高橋信次肯定スレPART6

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301神も仏も名無しさん
インチキUFO写真展
http://homepage3.nifty.com/hirorin/ufofakes.htm

非おすすめUFO本
http://homepage3.nifty.com/hirorin/ufo2.htm

飛鳥 昭雄の大真実
http://www2.plala.or.jp/daisinjitu
インチキUFO写真展
http://homepage3.nifty.com/hirorin/ufofakescontactee.htm
ジョージ・アダムスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
アダムスキー問題
http://www.h6.dion.ne.jp/~add3/sociology/adam.html

これは読み応えある
302神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 11:27:54 ID:MvT7VZti
http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakusemi/No6.html
アダムスキーが有名になるきっかけになったUFOコンタクト事件ってのが、いま見てみるとすごい面白いんですよ。どんな事件だったかというと、一九五二年のある日、カリフォルニアの砂漠をうろうろ歩いていたアダムスキーは……って、

いきなり冒頭からすごいですよね。「砂漠をうろうろ歩いて」いたんですよ、よりにもよって砂漠を(笑)。そうすると目の前に突然円盤が降りてきて、中からメタリックなスーツに身を包んだ「オーソン」という金髪宇宙人が現れまして、
「ハーイ」とかなんとか挨拶したという、

なんか荒野でインディアンと出くわしたようなコンタクトを果たしたわけです。

オーソンはサンダルを履いていたらしくて、UFOが去った後に地面を見てみたら足跡が残ってたんです。「これは貴重だ」と思ったアダムスキーは、

その足跡を「たまたま持っていた石膏と水で」型取りしました(大笑)。

砂漠をうろうろ歩いてるわ、偶然石膏と水を手にしているわ、無理があるよなあ(笑)。その石膏型を「これが金星人オーソンの足跡だ!」と発表して以来、

アダムスキーはどんどん有名になり、やがてはUFOに乗って火星や金星に旅したり、土星人と会ったり、月の黒い部分にある森に入って月面動物を目撃したりと、

ものすごい体験談をするわけですね。アダムスキー本人によって設立された「GAP」という後援団体があって、これは日本にも支部を持ってるんですけど、
日本支部だけで六〇〇〇人ほどの会員がいるようです。

「いくらなんでも火星や金星に人は住んでいないでしょう」との突っ込みに対しては「いや、アダムスキーはわれわれを試そうとしているんだ。現代科学が否定してもわれわれは彼を信じている。
いまは試練の時だよ」との答えを返しているようですね。会誌も発行してたりして、結構力入ってます。
303神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 11:34:36 ID:MvT7VZti
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html
2.大乗仏教運動の改革者たちの主張とその理想像

大乗経典に書かれている事柄から、大乗仏教運動の宗教改革者たちが、伝統的仏教の何に反逆したかを調べてみると、伝統的仏教の僧たちが自らの修業と悟りを究極的な目的にしていて、大衆の救いにあまり関心を持たなかったところにあることが知られます。
この経典の著者たちは、自分自身の救いを後回しにしてまでも大衆の救いの為に生きる、そういう仏教徒としての期待される理想像を、新しく創作した経典に登場させるのです。その理想像が「ボディサットヴァ(菩薩)」です。

ボディサットヴァ(菩薩)とは、もともと、悟ってブッダになる前の求道者のことを指しますが、新しく創作された大乗経典の中では、大衆の救いの為に生きる理想的ヒーローとして登場するのです。観音菩薩とか弥勒菩薩とか、何百何千の菩薩が大乗教典のなかに登場しますが、

それらはすべて創作上の架空のヒーローです。

大乗経典とは、つまり、真の求道者とはいかにあるべきかを示す理想像として架空の主人公たる菩薩たちが活躍する一連の創作物語なのです。
>>303
まず、内容からして、目茶苦茶wwwwww


日蓮系列ってさ、バカ!

305破壊活動犯罪者カルトオウム創価教SGI八百長選挙自民党ハンター:2008/11/15(土) 19:40:40 ID:Gj8uCJDv

仮面ライダーのデルモもばぁかでしか?

聖者とよばれかけたこともある男もヴァーカでしゅか?
306嘘田ダイクサ(ナル・イケダ=アル・カイダ):2008/11/15(土) 19:48:55 ID:j3MYHfzJ
>>305
妄想の産物であるホケキョーなんか一度読んだだけで中身無しだと理解してしまったんだけど、
軒並みカルト認定されている日蓮系列のバカどもには、こんなもんですら皆目理解できないんだってなw

もちろん、日蓮では理解すらできない。理解すらできないままで処刑されてしまったバ〜カだったんだけどさw
307ハンターを半田付けにする:2008/11/15(土) 21:34:04 ID:Gj8uCJDv
リチャード.コシミズも妄想ヴァーカだっぺか?

308神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 21:48:47 ID:4TXphf5j
>>303
大乗経典は空想の物語だけど、本来の意図する処は
神の存在と、永遠の生命の肯定なんだよ!
それを伝えたくて、おもしろおかしく物語を創作したのさ・・

そんなの一々批判する必要もないし、方便として許容範囲内だよね。
>>307

そいつは工作員ですよ。
アピール力が弱すぎるから全く知らないが、いったいどういうスタンスの工作員?w

マスゴミやゴウム員の妄想の方が、妄想基盤ならば悪辣でしょうに!

