ダイジ和尚グルKニサルガEOガンガジ津留エック辺り
合掌
3 :
神も仏も名無しさん:2008/08/15(金) 20:36:22 ID:k+Sengw7
スレタイ人増えすぎだろw
4 :
神も仏も名無しさん:2008/08/15(金) 20:44:14 ID:MLd71EIn
ハルヒなのは綾波水銀シャナ長門ランカ言葉辺り
なんか、最近の宇宙論だと、不確定性原理で宇宙ができたわけも
分かっちゃうらしいよ。
EOとかはこの事実をどう捉えるのだろう。
>>5 自分のイイカゲンな発言に恥ずかしくならないか?
和尚グルKは、それぞれの専門スレはけっこう見かける。EOを外すかどうか
は、分かれるとこかもしれない。ダイジの個人スレは(過去はあったと思う
けど)見かけないけど、たぶんすぐ過疎ると思う。津留・・?それらしい人
は検索したら、あることはあるがここで並べるほどなのか。エック・・・?
誰だそれ。 いきなり合掌だけして、逃げるなよw
オリンピック開催されてから
まだ1秒も見ていない俺はこのスレではまともかな?
エックはエックハルトなんじゃないすかね?
他にもわからないのがあるが
誰か詳しいひと、スレタイに誰がいるのかヨロ↓
よほどテレビのない環境にでもこもってない限り、「1秒も」というのは、ちょっと
不可能だと思うのだが・・・。
なるほど。エックハルト・・・1200年代のキリスト教ドミニコ会にて神秘主義に傾倒・・
って、いきなりかい。しかも「エック」かい。 親友かって。アバウト過ぎるなぁ、人選。
11 :
神も仏も名無しさん:2008/08/16(土) 11:05:06 ID:ItEVDXZM
サトリンピックてのはどうだろう
12 :
神も仏も名無しさん:2008/08/16(土) 18:31:21 ID:vBgpM5F/
エックハルトというと、今なら「シンプルな悟り方」のエックハルト・トールが思い浮かぶ人も多いんじゃないか?
14 :
神も仏も名無しさん:2008/08/17(日) 00:49:21 ID:SIl6VSDP
なんだ ばーか?その態度に見ていた第三者のおれが恥ずかしくなったよ (-.-;)
自分の意見を間違っていると指摘されると、調べもせんと
荒らしたりするゾンビが多いからね。w
せめて、チョキになれよー。
人間の意志や心は、所詮は脳のニューロン発火であって、
悟りも脳のなんかよくわからん化学反応なんじゃねえの?
17 :
神も仏も名無しさん:2008/08/20(水) 14:39:23 ID:lbKOXhfq
>>16 ニューロン発火だとしたら、何か解決するのか? え?
なんか悟りすら通用しない時代のような気がしてきた。
>>18 ってことは、そのうち脳科学や医学が発達して、
この薬を飲めば宗教で言う悟りという状態になりますよ!
ってのが出来るようになんるんじゃね?w
まあ、そう言われてる薬物や機械はあるけどね
今のドラッグやヘミシンクだっけ?とかと段違いのやつが
そのうち出来るでしょ。
そしたら、上位者の思考とかの回収はどうすんだろうね?www
そりゃ、アヤワスカだろ。
アヤワスカもたいしたことないよ。
日本ではもの珍しいだけ。
ペルーとか行くと、「アヤワスカやりたい?」って
聞いてくるのいっぱい居るし。
まあサイケデリクスのきついやつだろうね
でも相性だからアワヤスカでもなんでも相性合えば
26 :
神も仏も名無しさん:2008/08/22(金) 23:31:40 ID:FglSQX6w
飲んで悟れる薬ができるまで座って待つとするか
飲んで悟れる薬なんか出来たら、すぐにドラッグに認定されて禁止されるよ。
大麻だってそうじゃねえか。
とにかく人々が少しでも幸せになるようなものは徹底して禁止されるだろう。
サルビアはすごかった
それだけ
悟ったら労働力として酷使できなくなるからねwww
まあドラッグで一瞬悟れても依存になるだけなのだが
大麻なんて鈍化による安易な幸せで、幸せも不幸も分別しない悟りとは別物だし
サルビアは恐ろしいぶんアリかもしれんね、自己の死を体験するし
依存どころか二度とやりたくないって人間が多いくらいだから
悟りも途中で魔境とか見るし、自己を直視しないような安易なドラッグならやるべきじゃない
そう思うよ。全否定はせんけど、いつまでも60年代の平和なドラッグカルチャー
の時代じゃないんだから。暴力団の資金源でしょ、ヤクは。
サルビアって不思議なドラッグだよな
多幸感なんて皆無だし、かといってサイケでもない
あれやると魔法が解けちゃうんだよね
現実の世界って魔法(マーヤー)が覆ってるんだけど、そこから一気に醒めちゃう
この世が魑魅魍魎がうごめくサンサーラだって事に気づくんだよね
34 :
神も仏も名無しさん:2008/08/24(日) 20:08:54 ID:/XY6kLXA
業者 宣伝 乙
35 :
神も仏も名無しさん:2008/08/25(月) 01:50:11 ID:wdPILAYr
サルビアの主成分はアンフエタみんだよ
サルビアの成分はサルビノリンだよ
つーか業者の宣伝もなにも、とっくに違法だよサルビアは。
指定薬物だから、個人輸入でもアウトだしね
猿知ってるやつ多すぎて笑ったぞw
アルファコイルとかのもっと凄いやつが出来れば良いのにな。
だからモノとか薬物に頼っちゃダメだってw
>>20 テレビでやってたんだけど、左の側頭葉にある部分を電気で刺激すると宗教体験できるらしいよ。
そういや、和尚の話の中に日本人に対する誤解って結構でてくるな。
例えば車に惹かれても礼節をわきまえてる日本人は轢いた人に対してもお辞儀するとかw
42 :
神も仏も名無しさん:2008/08/29(金) 10:12:28 ID:5bA71KQM
あった サムライは腹を切って死ぬが彼らは痛くないなんてね
43 :
神も仏も名無しさん:2008/08/30(土) 00:10:32 ID:QUeedSzv
44 :
神も仏も名無しさん:2008/09/01(月) 21:56:34 ID:FqbBzLZX
スレタイにカスタネダいれようぜ。略称「カス」。
46 :
神も仏も名無しさん:2008/09/01(月) 23:10:21 ID:lqT+QGoR
カスタネダは、経歴含めて書いてること嘘だってほぼ、暴かれちゃってるから
ある意味じゃEO以上でしょw ただ、いろんなインディアンの呪術研究のつぎ
はぎではあっても、うまく一本の物語として編集してるところはうまいのかも
しれないけど。ベースになってる呪術の思想や世界の見方を変えてしまうとか、
そういう部分は、学ぶべきことも多いのではと。
カスタネダだっけ?明晰夢の見方を訓練するのって。
夢の中で自分の手のひらをじっと見るってやつをやってみたんだけど、
凄いリアリティーがあって感心してたらよくみると指が六本なんだよなw
それに手の平に物凄く線が入ってて、「ああ、やっぱり夢なんだ」って
それで気づいたよ。そういう違和感がなかったら夢を現実と混同しかねないから
防衛機能として働いたのかもね。
それ以来怖くてやってない。
自分の場合は、中指だけ一本スパッとなくなって・・というか、消えていた。
気功とかやってるのもあるけど、波をうまく掴めば明晰夢とか入りやすいん
だが、怖いというのはないけど時々すげえ重圧がかかってきて呼吸困難にな
りそうなことも・・ドラックでいうとこのバッドトリップに近いのかな。
うまいこと乗れば、生身での高速飛行感覚とか面白いのもあるけど。
俺は夢の中で違和感に気付かないんだけど何が違うんだろう
よく夢の中で空を飛べることを思い出して(何で飛べること忘れてたんだろう?)
目が冷めてからがっくりくる。指6本でも「何で5本だと思ってたんだろう?」ぐらいになると思う。
寝ているんじゃなくて、瞑想してて明晰夢みたいにリアルな映像が見えることってある?
寝ているのと起きているのの中間なんだけど、寝ているわけじゃないんだよなあ
絶対無ってなんで意識あるものを産み落としたんだろう?
>>50 しょっちゅうあるよ。べつにどうと言うほどのものでもない。
オウム事件のときに、精神科医なんかが信者の体験などを分析してたが、
ヨガの呼吸とか吸って止めるとか重点に置くわけで、それで何かが見える
とか光が見えるとかいうこと自体は、脳の低酸素状態とか空気の薄い高い
山に登った時の状態と同じということで神秘体験ではないと・・自分もそれ
は納得できる・・ただ、その過程を越えた先でさらなる何かがあるのでは
と思っている。
>>53 自分の場合、リラックスして目を閉じて30秒もすると、変性意識状態に入る。
とくに呼吸法なんてしていない。多くの場合、風景の中を飛行しているヴィジョンが
見えてくる。その状態でも、ふだんの意識に戻ろうと思えばいつでも戻れる。
この体験にしいて意味を見出そうとするなら、身体の内に心がある、という
固定観念から解放されることかな。内と外、主体と客体という強固な二元論的
枠組がゆるくなる、ということ。
>>51 絶対無が意識なんだと思うよ。
意識は本物だが私(思考、粗大な思考である肉体そして世界)は偽者、幻。
俺の知った情報(非体験)によると
意識は無(全体)の存在なのに何らかの形象(思考、肉体)に同一化している為、苦であると。
消え去る=すべてになると。元々「私」など幻なわけで消えるという表現も適切ではない(気付く、醒めるがベター)。
言葉の性質上、空(涅槃)を言い表すことは不可能。光も闇もメタファーかと。
アジズがなにを言いたいのかさっぱりわからない。
57 :
神も仏も名無しさん:2008/09/05(金) 15:48:02 ID:mwu55wpQ
てか あなたも何をいいたいのか さっばりわからん
>>54 それって凄くないですか?
日常生活においては、役に立ってますか?
>>54 それは悟りや無我の境地などに関係してますか?
61 :
54:2008/09/06(土) 09:05:17 ID:CRBwb851
>>59 べつに凄くないよ。ちょっと瞑想になれた人なら誰でもできると思う。
日常生活には直接には役立ってない。
>>60 直接には関係していない。変性意識状態と悟りはまったく別種のことだと思う。
いや、特に呼吸法もなしに目を閉じて30秒ぐらいでスッと入れるなら、
すでに慣れた禅僧レベルだよ。目を閉じても日常のイライラとかスケベ
妄想(笑)とか、当面はそんなことばっかりしか浮かんでこないからね
なかなかこれが・・・。
>>61 変性意識状態になったからって映像が見えるわけでもないと思えるけど、同じってかんじ?
映像見るコツみたいなものってあります?
勝手に見えるの?入眠時幻覚みたいに
それとも意識を集中させたりする?見ようとするとか
64 :
54:2008/09/06(土) 11:52:40 ID:CRBwb851
>>62 年齢もあるんじゃない? 若いうちは生命力のほうが強いから。
俺はおっさんだよ。いまだスケベだけどw
ちなみに瞑想は、ゾクチェン系のリラックスしたスタイル。
>>63 変性意識状態というのは大ざっぱな概念。要するに、日常的な自我意識から
ふとはずれた意識状態。
映像を見るコツは、何も期待しないで受け身状態になること。
勝手に見えてくる。
逆に俺は意図的な観想は苦手。リンゴのイメージすらはっきりとは浮かんでこない。
知り合いには、観想の得意な奴がいて、細部までリアルな仏菩薩が瞬時に3Dで
現れてくるらしい。
65 :
神も仏も名無しさん:2008/09/07(日) 11:01:48 ID:7lHAliw3
自分も目を閉じると鳥居みゆきの全裸が3Dで見えてくる
それは禅で言う「魔境」かもしれん。
キャッチ & リリーース!! と、いきなり襲ってこないか?
67 :
神も仏も名無しさん:2008/09/07(日) 20:54:24 ID:7QSSyQZW
むしろヒット & ラーーン!!
いまさら和尚の本をなにかしら読んでみようと思うのだが、たくさんありすぎてどれから手を着ければいいかわからない。
みなさんのお勧めを教えてください。
>>68 とりあえず最初に邦訳が出た『存在の詩』。
ついでに側近の書いた暴露本『ラジニーシ・堕ちた神』
70 :
神も仏も名無しさん:2008/09/11(木) 07:34:02 ID:ONp4R+NA
今はもう絶版の草はひとりでに生える ヤフオクでたまに高値ででる
堕ちたグルの個人的感想は 和尚いい人だな 周りは馬鹿が多いな 本の最後の部分で突然 推測だけで和尚を悪者にする 推測ておまえ側近だろ 証拠ないのかよ とあきれる
欲しい本が絶版になってて高いorz
アジズとかマハルシとか
フーマンてどうだろ。情報が少ない。
72 :
神も仏も名無しさん:2008/09/11(木) 17:20:41 ID:IHCHXwjI
73 :
神も仏も名無しさん:2008/09/11(木) 17:29:51 ID:IHCHXwjI
結局和尚って毒殺されたの?
75 :
神も仏も名無しさん:2008/09/11(木) 20:51:27 ID:IHCHXwjI
真相は謎
アメリカが遅効性のタリウムを留置所で盛って、その影響で体が原因不明の苦痛に
苛まれるようになって死んだというのが和尚側の公式見解。
でも和尚の侍医のアムリットが実はやったんじゃないか?というサニヤシンの話も
ネットのどこかで読んだことがある。
視力が突然なくなったのは確かだよね。
恥ずかしながら、カスタネダにかなり深く傾倒した俺が来ましたよ。
「夢見の技法」の新刊が出た頃の話だけど、見よう見まねで夢見の修行をしてみた事がある。
基本的にカスタネダ本の通りに事が進んだので、こりゃすげーと思って嵌っちまったのさ。
夢の中で手を見る訓練をしてたら、緑色のちっこくてしわくちゃな手が見えたりとか。
明晰夢の中で目を瞑り、片目づつ開けると違った光景が見えたりとかね。
ただ、夢があんまりにもリアルになってきて、現実との区別がつかなくなったのには困った。
夢見術は、高藤聡一郎って言う仙道家が良く研究してて、彼の本はかなり助けになったよ。
まあ、夢見なんかできても何のメリットもないから、お勧めはしないけどね。
マジカルパスあたりで一応洗脳が解けたけど、まだ本は全巻もってるよ。
単に読み物捉えても、普通に面白いしね。
カスタネダ本は、虚実ないまぜな所が魅力だと思う。
夢といえば、他には明恵やアーノルド・ミンデルとか・・・
ロバート・モンローとか・・・
ヘミシンクCD聴いた時は、確かに
リアルな明晰夢を何度かみた。「ああ、おれ、いま歩いてるじゃん。
このまま外出してみよう」みたいな。振動ってやつも確かに感じた。
80 :
神も仏も名無しさん:2008/09/12(金) 15:13:04 ID:TfxkPtms
自分が元カノ〔多分でもちょと違うかも〕とのセックスの夢で温もりや手触りまで知覚したのは驚いた
俺も触覚はリアルに感じたけど、視覚が不明瞭だったな。
特に顔が殆ど確認できない。
ある日、リアルなセックスの夢をみてたんだけど、
やってる最中に「あ、これは夢だな」と気づいた。
でも気持ちよいからそれを持続させようとしたらじょじょに
形が崩れ始めた。つまり欲望が起きた瞬間に夢が崩壊し始めた。
するとその崩壊した夢の形骸みたいなものが気化して
自分の体を取り巻いてたのが分かった。(夢の中に肉体がすっぽり入ってる感じ)
で、体にまとわりついていたものが段々と一点に収束して目が覚める。
その消えた先は後頭部の奥深く。
ツボでいうところの風府の指一本下ぐらいのところ。
やっぱり想念で戯れてたんだなんとその時初めて実感できた。
それ以来あえてセックスの夢を見たいと思わなくなったな。
82 :
神も仏も名無しさん:2008/09/14(日) 07:37:34 ID:XenWXzBi
揺り篭やブランコに乗ってるのを意識して寝ると体と意識が
ずれて意識がスポーンと抜けるよな。
あ〜、これが幽体離脱ってやつか〜って分かる。
たまに連れみたいなのが現れて離脱をサポートしてくれる。
そのままどこかに落下するような感覚に襲われて怖くなって
目覚めたりすることもある。
こういうときって金縛りに遭うことも多い。
俺も昨日昼寝をしてたら明晰夢?を見たよ。
夢の中で、自分が夢の中にいることに気づいた。
その直前に一度目が覚めて、
それからうとうとして再び浅い眠りについた時だったから気づけたのだろうな。
それで自分の手を見た。
他のスレで明晰夢中に自分の手を見るとかなんとか書いていたのを思い出したから。
手の形・色は見えたが、指紋や皺まで細かい部分はなく、
それでもっと見てみようとしても見えず。
しかたがないので瞑想した。
夢の中で目を閉じると夢の世界が闇に包まれた。
しかし長くは続かず、川が現れたりする。
それで俺は川の対岸に飛んでいこうとする。
うまく飛べず、でも最後には飛べた。
このことから夢の中でも自分の意思をセーブする別の意思があることを知りました。
次に明晰夢を見たときは、この別の意志、無意識?にアクセスしてみようと思う。
俺は幽体離脱も夢見の技法もいっさい興味がなく(怖いんで)、
望んでないんだけど、ヘミシンク聴いた時はものすごい振動が起きて、
やはり数回
>>81の上2行みたいな感じになった。
夢のワークとかやる人は、補助的にヘミシンク聴くといいと思うよ。
俺は脳トレのつもりで買って、似非科学みたいに半信半疑だったけど、
モンローの本とかいっさい読まないで予備知識もほぼ0で上記の状態になったから、
物理的に効果はあると思う。
で、やっぱり、手のひらを見るっていうのやったけど、「ああ、なんも見えん」だったな。
ただ、見えないなりに、第三者的に自分がどこにいるかわかるっていうのは、
夢独特のものだったけど。
ヘミシンクCDはメディテーションっていうのがI tuneで1500円くらいで買えるから、
このスレでカスタネダとかに詳しい人にちょっと試して欲しいな・・・。
と人任せw
>>84-85 ヘミシンクの体外離脱だとゲートウェイってCDが有名みたいだけど、その体験はメディテー
ションってCDでなったの?
>>86 「ゲートウェイ」でも「メディテーション」でもなりました。
「メディテーション」、っていうのは、CD一枚もので、音楽もなくひたすら
ヘミシンク音が流れる、ってやつなんですけど、左右の脳を同調させるというので
寝ながら聴いてたら、全身が「ガガガガッ」と振動。
と同時に、「目はつぶってるんだけど、まぶたの裏側にいろいろ映ってる状態」に。
で、驚いたんで、オカルト板のヘミシンクスレでいろいろ質問したら、
「振動」は一番ポピュラーな反応で、「体脱」の前段階だと教えられました。
その後、「ゲートウェイ」というのを買ってみました。
いろんなエクササイズのナレーション付きの、CD三枚組みのセットです。
「身体の周りに光の膜を作る」とか
「半覚醒状態(ヘミシンクではフォーカス10という)で、身体を丸太のように反転させる」
とかエクササイズがあって、「あー、これやってりゃ確実に体脱するな」って実感。
「全身を心の目で視覚化し、不調の部分にエネルギーを当てる」とか、チベット密教っぽいのもありました。
上に書いたとおり、「体脱」には興味がないので、脳トレのつもりでやってましたが、
物の弾みでこの数年に2回くらい経験しました。
「ゲートウェイ」は、WAVE1〜6まで6セットがあって、それぞれ目指すフォーカスが違う。
「ガイドと話す」とか「愛を感じる」とかなんかいろいろあるみたいです。
ただ、「普通に聴いてても、それだけで精神の成長に役立つ」、って類のものじゃないと思います。
自分自身、変化したとか全然感じない。
ゾクチェンとか、ああいう自己向上の体系の足元にも及ばない。
ただ、かなりの変性意識にはド素人でも容易に入れるので、それをワークとして
やってる人は、補助になるんじゃないかな、と思ってスレ違いですが書き込んでしまいました。
秘伝っていう武術雑誌に方残が出てるぞ!
手裏剣の特集だが。
顔隠してる。w
90 :
神も仏も名無しさん:2008/09/15(月) 19:36:29 ID:qo48xodO
ge
>>87-88 丁寧なレスありがとう
近々ためしてみます(*´∀`)ノ
女はチンコ付いてないから気楽だな・・・
方残、手裏剣のフォーム下手だな!
ありゃ、的に当てるのだけがうまいだけだな!
94 :
68:2008/09/20(土) 22:29:12 ID:LULSKQqi
みなさんありがとう。
>>69 存在の詩、絶版なんだね。探し回ってやっと売ってるところを見つけたよ。
じっくり読んでます。
ヨガナンダ・ババジ・ラーマクリシュナ・ラマナ・マハリシ・ヴィヴェカーナンダ
あたりでスレ立てたいけど、話すことあんまりなさげだ。
クリシュナムルティやオショウはどう評価してたんだろうか
96 :
神も仏も名無しさん:2008/09/21(日) 07:37:54 ID:x0cJVjMX
中村うさぎの「私という病」を読んだ人いますか?
ババジなら=ダイジになるだろうな。ババジのクンダリニー・ヨガに師事して、
日本語でそれを伝えることのできた日本人はダイジ(有名どころではだが。無名
の人なら他にもいるかもしれんけど)ぐらいのもんだろう。
「ババジと18人のシッダたち」という本の原著者あとがき、読んだ人いる?
オレは気持ち悪くて吐きそうになった。
どんなだったの?
>>99 著者(アメリカ人)の友人が犯罪に巻き込まれて、この世のものとは思えないほど
人権蹂躙され、あげく廃人となる話。具体的にはおぞましすぎるので、本屋で立ち
読みでもしてくれ。
101 :
神も仏も名無しさん:2008/10/04(土) 00:42:39 ID:WyoyzG6F
徳間から最近出た「ヒマラヤ聖者の教え」のスワミ・ラーマは、
実はマハアバターババジに師事していたらしいということですが、
実際のところどうなんでしょう?
スワミ・ラーマなんて人がいたこと自体、初めて知ったもので…。
崇教真光と交流があったりといかがわしい感じもします。
>>101 スワミ・ラーマの名前は20年以上前から知ってる。
日本で紹介されていないだけで、西洋ではけっこう有名。
とくにいかがわしい感じはないが、スキャンダル等はネットで自分で調べてくれ。
103 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 21:33:05 ID:QUqBEAWe
あげ
素人ですが人生に悩んでいるのでこれからダイジにスガロウと思います。
ダイジ曰く…
人間には素人も玄人もないんだ。
みな同じ命を生きているんだ、誤解しないでほしい。
そして本当に素直にあなた自身を生きること、すなわち愛。
ダイジの言葉は訳もなく元気でるよな。
瞑想してる時思い出したら涙が出てきた。
優しく囁いてくれる感じ。
和尚は涙出ないけど勇気もらえる。というか涙出る余地ない。
kは言ってる事はうなずけるんだけど言い方が辛気臭くてやだなあw
私はラジニーシは幼く感じて、
kの言ってる事で辛気臭いと感じた事は一度も無いから、
個人差があるだろうね。
ラジニーシはハッタリ臭い。ああ、やってる、やってる、という感じ。
Kは、翻訳が直訳調なのが問題。英語で読むとすっきりしている。
癒しや元気をもらえて嬉しいのはそういうものを求める依存心があるから
そういったもので自己の空虚さを埋めようとしてるから
Kはそれを直視させるから辛いと感じる人もいる
自分は自己内面の洞察にはそれが一番大切だと思うからKが一番しっくりくる
おいしい食べ物が身体にいいわけでもないと思う
>>102 101です。自分で書いておいてすっかり忘れていました。失礼しました。
スワミ・ラーマは欧米では有名な方だったんですね。
ご丁寧にレスいただきありがとうございました。
自我が反応してるね。
面白い。
それはそうと、クリシュナムルティは
なんちゅう、渋い顔をしてるんだ。
最近、気づいたんだが
2chてなかなか良い修行の場だよね
久々にEOのサイト覗いたら、みごとな嫌韓サイトになっていてワロタ。
115 :
104:2008/10/20(月) 11:14:56 ID:z7xg1Dkv
ダイジ読んでみたけど「答え」は書いてありませんでしたorz
自我の終焉でも注文しようと思います。今度は答えが書いてあるといいんですが
>>115 どんな本読んだって答えなんて書いてないよ。道案内だけ。
「答え」が書いてあるような本は洗脳本だと思ったほうがいい。
>>113 上に同じ
忍辱
が身につく
悪趣の素をかいま見るかもしれない
Kでもダイジでも和尚でもEOでもいいから
悟り開いたけどなんか質問ある?
というスレを見てみたい
119 :
神も仏も名無しさん:2008/10/22(水) 20:55:01 ID:OqRdhX0Q
バーナデット・ロバーツ『神はいずこに:キリスト教における悟りとその超越』
日本教文社 2400円
本日発売された模様
120 :
神も仏も名無しさん:2008/11/06(木) 01:35:21 ID:VckYCcLA
あげ
121 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 13:29:08 ID:23Pdo6nL
↑バーナデット・ロバーツの書籍が、最近
サイトでやり玉に上がっている、生長の家の
出版社から出されている件について。
>>121 あそこはロバート・モンローの本も出してるし、ミンデルの本も出してる。
教団の縛りがゆるいだけじゃないの。
創始者も、何でもあり、いいとこどりの人だったみたいだし。
>>121 ええっ?そうだったのか・・・
ところでみんな読んだの?
日本教文社と平河出版は経営宗教はさておきいろいろいい本を出版しているね
125 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 19:51:57 ID:DRIlajGu
生長の家も阿含宗もいんちきペテンのカルト宗教じゃんかよwww
どれだけの人を騙して破滅させたんだよwww
126 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 20:07:58 ID:DRIlajGu
そういやあ、層化の潮出版からも今は休刊してるが青少年向けのコミックで
「希望のナンタラ」て言うのだしてたけど、手塚治虫の「ブッダ」や横山光輝の
「三国志」や宮沢賢治の哲学的童話の漫画やらすごく感動的な作品ばかりだったなぁ・・・。
巨大カルトの層化が出してるため、ものすごく白けたけどwwww
127 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 20:48:19 ID:q1ct0fKb
>>242 まったく違うと思う。
キリスト教の最も本質的批判は、ニーチェの「反キリスト者(アンチクリスト)」
だが、クリスチャンであるヒットラーが容易にニーチェを理解できる
訳がない。理解できれば、キリスト教自体が消滅している。ニーチェは
ヒューマニストであり、反ユダヤ主義には強く反対していた。
ヒットラーが夢見たゲルマン民族のユートピアも、イエスが夢見た「天の
御国」も、実際には存在し得ない「神の国」の観念信仰であるという点で、
本質は全く同じ。人間にとって最も有害なのは、このような「神の国
(ユートピア)思想」です。あるがままの現実に存在する価値が見出せ
ないだけ。
ヒットラーの反ユダヤ主義は、言わずと知れたキリスト教起源。その
形成には、キリスト教会の影響が大きい。ローマ教皇は、ナチスの行為
を少なくとも黙認した。ルターは、ホロコーストと同じプログラムを、
すでに提案している。
ホロコーストがキリスト教の仕業だということは、ユダヤ教徒の共通
認識。但し、カトリックに対しては、助けてくれたと感謝しているユダヤ
教徒も多いようだ(例えば、レヴィナス)。
マルクス、ヒットラー、スターリン、そして現在のアフリカ諸国における
大虐殺の主導者も、今回のグルジアの大統領も、皆クリスチャンです。
遡れば、「太平天国の乱」もキリスト教です。さらに遡れば、モンゴル
にも、すでにキリスト教(景教)の影響があったようです。
ニサルガおじさん動画でみたよ・・・
もっと静かにしゃべる感じかと思ってたがw
129 :
242:2008/11/11(火) 16:57:54 ID:PNq+jJpQ
俺が間違ってた。ごめんなさい。
エックハルト・トールの「ニュー・アース」ってのが出てるな。
読んでる途中だが、これは良い。
>>121 んなこといったら平河出版なんてどうなるんだ
いい本いっぱい出してるのに
133 :
神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 03:10:55 ID:rQfQJAjJ
>>54 >自分の場合、リラックスして目を閉じて30秒もすると、変性意識状態に入る
>>64 >ちなみに瞑想は、ゾクチェン系のリラックスしたスタイル
ゾクチェン系の瞑想を目を閉じて実践しているツワモノがこんなところに・・・
もしかして大王か、コイツ?
>>133 それ書いたの自分だけど、大王とやらではないよ。
昔、チベット人にゾクチェン教わったけど、まじめな修行者ではないので
あまり突っ込まんでくれw
>>134 瞑想法はいろいろあると思うのですが、なぜゾクチェンを選んだんのですか?
たまたまですか?他と違う利点とかありましたか?
>>135 たまたま、というか縁ですね。
ゾクチェンを「選んだ」という意識はありません。
他と違う利点……というより気に入ったのは、リラックスしている、
堅苦しくない、排他的ではない、ということかな。
縁ですか
縁ってのも不思議なものですよね
レスどうもでした
すみません、EOの『廃墟のブッダたち』に書かれたブッダの40の特徴って、知ってる方はおられます?
良かったら教えていただきたいのですが。
139 :
神も仏も名無しさん:2008/11/22(土) 10:22:02 ID:RFybthsF
これとは違うんですが、でも、情報提供ありがとうございます。
舌は柔らかく大きく出せば顔全体をおおうほど・・・って、人間じゃないですね、これ(汗
また苫米地か? 「洗脳を解く」とかで、オウムシスターズをちゃっかり
いただいたイカガワ男が
苫米地さんって調べたら本出しすぎだね。ダイジと比べて。
動画を見てきたけど、唐突にニルプロが紹介されてて笑った。
宮崎さんなんかも知っている様子だったから講和集も読んでるだろうね。
ダンテス・チンポ導師バンザイ!!!!!!!!!!!!!!
>>138 特徴とあるが中身は注意、戒律といった感じだな。
現在、本は入手しにくいようだな。データ化して再販はしているみたいだが。
全部書くのはアレだし面倒だし、3つほど引用してみる。
世間に潜伏する大悟者たちの特徴
無名のブッダたちの40の特徴
ここから七つ並べて少し解説があって、以下引用
次にさらに必要な3つの注意である。
1*他人にむやみに質問しないこと。
2*そして、他人からむやみに質問されないこと。
3*さらに、他人の質問にむやみに答えないこと。
こんなスレあったのか
ダスカロス
アジズ
マハラジ
この3人には特に影響を受けた。感謝
>>71 アジズの本は著者や出版社のサイトで買えるよ
ttp://www.leela.jp/garace/day2-3.html {フーマンは、Eという名前にチューニングし始めた。}
フ:彼は何かを得ている。知性もある。
彼は悟りを得ている、それも強烈な体験だ。
このE氏と、掲示板に書き込みをしているSは同じ人物だと思われる。
しかし彼が本当に光明を得ていれば、他人の掲示板に書き込みをするような事はしないだろう。
ただ愛と平和の内に完全に充足している。
彼は、基本的にネガティブなアプローチを通して、悟りの境地に到達した。憎しみ、怒り、自己否定を通して、、。
I AM の光へ広がり明け渡すと言う、肯定的なアプローチではなかった。
自己のマインドや個性を憎んで否定するアプローチだ。
これはどのように目覚めが起こるか、という問題だ。
その結果、それをどう現象世界に自己表現するかの形も違ってくる。
キ:彼の表現は非常にシニカルで、、。
フ:非常にシニカルだ。
本当に真の光明を得た人間は、そのような表現はしない。
光明とはノーマインドだ。
彼はとても重要な境地に到達している。
仏陀の言う、とても深い虚空の境地でありサマーディだ。
しかし、内的境地がどんなに深くても、彼はそれに溶け去っていない。
フーマン自身が書いた本はないのかな
>>148 そのフーマンの透視?が正しければ、まんだらけの社長が酒の席でポロっと口を滑らせたことは真実だったんだな。
悟りがわかった
確かにこれは言葉で説明できるものではないな
真実と嘘の違いに気づけということか
152 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 10:49:22 ID:PXZIfTKr
>>151 そりゃ残念なことだね。
いや、おめでとうと素直に言うべきか。
どうだい、悟りの境地は?
あんまりいいものじゃないだろ?
153 :
151:2008/11/30(日) 12:55:22 ID:kYrhQsFv
>>152 正直な感想としてはまだ怖いです
あなたは本物ですか?
わたしが引き寄せた?
