親神と呼ぶ存在は、少なくとも人智で把握できる存在ではないと思います。
人はその臨在の一部に触れ、それをその人の限界の内で理解し、言語化する。
サムシンググレートを人格神とするか法則とするかは、その人の宗教土壌によると思います。
テモテへの手紙 第一
6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、
人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。
誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。
117 :
心音の月太陽を愛して。:2008/12/23(火) 21:50:07 ID:Od3CyiNx
かんろうだいは
目にははしらのようですが
こころや理からみると
かんろだいは
神々しい光り輝くのはしらです。
人間が人肌をこいしがるように
神々の肌を感じさせます。
118 :
神も仏も名無しさん:2008/12/24(水) 00:04:46 ID:fHnTrHNT
さすがにキリスト教の方がいらっしゃると、内容が濃くなりますね。
創造主とか親神、あるいはサムシング・グレートという概念では
天理教とも基を一にするところがありますから、盛り上がれると思います。
ここのスレ本来の主旨に乗って来たようで、楽しみです。
119 :
心音の月太陽を愛して。:2008/12/24(水) 04:44:02 ID:xFcdyMEG
二つ一つが天の理
柏手を打つ時
右手と左手を合(愛)わします。
一手と一手で合わさると
音が出る訳でこれも一音となります。
これでも一つ二つが天の理です。
キリスト教のように
手を組合せても音はなります。
120 :
S 2027 ◆xLXYm5I0mA :2008/12/24(水) 14:49:25 ID:LDeh194N
>>115月見さんへ
あなたのお話は興味深いですね。
そもそも、この世、(宇宙とでも申しましょうか)は初めからあったのか?ということですが、残念ながら見てきた者はおりません。
もしかして時間を飛び越えて見てきた、という者がいたとしましても、それを証明するのは困難かと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宇宙と生命の起源
われわれはどこから来てどこへゆくのかという疑問は昔から問い続けてきたことだ。
誰も明快な答えは持っていないし、納得のいく様な理論もない。
あまりにも根源的であり、現在のいろいろな証拠から推論に推論を重ねていくしかないからだ。
しかし、ひとつの光が見えてきたのは宇宙の観測からだったと言える。
ハッブルの法則の発見がその端緒となる。
「銀河の動きを観測したとき、すべての銀河が遠ざかっており、遠い銀河ほど後退速度が大きい」という単純な観測事実にまとめられている。
これが何を意味するかは、
我々の地球が宇宙の中心と考えるよりも宇宙それ自体が膨張しているとした方が理にかなっている。
昔の天動説の誤謬に陥らないひとつの思いと言えるだろう。
宇宙が膨張しているとすれば、逆に辿れば一点から始った宇宙の起源(ビッグバン)が考えられるのは当然の成り行きだ。
それではその前はどうだったのかと問う人は必ずいる。
しかし、現代の科学はそこに科学的な理論を付け足すことはできない。
その時点ですべての理論が破綻してしまうからだ。
http://www.astrophotoclub.com/kigen.htm
121 :
S 2027 ◆xLXYm5I0mA :2008/12/24(水) 14:53:14 ID:LDeh194N
続きです
上記の意見はごく平均的な宇宙の起源の解釈でしょう。
これから先、「無」から「有」になることが証明されるのか、或いはもう証明されているのかは俺には解りません。
でも、それが仮に証明され、偶然から「無」は「有」になったというのはなんか味気ないように思います。
自然界、人体の法則、秩序、摂理というものがあり、それが狂わぬ精度で繰り返されることを感謝とするか、当たり前とするかの違い。
これが宗教の本来の役割であり、宗派の違いはその説明の違いだと俺は思います。
シャープとパナソニックはどちらが優れているか?と思案してから買う未信者の人もいれば、すでに先代から購入してるために、買い換える必要のない人もいます。
なぜ、天理教を信仰してるのかと聞かれましたら・・・
俺は生まれた時から天理教でしたから、その環境でごく自然に信仰しております、というのも事実です。
あまりに自分の信仰する教えに拘り、他宗派を否定することはよろしくございませんなあ。