ところで、あんたさあ、Kのとこ邪魔すんなよ、大人しくしてんだからさあw

>>308

そこはホケキョーカルトの仏教無知のサイトみたいですね。アホがうつると嫌だから、得体の知れないトンデモ捏造説なんか知りたくもないけどねw

そのカルトサイトの下心は、
意図して大乗仏典の既存価値を下げたいみたい。
マジでアレ書いていたら、気違いDQNでしゅよ(*´∀`*)

ホケキョーは仏典としては最悪だ。
ホケキョー自体は、書き換え工作を既に受けた贋作仏典として存続しているように思われる。

馬鹿には理解できないだろう。信仰のない生臭さカルト坊主には、意味が分からない筈だ。

ならば当然、日蓮や日蓮系列カルトの詐欺教祖らみたいな、
特段に頭の弱い落ちこぼれの精神病者らには、
概要すらも理解できやしなかったのさ。
それが手にとるように分かるという代物が、ホケキョーというワケなのね〜〜〜o(>▽<)o

312神も仏も名無しさん:2008/11/16(日) 21:08:36 ID:YI0Y7hix
ホケキョーとは唯物思想を否定して生きよと教える方便論に過ぎないのだ。
朝から晩までぼんぎょうしたって無意味でバカ丸出しなんだけど!
>>312
うんうん、正しく「ぼんぎょー」だよねw

日蓮と日蓮尊師カルトたちは「ホケキョー=題目」としてしまったじゃん!w

でも、コレやっちゃうとw、ホケキョーが禁じた書き換えと同じになってしまうんだよね〜w

あ〜あ、やっちゃったよ〜w

日蓮尊師は、ホケキョーの意味が何も分かってないもんだから〜〜〜!wwwwww

日蓮尊師って、どんだけ馬鹿だったんだよ〜!wwwwww

経典の意味をごっそりと排除した「題目」って、ボンノー丸出しじゃんか〜wwwwww

だから地獄に堕ちてしまったワケなんだけど〜wwwwww
314神も仏も名無しさん:2008/11/17(月) 07:45:17 ID:J1VoQcxq
ここって、相当病んでるなあ
>>314

糞価学会じゃあるまいし、病んでなんかいない。

能無し低IQがホケキョーを利用して「虎の威を借るキツネ」をしたところで、
本性の能無し馬鹿っぷりを晒してしまうだけだと、
馬鹿にしているだけだからな!


池田犬猿チョン穢多犯罪者の創価(=朝鮮総連、テロ支援団体)は、
牧口北条と暗殺して味を占め、
日蓮正宗僧侶66代目の日達も暗殺したのかなあ?wwwwww

  ∧_,,∧ ウェーハッハッハ
  < `∀´ >
  (    )
  し―-J
>>314

「事務次官を始末した『真犯人の顔マデ熟知している大澤という辞め検悪徳弁護士』が、オウムのTBS(666)」で揉み消しに必死wwwwww

小泉首班指名手配だけじゃなく、中曾根がらみかよw

やはりこの事件の真犯人グループは、複数の創価系警察官でデフォルトだったか!w

そら、ミタことか!wwwwww
317神も仏も名無しさん:2008/11/24(月) 23:10:18 ID:QyqWvdS/
>>316
犯人捕まったじゃん・・
なにごちゃごちゃ云ってるんだかwww
318嘘田ダイクサ(ナル・イケダ=アル・カイダ):2008/11/25(火) 20:42:05 ID:AbT4mKlT
>>317
それから出したものだろが、スカポンタンだね〜アキメクラ!w



ゴイムは口封じされる契約下にある多重社員だから、契約上の事故

そうした計画が計画通りに遂行させる為です
わかりやすい回答だし、そのまんま東でしょ

官僚はゴイムだから始末されるのは当然の義務を負っているだけのこと。

禁忌なゴイムが何人始末されたところで、この部品交換には、なんの影響もないことは自明。
使い捨てB創価ゴイムの部品交換(高官)など、太したことではなく、多田の日常茶飯事だから、大勢に影響すらもない。

さてと、
小泉純一郎と竹中平蔵が伸一犯人だが、天誅口封じは何時もやって来た公務だから、太したことはない。多田の寿命だ。

人生エロエロなのだから、タイしたこと、ですらない。多田の自業自得だ。

黒幕屋の陰謀を隠すために自首して来た在日のニセ半島犯人が、事故の本名を間違えたことは聞き流しておくら、大倉商事ショッカーw
319神も仏も名無しさん:2008/11/26(水) 03:44:53 ID:fRI2VbdL
猫だよ、ね〜こ・・
猫殺された逆恨みに決まってるじゃん・・
なにごちゃごちゃ云ってるんだかwww
320嘘田ダイクサ(ナル・イケダ=アル・カイダ):2008/11/27(木) 21:06:06 ID:O5fSxEAE
>>311

糞価学会SGIと統一協会とカルトのご主人様を印した、映画である、
『OMEN』21時からしゃべる666の獣であるゴイム放送業界のテレ東系で始まるよ


秘密結社イルミナティ・フリーメーソンらが企図して来た世界支配と全人類ゴイム化計画がNWO。

このNWOという陰謀実現の為には、手段を選びなどすらもしない秘密結社。

気違い精神異常者のNWOカルトらが繰り返して来た、殺害手法と殺害のキッカケを、是非、この映画から読み取って欲しい!

666ダミアンは子供=チャイルド→そして、ロス チャイルドらだ。

NWO気違い悪魔崇拝カルトらは、歴史を通じて、秩序や正義と権力、文化、人命、その他もろもろを根こそぎ踏みにじっては、滅ぼして来た。

このNWO暗黒ネットワークらの闇と、闇討ちを繰り返す企図とを、感づき伺わせる為にはギリギリでの設定だ。
だからだ、とは言いたくないけれども、そこには同時に、嘘も、矛盾も、無理も混ぜられている筈だ。

ならば、虚実が悪意で混在されていようとも、
彼ら悪魔崇拝の気違いNWOカルトらの実態や手口とは、
果たして、何であり、どれであるのかを、騙されない様に、
注意深く、是非、見抜いて欲しい。


Free Mathon → eMon → OMEN⇔rOMaN cATHOric=free mATHOn
321神も仏も名無しさん:2008/11/28(金) 03:08:58 ID:KKpjse1q
>>315
アンタさ、エル・カンターレつー名称は、カルト千乃裕子の創作物なんだけど、、、
アンタのことを「エル・カンターレ」つーて呼んでた人がいるつーけど、そう呼んでた
人はアンタのことを「賢者」と思って呼んでたんじゃなくて、千乃裕子にかけ合わせて
「バカ・アホ、トウヘンボク、低脳の妄想狂」つー意味で呼んでたんと違うか?wwwwww
そんな名称で呼ばれて「賢者」だなんて思い込んでるつーのは、自分で「俺はバカ・アホ、
トウヘンボク、低脳の妄想狂」つーてることで笑えるwww
痛い香具師だなwww
>>321

キッチリと記録を調べ直してからホザキな!、無知蒙昧のしったかぶりのメクラ愚民よ




323神も仏も名無しさん:2008/11/30(日) 05:04:50 ID:WuvqxYlz
>>322
>キッチリと記録を調べ直してからホザキな!

