【高橋佳子】宗教法人GLA総合本部【TL人間学】 17
ともあれ、文鮮明氏にしても高○信次氏にしても、彼らが再臨主たりえるのは、それぞれが指示する聖書
箇所を、彼らが再臨主であることを意図して、前提として、解釈する場合に限って成り立つのです。彼ら
が再臨主であるのは、そうであることを望んでいるそれぞれの信者たちや信者となることを方向づけら
れている人々にとってだけです。それ以外の一般の人々にとってそれらの解釈はあまりにも、合理性を
欠いた、論理の飛躍した、無理のある、むしろ間違っていると言えるものです。誰に肩入れもせず、冷静
に客観的公正にたって判断するなら、彼ら自称救世主たちは、聖書箇所の解釈、とりわけ自己の証明に
おいて間違った解釈をしているのですから、聖書が予言した再臨主ではないのです(もちろん聖書は再
臨主を予言していないという主張もある)。つまり、G○Aの「先生」が全世界の救世主である可能性は、
統一協会の教祖文鮮明氏が救世主である可能性とさほどかわらず、どこか知らない場所の見ず知らず
の人が救世主である可能性と大差なく、ゼロに等しいということです。このことは彼らを侮辱することでは
ありません。彼らも私たちと変わらず同じ一人間だということです。