する占いを使っています。
天源淘宮術というと立派な名前だが、なんのことはない、十二支占いです。
人間を生まれた年や月を使って分類し、あらかじめ干支ごとの長所、短所の
書いてある文章からそのまま書き写す。
これが桐山さんが因縁診断士に教えたやり方です。
因縁を透視すると称して本人の自己申告に因縁を付けただけ。
長所欠点を透視すると称して、高嶋易断の占いの本にも
書いてある程度の内容をそのまま書き写しただけ。
これを修行者宝鑑と称して、恭しく信者に授け、
信者たちは自分の運命なのだと信じて、宗教奴隷になる。
信者さんたちは桐山さんの因縁診断の実態が、子供騙しの稚拙な内容だと気が付きませんか。
因縁透視でもなければ、運命学ですらない。
だが、こんな稚拙な方法の脅迫でもかなり効果があることは、
亡くなった信者さんの反応をみれば十分です。
そして、まだ桐山さんの因縁透視や因縁切りの力を信じている信者さんたちは
この信者さんと同じで、背中に付けられた偽爆弾に怯えているのです。
と、私から言われて、「偽物?本物だったらどうする?」と思った信者さんがいるはずだ。
ほら、桐山さんの思う壺です。
444 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 18:13:56 ID:+DlSC+40
「近頃、一挙に八十人を越えた。」
桐山さんの言っている悪因縁が実証されたのなら、
信者さんたちが横変死の因縁を恐れる根拠にもなる。
だが、桐山さんの因縁霊視の力や因縁切りの力のどこが実証されたのだ?
桐山さんは機関紙に、自分は脳障害の因縁がないと書いたのに、脳梗塞になった。
刑獄の因縁を含めて全ての悪因縁を切ったはずの1987年に
桐山さんは密教食事件で有罪だった。
刑獄の因縁が「残っていたんだなあ」と洩らしたことを側近の職員が聞いている。
この桐山さんの実態をみる限り、彼には悪因縁を透視する力も、
切る力もないことは明らかです。
にもかかわらず、まだ背中にくくり付けられた偽爆弾に
信者さんたちは怯えて、徳を積むために木切れを買い、焚き火を拝む。
だが、霊障を解き、因縁を切ってくれるというオシャカの成仏ホーの効果などないことが、
>>304さんが指摘したように、最近また実証されたではないか。
445 :
神も仏も名無しさん:2008/12/31(水) 18:20:11 ID:+DlSC+40
「イスラエルのガザ空爆、パレスチナ人の死者380人以上に」
イスラエルの霊障を解いて平和を祈ったはずなのに、最悪から二番目ほどの死者が出ている。
狂信者の屁理屈はわかりますよ。
「本当はもっとひどい被害が起きたのだが、柴燈護摩のおかけで
この程度に抑えられたのだ」というのでしょう。
だが、前もって桐山さんが「年内に大規模な戦争が起きる」とでも
予言していたのなら、その理屈もいいだろうが、桐山さんはなんにも言っていない。
つまり、そんな理屈は後出しジャンケンです。
現実ははっきりしていて、柴燈護摩など「何の効果もなかった」。
現実をよく見て下さい。
イスラエルは2006年以降、パックツアーが再開されるくらいに
比較的平和が保たれた。
だが、柴燈護摩を焚いたら、三ヶ月後には激しい殺し合いです。
柴燈護摩を焚いたから戦争が始まったといっているではありませんよ。
柴燈護摩なんて何の役にも立たなかったと言っているのです。
わざわざ大金をはたいて木切れに祈願を書いて、いい年をした大人が焚き火を
焚いて、二酸化炭素を増やしただけで何の意味もなかった。
これだけはっきりと「使用前・使用後」が実証されているのに、
まだあのヨレヨレの桐山さんに何か霊的な力があると信じる?
残っているのは、信者さんの背中にくくりつけられた偽爆弾だけです。
偽爆弾の外し方を釈尊が教えてくれている。
信者さんが欲望と恐怖から手を離せば、偽爆弾は簡単に外れる。
それとも来年まで背負って行くつもりですか?
446 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 18:23:30 ID:i6jevKcK
447 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/31(水) 18:34:47 ID:BYyCsRRU
それでは私も留保していたペテン大作Qさんに今年最後のレスをつけましょう。
来年は消えてしまいますように。(-人-)
あなたは釈尊の説く解脱に対するお互いの認識の誤りを指摘する議論に、いつのまにかすり替えを
したのです。そのすり替えとは釈尊の入滅という一生に一度の限定された話だけに持っていった。
解脱とか涅槃とは何も入滅に限った話ではないことはあなたもご存知のはずだ。
桐山さんだって有余依涅槃と無余依涅槃を説いている。
釈尊だって無余依涅槃を得たのは生涯に一度だけだ。
ベックの本などを持ち出していて、受け付けようとしないが、こちらが出しているのは無余依涅槃などに
限定されない涅槃と解脱なのだ。つまり有余依涅槃を問題としている。
あなたの大好きな沙門果経だって釈尊がまだ無余依涅槃を得る前の有余依涅槃を得ている時に
説かれた話の経典ですよ。
釈尊は35歳の時に悟りを開いて有余依涅槃を得たのですよ 。
そして45年間解脱を得た聖者の立場で伝道を続けた。
だから私らが問題にするのはその釈尊が入滅する以前から得て説いていた解脱や涅槃の内容なんですよ。
それをあなたは勝手に入滅の場面での意識レベル、定のレベルという非常に限られた
話にすり替えた。そちらが勝手にしたことです。
解脱とは定のレベル段階だけの話ではないのですよ。
448 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 18:49:11 ID:2mCTZLdy
間違っています
↓
447 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/31(水) 18:34:47 ID:BYyCsRRU
それでは私も留保していたペテン大作Qさんに今年最後のレスをつけましょう。
来年は消えてしまいますように。(-人-)
あなたは釈尊の説く解脱に対するお互いの認識の誤りを指摘する議論に、いつのまにかすり替えを
したのです。そのすり替えとは釈尊の入滅という一生に一度の限定された話だけに持っていった。
解脱とか涅槃とは何も入滅に限った話ではないことはあなたもご存知のはずだ。
桐山さんだって有余依涅槃と無余依涅槃を説いている。
釈尊だって無余依涅槃を得たのは生涯に一度だけだ。
ベックの本などを持ち出していて、受け付けようとしないが、こちらが出しているのは無余依涅槃などに
限定されない涅槃と解脱なのだ。つまり有余依涅槃を問題としている。
あなたの大好きな沙門果経だって釈尊がまだ無余依涅槃を得る前の有余依涅槃を得ている時に
説かれた話の経典ですよ。
釈尊は35歳の時に悟りを開いて有余依涅槃を得たのですよ 。
そして45年間解脱を得た聖者の立場で伝道を続けた。
だから私らが問題にするのはその釈尊が入滅する以前から得て説いていた解脱や涅槃の内容なんですよ。
それをあなたは勝手に入滅の場面での意識レベル、定のレベルという非常に限られた
話にすり替えた。そちらが勝手にしたことです。
解脱とは定のレベル段階だけの話ではないのですよ。
449 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 18:51:24 ID:2mCTZLdy
「汝ら修行者たちよ、生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざる
もの、構成力から生じたのではないものは存在する。もし、このよう
な生まれざるもの、形成されざるもの、造りだされざるものが存在しなかった
とすれば、生まれたもの、形成されたもの、造りだされたもの、構成力から生
じたものから脱出することは、けっして考えられなかったことであろう」
「汝ら修行者たちよ、ある領域が存在し、そこには地もなく、水もなく、
火もなく、風もなく、虚空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、
非想非非想処もなく、現世もなく、来世もなく、太陽も月もない。汝らに告げ
るが、そこには、来ることもなく、去ることもなく、留まることもなく、死去
することもなく、転生することもなく、よりどころもなく、発展もなく、支え
もない。それが苦悩の終わりである」
450 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 18:54:25 ID:2mCTZLdy
たしかに次のことを世尊は説かれた、
尊ぶべきお方が説かれた、と私は聞いている。
「比丘たち、これら三つの眼がある。三つとは何か。
肉眼、超人的な眼、智慧の眼である。比丘たち、
これらは、まことに、三つの眼である」
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
肉眼、超人的な眼、最高の智慧の眼、
これら三つの眼を、すぐれた人は説かれた。
肉眼はやがて超人的な眼の生ずる道であり、
その(超人的)眼によって智慧が生じた。智慧の眼は最高である。
その眼を得ることによって、すべての苦しみから自由になる。
このことをもまた世尊は説かれた
比丘たち、物質的存在の領域より物質的存在のない領域はすぐれ、
それより消滅、すなわちさとりの領域はすぐれている
このことを世尊は語られ、それについて次のように説かれた。
物質的存在の領域に達した者と、物質的存在のない領域にとどまる者とは、
さとりの領域を知らず、再び迷いの生存に行く。
物質的存在の領域を知り尽くして、物質的存在のない領域によくとどまり、
さとりの領域で完全に精神的自由を得た人々は、死を捨てた者である。
煩悩がなくなり、正しく目ざめたほとけは、身をもって不死の領域に触れ、
執着のもととなるこの心身を離れ、執着のよりどころを離れたことを明らかにし、
愁いのない、けがれを離れた道を説く。
451 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 19:02:02 ID:2mCTZLdy
五つめの阿那含
uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者
色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。
452 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/12/31(水) 21:27:43 ID:BYyCsRRU
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/agama/1/ >416:大日如来 * eu6hMsrO3Q :2008/12/31 06:19:57 ID:48V69EeA
>それから10数年がたち、その方は亡くなりましたが、脳腫瘍が原因で亡くなりました。つまり、横変死しなかったのです。
>これは私もあっぱれだと喜びました。しかし、今回の2chなど批判派の意見を見て行くと・・・
>その方はもともと横変死の因縁ではなかった、ともいえるのです。
今気が付いているところに過去をほじくりかえして申し訳ないが、あっぱれと喜んだ当時が
愚か過ぎる気がします。
横変死こそしなかったが、脳腫瘍で亡くなったわけだから、当然脳障害の因縁やガンの因縁があり
切れてなかったことになる。
切れる切れない以前にちゃんと因縁診断でその因縁が指摘されていたかは、他人のことだから
わからないだろうが、疑わしいところです。
因縁透視の言い訳ははずれたら切れたと喜び、たまたま当たったら、ほらやっぱりと言える。
問題なのは透視されていない悪い運命が発露した時ですね。
やはり当時は洗脳の影響が今より強く、普通ならば疑うところを逆にあっぱれなどと喜んだ。
これにおかしいと気づいたのが、批判スレを読んでからだという。
いかに自己洗脳が恐ろしいものかよくわかる事例だと思う。
大日さん自身の問題として。
453 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 22:09:38 ID:2mCTZLdy
有諸世尊弟子。
當厭患身。
或以刀自殺。
或服毒藥。
或以繩自繋。
或投深坑。
454 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 22:10:49 ID:2mCTZLdy
阿含経です。
有諸世尊弟子。
當厭患身。
或以刀自殺。
或服毒藥。
或以繩自繋。
或投深坑。
455 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2008/12/31(水) 22:25:34 ID:2mCTZLdy
時有諸比丘。
厭患身者。皆出房舍。
語鹿林梵志子言。
我未得度。汝當度我。我未得脱。汝當脱我。
我未得穌息。汝當令我得穌息。我未得涅槃。汝當令我得涅槃。
時鹿林梵志子。
即以利刀。殺彼比丘。
次第乃至殺六十人。
456 :
樹意:2009/01/01(木) 01:23:41 ID:xu+gG2be
新年おめでとうございます。
457 :
樹意:2009/01/01(木) 01:25:15 ID:xu+gG2be
>>445 全面戦争だなんて逝っているようですからね、
中東の火薬庫の上なんかで 火 なんか焚くから −−−−
フランスでは猛暑でお年寄りがなくなって、台湾では地震だっけ、
なかなか狙ってもこうはいかないでしょう。 逆な意味でね。
逆を言えばアゴンがゴマを焚いた後は危ないと考えて、そういうところには
近づかないのがいいかもしれませんね。
大きな戦争の影には恐慌の影があります、
あのアメリカが史上初のゼロ金利にまでもっていったわけですからね、
どんな形でつまった金融血管を通してくるわか予断を許さない状況です。
ちなみにイラク戦争は原油の決済をドルからユーロにしようとしたイラクに対する
ドル防衛の一面があるようです。
昔イギリスがロスチャイルドに資金援助を求めた代償に今のイスラエルが
あるように、 アメリカとしてはユダヤ資本を敵に回したりはしないことでしょう。
まぁ どっちにしろゲイカのパホーマンスは平和とは何の関係もない。
458 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 02:28:05 ID:eo9cMfMY
阿難白佛言。
世尊。爲諸比丘。説修不淨觀。讃歎不淨觀。
諸比丘。修不淨觀已。極厭患身。廣説乃至。殺六十比丘。
459 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 02:33:22 ID:eo9cMfMY
如是我聞。一時佛住金剛聚落。
跋求摩河側。薩羅梨林中。
爾時世尊爲諸比丘。説不淨觀。讃歎不淨觀言。
諸比丘修不淨觀。
多修習者。
得果大福利。
時諸比丘。修不淨觀已。
極厭患身。或以刀自殺。或服毒藥。
或繩自絞。投巖自殺。或令餘比丘殺。・・・・・
460 :
【末吉】 ユビキタス 【1602円】 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/01(木) 08:55:52 ID:QQpcBXK7
初護摩の年頭法話に注目。
イスラエルのガザ攻撃について何とコメントするか?