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A
B%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AC
「エル・カンターレは天上界に存在する意識とされ、その名称は千乃正
法[1]の教祖である千乃裕子が1つの著書で用いているが、後に幸福の科
学の教祖である大川隆法が多数の著書で使用している。千乃は自身の父
の名としており、1977年に出版された千乃の著書には「エル・カンター
レ伯」という呼称が用いられている[2]。」

この事に気づかずに、ハンドルネームに「エル・カンターレ」の名称を
用いるおまえも、大川隆法と同じで「裸の王様」
「違う」つーんだったら、ウィキペディアを編集してみせろや!
できないだろ?ワハハハハハハハwwwwww「裸の王様」www
ww
俺だったら恥ずかしくて名乗らんわwwwwwwww
324神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 05:03:42 ID:5k5Ibr5M
325神も仏も名無しさん:2008/12/03(水) 06:13:36 ID:pcRjpoBc
>>320
1行ずつ開けて書くのは昔の「パソコン通信」の時代に
存在した慣習だと聞いたことがあるけど

あなたもそのタイプ?
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
●プロローグ ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
 ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
私がG○Aを離れるようになってから、半年以上が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
経ちました。この半年の間に知り、学び、体験し、考‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
えたことをもとに、今の自分の考えを形にしたいと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
思います。私自身、日々変化していると思いますので、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
この文章は、写真のように、ある瞬間の私の思考の‌‌‌‌  
断片のようなものになるでしょう。
この文章は、今なおG○Aで活動しているメンバーの方
たちへのメッセージとして書きたいと思います。
本文に入る前に、私の身上を明らかにしておこうと思います。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私は2001年に関東圏にある大学に入学し、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
まもなく、既にG○Aのメンバーであった知人の紹介により、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
その大学にあるG○Aの伝道部署としての勉強会サークルに‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
参加するようになりました。もちろんその時点では、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
その知人やサークルがG○Aと関係があることは知る‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
よしもなかったわけですが。そして、同年秋のヨーロッパへの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
家族旅行をきっかけに、サークルの先輩メンバーから聖書を薦められ、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
バイブルスタディーを学ぶようになりました。翌2002年3月から
サービスに出るようになり、G○Aのメンバーとなったわけです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○A在籍中は、関東G○A全体のコーラス部署‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
「コーム芽音」や、教会の聖歌隊、教会の伝道部署とし‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
てのゴスペルサークルの中心的学生運営メンバーとして、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
おもに賛美の使命分野で活動をしていました。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
そして2004年3月、家族と専門家の説得を受けて‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aの問題点を認識し、G○Aを脱退しました。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aを離れてからは、一般的なキリスト教の教義を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
知っておきたいと思いました。 
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
そこで、紹介していただいたキリスト教の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
牧師さんに、週に1・2度のペ―スで数ヶ月間、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
正統なキリスト教の教義体系やその信仰活動につ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
いて話を伺い学びました。また、「宗教」というものが‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
どういうものなのか知る必要があると思い、宗教に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
関する知識書を数冊読み、四大宗教をはじめとした‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
世界にある宗教とその教義や信仰活動の比較における‌‌‌  
性格・特徴を学んだり、現代の宗教や新興宗教の特徴や、
またその現象における問題点について学んだりしました。
また何人かの現代の哲学者、思想家、社会学者、
有識者などの著書を読んだりもしました。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
そのうえで現在の私は、いかなる宗教団体にも所属していませんし、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
特定宗教の信仰をもって生活しているわけでもありません。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、その他の社会的な思想活動にも関与していません。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
今の私は、「神」という存在を肯定しているわけでは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ありません。が、かといって無神論者のように神の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
存在を否定しているわけでもないのです。正直のところ、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
「神がいるかいないかは、わからない」というの‌‌‌‌‌‌‌‌  
が今の結論です。もし、そういった存在がいるのであれば、
素敵な方ならいいなぁと願うところですし、もしいなくても
私自身で生きる意味を見いだし、豊かに生きる自信があります。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私も2年間、G○Aで信仰生活を送っていましたので、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
神様とともに生きることの素晴らしさを知っています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
ですから、信仰者の方たちの思いは少なからず‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
理解しているつもりですし、宗教や信仰活動の意義‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
を否定するつもりはありません。今の私は信仰の内には‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
ありませんが、人生のいつの日にかまた何かしらの信仰を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
持つことがあるかもしれません。また、一方では合理的・‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
論理的に物事を考えることの大切さも知っています。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私自身は、G○A(という集団組織)の味方でもなければ、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
敵でもないつもりです。ただ2年ほどの間、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aに携わった者として、G○Aの動向には‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
大きな関心があります。それは、G○Aを通して‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
出会った人たちが今もG○Aで活動しているからです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
私はいつでも彼らの力になりたいと思っています。また、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
当時出会わなかったとしても、G○Aに携わるようになった‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
多く人にも同じくです。それは、彼らには自分らしく豊か
に人生を送ってほしいからです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
そのためには、G○Aの内側からの情報だけではあまりにも不充分で、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
もっと様々な視点からの情報に触れる必要があると思います。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
この文章はそういった様々な視点の内のひとつとして‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
知ってもらえればと思います。G○Aを離れた人た‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
ちも様々で、G○Aとの出会いや関わり方もそれぞれ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
違いますが、離れた理由も多様です。G○Aの問題‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
性を示す情報に触れて離れた人もいれば、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aでの活動が合わなくて離れた人もいるでしょう。
G○Aに対して腹立たしく思っている人もいれば、
G○Aでの活動はそれで良かったと考えている人もいます。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aのこれからの動向を積極的に見守りたいと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
思っている人もいれば、もうG○Aとは関わりたくはないと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
考えている人もいるのです。ですから私の文章がG○Aを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
離れた全ての人たちの考えを反映することはできません。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
あるひとつの、G○Aの外の「このような私」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
という視点からの考えとみていただきたいと思います。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
しかし、そこにもG○Aをより捉える新しいヒントがあると思うのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
私個人には、誰か他の人の人生を操作できるような
力はありませんし、しようとも思いません。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ある人がどのように生きるかという人生の道を選ぶ自由の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
権利は、その人自身にしかありません。しかし、その‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
自由の権利には、「多角的で公正で十分な情報と‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
冷静な判断の上で」という前提が必要だと思います。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
この文章が、G○Aで生きるということに対して、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
正しい前提のもと人生選択の自由権利を再び見つめな‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
おす機会と助力となることを願います。その上でなお‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aを選ぶということなら、私はその人の意志を尊
重するつもりです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私自身は、数年間という限られた期間に、日本の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aの関東という限られた地域を中心として活動して‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
いました。ですから、教主国である中国やその他の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
海外の活動についてはよく知りません。この文章は、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
