天理

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796基本。:2010/04/10(土) 15:26:46 ID:xmhcjiqc
空海の洞窟での修行は百日の間に真言を一万回称えると言うものであったと言います。
引用にて、空海師の生涯について確かめますと、「虚空蔵教」と「明星」という言葉に意味があると分かります。
修験者である、大先達熊五郎さんの「 真言宗の開祖、弘法大師空海1」から引用します。
http://k-kumagoro.com/modules/tinyd4/index.php?id=11
『空海は、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(現在香川県善通寺市)に佐伯直田公の三男として生まれる、幼名を真魚という、父はこの地の豪族で、かっては国造の位を与えられた名門である。
真魚は幼いころから仏縁が深かった、同年代の子供たちと遊ばず、泥で仏像を造って小さなお堂を建て拝んでいたという、有名な「請願捨身」の逸話も、そんな真魚の仏縁の深さを物語っている。
「仏はいったい、いずこにおわすのでしょう。願わくば、麗しい釈迦如来に合わしめたまへ」ある日真魚は、捨身岳に登り、天空に向かって叫び谷底へ身を投げた。
すると、天人が現れてその体を受け止めたという。6,7歳の頃の話だ。
国学でも群を抜く成績を収める神童だったのだ。
母の兄である阿刀大足は、伊予親王の侍講を務めるほどの大学者だった、彼は早くから、真魚の才能に目をつけ、それにふさわしい高い教養を身に付けさせたいと切望していた。
そこで大足は(788年)当時の新都。長岡京に真魚を呼び寄せる、15歳である。伯父の下で3年間、漢籍を学んだ真魚は、18歳のときに都の大学に入学した、
その勉強ぶりは、「蛍雪の猶怠れるにとりひしぎ、縄錐の勤めざるに怒る」とのちに自ら述べるほど、すさまじかったという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用続けます。
797基本。:2010/04/10(土) 15:35:13 ID:xmhcjiqc
>>796
>引用にて、空海師の生涯について確かめますと、「虚空蔵教」と「明星」という言葉に意味があると分かります。
>引用続けます。
 『何が真魚をここまで駆り立てたか、それは、幼きころから抱いていた、焼き付けるような、真理の希求にあった。
この世界、宇宙の本質とは何か、人間とは、自分とは何か・・・・
そうした根元的な疑問の答えを得る為に。かれは、先人たちの集積した知識の体系に執心したのである。
真魚のずば抜けた才能に、教授で達は舌をまいた。
成績は、常に上位でこのまま行けば、将来、佐伯一族では最高の官吏になれることは間違いない。
しかし真魚は、大学に疑問を抱くようになっていく。知識をいくら蓄えても、自分の求める真理に到達できるのか、学問とは、断片的な知識の蓄積ではなく、それを総合したもっと大きなものでないのか。?
そう感じはじめた真魚にとってすでに大学の学問は古人の「糟粕(のこりかす)」にすぎなくなっていた。
ここに一人の沙門現る、「沙門とは」僧侶を自称しているだけの、官の資格を得ていない私度僧をいう、たいていはボロをまとい、諸国を放浪しながら修行し、物乞いや呪術などで生計を立てていた、おそらく真魚の出合った人物もそおいった僧のひとりだったのだろう。
だがこの人物は、若き日の真魚にとって強烈な魅力をもつ存在だった。
このまま大学に残るより、彼と同じ「沙門」になろうと思わせる何かをもっていた。私度僧でありながら、あるいは私度僧である

ゆえに、腐敗堕落した官僧にない求道心があったのだ、もしかしたら真魚は、彼の姿に、真理を希求する自らの姿を見たのかもしれない。
この「沙門」から行法を授かった「虚空蔵求聞持法」である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用を続けます。
798基本。:2010/04/10(土) 15:44:14 ID:xmhcjiqc
>>796-797
>引用続けます
『 他者との交わりを絶ち、一人大自然の中で、ひたすら虚空蔵菩薩の真言を唱え続けること、実に100万回途中で行をやめると発狂するとまで言われる荒行である、命を落す危険も十分ある。
だが真魚は、すでに自らの進む道はこれしかないと決意していた。
この行の果てに何かが見つかるかもしれない、かくして彼は、大学から突如として出奔する、吉野・大峰・熊野へ修験道のみちを行く。
 竜神、高野、金剛、葛城、犬滝、海を渡り彼は、室戸岬の崖上に座し、一心に求聞持法を修めていた。
 今まで夏には穀物を断って懺悔の毎日を過ごし、冬には、下着1枚で外に出て行に臨んだ、真理を求める修行の歳月はまたたく間に過ぎ去り、
かれは、「虚空を蔵する」というこの菩薩の名の通り、真言を唱えるほどに心は一点の曇りもなく、澄み渡り、万象を包含するかのように思えた。
体は大自然と一体になり、どこからどこまでが自分なのかも判然としなくなる。
真魚は、その拡大した全身をもって、大自然の響きを聞いた。
おりしも明けの明星、金星が水平線の彼方に輝いている。
だがふと気がつくと、それは「彼方」ではなくなっていた。
今の真魚には、爛々と燃え上がる金星が、ほんの自分の目と鼻の先にあるように思えた。
とそのとき、金星は突如として輝きを増し、すさまじいスピードで真魚めがけて飛来した、と思うといきなり彼の口の中に飛び込んできたのである、
「うおぉーー」体のなかで何かが開花し、意識が大宇宙に溶け込んでいく・・・どれくらいの時間が経ったのか、一気に星を吐き出すと、光が海を金色に染めていった。
明星来影すのちに空海はそう簡潔に記している、金星は、虚空蔵菩薩の化身といわれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきがこふき話として説いた内容には、「弘法大師」は、十全の守護の理の「八柱目の神・おふとのべ命」様と説かれています。
「天にては明星として、御現われになる」と諭されています。
空海師は、明星を口から体内に入れて、明星になった。
地にてハ、弘法太師さまになったのが、「洞窟修行」の結果であったと言う事です。
799基本。:2010/04/10(土) 15:58:55 ID:xmhcjiqc
言葉といえば、「かしこね命」の守護の理と想起しますが、「真言」は「大戸辺命」様であったという事、その意味については、読経百万回を洞窟にて行うと言う、密教の修行方法そのものの意味に求める事が出来ます。