461 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:29:39 ID:qnue6+m5
>イスラエルのガザ攻撃について何とコメントするか?
初夢新春法話
「信者諸君の中には、ネットで噂のチャンネルなんて悪口を読んで、
イスラエル護摩は効果がなかったなどと疑う愚かな人がいると聞いている。
私は口を酸っぱくして話をしているのに、まだアゴン宗の教義を理解して
いない者たちがいることを本当に残念に思っている。
私はイスラエルでオシャカの成仏ホーを念力の限りを尽くして修法した。
だが、法が成就するには、ただ導師の強い成仏リキがあればいいというものではない。
私はそれを二十年も前から諸君に言い続けているではないか。
成仏ホーが成就するためには何が必要か、諸君も知っているはずだ。
なんだっけ?・・・そう、そのとおり、徳だ。(結局、見えないものを持ち出すしか手がない)
徳がなければ、どんなに才能があっても芽が出ないのは私が良い例だ。
芥川賞を簡単に取れるくらいの才能を持ちながら、
中途挫折の因縁を持ったからとれなかった。(ろくな小説も書けないくせに)
嘘一つつけない私が、先祖が斬り殺した霊障武士のせいで
前科者になってしまった。(偽ビールで人を騙して捕まっただけ)
これも全部、徳が足りなかったからなのだ。」(自分のしたことを見えないもののせいにする)
462 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 13:33:15 ID:GTOraICV
周那受教。
敷置已訖佛坐其上。
周那禮已於一面坐。
而白佛言。
我欲般涅槃我欲般涅槃。
佛告之曰。
宜知是時。
於是周那即於佛前便般涅槃。
463 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:35:05 ID:qnue6+m5
初夢新春法話
「徳が足りないのだと私は気が付いたから、この五十年間、
一心に人に因縁を付けて脅かし、霊障をばらまいて、徳を積んだのだよ。
その結果、今のアゴン宗がある。
他の老人が年金で細々と暮らしているのに、私は総本殿を建て、
宗教家畜どもを脅かして金を搾り取ることで、宗教貴族の生活を満喫している。
フフフ、結果を見たまえ、徳、これがすべてなのだ。
だから、諸君も私を見習い、仏に供養してその見返りに徳を請求するという
あさましい取引信仰、餓鬼信仰をもっと熱心に実践せねばならない。
ところが、あのイスラエル護摩の護摩木の本数はいったいなんだね?(ムッとした調子)
私はあまりに数が少ないので愕然とし、慄然とした。
仏様に供養させていただくという気持ちがあるのか!?(語気が荒い)
アゴン宗の骨仏は現金ニコニコ決済だから、出された金に応じてしか徳を授けない。
この本数では中東の平和は長続きせず、間もなく戦争が始まってしまうことを
私は暗澹たる思いで直感していた。(今なら誰でも言える)
徳を積まなかったのは誰だ?
私の成仏リキではなく、供養の足りない諸君が悪いのだ!(全部ひとのせいにする)」
464 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:38:22 ID:qnue6+m5
初夢新春法話
「だから、私は周囲には戦争がおきるだろうと言った。(どうせ誰も確認できない)
私は今のこの有様を定に入って霊視したのだ。(後出しジャンケン)
だが、頑張ってくれた諸君もいるだろうから、あえて言わなかった。
だから、諸君に、新春からこのようなお説教しなければならないことを
私はとても残念に思うだが、とにかく徳が足りない。(金が足りないという意味)
今年はガダルカナルが待っている。(つなぎ方がうまいねえ)
徳を積むとは、護摩木の本数であり、供養金のことだ。
シッポの応供の如来に貢いで、徳を積むことだ。
それをしなければどうなるか、諸君も今のパレスチナをみてごらんなさい。
空爆で三百人近く死んだばかりか、石油の供給が止まり、
病院の電気すらつかないという。(蜜より甘い他人の不幸)
彼らは霊障を抱え、横変死の因縁を持っていたから、運命のままになって
しまった。(信者の前ではいうが、イスラエルでは一言も言わなかった)
なにせ私は正式に表明したようにイスラエルに“共感”して護摩を
焚いたのであって、パレスチナ難民なんてどうでもいい。」
465 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 13:41:48 ID:GTOraICV
釈尊の出世間の教えは、
不淨觀です。
ヴィバッサナでも結論は
「不浄=きれいなところがまったくない」です。
466 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:42:29 ID:qnue6+m5
初夢新春法話
「諸君はパレスチナの惨状を他人事と言えるかね、フフフ。
諸君だって明日、大地震が起き、阿鼻叫喚の中死んでいくかもしれない。
正月早々、縁起の悪いことをいうつもりはないが(言っている)、
私がザッと諸君を見渡しても、横変死の因縁をもっている人のなんと多いことか。
霊障のホトケも多いねえ。(霊視できるかのようなふりをする)
直感的には8割は越えている。(算数のできない桐山ゲイカの数字)
横変死の因縁の恐さを諸君はもっと自覚したまえ。
いや、ただ死ねるならまだいいのよ。(霊的脅かしはさらにエスカレート)
私の霊視によれば、斉の広場や阿鼻野街道で悲惨な目にあう。
私のいうとおりに徳を積まなければ、阿鼻野街道を寒風の中、裸足で
泣きながらとぼとぼと歩くことになる。
子孫が供養してくれるのまで何百年も待つしかないのだよ、悲惨だね。(楽しそうに言う)
死んでからでは遅いんだよ、わかっているよね、フフフ。
今生きているから、諸君は宗教家畜として骨仏に徳を積むこともできる。
私はね、諸君が宗教家畜になれたのは運がいいと思うのよ。
パレスチナの人たちは徳を積むチャンスすらないのに、
諸君はオシャカの成仏ホーのある教団に引っかかった。
諸君は元々、仏縁という徳を持っているのだ。(カルトに入るのを仏縁とは言わない)
だから、批判側の言うことなんか耳を貸さずに、仏縁を大事にして、
家畜は家畜らしく、おとなしく私の霊的脅迫に従い、悪因縁を恐れ、
霊障のカルマに怯えて、教団に金と人と労力を貢いでいればいいのだよ。」
467 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 13:45:38 ID:GTOraICV
如是我聞。一時佛住金剛聚落。
跋求摩河側。薩羅梨林中。
爾時世尊爲諸比丘。説不淨觀。讃歎不淨觀言。
諸比丘修不淨觀。
多修習者。
得果大福利。
時諸比丘。修不淨觀已。
極厭患身。或以刀自殺。或服毒藥。
或繩自絞。投巖自殺。或令餘比丘殺。・・・・・
468 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 13:48:15 ID:GTOraICV
阿難白佛言。
世尊。爲諸比丘。説修不淨觀。讃歎不淨觀。
諸比丘。修不淨觀已。極厭患身。廣説乃至。殺六十比丘。
469 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 13:49:12 ID:qnue6+m5
初夢新春法話
「金がなかったら、オレの名誉称号や勲章はどうなる。
おれはもっともっと名誉を買い集めて大作を負かしてやる。
昔からあいつが気に入らず、週刊誌で喧嘩をふっかけたが、やり返された。
あんな奴に負けているかと思うと、悔しくてしかたない。
金がなかったら、堤一族の宗教貴族の生活費はどうする?
W田だって、もっと不正蓄財を増やしたいと言っている。
おれは先も長くないから、老後の趣味で映画を作り、舞台で演劇をするんだ。
作家として、俳優としてオレはデビューするんだ。
だが、これらは全部金がかかるんだよ。
わかるか、全部金がなければ何一つできない。
イスラエルが金を出してアゴン宗を招待してくれるはずかないだろう。
要人たちの口に札束を突っ込んで、接待したから、柴燈護摩は焚けた。
何億という現ナマを突っ込んだから実現できた。
宗教家畜の脳味噌でもそのくらいのことはわかるだろう。
信者どもを柴燈護摩というイベントに駆り立てることで、金を出させている。
金の出所が信者たちの懐以外に何がある?
信者を脅かして金を巻き上げているから、アゴン宗が成り立っている。
だから、昔からおれははっきりと、「金と人がほしい」と言っている。
おまえら信者は黙って、おれが使いたい金を貢げばいいのだ・・(つい興奮して本音が出た)
・・・あ、いや、仏様にもっと徳を積ませていただこうではないか。
では、もう一度、乾杯をしましょう。
え?仏教では酒は禁止だろうって?
これは私が飲んでいるのではなく、竜神様がお呑みになっているのだよ、フフフ」
470 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 13:54:43 ID:GTOraICV
イエスキリストはおしゃいました。
まことに、
人々はわたしイエスキリストが
世界に平和をもたらすために来たのだと考えている。
しかし、彼らは
わたしイエスキリストが
地上に不和、火、剣、戦争をもたらすために
来たことを認識していない。
家に5人いれば、3人はふたりに、ふたりは3人に、
父は息子に、息子は父に対立するであろう。
そして、彼らはひとりで立つであろう
イエスキリストはおっしゃった。
わたしイエスキリストがあなたがたに言うことから、
わたしイエスキリストがだれであるかわからないのか。
しかし、あなたがた自身ユダヤ人たちのようになってしまった。
彼らは木を愛してその実を憎む。実を愛して木を憎む”。
471 :
【ぴょん吉】 ユビキタス 【830円】 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/01(木) 14:23:49 ID:QQpcBXK7
>初夢新春法話
よーくわかりました!
我々はイスラエルとパレスチナの惨状には一時目をつむり、ここはまずガダルカナルの護摩木を一本でも
万本でも増やすことが、徳を積むことになり、世界平和の実現につながるわけですね。
そのうち中東にもそのおこぼれが及びましょう。
千里の道も一歩から。大きな目標の為に小さいことからコツコツと。(←西川きよしか?)
その為にはパレスチナ人の流す血も涙も致し方ない。
愛は犠牲を伴うのだ。
472 :
【吉】 ユビキタス 【179円】 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/01(木) 14:29:53 ID:QQpcBXK7
おおっ!出たー!【ぴょん吉】が。
実は大吉よりも密かに狙っていたのです。
次は【車だん吉】出ないかな?
ネーム欄に!omikujiと入れると、おみくじが、!damaと入れるとお年玉が表示されます。
私はネームの前後に両方入れてます。
元旦限りで今晩11時59分まで可能です。
大凶も出ますよ。
473 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 15:08:49 ID:GTOraICV
釈尊のおしえの実践は
【不淨觀】です。
ヴィバッサナでも結論は
「不浄=きれいなところがまったくなく全て苦しみ」です。
そして
極厭患身。
或以刀自殺。
或服毒藥。
或繩自絞。
投巖自殺。
或令餘比丘殺。・・・・・
474 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 15:13:47 ID:GTOraICV
悪意があります。
↓
ID:qnue6+m5
ID:GTOraICV
475 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 15:15:04 ID:GTOraICV
悪意があります。
↓
ID:qnue6+m5
476 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 15:17:24 ID:GTOraICV
桐山氏の言葉をそのまま掲載するべきでしょう。
470 :
477 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 15:22:28 ID:GTOraICV
むしきかい
無色界
四天
非想非非想処 ひそうひひそうしょ ここが有頂天です。
無所有処 むしょうしょ
識無辺処 しきむへんしょ
空無辺処 くうむへんしょ
しきかい
色界
第四禅天
色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。
色究竟天を有頂天とする場合もあります。
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
広果天 こうかてん
福生天 ふくしょうてん
無雲天 むうんてん
478 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 15:28:11 ID:GTOraICV
「五つめの阿那含=uddhamsota akanittha-gamin 上流到阿迦尼咤天者
色究竟天 しきくきょうてん 阿迦尼咤天あかにたてんとも言う。」
「阿那含」
阿那含は五つの天
↓
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
479 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 15:46:24 ID:GTOraICV
輪廻転生の仕組みの中で行う
輪廻転生の仕組みから離れるための
最後の作業
色貪
無色貪
掉挙
慢
無明
480 :
樹意:2009/01/01(木) 16:09:25 ID:xHdA+o0I
>>初夢新春法話
初笑い ありがとうございます。
新春から そんなに飛ばして大丈夫なんでしょうか 。 www
481 :
【中吉】 売買ともによし 【778円】 :2009/01/01(木) 16:19:56 ID:xyGKERyq
来年の株価は
482 :
【豚】 人事円満 【1715円】 :2009/01/01(木) 16:31:44 ID:xyGKERyq
喜びごと十分なり
483 :
【ぴょん吉】 むこよめとり 【296円】 :2009/01/01(木) 16:35:30 ID:xyGKERyq
萬よし
484 :
【ぴょん吉】 争いごと無事におさまる 【1486円】 :2009/01/01(木) 16:39:08 ID:xyGKERyq
神明をうやまい
485 :
【大吉】 訴訟ごとかなう 【535円】 :2009/01/01(木) 16:41:35 ID:xyGKERyq
待ち人来る
486 :
【中吉】 訴訟ごとかなう 【1533円】 :2009/01/01(木) 16:41:47 ID:xyGKERyq
待ち人来る
貴様ら久しぶり。
特に記述する事はないが今日は元日という事で阿含宗へ行って
酒を飲んできた。元日というのに沢山人がいた。
盛者必衰なんて言葉があるが阿含宗の場合は衰えるどころか
寧ろ、進化し続けている。これからも阿含宗は発展していくであろう。
そして、阿含宗は悩める人々を救済するのである。
488 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 18:17:51 ID:CzWSxUyC
「阿那含」
阿那含は五つの天
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙
慢
無明
489 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 18:25:35 ID:CzWSxUyC
五つの天には五つの天人がいます。
天人=「阿那含」ではありません。
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
490 :
【大吉】 ユビキタス 【999円】 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/01(木) 18:28:42 ID:QQpcBXK7
>>487 アゴン宗の道場に酒飲みに行っただけか?