2001年ごろから2004年初旬までの日本G○A‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
(特に関東)での活動内容をもとに記すことをご‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
理解ください。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、私は宗教や社会といった分野に精通した
専門家ではなく、ただの一学生ですので、
不充分な知識で、意に沿わず間違った内容を
記してしまうかもしれません。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ただ、私はG○Aにいた期間には、家族や知人や新入生たちに、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
はかりごととして意図的な嘘を話してきた‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
苦い経験がありますので、G○Aを離れてからは、特にこの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
問題に関しては、意図的な嘘をつかないようにしようと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
考えています。ですから、できる限りの信憑性ある‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
情報と考察をもとに、この文章を記す努力をしたいと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
思っています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
長い前置きとなりましたが本文へ入ります。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
●内から見る、外から見る‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
 ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aで活動されているメンバーのみなさんは、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
既にG○Aを離れた人(つまり元メンバー)に出会ったこと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
や話をしたことはありますか?また、それらのG○Aを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
離れた人たちに対してどんな印象を抱き、どういった‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
感情をもちますか?私は当然、G○Aを離れた‌‌‌‌‌‌‌
今も大学に通っていますので、ほぼ毎日、誰かしら
教会のメンバーに会います。顔を見かけるだけの
時もありますし、挨拶をする時もありますし、
ほんのたまには世間話をする時もあります。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私個人の勝手な観察によるものですが、そんなとき、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
メンバーの人たちはだいたい大きく分けて2つの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
タイプの対応を見せます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
一つは、哀れみをたたえた眼差しを投げかけられます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
とくに社会人メンバーの方が多いかと思います。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
たぶん、長い信仰生活の中で、幾人かの、または多くの、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aを離れることになった人たちを見てき‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
たからでしょうか。そのなかには苦しみながら
G○Aを離れる決断をした人がいたかもしれません。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また一方では、敵意と憎悪の念をうかがわせる対応も‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
あります。視線があったのにプイッと顔をそらさ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
れることがあります。これはなかなかショックです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
信仰歴のまだ短い若い学生メンバーが多いでしょうか。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
彼らは誰かがG○Aを離れるという経験をまだ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
あまりしておらず、共に近くして活動していた私が抜け‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
たことによって、彼らの信仰心へのマイナスの‌‌‌
影響が大きいからかもしれません。
もちろんこういったふるまいはその人の性格による
ものが大きいですから、一概に信仰歴だけで大別
できないものですが、そういった印象を受けること
が多いということです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私はこれらの2タイプの対応に対して理解を示すこ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
とができます。なぜなら、それらはG○Aの中で私自‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
身もそのように教わったからです。G○Aでは、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aを離れた人たちはこの時代にもたらされる完全な救‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
いを逃した者であり、再臨のキリストと神の意思に反した‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
裁かれる者と教えます。また一方で、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aを離れた者は、サタンに心を奪われ、再臨の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
キリストとこの時代のG○Aを攻撃し迫害する
憎むべき存在と教えます。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私自身もG○Aにいた頃には、G○Aを離れる人たちに‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
対して、神理を理解できずにかわいそうな人たち‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
だと思っていましたし、顔も合わせないようにしていました。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aでそのように教わり、そのように思って‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
いた経験があるので、出会ったメンバーがそのように‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
対応することはよくわかります。理由がわかるので、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私としてはそういった対応に怒りを覚えたり、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
敵意をもつことはありません。 
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
このようにG○Aの内側からG○Aの外を見たときには、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aを離れた人たちに対して、救いを逃し裁きを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
受ける者やサタンに奪われ迫害する者と認識したり、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
キリスト教の牧師や神父たちに対して、二千年前‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
にイエス・キリストを無知のために理解できなかった‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
律法学者たちのように、再臨のキリストを理解でき‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
ず迫害する者と認識しています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
しかし、そのような認識は果たして当たっているのでしょうか?
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aを離れた人たちは当然、新たな生活を豊かな‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
ものにしようと精一杯それぞれ頑張っています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
その新しい生活の大部分をG○Aの妨害のために‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
つぎ込むことは、正直無理が多いでしょう。多くの人は普段、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aのことなど気にせず、それぞれの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
生活を送っているのです。G○Aの動向に対して積極的に見守‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
ろうという人たちも、自分たちの生活での‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
余裕となる部分を利用しているのです。
教主国である中国ではアンチG○Aの団体が
組織されているようです(どのような活動をしているかは
私は知らない)。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
しかし、日本にはそのような‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
アンチG○Aの団体はありません。あるのは、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aを離れた人たち‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
の連絡と相談(脱会相談もしている)のための‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
インターネットサイトです。ここでの多くの人は、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aの内に居ては知ることのできない情報や‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
問題点について、多くの現役メンバーや新入生たちに
知ってもらいたいと考えて、アピールしたり相談に
乗っているのです。また、過去に共に活動したメンバーたちがいつ
も健康で幸せであることを願い、心の隔たりなく
再び会うことができることを望んでいるのです。
本気でG○Aを破壊しようと日々熱心に活動
している日本の元メンバーなどいるのでしょうか。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、キリスト教の牧師や信者の方たちについてですが、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
正直のところ、ほとんどの人たちがG○Aの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
存在すら知らないでしょう。これは世の中一般についても‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
同じで、大多数の人たちはG○Aを知らないのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
もしかすると「神○会(G○Aの旧名)」と聞けば、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
わかる人がいるかもしれません。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
数年前に週刊誌で取り‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
扱われたからです。それでもわずかの人数でしょう。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
それは、社会に対してG○Aが正体を明らかにせずに‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
活動しているから当然のことです。ですから、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
二千年前イエス・キリストが活動していた時、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
イスラエル全域においてあったと聖書に記されるような‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
社会全体の混乱や波紋は、20年の活動を経た‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aにおいては世界規模で見ても、全くといっていいほど‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
起きていないのです。むしろ社会的知名度で言えば、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
同じく韓国発のキリスト教系異端新興宗教である
統一協会の方が格段に大きいのです(社会的問題も大きいようだが)。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aについて知っているのは、G○Aの元メンバーや‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
