ここがおかしいよ天理教 2

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489ボチボチ ◆oD.zxla8R2
話は前後しますが…。

我が家はかなり以前から天理教とは関わりを持っていたみたいですが、信仰らしき物のきっかけは親父が子供の頃(昭和初期)崖から墜ちて(この字であってるか?)もうたすからん!
と言われた時、天理教の先生から「天理教に一生涯捧げるよう。」親父の母が口説かれ、たすかった。
と言うのが信仰の本格的な元一日になるはずだった。
…だった。
と、言うのは、親父にしてみれば、自分で願ったわけではなく、無理矢理まな板に乗せられてしまったわけで、そう容易くまな板ショーなど出来るものではない。
この辺のしこりが親父の人生に影響を与え、常に「やらされている…。」
と言う喜べない生き方となっていったようだ。

この辺野良さんに似ていますなあ。


親父は結婚すると、すぐにカリエスで寝込んでしまいます。
母は所謂バツイチで、実家にも帰りにくくて、己の不運を知ることとなり、今度は母がその満たされない思いを信仰に求めるようになります。

そして、夫婦での布教生活が5年ほど始まります。
俺はその頃に生まれました。
布教生活は挫折し、親父は働きだしますが、仕事を休む日も多く、給料は満額貰えませんでした。
その上、酒と博打が大好物でしたから、家庭の経済事情はメチャクチャでございます。
ですから夫婦喧嘩は絶えません。
そんなむちゃくちゃな家庭環境で天理教の布教所が「夫婦そろって陽気ぐらし」なんて言っても、誰も相手にしてくれません。
実際俺は「どんなに困ったことが訪れても、神に頭を下げないゾ!」って思っていましたから。
この後、夫婦喧嘩から生きるや死ぬや…。
の事情となり、家族揃って、上級教会に住み込むこととなります。

そして、その生活で覚えた言葉が「いそうろう」
俺はまだ小学生でしたので、「居候」の意味も漢字も解りません。
近所から、居候の子供と言われた記憶は今も残っています。

空け番につき、ちょっと寝ます。