1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2008/09/08(月) 21:39:17 ID:OaDkB4VP
いいスレになることをお祈りいたしまする。
3 :
神も仏も名無しさん:2008/09/08(月) 22:04:13 ID:vWFHcdyD
4 :
神も仏も名無しさん:2008/09/09(火) 20:13:22 ID:JXWmS4D2
2chの皆様こんにちは!
まだまだ暑さが残るとはいえ、秋模様となりました。
さて、35周年記念講座もいよいよ今週末となりました。
ジェツェン・カンドー・リンポチェと中沢先生の対談の前に、中沢先生の
『ゾクチェンについて』の講演会が、急遽設定されましたので、連絡させて
いただきます。ご参加いただければ幸いです。一日のみご参加の方はご相談ください。
◆ 『集中修行講座』
テーマ『ミンドゥーリンに伝わる特別な金剛の灌頂』 と 『ゾクチェンの教え
』
日 時 9月13日(土) 10:00〜17:30
講 師 ジェツィン・カンドー・リンポチェ
テーマ『ゾクチェンの教え』
日 時 9月14日(日)9:30〜17:30
講 師 ジェツィン・カンドー・リンポチェ
中沢新一(午後のみ)
会 場 東京グランドホテル(地下鉄芝公園徒歩 2分/JR浜松町徒歩8分)
料 金 TCC会員 2万円
一般 2万5千円
TCC ホームページ
http://www16.ocn.ne.jp/~tcc/ ご予約は チベット文化研究所まで・・・
(電話03-5745-9889 ファクス03-3493-3883)
新スレッドおめでとうごさいます。
セムチェンタムチェ デワタンデワギュタンデンパルキュチ
8 :
神も仏も名無しさん:2008/09/13(土) 23:14:04 ID:tiYhLrzi
>>4 宣伝乙
で、どうよ初日の感想は
責任もってレポートしてよね
9 :
大王:2008/09/15(月) 23:10:41 ID:lc5VpdTx
で、グルク派さんは、在家だとどんなっ修行するんですか?
10 :
神も仏も名無しさん:2008/09/17(水) 01:23:02 ID:P1IZFna7
ゲールク派の在家信徒は、
オンマニペメフムと観音菩薩のマントラを唱えたり、
マニ車をまわしながら仏塔の周りを回ったり、
ラジバンダリ
11 :
神も仏も名無しさん:2008/09/17(水) 13:37:49 ID:NtZYdxKV
ゲルクは出家主義
12 :
大王:2008/09/18(木) 16:09:11 ID:uWz7ZXB4
瞑想、観想はあるんだろうか、ゲルクの在家信者には?
ダライラマ、瞑想の手法の本を出していたのを見た事があるが、
13 :
神も仏も名無しさん:2008/09/19(金) 01:35:53 ID:iWI9T547
ゲールク派は伝統的には在家信者には密教の観想法などはほとんど教えないです。
もっとも海外ではラムリム、ガクリムを教えますが。
14 :
大王:2008/09/19(金) 16:15:00 ID:ZN+PXGDA
ゲールク派の在家には教義は教えるんですか?
顕教レベルの
内容とかは?
15 :
神も仏も名無しさん:2008/09/19(金) 16:32:05 ID:iWI9T547
もちろん顕教レベルのことは教えますよ。
・人として生まれることのありがたさ
・無常
・輪廻の苦しみ
・因果
そして、
・帰依
・発菩提心
です。
これは、チベット仏教四派で共通して重点的に説かれる教えです。
この教え方は、カダム派の基礎を作ったアティーシャの説いたもので、
チベット仏教各派に受け継がれているのです。
16 :
大王:2008/09/19(金) 16:36:48 ID:ZN+PXGDA
ゲルク派は悟らないと輪廻すると言う想定ですよね、死者の書もニンマ派的な浄土宗的じゃないんですよね?
在家だと修行で、どの位置まで修行が進むと想定しているんでしょうか?
17 :
大王:2008/09/19(金) 16:38:15 ID:ZN+PXGDA
ラムリム、ガクリムだとどの程度の位置まで修行が進むと想定しているんでしょうか?
18 :
天照大神:2008/09/20(土) 02:29:44 ID:LLvSK+RT
サンドイッチマン
19 :
大王:2008/09/20(土) 21:54:48 ID:UWCE2mye
あと、ラクリムと菩提道次第論は関係あるんでしょうか?
ダラムサラに行くとカーラチャクラタントラの潅頂を受けることもできるようですよ
21 :
大王:2008/09/24(水) 18:46:54 ID:5NIzCCKc
カーラチャクラタントラの潅頂を受けて、在家ではどのレベルまで想定しているんでしょうか??
もちろん、在家だと、出家並みに律を守るのは不可能になるでしょうけれども、
その辺は寺やラマによってもちがうでしょうね。
ニンマ派では在家行者が虹の身体の悟りに達したりした例もあるようですが、
ゲルク派においてどうなのかは、私の知識の範囲ではわからないです。
冗談ではなく真面目に言って、それこそダライ・ラマ法王にでも質問しないとわかりません。
23 :
大王:2008/09/25(木) 22:56:49 ID:L4OcfJ8U
回答ありがとうございました。
ゲルク派のタンカとにらめっこして、不思議な、意味不明な、でも説明上成り立つ、
事が3つあったなあ。
24 :
すか?:2008/10/03(金) 17:41:25 ID:Ty0yTbJ4
保守じゃ。
>>24 乙
>4に参加した人は大変感動したと言っていました。内容は内緒だとの事。ゾパリンポチェの会に参加した方いらっしゃいますか?伝え聞く分には参加資格を厳しくされて好印象なのです。次回来日時の参考にしたいので一言よろしく。#コロコロ〜マトウギ〜。
26 :
大王:2008/10/05(日) 22:30:54 ID:q9DscbDR
行きたいのだが、関西人なのだ、ゲルク派タンカとにらめっこできる場所が2時間ぐらいの所にあるだけなのだ、
関西進出するのは何時でしょうね。
27 :
神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 00:10:04 ID:aAeGoOVq