元新入生やその家族など直接的にG○Aに関わった‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
人たちと、現代宗教を研究し宗教に精通している‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
専門家の方たちぐらいではないでしょうか。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
確かにキリスト教はG○Aを異端指定しているようです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
しかし、その理由はG○Aの側が考えているよう‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
に、G○Aの教義の次元があまりにも高度で‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
理解できなかったり、G○Aの影響力があまりにも大きくて
キリスト教が飲み込まれてしまう恐れがあるからでは
なさそうです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ちなみに、G○Aで教えられている‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
「三分説論」や「比喩による聖書解釈の方法」や‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
「エデンの園でのサタンとエバの淫行による堕落論」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
などなどといった教義は二千年近くに及ぶキリスト教発展の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
歴史の中で既に生まれ存在していたものです。キリスト教の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
教会の主流は二分説論ですが、三分説論を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
主張しているところもあるそうです。また、比喩などに‌‌
よる非科学的奇跡を否定する合理的聖書解釈は自由主義(リベラル)
神学として19世紀後半から20世紀初頭にかけてドイツなどを
中心に栄えましたが、信仰が骨抜きとなっていると
福音派からは見られています。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
18世紀にはスウェーデンボルグという宗教家が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
霊界探訪や神秘思想といった霊的体験を主張‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
し、その流れは20世紀に再臨思想の高まっていた‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
韓国に入り、神秘神霊主義(混淫派)という流派を生‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
み出します。この神秘神霊主義教団の核心的思想が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
サタンとエバの淫行による堕落説です。G○Aの教‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
義の大部分はすでに歴史上存在しており、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
キリスト教側が理解できないものではないようです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
(文化や思想というものは歴史の積み重ねでできて‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
いるものだから、ここでの議論はそれら教義の良し悪しにつ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
いてではなく、過去にもあったという実証についてである)。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
また、前述のように、G○Aの伝道におけるキリスト教への‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
影響力はほとんどないのです。ではなぜキリスト教はG○Aを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
異端指定しているのかと考えると、キリスト教の考える‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
異端の枠組みにG○Aが当てはまっているから、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
正確には、キリスト教の考える正統の枠組みから外れながらも
キリスト教かのように振舞っているからということではないでしょうか。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aにおける異端の概念は「1、神様とキリストを否定する」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
「2、キリストが肉体を取ってこられるのを否定する」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
というふたつです。逆にこの反対の内容を満たすものは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aにとって正統だということです。比較的アバウトな‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
表現に思えます。しかし当然ながら、この内容はキリスト教が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
言う異端の概念とはちがいます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
キリスト教の核心的教義は、「父・子・聖霊、三位一体の神を崇める」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
ことや「十字架にかかり亡くなり復活したイエス・キリストを
信じることで救われる」といったことだそうです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
キリスト教には様々な教派があり、それぞれ細部においては‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
主張の違うところがありますが、核心的教義においては‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
一致しているのです。あえて大ざっぱな表現をしてしまうと、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
核心的教義を周到しているなら正統なキリスト教の枠組みの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
内にあるのです。G○Aの教義では、三位一体は意識方向の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
上での一致であって別の存在であることを主張していて、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
特に神を男性体、聖霊は女性体と分離しています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
キリスト教では、父なる神・人の形を取られた神イエスキリスト・‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
もうひとりの助け主である聖霊はそれぞれ表される形態は‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
違いますが同一存在であって、ましてや聖霊は女性体ではないのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
また、G○Aではイエス・キリストはその救世主の使命‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
としては失敗し(少なくとも達成ではない)、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
そのため再臨のキリストが現れると主張しています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
キリスト教では、十字架という贖いとして亡くなった‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
イエスが復活する奇跡にこそ救済の意味を持つのです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
このようにG○Aの教義は、キリスト教の核心的教義とは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
大きく異なっています(私はどちらの聖書解釈が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
正しいのかということは問題にはしない)。G○Aは、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
キリスト教がこれをもってキリスト教と名乗るという‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
正統な枠組みからは外れているのです。しかし、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aはクリスチャンであるかのように振舞っています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aでは新入生に対して、指導者や講師やメンバーを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
証しする際に、クリスチャンであると伝えています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、ある情報によれば韓国でのG○Aの登録名称は‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「国際正法連合」だそうです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
ある団体にとって、自分たちの考えとは大きく違う‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
考えが自分たちの名を語り、広まっていくことを防ご‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
うとするのは当然のことだと思います。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
キリスト教はG○Aを攻撃するために異端指定しているわけではなく、自分たちの正統性と権利を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
守るために行なっているのでしょう。仏教やイスラム教といったキリスト教を名乗らない‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
異なる教義に対して、キリスト教が異端指定したりするでしょうか。現に、聖書の言葉を引‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
用しているキリスト教ではない宗教団体も多いのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
また、もう一つキリスト教の牧師の方たちが危惧しているのは、充分に宗教に対する知識のない若者‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
を中心とした人たちが、破壊的カルト宗教と呼ばれる本来の目的を明らかにせずに勧誘し信者にする新‌‌‌‌‌‌‌‌
興宗教団体によって、彼らの信教の自由が奪われているという現象に対してです。(カルトとは、本来は
儀礼、崇拝、熱狂などの意味をも言葉で、何らかの強固な信念、思想を共有し、その信念に基づいた行
動を熱狂的に実践するように組織化された集団のことを指す。その中で特に、真の活動目的を隠し、自
らの利益追求のためにあからさまに欺瞞を行う反社会的な集団のことを「破壊的カルト」と呼ぶ。)
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aがどれだけスポーツや文化活動をして健康的で、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
メンバーが活き活きと喜んで生活していたとしても、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
背後にある宗教団体の存在を明らかにしないサークル‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
での伝道活動をしているので、破壊的カルトとして‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
取り扱われているのです。サークルに参加する新入生たちには、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
どのようなサークルに参加するのかを選ぶためにその‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
団体についての充分な情報をあらかじめ得る‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
権利がありますし、バイブルスタディーを学ぶ
新入生にもどのような思想を持つかを選ぶために、
その団体についての充分な情報をあらか
じめ得る権利があるのです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
残念ながら、G○Aの手法は彼らの選択の自由や‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
信教の自由を侵してしまっているのではないでしょうか。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
牧師や宗教の専門家の方たちは、人々の信教の自由を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
守る目的で、G○Aを含むいくつかの新興宗教団体の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
活動を問題視しているのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
このようにして考えると、G○Aの内側から見える外側と、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
実際のG○Aの外側には大きく違っているよう‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