中山みき本人は、浄土教の経文や讃歌を毎日称えると言う少女であり主婦でした。
「お経」を唱えると、仏と一体になれると言う、この「称名の利益」の意味として、空海の修行法は、脳を活性化させるといわれています。
つまり「引き出し引き伸ばし」の守護の理。
能力を引き出し引き伸ばすのが「真言・マントラ」を無心に唱える効果だと理解するのが基本です。

そして、真言には「文字を唱える」と言う意味だけではなく、「響き・倍音効果」として、「発声する」という意味がある。
「言葉」と言うよりも「振動。波動」としての「真言」だという事に、「洞窟」や「蔵」に籠もり唱え続けると言う事の価値があるわけです。

中山みきは、立教から三年間「内蔵」にこもって、「おうた」を「お言葉」をうたい続けた。
内蔵の中からの声が、外に、響いていた。
この「倍音効果」を持つ意味において、甘露台三下がりのおうた。そして「窓無し蔵を建てて、つとめの人衆十人の息を通す」という意味が、その「マントラ」効果に意味を有していたと言う事です。
800基本:2010/04/10(土) 21:18:53 ID:xej+cSEY
七十年祭から今日まで、天理教団の教理教義の思想リーダーであった人物たち、基本的には山名系と一括りに呼んでいますが、
戦前は天皇制の擁護に教えを歪め、そして戦後は米英の思想母胎である一神教のキリスト教に似せて「一神教・神学」「一神教・教学」という歪みを、教団にミスリードしました。
だから、本来のおやさまの思想とは、まるで異なる、陳腐な教義を、有難がって、天理教校・天理大学・おやさと研究所の偽物の教えで、信者統治をした。
そういうカラクリも、今日では、しっかりと見えてきたということです。

例えば、水垢離という行があります。
泉田藤吉、鴻田忠三郎には、そうした行の実行が記録されています。
東本初代の中川よしの伝記には、頻繁に水ごりが登場します。
修験者が、もっぱらにするのが、水垢離。
それは、お助けの現場では初代たちの信仰の常態にあったのに、現在の天理教教義では、何の位置づけもない。
天理教団・大教会が、大社高山化し、「理の親信仰」を構築したのは、まさに、「聖書信仰者の悪因縁」であった。

イエス様の師ヨハネ、そしてイエス様ご自身が実行された、瞑想術、洗礼という荒行、それらを無視して、
大教会長様たちは、「おつとめ」さえしていたら「神と交わる」事が出来ると、とんでもなく都合の良い教義の嘘を説いて、人を惑わしたということです。

身を苦しめる意味での「行」ではなく、「真言」と「共鳴」による神との交流をきちんと書き示している「甘露台三下がり」は、
山名系には不都合であって、「よふば」にたむろする事が、「神の御用」をする事が、親神様に受け取っていただけると騙し続けた嘘は、「真言」ならざるもの。
それでは、神様との交流は出来ないと、言う事です。
801感謝、そして感謝:2010/04/11(日) 03:58:23 ID:Q8lU8iuH
天理教のおじさんに訊ねたけど、二代真柱さんの意向を無視して、一部の人たちが独走して
現行の「天理教典」をこしらえた史実は考えられない、と言うてはったけど。
基本のお兄さんが、そう主張しはるところがあったら教えてくださいませ。
うち、おじさんに教えてあげるし。
802基本:2010/04/12(月) 07:49:15 ID:iX/azkAJ
>>801
> 二代真柱さんの意向を無視して、一部の人たちが独走して
> 現行の「天理教典」をこしらえた史実
二代真柱様には、東大のご学友というスタッフがいて、当然に本部員の立場ですが、その人たちが、教義関係の担当であり、その人たちは二代真柱様を神様と扱っていましたから、独走も暴走も許される環境ではなかったと思います。
二代真柱様が死んで、精神的な束縛が一気に解け、教団内に自由な風が吹いた時、二代真柱様の著作物(天理教教典も稿本教祖伝も、です)の解説のような形で、山名系教義の学者達が発言の自由を得たということです。
故人ですが、永尾公海先生という真柱のご学友本部員は、天理大学で教えてもいて、私も数回だけ(笑い)、授業を受けました。
「わしはずっと二代真柱さまのかばん持ちをしていた」と言う人でしたが、おつとめの地方をされた人。
「真柱様が出直されて、何かさせて頂こうと、それまで私が研究した「みかぐら歌」について、色々と面白いことがあるので、研究をまとめて発表するつもりだ。」
こんな風なことを言われました。

あ、余分なこと、するなと、正直思いました。

近々に発表されるはずの、その研究は、基本にはとても興味深いものでした。
「神名」の問題・・「てんりんおう」・・
おつとめの、構成の問題・・
でも、それは公開されなかったのですが。。
現在の、八島系の「てんりんおう」神名説を下から支えたのが山名系という、つまり永尾先生の研究は、一番大事な問題は、まだ全然姿を見せていなくて、
「神名を取り払う」仲間たちの手助けをしたと言う事です。