本物は本物にしかわからないということですね
どこかでこの状態は長くは続かないといってました
たえまない修行によってのみその状態に長く居続けられると
少しでも欲を出して美しいものに心奪われるのならば
そのときはあなたは再び自覚することなく、永遠に苦しみをさまようことになるのか
私はその躓きがこわい
とりあえず
まだ自分は、自分が本来なるべき姿がみえてこないです
わかったことは抵抗せず自然に身を任せなさいということだけです
恐れず前に進みなさい
奇跡はそのとき訪れるし、もうすでに奇跡は起こり始めています
それを信じ続けるだけです
156 :
神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 15:54:35 ID:PXZIfTKr
>>153 本物かどうかなんて他人が決めることじゃない。
あなた自身が悟ったと思ったならそれは悟りだよ。
だが、俺とあなたの悟りに共通点があるなら、それはお互いが相手を悟った者とリスペクトする理由にはなるだろう。
悟りには複数の側面があって、状態としての悟りからは抜け出ないと社会生活は営めなくなるな。
い続けると生態維持活動がにぶくなり死に至る。
体験によって悟りを得、知識や智慧を得たら、状態からは抜け出て頭の中の納得にとどめておいたほうがいい。
この世から完全に抜け出したくなったら再び体験し、それにあり続ければ緩慢に死ねるよ。
まだ死んでない俺が言うのも間違ってるかもしれないがw
これは小悟なのかもしれません
そこらへんよくわからないです
とりあえず引き金をひいたのは確かです
わたしはいま0歳児のようなもので
これからあなたは絶対的な自信を持ってあなたの人生を歩んでいくのだ
と心の奥底からずっと聞こえてくるようなかんじです
裏側を見たのはたしかです
理性と自然をどう折り合わせるのかが難しいです
ダイジなんかは、「悟りの体験は絶対他人に話したくはなくなる」て言ってる
けど、悟りの契機はいくつか語っている。
151さんのきっかけはなんだろう。なんらかの行ですか?
「悟りからは抜け出ないと社会生活は営めなくなるな。 い続けると生態
維持活動がにぶくなり死に至る」 あぁ・・ダイジは結局、最後は自らこれを
選んだのだろう。 それにしても、なんかえらい会話になってますがw
とても入っていけないほどに・・・。
160 :
151:2008/12/01(月) 21:13:29 ID:fyYXxqQ/
151です
あれから時間がたって、それなりに落ち着きました
これは小悟というやつですね
今回、私の体験については確かに誰にも言わないだろうと思います
言ったところで何がどうなるものでもないからです
ただ契機として言えるのは、病気、失恋、鬱
あとは多重人格、狂気といった言葉がキーワードとしてあります
結論から言うと、今までの自分は偽者だったということに気づいたということです
161 :
神も仏も名無しさん:2008/12/01(月) 21:46:07 ID:GFyAXNps
離人症じゃない?
>>159 ダイジさんは元々あんま適応できてなかった気が・・・w
まあ冥想のための冥想家、って言ってるぐらいだからそれが天職だった
んでしょう。
小悟というか見性体験じゃないの?
悟りの体験が言いたいのも言いたくないのもまだ自我が残ってるからでしょう
自己が無くなれば悟りの体験自体もどうでもいい、話しても話さなくても
生態維持に関しても、そこまで深い自他同一化してなければ、普通にクリヤーなまま暮ら
せると思うよ、あくまで経験上
生きていくだけなら別にホームレスだってなんだっていいんだし
自分もせいぜい神秘体験とか小悟止まりだけど
166 :
151:2008/12/02(火) 12:50:19 ID:Hk+Xd//w
見性体験
ググってみましたが定義が曖昧でよくわかりません
そもそも私も小悟とか悟りとかいろいろ言葉を使ってはいますが
定義はどのようなものでもよいのかと
いまは普通に目が覚めた、というのが実感としてあります
元の自分に戻ろうと思えば戻れるでしょうし、自我というものも当然残っています
記憶として確実にあるというのがわかってます
ただ前の自分に戻るということは地獄とわかっているので、
いまはこのクリアーな状態をずっと保てるようしっかり舵取りする
といったかんじでしょうか
ところでグルkと津留って誰?
スレタイにはアジズ入れてほしかったなあ
凄いよこの人
グルジェフと
クリシュナムルティ(Kと呼ばれてる)
津留は知らないなあ
>>166 ふつうは段々日常の状態に戻ると思うんですけど(それゆえ小悟という言葉があるかと)、
その状態をまだ維持してるんですか?だとしたらすごいですね
かりに戻っても、また体験できるといいですね
一度知ればどういうものかはわかるわけだし
DAIJI「おれぇ〜ちょっと〜イイカンジに悟っちゃったみたいなんスけどぉ〜」
無明庵のHP、更新してないな。
174 :
中村幸一:2008/12/04(木) 15:32:57 ID:UAUiDkkI
私も津留をスレタイから外してほしいものですね
津留の最後にやったことを知っている者しては気分を害するので。
彼を人間らしいとか言って擁護する者もいるようだが
彼も所詮エゴの奴隷になった悪人だったわけで
言い訳もはなはだしい
175 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 15:42:08 ID:oqSA4eqr
まだまだ未熟だったとは言えまいか・・・?
津留氏のメソッドは今安達正純さんと言う人が受け継いでいる。
観念を浄化していくことが果たして見性体験につながっていくのかな?
安達さんはそれらしき体験をされたようだけど。
>>177 泥沼の愛におぼれて、死際には馬鹿なことも言ったんだよ。
ジャンルが違うかもしれないけど、
ケン・ウィルバー(トランスパーソナル心理学)やラメッシ・バルセカール(インドの賢者)辺りをスレタイに取り入れて欲しい。
179 :
神も仏も名無しさん:2008/12/04(木) 21:05:18 ID:bN+1ZFhG
>>166 いわゆる小悟でしょうね。
その状態を一度体験しておけば、大丈夫。あとはどんなことがあってもいつか大悟徹底できますよ。
180 :
中村幸一:2008/12/04(木) 22:25:29 ID:UAUiDkkI
>>177 詳しくは津留晃一 チャッピーとかでググってみてくれ!
まぁ、簡単に言えば信者の女に片っ端から手を出してやりまくったのと
死ぬ前に、俺の言ったことは全て忘れろと言ったとか
まぁそもそもの教義自体も、元ネタがあるらしいがw
グルジェフみたいなもんじゃないの?
交通事故によって弟子を動揺させるみたいな。
自分がどう反応するかだと思うよ。
アイドルだってうんこはするんだしさ。
自分の道をいこうぜ!
でもそれを言い出したら、もう何でもありになってしまう。
サティアサイババのトリックや幼児虐待がバレたのもグルジエフの交通事故と同じ、
カレスワール・スワミが黒魔術のマスターに師事していたりレイプ事件を起こしたことが発覚したのも、
それによて生徒たちのバクティを試すためetcetc.
麻原がサリン事件を起こしたのも・・・(ry
まぁ
>>181のような例を疑いつつ、かつ疑うということで
184 :
神も仏も名無しさん:2008/12/09(火) 20:01:47 ID:D5F88VGN
151氏には悟りへの経緯を語ってもらいたいな
185 :
104:2008/12/12(金) 17:54:15 ID:m8uy/R59
スレ違いかもしれないけど
宝彩有菜の本読んで冥想したら
とりあえずは落ち着いた
>>185 ここは「グル、導師、瞑想教師、その他総合スレ」的な代物だという気がしないでもない。
ここ程「スレ違い」という言葉が無力化されるスレも無いだろうね。
「板違い」までいかなきゃなんでもござれだな。
スレタイが適当な立て逃げなんだよ。
>>185 宝彩有菜のどの本?
「気楽な悟り方」シリーズは俺も読んだなあ。
>>186 俺はさあ、ダイジはまた生まれてくるような気がするんだよな。
最後の時間を作るために若くして死んだんじゃないかと。
そして自分のために「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」を
書き残したのかなーなんて。
>>190 始めよう。瞑想
光文社
文庫本で値段が安かったから
192 :
190:2008/12/14(日) 13:28:24 ID:j3Vwz7eA
>>191 おけ。買ってくる。たぶん売れ残ってるだろうからw
>>118 EOって人はは割りと蒟蒻問答で火病か勝利宣言&遁走はできる。
なんか2言目には猿猿言ってる人だし、世界観はクトゥルフ神話のパクリみたいだし。
エックのニューアース買ってきた
今から読もうと思う、これから楽しみだ
アジズって何で改名したんだろう
何か教えの内容にも変化あったのかな?
悟りってわかるとけっこうつまらないものだよ
と、最終解脱者A師が語っています。
悟りはたのしくもないけどつまらなくもない
ただスッキリしてすがすがしいね、全てが新鮮
>>196 というか、悟りに関する宗教的レトリックが大げさすぎるんだよ。
それにみんな騙されてる。
200 :
196:2008/12/20(土) 04:09:32 ID:sPqbS6yS
実際オレからみたら、キリストも釈迦も悟った振りしてただけで大した奴じゃないし。
言うだけなら、誰だって言えるわね。しかも2Chでさ
202 :
196:2008/12/20(土) 11:47:31 ID:5zUKOoL8
言葉に騙されてるだけ
それは言い換えれば自分自身にすでに騙されてる
つまらないという意味に明確な真意はない
悟ったふりも実際に悟ったとしても
我々凡人から見たらたいして変わらない
悟った本人はそういう演出をしているだけ
我々凡人はそういう人物像を求めるから
キリストも釈迦もそういう役を演じてあげてるだけ
203 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 20:31:50 ID:2ZkBkAHe
普通の幸せがほしいなら、悟りなんか得ないほうがいいぞ。
M2テクニックってあんだぁ?
フーマンのワーク受けたかった〜〜
M2テクニックってなんですか?
アジズやフーマンの言うとおり
1:純粋意識の悟り
2:絶対状態の悟り
3:ハートの悟り
4:魂の悟り
があるとしたら、EO氏は3と4は知らないんじゃないかと思うんだが…
まぁ表層からの判断だけど
>>194 エックのさとりをうんたらかんたらを買って読み始めたけど
「今に在る」っていう生き方(?)には感心した。
俺今まで、過去を思い返しては怒り、未来を予測しては不安になるという
とんでもない生き方してた。どーりで人生おかしいと思った・・・って気付くのおせ〜
>>209 神道でも禅でも「今」に生きるは基本なんだけどな。
エックの後はガンガジの「ポケットの中のダイヤモンド」がいいと思う
少なくとも俺にはその順番が良かった
クリシュナムルティの『既知からの自由』を買ってきた。
読んだ人います?
>>211 自分はガンガジは合わん。プンジャジの「覚醒の炎」が良かった。
ガンガジは感性的、プンジャジは論理的な感じ。
プンジャジはまだ読んでないな
マハラジが一番だと思うが、分厚いので勧めづらいw
アイアムザット以外も和訳してほしいなー
アジズば人を選ぶのかな?
他の人が語ってない事を語ってると思うのだけれど
216 :
Ron:2008/12/30(火) 19:08:18 ID:MlRvCzwh
>>208 Enlightment beyond traditions 今日届いたんで、読んでるけど、これにはそんな記述はない。
Unmanifested(顕現せざるもの)が究極だって言ってるからね。。
無とか不生が究極というのとあまり変わらない。
禅師が語ることとエッセンスはおんなじ・・しかし、悟ったらこんなに体系的、知的に語るものなんかね?
読むには面白いし、禅ではあまり言われないことが言われていて、参考にはなるんだけど・・
217 :
Ron:2008/12/30(火) 19:14:25 ID:MlRvCzwh
Absolute(究極)とか言いまくってるのは、キリスト教の方言なのかな?
どうも煩悩を刺激されるというか、「究極への進化」みたいな話になっているところが、危ない気もする。。
218 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 21:19:52 ID:mlM2ZfEQ
>>216 確かに禅って語ることを敵視すらしている感じすらする。
でもある程度は語ってもいい気はするんだけどな。ラマナでも
結構、明晰に語ってはいるし。
パパジやガンガジは「Stop. Be still」って言うけど
誰かホントに「Stop」できた人っていますか?
できそうなのだが、なかなかできない。
219 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 21:22:27 ID:DrVtMwbr
私は、学生時分から、自分自身に欠けている何か大事なものがあると感じていた。
そしてそれを見い出せるのは外側の何かではなく、自身の内面を探求する事が必要だとも直感的に感じていて、それを探求する為のシンプルなコツの様な事をいつか知る事があるのでは? という予感も漠然とながら感じていた。
そして出会ったのがTMという訳でした。
受講したTMを日々、実習し始めて感じた事は「これと同じ様な事は幼少の頃から無意識にやっていた」という思いでした。
というのは、幼児期より授乳の癖が取れず、それは、無意識に舌を丸める様に上顎側へ付け、舌先をチュウチュウと吸うという行為でした。
外からその様子を見ると、口元を小さくピクピクと動かすカワイイ癖と見られていて、
「あんた、いくつになっても御乳(オチチ)吸う時の癖が取れへんなぁ」と母からよく笑われておりました。
その癖というのは、空腹時やリラックスして落ち着いた時や寝てる最中等に無意識にやっていた事でしたが、それが組織から伝授されたマントラとピッタリ一致するというか、(言葉そのものではなく)、出処が全く同じであり、マントラ=癖とも言えるものでありました。
ですから私にとってのマントラ(癖)とは唱えるものではなく無意識のうちに『100%自発的に内奥より湧いてくるもの』であり、私にとってマントラ=TMテクニックとは、単に無意識にしていたその行為(癖)こそ、内面探求の鍵となる事を理解する為のキッカケに過ぎなかったとも言えます。
因みに今は、マントラ(癖)が出て来なくても、座って目を閉じただけで、至福体験と共に内面に確固たる不動の核を認識出来るものであり、日常生活と瞑想時の隔たりがなくなり、その核と言えるものは、常の私の意識そのものとも言えます。
>>216 アジズとの対話。ヒューマン・ブッダでは語ってるよ
よく考えたらフーマン本人は明言してないな
>>214 アジズは存在の悟りについて語っているのはマハラジしかいないって言ってたな。
(1.気づきの悟り、2.存在の悟り、3.ハートの悟り)がある。
他の人が語ってるのは(他の悟りに達していても)気づきの悟りまで。
222 :
Ron:2008/12/31(水) 02:08:41 ID:4WhjZh0M
test
223 :
Ron:2008/12/31(水) 02:27:58 ID:4WhjZh0M
>>220 そっちは読んでない。
>>221 悟りにそんなランキングみたいなのあるのかね?
そういうこと言うのはちょっとバッタモン臭い。。
beingとかpresenseとか名前貼っ付けて、ランク付けやられてもねえ。。
224 :
Ron:2008/12/31(水) 02:43:37 ID:4WhjZh0M
存在の原語はbeingだから、訳し方を変えれば「ただ在ること」、だから「無為」と全く変わらない。
こんなんあたりまえのことだけどな、禅の場合・・他の人が語ってないなんて、もうちょっと勉強してから言って欲しいわ。。
気づきの悟りはマインドから開放なのでこれは最初に必要。
存在とハート(魂)は順番はない。どちらか片方だけの場合もある。
それぞれ別々の役割がある
自我の終焉よりもいいって事は、かなり期待できますな。
結構、薄い本なんだけどね。
>>223 まぁ「アジズとの対話」だけは読んでみてよ
ここで俺なんかが要約したら、そら胡散臭くなるだろうしw
ダスカロスなんかは
>>208の悟りを全部クリアーしてるように見えないこともない
でも自分にはまだ足りないものがある、みたいな会話してたんだよねえ
マハラジはよくわからないな
とりあえず悟りのことなんて忘れてあけおめ〜
おめ!
233 :
Ron:2009/01/02(金) 01:46:27 ID:viaCzYV9
和尚おもしれー。和尚というか、翻訳者がすごい文才あると思う。
Kはおしい。翻訳で損しているかな。
グルジェフはわけわからん。
EOはくそまじめだが暗くて面白い。
ウィルバは分かりやすかったな。すげー頭いいかんじ。
私もウィルバーはスレタイに入るべきだと思う
>>235 「辺り」って書いてあるから別にどっちでもいいんじゃね?
だから次は「グル、導師、瞑想教師、その他総合スレ」とかにしようぜ。
クリシュナムルティ本人は「一緒にすんな」とか言うかもしれんが。
>>208 ブッダは全部クリアしたってことなのかな?
無明庵更新まだかな
ダイジって自殺したんだよね?
そこに違和感を感じるが
まぁ、そういうものなのかなという保留もあり
何を思えばいいやらわからんね。
聖人も自分の病気に対しては無力だ
他人のは治せても
あれ、ご病気だったんですか?知らなかった
代替似たようなこと言ってんだよね。
「死ねば楽になる」
いつもいつも疑問なんだけど
悟ってどうするの?
って思ってしまう
本読んで感心、感動して
自分も似たような体験をして、
真理を理解して、自分が何者であるかを知り
平穏な心と何ものにも動じない魂を手に入れて
で、どうするの?
って思ってしまう
俺はまだ未熟だからこのように思ってしまうのかもしれないし
結局、悟りとは縁がなかったということで、これからは普通の人の人生を歩むのかもしれない
でも俺なりに真理を求め、それなりにわかってきた結果、出た答えが
で、どうするの?って
ひょっとしたら俺はもう悟っているのかもしれないね
>>247 悟ってどうするの?
悟りに関する疑問がなくなる。悟ろうなどと思わなくなる。
そもそも悟ろうとすること自体が錯覚だったと知る。
あとは好きなように死ぬまで生きればよろし。
>>247 悟ったら、「で、どうするの?」って思わなくなるよ
全ての答えがわかるから
まあ、問いも答えもないけれど
「で、どうするの?」って思う人生がいいならまあそうすればいいやね
なんでもよし
完全に悟ってはないけど見性くらいはしたよ
ま、それ以上は荒れるからパスで
>>247 そういう問答だとマハラジのI AM THATがいいよ
どれだけ高い瞑想の境地に達しても
探究者のマインドが変容されない限り苦悩は終わらない
とフーマンが言ってた
>>247の場合
「で、どうするの?」と思う心が消える
ということでFAなんじゃないか?推測だが
254 :
神も仏も名無しさん:2009/01/06(火) 18:44:12 ID:JTTZ1Oou
悟りの道はやりたい人だけがやればいい道。
エベレスト登山や潜水の世界記録に
挑んだりするのと同じで。 ただし悟りが
それらと違うのは、そこに至れたという
何の客観的基準も証拠も無い事だね。
ああ恐ろしい。
I AM THATなどを読みかじってきて最近少しだけわかってきたことは、
究極は絶対に言葉で表現できないということかな。
言葉での理解、記憶に基づく想像や体験は、全て偽物。
マインドは偽物(=マインド)を退けることしかできない。
いろいろな人に言われていることだけど、これがものすごいポイントだと思った。
絶対は「体験」できないってやつだな
マインドは概念だけつくって解った気になる頭でっかちな学生みたいなもんらしい
257 :
神も仏も名無しさん:2009/01/07(水) 21:35:46 ID:73TBht32
「悟る」というのは、「もう二度とこの宇宙に生まれ変わらないで済むようになること」
って認識してます。
>>257 誰が生まれ変わる?
生まれ変わるものなどそもそも存在していなかった、と気づくことが悟りだよ。
>>257は初心者じゃないか?
このスレに挙げられてる人らの本を適当に読んでいれば
そんな発想まず出ないし
ageちゃってた…。
そうです、初心者です。今んとこEOとダイジしか…_(._.)_。
和尚という人の本は図書館にあった気がするので読もうと思いますが。
いや、まぁ悟れば輪廻しないですむ、とはよく言われてるし
真理の一面ではあるんじゃないのかな
ただマハラジやダスカロスやフーマンの本では違う側面が強調されてるけど
悟れば輪廻しないですむ、というか
輪廻の原因は欲望にあり
悟ればそれを超越できるって感じかな?
自我や執着の部分が輪廻するんだろうから、悟れば輪廻しないというのはまあおかしくは
ないかと
輪廻するものなんて無い(それは自我や執着で実体は無い)ってのと同じことでいいんじゃな
い?
まあ輪廻するしないを気にしてるのも自我自体だけど
>>257 宇宙そのものも始まりと終わりを繰り返しているわけだからね・・
生まれ変わりというより繰り返しに終わりはないでしょう。
とか言いつつよくわかんないんだけどねw
266 :
神も仏も名無しさん:2009/01/08(木) 11:06:09 ID:/JK09rWd
おれは257さんの意見に大筋同意。そもそも、
輪廻転生とは民族的な観念体系の産物だと
思う。
じゃあ、輪廻の終了ってただの観念ということ?
ヨガナンダとか彼のお師匠さんなんかは明確に語ってなかったっけ? >輪廻のおわり
269 :
259:2009/01/08(木) 21:59:14 ID:s/2dNUm5
>>260 >>257はEOの受け売りで、それをそのまま認識しただけと違うかな?
つまり悟りとは程遠い発想なんだよね
まずは言葉が真実となる矛盾に気づくと良いよ
誤りだって言うなら、もうちょっと具体的に指摘した方が
EOはそんなこと言ってたかなあ
ただ安楽な死を迎えることができるだけ・・・みたいなことだったような
いずれにせよ宇宙の終焉には自我あるもの全て強制終了だと思うが
悟れば少し早めの終了を迎えるだけって話だと
普通に死ぬのではなくて輪廻転生しないように完全に死ぬのが悟り
ニュアンスが悪いので言い直す
首吊り自殺や列車に飛び込んで肉体を破壊して死んだ場合輪廻転生してしまうので
輪廻転生できないように魂レベルで自殺するのが悟り
自我が本来の自己ではないということを自覚するのが悟り。
それを徹底するといわゆる欲望などから開放される。
そうすると元々執着から輪廻するわけだからそれから卒業
するわけだからこれが解脱。
ってことでおk?
ヨギ系・大乗系・テラワダ系・神道系・ニューエイジ系・トランスパーソナル系の
道の人を次スレのテンプレに区分けして提示したらいいと思う。
ケン・ウィルバー、アーノルド・ミンデル、本山博、ナムカイ・ノルブ、鈴木大拙、
出口王仁三郎、スマナサーラ長老、シュタイナーあたり
ウィルバーいいねぇ
スマナサーラ長老に違和感w
277 :
266:2009/01/09(金) 22:13:36 ID:82CY/ejA
おあ、訂正。258さんの意見におおむね同意。
実は俺もそこだけ違和感もって書いてた。
で結局
>>257とかはどうしたいの?
ただの興味本位なの?
生きたくないの?
死にたいの?
宇宙から完全消滅したいの?
ウィルバーって、解説読んでもよくわからん・・
「トランスパーソナルとは違う」とか云々
俺はまだ、ユングで止まってる・・
>>280 >「トランスパーソナルとは違う」とか云々
これはよくわからないけど・・
ユングが受け入れられるならウィルバーワールドもOKだと思う。
最近チャクラに興味津々なんだけど、情報源がないのでモヤモヤしてる。
誰か詳しい人いたらお願い。
>>280 まず『無境界』読んでみれ。これがわからないないなら、縁なき衆生だ。
>>281 情報源がないって? 「チャクラ」「クンダリニーヨーガ」で検索すればいくらでも出てくるだろ。
なんや悟ったらしいどっかの偉い坊さんいうのがおってな、
雑誌かなんかの企画の対談でその坊さんに話を聞くいうて
その坊さんと歩きながら話しとってん
ほんなら林みたいなところでな、たまたま首吊って死んでんの見っけたんや
すぐ警察に連絡したけどな、隣におるその坊さん見たったら腰抜かしとったわ
うわわぁ〜、し、し、死んでるぅ〜、やて(爆笑)
さっきまで仏さまの教えやら悟りやら言うとったのが、どないしたんじゃいって(笑)
ー赤井英和
>>282 ありがとうございます。281です。
ググってみたらいくらでも出てきました。
何で検索してみればいいって思いつかなかったんでしょうかねw
あと、私も「無境界」は万人向けに書かれた良書だと思います。
EOの頭頂留意と、アジズのステート・オブ・プレゼンスって同じものかな?
286 :
神も仏も名無しさん:2009/01/10(土) 15:42:19 ID:1qb873Bk
>>285 EOの頭頂留意は知らないけど、
アジズのSOPとグルジェフの自己想起は同じだよ。
アジズ自身もそう言ってるしね
そろそろ今年のタロット占いはないのかねぇ。
茶の間の方に書かれてるんじゃない?
一般の人は見れないがw
289 :
神も仏も名無しさん:2009/01/11(日) 19:41:51 ID:0xvFBjLi
グルジェフやウスペンスキー、R・E・バートンの本を読むと、自己想起についてさんざん語りながら、自己想起が具体的にどういうものなのかが、ほとんど明確にされていない、ということに気づく。
特にR・E・バートンの「自己想起」という題名の本を読み終えると自己想起の重要性は理解出来るが、自己想起が一体何であるのかはこれまた実にはっきりしないのである。
最初はたんにこれは自分の理解力が足りないのだと思っていた。
しかし、そうではないらしい。
どうやら「その部分」は秘密の知識に属するらしく大衆には公表されないらしいのだ。
自己想起=SOPだとしたら秘密にする意味が分かんないな
そのバートンという人が自己想起を知らないだけじゃないのかw
自己想起について知りたいのならグルジェフだけで十分だろ
292 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 09:07:43 ID:L7rs6SBF
グルジェフでもバートンでも想起する自己が何であるのか?
どういう状態が自己想起といえるのか、極めて曖昧である。
グルジェフで明確に分かるというなら、その箇所を引用していただきたい
ステート・オブ・プレゼンスは、気付きの中心に気付いている状態のことでしょう。
気付きの中心はマインドの内部の一点であり、彼方なるものへのゲートウェイでもある。
294 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 12:54:51 ID:L7rs6SBF
>>293 そんなものはない。あると思うのは錯覚だし妄想。
ブッダが2500年も前に見出した真理をいまでも疑い、そういうものがあると思い込みたい人がいるだけ。
>>294 通常は対象に向かう気付きを、その主体の側に向け返すことで把握される中心があります。
その中心は、初期の段階では、頭の内部に感じられるようです。
297 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 14:50:45 ID:L7rs6SBF
アジズは「真の私」は思考のセンターだと言ってる。
それならそのセンターはどこにあるの?
アジズの言っていることとは違うかもしれませんが。。
「思考」と「思考に対する気付き」とは違いますね。
例えば白昼夢に耽っているときに、ふとそれに耽っていること自体に気付くことがあります。
通常はパルス状になっている気付きを連続的なものにしたのがSOPです。
そのための一つの手法として、対象に向かう気付きを気付きの主体へ意識的に向け返す練習をします。
主体(subject)は対象(object)ではないので、ここ、あそこ、という具合に対象化できません。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 16:40:06 ID:L7rs6SBF
>>298 確かにアジズの言ってる事と違うね。
アジズは別に思考に気づいけ、とは言ってないからね。
常にMEに気づいていなさい、と言ってる。
自己を想起しなさいと言ってる。
それと、主体は観察する事は出来ないが、気づく事は出来るとも言っている。
気づきのセンターは体に対応する部分があり、それに気づきことが出来る。
>>298 それはウィルバーの言ってることと同じだね
あるいはヴィパッサナー
ヴィパッサナーは基礎、そしてアジズは仕上げ。
ここの人たちの一部は、ほんとに核心に迫った知識がすごくある。
その知識ほんとに体感してたらすでに悟ってると思うよ、マジで。
体感に至れない理由はなんだろうね?
ここにいるほとんどの人たちは悟りたいんじゃなくて
悟りを知りたいだけでしょ
みんなこうして真理について思考錯誤して覚醒するんだよな。
めでたしめでたし。
303 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 19:54:52 ID:L7rs6SBF
>>300 アジズからの引用
自分自身を求める人は必ず到達する。
悟りを求める人はどこにも到達しない
304 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 22:41:27 ID:L7rs6SBF
>>296 これは重要なことだよ。
さっき見逃してた
SOPの練習してるんだけど、めちゃくちゃ後頭部の方にそれを感じるんだよね
アジズも「頭の後ろ」と表現してたから、これでいいのかもしれないが
あまりにも後ろすぎて気づきの「中心」という感じがしない
あと、なんかキーンという耳鳴りが聞こえる
センターを見失った時はその耳鳴りを思い出すようにしている
そんな俺と同じ状態の人います?
SOPじゃないけど、瞑想で耳鳴りはよくあるね、集中してるときほど。
でもそれにこだわりすぎないほがいい
SOPに限らず、チャクラはすべて自分で思うより背骨側にあるよ(第一チャクラ以外)
307 :
神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 10:57:29 ID:Fy3bgjDx
自分の場合、最初は眉間の所に感じるなあ。
大きくなると頭全体に広がる感じ
>>306 ありがとう。そっかチャクラも後ろか〜・。
関係あるのかわからないけどなんか安心しました
>>307 眉間に圧迫感がでるらしいですね。
私にはありませんが…
頭頂のチャクラも脊髄の延長線上で自分で思うよりずっと後ろ側にあるから、
某メソッドの茶碗の乗る位置だと3センチぐらいズレてると思うんだけど・・・
>>305 俺も耳鳴りするんだけど。
なんか普通の耳鳴りと違うんだよな。
耳鳴りというよりヴィーーーンっていうヴァイブレーションみたいな感じじゃない?
SOPってのがよくわからないんだけど、何で検索したらいいの?
マハラジは
少なくともI AM THATでは、SOPについては語っていないので
おそらく和訳されてない著作にあるんだろうと思う
アジズもI AM THATは最初の本にすぎない、と言っていた
そんなわけで翻訳希望w
>>313 禅で言う「正念」でしょ。
不二一元論系の修行の基本。
西洋人は考える主体としての自己に耽溺していて
なかなか気づけないらしい。グルジェフの修行体系は
そんな西洋人を対象にしたもので、日本人には不要だと思う。
316 :
神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 10:18:07 ID:laiN4aqA
なんか、アジズも翻訳者もSOPじゃなく、SPって略してるから、SPで統一したほうがいいんじゃないか?
317 :
神も仏も名無しさん:2009/01/15(木) 14:38:52 ID:laiN4aqA
和尚も黄金の華の秘密の中で、気づきと第三の目のエネルギーの関係について述べている。
他の講話でも何回かふれている。
SPの気づきをビーイングに手放していく感覚が
I AM THATで言われている「私は在る」感覚に近い気がする。
>>313 ありがとう!
ググってもなんか会社ばっかり引っ掛かってたんだよね。
320 :
310:2009/01/15(木) 19:44:16 ID:GNCc3SZB
>>311 んー、ヴァイブレーションと言われればそうかもしれない。
俺のは基本は金属音なんだけどホワーンホワーンって感じかな。
と言うより大量のスズムシが弱い音で鳴いている?なんか微妙。
ふう。とりあえず耳鳴り仲間がいたことがわかってうれしい。
ぐぐっても有力情報なかったからさ。
人によっては振動だったり熱だったり光だったり違うらしいね
322 :
305:2009/01/15(木) 22:14:12 ID:aPFIc/jM
耳鳴り仲間って表現にウケましたw
耳鳴りや光その他にこだわると魔境にハマっちゃうよ
瞑想の過程でおこったことはすべてその場で手放していくべき
最終的にはそうだろうけど
そういうのがあれば自分が正しい方向に向かってるって分かるから一時的には利用すべきじゃない?
こだわるっていうか、手すりとして使ってる感じだしね
別に「この耳鳴りさえあれば大丈夫!」とか思ってるわけじゃないしw
326 :
神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 10:55:49 ID:vRhUWUXp
SP確立しました!!!(嘘)
(・∀・∩)
こういう軽いノリのほうが、成果があがるかもしれない
sage
SPの確立純粋意識の悟りってどう違うんだろう?
と、が抜けたw
「SPの確立」と「純粋意識の悟り」ってどう違うんだろう?
と言いたかった
331 :
神も仏も名無しさん:2009/01/17(土) 22:42:13 ID:YZru+F1o
同じでしょ
332 :
神も仏も名無しさん:2009/01/18(日) 14:05:44 ID:2afTkzn8
呂祖師は言った。
「解放の機縁は目の中にある・・・・人間の身体の華の種子は上方のからっぽの空間に集中されねばならない。
不死はこのなかにあり、また世間の超克もこのなかにある。」
333 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 08:48:42 ID:/TknCfT8
>>328 自分は「アジズとの対話」は持ってるので、新装版は買わないが、この本は1億円の価値があるよ。
実際、目覚めていない人間にとってこれ以上の知識はない
アジズの話題続いてるし、個別スレたてようか?
アジズ&フーマンの教え、みたいな感じで
kやシュタイナーも個別スレあるし
335 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 15:29:47 ID:/TknCfT8
>>334 賛成!
