>>35 >
はい、分りました。
では、わたしなりの批評意見を述べてみたいと思います。
たぶんやや長くなりそうですが、どうかご了承下さい。
久保先生ですかぁ
---聖書学者で牧師さんなのですねぇ!
いや本当に、大変ご立派なお方のようです。
この、『仏教の「修行」キリスト教の「贖い」』を拝読してみましたが、これはなかなかの名解説であり、
文章も上手でとても明快であると思いました。
ま〜たしかに、一般論としては間違いは書かれてないですし、そしてとてもよく纏まっています。
仏教には自力と他力の二つの方法論があるということで、自力仏教の例としての「密教」、他力仏教
の例として「念仏」をそれぞれ上げてキリスト教でいう罪からの「贖い」による救いの場合と比較し、その
上でキリスト教の優位性を論証しようとしています。
まず一つ目は、自力仏教の例としての「密教」、他力仏教の例としての「念仏」とはいうけれども、これ
らはゴータマが教えたものではなく、遙か後世の人間たち(弟子の流れを汲んではいる)が自分勝手に
展開したものに過ぎません。確かに大乗仏教(一般にはこれが信仰仏教)との比較にはなっていますが、
本当の意味での仏教との比較とは成り得ません。
また、氏の説くキリスト教の優位性なるものについては、わたし個人から見れば、ハッキリいってイエ
スの教えではありません。わたしの摂る立場はちょつとキツイ表現ですが、キリスト教はイエスの教えで
はない(含んではいるが・・)、というものです。
次からは、
個々の部分に対して、もっと具体的に話を展開します。