【高橋佳子】宗教法人GLA総合本部【TL人間学】 17
ですから、自分の存在や生命を害するような事物を、意識・無意識関わらず避けて防ごうとします。
脳を発達させて高度な知能を持つようになった人間においては、精神活動においても同じです。それは、自我、
アイデンティティー(自分が自分であること)と呼ばれるものについてです。自分の存在、またそれを構成する
価値観、世界観、信仰観、行動規範、所属集団などを否定する・されることは誰にとっても大きな苦痛と抵抗
をもたらします。G○Aのメンバーが自我を強く構成するG○A自体に対して、直接自らその正当性を問い
直すというのはとても難しいことです。G○Aのメンバーが外部からのG○Aの実態や「先生」のスキャンダ
ルの情報を聞くと、それらの情報は偽りや迫害だと言って、自分のアイデンティティーが攻撃されるのを
回避しようとして耳をかさないのは当然のことです。でも、それでは冷静に客観的に現実に向き合うこと
ができなくなります。
しかし、他者に対しては冷静に判断し、否定することもできます。自分のアイデンティティーは傷つかな
いからです。統一協会はG○Aから見て他者です。他者ですが、「自分とよく似た他者」です。
この「自分とよく似た他者」の問題を考えることで、自分について冷静に判断できます。
G○Aのメンバーにしてみると、統一協会はダメでG○Aはオーケーと思いたいところですが、それはあま
りにも合理性がありません。よく似た他者である統一協会を知ることで、G○A自身の在り方にまっすぐに
向き合う勇気と必要性を知ることができるでしょう。
そして、先にした「あなたの家族や友人が統一協会に入っていたらどうするか?」という質問に対して、
止めさせるために説得などの策を講じるとあなたが考えるのであれば、あなたの家族や友人があなたが
G○Aに入っていることを知ったときに、あなたに対してどのように思い、あなたのためにどのように行動
するのかをあなたは冷静に理解することができるでしょう。
●無知の知と唯一絶対価値観 :
私がG○Aを離れてから学んだことうちの大きな一つは「無知の知」についてです。無知の知とは「自分
が、世界の全てをは知りえない存在であることを知ること」と言えばよいでしょうか。つまり自らの無知に
気がつくことです。哲学(philosophy:愛知)の第一歩は無知の知だとも言われます。知恵を愛すること
において、「自分は知っているんだ」という固定観念はそれ以上の発展を妨げるからでしょうか。
「無知」についてはG○Aでもバイブルスタディーの「無知の中の相克世界」の講義で学びます。旧約聖
書の登場人物、南ユダの王ヨシアは、北の強国カルケミシを討ちに来た大国エジプトの王ネコの真意
(ひいては神の御心)を悟ることができなくて、戦に挑み無残にも戦死したと解釈します。このエピソード
より、無知であることは死をもたらすことで、無知をなくさなければならないと教えます。もちろんこれは、
無知をなくすためには、神理であるG○Aの教義バイブルスタディーをしっかり学ばなければならないとい
うことの主張です。
確かに私はG○Aに入ることで、それまでは否定していた神という存在について知り、信仰のもつ豊か
な力について知り、自分が以前は無知であったことについても知りました。しかし、G○Aを離れてなお自
分が無知であったことに気づかされたのです。G○Aの外の世界にも実にたくさんの宗教や思想や価値
観が存在することをあらためて知らされ、それらの一つひとつについてよくは知らないことを知りました。
また自分が所属していたG○Aのことでさえ、多くのことを知らなかったことを知りました。自分はなお無知
であったと知ったのです。
G○Aの外、この世界には幾千もの宗教が存在しています。キリスト教や仏教といった四大宗教と呼ば
れるものをはじめ、近代以降に生まれてきた新興宗教、さらに新しい新新宗教と呼ばれるものなど本当
にたくさんあります。その特徴もさまざまで、キリスト教やイスラム教のように絶対唯一神をもつ一神教の
もの、仏教やヒンズー教や神道のように八百万の神がいる多神教のもの、あらゆる事物に霊魂が宿ると
考えるアニミズムなどなど。また、世界中にその信仰者がいる世界宗教に分類されるものや、ある特定
の部族・民族が信仰している土着宗教など、形態も活動も教義の内容も本当に多様です。
宗教だけでなく思想や主義主張を含めた価値観という枠組みまで広げるとその数はもう無数と言えま
す。無神論、科学至上主義、唯物論、国家主義、民族主義、アナーキズム、個人自由主義、民主主義、
社会主義、共産主義、自由経済主義、学歴主義、恋愛主義などなど、などなど、社会に対して過激なも
のから穏健なもの、影響力の大きいものから小さいものまでいろいろです。
では、どの宗教・思想・主義主張がもっとも素晴らしい価値観なのでしょうか?