つまり、「側・そば」は、本当の二代真柱様の意図を理解できていたとは、言えない。
こういう、善意の側近達の、実は暴走は、大社高山の証明です。
803基本:2010/04/12(月) 08:37:49 ID:iX/azkAJ
感謝、そして感謝さん。
基本は、別名がいくつかあります。
普通の天理教徒とか黒の基本とか白の基本とか・・
「天理教・真柱派」というのも、基本の異名です。
基本は、二代真柱様の講話と著作から理の構造というものを学びました。
まさに、大天才。基本とは、象と蟻ほどの開きがあります。

その真意をきちんと理解されていたら、本当になすべきことは何かは、明らかであったのですが、真柱様の死は、百花繚乱の、教理経論を咲かせました。
「復元けよりも、「応法」に。
「教理の現代展開」の旗手として、東京教区の若きリーダー「八島秀雄」さんが脚光を浴び、共産主義革命思想活動家と通じていて、神様の御用の日に、そうした集会をしていたとして、教会本部から、除名を宣告したのが、清水国男表統領。
その、追放した清水表統領もまた、教理の現代的展開のために、学者を集めて「元の理」の研究をさせ、・・。

八島先生は、二代真柱様の意をうけていると今も主張されています。
清水表棟梁も、二代真柱様の意を受けていると、確固とした信念でした。

天理教は貧乏たらしく会議するからダメだと、ねむの里のホテルで、豪華食事つきで、「YHC」「少年ひのきしん隊」などの構想の会議・・。
それが、「復元」なのか。

美味しいものを食する。
それは、確かに「陽気ゆさん」であるけれど、本来の天理教の教えとは・・
八島秀雄さんも清水国男先生も、口にしていたのは「教団体質批判」と改革でした。

二代真柱様の、厳格な原典主義、その恐ろしいまでの深い洞察力と、「言わん言えん」の実行力。
心奉者や、側近者は、「言われた事」と「語られた事」ばかり見ていて、根は掘ろうとしていない。
804おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/04/13(火) 01:00:59 ID:GzeoBcqD
>>803
>美味しいものを食する

時には、それもいいではないか。

>心奉者や、側近者は、「言われた事」と「語られた事」ばかり見ていて、根は掘ろうとしていない

これこそが、大問題!!
その点、仏教者などは深く根を掘ろうと努める労を惜しまない。
・・・もっとも浄土真宗なんかのように、
そういった動きに対しては”異安心(いあんじん)”というレッテルの言葉を貼り付けて
異端視・分派活動と見なされて牽制されるしきたりが定着してしまっている宗派のところも実際にはあるのだが。
805神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 06:09:16 ID:BStInEm8
キチガイ明久みっけ
806神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 09:53:15 ID:VO9FkOMw
天理の組織
問題は山積み 解決の兆しなし。
何故なら組織の体型に無理があるからと思うんです。
葡萄を見てください。どのように実がなっていますか?
ひとつひとつ、しっかりと1つの茎に繋がっています。
実から茎が延びて、次の実が出来る、なんてことはありません。

今の天理の組織はまさにこれではないでしょうか?

実の粒が、先になれば先になるほど
小さく、小さく、なってしまっている…
自分は、自然の中には、天然自然天理天則にそったものが多いと思います。
そして教祖も、それを例え話で
「世界は、この葡萄のようになぁ、皆、丸い心で、繋がりおうて行くのやで。この道は、先なごう楽しんで通る道やほどに。」
と、お優しくお説き下さいました。
自分は、それにはその意味も、含まれていると思いました。

愛町さんは
1つの教会を除いて、皆、布教所です。
自分が聞いたのは、上級の麹町大教会へ親不孝をしない為、との事でした。
教会になると、その下にも教会が出来、それぞれに教会長や責任者も必要で
ずっと先の先、何十年後かになるとそれを思案しなければならなくなり 大きな親不孝になってしまうから。
きっと初代さんも、葡萄のお考えを自然と感じられて
愛町の部内は部内を作れない布教所のみが良い
みな一列に、同じように御守護を頂いてほしい
その思いがあられたのではないかと、自分は推察するのです。

きっとそれは、教祖もお変わりありません。

なぜかこの思いを伝えたかったので、書かせていただきました。ありがとうございます(_ _)
皆様はどう思われていますか?
807野良天 ◆3gxC3xwhfc :2010/04/18(日) 20:30:47 ID:F7gZk1su
教祖誕生日おめ。
西暦で言えばまだだけど、ま、いっか。
808基本:2010/04/20(火) 05:28:02 ID:POsA9kQ3
宗教という世界で「お助けのご守護」というお考えそのものが、おやさまの思想には、根本的には無い。
そういう意味で、「教会になるとその下にも教会が出来る」。
「その下」という発想が、おやさまの思想には無い。

例えば教会になると、その上に教会が出来ると言うような「子供の出世待ちかねる」と言う、おやさまです。

上級の麹町の、「親」への孝行と言う閉鎖社会の、思案も、おやさまの思想には無いものです。
「上級=親」という、思案は、大きな理の間違いであり、「宗教」という権威はそうした「理の親孝行」という閉ざされた社会をつくりがちです。
809基本:2010/04/20(火) 06:25:04 ID:POsA9kQ3
>>906
> 「世界は、この葡萄のようになぁ、皆、丸い心で、繋がりおうて行くのやで。
> この道は、先なごう楽しんで通る道やほどに。」 と、お優しくお説き下さいました。
丸い心でつながっていくには、教会も「仮屋敷」としての、一定の役割があるという見方もありますが、それは、基本的には理の間違いです。
教会は、講であるべきで、どうでも信心するという人たちの集いの場所ではあっても、「組織」であったり、「親」がいたりするのは、親は、存命のおやさま以外にどこにもいない無いという、天理に反する思案です。
おやさまが、そのようにご守護されていて、
> 天理の組織
> 問題は山積み 解決の兆しなし。
と、見えるかもしれませんが、それは、「この道は、先なごう楽しんで通る道やほどに。」 。
と、おやさまが、仰せになられた、そのものです。

不思議に思うのは、>[問題は山積み 解決の兆しなし。]と、まるで他人事。
なにが問題で、なにをどう解決する兆しが無いと、具体的に思案されているとは、思われません。
そして、「一人」でよろしいわけですから、組織を「教会にならない布教所」と「教会になる布教所」に仕分けしても、意味が無いことです。
おやさまは「講をつくれ」といわれた。
「講をむすぼやないかいな」と、示された。
そしたら、御本部から{めどう}を頂くという意味では、講は教会が、自然。
ならないと否定する意味もないし、なるなら、天理教会になるのが、自然だと思います。

810おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/04/20(火) 21:56:31 ID:Ah2Wndml
この4月18日は日曜日だったわけだけど、
この日の帰参者の総計はどれぐらいだったのかな?