みやげ話くらいあろう。
新春年頭法話でこんな話を桐山ゲイカがしていたとか。
どこの道場に行ったか知らんが、今日なら衛星中継が入ってくる。
491 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 18:34:12 ID:CzWSxUyC
阿那含 生 彼 「無煩天」
阿那含の境涯で種々の神通があります。
そして神通(極限機能のハード・ソフト・卓越したセンサー)によっての
「智」があり
「過去未来現在にわたる輪廻転生の仕組み」との縁を無効化し
最終的に縁を生じさせる因を捨て去り滅するのです。
存在するさとりの領域における過去現在未来における存在としての仏陀
として四禅で作業されます。仏陀の古道である中道の法です。
阿含経にあるおしえです。
492 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 18:41:59 ID:CzWSxUyC
チュンダの選んだのは仏法髄解脱です。
欲界 色界 無色界
ではなく、釈尊自身(仏陀の存在)を選ぶ滅諦なのです。
493 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 18:43:49 ID:CzWSxUyC
チュンダ自身が、
出世間の正見 択法 となったのです。
494 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/01(木) 18:47:31 ID:CzWSxUyC
如天大雨水流隨下。
瞿曇法律亦復如是。
比丘比丘尼。
優婆塞優婆夷。
若男若女。
悉皆隨流。
向於涅槃。
浚輸涅槃。
495 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 22:02:30 ID:+9t8dvhZ
ハエ男ってまだ生きてたのかよw
なにが救済だよwバカ
496 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 22:02:46 ID:kosBxuFi
今年の星まつりの目標は、修行して最低6人と密体すること。
去年は3人でダウンしてしまった。夢は管長のように100人
相手にしても衰えないようになれるよう頑張りたい。
497 :
神も仏も名無しさん:2009/01/01(木) 22:14:44 ID:kfbwxQ47
>>496 > 今年の星まつりの目標は、修行して最低6人と密体すること。
密体ってなんですかぁ?
498 :
【大吉】 ユビキタス 【16円】 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/01(木) 22:21:36 ID:QQpcBXK7
>>497 密体、体を密着させること
すなわち・・・
おしくらまんじゅうのことではないですか?
499 :
【大吉】 私文書為造 【1977円】 ◆iCtd3oCMyM :2009/01/01(木) 22:46:25 ID:qIekmf2d
500 :
【凶】 ユビキタス 【1054円】 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/01(木) 23:02:02 ID:QQpcBXK7
今年は甘いなあ。一向に【凶】も【大凶】も出ない。
501 :
【だん吉】 ユビキタス 【1372円】 ◆oGqIQwSRtg :2009/01/01(木) 23:03:07 ID:QQpcBXK7
おおっ!出たよ!
霊感か?超能力か?
502 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 11:27:48 ID:/dsVAxvH
密体で百人こなすとは、さすがは管長猊下。クンダリニーを開発した人は精力絶倫なんですね。『阿含の子』がたくさん生まれますね。万歳。
503 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 11:48:10 ID:p5Y85Sj4
なんで ユビキタスとか私文書為造って名無しで書かないの?
504 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 12:20:28 ID:8PP+EOlw
ユビキタス猊下、万歳!万歳!万,万歳〜!
ユビ猊下の筆刀で本年も阿呆宗をメッタ切りし
迷える宗教家畜たちをお救い下さい。
新年のご挨拶でした。
505 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 13:57:28 ID:wySkpIFy
以上
ぐうたら馬鹿ユビキタスのバレバレ自作自演でした。
506 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 14:01:13 ID:q9B+/9xk
ユビキタスきえろ
>>505,506
反論できないからそんな事を書くんだね。
信者のレベルがよくわかる。
508 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 16:38:52 ID:AGzHsMx3
↑死んどけ
509 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 16:47:53 ID:wySkpIFy
ユビキタスは馬鹿独身爺
510 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 17:14:39 ID:p5Y85Sj4
>>508-510 信者だったから言うんだよ。
で、きちんと理論で反論できないんだろ。
煽ってないで、今年の初護摩の法話を語れよ。
行ったんだろ?
512 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 18:44:22 ID:RIHAUBfo
A宗考察意見交換スレ
http://www2.atchs.jp/agama/#th1 >421 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/31(水) 23:27:25 ID:mUX15+lc
>私の”占い”というのは「四柱推命」でした。それでも因縁透視並みの指摘は出ますね。
因縁診断が四柱推命を用いて因縁を推定するのなら、まだマシだったのです。
信者はまだ透視能力は持っていないのだから、
初歩的な段階として占星術を用いて因縁を透視するというなら、
信者を訓練する上でも意味があったかもしれない。
だが、桐山さんのしたことは、信者の自己申告に因縁を付けただけです。
相手の話に合わせて、因縁を付けるというやり方です。
信者は因縁診断なんて受けなくても、やり方さえ習えば自分でやれる。
人を小馬鹿にするにも程がある。
これだけなら子供だましで済むが、これを信者の運命であると、
修行者宝鑑と称して宗教家として下付して、金と人と労力を貢げと
いうのだから、立派な霊感商法の宗教詐欺です。
513 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 18:47:39 ID:RIHAUBfo
>421 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/31(水) 23:27:25 ID:mUX15+lc
>逆にゲイカは占いを重んじると言うことは、私程度の霊感しかない、と言うことです。
桐山さんには普通程度の霊感すらないと思う。
これは桐山さんが死霊と生霊の区別すらつかなかったとか、
一度解脱供養した人をまた解脱供養したなんて話や、
側近のフジウスさんが桐山さんの霊感と思われるものを一度しか見たことが
ないのを見れば十分です。
一度くらいなら、私だって当たったことがある。
それを霊感などというのは恥ずかしいから、偶然にすぎないとみなすのが普通です。
そして、こういう点で、桐山さんの性格は普通とは正反対です。
占いの好きな人によく見られるのは、一つ当たるとそれだけ拡大して記憶して、
外れた残りの九つをきれいに忘れてしまう。
桐山さんの性格はまさにこれです。
彼の予知や占いが当たったのをみたことがない。
バカ外れしたのはいくつかあり、証拠まで残っているのが週刊誌に書いた議員の当落です。
最近では、宮崎県知事の予想を外した。
ところが、本人は占いの名人、達人だと豪語している。
514 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 18:51:19 ID:RIHAUBfo
>421 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/31(水) 23:27:25 ID:mUX15+lc
>逆にゲイカは占いを重んじると言うことは、私程度の霊感しかない、と言うことです。
桐山さんの、自分はものすごくエライという極端なまでの自惚れ、
直感的にパッとわかるという思い込みの激しさ、自分の為したことを
第三者に客観的に批判されるのを極端に嫌う性格、
これらの組み合わせが桐山さんの霊感です。
相手の話に因縁を付ける、という子供騙しを因縁診断や
修行者宝鑑と称した人ですよ。
普通の感覚なら、こんな稚拙なやり方に仰々しい名前を付けて授けて、
人の運命を透視したなんて恥ずかしくて言えない。
普通の人は思いついても後ろめたくてやれない。
だが、彼は、偽ビール造りと同じで、こういうことをするのがなんともない性格なのです。
客観性のない本人の思い込みの霊感にすぎません。
515 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 18:53:29 ID:RIHAUBfo
>421 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/31(水) 23:27:25 ID:mUX15+lc
>逆にゲイカは占いを重んじると言うことは、私程度の霊感しかない、と言うことです。
もう一つ、桐山さんの霊感を支えている大きな要因が信者の共鳴です。
信者たちは、桐山ゲイカは素晴らしい霊感や予知能力を持っていると信じて、
それを口にする。
桐山さんは、おだてに弱いことを本人も認めるほどで、
まわりから何か誉められると、すっかりその気になる天井知らずの煙です。
十数年前のある伝法で、桐山さんが王者の相承と称してデンパを出す真似をしたら、
ちょうど地震がおきた。
本人は、その場でははっきりと「偶然だ」と言った。
ところが、その後の例祭では、オシャカの成仏ホーで天地が感応したのだなんて話になっていた。
しかも、震度はせいぜい3程度の軽い地震だったのに、話では震度5くらいになっていた。
周囲が「ゲイカのお力で・・」と言うと、すっかり自分の力で地震が起きたと信じ込んだ。
教祖と信者の妄想の共鳴で奇跡話が作り出された実例です。
516 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 18:57:22 ID:RIHAUBfo
>逆にゲイカは占いを重んじると言うことは、私程度の霊感しかない、と言うことです。
桐山さんの霊感で当たったと思う人は「センセ、当たりましたよ」と言うだろうし、
当たらない人は二度と来ない。
彼は自惚れと思い込みが激しいから、こういう反応や、
ちょっと何か言い当てたりすると、普通の人の百倍くらいに考えるのでしょう。
その結果、桐山ゲイカの霊感は百発百中です。
彼の霊感などどれほどデタラメか、そんなことは彼の本にすらあります。
たしかユビキタスさんが指摘した不成仏霊の現形の件です。
『チャンネルをまわせ』の384頁の次のカラー頁の一番下に
不成仏霊が成仏する時の写真が出てきます。
その説明では、
「これは何百人の幽霊の霊の凝ったものである」(379頁)
とあります。
ところが、同じ写真が『守護霊を持て』の口絵に載っており、その説明は、
「この霊は、生前、女子大を出た教養のある女性で・・」(176頁)
と、まったく違う説明をしています。
両者の本は五年しか間がない。
本当にまともな霊感があるなら、こんな間違いをするでしょうか。
自分の家族の写真を見て、名前を間違えるようなものです。
霊感などなく、それらくし見える写真にその場しのぎに適当に説明を
つけているから、こんな間違いをするのです。
霊感など何もないことを自分の本で証明してみせた。
517 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 19:00:32 ID:RIHAUBfo
>421 名前: 大日如来 ◆ eu6hMsrO3Q 2008/12/31(水) 23:27:25 ID:mUX15+lc
>修行したのだからせめて老衰して欲しかった・・・と。
私が見ていて悲惨だったのは、ガンになった修行者でした。
別院の運営で熱心に活動していたYさんです。
ところが、ガンになった。
それを治そうと、求聞持サプリの「一気飲み」を始めた。
アゴン宗側はそんな指導はしていないというだろうが、現場ではしていた。
求聞持サプリを開発したKさんが60錠一気のみというバカみたいなことを勧めていた。
どうみても販売量を増やすための作戦です。
この信者は胃ガンで胃を切除しているから、「10も飲めない」とぼやいていた。
朝から求聞持サプリを飲み続けるのだから、かえって体調を崩していた。
だが、信じているのです。
もちろん、間もなく亡くなった。
まだ五十代だったはずです。
本人の責任とはいいながら、あまりに悲惨な光景です。
サプリを桐山さんの功績という評価もあるようだが、
サプリを始めたのは桐山さんが初めてではないし、なによりもそのやり方は、
原価650円の密教食を4000円で売ったとか、牛骨粉を使っていたなど、
善意ではなく、明らかに金儲けが目的です。
518 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 19:05:18 ID:RIHAUBfo
>修行したのだからせめて老衰して欲しかった・・・と。
桐山さんに横変死の因縁を付けられ、信じたまま亡くなるのは悲惨です。
私がここで信者さんたちに桐山アゴン宗の嘘を告発しているのは、
信者さんたちに生きている間に気が付いてほしいからです。
生きている間に騙されることに気が付くのと、知らないまま死ぬのでは、
我々の輪廻に重大な影響を与えることを釈尊は説いています。
出家経では十結の煩悩を切ることを説いています。
その内の最初の五下分結を切れば、アナゴンになり、
解脱ではないが、天界での修行で解脱できるという。
つまり、五下分結はこの欲界でしか切れないことになる。
逆に言うなら、五下分結があるからこの世界で輪廻しているのです。
三結の一つ戒取とは、仏教以外の宗教で解脱が得られると修行をすることです。
仏教ではないアゴン宗を信じること自体が戒取そのものだが、
アゴン宗信仰を仏教だと信じたままなのと、疑問を持ち、
桐山さんに騙されていると気が付いたのでは、戒取の度合いが違います。
FさんもYさんも桐山さんを強く信じており、騙されたまま死んだ。
しかも、おおよそ仏教とは違うアゴン宗を釈尊が説いた教法だと信じていた。
戒取ばかりか、疑惑にもひっかかったままです。
彼らが誤ったことを確信したまま亡くなれば、転生先にも影響するはずです。
でなければ、釈尊がわざわざ疑惑や戒取を煩悩の一つとして強調したはずがない。
桐山アゴン宗の嘘に気が付いてから死ぬか、信じ込んだまま死ぬのでは、
次の人生のスタート点が違います。
彼らは気の毒だが、輪廻先でまた似たような詐欺宗教にひっかかるところから勉強し直すしかない。
519 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 19:10:37 ID:RIHAUBfo
>修行したのだからせめて老衰して欲しかった・・・と。
デンパ話をするなら、我々がまたそうなのではないか。
前世までに自分の欲望から取引信仰にひっかかり、そこから出られなかった。
つまりインチキ宗教にひっかかって、FさんやYさんのように
気が付くことなく、そのまま死んでしまった。
子孫さんなんか見てください。
この人、たぶん一生このまま餓鬼信仰を続けるでしょう。
彼は何でも御利益話に解釈するのを頭が良いからだと自惚れている。
餓鬼信仰だから貪であり、自惚れが強いから瞋であり、
目の前にある釈尊の説いた道理が理解できないから癡です。
子孫さんには輪廻する材料が三本の大黒柱のようにしっかりそろっている。
その上、身見、疑惑、戒取の三結も見事にそろっているから、
彼は自分の愚かさに気が付くまで今の姿のまま輪廻です。
言いたくはないが、実に言いたくはないが、たぶん、
彼の姿が我々の前世の姿かもしれない(・・口が腐りそう)。
我々は課題を修了できなかったから、今回の人生で一から勉強し直しです。
それぞれに高い授業料を払って、ようやくここまで来た。
520 :
神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 19:16:56 ID:RIHAUBfo
>修行したのだからせめて老衰して欲しかった・・・と。
我々にとってラッキーなのは、桐山さんが阿含経を指さしたことです。
あの人は指さしてみせただけで、本人は反対の方向に歩いたが、
指さした方向だけは正しい。
FさんやYさんのようなケースはある意味で悲劇です。
情報を伝えてもダメだったかもしれないが、
それは個々人の問題で、まず情報がなければ判断のしようもない。
彼らにはその情報すらないまま、亡くなった。
悲劇にならないように、情報提供で一人でも多くの人に気が付いてほしい。
「自分の親は年取っており、アゴン宗を信じて、拠り所としている。
今さらあれを嘘だなんて言うことはできない」という人がいます。
気持ちはわかる。
だが、輪廻転生を本当に信じているのなら、死に際であっても、
本当のことを教えてあげるのが、正しいのではないでしょうか。
だから、私は信者さんと会話する機会がある場合、遠慮しないことにしています。
お年寄りにも、アゴン宗は仏教ではないこと、桐山さんに霊能力などないこと、
そして「自分に悪意がなくても、あなたのしていることは霊感商法を手伝う悪業です。
それは自分に返ってきますよ」とはっきり言うことにしています。
521 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/02(金) 22:24:12 ID:vrZsKhAq
522 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/02(金) 22:27:50 ID:vrZsKhAq
桐山氏は
ちゃんとした説明を公にしていってるのに
卑しい感情剥き出して粘着誹謗つづけてるのは
釈尊のおしえに反していますよ。
↓
ID:RIHAUBfo
523 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/02(金) 22:33:44 ID:vrZsKhAq
桐山氏は、封禅の儀式を研究しているようですね。
>天(あま)さかる日輪に龍飛(りょうひ)し
>巌頭(がんとう)にかかる皎々(こうこう)たる残月に虎嘯(こしゅく)し
>きらめく銀河の流れに宇宙を瞑想する
524 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/02(金) 22:37:51 ID:vrZsKhAq
二つの護摩を焚くのは、修行で感得したのかもしれませんが
法則にあっているので
桐山氏は阿那含をよく研究していると関心します。
525 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 00:04:08 ID:v+9uoDBl
桐山さんは頭は悪く、霊感はないかもしれないが、
精力だけは絶倫で、そうそうかなう人はいないと思うよ。
それだけでも崇拝するに値すると思うけどな。
男としての夢を現実化させている方だからね!