なんか過疎ってルナー。
わたしも最近チベット仏教に興味をもって、少し本などをめくったり、インターネットをながめてたりした程度ですが。
めっちゃ正等な仏教理解の上に成り立っている体系ですね。
しかも密教などは日本においては越三昧耶といわれかねないぐらい一般にオープンにしていて、これはたいへんだろうなー、ええんか?というところ位まで直裁的な表現を使っているし。
欧米での展開は盛んらしいのですが、もうちょっと日本での展開も積極的に行ってくれんのかなー。
この板であまり政治がらみの話をしたくはないが、やはりダライ・ラマ14世がおおっぴらに活動しにくいせいもあるのかなー。
もっと日本の仏教界は教理も含めて積極的に交流すべきだよなー。
特に顕教の理解はそう日本の仏教理解とそう変わらんが、密教についてのとりかたについては、いろいろと検討できることが多い様に思うので、もっと互いに理解を深めあって欲しいなー。
29 :
大王:2008/10/11(土) 23:39:50 ID:2/LdT6iD
ゲルク派、ダライラマ所は頓悟ではないなあ、論理的だしね、
日本仏教だと法相宗奈良薬師寺は頓悟ではないぐらい、
ニンマ派と日本仏教は交流可能性の余地はあるかもね、
仏教界が交流するよりも、ひとりひとりが直接活動してるラマとコンタクトとっていって、
日本での活動を活性化していく方向のほうが現実的だと思うよ。
今の日本のお寺は、自分とこを次の世代まで維持するのも難しいところが過半数。
>>30 いや、別にわたしは日本の仏教が衰退して欲しいと考えているわけではないんですけどね。
ただ、日本の仏教は自らの宗門についてはそれなりに学びはするのだけれど、自らの宗門のこもってしまって、
親睦的な付き合いはするのだけれど、教理的な交流は少ないと思うので。
その点、ダライ・ラマ14世の講演本などを読むと、いやー幅広く勉強してるなーと思ったりするので。
脳科学の分野にまで関心があるようで。
別にチベット仏教にかぎらず、仏教界自体が全体として活性化したら良いんでないかい、と。
ただこれから先、真に仏道が求められているのか。
そして、仏道で今要求されていることにこたえられるのか、というのはまたひとつの問題ですが。
>>29 ゾクチェンスレなどで大王さんの言説はざっとはみていますが・・・。
ゲルク派、ダライラマの所もよって立つところは頓悟だと思います。
というよりか、チベット仏教は総じてそうだと思います。
そうでなくてはサムエー宗論で摩訶衍を放逐した意味がない。
中観帰謬論証派というのは、頓悟であるというのが私の理解なのですが。
中観自立論証派の瞑想法を使うのは、瞑想の基本的な行い方を修するのに教えやすいからであって、無上正等正覚に至る、という意味においては、頓悟であると思いますよ。
確かに体作りはきちんとしていかないと、けっこうたいへんですが、本来、無上正等正覚に至る、ということに限定すれば日本の大乗仏教理解と空や中のとらえかたは、そうは違わないと思います。
>日本仏教だと法相宗奈良薬師寺は頓悟ではないぐらい
というのは空海の法相宗理解の通りだとするならばその通りですが(私自身は直接はその教理を学んだことがありませんので)。
ただ無著や世親自身が仏道をさらに空性をどうとらえた上で唯識の体系を残したのか、というのはもっときちんと検討してみたいですけどね。
ゾクチェンスレであった、
333 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2008/07/10(木) 23:33:38 ID:tOicyGQ5
>やはり中核に止観を置くべき
それはちょっとおかしいですね。
仏教すべての基礎は三法への帰依です。
大乗では、加えて発菩提心があります。
止観はその基礎の上にあるものではないですか?
少なくともチベット仏教では、どんなときも帰依と発菩提心から心を離さないように解かれています。
335 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2008/07/10(木) 23:34:13 ID:tOicyGQ5
臨済宗では谷中の全生庵と鎌倉の円覚寺の居士座禅会に参禅したことがありますが、
帰依と発菩提心の基礎を説かずに、印を結んで臍下丹田に力を入れろということは説いているので、
ちょっと順序がアレなんじゃないかなぁ?と率直な疑問を持ちました。
さすがに帰依と発菩提心の文句は日課経典集の中には含まれていましたが。
339 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2008/07/10(木) 23:42:41 ID:tOicyGQ5
そうなんですか。チベット仏教では、ニンマ派でもゲールク派でも、
ナーガルジュナの中論や、そこから発生した中観帰謬論証派の見解を
帰依と発菩提心の上に成り立つものとして位置づけていますね。
帰依と発菩提心をおろそかにして超越した日常智を直線的に行くというのは、
ある意味、密教やゾクチェンよりも危険ではないかと思います。
この意見にわたしは賛成です。
教理をいくら追求していっても、それだけでは仏道の本質にたどりつけないように、
いくら境涯を追求していっても、仏道の本質にたどりつくのは難しいと思います。
仏の仏たるゆえんは何なのか、その根幹を真に得なければ、真に仏と成ることはできません。
(別にわたしは仏を最上のものとしているわけではありませんが。)
仏と法と僧を最上とするのが三帰依です。
>>35 すみません。少し訂正します。
(別にわたしは仏道を最上のものとしているわけではありませんが。)
に。
仏道を成すものにとっては、その通りですね。
また少し訂正。
仏道を歩むものにとっては、その通りですね。
に。
仏道を成すもの、は仏道の限界を知り、さらにその限界を超えていこうとすれば、そのむこうが現れてくるはずです。
仏道における密教はそのむこうの方法論を仏道においてある限定した条件下で行っているものだと思っています。
38 :
神も仏も名無しさん:2008/10/13(月) 22:33:18 ID:oDIgeSW+
>>25 >伝え聞く分には参加資格を厳しくされて
って具体的にはどんな感じなの?
中身じゃなくってその厳しくした参加資格っていう奴?