KのようなB級教師やシュタイナーみないなC級ペテン師の個別スレがあるなら、アジズがあってもいいよね
( ̄ー ̄)
>>334 賛成です。今スレ立てられませんので是非よろしくお願いします。
それからmixiからの情報ですがラマナ・マハルシの『あるがままに』(ナチュラルスピリット社)の
復刊というか新装版というんですか、それも決まったそうですね。
各出版社も不況のあおりで中々苦しいとは思いますが、
名著と言われる本は末永く出版し続けてほしいものですね。
337 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 21:34:21 ID:ApLzwv96
個別スレ立てるよりここでいろんな人と比較しながら話したほうが
盛り上がるし役に立つ気がするんだが・・・・
いかにも三流向けの個別スレなどいらないでしょう。
なんだかんだ言ってドストエフスキーのほうが俺の人生には有効だった気がする
まだこれからだけどさ
>>337 俺もそう思う。
別にスレの進行速度が速い訳でもないし。
341 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 23:38:08 ID:/TknCfT8
Kみたいな四流教師のスレやシュタイナーとかいうオカルト糞野郎のスレは立てるのに、真の一流所は立てないときている。
ほんとスレ主はセンス無さ過ぎだね。
342 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 23:40:57 ID:ApLzwv96
立ててもいいけど、レス伸びないと思うよ・・・
ケン・ウィルバーは3つもスレ立ってるなw
スレ立てようかと思ってたけど
D:/TknCfT8みたいなのが来るかと思うと嫌になったのでやめた
344 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 23:45:27 ID:ApLzwv96
>>341 どうでもいいけど、スレ立てるの渋い顔されたら
>>335で
B級教師といってたKが四流、シュタイナーがC級ペテン師からオカルト糞野郎に
格下げされてるのにめっちゃ笑ったw
>ラマナ・マハルシの『あるがままに』(ナチュラルスピリット社)の
>復刊というか新装版というんですか、それも決まった
マジで!?すごい嬉しい
I AM THATもけっこう前に復刊されたことだし、次はぜひマハラジの続刊を!
346 :
神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 13:23:19 ID:TCM/eeN9
本日もSP修行。
エナジーレベルが低い時は、アジズが言う通り頭の中に向かって呼吸するといいよ。
すると、センターのエネルギーが感じられる。
後は1日を通してそれを思い起こし続ける。
エナジーレベルが低い時、っていうのが自覚できないなあ
そういう時は大体マインドの中で溺れてるからw
348 :
神も仏も名無しさん:2009/01/20(火) 18:36:38 ID:TCM/eeN9
エナジーレベルが低いというのは、たんに気づきのセンターがある視床のあたりにエネルギーが感じられないということ。
エナジーレベルが普通だと想起するだけで眉間のあたりにエネルギーの玉のようなものを感じる。
アジズがなにを言ってるのかさっぱりわからない俺は、縁なき衆生なんだろうな。
きっとすごいんだろうとは思うのだけど。
>>349 訳語でひっかかっているだけだと思うよ。
>>348 眉間に感じたことは一度もないんだよね…後頭部にしか
>>349 もしかしてヒューマンブッダから読んでない?
あれは少し敷居高いよ
352 :
神も仏も名無しさん:2009/01/21(水) 09:33:13 ID:RX6+LXcj
SPは状況によって、頭のいろんな箇所で感じられるみたいだね。
ヒューマンブッダは確かに敷居が高い。
アジズとの対話は訳者が多くの求道者と同じレベルでそれを代弁してくれたので入り込みやすくなっている。
鏡を覗くと、そこに自分の目が写る。
これ見ているのは、‘鏡に写る目’ではない。
目の向こうにある何かだ。
その何かに向かって注意を引き戻す。
355 :
神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 12:23:35 ID:QUEZL7et
>>354 それはタントラか何かの技法?
でもSPを直接感じられるならSPに勝るものはないような。
SPを直接感じられない時にウィパサナとかの補助的技法が必要になるような気がする
ところでダイジ氏が
SPやるとどんないいことがあるの?
一般人もやる必要ありますか
>>355 SPというのは、かみくだいて言うと何?
state of presence だから、いま・ここに純粋意識として在ることの自覚?
思考・感情・知覚が湧き起こってくる場としての自覚?
>>358 基本は
>>313です
>>357 「いいこと」ねぇ…うーむw
あえて言うとしたら、
もうSPがない状態には危険なので戻りたくないという感じかな
SPがないと、何か思考が起こるたびに、それに付随した「私」が次々と現われて
私はAだ。いや私はBだという風になってしまう。一貫したアイデンティティを保てなくなる
SPがあると、すべての思考の裏に共通した「私」に注目できるから
思考に振り回されずにすみますよ
あと
探究者の変容次第では
感情的になりすぎて、正気を失ってしまうこともあるから
そうならないための基本的な土台作りをするために
まず気づきにワークする、という面もあるらしい >SP
>>354 目の向こうにある何かなんてものはあるの?
あると思ったり感じることもただの錯覚では?
だから、その辺を正確に確かめるためにも注意をするんでは。
SPある程度確立した人けっこういるのかな?
その人に聞きたいんだけど、SP確立してからそこに停滞して抜け出せない感じある?
それともSP確立してるから焦りとかはないわけ?
アジズ詳しくないんだけど、SP確立のあとなにか方法論あるの?
アジズに限らず多くの方法はSP確立までしか導いてくれない気がする。
そのあとは恩寵にまかせるしかないの?
同じレベルの人の意見、切実に求む・・・
364 :
神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 01:03:47 ID:+DU/tg5m
>>361 「何か」は気付きの中心という意味でしょう。
それは五感では近づけない(見るものは見れない)。
しかし気付くことはできる。
>>363 なにをもって確立なのかさっぱり分からないけど・・
やはりビーイングに手放すことでしょうかね。
気付きの更に向こうへ行くには。
366 :
神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 11:13:49 ID:+DU/tg5m
SP確立する前にその先のこと考えたり、アドバイスしたりするのやめたほうがいいぞ、君は。
君は本当に考えるだけだね。
それに気づきのセンターは感じることが出来るしね。
アンスってまだ当たらない占いやって日銭稼いでるんの?
>>363 ヒューマンブッダで
SP確率の後は脱中心化だ、みたいな事書いてたよ
フーマンの恩寵の扉が開くまで、もこの脱中心化について語ってる
両者がまったく同じものかはわからんけど
>>367 アンスって誰?
間違えたw。確率→確立
370 :
神も仏も名無しさん:2009/01/23(金) 18:55:10 ID:+DU/tg5m
今、仕事帰りに神保町寄ってフーマン買ってきたぜ。
帰って読も
フーマンの本は脱中心化の話が主で良かった
あと著者の個人面談なんで
個人的な相談が多いのだけれども
その個人的な部分が消化されて、無自己と溶け合わなければならないらしい
魂の欲求というものが個人個人により違うから
そういうのも考慮せにゃならんそうだ。アジズもそう言ってた
その辺が、とにかく誰にでも「無にならんかい!」と言うような
普通の教師と違うところだと思った
弟子の資質によって方便を使い分けられる師匠って日本にいる?
残念ながら今の日本ではスマナサーラ長老だだ一人
みんな師匠についたりしてるの?
独学がほとんどじゃない?
376 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 21:07:20 ID:DzW+Vt6t
OSHOが俺の心の師だね。
アジズにも会いたいけど英語喋れんしなぁ。
キヨタカさんにも会ってみたいね
師匠探してるけど、なかなか見つからないなー
自力でなんとかなると思ってたけどやっぱり恩寵でひっぱりあげて
もらうしかないんだろうな。
アジズとの対話でプンジャジの秘密っていう章があるけど、
どんな事が書いてあるんだろう。
覚者が他の覚者について言及してる部分って気になる。
>>377 プンジャジは少なくとも
>>208でいうところの
純粋意識、絶対状態、ハートの悟りには到達していて
でも弟子に教えてるのは純粋意識までなんだって言ってたよ
俺はOSHOがマハラジについて語っていたところを知りたいんだけど…
なんかネガティブに評価していたらしいけど
ところで、またアジズの話なんだが
気づきのエネルギーが、
重力に引かれて首から下に落ちて行き、ビーイングになる(?)ってくだりが
さっぱり感覚として分からない
SPはハッキリとわかるんだが
何かコツはあるだろうか
>>378 そうなんだ。
なんか批判めいた事かいてるかと思ったけど違うんだね。
悟りに階層なんてあるのかどうかわからんけど、
羯諦羯諦波羅羯諦なんだろうな・・・
>>379 気づきを極限まで純化していったときに丹田が下に引っ張られていたら
自動的にすとーんと全部がビーイングに落ち着いて脱落するよ
自分はそうだ
>>381 ありがとう
>丹田が下に引っ張られていたら
うーん、このへんが実感が難しいかな…
丹田ってヘソより2、3cm下のところですよね
アジズの言うとおりに頭の内側にMEを探して
いるが見当たらない...
何かコツのようなものはありますか?
探していって探していって最後に行き着く探せないところがそれだよね
>>384 アジズの言うところのマインドで
探していると思います。
>>386 マインドというのは思考=内的言語。
マインドが湧いてくる場そのものになり切れ。
MEとやらを「探す」必要なんてない。
>>387 探そうとするマインドがあって
なかなか場そのものになりきれません。
しばらく気長に試すことにします。
意識を観察してるとエキセントリックな人格というか、機械的な
思考装置みないなのにぶち当たらない?
ネガティブ、ポジティブな両方に流れを促す何かで、
ちょっとフォーカスすると何倍も思考を増幅するような、とても扱いにくいもの。
そんな感じ。
>>383 自分の場合
「私」を探そうとしたら難しかったので
「気づきのスペース」を探したら見つかった
まず気づきって何だろう?何かに気づいているってどういう感じだっけ
気づきに気づいているとは…?という感じで始めたら上手くいったよ
その代わり、これが「私」であるという感覚はいまだに薄いのだけれど…
あとは、とにかく後頭部にそれを探したかな
393 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 06:40:45 ID:AKkIZXlw
思考を手放して今に居続ければいい
瞬間瞬間気付きを保つ。
禅やビパッサナ瞑想と同じでしょ?
場所がどうのとかは気にしないでいい。
今にいて気付きを保ち続けていると気付きが目覚めてくる。
気付きが目覚めてくると、気付きを保つという行為は場所的には頭の中心辺りでやってる事だというのが分かってくる
394 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 10:53:24 ID:tTMuBNvi
ビパッサナってヴィパサナのこと?
SPは禅や他の瞑想とは違うよ。
もっと直接的にMEそのものに気づくもので、ヴィパサナなどをやると逆にその感覚を遠ざけてしまうとアジズ自身も言っている。
ビパッサナはヴィパッサナーのことだよ。
396 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 12:13:09 ID:AKkIZXlw
この瞬間にあるって事では禅とかと一緒だと思うんだけど、SPの方は位置的に頭も意識するって事では若干違うかもね。
SPの方が気付きのセンターである頭を意識するからより禅とかよりダイレクトなんだと思う。
強力な自己想起。
397 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 13:42:53 ID:tTMuBNvi
398 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 21:51:47 ID:K9AqZ31F
反感、または共感というエネルギーを生産し宇宙に貢献をしていただきまして、 毎度ありがとうございました。
>>392 頭だね。
フォーカス当てる部分も頭。
でもそれにパワーを注ぐのは心臓あたりから流れる力。
その背後に干渉しないで横たわる静かなものがある。
マインドの戯れかもしれないけどw
>>393 感情的に激昂すると体のあちこちからパワーが溢れる感じがするよ。
でもそれに気づいてるのはやっぱり頭なんだけど。
でもそれが中心かどうかは分からない。
蛇足だけど、明晰夢見ることが希にあって、覚め際に
夢自体がすーっと盆の窪あたりに収束する事を発見したよ。
イメージとしては夢の世界が目覚めと同時に気化してその気体が盆の窪に収束されるような感じ。
フーマンの言うように、無思考の状態で「ただ在る」ように試みてみた
昔の自分なら、単にだらりとした状態に移行しただけだったろうけど
SPのワークをしていたためか、気づきの側面が強くなって
シャキーンとした無思考の状態になってる
<透明な私>(transparent me)とか
I amからAmnessへの移行とか
そういう言葉が凄くシックリくるようになった
しばらくこの状態で居てみようと思うが
マハラジの言う「私は在る」という感覚ってひょっとしてこれのことだろうか
401 :
神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 00:25:34 ID:+y4gJZ4u
このスレの住人はマハラジで抜けるのか?
スゴイねw
何の話だw
403 :
神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 17:50:18 ID:OH4Fikeh
>>400 そのようななことを試みるとは、君はSPを確立したのかい?
君の書き込みからは、これっぽっみもSPを確立した匂いがしないのだが...
>>403 いんや、ちょっと試してみただけ
普段はSP修行やっとるよ
ところで書き込みからSP確立したかどうかなんて
判別できるのかい?
例えばSPを保ちながら怒ることことだってできるのに
ところで
>>366の書き込みもあなたかな?
「君」っていう言葉の使い方に嫌味を感じるんだけど
皆さんは、初期仏教のパーリ仏典とか、清浄道論とか、ミャンマーのアーナパーナメソッドとか
そういうの興味ないですか?
無常・苦・無我を観続ける法随観とか。中村元の訳本とか。
>>406 多少は知ってるけど、あなたはその方面のメソッド経験者なのかな?
そのへんのメソッドについての話は別のスレでやってるんだろうけど、
このスレのSPとかと関連して話してくれたら興味深いね
409 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 10:57:22 ID:uQuxu1nL
>>404 わかるよ
丸わかりだよ
>>406 果たしてそのような、かびの生えた古臭いものを引っ張り出す必要があるのだろうか?
正直もうこれ以上外側に探すものなどないのである。
SP以上のものがあると?
人生は短いのに、探求なんぞにかまけている時間などないのである。
>>406 俺はそれやってる。そうすると、。SPなんてものも無いのだ、妄想だということがよくわかった。
ほんとうに「よくわかった」のかなw?
言葉軽くない?
じゃあSPがあることがわかったというのも、言葉軽くない?
413 :
神も仏も名無しさん:2009/02/01(日) 13:31:55 ID:MDjf2PXX
まあね、テーラワーダスレを覗きに行けばわかることだけど、
テーラワーダ狂信者はスマナサーラの毒舌を受け売りしているだけで自分では何も体験してないからね。
彼らが「よくわかった」というのはスマナサーラの本を読んで感化されたという意味だから。
テーラワーダ狂信者はまともに瞑想もできないのに、サマタ瞑想だけではダメだ、
ヴィパッサナーでないと、なんてね、スマナサーラの受け売りで彼の言葉をなぞっているだけなんだよ。
彼らのスレを見れば、常に大乗に対する病的な敵愾心と被害妄想に満ちていて、テーラワーダが単なるカルト集団であることがよくわかる。
幼稚園児のくせに、何を勘違いしているのか大学院生に向かって論争を挑もうとしているような間抜けな人間だから、
まあ、ニヤニヤしながら適当に相手をしてやればいいと思うよ。
>>413 俺がやってるヴィパッサナーはスマのところじゃない別のやつだから。
ラベリングなんてかったるくてやってられない。
>>414 ゴエンカ?あそこ?まあそれ以上つっこまないでおく・・・
どこのメソッドでもそうだけど、本当にその修行が身になっている者はその集団のうちの
1パーセントにも満たないだろう
それはアジズとか和尚のところもテーラワーダも同じ。
それをいったら大半のサニヤシンだって酷い状態じゃないのか?
そのメソッドが廃れずに受け継がれてきているのはそれなりに理由がある。
その方法で覚醒する人も若干名いるということだ。
だから、各々のメソッドの秘儀的な核心と法脈を知らずに外側からだけ見て
安易に批判するのは品がない行為だろう。
あなたはあなたの信じる道でひたむきに精進していけばいいだけの話。
人を批判している暇なんてないはずだよ。
ひとつだけ私見をいうと、アジズの書いたものを読むと、初期のI am の目覚め、
「注意」の段階で、確実にヴィパッサナーの方法を視座にいれてるように見えるよ
もちろん、それはSP確立の一部分にすぎないから、アジズの方法論だとそのあと
ヴィパッサナーを超えて、being とheart 、絶対状態、me の悟りへと続くんだろうけど。
日本で紹介されてるヴィパッサナーはまだ、その先の秘儀的部分を公開されていない
んじゃないかな。第一、テーラワーダは自分が悟っているということを公表してはならないらしい。
アジズや和尚の功績(功罪?)は、秘儀的な部分を洗いざらい話してしまっているところ。
416 :
404:2009/02/01(日) 23:29:19 ID:GtC0K8/d
>>409 どの辺からそれを判断するのかな?
コツを教えておくれ
418 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 15:22:06 ID:wRNIMJ1S
祝☆ アジズとの対話 新装版 2月3日発売記念あげ
ヒューマン・ブッダの新装版も予定しているらしい
ヒューマンブッダはどうせなら全訳を出してほしいんだけどな。
キヨタカさん一人じゃ難しいのかな?
サニヤシンの仲間の人たちで手分けして、みたいにして邦訳してもらえないかしら?
>>420 ヒューマン・ブッダって全訳じゃないの?
>>421 全訳じゃないです。ほんの一部の抄訳。
オリジナルはカラーの図が載っていたりアジズの半生記が書かれていたりします。
ところでラマナ・マハルシの『あるがままに』の新装版、
新宿のジュンク堂には早くも並べられていました。
前回買い忘れた方は早めにゲットしておいたほうがいいかも。
クリシュナムルティの神秘体験も再販してほしい
あとキッチン日記(なぜか読みたいw)
なあ、ここのみんなはバガッヴァドギーターに関しては
どう思うの?
般若心教とか聖書とかコーランどう思うとかってレベルだろw
>>424 バガヴァッド・ギーター、興味はあるんだ。内容は知らない。
ネットで読めるようなとこ、あるかな?
ぐぐってみたけど見つからなかった。
>>426 般若心教はいいよね。全ては空で空は無で。
マントラもついててお得w
新約聖書の福音は、それぞれの弟子から見た偏ったイエス像って感じ。
コーランはまったく知らない。
一挙に偏差値20ぐらい下がった感じだな。
推薦されているアリス・ベイリーの用語みたいなので
それで検索すると見つかるようです。
紀伊國屋書店BookWebで買えるようなので試し読みしてみよう…。
アリス・ベイリーは、日本に原爆が落とされてよかった、と言っていた人だけどね。
やっぱアジズほど解りやすく書いてるのはないのか
人それぞれ伝える内容の役割が違うというのもあるんだろうね
クリシュナムルティなんかも意図的にあれを強調してたんだろうし
kはリードビーターが覚醒させるの早まったってどこかで読んだな。
自由とはリードビーターからの解放だったんだろうな。
それが彼の道だったんだろう。
無人島に行くなら持っていく本
『アジズとの対話〜魂の覚醒を求めて』
『恩寵の扉が開くまで〜フーマンとの出会い』
『自己喪失の体験』
『神はいずこ』
『神の使者』
『不死というあなたの現実』
『ニュー・アース』
神はいずこ、って何だ
良本かい?
『神はいずこに』の間違いだった。
日本教文社から出いるバーナデット・ロバーツの本。
『自己喪失の体験』の続編。
438 :
神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 23:36:12 ID:8debiZ+k
>>436 バーナデット・ロバーツ『神はいずこに』
>>435 オレだったら唐代の禅語録あたりを持って行く。
>>437-438 サンクス
俺ならそれにI AM THATとダンテス・ダイジ
ダスカロスのメッセンジャーシリーズをいれるかな
440 :
427:2009/02/08(日) 23:49:35 ID:p/9NKI2U
>>428 がんばれ受験生w
>>431 各国が強力な核兵器を保有する前に使用されたからじゃないの。
ぞれで全面核戦争はまぬがれ、核の脅威が世界中に広まったから。
とかね。
アリス・ベイリーがどんな意味で言ったのかは知らないので俺の妄想だが。
>>436 「神はいずこに」のことだろ。たぶん。
「自己喪失の体験」を書いたバーナデット・ロバーツの本。
もう少し原題に近いタイトルにしてほしかったな。
内容は・・バカな俺にはよーわからんw
>>424 結局、講談社学術文庫のバガヴッァド・ギーターを買ってしまった。
まだ読んでないが。
441 :
427:2009/02/08(日) 23:53:32 ID:p/9NKI2U
すっかり出遅れたな。
ぞれで・・なんて書いてるし。
>>440 神智学用語はよく知らないんですが、日本人は第四根源人種?の劣等種族なので、
原子爆弾の放射能の洗礼を受けないと我々のレベルまで進化できないから、
原爆投下は結果的によかったのだ、みたいな発言だったと思います→アリス・ベイリー
>>442 そりゃぶっ飛んだ意見だね。
その発言内容の真偽はわからないから何とも言えないし、辛い思いをした方々にとってはまた別問題だけど
私たち日本人は進化することが出来たと言っているのかしら・・
進化なんかする必要も無いし劣等種族と見下されても構わないので酷いことはしない方がいいと言いたい。
神智学のインチキ・ペテン性さなんて、しょせんそんなもん。
ついでに言えばアリスベイリーのどれだったかの邦訳は、現在セックス
・詐欺教団でマスコミにも取り上げられた、例のハゲジジイだろ。
若い頃に神智学をありがたがっていた俺自身、今考えたら痛いよ。
>>445 おお、楽しみですね。
キヨタカさんにはできればヒューマン・ブッダも全訳して欲しいですね。
大変でしょうけど。
>>442 どうみてもオームです@アリス・ベイリー
448 :
427:2009/02/10(火) 23:10:15 ID:sB7ZWEwa
>>442 アリス・ベイリー、ちょっと読んでみたいと思ってたんだけど。
本気でそんなアホなこと言ってるならやめるか。
>>444 みんなクリシュナムルティみたいに、自分の教団解体して個人で活動すりゃいんじゃねーかと思うね。
できねーからたむろってんだろうけど。
そんな文字を打つ間に何か解説したらいいのに
最近ステプレの調子が良い。毎日7割はキープ中
ところでOSHOの本を読みたいんだけど、「存在の詩」以外で何かオススメありません?
453 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 14:52:44 ID:2RkyaQaK
>>452 黄金の華の秘密だね。
売ってるかどうか知らんが。
454 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 15:46:54 ID:3yRqfivb
>>452 タントラ・ヴィジョン・シリーズがいい。
455 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 16:17:37 ID:2RkyaQaK
タントラヴィジョンシリーズて、10巻のやつか?
あれもいいね。
ただ、読んでると一体どの技法をしたらいいのかわからなくなってくるがw
456 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 19:03:40 ID:2RkyaQaK
OSHOの講話は聴衆のレベルに左右されるからね。
タントラシリーズは初期の少数の弟子達に語られたものだからレベルが高いと思う。
逆に沢山のサンニャーシンに対して語られた講話はダイエットコーラみたいになんか薄いんだよね、味わいが。
そういう意味では一人の友人に送られた手紙を集めたア・カップ・オブ・ティーは素晴らしかった
457 :
452:2009/02/11(水) 23:21:44 ID:yd5hOEnd
みんな有難う
メモしつつ本屋にいってくる
「カミング・ホーム 文化横断的<悟り>論」 レックス・ヒクソン著 コスモス・ライブラリー
すごくいいよ。
クリシュナムルティ、ラーマクリシュナ、ラマナ・マハリシ、禅、プロティノス、
ハシド派ユダヤ教、聖パウロ、スーフィー、易経、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ
の悟りについてすごくわかりやすいガイドになってる
>>458 個人的にはプロティノス以外は、なんか説明が回りくどい感じがした
460 :
神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 00:23:59 ID:jJffttGL
著者は悟りオタクっぽいかな ウィルバーをものすごく薄めた感じ
説明が回りくどいのは、結局著者が悟りの核心をひとつしか知らなくて
それだけですべて説明しようとしてるからかな?と思った
それはつまり、ワンネスとか一なる意識とかってことだけど
427さん
バガヴァッド、面白いですよ!
カルマヨーガとバクティヨーガ、結局これだと思います。
それを分かりやすく説こうとして小難しくなってしまっているのが
各各の本だと思います。
>>461 でも何がしかの体験はしたみたいだよ >著者
だからプロティノスの項が面白かった
あと、いわゆるインテリ層に向けて書かれてる気がした
日本ヴェーダーンタ協会からヴィヴェーカーナンダのヨガ講演シリーズ、
『ギャーナヨガ』『バクティヨガ』『カルマヨガ』『ラージャヨガ』
の4種類が出ていますが、修行というのはだいたいこれのどれかに分類されるんでしょうね。
順に、サティア(真実)、プレマ(愛)、ダルマ(正義)、シャンティ(平安)
に該当していて、人生で追究することは結局この4つだけだと。
ギャーナ−サティア−上丹田
バクティ−プレマ−中丹田
カルマ−ダルマ−下丹田
ラージャ−シャンティ−脊椎
イーシャという覚醒を得た40代のオーストラリア人女性がつくったイーシャシステムという方法も
4つの言葉によって成り立っていて面白い一致を見せています。
詳しくはイーシャの本、『なぜ飛べるのに歩いているの?』(サンマーク出版)を参照されたし。
466 :
神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 19:39:23 ID:akd4HdVS
>>465 ここにロムってる人いるみたいだけど、丹田で説明するのは
高岡英夫とかもそうだよね
ただ、丹田とか身体での説明にこだわりすぎると、よっぽど
身体を極めないかぎり心身脱落は難しい気がするよ・・・経験上だけど。
アジズはクンダリーニは使わないって書いてたような。
あと、体験からいうと、丹田至上主義?みたいなのに陥る人って
けっこういるんだよね・・・
ちょっと知識がついてくると、他人(特に有名人とか)のこと、あいつは
丹田のあそこが未発達だのどうだのって下世話な噂話ばっかり始めるのにはウンザリ。
>>467-468 はい、私もその通りだと思います。
丹田というのは、まあ敢えて対応表にしてみると、という意図で書きました。
誤解を与えかねない書き方になってしまい申し訳ありません。
>>469 こちらこそ批判的な感じになってしまいすみませんでした。
丹田の説明もある段階ではすごく役に立つということもありますよね。
人それぞれの資質によって体から入るほうが合ってる人もいますし。
心から入る人、思考から入る人、それぞれのアプローチがありますね。
とりあえず、ハラとか丹田とかの話は
何の感覚も感じないので苦手だ、という私のような人が
読むべき本は何でしょうか
アジズの本でも、ハラの話が出てくるたびにわからなくなる
472 :
神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 23:41:13 ID:akd4HdVS
>>471 これで悟りうんぬんを語るのは賛否両論あるだろうけど、とりあえず高岡英夫の本は?
「軸」と「ハラ」を鍛えれば、必ず強くなる!―身体意識メガ・トレーニング (単行本)
高岡 英夫 (著)
私見だけど、肥田式だけだと下丹田ばっかりやたら鍛えられて
ハラばっかり座った頭悪い坊主が出来上がる感じがする・・・
肥田さん本人は最後は自殺したんだよね
475 :
427:2009/02/14(土) 10:57:43 ID:FBVuPFDr
>>462 >> バガヴァッド、面白いですよ!
今、必死に読んでるw
やっと面白くなってきた。読み終わったらまたレスするよ。
>>472 ダイジがメンタル体のスワジスターナチャクラを開くと見性すると、
ニルヴァーナのプロセスとテクニックで書いてる。
徹底して下丹田を鍛えた春充は、これなんだろうと思ってる。
>>474 >> ハラばっかり座った頭悪い坊主が出来上がる感じがする・・・
これに関してもダイジが書いてたよね。
メンタル体でなく他のチャクラで留まってると、そうなるのかも。
>> 肥田さん本人は最後は自殺したんだよね
絶食して死んだって話だ。
ダイジも自殺未遂もして、若くして死んでる。
悟ったやつらは、よーわからんねw
腰を痛めるとか言われてるけど、個人的には肥田式いいと思うよ。
見性に至るのは難しいだろうけど、健康法としてはおすすめw
場所も時間もとらないし。
気がつくといつも「私」がマインドと同一化しているwww
477 :
471:2009/02/14(土) 15:09:55 ID:0f8idcyM
みんな有難う。参考になりました
ヨーガだと気は下、中、上を全部混ぜ合わすという考え方ですね。
下だけを発達させる(気功的なもの)、上だけを発達(禅なのかな?)
どっちも不完全だという考え方みたいです。
だから、クンダリニー、バクティ、カルマ等全部やると良いと思います。
479 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 17:46:51 ID:aOk+20bU
>>474 中心力が大地を打ち付けると同時に、その反発力が体の中心線を下から上に突き抜ける、
というわけで上のほうのチャクラへの覚醒作用もあるみたい
480 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 17:47:23 ID:rifkTSMc
くだらんね。
暇人か!
これが本当のクンダラーネヨガ!
なんちてw
483 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:48:32 ID:rifkTSMc
クンダリーニとかって、アホな人の道だろ。
自分の受容力を超えたエネルギーが目覚めるとヒドいことになる。
484 :
427:2009/02/14(土) 23:52:58 ID:FBVuPFDr
>>462 ギーター読み終わった。
クリシュナ、酷なこと言うなぁ。アルジュナの心情わかる。
でも選択肢がないのなら、そうするしかないか。
現代では、あてはまらないと思うが。
>> カルマヨーガとバクティヨーガ、結局これだと思います。
正直、ヨーガは知らないんだ。
でも、ここに書いてある内容で考えると、
ttp://yoga.csaff.com/11/ 主にギーターで語られてるのはカルマヨーガとバクティヨーガって感じはする。
見返りを要求せず、ただ行為する。
日常で心掛けることが出来るから、カルマは素晴らしい教えだと思う。
難しいけど。
バクティは、ちょっとヤバイ面がありそう。
>> それを分かりやすく説こうとして小難しくなってしまっているのが
>> 各各の本だと思います。
俺にはギーターも難しい。面白かったけど。
何度か読み返してみないと。
>>480 >> くだらんね。
>> 暇人か!
何がどうくだらないのか書いてくれよ。
でなければスレの流れを変えるような書き込みしてくれ。
暇人じゃないからレスできないか?
485 :
427:2009/02/14(土) 23:56:59 ID:FBVuPFDr
>>483 わり。ちょっと遅れた。482へのレスはいらないよ。
>> クンダリーニとかって、アホな人の道だろ。
>> 自分の受容力を超えたエネルギーが目覚めるとヒドいことになる。
エネルギーが目覚めて自分にヒドイことが起きたのか?
486 :
427:2009/02/15(日) 00:00:53 ID:m0Bdrf7P
>>485の482は484の間違いです。たびたびすまん。
ダイジは自殺とは、ちょっと違う・・はず。(元オウム信者系ではそういう見方
もされているようだが、ガス管咥えてとかなんとか)若い頃に自殺未遂二回ぐら
いやってるせいもあるだろうけど、本当のところは当時同棲していた?女性ぐら
いしか知らないのではないだろうか。結局、禅でもそうだけど最高に気持ちいい
状態で、肉体を放棄したんじゃないかと思う。禅でも、戻る気がなければ、もう
そのまま悟りに没入して気持ちいいまま逝っちゃうとかあるみたいだし。
やることは全部完了したという意思の元でダイジはその道を選んだのではないだ
ろうか・・・。取りようによっては「自殺」と言うのかもしれないが、首吊るとか
ガス管咥えるとか飛び降りとかとはそういうのとは根本的に違うと思っているが。
まぁ、そういう、自分の中のダイジのイメージもあるかもしれないけど。
488 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 10:17:41 ID:JphlWWfV
>>485 クンダリーニではないけどヒドいことになったね、10年近く。
別に大量のエネルギーが目覚めても最終的にそのエネルギーを統合出来れば結果的に素晴らしいことなんだが、
統合出来なければ、神経症あるいは精神分裂症になるよね。
エネルギーというのは成長と共に少しずつ目覚めさせるのが王道だと思った。
そういう意味ではアジズの道は王道だと思う。
コツコツ働いて収入を得る。
クンダリーニは宝くじ買いまくって稀に当たるようなもん。
当たっても本人に準備が出来ていなければ破滅的
`Enlightenment Beyond Tradition'では、absolute stateになるとクラウンチャクラからハラに向けてエネルギーが落っこちると書いてる。
これはクンダリニーの上昇とは逆な気がするけど、体験した人いる?
むか〜し読んだことのあるドリール博士の本に、
クンダリーニが上昇する前に松果体からエネルギーが下降しないといけない、
というようなことが書かれていた。
そうすればクンダリーニは安全に上昇することかできると。
491 :
427:2009/02/15(日) 12:52:58 ID:m0Bdrf7P
>>487 実は、そのイメージ俺も同じだ。
本当のところは、本人にしか、わからないだろうけど。
>>488 クンダリーニ症候群なんて言葉もあるしね。
その危険性はいろいろ指摘されてる。
実際、痛い思いしないとコツコツやることの大切さは、なかなかわからないのかもね。
俺も宝くじ当ててーもんなーwww
バガヴァッドは条件次第では殺人を肯定するという内容だから。
良い経典とは言えないよ。
細かいツッコミすまんが
クンダリーニではなく、クンダリニーが正しい。
ラジニーシ(和尚)系の人はなぜか前者を使う場合が多い。
そう、クンダリーニっていうのは「言葉使いが違う」!
それから、クンダリニー(もしくはクンダリー)の上昇は決して宝くじなんかではない!!
それも「クンダリーニ」って言ってるのと同じですよ!