(いつもの年よりかは幾分は多めだったことだろう)
811ROM:2010/04/20(火) 22:26:10 ID:/8tXEKeo
最近にないぐらい多かったよ。
神殿内部は勿論、中庭のパイプ椅子も満杯状態だった。

事前の各教会からの参拝者予定では、15万人ということだったようだけど
それほどはいなかった気がする。
ブラジルの旗が目立ったなあ。
商店街も混雑してたけど、100年祭の時程の事はなかった。

ただ、翌日が婦人会総会だったため、夕方になってますます増えて前夜祭は滅茶苦茶多かったらしい。
私は月曜日が仕事だったもんで、明るいうちに帰ったから、その混雑ぶりは知らない。

それはそうと、総長にCD送りたいんだけど

 武庫川女子大職員室宛、Mr.Socho 殿
              ROM より

で届くかなあ。
  
 あかんで元々で、チャレンジしてみることにする。
            
812おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/04/21(水) 07:59:25 ID:HuPW4CIG
>>811
ついでにローリングストーンズの『ベガーズ バンケット』のCDも…

というのは冗談だけど、大○原理事長から、またドヤされるorz
813ROM:2010/04/23(金) 21:44:05 ID:n/+iDLMw
お望みのCD(違法コピー?)も同封させて貰った。
月曜日には届くと思われるが、
さて、うまくキャッチされますやら・・・
814神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 00:31:39 ID:9f8FJCht
>>813←ボチボチ発見
815ぼちぼち:2010/04/24(土) 09:37:18 ID:Ba2vURAd
>>814
>>813←ボチボチ発見
なんでも俺にせんといてちょうだい(?_?)
18日は家族と共に、社内の女性二人が基礎講座を聞いていただき、俺も一緒に傍聴しました。
今回の基礎講座は女性達の悩み事とはテーマが違い、今一の感はありましたが、印象に残ってるお話もあります。

猫は産まれたらニャオ〜!となきます。
犬はワン〜!となきます。
人間はオギャ〜!となきます。

じゃあ死んでいく時はどうでしょうか?
犬や猫は変わることなくワン〜!であり、ニャオ〜!のままです。
ところが、人間はオギャ〜!ではない…的なことを言われていました。

もう少し突っ込んで考えてみますと…。
人は死んでいく時にはどんな言葉を発するのでしょうか?
勿論、人それぞれに違ってくるでしょうが、俺は身近な人達に、(まあ家族なんやろけど)出来たら、お礼を言いたいと思います。
「長い間一緒にいてくれてありがとうな。楽しかったでぇ(^_^)v」
そう言いながら、死んでいけたらええなと思いますね。
神様に感謝を捧げるのか?
お礼を申し上げるのか?
う〜ん…。
それはその時になってみないと解らないかも…。
816神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 10:18:24 ID:HsUnsxQQ
>815 俺は身近な人達に、(まあ家族なんやろけど)出来たら、お礼を言いたいと思います。
「長い間一緒にいてくれてありがとうな。楽しかったでぇ(^_^)v」
そう言いながら、死んでいけたらええなと思いますね。

だから?

お前のコメントなんか要らない。ROMに徹底しろ!!

できればもう二度と出てくんな。お前はもう嫌われた過去の人だからだ。
817ぼちぼち:2010/04/24(土) 11:15:16 ID:Ba2vURAd
>>816

ほうかぁ?
ほな、さいならぁ
(^o^)/

またくるけどな(^_^)v
818神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 13:38:42 ID:9f8FJCht
もういい
819ROM:2010/04/24(土) 15:06:43 ID:nan1dqfa
>>814
ボチボチ氏じゃあないんだが・・・(苦笑)
820神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 22:07:42 ID:8ma5zoRe
>817 またくるけどな(^_^)v

空気読めんのか!!みいんなお前のことが嫌いなんだよ。

もう二度と出てくんじゃねぇ
821神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 22:53:02 ID:rwVuQW4B
俺は結構、好感もってるけど。 
ん?
822神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 23:15:47 ID:8ma5zoRe
じゃあ、なんかの話題で話を展開させてみろよ。あいつ流の流儀で丸め込まれるだけだから。

ボチの話は反吐が出る。うすっぺらーな真実がまったくねーすぐそこが見える話しかしない。

きっと、四季等部内教会では浮いてるだろ。おい、ぼちよ、お前部内教会同士連携取れてないだろ。

俺よりも年上だがずっと、年下な精神を感じる。お前のような薄らボケの教会長がいるからおかしくなるんだよ。

さっさと辞任しろ!!!きもいんじゃ!!!
823神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 09:37:57 ID:9lxZhyAD
>>822
そこまで言わなくてもいいのでは
824ぼちぼち:2010/04/25(日) 22:09:59 ID:f173HYNP
私しゃ浮いてまんがな(苦笑)
ほんでも無理して合わすこともないやん。
825野良天 ◆3gxC3xwhfc :2010/04/25(日) 22:17:20 ID:Hk8y7+/e
よう、ぼちぼち!
随行なんか従えて貫禄でてきたな〜
でももっと増やさないとダメだよ(笑)
826ROM:2010/04/29(木) 18:59:13 ID:11qVs7U4
総長殿、例のものゲットしてくれただろうか?