ホームページには特に書いてなかったように思ったけど。
39 :
大王:2008/10/14(火) 22:01:45 ID:Vyh20aRS
32さんへ、返答遅れた、最近、衆生済度傾向スレで遊んでいたからなあ、
ゲルク派はあと、出家主義、戒律を重んじますからね、
その戒律を生真面目にやっている日本仏教(実体は不明ですが)は現在、律宗奈良唐招提寺、真言律宗奈良西大寺ぐらいか、
日本人は律に不真面目ですからね、
大乗仏教が本来、維摩の様に在家主義だとすれば、日本仏教の形態も、ゲルク派から見れば堕落ですが、世襲はいけないが、スタンスはいけているんじゃないかと、
日本仏教の堕落は、寺院の世襲制を容認している部分だろうと、檀家自体が葬式仏教を前提として、世襲を容認している観があるね。
40 :
大王:2008/10/14(火) 22:09:22 ID:Vyh20aRS
>そうでなくてはサムエー宗論で摩訶衍を放逐した意味がない。
チベットサイドは中観自立論証派らしいですよ。
その流れで、ゲルク派は、出家律と出家主義の悟りの構造ですから、
維摩スタンスの在家頓悟を想定しにくいですね。
日本仏教は、禅、(曹洞宗の道元当人は当初出家主義だったらしいですが)、
修験道などは、在家主義要素(在家でも頓悟可能)が強いです。
41 :
大王:2008/10/14(火) 22:15:17 ID:Vyh20aRS
>帰依と発菩提心をおろそかにして超越した日常智を直線的に行くというのは、
ある意味、密教やゾクチェンよりも危険ではないかと思います。
竜樹の中論をラディカルに捉えれば可能ですけどね、
臨済宗は実践即応主義ですから、宗教無視的に伝達能力があるんですよ、
極めると、他者を救済する能力が現実的な人間力の延長で可能になる。
日常、当たり前の事実を前提に他者救済となるわけです。
そこが強みですわ。
当然、親切でない分他仏教よりも難易度が高くなるし、極道世界修行ですからね。
他仏教だと神通力、サマディー的な力を前提としますから、
当然、菩提心とか必要でしょうね。
42 :
神も仏も名無しさん:2008/10/15(水) 05:13:27 ID:zRd5vTKg
大王さん。
>チベットサイドは中観自立論証派らしいですよ。
確かに、サムエー宗論で摩訶衍の相手をしたカマラシーラ(で良かったのかな?)は中観自立論証派らしいですね。
(チベット仏教初心者ですみません。)
ですが、現在のチベット仏教は中観帰謬論証派ですから、よって立つところは頓悟で良いと思います。
わたし的には、出家か出家でないかの本当の違いは、寺に入るか入らないかではなく、
仏道をまず中心としてそれから生活修行があるか、生活の中に仏教があるかの違いだと思っています。
ですから、帰依(というより帰命)と発菩提心(というより菩提心そのもの)が仏道を歩む上で絶対条件となる。
つまり仏道は、何かを為すための手段ではないということです。
仏道そのものが絶対性を持つ。
その上での境涯ですから、境涯が仏道の上に立つわけではない。
>臨済宗は実践即応主義
というのはその通りだと思いますが。
それとて仏道そのもののひとつの現れに過ぎない。
たぶん上の書き込みをした方もそうことが言いたかったのではないかと。
帰依と発菩提心は確かにわたしの言った意味でも、在家かもしれません。
が、その為に浄土の門が仏道には開かれているのですから、別に良いのです。
これとて、頓悟によっています。
少しチベット仏教と逸れてしまいましたが・・・。
つまり頓悟と漸悟のほんとうの違いは、空性をどうとらえるか、にあるということです。
その空性のとらえかたがチベット仏教においても頓悟のとらえかたをしているということです。
もちろん大半の日本の仏教もそうです。
ですから顕教の理解は日本の仏教理解とそう変わらん、と書いたのです。
32さんにとってテーラワーダは頓悟ですか?
45 :
神も仏も名無しさん:2008/10/16(木) 23:26:40 ID:Hiqhd66p
テーラワーダという言葉がわからなかったのでインターネットで調べてしまいました。
(私の仏教知識などその程度のものです。)
日本では上座部と訳されているものですね。
ヴィパッサナー瞑想といわれるものも最近数ヶ月前に調べて知ったぐらいですので。
そのほんとうのところは違うかもしれませんが。
わたしが少し調べて理解するところでは、たぶん頓悟ではありません。
ただ、日本の禅などでいう見性まではたどりつくのではないでしょうか。
そこから先はやる人しだいでしょうね。
もし、見性したことでそれを無上正等正覚に至ったと勘違いしたらその先に自ら進むことは難しいでしょうね。
それぐらい見性体験ははじめての人には強烈ですから。
頓悟と漸悟の違いをもっともよく示しているのはやはり慧能と神秀の偈でしょうね。
まあ、こんなことはわたしが言うまでもなくご存知でしょうが(笑)。
46 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 00:27:07 ID:e3n8yI0N
ではなぜ釈尊がそのような瞑想を行わせたのかというと、ゴータマ自身が歩んできた道だからです。
ゴータマが修行をはじめたとき、三人の仙人のもとで修行していますよね。
その二人目の仙人のところで見性を、三人目のところで不生の境までゴータマは辿り着いています。
そのあと六年の苦行は、まったく無意味な修行ではあるととらえる方もおられるかもしれませんが、そうではないとわたしは思っています。
あれは禅でいうところの悟後の修行を行っていたと思っています。
(ですから禅で印可を受けてもそれは無上正等正覚に至ったということではありません。)
まあ、もうちょっとやりかたはあったと思いますが・・・。
そして、乳粥を飲んだときにそれ(チベット密教でいうところのリクパ)がいついかなるときにおいても失われないということがわかって、無上正等正覚に至った。
これが、白隠だとコオロギのこえを聞いたとき、ということになります。
ゾクチェンでいうところの、パトという音声を発するときがそのときです。
ちょっと先に進み過ぎましたが、その自らが辿ってきた道を修することを行わせるために、そのような瞑想法を説いたのでしょう。
ダライ・ラマ14世のゾクチェンについて語った講演などをみると、そこのところは完全に理解(つまり通り自ら確認)したうえで話されていますね。
さすがです。
ただ、無上正等正覚に至ったことを成するにはさらに先にすすまなくてはなりませんが。
それが菩提樹の下でゴータマが行っていたことです。
そして成道した。
ただチベット密教の時輪タントラはそれ以上のことを示しているのですから、まあ仏道の範囲を超えているといわれても仕方がないと思います。
故にそれを仏教として語ってしまう業はチベット仏教は背負わなくてはならないと思っています。
ざっというとこういうことであると思います。
私は凡俗です。見道に至る段階的な修道を尊重します。
また、ミロク菩薩が説かれた如来蔵について正しい理解を
起こしたいと思います。
32さんの頓悟とは仏種や如来蔵を意図されているのでしょうか?