これは、なんとなく馬鹿げた質問に聞こえます。それは、この世界には「絶対なもの」はないからではな
いでしょうか。宗教について考えると、一神教はそれぞれの絶対唯一神による世界の主管を伝え、多神
教や他の神仏の存在を人間が生みだした偶像崇拝であると捉えることが多いようですが、絶対唯一なる
神という存在を仮定すること無くしては、この話は成り立ちません。また、一方で、無神論者は科学的合
理性を見ないという理由で、神仏の存在を否定しますが、現在の科学にも未知なる部分は非常に多くあ
り、既存の科学の絶対性を仮定すること無しには、神仏の存在を完全に否定することはできないのです。
ある宗教や思想が、まず自分たちの考えを構成している考えや事柄を仮定すること無しには、自分たち
の絶対的正当性を表し、他の宗教や思想を否定し排他することはできないのです。あらゆる宗教や思想
はまず自分たちの考えが正しいということを前提にして成り立っているのです。ある人が他者の価値観
を否定できたとしても、同様の方法でその人の価値観も否定され得るということです。
究極的な話をすると、私たちが知覚しているこの現実でさえ、実際には現実はでない可能性があると
主張する理論さえもあります。それは「桶の中の脳」理論と呼ばれるものです。私たちの脳みそは、本当
は、とある科学研究所にある装置の中の溶液に浸かっていて、スーパーコンピュータから伸びるコードに
接続されており、私たちが現実だと知覚しているこの世界は、実はそのコンピュータから送られる電気信
号を脳細胞が読み取って反応している、脳の中で作り出されたバーチャルワールドであるという状況(ま
たはこれと同質の状況)かもしれないということです。ちなみにこの状況を完全に否定する証拠や論理は
まだ見つかっていないそうです。この桶の中の脳理論は映画「マトリックス」の世界観のもととなっている
と言われています。私たちは現実が絶対であることすら完全に肯定しえないのです(だからといって、実
生活になんら影響はないのだが)。
>>354 そう願いたいのは山々だろけどw、ザ〜ンネンo(≧∀≦)o
またまた、毎度の糞価学会SGI統一協会のカルトですよ〜
創価学会SGIには末端まで犯罪体質がバレて死が忍び寄り、統一協会には麻薬で死が忍び寄る…
池田犬猿チョン穢多犯罪者の創価(=朝鮮総連、テロ支援団体)は、
牧口北条と暗殺して味を占め、
日蓮正宗僧侶66代目の日達も暗殺したのかなあ?wwwwww
∧_,,∧ ウェーハッハッハ
< `∀´ >
( )
し―-J
池田犬猿チョン穢多犯罪者の創価(=朝鮮総連、テロ支援団体)は、
牧口北条と暗殺して味を占め、
日蓮正宗僧侶66代目の日達も暗殺したのかなあ?wwwwww
∧_,,∧ ウェーハッハッハ
< `∀´ >
( )
し―-J
破壊活動で社会に危害を加えて来たカルト教団が、創価学会SGI
破壊カルトでしかない糞価学会は、『狂信者の中からバイトで荒らしをさせ』、
あわよくば『教団の金ヅルになりそうな新たな白痴信者獲得への下心から宣伝工作をして来た』ことで知られることとなった。
元来、DQN、ニート、在日らから構成されて来たカルト教団の特質にふさわしく、
組織ぐるみで犯罪を繰り返しては隠蔽、濡れ衣工作といった非合法活動を謀り、
完全犯罪化工作を繰り返してはカルト組織拡大をして来た。
新手の広域指定暴力団こと創価学会SGIは、こうした反社会的なカルト教団として、知られることとなった。
因みに、新手の広域指定暴力団こと、創価学会SGIとはシャム双生児の様に腐敗癒着して来た腐敗組織がある。
自公民、マスゴミ、経団連企業、自衛隊、消防、警察各官庁組織、広域指定暴力団、スポーツ、芸能界らが、特段に顕著なシャム双生児なのである。
ところで、宗教を信仰している人の動機の内で、その大半は慣習によるものだそうです。つまり、自分
の生まれた家がキリスト教だからキリスト教を、生まれた民族や国がイスラム教だからイスラム教を信仰
しているということです。次に多いのが折伏、つまり伝道によるものだそうです。あなたの知人や突然声
をかけてきた人などが紹介したその宗教に、あなたが何かしらの良さを感じたから信仰を持ったというも
のです。自ら積極的に捜し求め、たくさんの宗教の中から比較検討し、自分が信仰を持つべき宗教を選
び出した人というのは、本当に数少ないのです。そういった人であっても、自分が知りうる範囲での限ら
れたいくつかの宗教を比較したにすぎません。
世界のどこにありとあらゆる宗教や思想といった価値観を、人生の限られた時間の内に全てそれぞれ、
その真髄まで体験し、吟味することのできる人間がいるでしょうか?せいぜい、私たちは今までの半生
のなかで出会ったいくつかの価値観のうちでその時最良だと思ったものを選んでいるにすぎません。
つまるところ、「唯一絶対に正しい価値観」なんてないのだと思います。人類みな、それぞれ自分が納
得できる自分に見合った価値観をもって生活しているにすぎません。
では、唯一絶対正しい価値はないという状況の中で、宗教にはどんな意味があるのでしょうか?
私は「宗教」とは、「人間として生きることを豊かにする」ための価値観や世界観や行動規範などといっ
た教えと、それを共有する組織・集団だと思います。そして、そのことは誠実に神理の探究と人々の救済
に向き合っている宗教団体ならばみな同じことだと思います。
たとえば、一神教であるキリスト教と多神教である仏教を比較すると、一見全く違った性質の宗教のよ
うに思えますが、根本的に両者が望み目指しているものは同じで、人々が救われ、より豊かに生きるこ
とではないでしょうか。仏教は四季の変化が豊かな東アジアの環境で育まれ、多くの神仏や生命が調和
をとる性格特徴をもち、他方、キリスト教やイスラム教などの一神教は比較的厳しい気候の西アジアの
環境から生まれ、力強く民を導く絶対唯一神を熱心に崇める性格特徴となったのではないでしょうか。
それぞれの宗教の表面的な相違は、それぞれの宗教が生まれ発展してきた環境や歴史的背景の違いに
よるものだと感じます。そういった宗教間の形態の相違に対して、その教えを説いた聖人たちの考えに
は多くの共通性を感じます。イエス・キリストやブッダが、人が豊かに生きるための教えは、「平等」と「自
制」の精神だと思います。ブッダがその教え「四諦八正道」の中で説いたことは、人生の苦しみは欲望が
原因であり、愛欲をコントロールすることであり、そのために正しく物事を見て、考え、行なうことです。イ
エス・キリストもまた「天にいます神を愛し、隣人を愛しなさい」と教え、「着る物や食べる物で日々、惑う