526 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 07:08:31 ID:IRIt6m3v
連れ合いに先立たれた詐欺師。
あの世で待ってる騙された人たちからどんな眼に合わされるか
527 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 09:28:38 ID:aMIy8NPo
別院の初護摩は昨日だったのかな?それとも一日あけて今日かな。どなたか有り難い法話の内容を教えて下さい。全国生中継でないほうが、おもしろい話が聞けます。
528 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 10:47:12 ID:aMIy8NPo
>>521 阿含宗って修験道やってないから関係ないじゃん?
529 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 12:35:58 ID:JGfTc28J
530 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 12:36:45 ID:JGfTc28J
桐山氏は
ちゃんとした説明を公にしていってるのに
卑しい感情剥き出して粘着誹謗つづけてるのは
釈尊のおしえに反していますよ。
531 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 12:48:10 ID:aMIy8NPo
>>529 阿含宗って修験道やってないから関係ないじゃん。
532 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 14:35:50 ID:JGfTc28J
これもネット上にありました。桐山氏ことばを引用します。
↓
完全仏教
完全仏教とは、以上の三つの体系の仏教を、一つの仏教に融合した仏教である。
仏教が、三つのものにバラバラになっている限り、完全とはいえない。
この三つのバラバラの仏教が、一つの仏教に融合したとき、
完全な仏教といえるのではないか。二十一世紀は太平洋の時代である。
私は、二十一世紀の太平洋圏における仏教は、
この完全仏教でなければならないと思うのである。
そんなことができるのか?
できる。
なぜならば、それは、もともと、仏陀釈尊がお説きになった根本仏教から分かれていったものだからである。
もう一度、原点にもどるのである。その分かれていったさまざまな要素、背景、歴史など一切を包含しながら仏陀の原点にもどるのである。
来るべき二十一世紀は、高度のモラル(教え)と、卓抜な行動力(法)を基にした宗教でなければ、人も社会も救うことができない。
それを実現するのは、「完全仏教」を体得した新しいタイプの聖者の出現である。環太平洋圏の各地に、
その国の人によるこの聖者をつくり出すのだ。
三つの体系の仏教の、それぞれを体得し、法位をも持つ私は、それこそが自分に与えられた使命であると、
駑馬にしきりと鞭打つのである。
台湾、香港、サンフランシスコ、ロサンゼルス等に拠点を設け、
阿含宗はいま、環太平洋圏仏教の確立と伝道に邁進しつつある。
大方の御理解と御支援を賜われば幸甚である。
合掌
533 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 14:37:43 ID:JGfTc28J
桐山氏は、ちゃんと説明していますね。
>なぜならば、それは、もともと、仏陀釈尊がお説きになった根本仏教から分かれていったものだからである。
>もう一度、原点にもどるのである。その分かれていったさまざまな要素、背景、歴史など一切を包含しながら仏陀の原点にもどるのである。
534 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 14:43:49 ID:JGfTc28J
修験道も包含していることになります。
「その分かれていったさまざまな
要素、
背景、
歴史など
一切を
包含しながら
仏陀の原点にもどるのである」
535 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 14:48:22 ID:aMIy8NPo
阿含宗には、上座仏教もチベットも大乗仏教も、伝わってないじゃん。
新年明けましておめでとうございます。
皆さん、初護摩には行かれましたか?
別院はお蔭様で大盛況でした。
阿含宗の未来は本当に明るいですね。
さて昨年末のゴミの回収がまだでした。
>>437 :神も仏も名無しさん
>>433-436 >すでに反論された内容を無視して、同じ話を繰り返しても無駄です。
いいえ、433〜466は初めて書いた内容です。
これはもう決定打ではないかと思います。
いつもの七氏さんには珍しくレスが短いですね。
それとも大晦日で時間が取れなかったのかな?
>>408 :神も仏も名無しさん
>あなたの考えは、阿羅漢の悟りとは滅尽定だ、としているのですね?
>つまり、滅尽定以外は悟りや解脱ではないから、
>初禅や第四禅の状態は解脱ではないという意味ですね?
>まずこの点をはっきりしてほしい。
>「ペテン大作説1.解脱とは九次第定の滅尽定に入ることである」
>これがあなたの説だと思うが、違うなら簡潔にわかりやすく訂正してください。
解脱(涅槃)とは九次第定の滅尽定に入ることです。
ベックが書いています。
↓
『次に"この世の意識もあの世の意識も持たない"ことになると、
最終最高の段階である消除〔滅尽〕の段階にのぼる。
経典(『増支部経典』五・七と三五四ページ他)によれば、
この段階はすでに"寂静なるもの、尊貴なるもの〔殊妙〕"であり、
一切行の静止〔寂止〕"であり、あらゆる苦悩の完全なる絶滅であり、涅槃である。』
(『仏教(下)』 63頁)
>>409 :神も仏も名無しさん
>>395 :神も仏も名無しさん
>もちろんそうなると二度も滅に入るというのも変な話ではありますが。
>この「二度」とは、菩提樹の下での解脱と、入滅する直前に滅尽定に
>入ったことを指しているのですか。
>釈尊は生涯で菩提樹の下と、沙羅双樹の下の二度しか、滅尽定に入らなかった、
>と言いたいようだ。
>「ペテン大作説2.釈尊が滅尽定に入り解脱したのは生涯二度だけである」
>これも違うなら、わかりやすく簡潔に修正してください。
いつ、「二度しか」とか「二度だけ」と言いましたか?
いや、愚問でした。
あなたは人の発言を捏造する名人でしたね。
別に二度が三度、四度になったところで構わない。
こちらの言いたいのは、
釈尊は菩提樹の下で滅尽定まで行き涅槃に入り
阿羅漢のさとりを得たということです。
その後、亡くなる直前まで滅尽まで行ったのかどうかなんて
どうでもよいことです。
要は、滅尽まで行かなければ阿羅漢のさとりを得られない、
ということです。
539 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:10:31 ID:aMIy8NPo
>>409 :神も仏も名無しさん
>一つは、釈尊が菩提樹の下で解脱した時、滅尽定に入ったという
>記述が阿含経のどこにあるのですか。
経典には「滅」のことを
「あらゆる苦悩の完全なる絶滅であり、涅槃である」
と丁寧に説明しているぐらいだから
きっと菩提樹下のさとりのことを言っているのでしょう。
どこに書いてあるか知りたければ自分で調べてください。
私があなたのために探さねばならぬ義務はありません。
中村博士の言葉の裏付けだって
本来ならあなたがすることを私がしてあげた。
そうやっていつも人を使わないことです。
>>410 :神も仏も名無しさん
>釈尊が生涯二度しか滅尽定に入ったことがないという「ペテン大作説2」からすると、
>それ以外の、つまり、菩提樹の下から立ち上がって、沙羅双樹の
>下で亡くなる直前までの約45年間、釈尊は解脱していなかったことになる。
何を言ってるのか自分でわかっていますか?
「生涯二度しか」と私は言ったことはないが、もし生涯二度だとして、
一度目が菩提樹の下で滅尽定まで行って解脱したのだから
その後45年間は解脱していたことになります。
>釈尊が入滅する少し前に弟子たちに法を説いてる時は、
>滅尽定に入っていないのだから、この時の釈尊は解脱していないことになる。
>日常で遊行しながら、説法している時の釈尊は解脱していないと
>あなたは言っていることになるが、それでいいのかと質問しているのです。
色々と難癖をつけてこちらを落とし入れようと必死です。
落武者の執念がひしひしと伝わってきます。
一度滅尽まで行って阿羅漢のさとりを得れば解脱です。
あなたは、解脱の状態であり続けるためには、
ずっと滅尽定に留まっていないといけないと言いたいのか?
もしかして滅尽定の「定」の意味がわからないのか?
『"定"という語は、もともとは、"到達、
あるいは完成状態に到達すること"という意味であるが
『ヨーガ・スートラ』(1・41−44)においてもやはり
瞑想状態のひとつという意味で用いられている。』
(仏教(下) 60頁)
定とは瞑想状態のことです。
滅尽定まで行けば解脱であって瞑想から出ても解脱です。
>>410 :神も仏も名無しさん
>あなたは
>>396でベックの解説がそれだとしているが、
>ベックの解釈だと瞑想者は二度解脱することになります
>なんて、どこをどう読めば書いてあるのですか。
>あなたと違い、普通の人は文章に書いていないことは読めない。
またそうやって話のすり替えをする。
本当に性根の腐った人ですね。
釈尊が生涯二度しか滅尽定に行ったことがあるとかないのかいう話と
「ベックの解釈では瞑想者は二度解脱することになります。」
は何の関係もありません。
他の話に関連付けて誤魔化そうとしても駄目です。
『瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。』
(『仏教(下)』104頁)
とあるように、
ベックの解釈では沙門果経の九八節で比丘は解脱する。
(もっともベックでなくても沙門果経を見れば誰でもそう思うが)
もし八三節で初登場する「このように心が安定し・・・」の文句が
比丘の解脱を意味するのならば
解脱した比丘が九八節になってまた解脱することになり
そうなると二度解脱することになるぞ、と言っているのです。
そんな話になったらおかしいだろう?