もう少し調べてみてください。
殺人を肯定している、これもステレオタイプな意見かと思います。
部分だけ見ていると言うか。。。
495 :
427:2009/02/15(日) 15:08:52 ID:m0Bdrf7P
>>492 そうなんだよね。そこなんだよ。
それで暴走するやつがいればカルトのテロにつながるよな。
クリシュナが神の現れとして描かれて、輪廻思想や信仰にしろ、
現代の宗教が抱えてる問題につながりそうなものがたくさんある。
時代背景や加筆、修正されてるだろうことを考慮して読まないとまずいかな。
>>493 それホントかよw
だったらクンダリニーに統一するかな俺はw
496 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 22:23:51 ID:JphlWWfV
クンダリニーは宝くじ。
まず基本的に当たらない。
当たっても破滅の危険性高し。
貧乏人の一発逆転だね。
王道を見つけられない知障の唯一の拠り所。
497 :
427:2009/02/15(日) 23:25:18 ID:m0Bdrf7P
>>494 クンダリニーにしてもギーターにしても、もう少し思うところを書いてくれないかな。
調べるのめんどーだからw
>>496 >>494と完全に対立してるねw
人により王道は違うかもしれないと俺は思う。
訳してほしいよなあ`Enlightenment Beyond Tradition'
クンダリニーの急激な上昇が悟りに必須かどうかはわからんけど、
クンダリニーのエネルギーが上昇できるぐらいに各チャクラをまんべんなく
育てて開かせることは悟りにとっても重要じゃないかと思う。
自分はいちど瞑想中にクンダリニーが上昇したときがあったんだけど、チャクラ
が整っていなかったせいか、ギザギザにものすごいGがかかって昇ってビビった。
上昇は必須じゃなくても、SPの位置が開く(?)ときに上昇するのと同じ衝撃は
あると思う。個人的な体験からいうと。
あと、ある程度意識的に身体の訓練してる人だとクンダリニーの通り道みたいなのは
開発されると思う。だから、宝くじ当たるよりもずっと確立は高いんじゃないかな。
>>490 クンダリニーの上昇はある程度心身脱落しないと起きないと思うから、
上昇の前にいったんすべてが下降して脱落するのは正しいと思う。これも経験上。
500 :
神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 09:56:36 ID:YQB0HBDa
クンダリニー派の人間はとりあえずクンダリニーを目覚めさせてくれ。
つか、そもそもクンダリニーの修行てどうやってやんだ。
地図やガイドが魑魅魍魎過ぎて訳が分からない。
信用するに値するものがないような気がする
501 :
427:2009/02/16(月) 17:25:37 ID:DWNNsu4x
>>452 >> 最近ステプレの調子が良い。毎日7割はキープ中
俺のような厨房が聞いても意味ないかとも思ったんだけど、
キープできてない3割は、主にどんなとき?
クンダリニーを目覚めさせて何がやりたいか、ちゃんと考えてから修行したほうがよいと思うが。
寝た子を起こすなというだろ。
503 :
神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 19:38:37 ID:YQB0HBDa
>>502 クンダリニーを目覚めさせる動機なんて、野心か好奇心くらいのもんだろ。
それ故にクンダリニーの道は邪道なんだよな。
クンダリニーを目覚めさせようとする者は自分自身の動機を覗き込んだ方がいい。
そこには野望が潜んでいるはずだ。
それとSPを7割キープ?
嘘つくなボケ!!
クンダリニーは意図しなくても野望とか関係なく思いがけず目覚めるとき
があるんだよ。特に、武道とかヨガとか身体系から入った人は。
あと、常日頃、信頼できる相手とセックスで深いオーガズムを得てる人も。
自分は悟りの道に関しては、クンダリニー派?じゃないけど、クンダリニーを
むげに否定する人ってセックスセンターとか身体の意識が眠ってるんじゃない?って思う。
クンダリニーの道じゃなくてもまず瞑想以前に自我を育てるときに各チャクラを整えるのは
基本でしょ?
SPはリトリートだと当然8割以上キープ、普段は意識して6割ぐらいだな
他人と会話してるときはキープが難しいね
完全に確立すると寝てるあいだも続くんだろうな
>>501 特にこういう時、というのはないんです
一度失うと次回から気をつけるから
「こういう状況の時は失いやすいから気をつけよう」ってね
でも今度は、以前は平気だったシチュエーションの時に失ってたりするw
>>503 あのーもしかして
>>409の人ですか?
だとしたらコテハンつけてください。NGするから。
こういう人が2人以上もいるとは思いたくないんだけど
イライラする人がいるときこそSPが役に立つんじゃね?
まだまだ自分もすぐ巻き込まれるけど、これぞ修行だよな
あなたこそSPにいるの!?
って一度言ってみたいですw
>>409 もしあなたにSP体験があるなら
それがマインドとは独立したものであると知ってるはず
イライラしてる時にSPがあることもあるし
マインドが静かでも、まったく気づきがないこともある
ただ
静かな人が「私にはSPがある」と言い
イライラして愚痴ってる人が「私にはない」と言った方が
私たちのマインドにとって「説得力」があるというだけの話
事実は逆かもしれない。それは(普通)外部からは見えない
たとえば、フーマンの本で、性について相談してる著者さんを見て
「あぁ、この人は確かにSPがあるな」と前情報なしで気づけるかな?無理でしょう
「SPがある人はこういう書き込みをするはず」というイメージがあるなら
あなたのいうSPは、本当はSPではない可能性がある
あぁ、そうか。
でもそういう
>>409氏にもマインドとは関係なく、SPはあるかもしれないのか
510 :
神も仏も名無しさん:2009/02/17(火) 09:51:13 ID:ukyTrFZm
ムムムムム、無無無無無、あながち嘘でもないようだね。
511 :
427:2009/02/17(火) 18:08:19 ID:xCykFDpY
>>505 ありがとう。参考になったよ。
>>504も。
と言っても、今の俺はキープ以前の問題なんだけどw
まるわかりだよねw
512 :
神も仏も名無しさん:2009/02/17(火) 19:08:56 ID:ukyTrFZm
ただ70%だともうほとんど努力は必要ないと思うんだがね。
しかし何%かというのはわかりづらいわ、計りようがないからね。
自分は何となく5、60%はいっているような気がする。
それとSPのエネルギーが強くなるとほとんど酩酊状態のような感覚になる。
そして非常に眠くなる。
バイクに乗ってる時などホント事故りそうになる。
後は性欲が異常なまでに減少した。
このままだと精神的インポになると思う。
他には世間の事がどうでもよくなったな。
前からどうでもよかったが、さらにどうでもよくなった。
自分の思考もどうでもいいね。
この書き込みも無論どうでもいい。
眠くなるのは違ってるんじゃない?
どんどん頭がすっきりして醒めていく感じだと思うよ
あなたのはやっぱりいわゆるサマタ瞑想なんだろうな
世間と断絶するのはめんどくさいことを見たくないだけなんじゃない?
514 :
神も仏も名無しさん:2009/02/17(火) 23:02:56 ID:ukyTrFZm
サマタ瞑想て、なんじゃらほい。
仕事しながらSPやってるが忙しいとキープするのが難しいね。
完全に消えてる時が多い。
暇になるとSPが強くなって、こうなると仕事が難しくなる。
恍惚となって気持ちよくてついウトウトと...
とにかく両立が難しい。
なんかSPと違う気もするし。
醒めているという感じではないんだよな。
SPについてアジズに直に教えてもらいたいわ
515 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 16:04:16 ID:UHiFWwUt
>あなたのはやっぱりいわゆるサマタ瞑想なんだろうな
スマナサーラさんは、お元気ですか?www
私も頭のほうに軽く気持ちよい感じがあるけど、これは逆に眠気を妨げる感じがする。
ところで、アナディ本家サイトにアップされている`state of presence`の章は、
SPを理解する上で非常に重要な気がしてきた。
SPに過度に集中すると進化を妨げるとか、エゴを強める危険性とか、
SP確立後も知性を成熟させないと無意識に支配されたままだとか。
忍者で忙しい ほうざんせんせいが 悟ってますように。。。
518 :
神も仏も名無しさん:2009/02/19(木) 09:00:04 ID:L/ew4w4C
アジズさんって むかし ペアというかなんか 男だったかのパートナーがいて
二人でとり組まないと悟れないってことになってなかったけ?
出てきた2000年頃は関心持ってたけど、
そのパートナー論みたいなのが出だしたころからアジズさんへの興味が薄れた記憶がある。
それからSPの概念というかは、サイト上のわずかなもので復習してみたけど
これは、部分的に同時に体を感じていって、
同時に聞きながら見ながら嗅ぎながら全身を感じる 自己想起へのメソッドでも
同じように感じられると思うんですがね。
また瞑想中の 思考が出れば、思考者を見ようと試みるとか、
沈黙の音、アブソリュートリー サイレンス 等聞き込めば ああなるほどと
SPというもの、状態に気づくこともあるだろうし。
520 :
神も仏も名無しさん:2009/02/19(木) 13:58:31 ID:L/ew4w4C
>>519 的外れにもほどがあるね。
パートナー?
そんなの初耳。
俺の愛しのパートナーは何処に....
アジズの書籍の中で、(一般論としてではなく)
いつごろからかパートナーととりくむことでしか到達できないみたいな
話が出てきたのは事実である。
そんな細かい部分的なものでない、調べればすぐわかろう。
それ以降だろう、本とか書店から見ることがなくなっていったのは。
ああ 520って518かぁ。。。
523 :
神も仏も名無しさん:2009/02/19(木) 15:21:33 ID:L/ew4w4C
アジズの書籍って、「アジズとの対話」と「ヒューマンブッダ」以外にあんのか?
この2冊のなかにはそんな箇所ないけどね。
525 :
神も仏も名無しさん:2009/02/19(木) 16:53:10 ID:L/ew4w4C
へえー
え?ソウルブラザーのフーマンのことじゃないの?
タントラはパートナーが必要だよね
タントラすごく興味あるけどタントラ目的のまともなパートナーってどうやってつくればいいんだろ?
シュタイナーはこのスレの管轄?
教育スレじゃなく人智学全般スレってのはないみたいだけど
528 :
神も仏も名無しさん:2009/02/19(木) 22:37:21 ID:L/ew4w4C
パートナーはレディがいいな。
オッサンとか勘弁してくれ
529 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 20:24:16 ID:pNk7Pxu4
フーマンはハワイで溺死。。。
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。
これは、たった3分でできるゲームです。試してみてください。 驚く結果をご覧いただけます。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事が
かなったそうです。このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を 貴方にもたらすでしょう。
約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。 たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。 先を読むと、願い事が叶わなくなります。
@まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
A1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。
B3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味の
ある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
C4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さ
い。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
D8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
E最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。
そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。とても奇妙ですが当たってませんか
531 :
神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 11:02:47 ID:hm7VlFej
「1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って
下さい。 貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう」
びびって、ここに貼り付けた一人ですねw 恥ずかしいぃいw
コピペをバカにしたところで当人はもうどっか行ってると思われ。
恥ずかしいのはお前だ。無視できんのか?
すまんこってすね。書き込んだ後で、たぶんそう突っ込まれると
思ってたよw わかりました、これからは虫します。
535 :
神も仏も名無しさん:2009/02/27(金) 19:06:10 ID:2gqkYNvV
アナディサイトのマーク、禅の丸の中にハートって和んだw
アジズって何で一旦教えを止めたのだろう?
ガイダンスに従って、より悟りを深めるためだろ
悟りに終わりはないって言ってるじゃん
なぜそうだと分かる?
悟りに終わりがないってのは本の中で自分でいってたよ
あと、リーラスペースのサイトに書いてあったよ
他人のふんどしかよw
なんでリーラスペースのワークってあんなに高いの?
キヨタカがそれで生計を立てているから
費用対効果はどうなんでしょ?
それなりの境地は得られるのかなぁ。
>>546 みたいなレス読むと、日本も終わりだなと思うのは私だけ?
カルチャースクール感覚なんだろうな
そもそもこんなスレに来る奴自体、
一部の本気で悟りたい・既に悟った人間を除けば
サブカルマニアの末端みたいな人ばかりでそ。
サブカルで括るのも違和感があるな
まぁ、サブカルの中でも60年代のドラッグカルチャーとかから「悟り」
とかに興味を持った向きは多いんだろうけど。ウィルバーとかもいわゆる
そのへんの「団塊」世代よね。
このスレ、20代前半と40代以上が多そう
30なかばですがなにか?
554 :
神も仏も名無しさん:2009/03/04(水) 19:07:20 ID:n86oJAxJ
竹の間が流れ始めたね 春かな
555 :
神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 15:31:07 ID:Jhlkvfut
春だね。
なんか最近味覚が弱くなってきた気がするんだけど
瞑想と関係あるのかな?
自分が食べてる感じがあんまりしない・・・
味覚が弱くなっても別の意識が異常にクリアーになってるなら瞑想と関係ある
舌に食べ物がのった瞬間とか食べ物を噛み砕く様相とか
一瞬一瞬が切れてると味を味と感じる前に思考が切れる
単純に味覚だけがぼんやりしてるなら食べることに集中してなくて
意識がぼーっと別のところに行ってるんだと思う
う〜ん、最近ぼーっとしてるから後者かな・・・
なんか瞑想してる時もあんまりクリアーな感じがしないし
病気かもしれん・・・
味覚異常は亜鉛不足が考えられる
ちゃんと栄養考えないと瞑想する頭も鈍るよ
悟りそのものより、悟りの過程を何かに例えるなら
もう薬ではごまかせない、すごく痛くなった虫歯の神経を
麻酔無しで抜かれていく感じかもしれない。
自分の内面からいろんな物が剥がされていく痛みとの戦い。
だから、虫歯になってない人に歯医者は必要ないということ。
遊び感覚でおもしろい物があると思って足を踏み入れたら破滅する。
パンドラの箱の鍵を手に入れていない人には箱を開ける権利はないから。
悟った人を例えるなら、自殺をしようとして樹海に入って
死に場所を探していたら、なぜか反対側の妙な所に出てしまったから
死ぬ事も出来なかったと諦めて、流れにまかせて生きて行く感じ。
喜びも悲しみもないけど苦しくも痛くもない。
とりあえずは静けさと安らぎがあるだけで十分になれる。
準備も出来ていないのに遊び半分で樹海に入ればやはり破滅するだろう。
んな大仰な事はないないw
フツーに必死こいて仕事した後に、
何も考えられないくらい疲れながら家に帰る最中に
ふと悟った俺が言うんだから間違いない。
何も感じないなんてのは、悟りには似ていても実際には単なる離人症か何か。
キエティストは一種の精神病とも言える。
562 :
神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 01:45:32 ID:1GJhvP9L
おいサトリマイオス おまえもか そんなに悟ってどうする?
564 :
神も仏も名無しさん:2009/03/08(日) 16:30:41 ID:ed0QCO1+
どれもいい話だ……
>564
上座系まわってたら 何度も貼り付けられてきてるがな。
とくに 新地球のとこで。
567 :
神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 22:08:10 ID:pdZmVSYU
修繕時日誌を見てると、男の視点と女の視点の違いを強く感じる。
いい意味でね
ほうざんって嫌いじゃないけど
前に彼のHPでボクシングの亀田興起のことを結構誉めていて
それから少しして例の反則指示事件{弟の試合で「肘でもええから目に入れろ!」}
があってなんだかなあ、と思ってしまった・・・悟ってはいないだろうjk
569 :
神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 16:42:31 ID:MuSheWNP
560は崩残か?
570 :
神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 17:02:33 ID:MuSheWNP
>560
貴方の場合はそうだったという事。
そんなに苦もなく悟る人もいるという事だと思います。
571 :
神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 17:10:16 ID:MuSheWNP
本来皆仏
572 :
神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 17:31:26 ID:MuSheWNP
崩残氏は悟りについて余計な解釈を入れ過ぎだと思います。
実際はもっとシンプルなもの、つまり、例えば、
「時が過ぎ、悟る」
573 :
神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 00:29:29 ID:I8pnwVB1
2ちゃんねるでは本当のことを書くと反応がない
574 :
神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 00:42:14 ID:NCBOL5i+
ほうざんは悟りの知識を頭で理解していて実体験としての悟りはあまり深くないように思うの
だが
ところでダイジはどうして死んで(自殺?)しまったのだろう?
悟りきってしまったからという意見もあるようだけど、古来、悟ったからといって実際に死んで
しまった例は聞いたことないが
久々にこのスレきたのだが、
ちょっと見たかんじ、
>>549>>560あたりがまともかな?
俺もいい加減、卒業しよう
このスレに書き込むのは基本的に「わかってない人」だけ
あとは自分もわかってないと自覚してる人だけ
俺の言ってることがわからない人には
まだまだ長い時間とさらなる苦しみが必要なんでしょうな
卒業が必要な人は卒業したらいいよ
ただ問題なのは必要や不必要な「何か」があるのではなく「必要」とか「必要じゃない」とか
判断してる「自己」があるだけ
俺の言ってることがわからない人には
まだまだ長い時間とさらなる苦しみが必要なんでしょうな
でも「長い時間と苦しみが必要」と思う自分があるだけ
実はそんなもんいらん、というか無い、ただの妄想
今、そんなものも自分もいなかったと目覚めればいいだけ
今こうしてみると恥ずかしいことを書いてしまったな
というのが正直な感想です
恥を承知でまた書きます
>>577 今、そんなものも自分もいなかったと目覚めればいいだけ
これはたしかに悟りの一側面をあらわしてると思います
でも、これを理解するには苦しむ以外に方法がないわけです
その証拠に誰一人としてこのことに気づきません
ちなみに自分は悟ったその瞬間、もう悟りがわからなくなってるのです
本当にすみません
>>575-576はかなり一方的でしかも上から目線でした
しかし人間とはこういうものです
考えるに、相手を知らないのになぜ言葉だけの議論をするのか…
言葉だけでわかりあえるほど人間はバカじゃないです
もちろんわかりあう必要もないわけですが、それなら掲示板を利用する必要もない
それでも利用するのは相手をわからせたい、自分の正しさを証明したい
ということではないでしょうか?
私は恥を承知でこれを書いているんです
いやあそれにしても
2ちゃんねるという場所はなんて自由なんでしょう
あなたがたは今ここに書いていることを
自分の本名と身元を明かして書けますか?
私はできません
だから恥じているのです
581 :
神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 21:16:19 ID:jRFZhOv4
別に恥じる必要ないじゃん
恥かしいことも恥かしくないことも善も悪もないのに
あるのはそれらを分別する自己だけなのに
結局自分が恥かしいと思いたいから思うだけ、それも自己の欲
他人に悟りの話をしたい、悟りを理解させたいのは、自分も他人も同じだから
自分も他人も同一化した全体にとって悟りが本来の姿だから
しかし、その根っこにはそういうこととは別に自己の欲がある
自分が悟っていて他人が悟っていないという分別の意識がある
だから悟っている自分が悟ってない誰かに言いたくなる
しかし、悟りとは本来、自分は既に悟っていたと気付くこと、悟りはどこでもなく既にここに
あったと気付くこと
自己が全て去ってしまった後に悟りだけが残っていたことを観ること
ならば他人も気付いてないだけで既に悟っていると思えるし、それ以前に悟っているいない
という差はない、分別はない
全ては既に悟っている、ただその見え方が違うだけである
だから分別なく、ただ自分のままに悟りのままに生きればいい
その上で他人に悟りの内容を話そうと掲示板に書こうと好きにすればいい
しかし他人と自分を分別して悟りの内容を伝えよう、伝えたほうがいいと思うのは単なる
悟りの勘違い、悟りきれてないだけである
でもそれもまた悟りきるために必要な状況、きっかけ
そういう自己を洞察して、その分別に気付き、ただ悟ればいい
そのきっかけになってくれる他人、自分以外のものはそういう意味で尊い
そしてそれをきっかけにして自他の分別をなくし、同一化すればいい
この世にどうかしなければならないものなんてない
ただ自由、ただ全てがあるだけ、それ以外なにもない
>>581 いやあなたの言っていることは多分正しいですよ
しかし自分はそれを納得できるほどの力量を持ち合わせてはいない
その証拠にここにこんな駄文を書いているわけです
その愚かさを恥じているのです
なぜ、こんなにも恥じているかといえば
私自身、あなたと同じ考えを持ったこともあったからです
わかったと思って、悟りとは云々〜と言っていたわけです
それなのに実はなにもわかっていなかったわけですから
俺は自分がかわいくてかわいくてしょうがないんだよ
そんな俺が悟り?笑わせるなということだよ
どれだけ傲慢なんだと
本当、スレ汚してすみません
もう書き込みません、多分
傲慢だと気付けたならいいじゃない
でもたぶん多くの人がそうであるように、自分を傲慢であると理解しつつそうでないとも思って
る
というかそうであってほしくないと無意識のうちに自我が反発してる
結局言葉と理性で自分を傲慢だと理解しつつも、それを体そのものまで感じることができない
それは普通のことであって、それが多くの人が悟りの状態を体験できない理由だろう
自分が傲慢だと100%思えれば言葉ではない悟りの状態を体験できるだろう
また、悟りの状態を体験しても、また言葉でしか理解できない日常の状態に戻ってしまうだろう
自分をかわいがりたいなら思いきりかわいがればいいよ
傲慢だと思いたければ思いきり思えばいい
人はみな大きな意味で自分のしたいようにしかできない、していない
ただ、そのことに本当に気付ければ、そんな自分が消え、悟りの状態になれる
何度でも悟りの状態を体験し、また元に戻り、そうしていけばいいじゃないですか
それは何もわるいことでもなく、ただ、そうであるだけ
そういう意味において永遠で尊い
そう自分を、全てを許すことで、また悟りの状態を体験できる
人はみな、いまここで既に悟っている
ただそれを見ないようにし、気付かないようにしてるだけ
自殺か発狂の道しかない人に最後に与えられた救いが
そもそも悟りや覚醒の道なんですよ。
だから廃人よりもちょっと酷い状態まで行かない人にはそんなもの必要ないんです。
普通に生きられる人は他の人の邪魔をしないようにやりたい事をとことんやるしかないんです。
なんか瞑想してると心臓が痛くなってくるんだけど、なんでだろう?
腹にエネルギー(?)を落とそうとしても胸に詰まって落ちてこない
感情のチャクラに執着するようなエネルギーがたまってるのかも
喜怒哀楽がちゃんと出し切れていないのではないのかな
>>586 便秘や食べすぎは腸が詰まって丹田が落ち着かないよ
意識しすぎてみぞおちが固まったり眉間のあたりに気がのぼってない?
この季節、花粉症だと呼吸がうまく下まで降りないね
>>587>>588 なるほど、両方納得
感情を表に出すことほとんど無いし(感情自体が薄いのだけど)
ちょっと便秘気味だし(いつも早食いするから消化に悪いのかも)
みぞおちあたりに力入ってる感じも確かにある
もっとリラックスして瞑想した方がよさそうですね・・・
リラックスしようとすると固まる
緊張してる部分にただ気づいてそのままにしておくことで自然と脱力する
それが瞑想の基本
さとりってのはまず怒らないよ
不機嫌になることもない
ただ、人間であるいじょう、相当に修行した人でなければ
そんなの無理だから、さとったと思ったならば、はじめてそこから本当の修行が始まるんだよね
で、だいたいの人はこんなの無理と思って、愛することや忍耐することをやめてしまう
本当のさとりってのは、忍耐だよ
>>591 全面的に間違い、それはない。
悟った人でも普通につまらない事に腹を建てたりする事もある。
ただ、それにずっととらわれたまま抜けられないという事がないだけ。
悟りにもいろいろな状態があって、無分別になっていると感情はわかない
いいもわるいも好きも嫌いもないから
でもそのときは愛することも忍耐することもなにも無いよ
忍耐ってのは単なるコントロール、抑圧
その状態ではコントロールすべき対象もされる対象も何も無い
自我がないから一切が自分を通り過ぎる
また感情はわくけどそれに執着しないという悟りの状態もある
対象に対していろいろ感情わくけど、子供みたいに次の瞬間忘れてる
感情を保持しようとする自我、こだわり、執着がない状態
自分の状態をどこにもってくかでいろいろ違う
ホント言えば、自分の状態をどうとでももっていけるのが本当の悟り
>>593 その自我なし状態は、続くのであれば単なる精神神経疾患でしかないな。
一言で言うと、離人症の類。
自分の状態なんて完全にコントロールできるものではない。
むしろ、操れる物ではない事をはっきり知って、
それに「意図せず振り回されっ放しになるような事がない」のが悟りの極地。
>>592 わたしの言っていることも
あなたの言っていることも
ある一面では正しいですし
間違ってもいます
ただ、それを肯定するか否定するかの問題じゃないでしょうか?
なぜ、あなたは私の言うことを肯定せず否定したのでしょうね?
ちなみに私はあなたの言うことは肯定します
>>593 感情はごまかせないものですよ?
泣きたいときには泣くのが自然ですし
怒りたいときには怒るのが自然です
ただ、怒る場合、それは自分に対して怒るのが正しいのであって
他人に対して怒るのは間違いだと僕は思います
だから
>>591で言っていることは自分には怒っても良いのです
いや、というか、本当に悟った状態ならばそれはないんですけどねw
>>594 離人症ってのは、自我が無い(消える)ことに耐えられない自我が残ってる状態だよ
一言で言えばそこ超えたら悟りなんだけど、自我自体がそれを怖がってる
コントロールもコントロールできないって自我が思ってるだけ
もしくはコントロールを失うのを自我が恐れてる
もうちょっと詳しく言えば、コントロールする自己なんて無いって気付けばコントロールするも
しないもなくなって単に自分の自由になる、どうとでも選択できるようになる
自分の中にどういう自我があるか自己洞察していけば自我に気付く
そうすればわかるよ
自分が体験してみるまでみんなわからない
そしてある程度体験しても自分が体験した範囲でこういうもんだって自我が勝手に判断して
る、悟りでもなんでも
でも個ってのはそういうもんだししょうがないよね
個が無くなればいろいろわかるけど
まあ奥は深いし精進あるのみ
>>595 自分と他人、自分と自分以外のものがあるからその関係の中で感情が生まれるんだよ
悟りと呼ばれる状態にもいろいろあるけど、自他の境界が消える状態がある
そのときこの世界のどこにも境界はないし区別も分離もない
感情がわく原因がない
その状態において言うなら自分に怒るというのも自分の中で分離が起きてる状態
怒る自分と怒られる自分を自分の中で分離させてる
だけどそんな境界はどこのもない、自分が勝手につくっているだけ
もっとも悟りの状態もいろいろだから、あなたがそういうならあなたにとってそれでいいで
しょう、まあどうでもいい
どうであれ自分の思うようにしか判断できないのが人間だから
というかまあ、
>>591は単純に説明不足でした
「本当の」「さとり」「愛する」「忍耐」というこれらの言葉が何を意味するのかを
よく考えてみてください
ことばというものやそこにおかれている状況を先入観だけで理解すると
それはつまり真理を誤るもとになるのですよ
あと、
>>591はわかりやすいようにまたちょっとべつの言い方にしてみます
本当のさとりはまず怒りません
不機嫌になることもありません
ただ、未熟な人はそれができません
ですから、本当にさとりを目指したいならそれができる人間になるようにがんばることです
それはつまり、忍耐であり、愛することなのです
どんなに相手にたいして、腹をたてても決してその相手を憎んだり怒らないことです
その場合、相手を憐れむのが一番良いやり方です
悟りの状態もいろいろ
共通するものはありますよ?
だって、古今東西、一般的に悟ったといわれている人たちは
みんな、まったく同じこと。もしくは同じようなことを言ってますよ?
ちなみに僕自身は悟ったなんて思っていません
まだまだ未熟者なので、
>>591を実践してるんです
悟ったといわれてる人の話をいくら聞いても自分が悟らなければしょうがありません
彼らはみんな嘘をついてるか精神がおかしくなってるだけかもしれませんし
まあ、自分が悟れるように精進するだけですね
自分が体験すればそのとき全てわかるわけでから
結局のところ、
あなたがたの理解不足なのか、
わたしの説明不足なのか、ということです
当然ですが、どちらも真実です
真理は語れるものではないというのは事実なので
わたしたちのやっていることはある意味で滑稽なことなのでしょう
>>601 それでも、なんとなく通じてもらえたような気がします!
正直な感想として、うれしいです!
これが嘘偽りのない感情だとわかってもらえたら本当にうれしいです!!
>>596 とりあえず君が何らかの異常な状態を悟りと勘違いしている事は分かった。
奥もへったくれもない、全てに気付く時はそれこそ一瞬だよ。
本当に通じたのでしょうかね?
実際のところ、私はかなりびくびくしながらこれらのことを書いてましたよ
2ちゃんで、こんな掲示板で、本当に通じあえるだろうか?と
限りなく疑いを持っていましたよ
結果としては、わかりませんし、おそらくここに書き込みをしている人たちは
自分が間違ったことを言っているかもしれない、という嫌な疑惑を感じながらも、
相手の言いぶんは絶対に認めたくないという、プライドや利己心によって
事実を曲げてしまう傾向にあるのではないかと、心中密かに思っています
ただ、私が本当に言いたいことは、
私の言っていることが正しいことか間違ったことか、はあなたがたが判断してください
それは結局、わたしの決めることではないんです
あなたがたが決めることなんです
>>603 あなたにも通じるものがあればなあ、と思っております
通じても通じなくてもどうでもいいじゃんw
というか本来すでに通じてると気付くことが悟りだよ
通じてるとか通じてないとか判断するのは自我、そんなものは無い
人はすでにみな通じてるしみな悟ってる
それを忘れて(無明になって)通じてるとか通じてないとか悟ってるとか悟ってないとか勝手に
自我が思い込んでるだけ
なんかみんなおもろいねw
ID:CPi57/6U
ちなみにこのIDと私は同一人物ですw
さすがに本名までは言えませんが、
一度、恥じてしまえばそれはもう恥ではないんですよね
>>605 あれれ?ダメだったのかな?
わたしは、「自分は何もわかっていない」という意味であなたがたよりほんのちょっとは
わかっていると思っています
ソクラテスの無知の知ですね
まあ、そんなことはどうでもいいのかもしれないですねw
言い直しとか。
>>597 どうやら君は、分別のある世界とない世界を切り分けて
後者だけを悟りと思い込んでそこに居座ろうと拘っているから、
真実が見えてないみたいだな。
なんつーか、何か特殊な体験をして全てを知った気になって、
結果として日常や現実や分別を軽視した挙句
慢心から戻ってこれていない印象。
まあ、かなりメジャーな魔境のパターンの一種だ。
早く夢から覚めれ。
>>602 結局は言葉遊びの領域、ってのはその通りなんだけどね。
でも、言葉は利用者を映す鏡という側面もあるからね。
>>604 >プライドや利己心
ていうか、人間である以上は多分
「成長の仕方ゆえに外しきれない拘り傾向」というのがあるんだろうと思う。
何らかの方法でリセットをかけても、その後必ず流れるであろう方向性みたいな。
それが言い換えると「個性」と言う奴でもあると。
俺の場合は、とことん「正しさ」に拘ってしまう傾向がある。
609 :
神も仏も名無しさん:2009/03/20(金) 23:27:44 ID:s8Pyax5m
>605
口を挟むが、お前も俺も自我はどこまで行っても自我だ。
人がすでに悟ってるなら無明もまた端から存在しない。
お前の口調を借りれば、
「それなのに無明について、悟りについてわざわざ書き込むなんてお前はおもろいねw」
自分は無知の知を知ってると思ったら無知の知じゃないよ
無知の知すら知らない、なにも知らない、自分は全く本当に何も知らない、というのが無知の知
もう私が言うことはありません
でも、素晴らしい修行をできた、と感じています
それでは、また縁があれば
禅をかじってる人は悟りと神秘体験を分けて悟りを現実に即して捉えるふしがあるけど、
そういうのとはまた別に現実に捉われない境地ってのがあるよ
悟りも神秘体験もどちらも区別も何も無いって境地が
まあ口をそろえて魔境って言うんだろうけど
心身脱落するのに一体何が残るっていうのか
空も、空も無いも、皆空
書き込んでも何しても皆同じ
ただ判断する自我があるだけ
>>611 がんばってらー^^
またヒマなとき書き込んで〜
すいません、何度も書き込んで
自分の言っていることがはたしてどれだけ正しいのか、
あらためて自分に理解をさせるため、一連の流れをみておりました
そしたら、
>>609さんがいたのですね
本当にまったくといっていいほど今まで気づかなかったのです
自分でも不思議です
というわけで
>>609さんへ
わたしの言っていることが本当に本当にすこしでもわかってもらえたら
これほど大きな自信はありません
あなたは上の二人よりは賢いように思います
615 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 01:18:37 ID:1bFeRO61
>>614 あなたは誰の本読んだり誰が悟ってる人だと思ってるの?
例えばスレタイの中では?
>>612 その君の言う、何もない境地=神秘体験「だけ」を
真実だと思い込んでるのが魔境だつってんだけどね。
そんなのは、日常的には続かないのが自然なんだよ。
なのに脱落しっ放しってのはな……ぶっちゃけ逆に生きにくくね?