な」と自らの欲望をコントロールすることを説きます。そこにあるのは、利己的に生きることではなく、他者
をよく尊重する生き方ではないでしょうか。
G○Aもまた、聖書とイエス・キリストの教えを周到しているようですので、こういったエッセンスを多分に
有しているのだと思います。バイブルスタディーの「カインの性格」で挙げられる54項目(序論はさてお
き)は、一つひとつを見ると自分に当てはまっているか否かという次元の程度にとどまりますが、54個全
体を眺めてうかがえることは、共通して自己中心的・利己的・自欲にもとづく行動であって、正しく生きる
ために必要なのは、それとは反対の利他的な精神と行動であることを学びえます。私はその利他的精
神と行動こそが、聖書に記され、「愛」と呼ばれるものではないのかと考えます。
もし、宗教を信じる多くの人たちが、互いの違いにばかり目を向けて、自分たちの価値観から見た相手
の間違いを指摘し排他するのではなく、互いの共通性に目を留めて対話をするのであれば、実に多くの
意義あることを互いに学びあえるのではないかと思います。
全ての誠実に活動している宗教には、人が豊かに生きるための働きなす共通性があると思います。そ
して人が豊かに生きるための力を与えるのは決して宗教に限ったことではありません。スポーツ・文化芸
術・福祉・社会・経済・科学・学問などなどの誠実な活動には、人々を豊かに生かす力を有しています。
そして、宗教を信仰していない人でも、愛情深く、礼儀正しく、感情豊かに、闊達で誠実に生きている人
はたくさんいるのです。それらは彼らの良心にもとづくものでしょう。つまり、人が豊かに生きるための方
法は、宗教か否かを問わず、人間として共通しているのではないでしょうか。
ちなみに、ここで私が言う「豊かに生きる」とは、もちろん物質的・経済的・社会立場的に恵まれている
という意味においてではなく、その人の幸・不幸といった境遇によらず、その人が人生を歩むことに対し
て、意欲的である、積極的である、生きがいを感じているという意味であることを記しておきます。
チベット仏教の最高指導者であるダライラマ14世は宗教やカルトについて次のように語ったそうです。
「人が幸福になるには、必ずしも宗教が必要だとは思わない。が、1つの宗教を信仰するのであれば、
まずは正統に継承された教えを勉強すること。経典に書いてあるから信じるのではなく、分析的に確か
め、なぜこれが必要なのか、自分の頭でゆっくり考えることだ。そして、土台をしっかり築いて、段階的に
進むことが大切で、いきなり密教の修行に飛びつくべきではない。ましてカルトは危険である。師につい
ても、その人が正統な教えを正しく継承しているか確かめ、その人格を含め、あらゆる角度から十分に
調査することが必要だ。信じる前に、まず研究せよ。教師然とした態度をとる者には、警戒すべきだ」
この内容は実にもっともだと思います。宗教に本当に精通している人は、宗教が持つ素晴らしさや価
値を充分に認識しながらも、宗教が決して絶対ではないことを知っているのではないでしょうか。
思想や宗教、主義主張、価値観といったもので人の価値が決まることはないと思います。その上で、人
は思想や宗教や生き方を自由に選ぶことができるのではないでしょうか。そして、価値観は多様です。
価値観とは人生をはかるものさし(指標)のようなものかもしれません。世界にはたくさんの単位があり、
多様なはかり方があります。自分のものさしのはかり方と数値だけを参考にして、他人の数値が間違っ
ていると主張するのは愚かな話です。それぞれの人がそれぞれのものさしを用いて自分の人生が豊か
になるようにと日々はかり、努めているのです。
ですから、G○Aはキリスト教に対して、信仰が眠っていて、文字通り信仰の無知な存在であると認識し
ていますが、それはG○Aの価値観から見た認識であり、キリスト教の持つ価値観の素晴らしさはG○Aの
ものさしだけでははかれません。G○Aのメンバーのなかでどれだけの人が実際にキリスト教の教えを直
に学び、信仰生活を体験したことがあるのでしょうか。彼らクリスチャンたち(特に福音派と呼ばれる人た
ち)がイエス・キリストが起こした奇跡など聖書の言葉について、G○Aが比喩的に科学的合理性にもとづ
いて解釈するのとは違い、聖書の文字通りに(正確には「字義的に」)、解釈するのには大きな意味と意
義があるのです。
銀貨をくわえた魚が釣れる、2匹の魚と5つのパンで男性だけでも5000人もの人々の空腹が満たさ
れる、イエスの服に触れただけで病気が癒される、死んだ者がよみがえるなどの奇跡を、科学的に考え
るのであれば、クリスチャンでも起こりえないと答えるでしょう。しかし、それらの奇跡や最も大いなる奇
跡であるイエス・キリストが十字架にかかって亡くなった後に復活したという奇跡を「信じること」に大きな
意味と人々を救う大きな力があるのです。それは科学に合わないからといって愚かなことではありませ
ん。そこには科学に合う・合わないという議論の必要性はないのです。彼らがイエス・キリストの贖いと復
活を信じることによる救済を受け、イエスの教えによって今も生きて働かれる主イエス・キリストと共に生
活し、豊かに生きる力を得ることに意味と価値があるのです。
比喩という手法は物事の持つイメージの重ねあわせによって成り立っています。比喩による科学的合
理性を持った解釈には、解釈をする者の想像や目的や意図に合わせて自由に意味を引き出すことので
きる融通性が生まれます。それは時として、自分にとって都合のいいような解釈だけを生み出す危険性
を持っています。キリスト教はその2000年の発展の歴史の中で、自由主義神学としてそういった科学
的合理性をもった解釈を模索してもきました。確かにそれは現代人にとって、納得がしやすく受け入れや
すいものでした。しかし同時に、聖書の文章は神によるものではなく、歴史の中で人間が生みだした寓
話と社会的・生活的レベルの知恵とだけのものになったという批判も起こりました。もはや宗教的価値性
を失ったとこの状況を危惧したキリスト教の人たちは、聖書を神の言葉として、奇跡を神のみ業として、
忠実に字義的に解釈することを重要視しているのです。
この価値性は活動や教義の表層だけを見ていては理解できないかもしれません。それは、G○Aにお
いて目には見えぬ霊の存在を重要視して生活する価値性を、世の中の多くの人たちが表層だけを見て
は理解できないだろうことと同じかもしれません。
また、G○Aにとっては信仰が眠っているというキリスト教も、実際を見てみれば実に活発です。韓国の