だから「このように心が安定し・・・」の文句に解脱の意味はないことになる。
ということは「心が統一され・・・」も解脱ではない。
そう言っているわけです。
>>410 :神も仏も名無しさん
>繰り返すが、こういうあなたの勝手な「解釈」ではなく、釈尊が
>「普段のワシは解脱なんぞしておらんぞ」と述べている阿含経か、
>「釈尊は生涯二度解脱しただけである」と書いてある解説本を示して下さい。
私は「釈尊は生涯二度解脱しただけである」と言ったことはない。
人が言いもしないことを作り出して相手をやり込めようなんて考えないことです。
そんな手は通用しません。
>>539 :神も仏も名無しさん
>椅子席のお年寄りでいっぱいかぁ。
高齢化社会です。
そういうこと言わないの。
参拝しながらケチを付けるとはどういうことだろうね。
一応仏頼みしておかないと不安なのかな。
>>353、
>>434、
>>435、
>>466 の総括です。
七氏さんはこれには答えられないからスルーしますよ。
↓
「心が統一され・・・」の文句には解脱の意味はない。
「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
沙門果経で初めて登場するのは八三節です。(
>>435)
もし、この八三節の冒頭にある「このようにして心が安定し・・・」
の文句が比丘の解脱を意味しているのなら
この比丘は八三節より前で解脱していなければならない。
ところが八一節と八二節(第四禅)には
比丘が解脱したという描写がありません。(
>>435)
八一節と八二節で比丘は解脱していないのに
八三節の冒頭にいきなり解脱した比丘が登場するわけが無い。
ということは「このようにして心が安定し・・・」 の文句には
解脱の意味はないことになります。
またベックは『仏教(下)』の104頁で
「瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。」
と書いているように
沙門果経で比丘が解脱するのは九八節(漏尽通)です。
もし、八三節の冒頭にある「このようにして心が安定し・・・」
の文句が比丘の解脱を意味しているのなら
解脱した比丘が九八節まで行って再び解脱することになってしまう。
比丘が二度解脱することはあり得ない。
これを見ても「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
比丘の解脱を意味していないことがわかります。
「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
比丘の解脱を意味していないのだから
「心が統一され・・・」の文句にも解脱の意味はないことになります。
訂正してください。
>>545 >比丘が二度解脱することはあり得ない。
↓
解脱の過程で比丘が二度解脱するのはおかしい。
さらに
>>537、
>>545をまとめて簡潔に書くとこうなります。
「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
比丘の解脱を意味しているのなら
1.この文句が初めて登場する沙門果経八三節より前の
八一・八二節(第四禅)には比丘が解脱した描写がないので、
解脱していない比丘がいきなり八三節の冒頭に
登場することになってしまう。
2.また経典で比丘が解脱するのは九八節(漏尽通)だから
解脱した比丘が二度解脱することになってしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3.解脱(涅槃)とは九次第定の滅尽定に入ることです。(
>>537)
だが、八三節以降の神通力は第四禅の状態です。(ベックや水野教授が書いています)
ということは、八三以降の比丘は解脱していないことになります。(九八節で解脱する)
以上により
「このようにして心が安定し・・・」 の文句は
比丘の解脱を意味していないことになり
「心が統一され・・・」の文句にも
解脱の意味はないことになります。
以下の書き込みは全部嘘です。
地獄で閻魔に舌を抜かれたら謝罪もできない。
早くここで誤ってしまいなさい。
↓
332 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 13:25:05 ID:lnhRYV0M
>>305 :神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 22:07:50 ID:4ff+gO9z
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
とは、煩悩が消滅して解脱したという意味です。
仏教学者に上記の文章の意味を聞いてごらんなさい。
115 :神も仏も名無しさん:2008/11/18(火) 12:54:17 ID:s8pu1w+h
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」
『原始仏典 6』(春秋社、189頁)
釈尊は宿命通で前世を見る前にすでに解脱したと宣言しているのです。
205 :神も仏も名無しさん:2008/11/23(日) 22:21:11 ID:574E+w79
こういうことを理解していれば、「小さな煩悩も」の前に「心が安定し、
清浄で純潔となり、汚れなく、」とあるのだから、解脱したのだと理解できる。
234 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:34:25 ID:pKE3Cyk3
「安定」=「清浄」=「純潔」=「汚れなく」=「小さな煩悩も離れ」です。(
>>205)
安定、清浄、純潔、汚れないとは、心が煩悩から離れている状態、つまり解脱です。
237 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:47:03 ID:pKE3Cyk3
沙門果経の「心が安定」、「柔軟」、「堅固で不動」を
あなたは煩悩から離れた解脱であるとみなしていない点です。
これらは煩悩から離れた状態だと>205で説明したのです。
煩悩から離れたとは、解脱したという意味です。
↓
239 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 22:56:02 ID:pKE3Cyk3
「小さな煩悩も離れ」とは、「小さい煩悩は言うに及ばず、すべての煩悩を離れた」
という意味です。
だから、この段階ですでに解脱している。
240 :神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:02:50 ID:pKE3Cyk3
清浄、純潔とは、煩悩から完全に離れた状態、つまり解脱をさす。
282 :ラシン:2008/11/26(水) 12:12:24 ID:y9LFGnyE
心の安定、清浄で純潔、汚れなく、これらはすべて解脱を得たからこその境地、
との七氏さんの解説に納得出来るものです。
317 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2008/11/27(木) 08:48:41 ID:9KY5a8B+
しかしこれを以て、宿住宿命の明知を得る以前まで貪りや怒り、執着などの煩悩の
解脱ができていなかったということにはならない。
それは解脱できていたのです。心の汚れがなくなっていたという記述でわかります。
324 :神も仏も名無しさん:2008/11/27(木) 12:55:38 ID:YDAYFU3L
沙門果経の場合も、「小さな煩悩も離れ」とは、
すべての煩悩を残りなく離れたという意味だと書いた。
>278さんがもっとも簡潔にわかりやすいたとえで説明している。
沙門果経の記述は誰が読んでも、三明の前にすでに煩悩を断ち切っていると
釈尊は表明しているのです。
604 :神も仏も名無しさん:2008/12/06(土) 22:08:49 ID:6vqPNoyl
「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、
汚れなく、柔らかで、巧みで確立し不動」
という経典の文章の意味が、解脱でないという学者がいるなら出してみなさい。
と私から言われて、あなたは出せたのか。
550 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/03(土) 17:23:53 ID:O6pqHPLE
>>536-546 今年もおめでたい頭で何よりです。
整理して確認しましょう。
ペテン大作Qさんによると、釈尊は2度しか解脱しなかったのではなく2度以上解脱したのだそうです。
35歳の時に釈尊は滅尽定を得て解脱したのだそうです。
ふむふむ。滅尽定の件はさておき、その後45年間釈尊はどうしていたかと言うとやはり解脱をしていた
とのことです。そして80歳の時に既に解脱している、あるいは何べんも解脱したことのある釈尊は
入滅の際に、また滅尽定まで階段を登って、降りてきて、また登ってこーちょこちょと解脱して
しまったそうです。
うーん・・・ダブル解脱というヤツなんだろうか?
質問します。釈尊は35歳にして生まれて初めて解脱した後、45年の解脱生活を経て、80にして
また解脱しちゃったそうですが、釈尊は解脱しっぱなしだったのでしょうか?
それとも間にこちょこちょと解脱してない時間があったのでしょうか?
例えば飯食ってる時は解脱してなかった。
しかし食後に瞑想に入ると解脱した。説法をする時解脱していた。
しかしウンコをする時解脱してなかった。
その他例えば、
駒沢陸上競技場に行って、ほとんどコートを着ている國學院久我山の女生徒の中から、厚手のカーディガンを
着てはいるものの、セーラーを発見した時解脱したとか、次の試合の広島皆実にほとんど女子生徒がいない
ことを悟った時に解脱から離れ、作陽の方はセーラー襟のブラウスであり、チアまで
来ているのを見た時、解脱したとか、試合終了後広島皆実にも4人のセーラーちゃんがいたと知って
解脱したとか、解脱とはしたりしなかったり忙しいものなんでしょうか?
で、しっぱなし説であれ、途切れ途切れのその度説であれ、あなたのいう解脱って、何なんですか?
↓
88 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:22:56 ID:qzg9f1IX
「このように、心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になると、
わたくしは過去の生存を想起する智に心を傾注した。」 (菩提王子経)
『原始仏典 6』(春秋社、189頁)
この描写ではすでに、「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」とある。
これらは全部同じことで、煩悩がない、つまり解脱したという意味です。
89 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:32:59 ID:Y9QwwZmh
「(83) このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。 」
(『世界の名著1 バラモン教典、原始仏典』 531頁)
ペテン大作さんが反論としてあげたのか、上記の沙門果経です。
先にあげた菩提王子経と描写がほとんど同じです。
内容も、「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」
とは、煩悩が消滅し、解脱したことを意味します。
91 :神も仏も名無しさん:2008/12/07(日) 23:42:36 ID:Y9QwwZmh
「心が、正しく定まり、清らかになり、清浄で、汚れなく、
[心に]付随する煩悩を離れ、柔軟になり、適応し、確立し、不動になる」(菩提王子経)
「心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機敏にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のもの」(沙門果経)
の記述が解脱を表すからこそ、その後に三明が出てくるのです。
157 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 23:06:53 ID:TPwl2TU+
それならば、「心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔らかで、
巧みで確立し不動」 が、解脱を表すのは当たり前です。
<訂正>
>>548 早くここで誤ってしまいなさい。
↓
早くここで謝ってしまいなさい。
>>550 名前:ユビキタス
>ペテン大作Qさんによると、釈尊は2度しか解脱しなかったのではなく2度以上解脱したのだそうです。
それより
>>545に答えてみろ。
553 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:19:33 ID:y3+izQ5r
>>536 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:03:44 ID:kJKbj25B
>いいえ、433〜466は初めて書いた内容です。
>>552 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 17:35:09 ID:kJKbj25B
>それより
>>545に答えてみろ。
内容が同じだと書いたのです。
>>545以降のようなすでに議論の終わった内容についてレスをつけるつもりはありません。
あなたと違い、読者がウンザリするような内容をくどくどと書くつもりはない。
一人で、「勝った」とはしゃいでいなさい。
他人に答えろなど言いながら、アゴン宗の解脱の定義を質問されて
なんであなたは答えないのだ?
それよりも一番重大なテーマが解脱そのものです。
554 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:23:54 ID:y3+izQ5r
>>537 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:04:53 ID:kJKbj25B
>解脱(涅槃)とは九次第定の滅尽定に入ることです。
>ベックが書いています。
何度も書いていることだが、ベックは「解脱の内容」について書いているのであって、
あなたみたいにこれが解脱だと書いているのではありません。
だが、ベックの解釈はどうあれ、
「ペテン大作説1.解脱とは九次第定の滅尽定に入ることである」
という説のようですね。
>>540 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:14:24 ID:kJKbj25B
>私があなたのために探さねばならぬ義務はありません。
なるほど、あなたはペテン大作説1の根拠を示せない。
つまり、あなたの勝手な想像ですね。
では、次のようにします。
「釈尊が菩提樹の下で解脱した時、滅尽定に入ったという
ペテン大作説には阿含経の根拠がない」
また、これまであなたは三明で解脱したと唱えていたのではないか。
三明と滅尽定とは別物です。
それなら、三明で解脱したのでないことになる。
さあどうぞ、説明してください。
555 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:25:11 ID:y3+izQ5r
>>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>>541 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:16:18 ID:kJKbj25B
>一度目が菩提樹の下で滅尽定まで行って解脱したのだから
>その後45年間は解脱していたことになります。
どちらが本当なのですか。
>>266では、釈尊は初禅では解脱していないと書き、
>>541ではずっと解脱していたことになる。
追求されて、少しずつ話をすり替えようと必死ですね。
あなたが前に書いた「解脱の意味が違う」という説を並べてみたらどうか。
すでに私はその点について反論しているから、
それを含めて屁理屈を書いてごらんなさい。
556 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:26:41 ID:y3+izQ5r
>>312 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:18:40 ID:nF7krmiK
>最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
>>541 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:16:18 ID:kJKbj25B
>滅尽定まで行けば解脱であって瞑想から出ても解脱です。
あなたの上記の文章は矛盾しているように見えます。
解脱とは滅尽定に入ることだという。
滅尽定から出たら、解脱ではないという(
>>266,
>>312)。
だが、
>>541では滅尽定から出ても、解脱だと書いている。
ずいぶんその場しのぎのことを書いているように見えるが、
どっちが本当なのですか。
557 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:30:59 ID:y3+izQ5r
>>537 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:04:53 ID:kJKbj25B
>解脱(涅槃)とは九次第定の滅尽定に入ることです。
>>541 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:16:18 ID:kJKbj25B
>滅尽定まで行けば解脱であって瞑想から出ても解脱です。
あなたは滅尽定という瞑想状態が解脱なのだとしている。(
>>537)
だが、普段の釈尊は滅尽定からは出ていたのですよ。
滅尽定という瞑想状態が解脱なら、普段の釈尊は解脱していないことになる。
だが、あなたは前は解脱していないと書き(
>>266,
>>312)、
今回は滅尽定から出ていても解脱しているのだという。
滅尽定という瞑想状態が解脱なら、そこから出ても解脱しているというのはおかしい。
この矛盾を説明してください。
おまえらほんとに暇人だなw
559 :
神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:36:15 ID:y3+izQ5r
>>542 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:21:36 ID:kJKbj25B
>釈尊が生涯二度しか滅尽定に行ったことがあるとかないのかいう話と
>「ベックの解釈では瞑想者は二度解脱することになります。」
>は何の関係もありません。
関係づけたのは私ではなく、ペテン大作さんです。
あなたはベックの文章を根拠にして我流の解釈を並べ、都合が悪くなるとベックのせいにする。
ベックが書いているなんてそれ自体があなたの解釈です。
他人事のように関係ないなどと書いているが、あなたが関係づけて書いているのです。
あなた以外だれも「ベックの解釈では瞑想者は二度解脱することになります。」 (
>>396)
なんて解釈はしていない。
ベックの文章のせいにしてなんとか詭弁で逃れようとしても無駄です。
あなたは、「ベックの解釈では瞑想者は二度解脱することになります。」
と書いたが、実はあなたの勝手な解釈であり、そんな根拠はないから示せないのです。
>>396を書いた頃は、あなたはまだ詭弁で何とかごまかせると思ったから、
こんな文章を書いてみた。
だが、二年間考えてもごまかす方法がなくなり、釈尊はずっと解脱していたという
当たり前のことを受け入れるしかなくなった。
だが、それを認めると、これまであなたが書いたことと大幅に矛盾する。
そこで、なんとかごまかそうと必死にベックの文章を並べて読者を煙に巻こうとしている。
無駄ですよ。
滅尽定が解脱だという阿含経の根拠を示せないことをあなたは認めた。
つまり、根拠はベックの文章へのあなたの勝手な解釈だけです。
滅尽定が解脱だというなら、そこから出た釈尊がどうして解脱しているのか、
また、あなたが滅尽定から出た釈尊は解脱していないと書いた(
>>266)ことと
矛盾しないように説明してみなさい。
自分の間違いを認めたくない一心で、必死に屁理屈を並べているが、
それをすればするほどあなたは自己矛盾に陥る。
その屁理屈を一生並べた桐山さんという悪い見本があるのに、あなたは何も学ばないのですね。
560 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/03(土) 21:43:35 ID:O6pqHPLE
>>552:神も仏も名無しさん :2009/01/03(土) 17:35:09 ID:kJKbj25B [sage]
>それより
>>545に答えてみろ。
はい、答えます。
普通に読めばそれは八一と八二の状態が既に解脱なのだとわかります。
では八三は何かと言うと、解脱知見です。
自分が、あるいはある人が解脱したと知ることです。
つまり後から追認するのです。
八三は神通力なども駆使して観察する。過去から現在に至るまで観察する。
そして、ああ、やはり煩悩を離さなかったから苦しみを離さず輪廻を続けていたのだなあと知る。
自分は今、八一や八二のように煩悩を離れて清らかになったからよくわかる。
煩悩を離れたから苦しみなど乗り越えていると知る。
こだわり、執着のない心の軽さを知った。
すなわち八一と八二で解脱は済んでいるのだが、それを深い智慧でそうなんだと悟るわけです。
自分はたしかに解脱したのだと知るのです。
これが解脱知見です。
これは私の失礼な本音だが解脱知見なんて解脱があれば要らないくらいです。
だって八一と八二で解脱を既に得ているのですから。
この話と一緒にしてよいのかわからんが、アゴン宗で唱えている応説経にもあるではありませんか?