10年ほど前、日本の仏教学会で如来蔵についての論争が
あったそうです。学者の松本史郎先生の御本が参考になる
と思います。如来蔵の立場を不正確に採用すると戒の軽視や
生活の放逸に流れる傾向があるそうです。
48 :
大王:2008/10/17(金) 18:25:12 ID:bEzUtVEu
42さんへ、
中観帰謬論証派は本来は、否定によって理解されるものだから、論理的説明不可。
ゲルク派は論理的スタンスを持っています。
故に、中観帰謬論証派と中観自立論証派との統合らしいですよ、正確に言えば。
小品般若経にも、菩提心を持つと言う意識があるのは正しく無い。と否定論理なんです。
臨済宗も、否定論理があって、悟っていなくても殴り、悟っても殴る、これは否定のみではないのですが、否定要素もあります。
妙心寺派の開山の話も、
ある遊行修行僧が来て、生死を極めにきましたと言うと、
開山は、「ワシの所に生死は無い」と言いとん殴り、追い出した、
この行為は拒絶ではないのです。
この行為自体が悟りの働きを現しており、説明不可であり、否定で示している意味もある訳です。
49 :
大王:2008/10/17(金) 18:30:32 ID:bEzUtVEu
臨済宗の菩提心はあるか、と言えば、
言葉によって説明できる物は無しで、心に保つ物も無い。
ただ、極めた師の行いと現れにおいて、他者救済の働きが現れており、
言葉ではない、師をヒントにして、
最初から明確であると言われる究極に至るのみ。
50 :
大王:2008/10/17(金) 18:39:52 ID:bEzUtVEu
たぶん、ゾクチェンと臨済宗の違いは、
臨済宗は自明性への現れ。
ゾクチェンは根源生命感覚とサマディーの内にある現れ。
と、想像しているんだけどね。
ゾクチェン、ゾクリムも、オートマチィックに、インスタント的に理解しちゃったおかげで、
霊能力?的なサマディー的存在と教義的対話?ひらめき能力が増大したおかげで、
臨済宗が密教的に修行が進んでしまったからな、もっとアナログ的追い込みを突きつけられるのが臨済宗だが、
見性が密教的にやってきたな。
それでも、密教程、即、日常生活で使い道が出来上がらないのが、臨済宗のヤクザな所。
なんやかんやと、アナログ的努力も少しやって
臨済宗も日常生活使い道がでてきたなあ。
51 :
大王:2008/10/17(金) 18:42:35 ID:bEzUtVEu
立川武蔵氏に言わせれば、唯識を除く日本仏教の空の論理は、ゲルク派には論理的でないと、理解されないだろうと、あります。
52 :
大王:2008/10/17(金) 18:52:53 ID:bEzUtVEu
日本仏教の衰退の理由は。
1、江戸時代の檀家制度、寺の役所化、葬式仏教で完結的になりだす。
2、明治政府の廃仏毀釈。寺の世襲可能になった事。修験道の完全弾圧と密教軽視。
で、日本仏教は、江戸時代でも修験道、神仏習合仏教が力があった。
そして、日本仏教は、禅、唯識等の空重視仏教よりも、
チベットよりも、
人格仏ヒンズー的な
真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、時宗などの方が、主流ですからね。
人格仏仏教の象徴である修験道、神仏習合仏教を破壊しつくした故に、
日本仏教の生命力が無いんです。
禅は少数派ですからね、少数精鋭で力を保持してきたようですが。
禅故に、明治時代の文明開化近代化時代にも対応できたようですし。
まあ、なんだ釈尊は師に就いてサマタ瞑想を極め、
それで悟れなくてヴィパサナをやって解脱した訳だ。
>>53 いい加減な事を言うのは、大王さんですね・・・[電柱]д ̄) チラッ
>>48-52には賛成。
立川先生の御意見も貴重。
後は42さんのご意見待ちですね。
56 :
32:2008/10/18(土) 01:47:05 ID:DNIbINSl
>>47 >見道に至る段階的な修道を尊重します。
>ミロク菩薩が説かれた如来蔵について正しい理解を起こしたいと思います。
それは凡俗であるかないかにかかわらず、すばらしい態度であると思います。
頓悟であるというと、いきなり無上正等正覚に至ると勘違いする方が多くいますが、そうではありません。
わたしが上に書いたように、空性をどのようにとらえるか、ということです。
無上正等正覚に至るまでには、一段一段階梯を踏んでいく必要があります。
ただ、階段がそうであるように、次の階梯にあがるときはまさに頓です。
ゆえに頓悟というのでしょう。
禅の公案などで悟ったとあるのは、無上正等正覚に至ったという意味ではなく、その次の階梯にのぼったという意味です。
ただ、どの階梯にのぼったのかが書いていないので、一般の方が読むと誤解を招いてしまうと思います。
わたしも学究の徒ではありませんので、その論争や、学者さんの本については存じませんが。
一般的にいうと、わたしが上に書いた出家と在家の違いにつきると思っています。
ほんとうの出家は不生の境以上の階梯のことをいうと思っています。
そういう意味では維摩は出家者なのです。
つまり維摩経は在家のあり方を説いた経ではなく、ほんとうの出家とは何かということを説いた経であると思っています。
そしてほんとうに仏道に帰命と菩提心をもって不生の境にいるものは金剛不壊の戒体を持つことになるので、
そこではじめて禅で言う悟後の修行に入る準備ができた、というわけです。
ですから、わたしがいうことは、わたしがいうところの在家者がとらえるようにとらえると、誤解を招きますので、そこのとろはご承知を。
あくまで本来の仏道的立場から書いています。
そうでなければ如来蔵などは何の意味も持ちませんから。
57 :
32:2008/10/18(土) 01:50:43 ID:DNIbINSl
大王さん。
>中観帰謬論証派は本来は、否定によって理解されるもの
これが、頓悟における空性理解でしょう。
ですが、ほんとうに不生の境に入ると、
>論理的説明不可
とはなりません。向かわんとすれば背く。ということは不可得であることに真に入れば、論理性は持つのは当然のことです。
盤珪がいう不生でととのうとは、そのことです。
論理性が成立しなければ、ととのう、とは言いません。
八不が法門になるのはそのゆえです。
中観帰謬論証派の空のとらえかたと、論理性が相容れないものであるととらえている時点で、大乗仏教的にはだめです。
ここに中観自立論証派との決定的な違いがあります。
臨済宗が大王さんの言うところの極道修行だというのは、その悟後の修行においてであって(それも修行のやりかたとして正しいとは思いませんが)、
不生の境を過ぎずに、日常智を直線的に行くというのは正しいこととは思いません。
>竜樹の中論をラディカルに捉えれば可能ですけどね
と書いておられるので、いきなり極道修行と言っているわけではありませんが、きちんと階梯を明らかにした上で語らないと、誤解を招くと思います。
禅病などはその最たるものです。
ただ、臨済宗の僧侶であってもそこのところをきちんと理解している者は多くないようです。
ですのでそういった意味でも、チベット仏教などと教理的にも交流して欲しいな、ということです。
(まあ、顕教は日本の仏典だけでもきちんと学べばそうはならんのですが。ただそれを修行において細かいところまで読み取ろうとすれば難しいでしょう。
ですから正師において真につくことが大切なのですが。ほんとうに交流してほしいのは密教のところ。)
58 :
32:2008/10/18(土) 02:01:06 ID:DNIbINSl
たぶん大王さんの言っていることで一番危ういところは
>宗教無視的に伝達能力があるんですよ
というところですね。
これだと「ま」がはいっていても気付かないと思います。
この世(現世という意味ではない)においては一番気をつけなければならないところです。
(この世を出ればまた別の見解がありますが。)
ですからわたしは大王さんの臨済宗の理解のしかたが正しいとは思いません。
>臨済宗は自明性への現れ
というのは、あくまでも不生の境を通っての上のことです。
単に見性するのと、不生に境に入るのでは格段に違いがあります。
そこのところをきちんと踏まずにいきなり先に進むからおかしなことになるのです。
はっきりいって、大王さんがいう
>ひらめき能力
など、ほんとうの仏道においては少しも役には立ちません。
というよりそのようなものを、ほんとうに見極めていく眼を持つことが、本来の仏道においてなされることでしょう。
密教もそのうえに成り立つもので、そこのところを踏まえなければ、ただの左道でしかありません。
何のために、ツォンカパが密教教義の解釈に中観派的な視点からの捉え直しを行ったと思っているのですか。
59 :
32:2008/10/18(土) 02:20:43 ID:DNIbINSl
>>51については。立川武蔵氏のような学識ある専門家に反論しようとは思いませんが。
ダライ・ラマ14世はたぶん漢文は読まれないと思いますが、空海の十住心論の第六−九住心などを読まれれば、たぶんチベット仏教と通じることを多く見出すと思います。
第十住心については確かにチベット密教のほうが、理解と整理が進んでいると思いますが。
ですが、それとて空海の大乗起信論およびその注釈書である釈摩訶衍論の理解をみると、そう悪くないと思っています。
時輪タントラにおいて、中央をアシュクにしていることは、慧眼だと思いますが。
しかし上にも書いたように、それを仏道において語ることは問題があると思っています。
>>52については。
1は単に政策的な問題ですので言及しませんが(これを語りだすと徳川幕府の位置づけまで語らなくてはならなくなるので)。
2は、わたしは、廃仏毀釈は問題であると思いますが、神仏習合を分離したことは良かったと思っています。
もちろんその後、神道を国家のものにしてしまったことは問題ですが。
今現在はそういうことになっていない(一部を除いて)ので現在の状態はそう悪くないと思っています。
仏道的に問題なのは、ほんとうの意味でのやる気のある人が少ないことでしょうね。
そういうものに興味がある人でも、きちんとやろうというよりも、自分の方に引き寄せてしかやろうとしませんから。
つまり、わたしのいうところの出家者が皆無に近いぐらいいない、ということです。
しかしそこが仏道の限界であると思っているので、わたし的にはもうどうでも良いのですが。
このスレはチベット仏教スレですのでこれについてはこれ以上は言いません。
32さんへ
まず大変価値のある書き込みに感謝いたします。ありがとうございます。
さて、不生の境とは絶命束縛即自在の位であると思います。
チベット仏教はさておき本家本元の日本にその命脈はあるのでしょうか?
