>>742 そのような仏性思想、如来蔵思想を異端視する向きがあり、
「自身は現に罪悪生死の凡夫なり、曠劫よりこのかた、常に沈し常に流転して出離の縁あることなし」
という自覚、あるいは気づきが大乗の醍醐味であると私は思います。
ニュアンス的には原罪に近いものがあり、それこそ山の研究書、論文、概説書、入門書、信仰書がありますよ。
私が最初に親近した書物が『法然浄土教の諸問題』であり、それを契機に浄土門で出家しました。
基督者が仏教を仏性・如来蔵で評価されたのは初めてですね。
昔、ドイツの聖公会の牧師が来ており、観無量寿経の英文の輪読会に参加させられましたが、あちらではまったく違う認識らしいですよ。