漏尽解脱を願わなくても漏尽解脱してしまうと。
解脱したことを神通力を駆使してまで証明を得ないと解脱したことにならないのか?
そんなことはない。解脱していればそれでよいではないか?
言い過ぎかも知らんがそういうことです。
だから神通力を得ないで過去も透視できない人でも最高の悟りである阿羅漢を得ている。
解脱している。三明→解脱ではないのです。
解脱した後に三明でたしかに解脱したと知る。
逆に三明→解脱だったらどうなのか?
考えてみましょう。
561 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/03(土) 22:07:06 ID:O6pqHPLE
>>552:神も仏も名無しさん :2009/01/03(土) 17:35:09 ID:kJKbj25B [sage]
>それより
>>545に答えてみろ。
八三が解脱知見ではなく、ここで初めてそれまでは得られることのなかった解脱を得るものと仮定します。
するとどうなるか?
八三の内容は何かと言うと、苦しみの原因は煩悩だと悟り煩悩から離れることだと知ることでしょ?
神通力で過去まで透視してそれがよくわかった。
あ痛たた・・俺も前世でもそのずっと前から煩悩を抱えて離さなかったから苦しみ続け、輪廻を続けて
きたわけだ。おじさん参ったなあ。
それを「知った」のです。
知っただけで解脱できますか?
知った後にその煩悩をなくさねばならないではありませんか?
そちらの方が重要な課題で難しい問題です。
知るだけなら私だって知ってますよ。
何が國學院久我山の万年白色セーラー服ですか?何が作陽の濃緑ブレザー、白色セーラー襟ですか?
何が広島皆実の正統セーラーですか?
そんなものにいいおじさんが囚われて煩悩丸出しではありませんか?
煩悩のなくならない私は解脱していないとわかります。
解脱する為には何もセーラーに限ったことではないが、煩悩から離れなければならないことは
私にも「わかる」。
しかし、セーラーちゃ〜ん♪まだ離れてませんねえ。難しいのう。
つまり煩悩を離れることが必要だと「知る」だけでは解脱とは言えない。
出発点に過ぎないではないか?
しかし八三はその出発点に過ぎない「知る」が解脱となっている??
おかしいではないか?
だから七氏さんはあなたに質問したのです。
過去の輪廻を知るだけで解脱するのか?と。
ところが八一と八二で既に解脱を得ており、それを追認する解脱知見が八三と見れば、なんの矛盾も
不満もありません。
562 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/03(土) 22:10:18 ID:O6pqHPLE
>>552:神も仏も名無しさん :2009/01/03(土) 17:35:09 ID:kJKbj25B [sage]
>それより
>>545に答えてみろ。
と言うことで七氏さんと同じように私も答えたので、今度はあなたが
>>550に答えてください。
はい、どうぞ。
563 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 23:48:41 ID:kW+yl3JU
比丘入滅盡定者 壽不滅訖。暖亦不去。諸根不敗壞。
滅盡定者身口意行滅。不捨壽命。不離於暖。諸根不壞。
比丘入滅盡定者想及知滅。
比丘從滅盡定起時。不作是念。我從滅盡定起。
比丘入滅盡定時。不作是念。我入滅盡定。
比丘從滅盡定起已。心樂離趣離順離。
比丘入滅盡定時。先滅身行次滅口行後滅意行。
比丘從滅盡定起時。先生意行次生口行後生身行。
比丘從滅盡定起時觸三觸。
云何爲三。一者不移動觸。二者無所有觸。三者無相觸。
比丘從滅盡定起時觸此三觸。
564 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 23:50:15 ID:kW+yl3JU
若入初禪則聲刺滅。
入第二禪則覺觀刺滅。
入第三禪則喜刺滅。
入第四禪則出入息刺滅。
入空處則色想刺滅。
入識處則空想刺滅。
入不用處則識想刺滅。
入有想無想處則不用想刺滅。
入滅盡定則想受刺滅。
色觀色。初解脱。
内色想觀外色。二解脱。
淨解脱三解脱。
度色想滅有對想不念雜想住空處。四解脱。
度空處住識處。五解脱。
度識處住不用處。六解脱。
度不用處住有想無想處。七解脱。
滅盡定。八解脱。
565 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 23:51:21 ID:kW+yl3JU
一者内有色想外觀色。
二者内無色想外觀色不淨思惟。
三者淨解脱。
四者空處解脱。
五者識處解脱。
六者無所有處解脱。
七者非想非非想處解脱。
八者滅盡定解脱。
566 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 23:57:04 ID:kW+yl3JU
「阿那含」
阿那含は五つの天
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙
慢
無明
567 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/03(土) 23:59:36 ID:kW+yl3JU
間違っています。
↓
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg
568 :
○○屋:2009/01/04(日) 02:10:04 ID:M5MXNX2o
>>550 ユビキタスさん
去年の「ザビビ脚本大賞」に続き今年も飛ばしていますね。思わず「ごんねんと」笑ってしまいました。
信者の認識している「解脱」って、子孫さんにしても、Qさんにしても、なんとも面白い解釈していますね。
涅槃に至るのには段階がありますが、涅槃の境涯は一つであり、そこが終着地点であり、そこに至ったらもう後戻りしない
と言うのが一般的なアゴン信徒の認識でしょう。
「シュダオンに近づいた」との表現も実は矛盾をはらんだ表現であり、凡夫か聖者かの区別しかなく聖者に近い凡夫なんて
ことはなく、永久に輪廻する「凡夫」か輪廻に逆らった「逆流」の聖者かしかない。
細かな経典解釈など、すればするほど批判意見に有利な「文証」しか出てこんでしょうな。
569 :
樹意:2009/01/04(日) 03:33:19 ID:XPO01gw4
ベックが滅と書いているから滅尽定だと云うのは大作さんの短絡思考です。
滅尽定と煩悩滅の智は別。
ブッダは二人の仙人に師事して定の間は煩悩苦悩から離れるが
定から出るとまた煩悩苦悩が生起する問題をなんとかする為に
苦行に入りやがて苦行を捨て中道を得た。
570 :
樹意:2009/01/04(日) 04:07:25 ID:XPO01gw4
四禅(止禅)〜滅尽定の状態でも定の間は煩悩苦悩が生起しないが
定から出たなら煩悩苦悩が生起する問題を解決したのがブッダ
なのだと私は考える。滅尽定にしても四禅にしても
ブッダ以前に既にある。
戒定智とあるように定は智恵の足場です。
同様、戒の足場を無視して毎度毎度定の議論を挑んで自爆して
失笑を買うのはいいが、大作さんは 少しはゲイカの話もするべきだろう。
571 :
ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/04(日) 08:59:21 ID:ns+Kv4ac
そうですね。ペテン大作Qさんの次なる課題はその独自の偏りひね曲がったベック解釈、解脱解釈を批判側に反論するのでなく
桐山さんの因縁解脱の支持擁護として運用にトライしてみて下さい。
572 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:2009/01/04(日) 11:55:23 ID:0LxvNvcA
間違っています。
↓↓
569 :樹意:2009/01/04(日) 03:33:19 ID:XPO01gw4
ベックが滅と書いているから滅尽定だと云うのは大作さんの短絡思考です。
滅尽定と煩悩滅の智は別。
ブッダは二人の仙人に師事して定の間は煩悩苦悩から離れるが
定から出るとまた煩悩苦悩が生起する問題をなんとかする為に
苦行に入りやがて苦行を捨て中道を得た。
570 :樹意:2009/01/04(日) 04:07:25 ID:XPO01gw4
四禅(止禅)〜滅尽定の状態でも定の間は煩悩苦悩が生起しないが
定から出たなら煩悩苦悩が生起する問題を解決したのがブッダ
なのだと私は考える。滅尽定にしても四禅にしても
ブッダ以前に既にある。
戒定智とあるように定は智恵の足場です。
同様、戒の足場を無視して毎度毎度定の議論を挑んで自爆して
失笑を買うのはいいが、大作さんは 少しはゲイカの話もするべきだろう
573 :
ひろゆき日記@譲渡:2009/01/04(日) 13:32:18 ID:34j4o1sa
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
574 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 14:31:48 ID:O0h5oa/V
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
>>553 :神も仏も名無しさん
>内容が同じだと書いたのです。
>>545以降のようなすでに議論の終わった内容についてレスをつけるつもりはありません。
議論の終わったというのは「解脱→三明」については
あなたなりに結論付けたから終わったという意味ですね。
しかし
>>545は「解脱→三明」とか「三明→解脱」の話ではありません。
これは純然たる経典解釈の話です。
たとえ「解脱→三明」であっても、沙門果経に書かれた
「このようにして心が安定し・・・」 の文句には解脱の意味はない。
経典をじっくり読めば誰でもそれに気づきます。
あなたは経典を間違って解釈したのです。
そしてその間違った解釈を一度ならず何遍も書いた。
人からその間違いを指摘されるとそれを認めるどころか
この話題を葬り去ろうとしている。
あなたは平気で嘘を書き、バレルとしらばくれる人だということがわかってしまった。
あなたの信頼(最初からそんなものがあったのかは知らんが)は地に落ちたのです。
>>554 :神も仏も名無しさん
>なるほど、あなたはペテン大作説1の根拠を示せない。
>つまり、あなたの勝手な想像ですね。
いいえ、あなたが最初に言ったのは
>>408 >「ペテン大作説1.解脱とは九次第定の滅尽定に入ることである」
>これがあなたの説だと思うが、違うなら簡潔にわかりやすく訂正してください。
>簡潔にとは、くどくどと説明をするのではなく、上記のように一行で書いてほしい。
>また、こういう説の根拠となる阿含経や学者の説明を示してください。
ということです。
だから根拠となる阿含経や学者の説明を示したのです。
それを何ですか、「あなたの勝手な想像」とは?
あなたは人にものを尋ねておきながら礼の一つも言わずにケチをつけるのか?
何て下品な人なんでしょうね。
まあ落武者に品格を求めても仕方ないが。
577 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 15:51:52 ID:3j/lHb7n
おまいら、いつまでくだらんことを書き続けるんじゃい!?
ぇ〜えい、どいつもこいつもなんじゃい
二人ともアホタレか?
Qも七氏もいいかげんにせい!