です。どうしてこんなにも認識に差があるのでしょうか?
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
●自分とよく似た他人:‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
 ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
突然ですが、「統一協会」って知っていますか?‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
統一協会とは正式名称「世界基督教統一神霊協会」という、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
1954年に韓国で創設された宗教団体です。教祖は‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
1920年、朝鮮半島生まれの文鮮明という男性です。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
聖書をもとに統一協会が作った「原理講論」という 
教義体系を記した文章を教典としています。
正統なキリスト教からは異端指定されています。
韓国、日本、アメリカを中心にして世界中に多くの
信者が活動しています(自称、世界137ヶ国で300万人、
日本で47万人。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ある外部研究者による推測では、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
日本で数万人、韓国で5000人、アメリカで2000人、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ヨーロッパ全体で1000人という信者数)。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
日本では90年代に桜田淳子や山崎浩子といった有名芸能人の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
入信や「合同結婚式」でマスコミの話題となり、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
社会的に広く知られるようになりました。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
合同結婚式というのは、統一協会の教義上、完全に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
罪を超越した教祖文鮮明氏によって信者の結婚のペアが
決められ、数百組もの新郎新婦が教祖のもと、大々的に
結婚式をあげるというものです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「血分け」といって聖血を持つ教祖が女性信者に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
対して性行為を行うことで、「穢れた血」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
を抜き取り「清い血」に換える‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
という儀式にもとづいているそうです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
統一協会が指摘される社会的問題にはまず、「霊感商法」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
による資金集めがあります。信者の不幸を先祖の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
因縁のせいとし、壷や多宝塔や印鑑などを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
高額で売りつけるものです。また、修練会として
数百万もの高額や全財産の献金を要求します。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
そして、信者は住宅地をまわり造花やタオルなどを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
売って教団資金を集める「マイクロ隊」と呼ばれる‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
厳しい奉仕活動を長期間にわたり課せられます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
これらのことから、あちらこちらの被害を訴える‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
元信者たちに法的訴訟を起こされていて、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
日本で大きなものは90年代後半からの一連の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「青春を返せ裁判」と呼ばれるものです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
このときの判決では、元信者らの献金・物品的被害だけでなく‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
精神的損害も認められ、教団は損害賠償を求められています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
また、教祖である文鮮明氏には、韓国で「混淫」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
による社会秩序混乱の容疑で韓国の保安所に三ケ月‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
の収容、韓国で実業家の人妻との「強制結婚」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
で懲役刑の実刑、アメリカで脱税により懲役1年6ヶ月の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
実刑判決を受け服役という経歴があるという情報です。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ですが、現役信者たちにとってこれらの活動は‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
この世界に彼らの考える理想世界を実現するための‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
必要で有意義な任務だと考えていますし、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
教祖文鮮明氏は、聖書が予言した再臨のキリストであると‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
信じ、崇めています。社会的に取りざたされている‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
教団や教祖の問題は、神によって選ばれた教団の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
活動を理解できず反対し迫害する者たちのでっちあげの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
情報によるものであると考えています。
ここでいくつかの質問をしたいと思います。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
こういった情報を知った上で今、あなたは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
統一協会に入ってみたいと思いますか?‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、もしあなたの家族や友人が統一協会で‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
信仰を持ち、活動しているとしたら、あなたはその人の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
選択に対して容認してあげますか?それとも、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
止めさせたいと思い、説得したり策を講じますか?‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
そして、もし、G○Aに伝道される以前に、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
こういった情報を知った上で統一協会から
勧誘を受けたのであれば、
その当時のあなたはどうしますか?
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
もしかすると、私たちはG○Aのメンバーではなく、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
統一協会のメンバーになっていたかもしれません。な‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ぜなら、統一協会は日本の多くの大学に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「原理研究会(CARP)」と呼ばれる学生メンバーの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
組織があり、彼らは統一協会や宗教団体であるという‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
正体を明かさずに伝道活動しているからです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私が通う大学でも彼らが伝道しているのをよく‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
見かけますが、彼らはインターカレッジサークルの雑誌
のためのアンケートと称して、学生に声をかけるそうです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
スポーツやイベントを通してより豊かな人間関‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
係を築き、また、ボランティアとして社会的な知識や‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
教養をレクチャーしているなどと謳うこのサークルに、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
勧誘対象者の学生が興味関心を示すと、サークルボックスへ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
遊びに来るように誘われます。実は、勧誘‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
対象者が案内されるのはサークルボックスではなく、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
「ビデオセンター」と呼ばれる統一協会の施設です。
ここで勧誘対象者は大いに歓待を受けます。統一協会の
メンバーたちは明るく闊達で礼儀正しく人たち
が多いそうです。メンバーたちとの楽しい会話や食事や
ゲームなどの遊びとともに、講義を受けます。こ
れは「原理講論」の序論です。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
そして、勧誘対象者はできる限り頻繁にこの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
サークルボックスに訪問するように求められ、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、「2days」と呼ばれる2日間の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
合宿研修の参加を強く勧められます。週末に行わ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
れる「2days」の合宿では、集団行動の中で、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
レクリエーションや食事をスタッフメンバーたちとともにし、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
原理講論の講義をさらに学びます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
「2days」の後には「6days」の合宿があり、
その後には「新人研修会」が待っています。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「6days」では、統一協会と教祖文鮮明氏の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
存在を知らされ、「2days」の内容に加えて、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
復活論や再臨論といった核心の講義を受け、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
文鮮明氏がメシヤになるまでの路程を学び、祈祷・‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
聖書拝読・原理講論拝読・水行・断食など「蕩減条件」を、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
信仰を高めるために行なます。「新人研修会」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
では、マイクロ隊としての活動が始まるそうです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
その後は寮での信者たちとの共同生活を求められ、
統一協会信者としての生活が始まります。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私たちが統一協会についての情報をあまり持たず、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
声をかけられたその人と紹介するサークルやその‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
仲間たちに良い印象を抱き、聖書を学ぶことに興味がある、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
または抵抗がなかったのなら、私たちは統一協会の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
メンバーになっていたかもしれません。また、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
もしかすると、あなたを統一協会へと導いたのは、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
突然声をかけてきた見知らぬ人ではなく、