欲望が過度に削れるだけでも結構生きにくいのに。
まあ、結構な期間生きててもその境地に引き篭もってるようなら、
実際には悟りどころか、人としてヤバイと思われ。
分別もまた、この世の真実。
それを知るまでは、悟ったなどとは呼べないよ。
分別のある日常も含めて全て「ありのまま」ってとこまで行き着いて、
初めて本当の意味で悟りと呼べる。
>>615 会ったことがないのでわかりません
でも、ある程度の予測はつきます
618 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 01:34:29 ID:1bFeRO61
>>616 あなたにとってこのスレタイの中では誰が悟ってる人ですか?
スレタイ以外でもいいですが。
>>617 どんな予測ですか?
>>615 ちなみにまともに読んだ本は、クリシュナムルティとエックハルトトールくらいです
あとの人らはネットや立ち読みですませました
べつにスレタイの人たちじゃなくても、真理を語っている人たちは探せばそこらじゅうにいます
一応、補足させてもらいますと
私は何者をも気取っていません
自由な子どものような書き込みをしています
だから、こんなチャット風の文章にもなります
いつも思うのは皆、自分本来のことばで語っていないなあ、と思います
>>618 予測、ということばが意味するところが自分もよくわかっておりません
つまり、なんとなく、この人は悟っている、真理を知っているだろうなあ、
という予測です
あと、ルールもありません
2ちゃんねるだから〜だろうな、ということもありません
621 :
神も仏も名無しさん:2009/03/21(土) 01:48:09 ID:1bFeRO61
>>619 お答えどうも。
でもクリシュナムルティやエックハルトトールを読んでるなら他人にわかってもらおうと思わな
くてもいいと思うのですが。
何で他人にわかってもらいたいとか、それが自信になると思ったりするのですか?
自由な子供なら他人がどう思おうと気にせず自由奔放にしてればいいように思うのですが。
>>621 あなたの言いたいことよくわかります
でも、私は自分が悟っている、とか、悟りを知っている、とか
悟りとはなにか?を教えよう、とかそういうことは思っていません
ある意味で、これは自分に語っているのです。ただの自分に対する修行です
誰かに教えたい、とかそういうふうには思っていません
>>591を実践しているだけです
もっとも、いまでは忍耐はしていませんが
悟りとは〜である
なんて誰もいえませんよ
少なくとも、なんらかの修行体系において、あるレベル以上の体験を
した人でないと悟りについてあれこれ語ることはほとんど無意味。
悟りたいというモチベーションを保つためには多少は意味があるかもしれないが。
悟りに修行や探求が必要ないという極論も、死ぬ気で修行をしてみてからで
ないと絶対にわからない。
昨日の者です
昨日の状態は自分でも確実にある種の覚醒状態にあるのが、わかっていました
この数日、私は自発的でない断食
ようするに食欲がほとんど無かったのですが
さきほど、あまりの空腹に我慢できず食べすぎてしまいました
結果、覚醒した感がほとんど失われ、本来の自我が表出してきました
(今はかなり落ち着きましたが)
それで、なんとなくわかってきたことは
おそらく、私の場合、身体的な意味でかなり未熟だということです
私は生まれつき、病弱で、呼吸に難があり、運動能力も低い人間でした
結果、想像力豊かで、形而学的なことに理解ある人間に成長したのですが、
同時に、頭でっかちで理論先行な人間になってしまったようです
だから、私の場合、Kが一番フィットしたのでしょう
ブッダも病弱だったらしいですし、だいたい、哲学に没頭する人らはこの傾向にありますよね
結局、わたしが未熟だと感じていたのはどうやらこの身体コンプレックスにあったようです
ですから、大切なのは心技一体ということですね
スレ汚しすみません
ただ、私からアドバイスできることは、こういう吐露が自然にできると、かなり澄んだ目で物事がみえてきますよ
もうほぼ自分が何をしたいのか、何を恐れていたのか、何を間違っていたのか
わかってきたので、こういう勝手な書き込みはこれで最後にします
>>188のとおりとはいえ、無茶をやりすぎたな
最後に、ID:JethXBLfにたいして、勘違いしてたところがあったので謝ります
以下、いつもどおりの進行をしてください
すんませんでした
修行しなくても悟れるよ。本当に絶望したら。
(華原)朋ちゃんなんかは自殺さえしなかったら
そのうち突き抜けるられるだろうな。
あそこまで狂えるのも才能だよ。普通の人は哀れむだろう。
バーナデット・ロバーツのいう「魂の暗夜」だと思う。
628 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 11:46:11 ID:ZgMFTuqM
>>627 朋ちゃんが悟る?
ないない。
苦悩を超えたら素晴らしい女性に変容するとは思うが悟りはしない。
苦悩を突き抜けて全く失うものがなくなったら誰でも悟れるよ。
失うものがない、執着がない、んだから。
でもそこまでの苦悩と華原朋美が対峙してるかはしらん。
苦悩を解決するだけじゃ何にもならないがそこで自己の根源を捨てられれば悟れる。
悟れるっていうか見性ぐらいできる。
630 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 13:13:38 ID:ZgMFTuqM
朋ちゃんのはありきたりのノイローゼだな。
知性が足りないので深刻になってるみたいだが
ロボット人類みたいになる事を悟りだと思っている奴って結構多いな。
普通の人間の感情や反応なんて機械的でロボットとかわらんよ。
そういうのが無くなったときに残る何かだけが本来のもの。
グルジェフやクリシュナムルティでも読め。
クリシュナムルティさんはもっとわかりやすく説明できないのかな?
むしろロボット人類になりたい
クリシュナムルティも宗教用語を使わないだけわかりやすい気もするけど。
ラマナ・マハルシやエックハルト・トールとかのほうがわかりやすいのかな。
チャネリングだったりミーハーな感じがあるけど、神との対話も内容はクリシュナムルティと
かわらないと思う。わかりやすい点では一番いいかも。
クリシュナムルティさんの
>心は過去ですし、頭脳は過去ですし、感受は過去ですし、これらから来る行為は、知られたもの・ことの肯定的活動です。この過程全体があなたの生ですし、あなたの知る関係と活動のすべてです
って言葉があるだけど、頭脳は過去ってどういうこと?
感受も過去っていうのは・・
結局認知するのは、過去のことだっていう意味かな?
で「知られたもの、ことの肯定的活動」っていうのはなんのことなんだろうか?
肯定的活動っていうのがわからない
ほとんどの人は自分の経験や記憶や知識を通して対象を知覚してるってことだよ。
例えば初めて食べておいしいと思う食べ物でも何度も食べると飽きてくる。
毎回初めてのように味わえてもいいのに。
つまり過去に食べた経験や味の記憶を思い出しながら食べてしまう。
それでは過去を今に持ち越して知覚してるだけで、今だけで知覚してないってこと。
知られたものことの肯定ってのは、そういう経験、記憶に頼ってしまう、それが当たり前だと
思ってしまうってこと。
知られたもの(経験、記憶)の肯定(それが正しい、当たり前だと思うこと)。
一度食当たりした食べ物とかもう食べれなくなったりするのと同じ。
今回は食当たりするかどうかわからないのに食べる前から拒否してしまう。
つまり食あたりして食べちゃいけないと思った自分の思考を肯定しようとする。
一度経験記憶したことを肯定しようとするのが肯定活動。
嫌いになった人をいつまでもそういう目で見たり、自分の過去の過ちをずっと許せなかったり。
嫌いな人も変わったかもしれないし、自分だって過去と同じじゃないのに。
今は過去からの連続ではなく、過去とは無関係に今を知覚すべき。
肯定的活動とは過去の自分の経験や記憶が正しい(肯定)と思ってそこから逃れられない、
そこから離れたくないという思考や心理の活動。
なるほど。理解できました。ありがとうございますm( )m
世界を分別のある物とない物に切り分けて
後者だけを真実として選ぼうとする事は、悟りではない!
分別のない世界を初めて見るまでの自分の道程を、世界を、否定するなかれ。
それが本当の意味で悟りに至る為の、最後の鍵だ。
>>632 違うな、人間というのは普段は観念や感情があってナンボ。
というか観念や感情もこの世界の真実の一つ。
そういったものがなくなったら、当然自分の意思で選択すると言う事すら無意味。
そこには自由なんて観念もない事を忘れてはいけない。
そして、そのままでいるというのは悟りなどではなく、
与えられた世界に対してひたすら受動的なロボットの道を選ぶ事でしかない。
それは人間として壊れた・退化した状態であって、決して人間の行き着く目標的境地ではない。
目的地の直前で道を誤った、と言ってもいいかも知れないな。
色々見てるとそのトラップに陥った人間をかなり見かけるが、
ぶっちゃけそういう人間は、自分が正しいと言う思い込みが
まず壊れそうにないようなので、見ていて哀れでならない。
バーナデットロバーツあたりを見て異常さを感じられないようなら、
悟りに対して過剰な買い被りをしようとしているか、
異質な状況を逃避先にしようとしているか、そういった感じを疑ってみるべき。
特に後者は、ある種の鬱病と、性質的には似たようなものだ。
>過去からの連続ではなく、過去とは無関係に今を知覚すべき
これはどうすればできるんだろうか?
クリシュナムルティさんはあらゆる方法を否定しますよね?
個人的にはそれが瞑想であったり禅だったりとかって妄想してるんですけど。
通常の、生身の、ナチュラルな人間にはそれは不自然な行為だと思うし、できる人はどうやってそれを行うんだろう。
そしてさらに思うのは、その過去から切り離された知覚、そこに意味や価値ってのは、そうではない場合と比べていい意味で、あるいは悪い意味であるんでしょうか?もしくは何も意味はないんでしょうか?
ただその過去に生きていることに気づく、ということのみをクリシュナムルティさんは言いたいのでしょうか?
現在のみを知覚できる人間は、そうでない人間と比べて何が違うんでしょう?
>>639 あなたにとってロバーツは悟りと思えないということはわかったけど、クリシュナムルティや
エックハルト、ダイジなんかはどう思ってるの?
あなたが悟ってると思う人は誰?
>世界を分別のある物とない物に切り分けて
>後者だけを真実として選ぼうとする事は、悟りではない!
あなたこそ前者だけを選んでるんじゃない?
別に後者だけを選んでるんじゃなくてどちらも自由に行き来できる、というかそこの分別すら
ないのが悟りだと思うよ。
分別あるないという分別もないでしょ。
>>640 いつもこの世に初めて生まれてきたように新鮮に全てを感じられるようになる。
誰だって初めて何かをするとき知覚するときはそう。
ただそれを繰り返すうちにそれに慣れて麻痺するだけ。
一番簡単なのは、今自分は初めてここに生まれてきた、この世界を何も知らない、と思って
みること。
みんなそれができないから瞑想したり自我(経験や記憶の産物)を静めてるだけ。
悩みや葛藤は自分が知ってることから生じる。
自分が何も知らないとき悩みも葛藤も何もない。
ここから自由になんでもすればいいだけ。
>>641 クリシュナムルティとかは名前しか知らない。
少なくとも一休は悟ってるね。
>あなたこそ前者だけを選んでるんじゃない?
いいえ、「両方ひっくるめて」是としていますが、何か。
644 :
643:2009/03/22(日) 15:39:12 ID:nlYzW1q2
ミスった。
Enterで書き込みモードになってた。
>>641 分別すらないってのはその通り。
だからこそ、俺は分別のない世界だけを選びたがる奴に
間違いを突きつけて「お前は悟りを勘違いしている」と言ってるんだけど、
何故そう取らずにこちらが「分別のあるという側だけ取ろうとしてる」なんて
疑いをかけて解釈しちゃうかね?
不本意だなあ。
>>643 >いいえ、「両方ひっくるめて」是としていますが、何か。
それならそれでいいよ!
一休はおれも好きだよ!悟ってるよ!喝!
生まれたまま子供が不本意と思うだろうか!
不本意が不本意でしかないのが分別、不本意が不本意ともたのしめたりも自由に選べるのが
悟り!
不本意という何かがどこかにあるのだろうか!
生と世界をたのしんでたのしんで!
>>642 なるほど・・・勉強になりました。ありがとうございます!
>>637 子供の頃友達と自転車で遠出して知らない街に行き、貯めたこづかいで初めての大きな買い物をしました
その時の新鮮な印象を今も憶えています
当然ながら、知らない街、初めての経験はいかなる記憶とも結びつきません
その時私はクリシュナムルティが話していることを実践出来ていたのでしょうか?
出来ていようといまいと、あの状態を意のままに再現できるならそれ以上のことは望みませんが
たとえそれ以上のこと(悟りとか神秘体験とか)が世の中に存在するとしても、私はあの時の状態だけで満足ですね
>>648 そうだと思いますよ。
でもそのときの状態を再現しようとすると再現できないでしょうね、悟ろうとすると悟れないよう
に。悟れなくてもいいと欲求を手放すことで悟れるというように。
何かを求めてると求めてる状態としての知覚しかできませんから。
焼肉が食べたいと思ってるときに果物を出されても焼肉のことばかり考えて、果物の味その
ものをそのまま味わえないように。果物も果物としておいしいのに。
その子供のときの状態を素晴らしいと思うとき、裏を返せば、今の状態はそのときのように素
晴らしくないと思ってるかもしれませんね、そのときと同じように今も素晴らしく新鮮ならいですが。
クリシュナムルティは座ってするのが瞑想ではなく、日常そのものが瞑想だと言ってますけど
座ったり特定の状態ではなく、今ここで新鮮に世界を知覚すべきでしょう。
そのときの経験や記憶に固執しないことによって、逆にそのときのように新鮮になれると思い
ます。
そのときと同じように、今この世界も全て新鮮なのですから。
自分が勝手に慣れてるだけで、新鮮でないものなど何もないのですから。
650 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 20:21:13 ID:buidi/PD
>>636 肯定的活動=認識=過去
認識以前=無=活動なし
記憶による思い込みの事ではない
悟りは、認識以前の状態→無だが、普通の人は認識活動をしているということ
651 :
神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 20:37:50 ID:CRYU1pZS
まともなレス多くなったな
652 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 05:55:21 ID:HYYQ4jK8
クリシュナムルティ、あなたらが解説してくれれば良いのにw
大事なこと言っていそうで何冊か読んだけど、悟りと人に説明する才能は
関係無いのだろうーーがクリシュナムルティの本読んだ感想・・
理解出来た人にはスマンが。
653 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 06:59:49 ID:nskmVaM6
わかりやすく解説しちゃったら言葉で納得しちゃって自分で考えたり実践しなくなるじゃん
654 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 08:02:04 ID:HHZGYx1o
深層心理学なんてみると
人は無意識によって動かされている
というあたり、悟りってのはこの無意識部分にうまくアクセスして
何を間違っていたかを知ることも一つの方法だと思う
トラウマなんてのも、俺の考えではほとんどの人が多かれ少なかれ大小持っていると思うし
それが隠し切れずに、強く表に出てしまい、社会生活を営むのが難しくなってくると
もう、神か悟りか宗教か、そのような自分より上位のものに頼るしか救われる方法がないのだと思う
それができない場合、漱石のいうとおり、発狂か自殺だよね
655 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 09:15:36 ID:sO7LTYt7
Kには全く興味湧かないから読んだことないなあ
最近
AC経由-自己嫌悪型-絶望行きの無明庵から
アジズに乗り換えたよ
絶望するほど徹底して自己嫌悪湧かなかったから
アジズは非常に具体的実戦的。絶望とか関係無いし怖くないし
でもSP確立してないからSPしてると色々問題がでてきて疲れる
怒りとか
656 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 09:15:38 ID:fi4J4n5l
アク禁だから携帯からしかかきこめん。いつになったらアク禁おわるんかな
クリシュナムルティもエックもシンプルにわかりやすく書いてると思うよ
逆にあれほどわかりやすくおれは書けないな。
わかりにくいってのは彼らの本から知識から理解しようって自我があるからわかりにくいと思う
シンプルのあるがままの自分から読めば理解できるよ。
悟れば外部の情報がダイナミックに五感に入ってくる
だから新鮮さをもたらすんだろうね
それはエゴの過去からの判断がなくなるからダイナミックに入ってくる
クリシュナムルティの本もそうだろうね
エゴなしに読めば彼の言ってることは実にシンプルでまともだよ
657 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 12:21:16 ID:f0kUqHwt
まあ、理解が先か実践が先かってところでしょうな
いずれにせよ、絶望するとこまでいけば自然と道は開けてくるんですが
そこまでいかない人は適当に勉強してれば自然とわかってくるかと思いますね
658 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 14:49:15 ID:Ywb0x3Gm
絶望っていうのがよく分からないんだけど(した事ないから)
絶望するとき脳はどういう働きをしているのか
絶望の背景にあるシンプルなシステムだけを取り入れる事ができたら絶望なんていう面倒はしなくてよしだ
659 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 16:16:59 ID:fi4J4n5l
理解は後からくるよ
まずはいまに在ること
そうすれば自然に理解は後からくる
もし理解が先にくれば本やら知識やらでそれがわからないわけがない
クリシュナムルティの本読んでもなかなか分かりがたいならそれは今にあなたが存在していないから
660 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 17:01:30 ID:fi4J4n5l
つまり過去のみじめな自分を演じるのを止め、今にあることが実践ならば先に実践。
後で理解がくる。
すると本も理解できる
悟りってのはたとえて言うなら道に落ちてる宝石を見つけることではなく、道の端に落ちてる石っころ。
エゴは宝石目当てにさがしてるんだよ。いつも。それは悟りが快楽だとエゴは思ってる
違う。もっと素朴なんだよ。みんな体験してるけど単にエゴがいつも見逃してるにすぎない。過去を振りかえればいつも体験してたと気付くはず。
瞑想が現実逃避みたいになってる人ってどう思う?
瞑想したって現実は変わらないから、さらに現実世界で迷走するだけなのかなあ。
それとも精神がクリアになれば現実にもわずかにでもいい影響があるのかな。
自分は瞑想してると、ふと、これはただの現実逃避なんじゃないかって思うことあるんだけど、それを思うと結構落ち込む。
無心になって瞑想するより現実の苦しみみたいなものを完全に受けた方がいいのかな?同じように感じてる人いない?
662 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 17:13:38 ID:z6VieEEf
悟らなきゃ理解出来ない本は、悟りの紹介本だから理解できなくてよし
現在は、もっと理解出来て有用で実戦的な本があるんやし
アジズとか
663 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 17:19:47 ID:vrl0uGhN
>>661 現実逃避じゃないかという葛藤を見つめつつ
もっと現実逃避したらいい
おもいっきり自分に引き込もって瞑想したらいい
現実逃避だからと瞑想やめるのでなければ
>>663 はいとりあえずやってみます・・・^0^;
665 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 18:02:39 ID:ceb/ZU8O
>>664 とりあえず
あなたの人生には責任もてないので、最終的には自分で決めてやってくださいよ
瞑想してると思考が瞑想を止める理由を色々作り出す
忍耐忍耐
後は現実に即した瞑想方法を探してみるとか
瞑想してると、現実にやり残したことを処理しなきゃいけない気持ちになる
自分は現実も瞑想も、どっちも大事にしたいから瞑想も現実(趣味)としてやるし、現実も大事にする方向で忍耐しとります
自分に合う方法が見つかるとよいですね
667 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 19:14:39 ID:Bs1OxMYo
>>662 実践の内容が書かれた本で実践すると、方法や実践という行為に執着を生む弊害がある。
だからクリシュナムルティはグルも方法も否定したんだよ。
だから実践的でないってのは当たり前。
決まったやり方を踏襲することでは真理に至れない(悟れない)ってことだから。
クリシュナムルティがわかりにくいって人はそこかもしれない。
アジズもいいとは思うけどね。悟れるならそれでいいんじゃない?
フーマンのほうがいい気もするけど。
まあ自分が悟れるならなんでもいいよ。
>>658 神様に、おまえの命はあと1週間と宣告されてみ
だいたいの人は悟るから
669 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 20:01:26 ID:fi4J4n5l
661さん
座ったり立ったりする修業ってなんていうの?2
というスレ見てみてはどうかな?
仏教用語頻繁にあるけど言ってることはシンプルでまとも。参考になさっては
現実逃避って面白い言葉だよね
現実から逃避するのではなくて、実は現実に逃避してる事に
大部分の人は気づいてないんじゃないかな?
だって全部嘘なんだもん。
671 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 21:39:14 ID:XQhk/261
>>668 えぇー、ないない。悟らないよ。きっと
大概の人は、生を真剣に考えそうだし色々行動的になるかもしれんけど。自殺を含め
それに悟り1週間後に
死んだらいややがな
これからって時に
悟りを欲望の代用品としか考えてないのかよ
>>671 幸せなやつだな
もうこのスレこなくていいよ
まあでも死で悟れるなら死ぬとき誰でも悟れるしな。
そこで死も生も自分もないって気付けるならいいけど。
675 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 22:16:03 ID:xyiNZVOY
>>667 クリシュナ読んだことないから分からない。
グル・実戦否定は何を指してるの?
フーマンをおすすめする理由は何?
私はアジズの牛の説明が気に入ったんだよ
友人でも家族でもいいから、すごい身近な大切な人が
事故や自殺で死んだらわかる
死というものを本気で考える
そのとき、自分の生にたいする見方がぐっと変わる
今までより、ずっと真面目に真剣に生きるようになる
これも悟りのひとつだよ
>>675 グルや実践は依存になりやすいからだよ。
グルを信奉してればいいとか自分は実践してるからいつか悟れるとかその状態に満足したり
依存する。
悟りは今ここで全ての執着を絶ち、何からも自由になることであって、実践した結果とかそう
いうものではないってのがクリシュナムルティの趣旨。
フーマンはアジズより具体性があっておもしろかったからかな。
アジズは悟りの本として一般論的な気がした。
まあ自分に合った本が見つかればそれでいいと思うよ。
678 :
神も仏も名無しさん:2009/03/23(月) 22:37:05 ID:ZodL9izC
>>672 悟りは欲望の代用品とか考えてたかなあ?
宇宙とのセックスじゃないかと推測しとる
ダメですか?
>>673 幸せなのか私は……
しかし悟っていないし幸せでもない
スレには来る
ダメですか?
>>669 ご親切にどうもありがとう^0^
参考にさせていただきます
680 :
神も仏も名無しさん:2009/03/24(火) 00:54:50 ID:cYYaaEFc
>>677 説明ありがとう
執着放すのは出来ない。毛ーは無茶言うなあ。あれ?悟りがただそういう状態って事かな。実戦は実戦。悟りは悟り、みたいな。
フーマンって何か本でてるのかな日本語の
ヒューマンブッダは、出版社になくて、新装版が時期未定だけど出る予定らしい
恩寵の扉しか読んでないけどキヨタカ氏に対する個人の方法を具体的に示してるから、あの本だけじゃ自分に合わなかった
今はSPをやるよ
アジズの本で体感的に牛と牛の手綱の握り方を知れて本当に嬉しかった
じゃなかったら
自分の意識は無だか無とは何か、意識は無だが自分は無じゃねぇし思考だし、何で思考が沸くのかとか考えてさ迷ってたから
アジズを知れて2ちゃんに感謝
だけど2ちゃんに書き込みすると、どうしてもSP保てない楽しすぎて
>>678 まだ若そうなんでじっくり取り組んでくださいな
悟りっていうと、神秘的で魅力的で、わくわくするもんだけど
手品のタネがわかってしまうとつまらないように、実態はこんなものか、という代物だよ
まあ、他人や環境に振り回されなくなる、という利点もあるけどね
このスレで語られている悟りの定義がよく分からないんだけど
たとえばウスペンスキーは薬物によってめくるめくような体験をしてる
予知に成功したり、ひとつの対象に関するあらゆる情報にアクセスしたり、一人の人間の一生を「見た」りしてる
グルジェフ系や薬物体験にみられる超人的な能力と、このスレで話されていることは別のものですよね?
683 :
神も仏も名無しさん:2009/03/24(火) 12:59:34 ID:q2NxGlUd
>>682 仏教でもヨーガでも悟りを開く過程で超能力のようなものがいろいろでてくると言ってる。
ただそれらは悟りの邪魔なのでそういうものを使うなとも言ってる。
個人的にはそれらが発現するのはそういうものを求める意識が深層心理にあるせいだと
思う。
執着せずただ超能力を持ってるならいいが、心のどこかでそれらを求めてるならそれは
悟りではないだろう。
ただ、自我が去った後の、宇宙や他者との同一化現象(自他同一)などが悟りかどうかは
意見がわかれてる。
それらは単なる神秘体験で悟りではないとか、神秘体験を含めて悟りだとか。
薬物で得られる体験なども悟りの一部と言われたり否定されたり。
悟ったと言われる者同士でも、○○は悟ってないと批判してたりするし、何が悟りであるか
は微妙。
結局自分が悟ってみるしかない。
684 :
神も仏も名無しさん:2009/03/24(火) 13:36:13 ID:TTXA9GPZ
>>681 大人ぶって嫌な感じ
崩残さんみたい
まあ頑張って生きます
悟り開いたら対人恐怖症は治るみたいだし
それだけでも嬉しいよ
そう言えば、竹の間に解説があって、初めて理解できた……
クリシュナも一部だけ知っても意味ないのかもね
全体で一つのトリッキーな方便として機能してるんだったらね
崩残さんがフーマンみたいに愛のワークしてくれる人だったら良かったのに(笑)
houmanとhouzan
一字違いだけど
偉い個性が違うなあ正反対だ
>>683 通常の思考センターが燃料にしている物質の27兆倍の速さで活動する物質を燃料とする
高次の思考センターを誰もが持っているそうだ、グルジェフによると。
一般人が高次思考センターにアクセスして突然の思考、感情、観念等の洪水に襲われると大抵無意識になるのだが
「・・・・洪水が押し寄せてきた最初の瞬間と、洪水が退いて意識が戻ってくる最後の瞬間だけが記憶に残る。
しかし、そういった瞬間でさえ異常な陰影と色合いに満ちていて、生の普通の感覚には比較できるものは何もない・・・・」
これは明らかに「執着しない」「過去に囚われない」「今ここにとどまる」だけでは到達できないよね
ということは、グルジェフとこのスレの人たちでは、そもそも目指しているものが違うってこと?
ダイジはなぜ酒やタバコやその他薬物を否定しなかったんだろう
>>685 グルジェフのそれがどの程度のっことなのかわからないけど、100%執着がなくなった状態
ってのはこの日常の延長ではないと思うよ。
執着がまるでないってのは自分がどこにもいない、時間も空間もない、自分が全てであり永遠
であるってことだから。
その状態を言葉にすればグルジェフのような表記になるかもしれない。
でもそういうのは神秘体験で悟りとは違うって人もいる。
なんにせよ自分が悟らなければわからない。
グルジェフがどういうことを言っていたのか、執着が完全に無くなった時どのようであるのか、
自分がそうなってみないとわからないよね。
>>687 自分は悟りの経験ないけど、グルジェフとこのスレの違いは読むだけで分かるよ、体験なしでも。
以下は、ベネットというグルジェフの弟子がある日グルジェフ学院で体験したこと
赤痢に苦しんでいたベネットは複雑な肉体的エクササイズをやっていた
ひどい苦しみの中で努力を続けていたら突如強烈な力の流入を感じ、苦痛も重さの感覚もなくなった
そのあと通常なら2分ともたない速さで1時間以上穴を掘り続けた
感情がコントロール出来る状態にあり、意のままに驚き、恐れ、愛を感じることが出来た
ロシア語が英語に通訳されたが、ロシア語が出来ないはずのベネットが通訳の間違いまで分かった
このスレで語られてる悟りとは明らかに別物だよね
>>688 まあそう思うならそうでもいいんじゃない?
ただ自分が経験した程度なら一日食べる量は3分の1に寝る量は3時間くらいになったり
したけどね。
感情のコントロールくらいはできたし。
というよりコントロールするような感情が何も無いから自分で感情をどうとでも作れるだけ
なんだけど。
そういうのは執着が無くなり自分が消えるだけで起こるよ。
でも知らない外国語なんてわからないし、超常的なことは起こらなかった。
それらは悟りの副産物として出たり出なかったりで、悟りと無関係ではないけど、まあ
別物といえば別物かなあ。
>>689 本読むだけで修行しない単なる好奇心の輩に丁寧に答えてくれてありがとう
やはりグルジェフ系の体験とは違う気がするけど、あなたの体験も十分凄いなあ
ベネットが特殊な状態にあったのは短期間だけだったみたいだけど、あなたはどうですか?
それと、どういう修行をしたんですか? すでに書いてあるならレス番指定してくれればいいです
691 :
神も仏も名無しさん:2009/03/25(水) 10:16:10 ID:AsfzfjJY
686
ダイジが酒好きだったのは自他認めるとこだが、タバコやその他薬物も
否定してないの? そんな感じでもなさそうだが。
ニサルガダッタは煙草売ってたし吸ってたっていうね。
何で悟った人は、
周りの人の想念を反射するんですかね?
悟りっていうけどいろんなレベルがあるんだと思うんだけど
いわゆるニルヴァーナを知るっていう体験なしに悟ったって言えるんだろうか?
>>690 自分もだいたい1〜数日、本格的な修行はしてないよ
自分がしたのは徹底した自己洞察だけ
自分はクリシュナムルティがしっくりくるんで、ただ常に自分に今に気付くことだけに専念した
感情や好き嫌い良い悪いなどの価値判断が自分にわいたら、自分の何がそれを生じさせる
のか徹底的に調べる、24時間いつも、見た夢についても考えたり
自分に自我がないならそういうものはわかないはずだから
それをしてくと自分の今まで気付かなかったこだわりの根源に気付いて、そういう状態になる
でも言葉による思考で気付いたような気がするのではなく本当に気付かないといけない
論理的にはわかるけど感情がついていかないとかだとだめ
本当に気付けると不思議なことにそれに対する感情や全てが瞬時にきれいさっぱり消える
上のほうでトラウマの話をしてる人がいるけど、トラウマも忘れてた記憶を思い出せた瞬間
なぜか解決するとかいうし、たぶん構造はそれと同じ
グルジェフが人間は機械的な反応から脱せないようなこと言ってたけど、その機械的な反応
の根源(構造)に気付くことでそこから脱するのが悟りだと自分は思う
瞑想などは気付きやすいように表面的自我を静めるためのもので直接的な方法ではないと
思う、それはそれで有効だとは思うけど
瞑想なら自分の状態をただ観察するヴィパッサナー瞑想とかがいいような気もするけど、自分
はただ観察するより、もっと積極的に自分の内面を意識していくほうがいいと思った
絶望で悟るひとなんかも絶望したときに自分が何を求めていたか、自分とは何であるかに
気付くから悟るんじゃないかな、禅の考案とかもそういうことじゃないかと思うし
いろいろな瞑想とかワークとかも最終的に自分の根源に気付くためのもので、気付けるなら
なんでもいいと思う、特定の決まった手段はないんじゃないかな
三島由紀夫 春の雪から
むかしの唐の世の元暁という男について
名山高岳に仏道をたずねて歩くうち、たまたま日が暮れて、塚のあいだに野宿をした。
夜中に目をさましたところ、ひどくのどが渇いていたので、手をさしのべて、
かたわらの穴の中の水を掬んで飲んだ。
こんなに清らかで、冷たくて、うまい水はなかった。
また寝込んで、朝になって目が覚めたとき、あけぼのの光りが、夜中に飲んだ水の在処を照らし出した。
それは思いがけなくも、髑髏の中に溜まった水だったので、元暁は吐き気を催おして、もどしてしまった。
しかしそこで彼が悟ったことは、心が生ずれば即ち種々の法を生じ、心を滅すれば即ち髑髏不二なり、
と言う真理だった。
しかし俺に興味があったのは、悟ったあとの元暁が、
ふたたび同じ水を、心から清く美味しく飲むことができただろうか、ということだ。
>>896 >悟ったあとの元暁が、ふたたび同じ水を、心から清く美味しく飲むことができただろうか
それを禅問答風に答えよ
698 :
輝韻:2009/03/27(金) 12:33:06 ID:ZmuuKMKx
>>695 クリシュナムルティ読んで実行した人の結果が聞けると、
ちょっと嬉しいよなw
座禅や瞑想は、どのくらいやってるの?
まったくしていないわけじゃないよね?
