>>527 〉偉い先生ったって、どうせ口から出まかせ言ってるだけだろ?
あのね…。
詰所主任と大教会長の 関係って主従関係みたいなもんやで。
昨日、今日入って来た青二才に会長の話は間違いやなんて普通言わないもんやで。
だから、その部分に俺は驚いたんやな。
話の中味については…正直?の部分もありました。
でも、その言葉は今も忘れていない。
と、言うより、歳を重ねる度に思い当たることが増えてきたんやな。
誰でも最初はなんらかの理想を持って かかると思うんやね。
それが現実に出くわして、妥協したり、挫折したりで、小さくまとまってしまったり、理想そのものを放棄してしまったりするんかな?
親父と同世代の人で、信仰実質初代の人がいました。
同じ頃に住み込み、同じ頃に布教に出て、その人は3年で教会を設立するんやな。
その人は日の出の勢いで日本に部内教会3ヶ所、海外に2ヶ所を設立されたんやな。
自分とこの教会運営だけでもエライことやと思いますけどな。
そして、方や、親父は挫折するんやな。
そりゃ回りの人は比べるさ。
良き見本、悪き見本みたいに言う訳やからな…。
それが親父の肌にも感じつ、余計に挫折感が募ったと思うんやな。
強い心を持てたら良かったんやろけどな…。
親父は親父なりに自分の不在なさに自己嫌悪し、もがいたんやと思う。
親父の歳に近付き、主任先生の言われた言葉が段々感覚的に解るようになってきましたよ。
親父が子供の時、怪我をして、時には熱く、時には不承不承ながらも、この道の先人として歩んでくれたお陰で、今の俺たちは、ちょっと楽な道を歩ませていただいてるんやないかな?
そんな気がしますな。