>>554 :神も仏も名無しさん
>では、次のようにします。
>「釈尊が菩提樹の下で解脱した時、滅尽定に入ったという
>ペテン大作説には阿含経の根拠がない」
阿含経の根拠がないかどうかはわかりません。
私が知らないだけかも知れない。
だが私はそこまで探す気は無い。
あなたは必死になって「滅尽定に入らなければ解脱できない」
という説を潰したいようだが
『次に"この世の意識もあの世の意識も持たない"ことになると、
最終最高の段階である消除〔滅尽〕の段階にのぼる。
経典(『増支部経典』五・七と三五四ページ他)によれば、
この段階はすでに"寂静なるもの、尊貴なるもの〔殊妙〕"であり、
一切行の静止〔寂止〕"であり、あらゆる苦悩の完全なる絶滅であり、涅槃である。』
(『仏教(下)』 63頁)
と本に書かれているのです。
そしてこの本は26刷も版を重ねている。
あなたが匿名スレで何を喚こうがこの事実は変わりません。
>また、これまであなたは三明で解脱したと唱えていたのではないか。
>三明と滅尽定とは別物です。
>それなら、三明で解脱したのでないことになる。
>さあどうぞ、説明してください。
沙門果経では「三明→解脱」です。
あなたはそれを「解脱→三明」だと嘘を書いた。
それをバラせば私の仕事は終わりです。
>>555 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:25:11 ID:y3+izQ5r
>>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>>541 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:16:18 ID:kJKbj25B
>一度目が菩提樹の下で滅尽定まで行って解脱したのだから
>その後45年間は解脱していたことになります。
>どちらが本当なのですか。
>>266では、釈尊は初禅では解脱していないと書き、
>>541ではずっと解脱していたことになる。
その話はもうしましたよ。
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
ここで言っている解脱とは「般解脱」の意味です。
通常の意味の解脱はしていたのです。
私の表現がよくなかったのは認めます。
>>556 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:26:41 ID:y3+izQ5r
>>312 :神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:18:40 ID:nF7krmiK
>最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
>>541 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:16:18 ID:kJKbj25B
>滅尽定まで行けば解脱であって瞑想から出ても解脱です。
>あなたの上記の文章は矛盾しているように見えます。
>解脱とは滅尽定に入ることだという。
>滅尽定から出たら、解脱ではないという(
>>266,
>>312)。
>だが、
>>541では滅尽定から出ても、解脱だと書いている。
>ずいぶんその場しのぎのことを書いているように見えるが、
>どっちが本当なのですか。
どっちも本当です。
>>312 :神も仏も名無しさん
>最初は涅槃に入る前に戻ったのだから解脱していない。
これも般解脱していないという意味です。
解脱はしているのです。
そして滅尽定へ入れば解脱であってそこから出ても解脱であり続けるのです。
>>557 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 18:30:59 ID:y3+izQ5r
>>537 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:04:53 ID:kJKbj25B
>解脱(涅槃)とは九次第定の滅尽定に入ることです。
>>541 :神も仏も名無しさん:2009/01/03(土) 16:16:18 ID:kJKbj25B
>滅尽定まで行けば解脱であって瞑想から出ても解脱です。
>あなたは滅尽定という瞑想状態が解脱なのだとしている。(
>>537)
>だが、普段の釈尊は滅尽定からは出ていたのですよ。
>滅尽定という瞑想状態が解脱なら、普段の釈尊は解脱していないことになる。
また人が言いもしないことを捏造する。
本当にどうしようもない人ですね。
私しか相手にしてくれる人がいないのも頷けます。
>>537 >解脱(涅槃)とは九次第定の滅尽定に入ることです。
これがどうして「滅尽定という瞑想状態が解脱なのだ」になるのか?
滅尽定に入れば阿羅漢のさとりを得て解脱です。
そして定から出ても解脱者であり続けるのです。
あなたは滅尽定に入り解脱するという意味がわからないらしい。
>>559 :神も仏も名無しさん
>あなた以外だれも「ベックの解釈では瞑想者は二度解脱することになります。」 (
>>396)
>なんて解釈はしていない。
ベックの解釈とはこれを指しています。
↓
『その心をもって俗世の迷妄の絶滅に専念し、
「これは苦悩である・・・・・・」とこのように認識する。
また、瞑想者自身は、世俗欲の迷妄〔欲漏〕、世俗生存の迷妄〔有漏〕、
世俗誤知の迷妄〔無明漏〕から解放される。
瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
ベックはあなた方とは違い、
沙門果経の九八節で比丘は解脱すると解釈している。
もし八三節で初登場する「このように心が安定し・・・」の文句が
比丘の解脱を意味するのならば
解脱した比丘が九八節になってまた解脱するというあり得ない話になる。
だから「このように心が安定し・・・」の文句に解脱の意味はないことになる。
ということは「心が統一され・・・」も解脱ではない。
そう言っているわけです。
何遍言われても理解できないのかな?
>>560 :ユビキタス ◆oGqIQwSRtg :2009/01/03(土) 21:43:35 ID:O6pqHPLE
>はい、答えます。
>普通に読めばそれは八一と八二の状態が既に解脱なのだとわかります。
>では八三は何かと言うと、解脱知見です。
>自分が、あるいはある人が解脱したと知ることです。
>つまり後から追認するのです。
七氏さんはとうとう
>>545には反論できず
代わりに副官Mr.スッポンの登場ですね。
へー、八一と八二の状態が既に解脱なんですか。
そいつは面白い。
何処を読めば比丘が解脱だとわかるんですか?
あなたの屁理屈ではなく具体的に文章なり単語を示してください。
はい、どうぞ。
↓
(八一)さらに大王よ、すすんで比丘は、(その第三の禅定の)安楽をも断ち、
苦をも断つことにより、またすでに先に(初禅や三禅において)喜悦や憂悩は消滅していることから、
第四禅の禅定にはいり、そのなかにとどまります。
そこには苦もなく、楽もなく、最も清浄な(苦楽からの)超越(捨)があり、
最も清浄な思慮深さ(念)があります。
比丘は、この身体に清浄で純潔な心を遍満させてすわり、その身体のいたるところ、
清浄で純潔な心が遍満していないところはありません。
(八二)たとえば、大王よ、人が白い衣服で、頭に至るまで全身を包んですわっているとすれば、
彼の身体はいたるところ、白い衣服がおおっていないところはないでしょう。
それと同じく、大王よ、比丘は、この身体を清浄で純潔な心を遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が満ち満ちていないところはありません。
これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれtれより霊妙な、
目に見えぬ沙門の果報であります。
昨年の星祭りでゲストに来られた愛華みれさんが
めでたく結婚されました。
おめでとうございます。
昨年のゴミを出し忘れました。
>>327 :神も仏も名無しさん
>あなたが引用した410頁の次の頁に、「他の経典では・・・」として、
>別な経典を引用している。
410頁の「他の経典」や411頁の中部経典が
「さとりを開いたのち」の事例であるとは
本の何処にも書かれていない。
はっきりと「さとりを開いたのち」の事例としてわかるのは一件しかない。
また博士は「解脱→三明」を前提としているなんて
中村元選集の何処にも書かれていない。
七氏さんは憶測をもとに解釈しています。
>>387 :神も仏も名無しさん
>なぜなら、私から
>>326で再度指摘されたあなたのゴマカシを認めることになるからです。
【落武者実態レポート】
★七氏さんは「すり替え名人」
「さとりの後に過去を透視した話」を「三明の阿含経」にすり替える
↓
私が 「さとりの後に過去を透視した話は資料が極めて少ない」(
>>56)
と書いたのを、七氏さんは
「あなたは
>>56で、三明の阿含経は少ないと書いた。」(
>>234) とすり替えた。
それを
>>315で指摘されると、
「あなたが中村博士が書いてもいないことを書いたのです」(
>>326)と開き直った。
>>404 >>384 :神も仏も名無しさん
>百科事典も岩波仏教辞典も出しましたよ。
>盂蘭盆の話です。
>あなたはそれを笑っていました。
>無知と勝手な解釈を自慢気に出せば、笑われて当然です。
>正確に引用して、正確に解釈したのを笑ったことなどありません。
いいえ、あなたは一般的な意味を持ち出したことを批判したのです。(
>>359)
だが、そういうあなた自身、「心が統一され・・・」の説明に
辞典にある「煩悩」の一般的な意味を持ち出した。
人を批判しておきながら自分も同じことをしているのです。
とことん自分の姿が見えない人なんですね、あなた。
>>404 >私は根拠を示し、「心が統一され・・・」が解脱であることを示した。
>あなたは何一つ根拠を示さずにただ否定するだけです。
>これがこの議論の結果であり、どう判断するかは読者に任せるべきです。
あなたの話では刑事と泥棒が逆転しているようだ。
あなたが言う根拠というのは、
岩波仏教辞典にある「煩悩」の一般的な意味(
>>328)と
中村博士の「さとった結果、過去世を見通した」という言葉、
の二点です。
これらは何れも「心が統一され・・・」という文句が
経典に中で解脱だと解釈されていることの根拠ではありません。
辞典に書いてあるのは「煩悩」の一般的な意味に過ぎない。
博士の言葉は、
「四神足で過去世を見通した話がさとりのあとに書いてある」
ことを指しているだけであって「解脱→三明」ではあるが
「心が統一され・・・」とは何の関係もない。
あなたは「心が統一され・・・」が解脱であることの根拠を何一つ示していません。
それに対して私は解脱ではないことを文献を出して説明しています。
あなたがそれを受け入れようとしないだけです。
>>406 :神も仏も名無しさん
>あなたが私を否定したつもりで引用した内容が、実は私の説を擁護する説明に
>なっていたという爆笑ネタです。
>逆に、あなたはただの一行も示していない。
援護になっていると思いますか?
「さとった結果、過去世を見通した」という言葉が
「過去世を見通した話がさとりの後に書かれている」
というたった一例が裏付けだったのです。
そういう例がいくつのもあるのならいいが、
たった一例では、仏典が編纂されるときに
たまたまそういう順序になったこともあり得ます。
「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はないことの証拠(その1)
「このようにして心が安定し・・・堅固な不動のものとなると」
の文句は、沙門果経八三節の冒頭で初めて登場します。
↓
『(八三)(次に)このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、小さな煩悩も離れ、
柔軟となり、機微にものに応ずるもの、しかも(それ自らは)堅固な不動のものとなると、
比丘は(次のような)知による洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。』
(『世界の名著Tバラモン経典 原始仏典』 531、532頁)
七氏さんの言うように、「このようにして心が安定し・・・」
の文句が解脱を意味しているのなら
この八三節に出てくる比丘は八三節より前に解脱していなければならない。
沙門果経では解脱の過程が節の順に説かれているからです。
ところが八一節と八二節(共に第四禅)には比丘が解脱したという描写がありません。
↓
『(八一)そこには苦もなく、楽もなく、最も清浄な(苦楽からの)超越(捨)があり、
最も清浄な思慮深さ(念)があります。』
『(八二)比丘は、この身体を清浄で純潔な心を遍満させてすわっているのであり、
その身体のいたるところ、清浄で純潔な心が満ち満ちていないところはありません。』
↓
またベックも第四禅の説明でこれを解脱だとは言っていません。
↓
『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。
それは、あらゆる欲情〔煩悩〕、感覚的および超感覚的な対象についてのあらゆる表象、
悦楽とか苦痛とかというあらゆる感覚、そのようなものから完全に解放されている段階なのである。
この状態に入った修行者は、汚点のない純白な衣服を頭からすっぽりかぶったようなものだと言われている。』
(『仏教(下)』 82頁)
つまり、この比丘は八三節の前では解脱していないのです。
その解脱していない比丘がいきなり八三節の冒頭で
解脱した比丘になって登場するわけがない。
これを見ても「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
解脱を意味していないことがわかります。
「このようにして心が安定し・・・」 の文句が解脱を意味していないのだから
「心が統一され・・・」の文句にも解脱の意味はないことになります。
「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はないことの証拠(その2)
沙門果経で比丘が解脱するのは九八節(漏尽通)です。
↓
『瞑想者がこのようにして解脱すると、彼は次のように知る。
すなわち、「これが解脱である、再生は滅し、聖なる修行は完成し、義務は果たされ、
今後ふたたびこの世に戻ることはない」と(「沙門果経」九八節)。』
(『仏教(下)』104頁)
七氏さんの言うように、「このようにして心が安定し・・・」
の文句が解脱を意味しているのなら
この八三節に出てくる比丘はすでに解脱していることになる。
その解脱している比丘が九八節で再び解脱するわけがない。
これを見ても「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
比丘の解脱を意味していないことがわかります。
「このようにして心が安定し・・・」 の文句が解脱を意味していないのだから
「心が統一され・・・」の文句にも解脱の意味はないことになります。
「心が統一され・・・」の文句に解脱の意味はないことの証拠(その3)
沙門果経八一節で比丘は第四禅に入ります。
↓
『(八一)さらに大王よ、すすんで比丘は、(その第三の禅定の)安楽をも断ち、
苦をも断つことにより、またすでに先に(初禅や三禅において)喜悦や憂悩は消滅していることから、
第四禅の禅定にはいり、そのなかにとどまります。』
沙門果経八三節以降に出てくる神通力の描写は
第四禅(第四静慮)の状態から生じます。
↓
『「沙門果経」では、すでに現世において達成される道の成果を更にいくつも枚挙しているが、
これらはいずれもこの第四静慮を出発点とし前提としている。』
『「沙門果経」で、千里眼〔天眼〕と高度な精神力ないし
超感覚的完成〔神通力〕の能力として描写されているすべてはこの状態から生ずる。』
(『仏教(下)』 82頁)
第四禅(第四静慮)は解脱前です。
ということは八三節以降で神通力を使っている比丘は
解脱前であることになる 。
これを見ても「このようにして心が安定し・・・」 の文句が
比丘の解脱を意味していないことがわかります。
「このようにして心が安定し・・・」 の文句が解脱を意味していないのだから
「心が統一され・・・」の文句にも解脱の意味はないことになります。
中村博士によるお護摩の説明です。
↓
『バラモン教では火を焚いて、それに供物を捧げます。
火が゙供物を焼くわけです。その火の煙が天の世界に供物を運んでいく。
それによって功徳を積むことができるといいます。これはバラモン教のヴェーダ以来のしきたりです。
これがずっと後代の密教の時代に仏教に入って、
成田山とか真言宗の寺で見られる、護摩を焚くという儀式になります。
護摩というのはサンスクリットの「ホーマ」という言葉の音を写したのです。
火の中に捧げること、また捧げる儀式をホーマといいます。
これも意味をとって訳しにくいので、漢訳仏典では音を写して「護摩」といいます。
それで護摩を焚くということが今日でも行なわれている。
ただ真言密教の場合は仏教的な変容がなされています。
つまり仏教的に解釈を変えて、火によってわれわれの煩悩の穢れを焼くのだということになっています。
それに当然のことですが、真言密教では動物の犠牲、生き物を殺してそれを供えるということはしません。』
(『ブッダ入門』 109,110頁 中村元、春秋社)
新年早々、批判側の嘘はバレまくりです。
今年もいい年になりそうですね。
>>577 :神も仏も名無しさん
>おまいら、いつまでくだらんことを書き続けるんじゃい!?