>>698 瞑想は呼吸法とかヴィパッサナーとか一時期自分なりにやったくらい、いまはたまに
正直やってる頃は進展ないと思ってあきらめかけてた
今となってはそれはそれで自我を静めて気付きやすい土壌をつくってた気はするけど
でも瞑想とかは気付きやすくする準備体操のようなもので、あくまで大事なのは気付きだと
思う
でも個性なのかな、自分は座禅とかより公案とかで悟るってほうがわかる気がする
あと瞑想も瞑想することが執着になったらしょうがないと思うし
瞑想や座禅で悟ろうとする人も多いけど、結局そういう何かで悟ろうとするということは
今この時点で自分は悟ってない、ここでないどこかに悟りはある、というここからの逃避
になってる場合が多い
そういう自分の無意識の構造に気付いてない
ここに悟りがないと思い、瞑想や何らかの方法でどこかにある悟りを得ようと自我が活動してる
ここが退屈だとか満足していないとか虚しいとか思ってる自我に気付いてない
でもクリシュナムルティの趣旨は、そういうここでないどこかを目指してしまう自我自体に気付き、
それを手放すことで、今ここに悟りがすでにあったと気付く(覚醒する)ことだと思う
それができれば、どこでもなく、カラッポになった自分の今ここに、Kの言う永遠なるものが
向こうから勝手にやってくる、というかここにあったと気付く
悟ろうと目指す自我を手放すことでしか悟りは得られないと思う
ただそういうのとは別に、ふだんからストレッチとかして結跏趺坐、半跏趺坐で座るのはいい
ような気がするかなあ
そういうここでないどこかを目指してしまう自我自体に気付き、
それを手放すことで、今ここに悟りがすでにあったと気付く(覚醒する)こと
ここがちょっとわからないんですが、「カラッポになった自分」を形成させることもまた瞑想なんじゃないでしょうか?
普通に生活しているなかで、自我が、自分ではない何かを求めていくことはナチュラルなことであると思うし、それを止めるということは、もはや瞑想と言えるのでは?
禅宗なんかでは、無目的に悟りがどうとか考えずにただ座れって言いますけど、この行為は彼のいう行為に近いんじゃないかと思うんだけど、どうかな?
>>700 大事なのは行為の内容でなく、そこに自我(執着、こだわり)があるかどうかだと思います
瞑想も問題はそこに何らかの執着があるかないかが違うだけで、瞑想自体はいいもわるいも
ないのではないでしょうか
ここでなく何かを目指すような心理自体が問題で、その心理で瞑想を行おうとすることが問題
なのだと思います
無目的になろうとすることが目的になったりするので言葉だとむずかしいですね
言葉では矛盾しますけど、自己を持たないように(持たずに)瞑想するならいいと思います
というか、そういう意味では瞑想も含め、執着なく行為すればなんでも瞑想だと思います
そうできたときには、もう自分はただここにある状態になってると思いますが
>そういう意味では瞑想も含め、執着なく行為すればなんでも瞑想だと思います
これはまさにヴァガバットギーターの主張に通じるものがあるって感じました。
これっていうのは、たとえば瞑想なら瞑想しようって思う動機がまずあって・・・・・たとえばキッカケとして「何か自分を変えたい」とか、「良くなりたい」っていう思いで始めても、
その行為、たとえば瞑想の最中に、その自我というか欲望から離れて、その瞑想の結果やその果実を求めないっていう理解でいいですよね?
>>702 瞑想と瞑想以外の行為を分けて考えているところがすでに自我なのかもしれません
一般の行為は瞑想に限らずどれもみな根底に「良くなりたい」という思い(自我)があるのでは
ないでしょうか
そういう意味では行為は全て同じだと思います
ただそういう「良くなりたい」と思ってしまう自我に、行為をする中で気付けたりすると思います
それは瞑想中でも何らかの行為中でも、瞑想や行為をしている自分を洞察することで起きる
のではないでしょうか
瞑想でもなんでもそれをしたいと動機を持った自分、持ってる自分に気付けば結果は勝手に
来ますし、結果を求めて何かをしているときは、そういう自分を洞察、気付くことしかないよう
に思います
瞑想も他の行為も気付きのきっかけで、大事なのはどこまでも今の自分に意識を向けるって
ことなんじゃないですかね
>>703 100%はたぶんわかってないけどw 勉強になりました。どうもありがとうございます。
>>704 いえいえ自分は自分の体験したことを話してるだけなので
こちらこそどうもでした〜
706 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 00:28:57 ID:iDJao/qR
リアル劇団ひとりだな。
悟りは真にひとりにならないと無理。
心理的に劇団を形成してる人間には永遠に不可能
707 :
輝韻:2009/03/28(土) 01:16:08 ID:f5VuCZP5
>>699 詳しい説明ありがとう。参考になったよ。
ただ、俺にそれが生かせるかどうか・・・。
>>706 心理的に劇団を形成してると思われる書き込みを抜き出してくれよ。
でないと何が言いたいのかわからないぜ。
ヒューマン・ブッダ絶版なの?
以前は出版社のサイトで売ってたが、もうないのか
めっちゃいい本だよあれ
今の俺の段階では、おそらくSPに集中しなきゃならんのに
あれ読んでると色々他の事もしてしまうというw
ところでエックハルト・トールの本で、こういう瞑想法が書いてあったんだが・・・
まず内なる身体、インナーボディを感じる
次にそれに深く入っていく。
そうしたら内と外の区別がなくなり、インナーボディすら感じなくなる
ただ「在る」という感覚だけになる。それをただ保つ
これってアジズやフーマンが、注意を「ビーイングに手放していく」と言ってるのと同じなんかね?
あぁ、そうか。SPがあることを前提にしている点で違うのか
713 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 16:31:24 ID:ni0j8qsF
劇団一人ね
なんとなく言いたいことわかるわ
誰に対しても、常に同じ人格で、
ひいきなしの同じ接し方で通せってことじゃないかね?
意識して、相手に合わせた人格を作るのは有りだけど、
相手に作られてるようじゃ話しにならないってことかな
714 :
神も仏も名無しさん:2009/03/28(土) 18:33:24 ID:iDJao/qR
>>713 何を言うとんねん。
このスレの9割が同一人物のレスで構成されており、ひとりの人間の心理劇と化しているという興味深い事実に言及してるんだよ。
分かってると思うが。
確かにそのような遊びはありかもしれないが、害のほうが多い気がするね
それと人格のことだけど、人格のことなんて俺はあまり気にしないけどね。
所詮それは仮面であり芝居だからね。
世の中、人格と自分を同一視してる阿呆が多いけど、この同一視から解放されるだけでも大分救われるんだけどね
>>713と
>>714が同じ人なら
興味深いけどね(笑
コテがないし携帯からだから、
自演乙に見えるんじゃないかな
悟り開くまでは、
私の場合は心理的に一人には
なれなさそうだよ
浄化や洞察や気付きは
悟りを目指すプロセスの副産物かもしれない
できればハショりたい
何かでも人間性を無視してるみたいなやり方だし
ズルみたいだし
とかいうのも、ただの価値観で
しかし咳がとまらない
ヤバイかな?
>>711 Enlightenmentちょっと読んでみたけど
わけわらかん・・・
みんなこのくらいのレベルのは簡単に理解できるの?
>>713は俺だけど
こんなスレで自演なんてないでしょう
仮にあると思えても、わざわざそれをこのスレで指摘するのはナンセンスかと
>>714はわかりづらいこと言ってるけど
ようは自分で考え自分で行動しろってことかね
まあ、人間なんてお互いがどんなに仲良くても、
本当に言いたいことは簡単には伝わらないってKも言っとるよ
>>712 そうですよ
他者に○○であるように求めるのは、自分が○○な人間かもしくは○○でないが○○に
なりたいと思っているか
自分の自我や願望の肯定を他者の在り方に投影させてしまう
自分が他人にどういう思いを持ったかは、即、自分がどういう人間であるか、どういう自我や
こだわりを持っているかへのいい気付きになると思います
719 :
輝韻:2009/03/28(土) 22:55:05 ID:f5VuCZP5
>>714 >>
>>713 俺へのレスじゃないのかよ。
>> 何を言うとんねん。
>> このスレの9割が同一人物のレスで構成されており、ひとりの人間の心理劇と化しているという興味深い事実に言及してるんだよ。
本気で9割と思ってないよな?
最近のレスのことを言ってるんだろうが、個人的には
>>575から始まった流れは好きだ。
>> 分かってると思うが。
俺はわからないから聞いたんだが。
>> 確かにそのような遊びはありかもしれないが、害のほうが多い気がするね
それはそう思う。ここでそのような遊びがされてるかは疑問だが。
誰も聞いてないけど、俺個人が得たさとりというのは、
今までは霧がかかって先が見えなかったから、手探りで恐る恐る歩いていたのだけれど
さとってからは霧が晴れて先がよく見えるようになった
しかし、おもしろいのは先が見えたからといって、
目の前の石ころに気づいても、それを躓かずに避けて歩くのは無理なんだよね
今までと違うのは、これから俺は転ぶんだというのがわかっていること
もしどうしても転びたくなければ、立ち止まって、風でも吹いてくれるのを待つしかない
もしくは行きたい道とはまったく別の方向へ行くしかない
しかし、どの道を選んでも必ず石ころは用意されているんだな、これが
実は、
自分も自分意外の人一人の自演の書き込みかもしれないとか感じてた訳で。
それに、こだわる自分の思考について少し考えてた。
結局、投影なんだろうね。大雑把にいうと。
シンクロが多い時は、何かを外に求めてるからかも。シンクロ的意味を見い出す自分がいるわけだから。
そういう思考がなければ、シンクロとすら思わない。
自分に引きこもるのは難しいな。咳もでるし。
咳が治るまでSPはコーヒーブレイクして、浄化的洞察中心にするかな。
ダイナミック瞑想でもするかな。あ、息苦しいからダメだな。
722 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 00:46:35 ID:PQEWIZQn
何はともあれ、自演だとしたら、自演してる覚者?にありがとうと言いたい。
>>716 文体がカタイから難しい感じするかも。
私は、あれ読んで、よりSPが理解できた。
普段、我に返る時あるけど、普通は我に返りながら過去に埋没する、SPは我に返り続ける事だって。
723 :
神も仏も名無しさん:2009/03/29(日) 12:19:53 ID:zMzLlALp
>>711 これはSPが分かり易く解説してあるね。
ただSPを覚とか訳してるのがちょっと気に入らないのだが
I am だとか Being っていう用語は何人かの著作で見られる用語だけど、これってオリジナルというか、最初に言い出したのは誰なんだろう?
読みやすさは
アジズとの対話>>>ヒューマンブッダ≧
>>711かな
ヒューマン・ブッダは敷居が高いけど
用語さえ把握できれば読みやすい
>>711の文章は
アジズの他の本読んでからのほうが簡単に理解できると思う
SPが確立すれば、気づきへのワークは終りなんだと勘違いしてたんだけど
違うみたいだね
・「気づきが全身を貫く光線のようになる」
・「気づきが私である、という理解」
・「すべては気づきである、という理解」
この辺の事が起きなきゃいけないみたいだ。起きる順番などはよくわからないが
ウスペンスキーの奇蹟を求めてから引用
「私は自分の人生の一番古い記憶は自己想起の瞬間であったことがはっきりわかった。・・・・私は、自己を想起した
過去の瞬間だけを本当に覚えているということがわかったのである。
他のものについては、それらが起こったということだけしか知らない。私にはそれらを完全によみがえらせ、
再びそれらを経験することはできない。しかし自己を想起した瞬間は生きており、またいかなる意味でも現在と違っていなかった。・・・・」
「自己想起は、自然な形で、つまりおのずから、非常にまれな、例外的な状況でしか現れないようなすばらしい感覚を生みだすことがわかった。
・・・・夜ペテルスブルグを歩きまわり、家々や道を<感じる>のが大好きだった。ペテルスブルグはこのような不思議な感覚に満ちていた。
家々、特に古い家々はまるで生きているかのようで、私はあやうくそれらに話しかけるところだった。・・・・・」
「私はタヴリチュスカヤ通りで目を覚ました。・・・・・・目が覚めたという感覚は異常なまでに真に迫ったものだった。
意識をとりもどしたと言ってもいいくらいであった。私は一瞬にしてすべてを思いだした・・・・どのように自己を想起し、
どのようにタバコのことを考えたか・・・・・」
「突然こちらに歩いてくる人が眠っているのを見たのである。まちがいはなかった。彼は目こそ開いていたが、その顔を雲のようによぎる
夢に明らかにひたりきって歩いていた。・・・・・突然私は、自分が『眠れる森の美女』の王子の立場にいるのに気がついた。
まわりの誰も彼もが眠っていた。それは疑いようのないほど確かな感覚であった。・・・・・
すぐに私は、散漫にならず、つまりまわりのどんなものごとにも注意をとられずに十分なエネルギーを保っている限り、
自己を想起しようと努めることによってこの感覚を強化し、永続させることができるということに気づいた。・・・・・
私は仲間の数人の者にだけこの実験の話をした。するとその内の二人も自己想起に努めたときに似たような経験をしていたのである。・・・」
SPと自己想起は同じものだとアジズは言っているので、SPの練習を続けていれば誰でもこういう経験ができるのでしょうか
それともウスペンスキーだけですか?
>>732 アジズやウスペンスキー以外にその問いに推測でなく答えることができるのだろうか?
というより、その答えが聞きたいの?それともそういうふうになりたいの?
あるいはそういうふうになりたいからその問いを発したの?
とりあえず答えを聞いたところで自分が体験しないことにはしょうがないんじゃないかな
なるとかならないとかここで言われることによってあなたの中のなにかが変化するのだろ
うか?
なると言われればやってみるし、ならないと言われればやらないのだろうか?
自分の中の何がその問いを発し、そのとき自分の内面に何が起きてるのだろうか?
まあでもそういう内容は覚醒体験としてはわりとあるものだし、アジズがどうという前に条件
が揃えばいつでも誰でも体験できると思いますよ
その条件というのがむずかしいんだろうけど
覚醒・至高体験の事例集
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1702/case/index-c.html
734 :
神も仏も名無しさん:2009/03/30(月) 12:33:26 ID:4ONCMW1C
ウスペンスキーの表現は大袈裟な気がする
736 :
神も仏も名無しさん:2009/03/30(月) 23:17:07 ID:4ONCMW1C
気づきあるいは目撃が私であるという感覚にかなりシフトしてきたね。
分裂も葛藤もない一者であることにくつろいできた
737 :
Ron:2009/03/31(火) 00:42:05 ID:4sTbtMk3
こういうワークをしたらああなったこうなった・・そう言ってる分、無心じゃないし、自己に執着している、結局自分がどうかという意識が消えないんだよね・・それやめない限り、何やってもだめなんじゃないか?
自己を忘ずるという基本を忘れて自分をもて運んでは、ああだこうだ自分で自分を批評そるという愚・・自分が変わっても、それを観察してあれこれ思う自我がなくならない限り、どうしようもない、全く進歩も成長もないということだよ。。
738 :
Ron:2009/03/31(火) 01:15:50 ID:4sTbtMk3
SPとはなにかって、あたりまえの正気を取り戻すってことだよ。
普勧坐禅儀で言うと「昏散まず撲落する」というあたりで、瞑想・坐禅のあたりまえの結果だと思う。
だけどそうなったからって、自分は進歩したとかしないとか言って自分を観察してると、単なる変な人なんであって、道人でも禅者でもない・・なったと気づいたら忘れて、目の前のことをこなしていけばいいんだよ。
>>735 読んだけど、どうなんだろうねえ・・それ書いた人は結局最後はディクシャに行っちゃってる訳でしょ。
そしてアジズは、ワークの時に上からエネルギーを落として云々・・いいかわるいかわからないけれど、伝統的な禅や仏教の修業とは、全く違うものと思ったほうがいいかもしれない。
Enlightenment-Byond tradition も読んでいて、面白いんだけど、伝統的な禅とは全く違うものと思ったほうがいいかもしれない。
伝統を超えるというよりは、伝統の外にある、よく言って異端、悪く言えば外道になるのかな?
禅は超越的なものを否定する、あったとしてもそれを崇めたり、それに近づいていこうなんてのは、危ないから止めなさいと言う。
あるいは体験しても忘れなさいというのが基本である。
それに対して、アジズ&フーマンはどうしても、光だとか究極なるものに到達しようというキリスト教的、スピリチュアル的方向性が強い・・まだ読んでる途中だけど、そういう感じがする・・眉に唾つけながら読んでる感じかな。。
739 :
Ron:2009/03/31(火) 01:39:42 ID:4sTbtMk3
悟りを何かの実現であるとか、達成であるとか到達であるなどと思っていると、どうしても余計なあまりものが生じてしまうのではないだろうか?
なんでもない人として世間の中、市場の中で和して生きるということが不可能になるのではないかという気がする。
そうした場合どうなるかというと、教団というか集団のようなものを造ってその中で、伝達、伝承していくしかない。
しかし、それってやはり、余計なものをとっつけてひっ抱えて生きるってことになるんじゃなかろうか?
「自己を忘ずる」ということができれば、どこへ行ってもスイスイと溶け込んでいけるんだけどね。。
なんか神々しい特別な存在になるためのものじゃないかという気がするよ、アジズ&フーマンの教えというのは。。
神々しいもの、キラキラしたものと言うのは、ものすごく余計もんで、伝統的な禅では、絶対に残ってはならないらないものなんだけど、スピリチュアル全盛のこのご時世・・キラキラしたもののほうがウケるからなぁ。。
それは違うって気づかせるのにすごく骨が折れる・・というかそういう人たちはちょっとやそっとじゃ離さないからね、そういうものを。。
740 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 02:05:39 ID:xBCDZRMn
ディクシャとかありえないと思ってたが、最近、ディクシャがありえないと思うのもそういう
執着だと気付いた
まあ、あるかもしれないし、あってもいい
なくてもいいし
禅者とかは禅であることに執着しすぎてて禅もなんか飽きたな
仏に会ったら仏を殺さんと
つか殺さなくてもいいし
素通り?
仏に会ったら仏素通り
つ ま り フリーダム!
ディクシャは思考を遅くするエネルギーワークだったかな。
薬物ですら(役に立たないが)思考に影響を与えるんだからあってもいいでしょ。
アジズ&フーマンが神々しいもの目指してるって思うのは
教えにハートの悟りが含まれてるからじゃないのかな
これは禅に含まれてないらしいから
ハートの悟りについては
キリスト教神秘主義者のダスカロスさんとかが良い例かな
彼は神の神聖さの側面を強調している…仏教で強調するのは神の「空」の側面。
魂の悟りについては、ダイジも講和録で似たようなこと語ってるね
アジズ読んだあとマハラジ読み返したらビックリしたよ
わかりやすいのなんのって
744 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 07:29:34 ID:HtIxW4C6
>>737 それならウスペンスキーの記述も不要ということになるね。
SPを深めながらも直感的知性を使って探求することは必要だとアジズも言ってるが。
それと自我を無くすというのは幻想だよね。
他人と関わるには自我が必要なわけでこのような掲示板に書き込むのでさえ自我を使わなければ不可能。
ゆえに重要なのは自我との非同一化ということになるね。
でも、そんなこともアイデンティティが気づきにシフトすればどうでもいいことになるんだけどね。
745 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 09:06:50 ID:HtIxW4C6
>>739 悟りはなんでもない人の実現では?
自分は世間で仕事しながらなんでもない人として生きて尚且つワークもしているが、
日を追うごとになんでもない人度が増している。
そして不思議なことに自由の感覚が増大している
746 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 09:07:38 ID:xBCDZRMn
まあでも禅の言いたいこともわかるんだ!
禅からすれば空こそ全てであり、ハートの悟りうんぬんってのは空に至る前の感覚か
まだ執着が抜け切ってないせいっていう立場なんだろう
ハートの悟りとか言うのはそれに執着してるだけっていう
アジズやフーマンはハートの悟りを空と同様、あるいはそれ以上のものとみなしてるみたい
だけどな
結局、どれをもって悟りとみなしたかの立場の違いなんだよな!
さてでも実際どうなんだか!
747 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 09:12:22 ID:vZDOJuff
たぶんアジズで言う絶対状態のことではなかろうか
観察する知性すらなくし、というかとらわれず徹底的にただ在るのみに撤するっていうことを言ってるんじゃないかな
禅は観察者を受け入れないから
禅は自他同一、無我、絶対無だからね
それを一番上位の悟りというか最終到達点においてる覚者も多いしな
仏教以外の覚者でも
749 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 11:21:42 ID:HtIxW4C6
アジズは、気づきの目線を背後におくよね?
これって必ずこうじゃなきゃいけないのかな?別に横でも前でもいいような気がするんだけど。詳しい人いない?
751 :
Ron:2009/03/31(火) 12:29:50 ID:4sTbtMk3
>>740 いろんな教えを学んで体験して、比較検討して、これは正しいがこれはダメであると判断すること、それ自体は執着じゃないでしょう。
探索者として必須のスキルで、それができなければ危ないと思うよ。
>>741 思考を鈍らせられるなんでまっぴら御免です。。
752 :
Ron:2009/03/31(火) 12:43:11 ID:4sTbtMk3
>>741 ハート云々の話は僕は否定しないけど、悟り自体とは別のものを付け加えてるだけのような気がする。
・・神々しいものを目指しているというのは、パルバさんが訳した前書きによく現れてるよ。
大文字のSpiritを彼は気を使ってか、〈精神〉なんて訳してるけど、これはキリスト教との関係がわかりやすいように「精霊」と訳すべきだと思う。
その「精霊の導き」によって悟りが可能になるなんていうと、これは仏教というよりは、ディクシャなんかに非常に近いものになる。
753 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 13:02:18 ID:HtIxW4C6
劇団ひとりって、自分の問いに自分で答えたり反論したり茶化したりして、
まさに精神的自給自足だな
754 :
Ron:2009/03/31(火) 13:19:47 ID:4sTbtMk3
パルバ氏の部分訳
http://www.parpar.jp/azizhouman/EBT.html パルバさんが訳してない、巻頭の辞を訳してみようか。。
この書は不可視の知性−恩寵にささげられる。
その恩寵が、最初の人間を究極の状態たる、
ハートの状態、超越の状態へと覚醒せしめたのであり、
それによって、人類の意識における悟りそのものが創始せられたのである。
その無条件の愛と導きのために、われわれはその力に対して、
尊敬と感謝をもって跪拝する。その宇宙的存在が、
自らの内における智慧を探求する全ての地上的存在を祝福せんことを。
・・ね、自己を忘ずることによって主客がなくなって悟るというのとは、全く違うでしょ。。
755 :
Ron:2009/03/31(火) 13:32:15 ID:4sTbtMk3
>>744 ウスペンスキーは知らない。
自己を忘ずるということは、自我を無くすんじゃないよ、自我を見張って評価したりしなくなるということ、自分をどうにかしようとするあがきが消えるということだよ、忘我だから。
非同一化しても非同一化してると観察してる自己が残ったら失敗かもね。。
アイデンティティそのものがあったら同じなんじゃないの?
自分で自分はこうだと思い込むという同一化が私なんだから。
だんだん高級な私になっていくだけなら、やればやるほど逆効果かもよ。。
>>745 それはいいんでしょうが、そういう自分を観察して評価することをやめなければならないでしょう。
>>748 >それを一番上位の悟りというか最終到達点においてる覚者も多いしな
禅の場合はそうではないです。
空とか無を理解するというのは、あくまで途中のプロセスですから。
756 :
Ron:2009/03/31(火) 13:38:25 ID:4sTbtMk3
自己を忘ずるというのは、悟りも忘れ、神も仏も忘れて、ましてや外国人のなんたらさんのことも忘れ・・2チャンネルも忘れ・・飯の時は飯を食い、お茶のときはお茶を飲みという、それだけなんだけどね。。
それがつまらないから、なんかもっとすごいもんが欲しいと思う人は、なんかすごそうなものやればいいのでしょうが、やってもいいことないんじゃないかなあ?
日本社会というのは、そういう神とか仏みたいな神々しいものを認めない気質だから、そこに溶け込んで生きることが難しくなるような気がするよ。。
757 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 17:47:25 ID:XHPnQ4dh
今日は大いなる洞察を得た
自分には浄化的洞察なんつー事は出来ない、と
疲れた
何もかも不快で何もしたくないけど何かしなければ
758 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 18:14:58 ID:HtIxW4C6
>>755 自我を評価する云々というのも結局は思考だからね。
別にその類の思考が特別問題になるとは思わないけどね。
SPを修行しているとSPにおいてはどんな思考も問題ではないと気づく。
逆に気づきがなければどんな思考でも問題になる。
忘れっぽさと怠け、思考への耽溺がSPへの障害であって、自我がどうたらこうたらというのはただの観念なんだよね。
気づきが私であるというのは観念ではなく感覚だからね。
もし意識がそこにシフトしたら思考による偽物のアイデンティティなんて自然に消えてしまうよ
>>749 おれはおれなりに体験あるよ
でも他人にとって意味のあることじゃないし証明もできないから何も言わない
>>755 禅にとって空や無がプロセスなら到達点は何?
ありもままの現実に帰するってこととかも空性と現実の一致だと思うし
あと意味は通じてるからいいんだけど忘我ってのは普通トランス状態なんかを指す言葉な
んじゃない?
我を忘れてるってのは忘れてるだけで我があるってことだし
仏教や禅なら普通、無我って表現すると思うけど、わざと避けてるの?
体験談が他の人にとって全く意味がないということはないでしょう
>>735のような文章には意味がないということでしょうか
ウスペンスキーの引用をした者だけど、本当にあのような体験が出来るならやってみたいと思うし
同じ体験をした人がたくさんいるなら自分にも可能かもしれないと思う
あくまで100%確信するわけではないけど
>>760 他人の体験談なんて本当かどうかもわからないのに意味がないじゃん
同じ体験した人がいっぱいいても単なる病例かもしれない
集団ヒステリーだって多人数で同じ幻覚を見る
UFO見たって人はいっぱいいるが、じゃあそれでいると思えるのか
自分が体験するまでそれが本当かわからないなら自分が体験するしかない
本当かどうかわからないものなんて参考にもできない
他人の体験談をしりたいのは結局自分の方向性を定めてくれるきっかけがほしいんだよ
自分の不安感を払拭したいと思ったり単なる依存心だったり
そういう意味でも他人の体験談に意味は無いし依存という意味では害にもなる
エンタ−テイメントとしておもしろいかもしれないけどさ
762 :
Ron:2009/03/31(火) 19:21:15 ID:4sTbtMk3
>>758 違うと思うね。
SPと偽者のアイデンティティは容易に共存できるよ。
「SPを修行している」とか、「意識がそこにシフトした」というのがアイデンティフィケーションだから、自分を観ているうちは何やっても余計もんが残るだろうね。
なんでもないただの人に戻らんとおかしい、戻った時は「ただ」という観念もないんだけどね。
763 :
Ron:2009/03/31(火) 19:32:28 ID:4sTbtMk3
>>759 到達点なんてあるんかわからんけど、無にも有にも滞らずに自由自在とも言えるし、何にも知らん人になるとも言える、いろんなパターンがあると思うけど、空を知るとか自己を空じて終わりじゃあないよ。
私というのは思いの中にしかない、社会の中で機能する自我とは別、自我を私とみなす必要はない。
トランス状態とも違う、無我を悟って、忘我が普通になる、というのがプロセスといえばプロセスかな。
無我というのは、私は存在しないという事実であって、忘れて生きるという実践の土台になるものだと思うよ。
764 :
Ron:2009/03/31(火) 19:39:26 ID:4sTbtMk3
そもそも思考やマインドが障害であるという観念自体おかしいとも言える。
修行のための方便ならいいけど、本来迷いなどないのであれば、なぜ思考やマインドを障害とみなすのか?
「我と有情と同時成道」ってことは何があろうがそのままで仏だってことなんだよ、何かを超えたり除いたりする必要はない。
我も彼もこのまま他に非ずってだけなんだよ、究極的には・・それで事足りてりゃそれで終わりなんだな、めんどくさいことするこたない、本来は。。
>>749 悟りを持ち歩いて意味あんの?
早く捨てろ
>>761 体験談をどれだけ聞こうと、自分も同じ体験が出来るという保障にはならない、それはみんな分かってるでしょう
自分はまだいかなる道も選択していなくて、慎重に検討してる段階
たとえアジズが何と言おうと、彼や信奉者が嘘をついている可能性もあるし、集団幻覚に陥っている可能性もある
さらに適性の問題もある
肯定的な体験談があまりに少ないのであればアジズの道に適している人は少数ということになるだろうし
害を被ったという体験談があればそれも考慮に入れる
そんなわけで体験談をたくさん聞くに越したことはない、と
ほとんどの人はSPを自分で発見したのではなく、最初はある程度アジズを信頼して試してみたわけでしょう
自分が経験していないことは一切信頼しないという態度では一歩も踏み出せなかったわけで
ただそれだけのことですよ
767 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 22:31:59 ID:yIYiCucQ
ここ読んでたら、混乱してきたw
ビーイングは無我じゃないの??
私は在る 私は無
光は在る 闇は無
在るの瞑想 無の瞑想
どっちかの方法を選ばなきゃいけないのかなあ
両方は無理なのかな
夜に死人禅
昼にSP
とか
768 :
神も仏も名無しさん:2009/03/31(火) 23:22:39 ID:HtIxW4C6
>>762 SPと偽物のアイデンティティは共存できないよ。
ただSP修行者と偽のアイデンティティは共存可能だね。
SPのないときに偽のアイデンティティは忍び込んでくるからね。
でもまあ、たいした問題じゃないよ。
それとSPを修行しているとか意識がシフトしたとか書くと「なんか勘違いしてんなこいつ」的ないやらしさがあるが、ただ事実だからね。
「昨日カレー食べた」と同じような事実だからね。
それが自分のエゴの一部となって、スピリチュアルなエゴを作り上げるということはないね。
うん、ない。
769 :
Ron:2009/03/31(火) 23:34:02 ID:4sTbtMk3
>>767 何やってもいいんだろうけど、テクニックやメソッドではどうにもならん。
>>768 >SPと偽物のアイデンティティは共存できないよ。
>ただSP修行者と偽のアイデンティティは共存可能だね。
わからんやつだな。。
全く同じことだよ、SPがあることとSP修行者がいることと偽のアイデンティティがあることは一緒だ、そんなこともわからんの?
SPもなく修行もなく事実もなく、仏教も悟りもないんだよ、と言うことまでわからんと、いつまでたっても物真似を抜け出せないよ。
事実なんてものがあると思ってるうちは、それに執着するのと同じことだ、実相を明らめんことには何の修行やっても同じ、自己満足の世界よ、どこまで行っても。
770 :
Ron:2009/03/31(火) 23:39:53 ID:4sTbtMk3
>>749なんてまさに、俺様は修行してます的な霊的傲慢さ丸出し・・まったくSPじゃない、マインドそのものではないか?
771 :
767:2009/04/01(水) 00:30:05 ID:vHixV+M0
772 :
Ron:2009/04/01(水) 00:57:28 ID:Q97dVYGi
>>771 いろいろあると思うけど、SPなんてものは忘れたほうがいいと思う。
一度目覚めたら忘れてもなくなるもんじゃないから。。
まあそれを維持しようとかやってもいいだろうけれど、プレゼンスって言うのは、忘我と同じだと思うよ、目の前のものがありありと見えると言うことは、自分無しと同じだから、そういう自己を忘ずると言うことと坐禅、瞑想を続ければいいんじゃないですか。
あとは、アジズ&フーマンとかだけでなく、禅も含めた仏法もちゃんと押さえた方がいいと思う。
Enlightment-Beyond tradition は西洋人向けだからだろうか、ものすごく基本的なことが大部分を占めている。伝統とは異なるところが僕にとっては面白いんだけど、それは伝統を超えていることにはならない。
碧厳録はおろか、無門関にさえ及ばないんじゃないだろうか、というか、禅の伝統の中にはあたりまえにある理解、基本というものが、おそらくアジズ・フーマンの中にはないと思う。
だから、日本語読める日本人は、洋物ばかりじゃなく、禅その他伝統的なものをしっかり理解したうえで、洋物も学んでみると言うやり方がいいじゃないかと思う。
773 :
Ron:2009/04/01(水) 01:07:48 ID:Q97dVYGi
日本人だったら、まずは道元の「普勧坐禅儀」とか正法眼蔵の「現成公案」や「弁道話」などに親しむのがいんじゃないだろうか。
洋物も見てみようというのは、そういう基本を押さえてからでいいと思う。
僕自身も最初はOHSOとかから入ったんだけど、今から振り返ると、OSHOははじめから読まなくてもよかったし、これからも読み返すことはないだろうと思う。。
外国もので他に刺激になるのは、チョギャム・トゥルンパのものくらいかな。
トールとかも間違ったことは言ってないと思うけど、簡単すぎてすぐ役に立たなくなるんじゃ、あるいは誤解を生むんじゃないかという気がする。
>>772 忘我状態はずっと続いてるのですか?
大悟までに小悟が何度かあるように、忘我をたびたび体験してるとかですか?
あるいは大悟された方ですか?
>>773 EO、ダイジ、グルジェフ、ラマナ・マハルシ、クリシュナムルティ、プンジャジあたりはどう思
いますか?
776 :
Ron:2009/04/01(水) 01:25:12 ID:Q97dVYGi
>>775 EOは、けっこう読んだけど、今読み返す気はないですね。
6,7割は正しいのかもですが、3,4割は違うと思います。
仏教でいう無は闇でもないし、虚無でもないですから、またそこに溶け込むのが悟りの究極でもないし・・読んでも読まなくてもいい菜じゃないでしょうか?