あなたの家族や友人や知人かもしれません。
あなたは統一協会について何も知らずとも、
統一協会を選ばずにG○Aを選んでいたでしょうか?
今度はあなたが仮に統一協会のメンバーだったとして
考えてみてください。あなたはこんな情報を耳にします。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「G○A」という名前の日本発のキリスト教系異端の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
新興宗教がある。教祖は日本人の高○信次という男性で、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
彼は3年間、統一協会で講師として活動し、その直後の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
1965年から統一協会を離れ布教活動を始め、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
1969年に「G○A(神○会)」を創設している。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「バイブルスタディー(30講論)」と呼ばれるその教義‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
の内容は統一協会の「原理講論」に非常によく類似しており、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
合同結婚式も行なわれている。信者たちは彼を再臨の
仏陀であると信じ、自分たちが神に選ばれ新時代を
築くのだと考えている。
373神も仏も名無しさん:2008/12/18(木) 19:17:28 ID:xUcBEF5z
是と非は人それぞれの問題だーな。 お前だけやめればいいのでねぇかい?
他人にまで強要するな! 
374神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 09:46:59 ID:E7sc3uGt
>>372
二人に共通した噂
「○○の苦労話を聞いたら普通の人は失神するであろう」
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
教祖は裁判を起こされ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
海外逃亡中だと言われる。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
日本全国の主要な大学に信者おり、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
正体を明かさず、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
サークルを通じて伝道活動している。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
こういった情報を聞いて、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
統一協会のメンバーである‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
あなたはG○Aに対してどう
思うでしょうか?
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
先ほど統一協会についてしたいくつかの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
質問について、G○Aに置き換えて‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
問い直してみてください。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
統一協会に伝道される前に、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aに勧誘されたら‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aに入っていたと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
考えるでしょうか?‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
このことについてはしっかりと
考える必要があると思います。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aと統一協会は別の団体です。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
しかし、ふたつはよく似ています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
どちらにも自らが再臨のキリスト‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
だと主張する教祖がいます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
当然、彼らはそれぞれ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
自分の教えが正しいことを主張し、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
他の自称メシヤは偽者であると言います。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
それぞれの信者の大半は
熱心に教義を信じ、やりがいを
感じながら活動しています。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、両方とも正体を明かさずに‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
伝道活動をしています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
そして偶然ではなく、自分たちは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
神によって選ばれてこの集団で‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
信仰を持ったと考えています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
私たちは、統一協会ではなくて‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aに入れてよかったと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
思えるでしょうか?
統一協会の信者はG○Aではなく
統一協会でよかったと
考えているかもしれません。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
彼らはG○Aの価値を何も‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
知らない愚か者でしょうか?‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
自称再臨主や自称救世主が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
いるのは、決してG○Aと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
統一協会だけではありません。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
世界にはそういった人が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
簡単には数え切れぬほどいるのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
彼らもまたそれぞれに自分が本物で、
他は偽者だと主張しますし、
彼らの教えに従えば確かに
彼らが救世主になるのです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、宗教団体としての正体を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
明かさずに信者勧誘活動をしている‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
団体も多くあるでしょう。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
もしかすると、私たちは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aでも統一協会でもなく、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
全く見知らぬ宗教団体に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
入っていたかもしれないのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
20世紀以降、日本でも新興宗教、
新新宗教と呼ばれる宗教団体が
実にたくさん生まれ、また
海外からたくさんやってきました。
今は第3次宗教ブームと呼ばれる程です。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
近年では宗教という形ではなく、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「自己啓発」を謳ったカルト団体もあります。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
日本にあるそういった団体のうち、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
どれだけのものを私たちは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
認識しているでしょうか。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私たちはたまたま「G○A」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
というところだったのではないでしょうか?‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
だからこそ、G○Aについて、
またG○Aの外の世界についてよく知り、
考える必要があるのです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
なぜ、統一協会を引き合いに出したのかというと、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
人間が自分のアイデンティティーを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
傷つけることは困難なことだからです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
生物はみな、その生命存在を維持しようと‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
最大限の努力をします。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
ですから、自分の存在や生命を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
害するような事物を、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
意識・無意識関わらず避けて防ごうとします。
脳を発達させて高度な知能を持つようになった
人間においては、精神活動においても同じです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
それは、自我、アイデンティティー‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
(自分が自分であること)と‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
呼ばれるものについてです。自分の存在、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
またそれを構成する価値観、世界観、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
信仰観、行動規範、所属集団などを否定する‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
・されることは誰にとっても‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
大きな苦痛と抵抗をもたらします。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aのメンバーが自我を強く
構成するG○A自体に対して、直接自らその
正当性を問い直すというのはとても難しいことです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
G○Aのメンバーが外部からの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aの実態や「先生」のスキャンダルの情報を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
聞くと、それらの情報は偽りや迫害だと言って、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
自分のアイデンティティーが攻撃されるのを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
回避しようとして耳をかさないのは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
当然のことです。でも、それでは冷静に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
客観的に現実に向き合うことができなくなります。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
しかし、他者に対しては冷静に判断し、否定する
こともできます。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
自分のアイデンティティーは傷つかないからです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
統一協会はG○Aから見て他者です。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
他者ですが、「自分とよく似た他者」です。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
この「自分とよく似た他者」の問題を考えることで、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
自分について冷静に判断できます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aのメンバーにしてみると、統一協会はダメで‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aはオーケーと思いたいところですが、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
