続 天理教っぽく 《時事を雑談するスレ》

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13S 2027 ◆xLXYm5I0mA
>>10
うん、俺も「魂」というか「とく」「前生」というか、その辺については「あ、なるほど」と感じるものがありました。
その辺と未来予想図(シナリオ)みたいなものが絶妙にからまっていっているようにも思います。
ただ、くどいようだけど、「いんねんの自覚」、つまり「自覚」は自らがするものだと思っています。

ちょっと異常な勘違い「いんねん?」を紹介しておきます。
いっつも大酒を飲んで、ろくに仕事をしない主人がいました。
その奥さんは、子供たちにはこんな人生を歩んで欲しくないと祈ってました。
それが段々と極端になり、その主人の生活そのものも否定し、子供たちには主人の全てを真似ないように注意、監視するようになりました。
それがもっと極端になり、その主人の衣類を子供が着ようとしますと「いんねんがうつる」とまで思うようになりました。

しかしながら、そのような異常な思考をするに至った背景は教会側の指導でもあります。
あるがままを受け入れる「たんのう」の理解出来ず、心に治まらず「いんねん」を切ることは否定することだと勘違いしたままの状態あることに導く側が気付かない。
確かに一生懸命御供はする、日参はする、にをいがけにも出る。
しかし夫婦が治まらない、そんな中で子供たちは天理教を冷ややかに見る。
そんな日々が長く、長く続きました。

しかし、もがきながらも、一生懸命にすがった「理」はありました。
なぜなら、俺を含め、子供たちは全員幸せに生きております。

≪結論≫
よう解りませんが、通れば通っただけのことはあるようです。
しかし、俺は今でも思います。
「たんのう」まで導けない「いんねん話」はするべからず。