また、読んだとしてもメインディッシュにはしないほうがいいと思います。
ダイジは、いいのではないでしょうか、道元禅から見ると、ちょっとおかしい感じもしますが、大体いいんじゃないかと思います。
マハリシもクリシュナムルティも間違ったことは言っていないでしょう。
プンジャジは読んでないし、知りません。
>>774 僕はまだ修行中の凡夫ですけどね。。
小悟みたいなものが、何度かありましたけど、大悟はないなあ・・けど一つ悟るとそこから継続していく変化があるような気がします。
SPの状態として、自分の場合それが、自分自身の映像として現われるんだけどこれってSPを形成してるって言えるかな?
自我の動きを他人ごとみたいに眺めてる瞬間ってのがあって、それがいわゆるSPに近いのかなって思うのだけど。
誰か教えて
>>776 ありがとうございます
大体自分も同じように思います
疑問に思うのはダイジはどうして死んだと思いますか?自殺のようにも言われてますが
ダイジにもEOと似たような虚無を感じる我の残りを少し感じたのでそのせいかとも思った
のですが
また自他同一についてどうお考えですか?
自分のいない状態のことだと言う人もいれば、クリシュナムルティが悟ったときの神秘体験
のような他人や物質と自分が完全に同化することだと言う人もいるようですが
779 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 01:56:18 ID:j94Xy3K1
>>772 ありがとう
私はまだSPが保てるようになってないんで、暴れても保てるようになったら忘れる事にします
忘我と観照意識は同じですか?
禅とか多分、頭悪いんで本読んでも理解できません
780 :
Ron:2009/04/01(水) 02:49:27 ID:Q97dVYGi
>>778 ダイジの死については、知りたければミクシィのダイジのコミュニティでお弟子さんたちがいろいろ証言しています。
行ってみてはいかがですか。
しかし、たとえ自殺としても、自殺したから完全に悟っていないとか、そういう考えはおかしいと個人的には思います。
まあ、会ったことのない人のことはわかりませんが、本で読んでいる限りで、そんなにおかしいことは言っていないと思います。
講話録とかまで全部読んだわけじゃないですけどね。
自他同一は、自分なければ、花を見れば花、雲を見れば雲になっちゃうでしょう、というか毎日坐ってればそうなりますよ、人に関してはどうしても分別、隔てが出やすいですけどね。
花を見れば花って言う台詞はせったんさんのパクリですが。。
>>779 まあプレゼンスというか覚醒は、怒って我を忘れたとしても、常にあることはあるんですがね。。
・・忘我は我を忘れるという事だし、観照意識は、意識でしょう。
同じではないと思います。でも忘我の時余計なものがないから観照が起こるんでしょうね。
まあ本読んでわからなくても、自己を忘ずればいいんですから、ちゃんと坐り続けてればそうなるんじゃないでしょうか。
781 :
Ron:2009/04/01(水) 02:52:16 ID:Q97dVYGi
もう寝ます・・おやすみなさーい。。
782 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 07:34:25 ID:YBS1BM5t
>「SPもなく修行もなく事実もなく、仏教も悟りもないんだよ、と言うことまでわからんと、いつまでたっても物真似を抜け出せないよ。」
とか
>>772のように伝統的仏法を学べとか
なんか悟りをもの凄く知的なものと理解しているみたいだね。
何かを理解することが悟り、なんかそう言っているような気がする。
そう悟るのはいいけど肝心の意識の変容は起こったの?
悟りとはシンプルに意識の変容だよ
>>780 忘我である者がなぜ自殺するのかわかりません
自然死ならわかりますが、いま生である状態をわざわざ死にもっていくなら、なんらかの
執着があったようにも思うのですが
とりあえずミクシィコミュみてみます
花を見れば花ですが、それは自分が花であると知ることですか?それとも花になってしまった
という体験そのものですか?
わたしも自分が花だと思ったことはありましたが、それは人間視点の意識ですよね
自分が花ならただ花になっているだけで、花だという意識はないように思います
花から人間に戻った時点で花になっていたと意識するかもしれませんが
それとも花が自分を花だと認識してるような状態があるのでしょうか?
784 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 11:04:23 ID:YBS1BM5t
>>776 修行中の凡夫がマスター達の本を評価するとは恐れ入ったね。
自分は好き嫌い、合う合わないはあるけど評価する勇気はないね
785 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 11:16:53 ID:AwlRQ/Ay
>>777 アジズとの対話は読んだのかな?本に書いてあるから、よく読めば分かると思うんだけど……
初めは、よくわかんないものかもね。
まず、リラックスして、
目を開けて、自分の背後から後頭部を見るような感じに意識を持っていって、見てる頭の「私」を【体で感じる】。その「私」に、というか頭の中心に意識を置く、という【感覚】
かなー私の場合は
786 :
779:2009/04/01(水) 11:21:07 ID:o9/LNmuy
異端の教えを考察
アジスやフーマンは
「私は誰か?」と言う問から悟り
無明庵は「宇宙は何故存在するのか?」と言う問から悟っている
個の魂の知性が問うところから悟りに至り、知性が答えを解釈する
それぞれの魂が惹かれる問により、悟りの道や表現が異なる
魂は、それぞれ違った問を持ち悟りも多彩になるんだなーと解釈してみた
色々と教えがあるなかで、自分に合う道というのは、自分の興味に合うモノなのだろうね
良さそうだからと、教えに全て合わせて、自分をごまかしてしまったらダメなのだと思う
788 :
Ron:2009/04/01(水) 12:56:49 ID:Q97dVYGi
>>782 意識が変容しただけで何もわからなかったら、それは悟りじゃない。
ついでに言うと、意識の変容が悟りではない。
瞑想で心が落ち着くクリアーになる、三昧が起きるということがあっても、それは何かの拍子でまた元に戻る。
だから、そういった変化自体が悟りではないんだよ。
法を学んで理解することは、ただし瞑想、坐禅のための土台であって、それが間違っていれば、何の修行しても効果がないだけでなく、どんどんおかしな方向へ行く危険性もある。
だから、まずは基本を押さえようといっただけ。
>>784 凡夫とマスターの違いはどこにあるんだ?
教えてくれ。
789 :
Ron:2009/04/01(水) 13:02:12 ID:Q97dVYGi
>>788 「ただし瞑想、坐禅」ではなく「正しい瞑想、坐禅」と書きたかったんだな。。
790 :
Ron:2009/04/01(水) 13:07:49 ID:Q97dVYGi
>>783 ダイジに関してはあなたが自分の基準を当てはめて、憶測してもしょうがないと思う。
悟ったら自殺しないだろうなんていうのは、あなたの誤解から来る、憶測に過ぎないと思います。
>自分が花ならただ花になっているだけで、花だという意識はないように思います
>花から人間に戻った時点で花になっていたと意識するかもしれませんが
そういうことです。
花を見ているときは、意識自体花になっているでしょう、花しかないんですその時は。
そっか、自分は苦しみを見てるから、意識自体苦しみになっているのかぁ
ダイジが自殺とか言い出だしたのは、元オウム信者と違うか。
ソースは今だ明確ではないが、少なくとも世間的なイメージでの
「自殺」ではないと思うけどね。
俺としては禅的な、完全大悟状態での肉体放棄だと思うが。
その状態にして、肉体に戻るか戻らないかも本人の洗濯であって。
いかん、洗濯じゃないわ、洗濯してどうするw 選択だよ。
794 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 18:04:43 ID:YBS1BM5t
>>788 君が自分のことを修行中の凡夫と言ったんだからね。
凡夫とマスターの違いは君とマスターの違いだよ
>>785 アジズとの対話は買って読みました!
ただ全然理解できてなかったようです(^^;
見てる「私」を[体で感じる]・・・・これはただ認識するだけじゃダメなんですよね。
私(Me)、意識のセンターを認識して、そして意識をそこに置くという感覚でしょうか?
あと、頭の中の「私(Me)」はどういうイメージで見てるんでしょうか?自分は勝手に光の玉みたいなものを想像してました。
796 :
Ron:2009/04/01(水) 19:43:28 ID:Q97dVYGi
>>794 だから、僕とマスターとの違いは何なんだ?
説明しろよ。
マスターが何かスゴイやつのように思う、マスター妄想に取り付かれてるんじゃないの、あんさん。。
797 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 20:47:09 ID:XatWjmZB
>>795 おいおい、しっかりしとくれよ。
イメージじゃないよ。
だから、括弧して感覚って書いたんだよ。
例えば、イメージが沸くならイメージを見てる視点を見る感覚とか、思考を見てる視点を見る感じなんだけども。
まず、イメージじゃなく、目を開けたまま自分の後頭部を本当に見ようとしてごらん。それができなかったら、違う説明するよ。
妙に妄信的な感じのレスを見るとイラッと来るのは当たり前かもしれないけど
悟ってる人って掲示板を見ててもイラッとしたりしないんかなあ。そのへんよくわからない。
>>797 この、>その「私」に、というか頭の中心に意識を置く、という【感覚】
が達成されたときはどういう感じになるんでしょうか?
できた、っていうなんらかのサインみたいなのってありますか?
800 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 21:43:24 ID:YBS1BM5t
>>796 本質的には違いはないってか?
違いは見るのはただの分別?
妄想?
でも君自身は分別の世界に生きてるんだからね。
間違いない。俺がみる限り君はただの思考でしかない。
思考でしかない君がマスターと衆生に違いはないと言っても滑稽だよ。
マスターがそのセリフを言えば正しい。
しかし、ただの思考でしかない虫けらがそのようなセリフを言っても、笑えない冗談だよね。
結論
マスターと君の違いは人間と犬くらい違う。
存在の在り方が違う。
>>797 俺もSPの感覚よく分かんないんだよな・・・
>>785の「自分の背後から後頭部を見る」って、そうなの??
外側から見るんじゃなくて、
視線を反転させて後頭部の頭蓋骨の内側を見るような感じだと思ってたけど
というか、アジズとの対話読めば分かるようになるのかと思ってたけど
そうでもないのか・・・
>>800 こういうレスを見ると、よく会ったこともない外人の事をマスターとか言って信じられるなと思って
イラッとしてしまうんだよな。このスレの人はそんな事はないんだろうか。
804 :
Ron:2009/04/01(水) 21:56:22 ID:Q97dVYGi
>>800 要するに君自身がそういう風に思いたいという表明以外の何ものでもないね。
よくいる妄想厨と一緒だ。
僕ちんの信じてるマスター達は、おまえなんかより偉いんだぞーって・・これは全くガキの精神構造と一緒よ。
僕ちんのお父さんは強いんだぞーって言ってのと変わらん・・僕ちんはバカでもお父さんは賢いってことでしょ・・アホ抜かせって感じだな。。
そういう幼稚な精神構造晒してるだけに過ぎんよ、君の言ってることは。。
で、人間と犬で何が違うのだ?
存在のあり方とは何だ?
妄想イメージでものを言っても何の意味もないよ。
はい、説明してごらんよ、存在のあり方の違いとやらを。。
説明できなきゃお前が虫けらにも劣る、さあさあ言ってもらおうじゃないか。。
805 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 22:10:44 ID:YBS1BM5t
それにしても自分と覚者には何の違いもないと思っているのだろうか?
SPやってると目つき変化しない?
内側と外側を両方見てるみたいな目、というか
インド人によくいる妙に鋭い目つき
>>801 後ろを振りかえってそれ自身をみなくてはならないって書いてるから、もしかしたらそうかもしれないですね。
頭蓋骨の内側って表現もしてますし。
目の後ろ側、頭の中に気づきの部分があるとも書いてました。
808 :
Ron:2009/04/01(水) 22:26:52 ID:Q97dVYGi
>>805 だから覚者ってなんなのさ・・それわからなけりゃ全くの妄想だぜ、イメージに過ぎないだろ。
マスターは分別なくって、凡夫にはそれがあるってか、それも憶測に過ぎん・・まあ、バカの相手はこのくらいにすっかな、埒が開かんから。。
809 :
Ron:2009/04/01(水) 22:28:56 ID:Q97dVYGi
マスターのうちのたった一人、あるいはたった一冊の本でもちゃんとわかったら、こんなバカにはならん。
いつまでもマスター幻想追っかけてりゃあいいよ、何にもならんから。。
なるほど。気づきはスルー力を高めるという効果は確かにあるみたいね。
811 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 22:50:35 ID:LdFjFJIA
>>799 サインは……
ないな。
>>801 ただの誤読だよ。
アジズとの対話の15ページをよく読んでみて。
頭蓋骨の後ろって書いてあるよ。
後ろから見る人(私)を見るための誘導だから、内部から後ろ見たら意味無いよ。
その後の頭蓋骨の内側の説明は、
見る人(私)を見た後、見る人(私)を目の後ろあたりに感じるための誘導。
15ページのは、(私)を客観的に見てから、それを目の後ろに感じる説明だから
812 :
神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 23:19:03 ID:9LoKyElP
>803
読んでなかったw
今度は、凡夫とマスターの違いについての禅問答か(笑)
確かに自分も、勘で、この人悟ってない、悟ってる云々と考える
マスターと凡夫の違いは自分がそう判断したって事
つまり自分が分別してるだけ
でも、悟ってる人とそうじゃない人は存在する訳で
結局悟ってないから分からないんだけど
悟ってる人は私にとっては羨ましい人だ
憧れる
自分もそうなりたいから教わりたいと思う
でも悟って無い人に聞いても
意味無いじゃない
その違いかな
だから、私にとっては、こんな人になりたいと思える人が悟ってる人かな
814 :
Ron:2009/04/01(水) 23:41:49 ID:Q97dVYGi
>>812 >つまり自分が分別してるだけ
そういうこと。
>でも、悟ってる人とそうじゃない人は存在する訳で
>結局悟ってないから分からないんだけど
そう、自分が悟らなきゃ違いあるのかないのかもわからんよ。
最低限でも見性してなきゃ、考えたって憶測、妄想の域を出ないということ。
実際会ってみたら、考え変わるかもだけどね。
「こんな人になりたい」なんて思わなくなるかもしれない。。
>>812 なんだかお2人さんの会話に割り込んでしまったみたいで悪かったんだけど
他人のレスを嫌悪する自分の攻撃性を観察する実践だったということで勘弁してもらおうかな
ただ、攻撃性や嫌悪に気づいていてもそれ自体が消えることはないんだよな
>>814 >実際会ってみたら、考え変わるかもだけどね。
「こんな人になりたい」なんて思わなくなるかもしれない。。
w
見た目の事じゃあないし、内面に平和がある人になりたい訳で
個性の事じゃあないから、個性については、嫌いになる可能性はあるわね
ま、分からないわ
会ったことないし
ネット上で喋っても、自分のマインドと覚者のマインドがぶつかって、自分に戻るだけだしね
>>815 私も嫌悪とか攻撃性はなくならないなあ
特に怒りは荒ましいモノがある
すぐ切れて怒鳴ってるし
厄介だー
818 :
Ron:2009/04/02(木) 01:19:03 ID:g/SWSB8L
内面に平和があるかなんてわからんよ、攻撃的ですぐ怒る仏さんもいるしねえ・・平和なやつほどグルとしては役に立たんかもしれんし。。
鬼にも悪魔にもなれるようじゃないと、人を度すのは難しいかもしれない・・いつでも平和なやつは、まあそういう力は弱いかもだね・・実際に会った仏さんの感想なんだけど。。
819 :
Ron:2009/04/02(木) 01:20:23 ID:g/SWSB8L
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~scl/medi.htm ダンテス・ダイジ「実相的個性というものがみんなに備わっているんだ。」
M「その個性というのは、いいも悪いもないんですか。」
ダン「ない。絶対的にいいことだ。」
M「別の言葉では魂と言ってもいいんですか。」
ダン「うん、いいよ。みんなどっちかを選ぶよ。タイプによるんだけど、厭世的というかこの世の全体を否定してし
まうという性分の人だといきなり実相そのものの中に飛び込もうという形で生きていくよ。そうではなくまだこの世
の中に魅力や心ひかれる部分をもっている人の場合だと、自分自身の本当の個性に出会おうとして生きていくよ。」
ーーーーーー
これはアジズの言う「魂」と魂の欲求のことだよなあ
ダイジも、座る瞑想は人類の一部にのみ有効とか言ってたし・・・やっぱ同じもの見てるのかな
攻撃的か平和かが問題じゃなくて、そこに執着、こだわりがあるかどうかが問題だよ
執着、こだわりがなければどう行為してもいい
でも執着、こだわりがなければ攻撃ってもあっけらかんとしてるし、平和ってもスッキリして
るだけだけどね
攻撃とか平和とかそんなもん、雨が降ったから濡れてみるか家にいるか、それぐらいの
違いだよ
824 :
神も仏も名無しさん:2009/04/02(木) 10:09:01 ID:0ObFzHqN
怒るのは思考がアイデンティティだからだよ。
防御反応として怒る。
気づきにアイデンティティがシフトした人間が果たして怒るだろうか?
アジズ理論で、
頭をカメラに例えて、
>あなたというカメラは周囲のすべてを写す。しかしカメラのセンター自身を見ていない。
これはいいのだけれど、
>カメラのセンターを意識して、カメラのセンターそのものになる事が根本的な事だ
とあります。
「カメラのセンターそのものになる」、とその時には、また再び、「周囲のすべてを写す」ものを見る存在になり、「センター自身を見てない」状態、つまり最初の状態となんら変わらない状態に戻るだけなのでは?
意識する前のカメラのセンターと、意識した後のカメラのセンターでは何が異なっているのか?
826 :
神も仏も名無しさん:2009/04/02(木) 12:59:40 ID:vBPxNL4V
テスト
センターにある、とはカメラの対象物を知覚することではなく、対象物を知覚しているということを知覚すること、つまり気づきの主体になるということ。
マインドになんら干渉をうけない、自由な気づきの主体が私である、と。
皆いろいろ言ってるけど
ひとついえることは、悟ると今までの悟りにたいする情熱みたいなものは無くなる
つまり悟りたいとか大悟したいとか思わなくなる
なぜって、もうそれができてるからなのか?
それとも俺がたんにやる気をなくしただけなのだろうか?
まあ誰がなんと言おうと、悟りに実相はないのだからこれでいいに違いない
830 :
神も仏も名無しさん:2009/04/02(木) 20:51:32 ID:0ObFzHqN
そりゃあ悟ったら悟りに対する情熱はなくなるだろ。
でも進化に終わりはないらしいからね
>>829 悟って戻らないなら大悟してるんだろうし、戻ったら大悟したいと思うんじゃないんですか?
悟りの状態から戻らないんですか?
832 :
神も仏も名無しさん:2009/04/02(木) 23:44:23 ID:HvXf9BHN
>>829 ダイジがさあ
悟った後にも、悟りを求めて放浪してたようなところあるんだけど
それに関して、生徒に質問されて返答してたけど…ようわからん答えだった
>>832 おお、やったぁー…と思ったら何か訳がおかしいw
英語のサイト、仕事中に隠れてせこせこ読んでたからありがたい・・・
と思ったけど訳がシュールすぎてむしろ混乱するw
「道を住ませています。」てw
アジズ「私の教えでは"理解"ということを強調する。何故なら誰も(私の文章を)理解していない」
>>826 これが特に良かった
アナタが経験として記録することは全て過去です。
現時点とはNowではなく隣接した過去なのです。
皆さんが聞いているこの言葉さえ過去のものです。
毎晩見る星たちはもう存在していないのかもしれません。
光がこの惑星に到達するには途方もない時間がかかるからです。
たぶん私たちは、大昔に死滅した星たちを愛でているのでしょう!
Nowは非常に速いのです。
ソレは直接のものです。既に存在します!
アウエアネスさえも隣接の過去の中に認識されるのです。
問題はNowへの扉はどこにあるのかということです。
もし経験すること全てが既に過去だとしたら、
どうやってNowを知ることができるのでしょうか。
入り口はビーイングです。
838 :
神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 10:14:38 ID:IsopiY+b
アジズ(アナディ)の日本語サイト、最初の方の途中までしか訳されてなくて後、機械翻訳だったわw
プレゼンスをスタビライズしても、悟りを求めマインドが残ってて、云々と言う話をどこかで読んだが、検索してもみつからなかった。
ダイジも、悟りを求め気持ちが強くて悟りと同時にはマインドが落ちなかったんじゃないかな
プレゼンスがビーイングすると体験者がなくなりマインドが落ちるらしい
プレゼンスを保てるようになったと書き込みした人は、プレゼンスの仕方を質問した人には答えなかったし、自己宣伝だけかよ
と腹がたったが、別に教えてgooじゃないんで、ここは、好きに書きゃいいけど。
私はプレゼンス保てるようになってないので腹は立つし、悟っても感情はあるとおもうが、悟ってないので分からない。
多分、不親切な人に腹が立つみたいだ私は。
役に立たなければという強迫観念があるらしい
840 :
神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 13:04:58 ID:8ndh6Q0i
SPの安定化なんて道を歩む上での最低限の健全さを得ただけみたいだからね。
気づきの悟りはIAMの一つの側面にすぎないとアジズも言ってるし。
ただこれがないと何も始まらないので最初はこれに集中するさかない。
つか、最初にこれ以外のことをやっても意味がない。
うーん。
それと最近、自分は何も知らないという感覚が強くなり、実際何も知らないので、ほとんどの質問には答えられないよ。
841 :
神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 13:34:36 ID:Tm8ddujR
>>840 えー、そうなの……
じゃ、何のためにここに書き込みしてるの?
842 :
神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 16:04:03 ID:8ndh6Q0i
書き込みしてる意味?
おもろいから
さみしいからだろ
844 :
829:2009/04/03(金) 19:55:40 ID:xw/RviSq
>>831>>833 う〜ん、なんていえばよいか
悟りといっても、それをいわゆる見性とか神秘とか覚醒みたいなもので
一括りにされると困るじゃないですか
大局的にみれば、悟りとはもっと幅が広く、単純なものにもなる
たとえば、天才バカボンなんて「これでいいのだ」の一言で終わらせるけど
あれは完全に悟っているからああいうことが言えるわけで、
しかし、悟りに終わりはないのは確かだし、自分はまだまだ成長したいとも思っている
たとえば、
>>829は確かに俺が書いたけど、今現在の俺からすればまったくの別人が書いたようにもみえる
なぜって、本当の俺は今ここにしかいない
ほとんどの人が言っていることだけど、今この瞬間にしか真実はない
だから、悟ろうとか大悟したいとかいうのは、それは今の自分とは違う別の何者かに変わりたいということで、
成長したいとは、ちょっと意味が違ってくるかな
つまり悟りとは、未来形でなく、現在進行形ですよってこと
846 :
神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 22:26:47 ID:8ndh6Q0i
>>838 ダイジの場合、マインドを落とすという事に関心がなかったんだと思う
「迷うのが人間だよ。それが心ある道だ」って感じ
講和録読んだ限りではね
はー、それもそうかと思った
あと、質問に答えなかったって、どこのことなんだろう
850 :
Ron:2009/04/04(土) 01:16:23 ID:NLinMbDU
>>848 マインドは落ちないし、落とす必要もない。
平常心是道、捨てるべきものなのはじめからないのだ。。
マインドが落ちる、という言葉が独り歩きして
別々の意味で使われてる
マインドを落とすってのは、
マインドが喉に引っ掛かってるキヨタカ氏への方便みたいなものだったから
それがフーマンの教えの主軸ってわけじゃないんじゃないかな
853 :
神も仏も名無しさん:2009/04/04(土) 18:49:52 ID:ys6ksOPb
何かを書き込もうと思っても書き込むことが出来ないわ。
ということを書き込んでみた
>>832 トップページ見たら、現在進行形なんだな。がんばってほしいな
マインドは止めようとするな
ただ、眺めていればいいんだ
856 :
神も仏も名無しさん:2009/04/04(土) 23:20:26 ID:ys6ksOPb
マインドも木や花や女の尻と同じく対象物だからね。
ただ巻き込まれの度合いが外界のものとは比較にならない。
木は客観的に眺めていられる。
女の尻になるとかなり巻き込まれてしまう。
思考を眺めるのはそれ以上に困難
858 :
神も仏も名無しさん:2009/04/05(日) 10:14:52 ID:fwMr90tb
>>857 これは一体どこの誰が書いてんの?
女性っぽいけど。
他のは見れないの?
860 :
神も仏も名無しさん:2009/04/05(日) 12:52:57 ID:fwMr90tb
>>859 おもろいね。
ただハートに関しては自分は19の時に一旦開いたと思う。
感受性が突然100倍くらいになって耐え難いくらいの苦悩と歓喜の交錯で普通に生きることが不可能になってしまった。
ただ年とともにハートのまわりに殻が堆積して今ではすっかりハートが閉じてしまった。
だからもう一度ハートを開く必要性を感じる。
若いときは準備が出来ていなかったのであの感受性に耐えることが出来なかったが今ならば大丈夫であろう。
たぶん。
それと芸術家の一部には明らかにハートが開いてると思える人がいるね。
ドストエフスキーなんて間違いなく開きっぱなしだし、太宰治も開いてたと思われ
ドストエフスキーは同意だが、ナルシス太宰は違うだろ。
中学時代にはハマって読んだが。
太宰は注目集めるために自殺未遂するような芸人だよ
太宰は観念の奴隷でまったく開いてないだろ
ハートが開いてる小説家って少なくね?
ベタだけど岡本太郎はやっぱり爆発してるな
864 :
神も仏も名無しさん:2009/04/05(日) 16:13:43 ID:fwMr90tb
太宰は感受性が強めなだけか。
線引きがわからん。
関係ないけどマークトゥエインの「不思議な少年」と「人間機械論」は人間は機械であるというグルジェフの思想を完璧に体現していて面白かった
感受性が高まるのとハートが開くって同じことなの?
866 :
神も仏も名無しさん:2009/04/05(日) 17:05:25 ID:fwMr90tb
たぶん違うね。
グルジェフの言う高次感情センターが機能することだと思うが、そう簡単なことではないのは確実。
なのに
>>859などを見るとやけに簡単なことのように書かれている
うーん
>>866 全く同感
グルジェフ読むと、現状から抜け出すのは非常に困難な印象を受けるけど
このスレでは誰でも簡単に抜け出せるかのような印象
もしやグルジェフの方法は効率が悪いのか?
深い泥沼にはまってる人ほど抜け出すのは容易じゃないだろうけど
浅いところで、苦しんでる人よりは遥かに多くのことを悟るに違いない
太宰なんかも頑張って生きてれば、ドストと並んだかもしれないよね
フーマンは「日本人は潜在的にハートが開いている」と言ってたらしい
潜在的ってのが、また良い言い方でなるほどなと思えるところがある
開くか、開いていないかの2択ではない、ということかも
日本人的な対人恐怖症と
ハートの潜在的な開きは関係がある気がする
871 :
神も仏も名無しさん:2009/04/06(月) 23:26:04 ID:9LBcMiUZ
>>853 私の心をよんだわねw
規制に引っ掛かって
全然書き込みできなかったよ
872 :
月水:2009/04/06(月) 23:48:39 ID:l9359eGA
>>842 SPを保てるようになった
あなたに質問
SPは自力で保てるようになったの?リトリートとか行った?
私は、座ってSPしてると、私と私がぶつかって?エネルギーが感じられるけど、
普段、歩いたりしてるときは、めっちゃ無意識
ただ、私を想起してる思考に留まってる感じ
このままでいいのかなあ、とか一人でやってると不安
でも事情があってリーラとかには行けない
873 :
神も仏も名無しさん:2009/04/07(火) 09:14:26 ID:IiGuXb7Q
>>872 リトリートなんて行ったことないし、これからも行く予定はないよ。
というのもSPに関しては誰かに頼る必要性は感じない。
SPについてはアジズとの対話やヒューマンブッダにかなり明確に書かれてるし、改めて誰かに聞く必要もなかろうと。
SPとは何か?が分かればもう仕事は半分終わったようなものだけど、実はこのSPとは何か?を見性することが一番難しいと思う。
知的理解と同時に感覚的に体得しなければならないので知的探索だけでは決して理解できない。
ただこのSPとは何か?ということもSPを修行していくなかで少しずつクリアーになっていくものだと思う。
874 :
月水:2009/04/07(火) 14:06:45 ID:zhl0BGKL
>>873 ありがとう
リトリートとか行ってない人が保てるようになった話を聞くと、不安を払拭される
私はヒューマン・ブッダ読んでないから、SPの理解についてはイマイチ自信ないけど、分からないまま、やってくしかないなー
4月中にはSPを保てるようになりたいな
SPってなんですか?
ググってもよくわからなかったので教えてください
または解説サイトとかあります?
あと、横槍入れるようで悪いんだけど
OSHOはじめ、アジズ、フーマンとか
>>859のサイトとかみてると
いわゆる一般人や普通に暮らしている人からしたら、どうも宗教的で新興宗教みたいな胡散臭さや
オウム的な嫌悪感を感じる人もけっこういると思うんだけれど、このことについてはどう思う?
もちろん、「悟り」というものに関しては、様々な受け口があって、それがどんな教えであれ
最終的に自分が納得できれば良いと思っているよ
でもOSHO関連のサイトとかみると、はっきり言って形式的な宗教に成り下がってるんじゃない?とも思うのよ
べつにOSHOが悪いわけじゃないのはわかるけど、信者によってはちょっと痛いなとも思ってしまうわけ
俺の解釈では、悟りって最終的には唯我独尊だと思うからさ
SPはステートオブプレゼンスのこと
宗教的胡散臭さ云々については、
まあ他人のことなど構わずに自分の信じる道を歩めばいい、としか思わない
878 :
月水:2009/04/07(火) 21:34:26 ID:ykEOSrR0
なるほど、よくわかりました
SPちょっと勉強しようかな
何言ってるのかよくわからなかったから俺には縁がないと思っていたよ
いまキヨタカ氏の恩寵の扉が開くまでを読んだけど
フーマンていろいろとすごいな
かなり的を得た表現していると思った
不思議だ、さっきまで胡散くせえと思ってたのに
目からうろこが落ちた気分だわ
いやそれにしても世界は広いわ
俺は本当、狭い価値観しか持ってなかったな
このスレをみたときも、はじめは本当バカばっかりだな、とか思っていたけど
なんだかんだで皆、縁があってここにきて、やがて真理に導かれるんやな
882 :
天無乃:2009/04/08(水) 08:39:46 ID:xsdiMugI
悟り・・・
一休み、する事。
883 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 08:53:55 ID:Uy4KwSDt
「アジズとの対話」の最初のページ(P13)にある、
「最初の目覚め、最初の悟りは、気づきを対象物なしに認識する事と関係している。自己認識あるいは観照意識とも言われる。」
最初にサラッと書かれてるけど、
これが基本中の基本。
これが見性であり見牛でありセンターの発見。
キヨタカさん、自分はもうそんなの学んだし知っていると言ってたけど実はこの時点ではよく分かっていなかった。
しかもそれをキープしなければならないという知識がなかったし、決定的なのはそれに価値を認めてなかった。
ただ今まで学んできた知識のバックボーンと依然として自分は悟っていないという事実があったのですぐにアジズとその教えに価値を感じることが出来た。
実のところキヨタカさんと同じ問題を日本にいる多くの求道者が抱えており、それに対する共通の解決策として「アジズとの対話」は画期的であった
と思う
884 :
月水:2009/04/08(水) 10:00:16 ID:f+FL9/m/
SPやりだして、ほぼ一ヶ月目だけど、もう辞めたい
何やってるんだろうと頭が混乱する
私は私なんて見たくないし、とても不快
不快なものをただ見てるだけで、何も変わらない……
牛を飼いならすのは本当に忍耐がいる
もっと簡単な方法ないんかな?
ダグラス・ハーディングはどうだろう?とか、思考に耽ってしまいます
885 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 10:46:36 ID:26Fa/m5d
>>884 ウ"ィパッサナー瞑想はどう?
瞑想とか精神世界に全く興味無かったんだけど、偶然立ち読みした本に「人間は一日5万もの物事を半無意識に考えていて、その95%は昨日も一昨日も考えていた事だ」
という一文を読んで、自分の思考の無意味さに初めて気がついて、恐ろしくなった。
でも「考えないようにしよう」と思った所でそれも「考えだよね」という悪循環。
その本に瞑想が良いと書いてあったのを思い出して、色々と調べて出会ったのが「全ての自分の感情、思考、動作に気付いていなさい」という教え。
で、とりあえずという感じで起きてる間中「サティー(気付き)」を入れ続けたら、3週間で思考がストップした。
で、5ケ月経った今は「妄想も消えて、頭の中は静まりかえって、完全に今にあれる状態」
サティー続けて3ケ月位して、「ほぼ今に在れる」ようになった頃「意識が後頭部に移った?というか生まれた感じ」がして、調べてみたところ「SP」というのを知った。
とりあえず思考をストップさせたいなら、自分の全てにサティーを入れる事をすすめる。
サティーについては地橋秀雄さんの「ブッダの瞑想法」という本に書いてある。
もしくはマハシ長老の本など。
886 :
月水:2009/04/08(水) 11:07:28 ID:a4448sX1
>>885 助言ありがとう
でも何か、もー観察したくないw不快だもの
観察拒絶気味です
サティがよく分からないけど、サティは、観察してることを「何々している」とラベリングする事ですか?