失礼を承知で、テストしてみたんだが・・・
827おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/04/29(木) 21:31:04 ID:90XLey5z
一体どの分?
828ROM:2010/04/30(金) 07:33:33 ID:KZKN9mwX
>>811 で、書いた通りCD送ったんだが
やっぱり無謀だったようだね。

今晩にでもムコジョ職員室に侘びを入れて
廃棄処分してもらおう。
少し残念。
829おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/01(土) 09:57:07 ID:EGPmTxZ1
??
830ROM:2010/05/05(水) 17:10:11 ID:HjotulQC
貴殿の今までの書き込み読んでて
ムコジョの事務職員と信じ込んでいただけ。

だから、非礼を承知で、
職員室に送り届けたら、受け取って貰えるかと・・

失敬、失敬。

あ、そうそう、決して釣りではない積りだから。
831基本:2010/05/06(木) 04:12:59 ID:b4OtiKlZ
おやさまのにちにちは、助けるもようばかり思うている。
しかし、人間は、その「模様」「紋様」に、思いが至らない。
そして、自分が何とかしようと、人間の思案というものを、悟りのように、教えを求めるように、煮詰めてしまう。
おやさまの、ご思案を悟りとるのが、天理の信心。
そこには、親子としての、信頼というものがあってこそ、親の思案に身を任せるという安心がある、

「真なる言」を唱えていれば、なぜ悟りが付くのか。
それは「真なる言」だから。
「南無天理王命」と、唱えたら、なぜその助けを受けられるのか。
それは、「天理王」だから。

ただそれだけの事を知るには、読経百万回あるのみ。
それが、大戸辺命さまの「明星」の入り込まれた「空海」師が、お示し下された修行法でした。

蔵にこもって、「理の歌」をとき流している。
それを、素直にひな型として、我も行うというのが信心であり、そんな事していて道が付くのかでは、
そこにあるのは「懐疑」です。

「懐疑」とは「疑問」、「問う」事。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
遺伝学では、生物の努力行為も、「量」が「質的変化を生む」と、遺伝されると認めています。
それは、「百万回の読経」は、「量」であり、それが「遺伝情報」となるという「理」そのものとして、
「因縁は切れる」。と言う事です。

「量とは二つたっぷり」。時間の密度。それが、運命をかえる。
だから、先ず神の教えの、「真理」を、親の思案として、素直に受け止めることです。
832おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/05/06(木) 04:41:19 ID:BYU4LzfH
>>830
いやぁ、スミマセン。
本当にどの分なのか確認できませんでした <(_ _)>
833基本。:2010/05/06(木) 08:36:13 ID:b4OtiKlZ
ナザレの大工の子、イエス・キリスト様は、ユダヤ教の当時の宗教高山の腐敗に対して、宮清めという、荒っぽい方法での浄化を試みました。
その事は、神殿での商売で生計を立てる商売人たちと、神官の恨みをかい、リンチ的な処刑として、十字架に掛けられると言う、対立の構図を残しました。
「なんじの隣人を愛しなさい」と教える神の子イエスが、愛ではなく「鞭」をふるって宮清めした行為そのものは、「一に勢い」の姿でした。
その「宮清め」に対比して、大工の伊蔵さまは、「神前にては拝をして通れ」という、おやさまの教えを守っていたと、・・「大和神社の事件」では思案されます。

元治元年のつとめ場所の普請とは何であったのかという事、それは、山中忠七を代表として、中山みきを利用しての「新宗教起こし」という性格を持っていたという事を、冷静に見詰めておかねばなりません。
「講をむすべ」とおやさまが仰せられたのは、つとめ場所の普請の、前年、文久三年の事です。
「講」と言うのは、信仰組織の一形態であり、新宗教を起す場合の、初期の組織は、江戸時代末期から明治の初期には、常道であった。

飯田岩次郎の父が、新宗教活動として、中山みきを自宅に逗留させて、「講」の活動を開始していて、それは、中山みきぱ積極的に先頭に立っていたから、飯田家に出向いていき、現場でおたすけをされていの。
その、飯田家の方法とは別に、例えば山中家では、神の内訳場所として信仰組織を構築しつつあり、それで、元治元年のつとめ場所の普請の時には、お屋敷から信者仲間を引き連れて、山中家で「おつとめ」をする予定でいて、
それで、向かう途中の「大和神社」で、「何かまわん」と、対決姿勢をあらわにして、牢にぶち込まれたのである。
この、山中家の「天りん王」講社開始の試みは、それで出鼻をくじかれた。
「講をむすべ」と言う言葉そのものには、「新宗教組織化」の意味があると、理解して実行しようとして、出鼻をくじかれた格好になっている。
834基本。:2010/05/06(木) 09:00:27 ID:b4OtiKlZ
天理教辞典では、講について、
「皇太神宮の信仰や、富士山、御嶽山、観音信仰などの講」が、天理教信者の大和参拝に大きく影響を与えた、と、そんな程度の触れ方であるが、「ええじゃないか」のおかげ参りも「講」活動であり、
江戸時代末期に「講」というものは、信仰運動の母体そのものであったということをきちんと知るべきであろう。
例えば富士講について見るならば、
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%AC%9B
『享保期以降、村上光清や食行身禄(寛文11年(1671)-享保18年(1733))によって発展した。
身禄は角行から五代目(立場によっては六代目とする)の弟子で、富士山中において入定したことを機に、
遺された弟子たちが江戸を中心に富士講を広めた。
江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほどの流行となった。』
『明治以後、富士講の一派不二道による実行教、苦行者だった伊藤六郎兵衛による丸山教、
更に平田門下にして富士信仰の諸勢力を結集して国家神道に動員しようとした宍野半による扶桑教など、
その一部が教派神道と化した。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、新宗教活動そのものが「講」だと認識していたのが、当時の高弟たちの認識だったわけである。
835基本:2010/05/07(金) 08:28:26 ID:UaLiJRUb
組織としての信仰を行うについては「認可」を得なければならないという「社会常識」があって、大和の土嚢知識人たちは「公許」を求めることになったが、
その契機は、大和神社事件の節であって、「生き神様」中山みきがいれば、宗教活動は簡単に出来ると考えた庄屋地主層が、大和神社で「何か舞わん」とどんちゃんやった事は、「宗教」とは政治によって統治されているという現実を、彼らに思い知らせた。
「元の神・実の神」とは言うけれど、「天の将軍」とは言うけれど、実際には「お上」には勝てないという、挫折感が、そこにあった。
そこで、「講」を作るとは、「公許」が無ければならないことという悪い意味での大人の知恵を自白することになる。

