【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part45
信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。ある人は、
何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。
食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。
神は彼を受けいれて下さったのであるから。
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。
しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。
また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。
各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。 日を重んじる者は、主のために重んじる。
また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。
そして、神に感謝する。
すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。
だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。(ローマ14:1-8)口語訳
なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。 それだのに、あなたは、
なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。
すなわち、「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、
神にさんびをささげるであろう」と書いてある。 だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。
それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、
つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。 わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。
それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。
あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。(ローマ14:9-)口語訳