継ぎ木を望んでも根が断たれていれば先の無いこと。
社会にそのような存在を望むだけの深みと底力が残っていますでしょうか?
なぜそのように問うかと言えば、32さんのお話の中に
ありました論理性についての要求が変化している
と思われるからです。社会的な要求です。
非常に極限的な厳しい判断を要求される専門分野、社会層には
今後も不生に近似の文化様式が以前と寸分変わり無く引き継がれる
、と私も思います。
本当に人は善く生きることができる。生き返る事ができる。
人生の可能性という大きな代償。幻の大きな代償を支払えば。
ですから32さんが不生や頓悟に拘る気持ちも判らなく
はないつもりです。
64 :
32:2008/10/19(日) 02:56:09 ID:lQeZjRM5
>>60-63さんへ。
いえ、こちらこそきちんとわたしが書いたことを読んでいただいてありがとうございます。
>不生の境とは絶命束縛即自在の位であると思います。
ここでいう、絶命束縛即自在の「束縛」をもう少しきちんと明らめるとおもしろいと思います。
「束縛」を妄想分別であるととらえるならば、不生の境に入ることはそこから抜け出すことですし、
逆に理に入るととらえると、「束縛」は理剣が真に入ったととらえることができるからです。
>その命脈はあるのでしょうか?
この質問はわたしのほんとうに行おうとしていることからすると、実は深い質問なのですが。
ただ、
>チベット仏教はさておき本家本元の日本に
という質問ですので、命脈そのものについていうと、あります。
というよりも、むしろ真に求めるところがあるものについていえば、命脈そのものは我々がふだんから接することができるレベルであります。
65 :
32:2008/10/19(日) 03:10:17 ID:lQeZjRM5
61-63についていえば、これこそ、たんなる興味本位ではなく、真に求めるところがあるのかないのか、という質問ですので、非常にすばらしいと思います。
正直申しまして、仏道だけでは維摩のように衆生病むがゆえに我も病む、となって少なくとも現在の社会において道を成していくのは非常に難しいと思います。
それは仏道を成しても、そうです。
そもそも仏道は仏知見のゆえに現れた道ですので、それ以上を仏道に求めることは仏道そのものを見誤らせることになります。
ですから無上正等正覚に至り成すれば、すべての問題が解決する、と考えるのは間違いです。
では仏道は今現在まったく無意味なものなのか、というとそうではないと思います。
もしそれ以上に進もうとするならば、仏道を成していなければ難しいでしょう。
つまり、無上正等正覚に至るまでにひとつずつ階梯を踏む必要があるように、仏道以上に進もうとするならば、仏道を成しておくことは必要なことなのです。
では自ら成したいことをこの現在の社会においてどう成していけばよいのか、ということになりますが。
まず最初に言ってきますが、道を歩むのでしたら、少なくとも自分の思い描く人生計画通りに生きていくことは難しいでしょうね
(まあ、普通の人でもそんなにうまくいく人は少数でしょうが(笑))。
ただそれは、別に社会生活を捨てろ、と言っているわけではありません。
ただ逆に自分のそれまでの価値観では100%受け入れられないようなことを受け入れなければならないときが、必ずくるでしょう。
ただ、それは反社会的な極道生活をしろ、というわけではありません。
本当に不生のものでないと、道そのものを成していくことができないのです。
そしてもっと大切なことは、志をもって、志をつらぬいていくこと。
この志ゆえに、自分のそれまでの価値観では100%受け入れられないようなことを受け入れることにさえ、踏み込むことができるのですから。
まあ、逆にいえば道を成していくことは複雑なものではなくて、シンプルなものなのです。
ただ、そのシンプルさをつらぬいていくことが難しいことなのです。
そのためには、少なくとも仏道を成するまでは、正師において真につくことを学ばなくてはならないでしょう。
その後からは、自らの志しだいです。
ざっというとこんな感じかな?。
66 :
大王:2008/10/19(日) 18:37:16 ID:UFWqRf3/
>臨済宗が大王さんの言うところの極道修行だというのは、その悟後の修行においてであって(それも修行のやりかたとして正しいとは思いませんが)、
あのね、りんざい録、碧眼録を読んでから、正しいとか、言いなさい。無責任な。
あと盤珪は曹洞宗よりですよ、
臨済宗の歴史上主流ではありません。
>きちんと階梯を明らかにした上で語らないと、誤解を招くと思います。
それをやってしまうと臨済宗ではありません。理解せずに意見するのは如何なものでしょう?
仏教全てに、別に階梯を必要無いと言っている訳でではないです。
臨済宗において、そうであるだけでです。
32氏も、ゲルク派の教理のスタンスで全てあるべきだと言う主張に見えるのですが?