多くのキリスト教教会では早天祈祷会を熱心に行なっていることはG○Aのみなさんもご存知ではないで
しょうか。また、世界宣教が盛んな教派もあり、キリスト教が広まっていない遠隔地やアラブ諸国への開
拓伝道も行なわれています。日本国内でも開拓伝道は行なわれ、教会数も増えているでしょう。数年間
で10倍にも信者数が増えた教会もあり、G○Aがうらやむほどではないでしょうか。私が数ヶ月間教えて
いただいていた教会も主日礼拝参加者数200人規模の大きな教会でした(アメリカや韓国では1ヶ所で
数千人、数万人もの信者を抱えるマンモス教会もあるそうで)。そこでは、ゴスペルコンサートなどのイベ
ントを教会でひらいて地域の住民がたくさん参加していたり、英会話教室をしていたり、幼稚園をしてい
たりして賑わっています。
G○Aに比べれば若者の割合は少ないですが、熱心な若者がたくさんいるようです。私はこの点におい
て、「G○A」というのは近代の産物なんだなぁと感じます。というのは、社会全体において、近代と呼ばれ
る産業革命以後から現代において、大量生産できる新素材や情報通信技術の急速な発達によって、機
能主義や合理主義の世界が台頭しました。高層建築が建ち並び、自動車による高速移動ができるよう
になり、世界中とライブに情報交換できるようになり、世の中は便利になったように思われます。しかし、
実際にその利便性を充分に享受できるのは、その発展や機能の複雑さに対応できる有能者や健常者
や若者といった「優秀人間」や「平均人間」と呼ばれる人たちで、社会的弱者や身体などに障害をもった
方や高齢者といった対応能力などにおいて劣る人たちにとっては、一概に便利だとは言えない状況も生
まれました。この状況を省みて、近年では「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」といった弱者にとっ
て、またはあらゆる全ての人(「総合人間」としての考え)にとっての便利さを求める価値観が生まれました。
残念ながら、今のG○Aの活動は、社会的弱者や障害をもった方や高齢者にとって参加するには困難
なものでしょう。彼らがG○Aのみなさんが行なっている活動を同じようにするには負荷があまりにも大き
すぎます。G○Aが彼らを受け入れて、共に活動をなしていくことは難しく思えます。それは当然のことで、
今のG○Aが目指しているのは若く健康で有能な基準者の確立だからです。今のG○Aの価値観は機能
的で合理的なものに素早く対応できる若者たちに沿ったものではないでしょうか。一方でキリスト教は、
イエス・キリストがどんな社会的にしいたげられている人たちに対しても救いの手を差し伸べたのに習っ
て、年齢や能力や立場を問わず教えを広めようとしているようです。どちらの価値観が良いのかというこ
とを私は問う気はありませんが、それぞれの価値観と活動にしたがって、それぞれの今の状況があるの
だということを考えます。
G○Aは宗教の「One of them(いくつかあるうちのひとつ)」であって、「Very Best(最良)」
でも「Just Only(唯一)」でもないということを知る必要があると思います。このことは本来、
決して恥じることではありません。なぜなら宗教は、世界中の歴史や文明文化を力強く牽引してきたものであるし、
実に多くの人々に生きる豊かさを与えてきたものだからです。全ての宗教の信仰者は自らの信仰に誇りを持つ
べきですし、同時に他者のそれも尊重すべきことだと思います。しかし、歴史の中で宗教には、多くの人
を苦しめ哀しめてきた悲惨な暗雲がいつも取り巻いてきたことも心に留めておくべきです。
●一色塗りの世界と平和な世界
世界の大部分の人々は、世界中が平和であることをきっと望んでいるでしょう。それはキリスト教徒も
仏教徒もイスラム教徒も他の宗教の信仰者もそう望んでいるでしょうし、G○Aのメンバーもそう望んでい
ると思います。政治家にもそう望む人は多くいるでしょうし、宗教指導者もそう望んでいるのではないでし
ょうか。
しかしなぜ、こんなにも多くの人が平和を望んでいるというのに、世界中で宗教を引き金に、または名
目にして戦争や内乱や抗争が後を止まず起きているのでしょうか?
私はG○Aに導かれる前にも、こういった疑問を抱いていました。そしてその答えはきっと、全人類とあら
ゆる宗教を包括するような道徳観がいまだ現れていないからだろうと考えていました。そんなころにG○A
に出会ったものです。新入生のころ、次のようなエピソードがありました。
お祈りを教わったばかりの私は、ある先輩メンバーから「どんなことを祈っているの?」と聞かれたので、
「世界が平和でありますようにと祈っています。」と答えました。その人は驚いた顔をして
「もっと自分のことについて祈ったらいいよ。」と教えてくれました。当時私は、自分の嫌な
部分もありましたが、良い部分も知っていたので、ある程度自分には満足していたのです。
むしろ、テレビなどで伝えられている世界の悲惨なニュースを聞いて、どうにかならないものかと
思っていたのでした。G○Aにいた頃の私は、自分の救いの観よりも、絶対的な世
界の秩序としての神理に大きな関心があったのです。G○Aでの私がそうであったように、
平和を望む人たちの中には、自分たちの考えや教義や価値観が世界中に広まれば、世界に平和は
訪れるだろうと考えている人たちが少なからずいるようです。でも、誰かが素晴らしいと考える
価値観で世界中の人々が統一されるなら、本当に世界は平和になるのでしょうか?
想像してみてください。あなたが見ている世界が、色めがねをかけたように、あなたの好きなある色で
一色塗りの世界になったとしたら、それはあなたにとって素晴らしい世界と思えるでしょうか?
しばらくの内はそのある色の色味を、青なら青として知覚できているかもしれませんが、次第にその青
という色の感覚さえも薄れてきて、ただ何かしら濃いか薄いかという知覚反応だけが残るでしょう。それ
はモノクロームの世界で、味気ない世界かもしれません。私たちがこの世界が、本当に素晴らしく美しい
と感じるのは、様々な色彩が混在しているからではないでしょうか。
それと同じように、たとえそれが素晴らしいと思える価値観であったとしても、それだけで世界中をベタ
塗りしてしまうなら、はじめはその価値観の色味を感じていたとしても、最後にはただ濃淡という変化し
か感じられない味気のない世界になってしまうかも知れません。私たちは本当にそんな世界を平和な世
界として待ち望んでいるのでしょうか?
