ダイジ和尚グルKニサルガEOガンガジ津留エック辺り

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695神も仏も名無しさん
>>690 
自分もだいたい1〜数日、本格的な修行はしてないよ
自分がしたのは徹底した自己洞察だけ
自分はクリシュナムルティがしっくりくるんで、ただ常に自分に今に気付くことだけに専念した

感情や好き嫌い良い悪いなどの価値判断が自分にわいたら、自分の何がそれを生じさせる
のか徹底的に調べる、24時間いつも、見た夢についても考えたり
自分に自我がないならそういうものはわかないはずだから

それをしてくと自分の今まで気付かなかったこだわりの根源に気付いて、そういう状態になる
でも言葉による思考で気付いたような気がするのではなく本当に気付かないといけない
論理的にはわかるけど感情がついていかないとかだとだめ

本当に気付けると不思議なことにそれに対する感情や全てが瞬時にきれいさっぱり消える
上のほうでトラウマの話をしてる人がいるけど、トラウマも忘れてた記憶を思い出せた瞬間
なぜか解決するとかいうし、たぶん構造はそれと同じ
グルジェフが人間は機械的な反応から脱せないようなこと言ってたけど、その機械的な反応
の根源(構造)に気付くことでそこから脱するのが悟りだと自分は思う
瞑想などは気付きやすいように表面的自我を静めるためのもので直接的な方法ではないと
思う、それはそれで有効だとは思うけど

瞑想なら自分の状態をただ観察するヴィパッサナー瞑想とかがいいような気もするけど、自分
はただ観察するより、もっと積極的に自分の内面を意識していくほうがいいと思った

絶望で悟るひとなんかも絶望したときに自分が何を求めていたか、自分とは何であるかに
気付くから悟るんじゃないかな、禅の考案とかもそういうことじゃないかと思うし
いろいろな瞑想とかワークとかも最終的に自分の根源に気付くためのもので、気付けるなら
なんでもいいと思う、特定の決まった手段はないんじゃないかな