☆モーセは、「もし人が、非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も罪を犯さずにいられるなら、
その時はじめて救われる」と書いています。
しかし、信仰を通して与えられる救いは、こう教えてくれます。 「あなたは、キリスト様を見つけようと天を捜し回る必要も、
助けていただこうと引き降ろす必要もない。」
また、「キリスト様をもう一度復活させようと、死人の中を歩き回る必要もない。」
というのは、キリスト様を信じることによって与えられる救い〔私たちが宣べ伝えているのは、まさしくこの救いです〕は、
すでに、私たちのすぐ手の届く所にあるからです。 実際それは、自分の心や口のように、すぐ近くにあるのです。
なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、
自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、
救いを確実なものとするからです。
聖書は私たちに、「キリスト様を信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。
この点では、ユダヤ人もそれ以外の外国人も同じです。 同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、
ご自分の宝を惜しみなく与えてくださるのです。主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。(ローマ10-5:13)
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☆神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3ー16)
☆口でイエスは主(しゅ)であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から 復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるからです。(ローマ 10:9-10)
そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、 神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、
ほんとうによくわかってきました。
あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、
イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。
このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、
巡回されました。
わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。
人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。(使徒10:34-39)口語訳
しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに
現れるようにして下さいました。わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。
それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、
またあかしするようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。 預言者たちもみな、
イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった。(使徒10:40-44)口語訳