しかし、世界の多くの過激な宗教家や政治家たちは自分たちの教義や主義主張といった価値観が最
も素晴らしいと考えていて、その色で世界を塗りこめようと陣取り合戦にとても熱心なようです。そして、
色と色がぶつかった箇所では、当然争いが起こります。色と色とがぶつかると汚く濁り、実に悲惨な広が
りを見せます。世界中で起きている宗教や思想をもとにした戦争や対立による悲惨な出来事はこういっ
た状況なのではないでしょうか。または、誰かの意思によってそのような状況になるように操作されてい
ることかもしれません。
本当にそれぞれの色の価値を知っている画家であれば、キャンバスの上にそれぞれの色をバランス
よく配置し、実に色彩豊かで美しい世界を描き出すことができると思います。本当の平和とは、多種多様
で特徴豊かな価値観が互いの良さを引き立てながら共存する世界ではないかと私は思います。しかし、
自分たちの価値観が絶対唯一正しく、もっとも素晴らしいと考える人がいるのであれば、そのような世界
はいつまでも訪れることはないでしょう。
私はこの世界は、「同じで違うから素晴らしいんだ」と思っています。
もし私と誰かが、アメーバと人ほどに違っているとしたら、お互いの考えを理解できないでしょう。共通
しているのは、どちらも生きているということぐらいでしょうか。どれだけそれぞれが素晴らしくても、お互
い全く違い理解することができないのであれば、何の価値も見いだせません。しかし、私たちは同じ人間
として、たとえ国籍や人種が違っても、言語など何かしらの手段を通してコミュニケーションをとり、互い
に理解することができます。私たちは、ある部分で共通性を持つから、お互いに価値を見いだせるのです。
また逆に、私と誰かが、その形態や性質や思考といったありとあらゆることにおいて同じなのであれば、
お互いにコミュニケーションを図る必要さえありません。私の考えていることがまったくそのままその人の
考えていることだし、私が持っているものは全てその人も持っていて、私が持っていないものはその人も
持っていないのですから。もしかするとどちらか一方は必要ないかもしれません。しかし、この世の中に
全くの同一人物はいません。たとえ一卵性双生児だとしても、違いはたくさんあるのです。お互いに違い
があり、持っているもの、持っていないものがあるので、私たちはコミュニケーションをとり、その価値を
感じることができるのです。
共通性と相違性を同時に持ち合わせているからこそ、この世界はコミュニケーションをとることの価値
があるのではないでしょうか。その価値性を、宗教が違えど、思想や価値観が違えど、民族や国家が違
えど、境遇や立場が違えど、世界の全ての人に見いだせるなら(むしろその違いにこそ価値性がある)、
全ての人の命や生活や価値観といったものを尊重し合える世界になるのではないでしょうか。私たちは
本当のところ、このような世界を望んでいるのではないでしょうか。
この手記の最初の項目で触れた、G○Aの内側から見える外側と、実際の外側との認識の差異は、こう
いった事柄にその原因があるのかもしれません。
G○Aでは、G○Aの教義が絶対唯一正しい価値観であると教えます。そのためにG○Aの外の人たちか
ら学ぶ必要性はなくなります。たとえ学ぶ機会があったとしても、G○Aの価値観の枠組みで受容しうる部
分に限られてしまいます。
G○Aの外からの指摘を受け入れることも難しくなりますし、自分たちには無く、
外にはある良さを素直に認めることも難しくなります。G○Aの価値観で世界を統一しようと考えると、当
然その外にある他の価値観とは衝突します。特に、G○Aを選ばずに外へと離れていった人たちの存在
は、G○Aの絶対唯一性を揺るがしかねません。ですから、どうしても実際の状況とは違った形で、G○A
の外を認識しなければならなくなります。それは、G○Aを離れた者に対しては救いを受けられず裁かれ
る者、サタンに奪われた者、迫害する者となりますし、キリスト教の牧師たちに対しては無知な者、迫害
する者としての認識です。G○Aが絶対唯一正しいという考えをやめない限りは、たとえ苦しくてもこの認
識を改めることができないでしょう。
日本のG○Aとその外との悲惨な戦争状態はいまのところありません(韓国ではアンチG○A団体との抗
争状態はあるようだが)。しかし、G○Aを離れた人たちと現役メンバーとの不和やわだかまりは実に深刻
な問題としてあります。
それは、内と外の互いへの理解や尊重が不充分だからかもしれません。G○Aの
メンバーにとって、G○Aを離れた人たちはついしばらく前まで共に熱心に活動していた仲間でした。でも、
その仲間だった人たちがG○Aを離れた理由に対してさほど重要性や深刻性を感じていないのです。自
分たちの価値観を選ばなかったという理由をです。本当はその大切さを感じているかもしれませんが、
G○Aの価値観が絶対的に正しいという理由のために、ちゃんと聞くことができないのかもしれません。こ
れは、今までG○Aを離れた人たちに関することだけではありません。今、あなたと共に熱心に活動してい
る仲間が、何かしらの理由でG○Aを離れる可能性もあるからです。今日まで共に楽しく語らっていた人
が、明日には哀れみや憎悪の対象になっている。そんなことを考えられますか?そんな状況は本当に
は正常でしょうか?自分たちの考えだけが絶対正しいと考えているうちは、そんな悪夢から逃れられな
いのかもしれません。
●問題の無い会社
G○Aの教祖「先生」はその説教の中で、「問題のない会社は発展しない」と話しました。この真意は、
G○Aにも問題はあるがそれを解決することで発展するということでしょう。
ただ、この言葉をより正確に言い換えるなら、「問題意識のない会社(組織・集団)は発展しない」という
ことになるでしょう。たとえ問題が山のようにたくさんあっても、問題意識が無ければ、当然その会社は潰
れてしまいます。逆に、たとえ問題がほとんど無くても問題意識があれば、ささいなことからでも課題を見
出し成長していくことができるでしょう。
G○Aの解決すべき問題とは何でしょうか?進まない伝道でしょうか。それとも「先生」への迫害でしょう
か。私はそうではないと思います。
G○Aの組織としての最大の問題点は「隠蔽体質」だと私は考えます。その隠蔽体質には、「G○Aの内
側の情報を外側に公開しないこと」と、「G○Aの外側の情報を内側に取り入れないこと」という二方向の
性質があると思います。
前者「G○Aの内側の情報を外側に公開しないこと」としては、サークルに参加している新入生に対して、
その活動母体がG○Aであることや宗教であることを知らせないことや、バイブルスタディーを聞いている