ご迷惑をおかけしました。
これからは必要最小限に留めます。
596 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:38:50 ID:dVNUG26M
>>577 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 15:51:52 ID:3j/lHb7n
>Qも七氏もいいかげんにせい!
ご指名にあずかりましたので、説明します。
私はこのスレから外れた議論はしていない。
それどころか、ペテン大作さんの大半の書き込みにレスをつけていないことに気が付いてください。
私は桐山さんの「神通力によるカルマ解脱」を批判した。
それに対して、ペテン大作さんが反論してきた。
彼は関係のないことをあれこれと書いているが、私はそこからは外れていません。
ただ、量が多いから、読者に目障りなのはわかります。
そこで577さんに提案ですが、ペテン大作さんの書き込みを読み飛ばし、
私の反論だけを読んでください。
だいたい彼の書いていることはその場しのぎで、訳のわからんことを
クドクドと書いているにすぎないから、読むに値しない。
滅尽定の矛盾にはまりこみ、彼はしばらくその屁理屈を並べるだけで、
仏教どころか、アゴン宗でも説いていない内容だから、読むだけ時間の無駄です。
私が論点を指摘し、アゴン宗批判に結びつけますから、そこだけ読んでください。
597 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:42:10 ID:dVNUG26M
>>577 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 15:51:52 ID:3j/lHb7n
>Qも七氏もいいかげんにせい!
今回、滅尽定という一見、アゴン宗と関係ないことを議論しているようだが、
私は信者さんたちにペテン大作さんを通じて、一つ観てほしいことがあるからです。
それは、「自分の嘘をごまかすために嘘を並べ続けるとどうなるか」です。
滅尽定が解脱だなんて説は学者でも唱えていないし、もちろん、桐山さんは説いていない。
だが、彼は目の前の本を視野の狭い我流で解釈してそう書いてしまった。
自分の間違いを認めて、正しい知識を受け入れれば簡単なのに、
彼は絶対にそれをしたくない。
彼のことだから、徹底して言い訳を並べますから、必ずどこかで矛盾する。
その嘘の言い訳をどこまで並べるか、見ていたのです。
信者さんたちは、大量の書き込みをして自分の嘘をごまかそうとするペテン大作さんが
誰かさんとよく似ていることに気が付かないか。
桐山さんとそっくりなのです。
桐山さんも自分の悪事に言い訳をつけて絶対に認めなかった。
偽ビールから始まり、前科がばれると、霊障の話を作り、
地球壊滅で今でも人々を脅かしているが、元を正せば、彼の詐欺という犯罪の
言い訳のために一生かけて、オシャカまで引っ張り出して、宗教でカモフラージュした。
だから、アゴン宗は因縁解脱や霊障解脱、能力開発まで全部が嘘です。
嘘はどんなにがんばっても嘘でしかない。
馬鹿げた屁理屈をつけるよりも、自分の間違いをさっさと認めた方がいいという
実例として、信者さんたちにペテン大作さんの模範演技を見てほしいからです。
598 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:45:23 ID:dVNUG26M
>>594 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 17:16:25 ID:+SPXHBBV
>新年早々、批判側の嘘はバレまくりです。
これはペテン大作さんが
>>593で引用した中村博士の護摩の解説のことを
言っているのですね?
あなたが中村博士の文章をどう解釈したのか、
中村博士の文章のどこが「批判側の嘘」の根拠になるのか説明してください。
あなたが何を読み違いしているかはわかる。
だが、それを書いてくれるまで待つことにしましょう。
信者さんたちも見てごらんなさい。
国語力が低い、視野が狭いと批判されたら、普通は気を付けるのに、
ペテン大作さんが何度同じ間違いを繰り返す。
桐山さんも同じです。
なぜだと思いますか。
自分のミスを絶対に認めないからです。
これは信者さんたちがアゴン宗を選択したことについてもいえる。
「自分は間違った宗教を選択した」と認めたくないから、
アゴン宗の信仰を続けてもいい理由をあれこれと考えてしまう。
私もそれをしたことがあるから、助言するが、
嘘でできた宗教にどんな理屈をつけても本物にはならない。
最小の被害で済む方法とは、間違いに気が付いたら、すぐに直すことです。
599 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:48:36 ID:dVNUG26M
>>579 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:00:22 ID:+SPXHBBV
>私の表現がよくなかったのは認めます。
>580 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:08:51 ID:+SPXHBBV
>これも般解脱していないという意味です。
>解脱はしているのです。
>そして滅尽定へ入れば解脱であってそこから出ても解脱であり続けるのです。
般解脱とは、たぶん般涅槃、つまり入滅のことでしょう。
違うなら、恒例の罵りをする前に、このような変わった言葉の使い方の意味と
経典や辞書の根拠をあなたがまず示して下さい。
ここでは、とりあえず般解脱=入滅と解釈します。
入滅する前の釈尊がなんで般解脱なのですか。
あなたの言い訳を簡単に言えば、最初、解脱を無余依涅槃の意味に用いて、
有余依涅槃の意味として用いていなかったと言いたいらしい。
ごまかしても無駄です。
それも言葉をごまかすために、わざわざ般解脱などという言葉を用いている。
「表現がよくなかった」ではなく、真っ赤な嘘です。
ありもしないことをあなたは主張し、私に反論したつもりだった。
さんざん批判側を罵り、それでいて自分のことは「表現がよくなかった」だと?
どうやら、自分の非を認めて無礼な発言を撤回する気はなさそうですね。
では、「表現がよくなかった」のではなく、百も承知であったことを示してあげましょう。
600 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 18:55:13 ID:dVNUG26M
>>266 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 16:34:10 ID:dwpSi7Nw
>釈尊は最初、滅尽定まで入った後、ニルバーナの前で初禅まで戻ったのだから
>初禅や第四禅の状態にいた釈尊が解脱していないのは当たり前です。
>そしてその後、第四禅からニルヴァーナに入った。
この文章の解脱が般解脱、つまり入滅を表すなら、
釈尊は滅尽定でいったん入滅して、つまり死んでから、その後もう一度生き返って、
初禅に戻り、四禅から入滅したということになる。
あなたの解釈なら、釈尊は死んでから生き返ったことになるのですよ。
あなたが本当に誤解していたのなら、この段階でおかしいと気が付くはずです。
嘘ですよね。
あなたが解脱の意味を入滅の意味になど取っていないのは上記の文章に表れている。
だから「解脱」と「ニルヴァーナ」をはっきり区別して書いている。
ここでいうニルヴァーナとは般涅槃、つまりあなたのいう般解脱です。
「表現がよくなかった」などとあなたは両者をごっちゃにして書いたかのように
言い訳をしているが、上記の記述ではごっちゃになどしていない。
明瞭にあなたは区別して書いている。
この時はあなたは解脱を般涅槃などではなく、普通の意味での解脱に用いていた。
百も承知で書いていたのだ。
ところが、追求されて説明できなくなり、上記の解脱とは般解脱であった
なとど、恒例のその場しのぎの嘘の言い逃れを始めた。
自分の過去の書き込みは間違っていたと訂正すればいいだけなのに、
こうやって詭弁をひたすら並べるのはいかにもペテン大作さんらしい。
もう一つ、あなたの詭弁が成り立たない事例を示します。
ラシンさんに反論するのに、あなたが引用したベックの文章です。
601 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 19:01:09 ID:dVNUG26M
>>272 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:22:34 ID:dwpSi7Nw
>>273 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:24:54 ID:dwpSi7Nw
「少なくとも本来の仏教においては、般涅槃は涅槃よりも高度な段階を意味するものではなく、
かつまた一般の涅槃とは別の概念を言いあらわすものでもない。 」
あなたはラシンさんから
>ところで、ネーランジャー川のほとりで有余涅槃を得た釈尊は
>解脱していなかったのですか? (
>>267)
と質問されて、その答えに
>>272-273のベックの文章を引用した。
ベックは有余依涅槃と無余依涅槃は区別するべきものではないと書いている。
あなたはそれをラシンさんからの質問の答えとして出している。
なのに、あなたは経典の解脱を有余依涅槃と無余依涅槃とを
区別して、解脱を無余依涅槃であると解釈していたという。
おかしくないか。
あなたは区別して入滅である無余依涅槃だと解釈しているのに、
どうして区別しないと主張するベックを引用したのだ?
あなたの引用はラシンさんの質問にも答えていないし、
主張の根拠にならないし、般解脱だと思っていたという今の言い訳とも矛盾する。
しかも、ラシンさんの再度の質問にも、あなたは次のように答えている。
602 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 19:13:09 ID:dVNUG26M
>>277 :神も仏も名無しさん:2008/12/27(土) 17:55:33 ID:dwpSi7Nw
>滅尽定まで入ってニルバーナに入らずに戻ったのだから解脱していません。
ここでもあなたは入滅した後のこと、つまり有余依涅槃をニルバーナと表現し、
解脱とは区別している。
明らかに、あなたが用いた解脱とは、あなたのいうような般解脱や
般涅槃のことではなく、生きている間の解脱、有余依涅槃のことを指しています。
きっとあなたのことだから、「般解脱とはそんな意味ではない」
などとクドクドと屁理屈を並べるでしょう。
だが、もう無駄です。
読者の多くが、私の説明に納得してしまった。
あなたはベックの本をいつもの狭い視野で解釈して、滅尽定を解脱だと思いこんだ。
だから、最初から解脱を普通の意味に用いていたのであって、
般解脱などという特殊な意味に用いていたのではないことは明らかです。
追求されて、逃げ場を失い、それで般解脱なんて逃げ口上を生み出した。
あなたは現実世界ではこうやって屁理屈を並べて、周囲を煙に巻くのだろうが、
ここは文章が残るから、ゴマカシは効かない。
間違いを認めるなら、まず二度にわたり「病院に行け」とまで批判側を
罵ったことを謝罪するのが順序というものです。
もちろん、あなたがそんなことは絶対にしないのは知っている。
アゴン宗の信者とは教祖と同様に、ろくに知りもしないのに偉そうに解釈を述べ、
間違いを指摘されても、言い訳をして開き直りをするような連中だと示す良い例です。
元信者としては、ペテン大作さんや子孫さんを見るたびに情けなくなる。
そこで、私もスレの主旨に沿って、次の質問をすることにしよう。
603 :
神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 19:21:26 ID:dVNUG26M
>>581 :神も仏も名無しさん:2009/01/04(日) 16:18:47 ID:+SPXHBBV
>滅尽定に入れば阿羅漢のさとりを得て解脱です。
>そして定から出ても解脱者であり続けるのです。
滅尽定で解脱するというのがペテン大作さんの説らしい。
前にもあなたに質問しているのだが、
それはアゴン宗の因縁解脱とどう関係しているのだ?
あなたは因縁解脱の説明もまだでしたね。
桐山さんは滅尽定で解脱するなんて説いていない。
桐山説をあなたは否定するのですか。
しかも、あなたは前は違うことを書いていた。
>591 :Q:2008/12/06(土) 15:15:24 ID:kJfA2Uq0
>「解脱」とは「真理を知ること」であり、「確信を得ること」です。
>そして「知る」には人間の心を浄化する働きがある。
>それに気づけば三明とは解脱のことであると理解できます。
>133 :神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 16:04:48 ID:hDqHWcfl
>「知ること」が解脱につながるのです。
三明で解脱するとあり、どこにも滅尽定など出てこない。
こういうあなたの解説と、今回の滅尽定が解脱であるというあなたの説とは一致しない。
さあ、どうぞ、さらなる屁理屈を並べて、正月からアゴン宗信者の醜態をさらしてください。
604 :
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦:
阿含経の釈尊の説法
「阿那含」が四禅における四神足によっての
種々の神通で輪廻転生の縁となっている
色貪・ 無色貪・ 掉挙・ 慢。 無明を
存在する悟りの領域によって無効化します。
出入の止息による神通です。
「壽命・暖・諸根」はそのままで「身・口・意の行」の滅となる
滅盡定を成就します。
解脱の8プロセスの8番目で解脱の成就です。
阿那含は五つの天
色究竟天(有頂天とする場合もあります。)
善見天 ぜんけんてん
善現天 ぜんげんてん
無熱天 むねつてん
無煩天 むぼんてん
↓↓↓↓↓
種々の神通
↓↓↓↓↓
色貪
無色貪
掉挙
慢
無明