私は別に臨済宗の主張をチベット密教に押し付ける意図はないですし、
チベット密教が正統派デハナイと言う主張する意図もありませんが。
67 :
大王:2008/10/19(日) 18:48:49 ID:UFWqRf3/
あとカギュ派のリンポチェが在家になった、チョギャム・トゥルンパ
はいいなあ、
禅的で、
ゲルク派は総合学派の色気があり過ぎですね。日本だと日本天台宗て言う所かな。
論理的で、説明しようとする色気が中観自立論証派的な感じですね。
あと江戸時代の檀家制度と葬式仏教、
葬式仏教はもはや、死者供養儀式重視で全仏教宗派で盛んになる。
葬式仏教は各派教団の開祖の教義不要ですから。
それが現在まで来ているんで。
32氏も変な対抗意識を持たないでね。
68 :
大王:2008/10/19(日) 18:55:38 ID:UFWqRf3/
>58 :32:2008/10/18(土) 02:01:06 ID:DNIbINSl
たぶん大王さんの言っていることで一番危ういところは
>宗教無視的に伝達能力があるんですよ
というところですね。
これだと「ま」がはいっていても気付かないと思います。
この世(現世という意味ではない)においては一番気をつけなければならないところです。
(この世を出ればまた別の見解がありますが。)
価値判断を、勝手にするねえ、
日本史上、臨済宗檀家、在家修行者の役割が強いんですけどね。
幕末、勝海舟、いま大河のドラマ篤姫にでてくるなあ、
あと終戦直前の総理大臣鈴木貫太郎、
どちらも殺人テロをやりかねない馬鹿が多い中で、日本破滅(戦争続行によるソ連分割占領の危機、内戦による西欧植民地の危機、より地獄状態を回避したのだが、
両者とも、宗教教義を振り回したのではなく、修行の精神力で、世俗的解決能力があったのだがね。
宗教絶対主義で知識が増大すると、実用性も危険になるのですか?
69 :
大王:2008/10/19(日) 19:02:58 ID:UFWqRf3/
あと、ゲルク派、中観自立論証派、天台宗は、
真諦と世諦を分離する訳ですな、それ故に説明可能であり、迷い、と悟りを想定するわけですわ。
空と縁起を分離的に捉える訳ですな。
臨済宗、中観帰謬論証派は本来は、否定であり、空と縁起は同時的であり、説明不可なんですわ。
中村元氏の竜樹、講談社文庫だったけ、書いてありますな。
ちなみに、ゲルク派を批判している訳ではなく、むしろ親切だと思っているぐらいですわ。
教義的に語っているだけで、臨済宗が絶対正統派であると主張しているのではありませんので。
70 :
大王:2008/10/19(日) 19:34:01 ID:UFWqRf3/
否定であり、空と縁起は同時的であり、説明不可であるから、
空と日常(縁起)は同時であり。
流転し、形が無い故に、
否定で現すしかない。
流転するものを固定化できない故に、説明すると、外れてしまう。
中論は、否定で、説明不可を現していると。
中論だけを選ぶ場合と、論理的説明を必要と想定すると、流派の姿勢が教義の差が生まれるのだと。
どちらが優れている、正統派だと言う意志は、私にはありませんのでアシカラズ。
71 :
32:2008/10/20(月) 01:33:24 ID:bVsUHpQ7
ここはチベット仏教スレですので、あまり逸脱したことは書きたくないのですが・・・。
大王さん。
あまり、論争をするつもりはないのですが。
ざっと、みたところ、大王さんのいうところは、仏道にもとづいて何か語っているというより、ただの個人的感想ですね。
今現在の、日本の臨済宗は白隠の系統であることは知っていますよ。
その白隠も、階梯を踏んでいたことは、白隠自身が書いたものをみれば、一目瞭然ではありませんか。
それとも、大王さんも正受老人にあなぐら禅坊主や妄想分別と言われたいのですか。
わたしは別に仏教の専門家ではありませんので、仏教の教理を統合的に整理しようと思っているわけではありません。
ただ、わたしのできる範囲でこのスレで書かれたことについて、仏道の視点から語っているに過ぎません。
(ダライ・ラマ14世の書いたものを読んで、よく勉強なさっているなあ、と感心するぐらいです。
しかも自らでどこまで確認したのかをきちんと理解した上で語っておられるのはすばらしいと思います。
自らで確認していないものまで、妄想分別で語ってしまうということが、この板でも多くみられますから。)
>葬式仏教は各派教団の開祖の教義不要ですから。
まあ、今現在の僧侶がどこまで開祖の根幹のところを理解しているかは別ですが。
少なくとも、開祖の教義不要で仏教葬式をやっているわけではありません。
わたしもそう多くお葬式に出席したわけではありませんが。
きちんと仏がきて導きを行っていますよ。
つまり、きちんと授戒(密教では灌頂)して、ちゃんとした修法が伝わっているということです。
ですから、帰命と菩提心がなければ、と書いたのです。
72 :
32:2008/10/20(月) 01:46:57 ID:bVsUHpQ7
>>68 については。
わたしがいうところの、出家と在家の違いをきちんと理解していれば、そのような発言にはならないと思います。
わたしも、幕末の志士のなかで、勝海舟をたかく評価していますが。
そのような歴史上の人物で、こころをおさめることをおろそかにしたものはいません。
そのようなこころをおさめることなしに、かってな妄想で戦争につきすすんでいたのが、ヒトラーであり、戦前の日本ではなかったのですか。
>修行の精神力で、世俗的解決能力があった
少なくともその修行は大王さんがいわれるような修行ではありません。
そのようなきちんとこころをおさめようとしたものと、
>宗教無視的に伝達能力
を同じものであるととらえることは、こころをきちんとおさめようとしているものに失礼です。
>>69 については。
それは真如門と生滅門の関係性をきちんと理解していないということを宣言しているような書き込みですね。
はっきりいって大乗仏教的には完全に間違っています。
この程度の理解のしかたしかしていない者にそこのところを語っても無駄なので、これ以上語りませんが。
(これまでのわたしの書き込みを見てきちんととれないようでは、現時点では無理です。)
大王さんも妄想は程々に。
これ以上、チベット仏教とあまり関係のないことを語るとこのスレに迷惑をかけることになるので。
もし、チベット仏教と関係のないことで、書きたいことがあれば。
個人的感想を語りたいのであれば悟りスレへ。
仏道について語りたいのであれば阿耨多羅三藐三菩提スレへ。
禅一般について語りたいのであれば、坐禅と見性スレへ。
密教について語りたいのであれば、神社仏閣版の密教スレへ。
臨済宗など各宗門について語りたいのであれば、神社仏閣版のそれぞれのスレで語るべきでしょうね。
(まあ、さんざん書いたおまえがいうなと言われればひとこともないのですが。)
60-63さんもききたいことがあれば、この場合阿耨多羅三藐三菩提スレが適切であると思うので、そちらに書き込んでください。
というわけですので、このスレでの、チベット仏教以外のわたしの書き込みは終了です。
73 :
華厳経命:2008/10/20(月) 01:59:34 ID:qbompb8+
シャーンティデーバの入菩薩行論「チベット仏教菩薩行を生きる」
大法輪閣刊が絶版になってしまった
ポタラカレッジに問い合わせたところ、「もうその本は無いですね」と
冷たくあしらわれた
ざけんじゃねーよ
でも、幸いにして旧約のサンスクリットからの翻訳「悟りへの道」を
持っているので助かった。
ダライラマは「華厳経」を読むといいと言ってたけど
やはり入菩薩行論は華厳経の注釈書だとわかった
ぜひ読んでみてください
▼・ェ・▼よー 汝と爾は、今、何時?