新入生に対しても、一般的なキリスト教の聖書解釈とは別のものであることや、その先にサービスをはじ
めとしたG○Aでの信仰生活が待っていることを知らせないことです。誰一人として宗教団体だと知ってG○A
のサークルに来ている新入生はいないでしょうし、誰一人として人生をかけての信仰生活が待ってい
ることを知って、バイブルスタディーを学び始める新入生はいないのが実状だと思います。新入生はこの
先にある形はわからないけれども、それは自分にとって益となる良いものだろうと信じて、従っているの
ではないでしょうか。そして、その疑問をメンバーに尋ねたとしても、答えを先送りされたり、本来の意図
をごまかしながら答えられたりすることが往々にあるのです。
しかし、自分の人生の先に待つものを知らされていないのは新入生に限ったことではなく、メンバーも
同じと言えます。たとえば、信仰歴の浅いメンバーには、教会のリーダーミーティングで何が話し合われ
ているのか知らされることは無いでしょう。一般のメンバーが関東7教会の指導者クラスでのリーダーミ
ーティングの内容を詳細に知ることができるでしょうか。教主国である韓国本部や「先生」の直近の内情
をどれだけの数の日本のメンバーが知りえるでしょうか。それらで話し合われる内容は、信者一人ひとり
の生活に非常に大きな影響を及ぼすというのに、メンバーに対してその全容が公示されることは無いのです。
G○Aの新入生もメンバーもみな、今いる自分のポジションより内側のことが見えないのです。より内側
の様子は次のステップに進めばさらに少しは見えるようになるでしょうが、本当の中心の様子はいつま
でたっても見えないかもしれません。
また、学生のメンバーのみなさんは就職したら給料の10分の1献金が義務付けられることを知ってい
ますか?またメンバーの結婚は、教祖またはその代理者によって結婚相手が決められ、合同結婚式を
行なうことを知っていますか?年齢27歳以上、信仰歴5年以上、伝道3人以上といった条件(現在は内
容が緩和されているかもしれないが)を満たしているメンバーが集まって合宿を開き、結婚相手の希望を
提出します。「先生」の代理者(現在日本では丁賢芽氏)が参加者の中から結婚ペアを決めます。納得
のいったペアは後日、「先生」のもと(近年では配信映像のもと)合同結婚式をあげるそうです。
それらの制度が悪いものだとは言いません。納得了承の上でのことなら問題は無いでしょう。正統な
キリスト教でも社会人の10分の1献金は正しい了承と手続きの上で行なわれているのです。しかし、G○A
においては、事前にその内容を知らされることはほぼ無いでしょう。結婚や就職に関わることだけでは
ありません。老後を迎えたメンバーの生活はどうなるのでしょうか。もしG○Aで死んでしまったら、どのよ
うに葬儀などが執り行われるのか知っている人はいますか?私はどちらも知りません。私たちの人生に
おいてとても重要な出来事が、G○Aにおいては実にあやふやで、それぞれその時を迎えるまでわからな
いのです。
このようにして、G○AではG○Aの外の世界に対してだけではなく、G○Aの内側においても、より内部が
より外部に対して隠蔽する体質があると思います。あらゆる段階において今後導かれる先に対してのン
フォームドコンセントが不充分なのです。
なぜG○Aでは、サークルに参加する段階で、バイブルスタディーを学ぶ段階で、メンバーになる段階で、
G○Aでの信仰や生活を選ぶにあたって事前に、その活動内容の全てを、または人生に大きく関わる重
要な要素でさえも、知ることができないのでしょうか?
「それは彼ら新入生や信仰歴の浅いメンバーが救われるための知恵であり、思いやりであり、はかりご
とである。もし今、内実を知ってしまうと誤解をしてつまずき、G○Aを受け入れないだろう。良いものを紹
介するには順序がある。」というのがG○Aの側の理由です。しかし、新入生にもメンバーにも自分が所属
するべき団体や持つべき信仰や思想を選ぶ自由の権利がありますし、そのために充分で公正な情報を
得る権利があるのです。
「それは、真の神様の歴史を成すための、神様が示した方法だ」とG○Aは主張するかもしれません。し
かし、目的が手段を正当化してはいけません。目的が手段を正当化してしまうと、人の尊厳をも無視した
行為さえも可能になってしまいます。その最たる例が、オウム神理教が起こした一連の事件ではなかっ
たでしょうか。前述したように、G○Aだけが絶対唯一正しい価値観ではありません。多くの健全な活動を
行なう宗教団体はたとえ世間の風当たりが厳しくとも自分たちの正体を明らかにして、伝道活動を行なっ
ているのです。そして、たとえ神が指示した方法だと考えるとしても、正体を隠して人々を導くという方法
は、詐欺師や破壊的カルトといった社会的に「悪」だとみなされる人たちが利用している方法で、善行を
望むのであれば用いるべきではないことは明らかです。
私は、誰かが良いと感じているものや信じているものを別の誰かに紹介することは素晴らしいことだと
思います。また、路傍で見知らぬ人に声をかけるでの出会いにも大きな価値があると思います。しかし、
あなたが良いと感じ信じている価値観が、世界中の全ての人にとっても良いものだとは限りません。あな
たがある誰かを救い主だと信じるのは自由ですが、その人は全世界の人々にとっての救い主ではあり
ません。本当に、彼らは全人類のための救世主ではないのです。
統一協会の教祖である文鮮明氏は自らを再臨のメシヤだと名乗り、その証拠として新約聖書のヨハネ
の黙示録7章2節をあげています。この聖句の「日の出る方」とは極東アジアを示し、その地域のキリス
ト教国である韓国から、「生ける神の印を持って」救世主が現れると解釈するそうです。が、この聖句に
記されているのは「もうひとりの御使」であって救世主のことではありません。
G○Aの教祖である高○信次氏もまた、自らを再臨のメシヤだと名乗り、その証拠として旧約聖書ダニエ
ル書12章7節以降やイザヤ書46章11節をあげています。ダニエル書の箇所は「ひと時とふた時と半
時」というバイブルスタディーの核心的講義で、この聖句から計算される1978年に成約時代の再臨主
による福音が伝えられると解釈し、神の啓示を受けて同年6月に韓国ソウルで福音を伝え始めたのが
「先生」高○信次氏であると教えます。この聖句の解釈については、私はその真偽を問題にしませんが、
当然、正統なキリスト教の解釈とは異なっています。ともあれ、この過去の事柄に対してその事実を知っ
ているのは当事者本人だけなので、数字を後付けしたり、捏造したり、予め計画して行動するなどの融
通を利かすことができ、この解釈と出来事自体が彼のメシヤ性を示す確固たる判断材料にはならないよ
うです。