それでは、我は天の将軍だと宣言した「中山みき」の思想は、大和神社事件によって挫折したということになるのであろうか。
いや、それは、まるで違う。

小寒子さまの発言が記録されている。
「いかなんだら良かったのに」と。

それは、「大和神社の神前で大騒ぎしなければ良かったのに」ではない。
「行かなんだらよかったのに」なのである。

神の出張り場所、打ち分け場所にて「講」活動をするという意味において、「神前」で拝を出来るかどうかは、まさに、一つの関門であって、「行けば」必ず通るべき関所であったと、理解すべきである。
836基本:2010/05/07(金) 08:32:36 ID:UaLiJRUb
神前での拝の問題を思案するには、大切な先例がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イエスキリスト様は、宗教行為においての不定部分を浄化するために、意図して「宮清め」を実行された。
その時、大勢の信者は、イエスについてきて、宮清めに賛同し、煽り立てた。
大和神社事件では、大工の伊蔵さまは、神官側に逆らわず、獄についているわけで、「宮清め」という意思も意図も明確ではない。
ただ、「神前では拝をして通れ」と言われたのに、「神前で元の神のつとめ」をしたのが、高弟達の所業であり、それは、決して、元の神の意思とは、一致していなかった。

大工の子であり大工であったイエスキリストは、十字架にかかり、「なぜ神様はこのように私を見捨てたのか」と問うたと伝わるが、宮清めに賛同して暴れた大衆たちは、イエスの処刑を、大騒ぎで賛同し、見物し、煽っている。
宗教高山の改革には、こういう、乱暴なことではならないという、教訓は、当時ただ一人の「神の子」であったイエス兄には、まだ、理解の外だったのだろう。

イエスキリストは、処刑され、三日間洞窟にいて、それから復活し、布教をしている。
千人程度の信者を四十日間の間に、育てられたという。
それは、信者を引き連れて一気に「宮清め」すると言う方向ではなされずに、神との交流と世界一列という問題を提示してのものであったと伝わる。
イエスキリスト様が、改革のために直線的であり、一気に突っ張ったということの反動は、伝わるべき理ではないものを、人々にイメージさせて、イエスキリストの犠牲によって救われようという、ローマ教会信仰高山を結果として生み育てている。

天理教初期の高弟達の、大和神社での無礼は、一貫した「高慢」な天理教信者の態度そのものであり、「これも月日が教えきたるで」と言う、古神道信仰をまさに侮辱している。
イエスの弟子達が、イエスの権威を利用して、異民族の商売人を侮辱したり排斥したりした行為。
「何かまわん」と言う態度であるけれど、
イエスキリストそのものが、ユダヤ教に予言されていたお方である、その元を、いっきにぶち壊すという大衆の理の間違いというものは、天理教もまた、自戒すべき、天理の誤解である。
837基本:2010/05/07(金) 08:41:24 ID:UaLiJRUb
たすける模様というものは、天理教の立教から開始されたものではない。
イエスキリスト様も、お釈迦様も、孔子様も、「たすける模様」そのものとして、この世に、美しい紋様を描かれている。

親の思案は助ける模様ばかりであるとして、そこでどうすれば助かると言うのか。
おやさまは、「称名信仰」を助けの道筋として、きちんと明けられている。

山名系教義学が、意図的に歪めたものを是正してみたら、すっと理解されるであろう。

辻忠作は、線香を立てて、一本燃え尽きるまで、神名を唱えるという「おつとめ」で、ご守護を頂いている。
「つとめ短い」とは、その線香を半分に折って日本同時に火をつけて、効率化したから、叱られたときの、中山みきのお言葉である。

称名とは、真言を唱えることそのものである。
真言とは「呪文」である。
呪文を「天理王命」と唱える事は、それだけで、助かる道なのだが、「つとめ短い」、つまり、線香を立てて祈るという、素朴な時間すらそれが出来ないとしたら、それは助ける模様も何も無い、親の思案が分かりたくない姿そのものである。
838基本:2010/05/07(金) 09:17:37 ID:UaLiJRUb
つとめ場所の普請の時には、おやさまは、何の酒も肴も用意されていない。
中山家の家のこぼちの時には、中山みきは酒魚を振舞っている。
イエスキリストは、自分が処刑される直前に、「晩餐会」にて、弟子達と会食している。
これを踏まえて、深刻な意味で言うと、勤め場所の普請の時に、酒さかなを用意するということは、してはならないこと。と分かる。
 異端の中には、この時に機転で酒さかなを用意してきた、伊蔵様の奥さんを美化して説く異端がいるが、
まさに、甘露台三下がりを踊っているとしても、理は何も分からないという自白そのものとなっている。
 だから、おやさまが扉開かれたときには、もう中山家には居られないと人間思案していたのが伊蔵の妻である。

