509 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :
社内で3年間の訓練期間を終えて、現場に入って4直3交代勤務をすることになりました。
その当時、残業代も含めて、手取り14万円程度。
半分は家に、残りは小遣いで、気持ち程度の貯金も出来ましたが、流石に自家用車を買う余力はなく、その当時流行っていたホンダのモンキーバイクで通勤してました。
母はいよいよ天理教に力を入れるようになり、息子が家にお金を入れてくれるのも「信仰のお陰だ。」と思っていたんやないなか?
俺と母はその辺のズレからしょっちゅう口論となってました。
『出て行こうか…。』
と何度か思ったこともありましたが、どっか気になり、放っとけないやろし、仕送りするほどの財源もないし…。
ズルズルと家にいることになりました。
510 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/05/07(木) 17:32:42 ID:MK4xBpt6
収入は低位ながらも安定し、独身貴族ほどではありませんが、《独身平民クラス》でそれなりに節約しながらもエンジョイしていました。
ある日、友達に誘われスキーに行った時に、転んで靭帯を伸ばしてしまい、50日間の入院となりました。
この事故が俺の進路変更のきっかけとなっていきました。
入院生活中、天理教関係の人が度々訪れて、俺におさづけを取り次ごうと致します。
母が一生懸命だから来てくれてるのだと思い、断るのも義理悪く、おさづけを受けていました。
俺は手を合わしながら『天理教にはたすけて要らんよ。おさづけは効かんでエエよ。俺は病院の治療で治るから…。』
と祈って?ました。
なんでこんな祈り方をしたんかな?
それは多分、漠然と《神》と言う存在は否定していなかったかも…知れない。
511 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/05/07(木) 18:06:35 ID:MK4xBpt6
天理教関係者のおさづけは受けてましたが、母のおさづけは冷たく断っていました。
母は悲しそうな顔で俺を見ますが、
「天理教にたすけていらんのや!」
と突き放していました。
そんなある日。
何か足元に気配を感じ、夜中に目を覚ましますと、母がおさづけを取り次いでいました。
俺は気が付かないフリをして寝てました。
そうしながら俺は泣けてきました。
『何でそこまでして母はおさづけを取り次ぐのだろう? そこまでさせる天理教ってなんなんや?』
子供として『親の気持ちに触れてみよう。』と思いました。
『天理教の勉強をしてみよう。』って思いました。
『食わず嫌いではなく、一度食べてみて、不味かったら吐き出せばイイか…。』って思いました。
そんな思いから別席を受けてみることにしたんです。
512 :
ボチボチ ◆oD.zxla8R2 :2009/05/07(木) 20:41:51 ID:MK4xBpt6
意味不明な所も感じながら、1年間で別席を終え、おさづけの理を拝戴しましたが、そんなに感じるものはありませんでした。
と、言うより、2時のサイレンがなる音を気付かぬ位に寝ていましたし…
。
《おかきさげ》をいただく。
後で《おかき》の《お下がり》をいただくんやと思っておりましたが、和紙に書かれた「さあさあ…。」と言う文書が《お書き下げ》であることを仮席の最後の方で知りました。
この後、大教会にお礼参拝に行きましたら、
「神様は必要な人を引き寄せるんやで。」
と言われ、戸惑いました。
『俺は散々天理教から逃げていたのに、こんな俺を神は必要とするんやろか?』
大教会から姉の家に行く最中、俺はずっと自問自答を繰り返しておりました。
姉の家に着きました。
この時、自分ながら予期せぬ言葉が出ました。
「俺なあ修養科に行ってみようと思うんや。」
「でもな、行くんは1年後やで。気が変わらんかったら行ってみるわ。」
気が変わることなく、1年後に俺は会社を退職し、修養科とやらに体験入学気分で行くことになるはずでした。