大王か・・・(汗)
同じ問いを何年続ければ、学ぶのかなー
2ch中のスレで繰り返す・・・
理解力欠如は、どこから来ているのだろうか。
他に責任転嫁をして、みずからには問うことが、無い。
うつろな言葉を書き連ねる。
一度、きちんと自分と向き合え。
その能力に欠如しているのであれば、ご両親に付き添いを仰げ。
今は、良いくすりがある。
根気よく、治療する勇気も、必要だと、思う。
そして、働く事もいい結果につながると思う。
社会との接点は、自分を見つめる事ともなるからだ。
言わずもがなの事では、あるのだが・・・
75 :
大王:2008/10/21(火) 16:37:30 ID:5yo1Hy+U
>わたしは別に仏教の専門家ではありませんので、仏教の教理を統合的に整理しようと思っているわけではありません。
と言いながら大口を叩いているね、自己矛盾を自覚しないですか?
主張する以前の問題ですよ。
随分、怒り三毒がアーラヤ識に蓄積されているご様子が見えますが、
74ぼったん君もアーラヤ識の三毒蓄積が素敵ですからね。
32氏よ自分の起こしている念を吟味された方がいいですね、
ゲルク派なら余計に厳しいのが普通ですが。
で、自分の起こしている念を吟味する余裕が無くなるのが、あなたの言う菩提心ですかね?
76 :
大王:2008/10/22(水) 00:00:44 ID:5yo1Hy+U
>ざっと、みたところ、大王さんのいうところは、仏道にもとづいて何か語っているというより、ただの個人的感想ですね。
当たり前ですよ、チベット密教スレで、臨済宗の仏道語る馬鹿や、僧侶はいませんて、
ましてや、論理的に固執するんですから、臨済宗の仏道語るはずもありません。
>その白隠も、階梯を踏んでいたことは、白隠自身が書いたものをみれば、一目瞭然ではありませんか。
それはあなたの感想ですね、
6代慧能と神秀の論争は、神秀は階梯の修行の詩を書き、論争ですが。
>それとも、大王さんも正受老人にあなぐら禅坊主や妄想分別と言われたいのですか。
論理的、階梯主張するあなたが妄想である、無いを判定するのですか?お笑いモノです。
エゴ、我執、貪りが強いようですね、自己の心を見てください。
>禅一般について語りたいのであれば、坐禅と見性スレへ。
あなたが固執するから、書いたのみですが、
反論を誘う文面でこれを書き込むとは随分感情的ですね、
ゲルク派の顕教修行の発菩提の階梯では、三毒を捨てる、いかなる有情に対しても捨てるとありますが、
自己観察、ありのままに見るが欠けていますね、
あなたの精神に意見する仕方は、階梯アル仏道修行説明の方式でさせてあげますね。
(笑)
何を血迷ったのか、▼・ェ・▼大王があちこちのスレで罵倒の暴走レスを書きなぐってる・・・
ここは、やはり
注射だぜっ!! (メ▼▼)ノ0=|⊃―; ☆ ブスッ!! ▼・ェ・▼ウッ!!ワンワン!
78 :
大王:2008/10/22(水) 00:28:59 ID:yA+WpD1M
仏教論争できず、人格攻撃ばかりするエゴ妄念ぼったん君、人格攻撃が主人公ですか?
79 :
神も仏も名無しさん:2008/10/22(水) 01:04:36 ID:sHKUp7sq
まああれだ、大王などという恥ずかしいコテ使ってる時点で(ry
80 :
神も仏も名無しさん:2008/10/22(水) 20:12:10 ID:D66khHIt
81 :
マゴムサンゲェー:2008/10/22(水) 20:42:58 ID:IIHZyqWZ
>6代慧能と神秀の論争は、神秀は階梯の修行の詩を書き、論争ですが。
横から済みません。
その話は荷沢神会などによる後代の創作であることがほぼ定説です。
慧能と神秀に違いはありません。
両者ともまったく同じ事を言っております。
>>81 >6代慧能と神秀の論争は、神秀は階梯の修行の詩を書き、論争ですが。
> その話は後代の荷沢神会による創作です。
慧能と神秀は、生きていた期間が100年のズレがあり、また、都会で多くの弟子に恵まれた神秀と南方に隠れ住んだ慧能とは出会う事などなく、ふたりの間に論争があったとは考えられません。
神会の意図を持った作り話ですね。
水を差すようでごめんなさい。
禅のお話は禅宗のスレッドでお願いします。
>>83 > 水を差すようでごめんなさい。 禅のお話は禅宗のスレッドでお願いします。
ここは、2chですからね、スレち、でしょうね。
禅は、区別、しないのでね。
85 :
マゴムサンゲェー:2008/10/22(水) 23:36:48 ID:IIHZyqWZ
わざわざma gom sangs rgyasと名乗って禅の話をしてるんですが・・・
チベット語がお分かりにならないようなので失礼いたします。
さようなら。
>>85 > わざわざma gom sangs rgyasと名乗って禅の話をしてるんですが・・・ チベット語がお分かりにならないようなので失礼いたします。 さようなら。
(◎_◎) ン?
もう ちべっと わかりやすく・・・って、おこられるのかな^・・・(汗)
87 :
大王:2008/10/23(木) 16:02:22 ID:FvUrJtPK
大口叩く32君へ、
>それとも、大王さんも正受老人にあなぐら禅坊主や妄想分別と言われたいのですか。
32君はこの話を知らずに語っている、知ったかぶりの酷さですな。
あなぐら坊主を言われていた時の白隠は、それまでの自分の悟ったと言う思い上がりを反省し、
正受老人から、喜んで地獄極道修行の指導を受けていた時の言葉ですが、
この話の前に、白隠は、正受老人に思い上がった悟りの見解を出し、
鼻をきつくつねられてんですわ。思い上がったエゴがあるわと。
まあ、32君が、全部知っていると思い上がった様にね、
白隠と32君の違いは、白隠は反省できるほど純粋でしたが、
知ったかぶり32君は我執の見解を必死で保持する訳ですね。
6代慧能の詩は、菩提も無く、減らすチリも無くで、本来無一物ですわ。
ありのままに物事を見る目、本来優れた親子の持っている無償の愛、で、
本来無一物か否かの問題ですわ。それがどの程度あるか、
階梯だと目標、目的になりますわ、本来無一物になりませんわ。
まあ、階梯不要の認識は、本格的に禅をマスターしたカウンセラーの久松氏も言っていますわ、
チベット君の知識論いくら並べても、修行していない人物は評価できませんわ。
元から、我執の強い人物の知識ならなおさらですわ。
88 :
大王:2008/10/23(木) 16:08:37 ID:FvUrJtPK
32君は自分が正しいと言う思い上がった我執を否定する事が大事ですな。
もちろん、ゲルク派でも当然でしょう??