887 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 11:30:42 ID:26Fa/m5d
>>886 観察したくないなら、「(観察したくない)と思った」ってサティーが入るね(笑)
頭の中にどれ位思考が多いかわからないけど、思考が始まったら「思考」ってサティー。その思考から怒りが生まれたら、怒りってサティー。
なんらかのイメージが出たら「イメージ」って頭の中でラべリングする。
大雑把な説明しかできないから、本を読んで技術を的確に身につけた方がいいよ。
今は色々な教えや、本から離れて思考を止める技術の勉強と実践をした方がいいと思う。
888 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 11:45:45 ID:Uy4KwSDt
>>887 それってSPと違ってものすごく面倒くさくてしんどいね。
しかも何を目指してるのかよくわからない。
マインドを観察する?
それで思考が止まる?
有り得ない。
思考を止める必要もないし
ラベリング!?
アホやろ
890 :
月水:2009/04/08(水) 12:08:59 ID:3hVdeJOU
>>887 ありがとう
少しやってみた。
根性ないだけかもしれんけど、ラベリングするのは無理みたいw
確かにラベリングするとカウンセリングのような感じで思考は少し収まるけど、子供がキーキー言ってるなかでは無理だわw腹立つばっかりでw
SPより遥かに難しいよw
子育てしながら悟りを開くのは大変だなあ
891 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 12:20:51 ID:Uy4KwSDt
>>889 OSHOのやり方と言っても、OSHOのやり方は無数にあって全く統一感がないからね。
特に889の瞑想法は初心者向けのやさしいやつだよ。
アジズの言うダイレクトに自己を認識できない人達向けのもの。
そういう人達は気づきを対象物なしで認識できない。
だから私が歩いてるとか怒ってるとか考えてるなどの対象物が必要になる。
それを通して注意力を養成する必要が出てくる。
もし気づきを対象物なしでダイレクトに認識できるならただそれを感じていればいい。
「見るものなんて何もない」(アジズ)しね。
おっと時間が
892 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 13:30:11 ID:Uy4KwSDt
SPの目的の一つは注意を結晶化して継続的なMEの感覚を獲得することにある。
ヒューマンブッダP81・注意を結晶化する。
「我々が自己想起している時、我々は貴重なアストラル体を創造しているのです」
ロバートEバートン
893 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 13:43:23 ID:26Fa/m5d
>>887です。
大失恋と転職が重なって、なんとかして復活しないとならない状態でウ"ィパッサナーに出会いました。
ウ"ィパッサナーを選んだのは「マインドフルネス療法」として末期ガンの患者さんなどの心のケアに取り入れられてると知ったからです。
マインドという言葉を知る前に「自動思考」というのを知って、頭の中の失恋への後悔や、この先の不安をなんとかしたくてサティーを入れ続けました。
その結果、思考が落ちたという感じです。
そこではじめて、今までバカにしてた悟りとかスピリチュアル?な世界に興味が生まれました。
和尚とかアジズ、グルジェフ、などの名前も2、3ケ月前に知って、これから本を読もうというところです。
以上です。失礼しました。
894 :
月水:2009/04/08(水) 14:34:53 ID:RezKgqUI
自分にとってやりたい方法しかやらないんじゃ探求という名の単なる欲求や逃避じゃない?
やりたくない、できないと思うなら、何故そう思うのか感じるのか、それを洞察すべきと思うが
896 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 15:01:25 ID:Uy4KwSDt
>>894 なんか見れない。
フレームがどうのこうの....
897 :
月水:2009/04/08(水) 15:09:09 ID:TG2DLmD0
>>895 頭悪いから、あまり洞察はできない
・苦労して悟りを開きたくない
・簡単に悟れるなら人にも勧めれる
かな
SPはやってるんだけどね
何もしたくないw
世界がなくなればいいのに
タデウス・ゴラス「なまけ者のさとり方」はどうか。
899 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 17:33:25 ID:Uy4KwSDt
900 :
月水:2009/04/08(水) 18:34:38 ID:T0xcZaYG
>>898 昔、読んだけど記憶にないw
私はどうやら、読むと悟る本を探していたらしい
そんな本があるといいなー
そんなのあったらみんな悟ってる
悟りといっても、まず大事なことは、真面目さと真剣さだと思う
ただ本読むにしても、座禅や瞑想やるにしても、真剣にやると全然効果が違うよ
ただ、この真剣にやるというのが、まず難しいんだけどね
おれはSPに入る時、背後から見ない。正面から、また横から見る
一番多いのが横。
多分、これでもいいんだと思うけど、わからない。自己流。
904 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 22:42:04 ID:Uy4KwSDt
>>904 フーマン風に言葉にするなら、透明な私を見る
仮説の仮説なんだけど、マインドのセンター、ハート、ビーイングってのは、単に「骨髄」の事なんじゃねえかって。
というか意識って骨髄の事なんじゃねえかって最近思う。
まあマインドのセンターは骨髄と延髄のつなぎ目くらいの…まあ後頭部なんだけど。
背骨と頭蓋骨のつなぎ目あたりね。
大事なのは後頭部から骨髄の疎通を良くする事なんじゃねえかって思う。
それが精神統一なんじゃねえかと。
http://shugeitei.com/backbreathing.html ヴィパサナやってると後頭部に意識がシフトするってのはなんかわかる気がする。
普通の瞑想とかヘミシンクなんかでもそうなんだろうけど。
あの辺がギューっと充実するような感じになってくるんだろうな。
俺もチョットだけ分かる。
チョットだけだけど。
>>893さんみてもわかるように、やっぱり苦(ドゥッカ)が無いと、真剣に修行できないものなのかなあ。
ムフフ。
関係ないけど、今日読んだ「四つの約束」って本は良かったな。
最初の10ページだけどマーヤー(幻想)がマーヤたる意味がストッと入ってきた。
あとガユーナ・セロアっていうミャンマーの上座部の坊さんの本も良かったな。
瞑想感覚が良い。
クリシュナムルティが「瞑想に方法はない」って言ってたけど、よく分からなかった。
でも「自分を味わうのに方法はいらない」という言葉はストッとくる…ような気がする。
http://maxit.blog97.fc2.com/blog-entry-72.html ああ、缶チューハイ2本飲んだら自信がない事まで、つい書きこんじゃった。
ムフフ。
俺の枕元の本。グフフ。
http://up2.viploader.net/pic2/src/viploaderf153444.jpg
>>906 訂正
ガユーナ・セロア→ガユーナ・セアロね。
ムフフ。
908 :
月水:2009/04/08(水) 23:28:29 ID:P1DajQtP
>>903 ありだと思います
私は毎日、夜10時から2時の4時間くらいの間、座ってSPしてます
家人がみんな寝てからやるので、時間はまちまちですが、ほぼ、やっています
皆さん、よければ一緒にナイト瞑想会しませんか?w
これから、私はトイレ行ってから瞑想します
>>898 いい本だと思う。
ラム・ダスも引用してたね。『覚醒への旅』だっけ。
>>906 大事なことは、たとえばセンター、気づきであればマインドを濾過する程度であって、その手法の一つがたとえばヴィパサナである、と。
つまりヴィパサナも、マントラも、只管打坐も、入口になるのはマインドから解離できるか否かであって、それがなされないのであれば何をしてもナンセンスで逆にそれがなされれば何をするにしてもスタートできる、と。
>>910はあくまでも個人的な見解です
そうじゃない!って方がいらっしゃったら是非ご教示下さい
>>910-911 そういうことだと思うよ
マインドというか自我からの解離、自我を手放すこと
ただ、マントラなんかはマントラに集中することで普段自我に向かってる意識を0にするわけ
だから、逆にいうとマントラに集中することが一種の自我になってるし、マントラをやめると元
に戻ってしまうのが普通
それに対してヴィパッサナーなんかは呼吸という元々自然にあるものに集中することで集中
する自我が育たちにくいように工夫されてる
ただ座るという只管打坐なんかもそう
でも只管打坐でも座ってる間しか自我を手放せないならしょうがないし、なんでも本当に完全
に自我が消える瞬間までいけばいいんじゃないかな
方法やコントロールで自我を静めてるのと自我が消えるのは全然違うから、自我が一瞬でも
本当に消えたならその方法でやっていけばいいと思う
でも多くの人は自我が静まってるだけで自我が消えたと勘違いしてるように思う
913 :
月水:2009/04/09(木) 10:13:50 ID:wOhbGagY
瞑想会は誰も参加されなかったみたいで少々悲しいです
私は、心理的に一人になり、
サティや洞察などをしつつ一人でSPすることにします
ここで色々学べて良かったです
ナマステ(T-T)/~
914 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 11:52:10 ID:vmLkFUDn
>>905 でも見えないじゃん。
思うに見るという表現はSPにおいては何か違うような気がするのだが。
何かに気づくとは基本的に何かに注意を向けることだと思うけど、SPの気づきに気づくとは気づきの中心に注意を向け返すことであり、そこにあるものを感じることでありあり、それと共にあることであり、それに成っていくプロセスだと思う。
915 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 12:24:14 ID:vmLkFUDn
>>912 自我が消えるのはいいけど、そうなった時あなたはどこにいるの?
あなたは虚空の中に消え去るの?
916 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 16:12:31 ID:vmLkFUDn
なんか色んな教えがごっちゃになってそれらの教えとSPが本質的に同じであろうみたいになってるけど、SPは他の初心者向けの瞑想技法とは質が違うからね。
なぜならSPは技法ではないからね。
>>906 それらの考え方は別にいいけど、なぜにその脊髄がどうのこうのとアジズの教えを無理やりこじつけるのかな。
別物だろ。
それにマインドのセンターは眉間から1.5cmじゃなかったか?
なんで後頭部のほうにセンターを持って行こうとするわけ?
>>916 マインドのセンターは眉間から1.5cmなんですか。
SPの位置は何処にあるかわかりますか?
>>916 >なぜならSPは技法ではないからね。
技法でないなら何だ?
>>898 それ、EOがこてんぱんにけなしてた。
怠け者の悟り方なんかないとか言って。
921 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 21:27:23 ID:vmLkFUDn
>>918 SPというのはマインドのセンターに気づいている状態のことだから、SPの位置という言い方はおかしいと思う
SPにある時、眉間の辺りにエネルギーの振動をかんじる。
「その体験にリラックスするとそれは気づきのスペースのようになり頭全体と頭の廻りに広がる」とアジズは言っている
922 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 21:36:15 ID:vmLkFUDn
>>919 SPというのは何かに至るための方法というより、ある意味結果のようなものだからね。
SPにある時、人は目覚めており悟っている。
>>915 虚空と虚空でないものを分ける自我がないから虚空も消え去ることも無いよ
無いということも有るということも無い
自我は消えてるけどね
>>921 >SPにある時、眉間の辺りにエネルギーの振動をかんじる。
SPしても全く感じない
何か間違ってるかな?
圧迫感が頭の一部に感じる時あるけど、移動する
否定しても肯定してもあまり意味がないように思う
とくにSPなんかの場合
大切なのは、いま自分がなにをしているのか、何をしたいのか、に気づくことじゃないの?
このスレの流れをみてると、とにかくあれじゃない、これじゃない、って話しばっかで
926 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 23:01:57 ID:uR/57TAV
SPは私の存在感に気付きつづける事だと理解したが。
前まで、私を掴もうと力んでたので頭痛くなった。
軽く気付くだけにして
やってたら、何か青い光が見えて怖くなって一旦やめた
またやったら、自分が大きくなったり小さくなったりしてる感じがリアルにして戸惑ったが
いい感じなのかこれは
今までの瞑想にはない
おかしな恐怖体験
927 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 23:11:33 ID:Pe6nTSY1
元来、悟りの議論ってのは「あれではない。これではない」っていう否定の連続による形而上的な「位置ならぬ位置」を示した
枠組みだったように思うんだけど、
あらゆる修行形態の中で、脳科学とリンクするような指摘があって、興味深いんだけど、よくわかんない…という。
つまり「悟りってのはここなんだ!」っていう明確さを誰かに示してほしいんだよね。
「あれではない。これではない」でなく。
アジズにはそこを期待するんだけど、いまだにSPなるものがなんなんだか分かんない(笑)
確かに瞑想中、眉間が圧迫したり、冷感を感じたりする事はあるけどね。
瞑想中、意識する場所として、頭頂、延髄付近、眉間付近、ハラ、尾てい骨のあたり…とかいろいろあるけど。
結局、よく分かんない。
だから「分からなさ」とか「落ち着きのなさ」を対象にして瞑想してるんだけど、やっぱり、
「ここなんや!」っていうのを誰かに指し示して欲しい。
アジズの本を斜め読みしてもよく分からないんだよね〜。
瞑想してても、妄想にふけっている時の方が深い瞑想に入れたりして…本当に「イキモノ」なんだなと思う。
あとペマ・チュードゥンっていう、チョギャム・トゥルンパのお弟子さんが著書の中で
「観ている時に考える事はできない」って言っていて、
日本人比丘の山下良道さんも同じ事を言っていて、
つまり…「どこを集中するべきか、どのようにしてみるべきか」と考えてるときは、すなわち「観ていない」という…。
その事だけを頼りに瞑想する事もあるけどね。
思考している時は観ていない…。
本当にそうなんだよね。
しかし「焦点なき観察」なんてありえるのかな。
929 :
神も仏も名無しさん:2009/04/09(木) 23:27:56 ID:vGysFfHA
SPは歩いたり水泳したり運動しながらやるのがベスト!
座ってばっかりだと健康によろしくない
それだけは忘れるな!
ID:Pe6nTSY1
たとえば
>>925の一行目を否定したり肯定したりできるだろうか?
おそらくできないはずだ。なぜなら否定と肯定の対象がない
このことに気づくだろうか?
同じように自分自身を対象にしてみてみよう
何が見えて何を感じるだろう?
自分のレスをよく見てみよう
これは誰が書いたのか?
よく考えてみよう
なぜこれを書いたのか、なぜこのような質問をしたのか
なぜ今、自分はここにいてこれを書いてるのか?
このことにどんな意味があるのか?
これを書いてるのは誰だろう?
いまキーボードを打ちながらこの動作をしているのは誰だろう?
本当の自分だろうか?
本当の自分とは誰だろう?どこにいるのだろう?
常に自問自答してみよう
そうするうちになんとなくSPというものがわかってきたらいいんだけど
>>927 あと、アジズとの対話読んでるならわかるけど
偽の悟りは単なるアイディアと言っている
悟りとはこことかこれとか指し示せるものじゃない
悟りとは自分自身のなかにしかない
じゃあ、SPってのはやっぱり「気づいている意識」って事なのかな。
自分が何をしているのかを気づいている…メタ認知ってやつかな。
瞑想していて瞑想が深くなる瞬間ってのは、大体、妄想に気づいて戻った時なんだよね。
煩悩即菩提ってのは、そういう意味かな?(違うと思うけど)
妄想っていう対象物なしに気づきを認識したいんだけど、「私は誰か?ウーウーッ」って唸っているのもツラいんだよね。
いいかげん、ツラい。
いや、よく分かるんだけどね。 ID:lVduxD1Sさんの話は。
でも、それだったらSPなんてもんを持ち出さなくても、べつにラマナとかニサルガとかでもかまわないわけで。
マインドのセンター(眉間から1.5cm)の部分を意識する意識がSP?
しかし、それはやっぱり、もうちょっと後ろの部分って事になりゃしないかな。
そういえば、かなり以前に「?」っていう感覚を想起した時に、そこに中心があるような気がした事があったな。
SP=「?の想起」っていうのはどうかな。
「ん!?」という想起が指し示す位置。
このスレが伸びてる時はレス取得すんの怖いな
>>932 すまないが俺自身、未熟だからなんとも答えようがない
でも、あなたは何か確固としたものを探しているように思う
それはそれでもいいと思うんだけど、今はもっと漠然とした答えでもいいと思う
結局は自分の感覚を信じるしかないんだけど、なんとなくこれでいいのだ、という感覚
初めはそれが間違った感覚でも、なんとなくこれでいい、といえる感覚はそのうち核心へ近づいてくるはずだから
とにかく求めるしかない
時間はかかるけど、いつか必ず核心に迫るときがくるはず
少なくとも俺はそうだった
>>934 ありがとうございます。
励みになります。
涙が出るほど嬉しいです(出ないけど 笑)
明日は「?」を対象に瞑想してみようかな。
ムフフ。
「私は誰か?」は「私は誰か?」だ。
問うものが答えだ。
なーんちゃって(笑)
最後?に言わせてもらうと
SPってのはセンターを探すことだけど
それだけでなく、本当の自分、理想的な(正しい行いをできる)自分をみつけることだと思うんだけどね
なんか、眉間とか頭蓋骨とか、場所を気にしすぎじゃないのかな
でも、俺も1年前なら今の自分のレス読んでも何言ってるか理解できないだろうなあw
実際のところ、マインド、思考をストップさせるのって容易じゃないよ
>>935 「?」の瞑想に自力で気づくなんてすごいですね。
たしかに?を使うとき、その感情から自由になれますね。
ところで、このスレの人の流れってどうなってるのか、ちょっと興味あるな
俺は前スレからいて、当時はクソみたいな人間だったけど、今はかなり成長した
新規の人、冷やかし、通りすがり、真面目な探求者、ある程度の悟りに達している人
どのくらいの割合でいるんだろうか
仮にオフ会やるとしたらいったいどれだけの人が顔を出せるだろう?
考えただけで恐ろしいが
939 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 10:16:51 ID:zikfVRKc
>>929 SPは基本的に起きている間中努めるものだけど
経験上、運動強度が強いものをやると難しくなった。
特に水泳やりながらだとほとんど不可能に近かった。
あと、人と話しながらSPを保つのは今でもできない。
大量に注意力を使うことをするとSPをするためのエネルギーがなくなってしまうで単純に出来なくなるのだと思う。
アジズもそれはやり方や努力の問題ではなく、エネルギーの問題だと言っている。
想起をすることを通して高い次元にエネルギーがシフトしていくのを助けることが出来ると。
940 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 10:22:13 ID:zikfVRKc
>>931 偽の悟りがアイデアというより悟り自体がアイデアだと言ってると思うが、
悟りを求めたら失敗する。
自分自身を求めたら成功する。
941 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 12:13:07 ID:zikfVRKc
SPは散歩とかドライブみたいなあまり注意力を使わないことをしながらのほうがやりやすい、俺的には。
テレビを眺めながらというのも実は結構はいっていける。
座って目をつむると思考が全面に出てきて巻き込まれがちなので自分はあまり座らない。
ビーイングの瞑想では座ったほうがいいみたいだけどね。
942 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 12:16:34 ID:7LbGnWXI
SPは私は誰?を止めた状態だから、私は誰?と問うのはSPが分からない間だけだよ
誰?と問うと、意識が内側に向かう
そのまま問い続けるのは、「誰?」という思考を呼び出してるだけ
もし問い続けるなら、何度か「誰?」と問い続け、次に「誰?」の問い間に意識を向ける
問いから?に向かい次の「誰?」思考に至るまでの間がある
それに気付く
それが私に気付いてる状態
かなあ??ww
?はいいね(笑
?に気付き続けるのが
私!じゃない
SP座ってやるなら目を開けてたほうがいいかもね
歩きはいいけど泳ぎは溺れ死にそうだw
歩きながらやってると行動が機械的な感じしない?
それから、ずーっとSPしてるとしてるのかしてないのか分からなくなるんだよね
エネルギー不足かなあ?
よくわからん
座ってやると、凄い汗
体が熱くなる
944 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 13:05:19 ID:zikfVRKc
>>942 そうでしょ
間が「私」であり、それに注意を向けるのがSP
バーナデット・ロバーツの「自己喪失の体験」読んだんだけど
続刊の「神はいずこに」はどんなもんでしょうか
前著があれば必要ない感じですか?それとも
>>927 真我に関しては観察可能なものはすべて自分(真我)ではないから
観察可能なものをすべて排除して最後に残ったものになる。
だから真我は無・空間・からっぽとか言われる。
指し示すことができない。
ところでSPの気づきに気づくというのは、観照者を観察するのと同じ意味でしょうか?
SPを保ちながら散歩すると周囲の世界が普段とは違って見えるものですか?
>>947 そうです
>>949 世界はいっしょ。内面が変わります
ただSPも深めていくと「全てが気づきの光に含まれる」という体験をするそうです
世界の見え方が変わるかは分かんないです
>>729あたりの文章は、普段よりも周囲から生き生きとした印象を受けるようになる、みたいに読めるんだけど
自己想起とSPは完全に同じものというわけではない?
以上、未経験者からの疑問でした
マハラジの言う「私の在る」という感覚も
SPとビーイングの混ざったようなものに感じるのだけれど…
私は在る」は質問者によって示してる何かが違うみたいだから、読むと混乱してくる
954 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 16:01:53 ID:zikfVRKc
>>951 ハートが開くと世界の見方が変わるかもね。
タバコを止めると食べ物が美味しくなるって言う人がいるけどタバコを止めても食べ物の味なんて何も変わらなかった。
SPもそれに似ている。
自己想起とSPは同じだよ。
ウスペンスキーの文章はちょっと装飾されている気がする
>>949 SPが本当にうまくはまってるときは、一瞬だけど、世界が違ってみえます
以前から知っている場所なのに、まるで初めて来た場所のような錯覚をうけます
3Dっぽく見える?
958 :
956:2009/04/10(金) 22:44:30 ID:RHbiFbaH
>>957 3D?普通に今見てるこの世界は3Dじゃないの?
ごめん、質問の意図がよくわからない
ごめん、ググってみたら視覚は2Dなんだね
べつに3Dにはみえないなあ
どっちかというと夢の中にいる感覚
>>956 あぁ、地元の景色でも、初めて来た外国の感じがするね
>>956 記憶を自己同一視してる執着が無くなるからだろうね
味や音、感覚全てが新鮮になるよ
それが記憶や経験によらないありのままの世界
逆にいうとそういう知覚にならないと方向性がズレてる
962 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 23:38:33 ID:6/HJNVev
教えるのを投げ出した先生の瞑想法を自己流で実践するなんて
あんたたち涙ぐましいね。
>>962 教えるのを投げ出した先生って誰のこと?
>>自己流で実践
悟りにおいて、これほど素晴らしい取り組み方はないよ
965 :
949:2009/04/11(土) 08:00:06 ID:vBORZep4
意味も分からないまま自己想起を少しだけやってみたことがあるんだけど
3Dや外国という言葉を読むと、恐らく私もこのスレの人たちと同じことをやっていたんだな、と思う
ここの話の中で、私は主に新鮮な印象に関する話に関心がある
フォーマトリーアパラタスというグルジェフ用語がある
私は対象に対して感想を持つが、あくまで感想は対象に対する自然な反応であるべきだ、あらかじめ感想を決め付けておくべきではない
ところが普段私がやっていることは、自然な感想を抱くと言うよりはむしろ、
私の中にある既知の感想群の中から対象に見合うと思われる感想を引っぱり出してくる、とでも言うべきこと
先に結論ありき、先に感想ありき、という姿勢
フォーマトリーアパラタスとはこの過程を司っている体内装置のこと
もはや対象は記号あるいは引き金の役割しか果たしていない
こうして対象の新鮮さは失われる
たまにフォーマトリーアパラタス一辺倒の状態から抜け出せることがある
例えば旅行からの帰りに予期せず自分の街に到着したり、街を歩いていたら予期せず鏡に遭遇して自分の顔を見たりする時
どうやら既知のものでも未知のものとして眺めるのがポイントのようだ
自己想起にはこれと同じ効果がある
意図的にそういう状況を設けることも出来る
今でも私はよくやるのだが、バックミラーに映れば街が左右逆になるし、股の下からのぞけば上下逆になる
たったそれだけのことでもしばしばフォーマトリーアパラタスは対応する感想を見つけられなくなり、見慣れた街が新鮮になる
(ただし、最初は新鮮な味わいをつかむためにこの方法を使ってもいいが、いずれは自分の意志だけでこの状態を
生み出せるようにならなくてはいけない、外側の環境に頼る方法はやめなくてはいけない、とグルジェフが言っていたように記憶している)
そういう時は、客観視と言っては大げさかもしれないが、他人の顔を見る時の基準で自分の顔を見ることが出来る
普段は他人の顔と自分の顔を比較することすら出来ないと言っても過言ではない
グルジェフやキリスト教のダブルアテンションは、私と対象の<両方>に対するアテンションを強調する
そこがSPと違う気がするのだがそのあたりが私にはよく分からん
だがこのスレのSP体験談は、私の自己想起の体験と明らかに似ている
初心者がいきなり両方にアテンションを向けるのは難しい
外側の刺激に接するとすぐに自分へのアテンションを失ってしまう
晩年のグルジェフは、まずは自分へのアテンションを確固たるものにするために
家で一人で対象なしで行う準備について話しているようにも思える
968 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 09:41:34 ID:pZ+xDkP9
悟ったら、この景色はもっと綺麗にみえるのに、と思って見るから、普通に綺麗な花も
見るに値しないものになってしまうw
970 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 11:48:45 ID:yVWM9XoI
グルジェフの注意の分割とSPは同じだよ。
日常生活の中でSPをするには外側と内側に注意を分割しなければならないからね。
それにしても、今年ほど桜に対して無感動だった年はない。
実際、ほとんどの人間は桜を見て綺麗だと考えているに過ぎない。
特に年をとればとるほど感じる能力は消え失せている。
女よりも男のほうが感受性は死んでいる。
もともと男の感受性は女よりも圧倒的にレベルが低い。
今年はただ桜を無心で見ていたら自分が何も感じていないということが露呈された。
実際、自分のハートはだいぶ前から閉じてしまっている。
そして99%の人間のハートは閉じている。
感受性なんてないに等しい。
SPをやると世界がウスペンスキーが描写したように美しくみえるか?
見えるわけがない。
世界がどんなに美しくてもそれを感じる機能が死んでいるんだからね。
SPによって余計なマインドが静まると「きれいだ」とか「美しい」といった装飾が働かなくなるのでハートが閉じている人間は自分が繊細なものや美に対しての感受性をまるっきり持ち合わせていないことがハッキリとわかってしまう。
>>970 なんとなくわかるな、その感覚。
それはそうなんだが、仏陀は最後の旅でこの世の美しさを賞賛してる。
そのことを悟った人間はこの世の真の美を見る能力を持つとか言ってる人間がいたが、どうなんだろう?
972 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 12:39:54 ID:RNfo3UdV
結局、津留って誰だったの
>>970 その状態はSPによってもたらされた、ということですか?
975 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 13:47:24 ID:yVWM9XoI
そりゃあブッダはハートが開いてるからね。
この世の美を堪能できるかどうかはハート次第だと思うけどね。
>>974 面白いね。
統合失調症の人はあるがままに見えるのか。
高機能自閉症の人が先天的にワンネスの感覚を持っていると聞いた事もある。
悟りってのもやっぱり脳科学の観点からの情報が欲しい。
977 :
神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 16:01:55 ID:qoFPvAfF
>>970 そっか
SP中は感動なんてないよ
それでいいのか
桜が綺麗に見えないから
間違ってるかと思ってたよ
良かった
SP以前に、桜ってそれほど綺麗じゃないよね
そこらの地面に咲いてるちっちゃい花とかの方が
造形的にはよっぽど綺麗だったりする
桜は派手に咲いてすぐ散るからインパクトは大きいが
>>978 そうか?
桜は桜できれいにみえるけど。
ここを読んでちょっと不思議に思ったんだけど、雑念の話があまり出ないね
瞑想系のことを始めるとまず最初に気づくのは、絶え間ない雑念による妨害だと思う
それともここの人たちはそういう初歩的なレベルは既に越えたのかな
思考から距離をとって思考に巻き込まれなければ雑念があっても問題ない
982 :
神も仏も名無しさん:2009/04/14(火) 15:20:24 ID:qwuVw3IB
思考の渦は消えた。
一度消えると発生しないよ。今は思考の渦を作り出す方が難しい。
>>982 超うらやましい!
そこまでたどり着くのに、どんな修行を何年くらいやればいいんでしょうか?
984 :
神も仏も名無しさん:2009/04/14(火) 18:27:49 ID:HXkrlMwU
>>982 思考の渦が消えたとのことですが、思考はあるのですよね?
ちなみに感情や日常生活はどのような感じなのですか?
985 :
神も仏も名無しさん:2009/04/14(火) 19:47:09 ID:qwuVw3IB
>>983 >>984 >>982=
>>885 >>887 >>893です。
もちろん思考することはできます。
今資格試験の勉強をしてるんですが、以前と比べ物にならないほど頭に入ってきます。
思考が必要な時のみ思考します。
渦巻いてる思考と、思考が浮かんでこない頭でする思考は全く違ったものなので、こんなにあっさりしてていいのかな?という戸惑いもあります。
感情に関しては、焦りや不安が全く生まれなくなってしまったので、「テストまで後何日」というような良い意味で心理的なプレッシャーをかけることもできません。
バスの中で、後ろに座った子供達が騒いでいても、声が大きいのは分かるのに、イライラしません。
こんな感じです。
質問などがあれば、また書き込みさせてもらいます。
>>985 サティーちょっと調べてみたら良さそうですね
僕もある程度までは思考をコントロールできるんですが
なんかあと一歩という感じなんで、ちょっと勉強してみます
>>985 あなたの書き込みを読んで、自分も一度徹底してやってみようかという気持ちになりました
三週間とか五ヶ月みたいに、具体的な期間を書いてくれているのが心強い
実践すると分からないことが出てくると思うのでまた質問させてください
>>985 感情面がなくなると、目的意識や熱意のようなものもなくなりませんか?
あなたの場合、資格試験に対してとか
そういうのはどうなのでしょう?
990 :
神も仏も名無しさん:2009/04/15(水) 21:37:50 ID:gMaSJcDb
>>988 私でよければ、応えられ範囲で書き込みさせてもらいます。
>>989 モチベーションは無いです。維持しようとしたり、高めようとする何かが無くなりました。
目的意識も熱意も精神的な働きですよね。
そういう動きが抜け落ちてしまって、ただ「する」感じです。
他人に良かれと思ってやってるはずのことでも、どっかで心のエゴというか、単なる傲慢さからくる優越感の快楽を味わいたいがための行動だったってことあるな。
難しい。人のために何か忠告するとか、間違ってるんだろうか。
イエスは自分の目に丸太ついてるのに人の目のおがくず取ろうとするなって言ってたね。やっぱそういうことなのかなあ。
でもあまりにも酷いこといったりやったりしてるひと見ると忠告したくなっちまう。
みんなはどう?
>>990 そのときただ「する」のは何故(何のため)なのですか?
何もしなくてもいいのに、ただ何か「する」のですよね
生きてるため、とりあえず今、肉体を持っているためですか?
かりにそうであるとしても、さまざまな選択支がある中から、とりあえず何かを選んでいると
いえますよね
その基準というか拠り所は何なのでしょうか?
自然体とかある種直感めいたものですか?
というのも自分もそういう状態を知っているので同じような状態を知っている方の内面を聞いて
みたいのです
その状態は自我の消失、つまり空性(あらゆるものは同じであり実体はなく中心も境界もない)
の体得かと思うのですが、その先についてはどう思いますか?
>>991 忠告したくなる
というか叩きのめしたくなるw
あなたの言うとおり優越感に浸りたいだけだと思う
人を変えたいと思うのは、自分の方が偉い、賢い、優れていると思ってる証拠だし
未熟だね、お互い
相手が情報を求めているときにだけ話す。
聞く意思のない人に何を話しても意味がない。
聞いているふりをするだけだから、聴く意思のない議論は不毛だなーと思う。
>>985 ギャンブルには使えますか?
ポーカーで駆け引きに弱く、いつもかもられる俺はそういう冷静さを身につけたいのですが。
>>990 ふと疑問なんですが、じゃあどうして資格の勉強なんてやってるんです?
ただ生きるだけなら、資格なんか必要じゃない仕事はいくらでもあると思いますが。
上座部仏教の阿羅漢、仏陀の悟りと同じ境地に達したとされる人間は、そこに達すると俗世間では生きていけなくなるそうです。
托鉢でご飯をもらえれば食べるが、もらえなければそれでいいのでそのまま餓死してもなんとも思わなくなる。
だから、托鉢で布施させてあげて徳を積ませてあげる、そういう他人のためというような動機がないと生存すら放棄してしまうから僧院に入るしかないのだとか。
そういう悟った上での無気力みたいなのは無いんですか?
998 :
神も仏も名無しさん:2009/04/16(木) 23:05:31 ID:EzlHAVDl
似非マスターの登場ですか。
「悟りに関する」知識だけでどこまでフリを続けられるかな?
ウフフ
999 :
神も仏も名無しさん:2009/04/16(木) 23:06:31 ID:EzlHAVDl
うめたれ
1000 :
神も仏も名無しさん:2009/04/16(木) 23:07:39 ID:EzlHAVDl
終了〜
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。