イザヤ書の箇所は「特別比喩」の講義の中で伝えられます。「私は東から猛禽を招き、…」という神の
啓示の箇所を用いて、「東」とは極東アジアの熱心なキリスト教国である韓国を指し示し、「猛禽」とは
「鷲」のことで、「鳥類の王」である鷲は「メシヤ」を喩えていると教えます。つまりこの聖句は韓国から再
臨主が現れることを予言していると解釈するのです。しかし、この解釈には文意の問題ではなく、論理的
な無理が指摘されます。たとえば「カエル」は「両生類」であるが「両生類」は「カエル」ではないように、
「小泉純一郎」は「政治家」であるが「政治家」は「小泉純一郎」ではないように、「鷲」は「猛禽」であるが、
「猛禽」は「鷲」ではないのです。これは「集合」と「要素」の問題です。猛禽類にはタカやハヤブサやフク
ロウなど鷲以外にも多くの種類がおり、この聖句からは「猛禽」を「鷲」とは特定できません。ちなみに、
「猛禽」は聖書(レビ記や申命記など)では悪しき生き物として記されていて、マイナスのイメージです。
「鷲」は力強いイメージで聖書に登場しますが、主を待ち望む者が力を受ける様子などを表していて、メ
シヤを喩えると明示されている箇所はありません。
そして、旧約聖書が書かれていたとされる時代に「鷲」が鳥類の王であるという認識があったかは
定かではありません。このイザヤ書の箇所の解釈は、明らかに論理的な無理のある解釈だと言えます。
普通一般的に考えると、この聖句箇所から「猛禽→鷲→鳥類の王→メシヤ」という連想は難しいことです。
とくに、鷲が鳥類の王だという認識は、現代においても百獣の王ライオンほどにはありません。
そう言われればそう思うかなという程度のものです。しかし簡単に納得できるのは、
動物・植物・その他・特別といった一連の比喩の講義の中で、犬といえばあれ、豚といえばこれ、
ブドウといえばそれ、といった具合に連想作業を繰り返すうちに、提示されたイメージを受け
入れやすくなっているからかもしれません。前述のように、比喩には解釈する側の意図によって自由に
意味を引き出すことのできる融通性があり、ときにそれは危険をもたらします。聖書を神の言葉として
捉えるのであれば、人間側の意図が入り込まないように最善の注意が必要なのではないでしょうか。
ともあれ、文鮮明氏にしても高○信次氏にしても、彼らが再臨主たりえるのは、それぞれが指示する聖書
箇所を、彼らが再臨主であることを意図して、前提として、解釈する場合に限って成り立つのです。彼ら
が再臨主であるのは、そうであることを望んでいるそれぞれの信者たちや信者となることを方向づけら
れている人々にとってだけです。それ以外の一般の人々にとってそれらの解釈はあまりにも、合理性を
欠いた、論理の飛躍した、無理のある、むしろ間違っていると言えるものです。誰に肩入れもせず、冷静
に客観的公正にたって判断するなら、彼ら自称救世主たちは、聖書箇所の解釈、とりわけ自己の証明に
おいて間違った解釈をしているのですから、聖書が予言した再臨主ではないのです(もちろん聖書は再
臨主を予言していないという主張もある)。つまり、G○Aの「先生」が全世界の救世主である可能性は、
統一協会の教祖文鮮明氏が救世主である可能性とさほどかわらず、どこか知らない場所の見ず知らず
の人が救世主である可能性と大差なく、ゼロに等しいということです。このことは彼らを侮辱することでは
ありません。彼らも私たちと変わらず同じ一人間だということです。
その上で、彼らによって救われたと考えるのは自由です。人生を大きく変える言葉を受けた、病気を癒
された、絶望から引き上げられたといった体験によって誰かを自分にとっての救い主だと考えることは自
由です。でも、それはあなたの個人的体験によるものであって、それを伝道しようとしている対象者や他
の人にも押し付けるのは良くないことだとはっきりと知る必要があります。G○Aの伝道が進まないのは、
メンバーたちの努力不足のせいではありません。隠蔽体質をはじめとした集団組織としての
不健全さによるものだと思います。人々を集めるのは信頼です。いくら商品やサービスが素晴らしい
会社だとしても、その経営が不健全であれば、顧客からの信頼は得れず、会社は成長しないでしょう。
近年、大手自動車メーカーや食品メーカーがその隠蔽体質によって人々の信頼を失い、あまりにも大きな
経営的打撃をうけたというニュースもこのことを物語っているのではないでしょうか。
自分が参加していたサークルがG○Aという宗教だったと知らされた新入生はみなショックを受けます。
それは、宗教だったということからの衝撃もあるでしょうが、もっとも彼らを傷つけるのは、あれほど尊敬
し信頼していた人たちが結託し、実は本当のところを自分に隠していたという事実です。若者の多くは、
宗教に入ることを望んでいないとしても、宗教を信仰している人たちに対して寛容で、決して否定的では
ありません。G○Aにおいて充分な情報開示がされていないのは、組織構造や活動内容の問題だけでは
ありません。お金の流れに関しても不透明なのです。
メンバーに対してなぜ日々の献金の使途が明らかにされていないのでしょうか?金銭的な執着から
言っているのではありません。信仰者にとって、献金とは彼らの信仰心や活動の努力が形となって表れた
ものだから言っているのです。メンバーが日々積み重ねてきた努力がどういった形をなして実を結んで
いるのか、詳細に明らかにされるのが望ましいでしょうし、明らかにされるべきでしょう。
しかし、G○Aにおいては、一般のメンバーにはさっぱり明らかにされていないのです。彼らの努力や
誠意の形が、無駄に使われていたとしても、意に沿わない形で使われていたとしても、指摘することも、
改善することもできない状況です。一般のキリスト教教会には会計役員がいますし、監査役員もいます。
教会や組織運営に関する金銭的なことは、その収入・支出・将来計画について、その所属信者たちに
明らかに公開されているそうです。
社会人の10分の1献金などの高額献金についても受領証明を出しているそうです。
信者一人ひとりが気持ちよく信仰生活を送るためには、こういった健全な会計制度が必要であるし、
自分たちの信仰活動に健全さを求めるなら、進んで執りおこなう行為だと思うのですが。
そして、新入生が参加する行事やサークルの会計に関しては、もっとシビアに健全さを追求すべきです。
なぜなら彼らはG○Aという組織の構成員ではなく、外部者だからです。彼らメンバー以外の参加者に
対する説明や了承の無いまま、彼らからも徴収した行事やサークルの費用の一部でも、教会やG○Aの
運営費用に流されるなどということは決してあってはいけないことです。これは精神的問題ではなく、社
会的問題です。
_、--―――---、,,,,,_.