つとめ場所の普請のとき、元の地場のお屋敷で、真剣に「神名をとなえる」べき高弟達は、鳴り物をもって、山中家にむかった。
つとめは、ちゃんとされたとは言いがたい。
中山みき様の名など心得て「天理王命」と、唱え続けること。それが、山中忠七さんのなさるべきことだったが、忠七さんには「神名」、つまり中山みきの名が天理王命とすら、認識できていなかった。
ここに、根本の間違いがある。

それは、現在も続いている。
「天理王命」と唱えるとき、中山みきの名として、「神名を呼ぶ」。
そんな信者は、何人いるだろうか。
称名信仰を、基礎の基礎として、なしている人は何人いるだろうか。

「天りんさん」や「てんりゅう」さんを呼んだとしても、神様は、ご守護くださるのだが、信者として、おやさまの子として、
「月日より付けた名前を取り払い」「この残念をなんとおもうぞ」

称名がきちんと出来ていない信心。それは、たすけの模様の、根本に反している。
親の思案を悟るには、空海師にならうべきは、読経百万回。人がめどうではない。天理を悟るというなら「神名」を「神名」として唱える一万回に到達することである。
839基本。:2010/05/07(金) 12:31:48 ID:UaLiJRUb
中山みき様を「人間の親神」と認められないとしたら、何の功徳があるというのだ。
おやさまの思想。私が人間の親神だよ。
それは元の神としての、親神として理を解き明かしたという、そんなものではない。

空海の真言呪文は、現実の守護を伴っていた。
イエスキリストの福音も又、現実の守護を伴っていた。
現実の御利益なくしては、それは、「空念仏」、無意味なものである。
この世を立て替えるには、実としての利益がなくばならない。
それが、おやさまの思想。「実の神」と言う思想である。

たすけの模様というが、それが「宗教という名のアヘン」であってはならない。
大社高山は、「宗教という名のアヘン」を利用する。
そして、高山と谷底と差別された社会では、谷底の者は、高山にしたがってその意向に沿う以外には出世の道は無い。

「債務奴隷制度」という、人類の悪因縁は、一列兄弟の間に深い亀裂を生じているからこそ、谷底をせり上げるという「模様」が見えてこなければ、「実の神」の実の神たる意味が分かる事は無いであろう。

神のじゅうようと言う守護の世界が「現実的に結実する」。それをなすのが実の神であり、山名系教義が、やまい助けを重視するのは、社会のたすけ、国家のたすけを、模様として示す中山みきの思想の、矮小化でしかなかった。
「何にても知らぬ間はそのままや、神のじゆうよう知らしたるなら」。
まさに、自分の親神・おやさまの名さえも知らずに、百年以上、「知らぬ間はそのままや」を過ごした天理教団は、おやさまが親神様だと、知ったのだから、もはや「そのままや」では、無い。
神との交わりという、教団が秘してきた「おやの教え」が、神のじゆうようとして、知らされて、人は「真言」として、「南無天理王命」と、称える事で、天理の世界の入り口に立つ。
840基本。:2010/05/07(金) 13:09:51 ID:UaLiJRUb
元冶元年のつとめ場所の普請の時、高弟の筆頭格であった山中忠七さんは、「神の内訳場所」として自立するはずであったが、大和神社の節で、いずんでしまった。
その問題の本質は、この普請の本質そのもの。
それは、「称名の問題」、つまり何を「めどう」として信仰するかという本質の問題であった。
事実の確認のために稿本教祖伝を引用しよう。
・・・
やがて大和神社の前へ差かゝると、誰言うともなく、教祖が、神社の前を通る時は拝をして通れ、と仰せになった。拝をしよう。と、言い出した。
そこで携さえて居た太鼓を、社前にあった四尺ばかりの石の上に置いて、拍子木、太鼓などの鳴物を力一杯打ち鳴らしながら、
「なむ天理王命、なむ天理王命。」
と、繰り返し/\声高らかに唱えつゞけた。
 これを耳にした神職達が、急いで社前へ出て見るとこの有様なので、早速、中止を命じると共に、太鼓を没収した。
 この日は、大和一国の神職取締り、守屋筑前守が、京都から戻って一週間の祈祷をして居る最中であった。
(註一)由緒深い大和神社の社前で、卑俗な鳴物を用い、聞いた事もない神名を高唱するとは怪しからん。お前達は一人も戻る事は相成らん。取調べの済む迄留めて置く。と、言い渡した。
段々と取調べの上、祈祷の妨げをした。とて、三日の間、留め置かれたので、中には内心恐れをなす者も出て来た。
ふと、こかんが、行かなんだら宜かったのに。と、呟やいた処、忽ち教祖の様子改まり、
「不足言うのではない。後々の話の台である程に。」
と、お言葉があった。
 大和神社の一件に拘らず、つとめ場所の内造りは進んだ。
「この普請は、三十年の見込み。」
との、仰せのまゝに、屋根には土を置かず空葺にした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この普請三十年の見込み」。
三十年後に、「各教会にめどう札が配布」されている。
「南無天理王命」の「目標札」。
これが、めどうとして、確立していない、泥海状態の信仰組織が、元冶元年の「講』だったのだが、めどうとは「称名信仰」には不可欠である。
841基本。:2010/05/07(金) 13:29:05 ID:UaLiJRUb
称名信仰というのは、経文を唱えるから、神仏の名を直接称えるという信仰。
つまり、神を呼び出すという信仰であると、理解する。
それには、ちゃんとした「めどう」が無ければ、呼び出せるものではない。

明治二十一年四月二十九日(陰暦三月十九日)夜
東京に於て御供を出す願
さあ/\先ず/\尋ね一条というは、さあ/\所々で、さあ/\未だ/\。一度二度の刻限話でさしづある。先ず/\今までの事に、先ず/\暫くの処、先ず/\の処はぢばより送るよう。