我執の姿は、三毒の貪りですからね、
大乗仏教は我執、法執を滅するですから、
知らない事を知ったかぶりをする事、
そこには我執と貪りがあるでしょうね、階梯的にお話、禅以外、チベット仏教としてでものお話ですよね。
>>88 犬の大王よ
自説を書かなきゃ。
粘着だけだ。
セロテープ君よ。・・・・・アセアセ``r(ΦwΦ;) ポリポリ
90 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 16:35:34 ID:FvUrJtPK
ぼったん哀れにチベット密教知らずに荒らしまわる、
その心は三毒エゴまみれ自己陶酔。
>>90 ,-'"ヽ ∩___∩
/ i、 _,、 | ノ ヽ
{ ノ "'" "'"'"/ ● ● |
/ | ( _●_) ミ
/ 彡、 |∪| ミ _/\/\/\/|_
i \ ヽノ / \ /
/ `ー-ー'" } <犬の大王だワン>
i' /、 ,i / \
い _/ `-、.,, 、_ i  ̄|/\/\/\/ ̄
/' / _/ \`i " /゙ ./
(,,/ , ' _,,-'" i ヾi__,,,...--t'" ,|
,/ / \ ヽ、 i |
(、,,/ 〉、 、,} | .i
`` ` ! 、、\
!、_n_,〉>
>>91 ズレを訂正
,-'"ヽ ∩___∩
/ i、 _,、 | ノ ヽ
{ ノ "'" "'"'"/ ● ● |
/ | ( _●_) ミ
/ 彡、 |∪| ミ _/\/\/\/|_
i \ ヽノ / \ /
/ `ー-ー'" } <犬の大王だワン>
i' /、 ,i / \
い _/ `-、.,, 、_ i  ̄|/\/\/\/ ̄
/' / _/ \`i " /゙ ./
(,,/ , ' _,,-'" i ヾi__,,,...--t'" ,|
,/ / \ ヽ、 i |
(、,,/ 〉、 、,} | .i
`` ` ! 、、\
!、_n_,〉>
>>90 犬の大王よ
> 哀れ!チベット密教知らず、 その心は三毒エゴまみれ自己陶酔。
では、貴公よ、聞こう。どぞ・・・
94 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 19:09:21 ID:DJ7iQJJK
>85
確かにチベット仏教に興味を持つヤツでチベット語を学ぶ者は少ないよな・・・
日本語訳英訳文献でもだいたいのことは分かると思うが、
直接ラマに就いたらチベット語話せないと難しいだろうね。
以前参禅でお世話になった禅寺に一人のアメリカ人が来たことがある。
日本語は片言もしゃべれないし読めなかったが、「禅は不立文字だから
ノー・プロブレム」と言ってやがった。
日本仏教を学ぶならば、日本語の読み書きできないより当然できたほうが
理解は早いだろうね。
チベット仏教も同じだろうな。
チベット語だけを理解するチベット人ラマから学ぶために
チベット語を勉強するのは当然と思うが、
日本語使える日本人がわざわざ分かりにくいチベット語で2ちゃんに
書き込むのはどうかなあと思う。
96 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 19:54:39 ID:AoSn0J2U
>>85 >わざわざma gom sangs rgyasと名乗って禅の話をしてるんですが・・・
>チベット語がお分かりにならないようなので失礼いたします。
ma bsgoms sangs rgyas のことを言っているつもりなのかな?
この85のように自己顕示欲の強い中途半端な素人を大量生産してしまったところが、
1に名前のあがっている団体で特に二つ目のところなどの功罪のうちの罪なのでしょうね。
さよならしてくれて良かったよかった。
97 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 22:22:11 ID:DJ7iQJJK
で ma bsgoms sangs rgyas って何なの?
あんたも自己顕示欲に浸ってないで解説でもしたら?
98 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 23:04:18 ID:wdJpK+Nx
11月15日(土) テーマ「ダライ・ラマ法王とその教え」
1:00 - 2:30 pm 入門講座「チベット仏教における化身ラマ制度について」
講師:野村正次郎(大谷大学研究員・文殊師利大乗仏教会事務局長)
2:30 - 4:00 pm ご法話「仏教の教え:心を統御する」
講師:ゲシェー・チャンパ・ドンドゥプ師(デプン・ゴマン学堂・ゲシェーラランパ)
4:00 - 5:00 pm チベット仏教文化体験「砂曼陀羅をつくってみよう」
講師:ロサン・プンツォ師(デプン・ゴマン学堂)
5:00 - 6:00 pm ふれあいワークショップ:「チベット僧と一緒に供物を作ろう」
6:00 - 8:00 pm 世界平和のための祈り 〜デプン・ゴマン学堂の僧侶と一緒にお祈りしましょう〜
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
12月20日(土) テーマ「他者のために生きること」
1:00 - 2:30 pm 入門講座「チベット仏教の未来を考える」
講師:野村正次郎(大谷大学研究員・文殊師利大乗仏教会事務局長)
2:30 - 4:00 pm ご法話「四聖諦とは何か:輪廻と解脱について」
講師:ゲシェー・チャンパ・ドンドゥプ師(デプン・ゴマン学堂・ゲシェーラランパ)
4:00 - 5:00 pm チベット仏教文化体験:「タンカを描く」
講師:ロサン・サムドゥプ師(デプン・ゴマン学堂)
5:00 - 6:00 pm ふれあいワークショップ:「チベット僧と一緒に供物を作ろう」
6:00 - 8:00 pm 世界平和のための祈り 〜デプン・ゴマン学堂の僧侶と一緒にお祈りしましょう〜
※プログラムは一部変更になる可能性があります。
99 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 23:05:34 ID:wdJpK+Nx
ご参加にあたって
・この事業はデプン・ゴマン学堂の亡命チベット人僧侶を迎えて行なうものです。
・本セミナーは初心者向けですのでどなたでも好きなプログラムに参加できます。
・本セミナーに参加される方は必ず護国寺ご本尊の観音様にまずお参りください。
・参加料は特に頂いておりません。賽銭箱へのお志をお願い申し上げます。
・夜の祈りの法要のために、仏さまにお供えするパンケーキやお菓子をご持参ください。
法要の際に諸仏の御加持を頂きます(ご家族のためにお持ち帰りできます) 。
・希望者には法要の際にチベットの護法尊への特別祈祷を受付けさせております。
当日窓口でお申し込みください。
・本事業にご協賛いただける方を募集しています。
・本事業の詳しい内容につきましては、文殊師利大乗仏教会にお問い合わせください。
この催しは、チベットの仏教文化を知るための文化交流を目的としており、
チベット仏教の布教を目指すものではありません。
【特別協賛】大本山護国寺
http://www.gokokuji.or.jp 【企画運営】デプン・ゴマン学堂日本事務局 文殊師利大乗仏教会
http://www.mmba.jp 【主 催】チベットハウス
http://www.tibethouse.jp
96さん
2つ目の所は大量生産ではないと思いますよ。
ただ学校形式だから抑えは弱いです。通学者も
一般社会人がメイン。コマを増やして仏教専門学校化
してくれればありがたい。需要なさそうだし、
本格的にやる人は印度行きするでしょうが。
六日の国技館行く人いますか?