「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、
わたしたちの心を照して下さったのである。
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。 いつもイエスの死をこの身に負うている。
それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 わたしたち生きている者は、
イエスのために絶えず死に渡されているのである。
それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じている。それゆえに語るのである。(第二コリント4:6-13)口語訳
>>342 >誤(第二コリント4:13-)口語訳
>正(第二コリント4:1-6)口語訳