,,-ー'''゙`. ^"''―,,,.
、-''` ^'''-,_
、-'` ゛\,
\,
\.
`i,, / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ, < デネブデネブ〜!
ヽ \__________
| ○ ヽ
_| ヽ
_.、-ー' | ゙l,
\__-ー'゙ ̄ | ゙l.
\ | ゙l
\ | |
○ \ | | oシリウス
\ | l 。 太陽
\ | |.
\| l゙
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、当該誹謗中傷活動に対する批判を
先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員の賛同により採択されました。このテンプレート変更のため
本スレッドは終了しました。 次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/
おとうふワッショイ!!
\\ おとうふワッショイ!! //
〜 \\ おとうふワッショイ!!/ 〜
__ __ __ 〜
|\ _\ |\ _\ |\ _\
〜 ( \|__| ). ( \|__| ) ( \|___| )
( ´∀`∩ (´∀`∩ ( ´ー`)
〜 (( (つ ノ (つ 丿 (つ つ ))
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) ) 〜
(_)し' し(_) (_)_)
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、
当該誹謗中傷活動に対する批判を先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員
の賛同により採択されました。
このテンプレート変更のため本スレッドは終了しました。
次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|||||||||||||||||||||| く ず れ た ・・・ |||||||||||||||
__ _ __
|\ _ノ、 |\_ヾ, 、 ,冫 _ \
( \|_`:、; ) ( \|_;'; ', ) (.;`;ヾノ__| )
( lll´A`∩ ( lll´A`∩ ( lll´A`)
(∪ ノ (∪ 丿 (∪ ∪
| │ | | │ | | │ |
(__)_)゚。∴(__)_)。・゚,.゚(__)_)
'^゚` ゚^"
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、
当該誹謗中傷活動に対する批判を先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員
の賛同により採択されました。
このテンプレート変更のため本スレッドは終了しました。
次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/
+ +
∧_∧ ∩+
(0゚・∀・)彡 テカテカ
(0゚∪ ⊂彡 + テカテカ
と__)__) +
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、
当該誹謗中傷活動に対する批判を先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員
の賛同により採択されました。
このテンプレート変更のため本スレッドは終了しました。
次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/
.+ +. .+
.∧_∧ +
復活テカテカ?(・∀・゚0)
+. ∪ ∪゚0) +.
/ヽ(_(___づ/ヽ
+. ( ・ ∀ ・ ゚0)
.∪ ∪ ゚0) +.
(___(__づ
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、
当該誹謗中傷活動に対する批判を先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員
の賛同により採択されました。
このテンプレート変更のため本スレッドは終了しました。
次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/
ヨイデハナイカwww♪ イヤー!!!
.+ ∧_∧ ∧_∧
(0゚・∀・)+ 。゚・(TДとヽ・゚。
.+ (0゚ つ つ + と ノ
人 Y + 人 Y
し(_) し(_)
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、
当該誹謗中傷活動に対する批判を先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員
の賛同により採択されました。
このテンプレート変更のため本スレッドは終了しました。
次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/
+ +
∧_∧ +
(0゚・∀・) ワクワクテカテカ
+. (0゚∪ ∪ +
/ヽと__)__)_/ヽ +
(0゙ ・ ∀ ・ ) ワクワクテカテカ
(0゙ ∪ ∪ +
y / )
( / /
) / / )
( / /
) / / )
( / /
) / / )
/ヽと____)___)_/ヽ + +
( 0゙ ・ ∀ ・ ) ワクワクデカデカ
( 0゙ ∪ ∪ +
と_______)_____)
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、
当該誹謗中傷活動に対する批判を先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員
の賛同により採択されました。
このテンプレート変更のため本スレッドは終了しました。
次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/
+. . , +
. * ∧_/∩ . *
+ (0゚・∀・)彡 テカテカ! テカテカ!
. oノ∧∪⊂彡∩ . *
/ヽ_と__)__)/ヽ ∩ +
+ (0゚ ・ ∀ ・)彡 テカテカ!テカテカ!
. (0゚ ∪ と彡 +
/ヽど____)___)_/ヽ ∩ + +
( 0゙ ・ ∀ ・ )彡 〒力〒力!〒力〒力!
( 0゙ ∪ と彡 +
/ヽど______)_______)_/ヽ ∩ + +
( 0゙ ・ ∀ ・ )彡 〒力〒力!〒力〒力!
( 0゙ ∪ と彡 +
/ヽど__________)_______)_/ヽ ∩ + +
( 0゙ ・ ∀ ・ )彡 〒力〒力!〒力〒力!
( 0゙ ∪ と彡 +
ど_____________)_________)
GLAによる他宗教への誹謗中傷活動を隠蔽したテンプレートを廃止し、
当該誹謗中傷活動に対する批判を先頭に掲げた新テンプレートがコテハン全員
の賛同により採択されました。
このテンプレート変更のため本スレッドは終了しました。
次スレのご案内です。
【高橋桂子】(宗)GLΑ総合本部【ΤL人間学】18
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1225864120/