前の願に付、一寸おさしづ
さあ/\どうでも/\、急がしい成るで、急がしい成るで。世界は一寸治まる。さあ/\/\神一条の道を働くで/\/\/\。急がしい/\/\。さあ/\/\見て居よ/\/\/\。
めどう札を出す事じっとする願
さあ/\一時尋ねる/\。さあ尋ねる事情、よう聞き分けてくれ。
めどう札暫くの処出せんという。
めどう、神の名がめどうか。何と言うて呼び出すか。
さあ/\分からんから尋ねる/\。めどう無くば呼び出すまい。
・・・・・・・・・・・
おやさまを、天理王命として、「南無天理王命」と呼び出す。
それが当然の信じんなのだが、めどう札を出すという事は「天理王命」の名であるから、
出さないですませたいと人間は願ったが、親神は、許可しなかった。

それにしても、おやさまは厳しい。
めどう、神の名がめどうか。何と言うて呼び出すか。
さあ/\分からんから尋ねる/\。
めどう無くば呼び出すまい。

めどうに天理王命と書いて渡しておかなければおやさまを、天理王命様として、呼び出すまいと断言されてある。

842基本。:2010/05/09(日) 08:56:55 ID:uMMvTlFY
浄土教であれ、真言宗であれ、キリスト教であれ、「聖句」を「真言」を経文を唱えるということが、神仏との交流となっている。
おやさまの思想が、「これも月日が教え来たものだ」という思想であることは、「元の神」思想として、明かされている。
それは、「讃歌」であり、「賛美歌」思想でもある。

天理教では「お勤め」だと、山名系教義は「勤行」と言う言葉を信仰行為とみなしているが、
おやさまは、「神楽」という古神道の祭事を、「かぐらつとめ」として、神との交流の「神人和楽」として、打ち出している。
それは、「立って踊る」という、「理をふる」という、いわば勤行の手段を示してもいるが、何以上に「かぐら」であると言うことに、重大な意味がある。
843基本。:2010/05/09(日) 09:19:29 ID:uMMvTlFY
「かぐら」と言えば、庶民には、皿回しの芸として有名である、「太神楽」がある。
海老一染之助・染太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海老一染之助・染太郎(えびいちそめのすけ・そめたろう)は、実の兄弟による伝統演芸「太神楽(だいかぐら)」の曲芸師コンビ。父親は落語家の三遊亭圓駒。
「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない出演者だったが、兄の染太郎が2002年に亡くなり、その後は弟の染之助がピンで活動している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神の前で、歌い踊りする。

天岩戸の、岩戸を空けるために、暗闇の中で、天照大神を誘い出そうと酒宴を催し、ストリップショーをして大騒ぎしたのが、かぐらの源流だという説もある。

太神楽とは、曲芸そのものであり、おやさまの「かぐら」も又、その「猥雑さ」を決して否定していないと、みなされる。
844基本。:2010/05/09(日) 09:20:28 ID:uMMvTlFY
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%A5%BD

『 神楽(かぐら)は、神道の神事において神に奉納するために奏される歌舞。神社の祭礼などで見ることができ、まれに寺院で行うところもある。』
『「かぐら」の語源は、「神座」(かむくら・かみくら)が転じたものとする説が一般的である。神座とは「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、
神座に神々を降ろし、巫・巫女が集まった人々の穢れを祓ったり、神懸かりとなって神の意志を伝えたり、また人の側からは願望が伝えられるなど、
神人一体の宴を催す場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったと考えられている。
古事記および日本書紀においては、岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞ったという神話が神楽の起源であるとされる。
アメノウズメの子孫とされる猿女君は宮中において鎮魂の儀に携わっており、このことから神楽の元々の形は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びであったとも考えられる。』


『神楽は、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間で行われる里神楽(さとかぐら)に分けられる。
里神楽は民俗芸能研究の第一人者である本田安次(1906-2001)がさらに大きく巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽に分類した。
これらの流れを汲んだ神楽が各地に存在する。
しかし、この分類では不都合なことも生じてきており、近年里神楽の分類方法の見直しも考えられている。
近代に作られた神楽もあり、その中には多くの神社で行われているものもある。』
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「かぐら」とは、「歌舞音曲」、立って歌い踊るという、日本古来の、神との交流そのものであって、「称名信仰」の次には、「歌舞音曲・かぐら信仰」にと進むという思想が、中山みきの思想の本質そのものという事になる。
845基本。
そこで、七十年祭の前後から今日まで天理教団を思想的に指導誘導してきた「山名系教義」や、教団批判の「八島系」、あるいは本部批判の「天理本道系異端」の、「称名信仰」、「かぐら信仰」は、中山みきの思想の本質を大きく外れていた。
先ず、称名信仰そのものに対しての、「神名」すら「てんりんおう」だとみなす、大間抜けは、おやさまの、親しく微笑される、大絶賛者の「理の間違い」であった。

「恥をかかすようなものや」として、間違いを直接には指摘なさらないおやさまは、
「てんりんおう」の旗を立てて、来ると、まさに、三つ子の童のいたずらに、目をほそめられたと言うべき姿であった。

{「ああ、だるいだるい。遠方から子供が来るで。ああ、見える、見える。フラフを立てて来るで。」
と、仰せになっていたので、お側の人々は、何んの事かと思っていたが、この旗を見るに及んで、成る程、教祖には、ごらんになる前から、この旗が見えていたのであるなあ、と感じ入った、という。}

おやさまは、「だるいだるい」と言われた。
山名の一行は、・・そんなだるくなるような道中だったのか・・?。
ゆっくりとした旅であり、何が何でも「神の命日におつとめする」というようなものではなかった。

そうみるべきだろう。