それはあまりにも合理性がありません。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
よく似た他者である統一協会を知ることで、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○A自身の在り方にまっすぐに向き合う‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
勇気と必要性を知ることができるでしょう。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
そして、先にした「あなたの家族や友人が‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
統一協会に入っていたらどうするか?」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
という質問に対して、止めさせるために‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
説得などの策を講じるとあなたが‌‌‌‌
考えるのであれば、あなたの家族や
友人があなたがG○Aに入っていることを
知ったときに、あなたに対してどのように思い、
あなたのためにどのように行動するのかを
あなたは冷静に理解することができるでしょう。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
●無知の知と唯一絶対価値観 :‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
 ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
私がG○Aを離れてから学んだことうちの大きな‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
一つは「無知の知」についてです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
無知の知とは「自分が、世界の全てをは知りえない‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
存在であることを知ること」と言えばよいでしょうか。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
つまり自らの無知に気がつくことです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
哲学(philosophy:愛知)
の第一歩は無知の知だとも言われます。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
知恵を愛することにおいて、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
「自分は知っているんだ」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
という固定観念はそれ以上の発展を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
妨げるからでしょうか。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
「無知」についてはG○Aでも‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
バイブルスタディーの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
「無知の中の相克世界」の講義で学びます。‌‌‌‌‌ 
旧約聖書の登場人物、南ユダの王ヨシアは、
北の強国カルケミシを討ちに来た
大国エジプトの王ネコの真意(ひいては神の御心)
を悟ることができなくて、戦に挑み無残にも
戦死したと解釈します。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
このエピソードより、無知であることは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
死をもたらすことで、無知を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
なくさなければならないと教えます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
もちろんこれは、無知をなくすためには、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
神理であるG○Aの教義‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
バイブルスタディーをしっかり‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
学ばなければならないということの主張です。‌‌‌‌‌‌‌‌
確かに私はG○Aに入ることで、
それまでは否定していた神という
存在について知り、信仰のもつ豊かな
力について知り、自分が以前は
無知であったことについても知りました。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
しかし、G○Aを離れてなお自分が無知‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
であったことに気づかされたのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
G○Aの外の世界にも実にたくさんの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
宗教や思想や価値観が存在することを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
あらためて知らされ、それらの一つ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
ひとつについてよくは知らないことを‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
知りました。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また自分が所属していたG○Aのことでさえ、
多くのことを知らなかったことを知りました。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
自分はなお無知であったと知ったのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
G○Aの外、この世界には幾千もの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
宗教が存在しています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
キリスト教や仏教といった四大宗教と‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
呼ばれるものをはじめ、近代以降に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
生まれてきた新興宗教、さらに新しい‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
新新宗教と呼ばれるものなど本当‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
にたくさんあります。‌  
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
その特徴もさまざまで、キリスト教や‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
イスラム教のように絶対唯一神をもつ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
一神教のもの、仏教やヒンズー教や神道のように‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
八百万の神がいる多神教のもの、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
あらゆる事物に霊魂が宿ると考える‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
アニミズムなどなど。また、世界中に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
その信仰者がいる世界宗教に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
分類されるものや、ある特定の部族・
民族が信仰している土着宗教など、
形態も活動も教義の内容も本当に多様です。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
宗教だけでなく思想や主義主張を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
含めた価値観という枠組みまで‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
広げるとその数はもう無数と言えます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
無神論、科学至上主義、唯物論、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
国家主義、民族主義、アナーキズム、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
個人自由主義、民主主義、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
社会主義、共産主義、自由経済主義、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
学歴主義、恋愛主義などなど。 
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
社会に対して過激なも‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
のから穏健なもの、影響力の大きいものから‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
小さいものまでいろいろです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
では、どの宗教・思想・主義主張がもっとも‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
素晴らしい価値観なのでしょうか?‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
これは、なんとなく馬鹿げた質問に聞こえます。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
それは、この世界には「絶対なもの」‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
はないからではないでしょうか。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
宗教について考えると、一神教は‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
それぞれの絶対唯一神による‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
世界の主観を伝え、多神教や‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
他の神仏の存在を人間が生みだした‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
偶像崇拝であると捉えることが‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
多いようですが、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
絶対唯一なる神という存在を‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
仮定すること無くしては、
この話は成り立ちません。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
また、一方で、無神論者は‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
科学的合理性を見ないという‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
理由で、神仏の存在を否定しますが、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
現在の科学にも未知なる部分は‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
非常に多くあり、既存の科学の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
絶対性を仮定すること無しには、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
神仏の存在を完全に否定することは‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
できないのです。‌‌ 
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ある宗教や思想が、まず自分たち‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
の考えを構成している考えや‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
事柄を仮定すること無しには、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
自分たちの絶対的正当性を表し、‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
他の宗教や思想を否定し‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
排他することはできないのです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
あらゆる宗教や思想はまず‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
自分たちの考えが正しいということを
前提にして成り立っているのです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ある人が他者の価値観を否定‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
できたとしても、同様の方法でその‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
人の価値観も否定され得るという‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ことです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
究極的な話をすると、私たちが知覚‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
しているこの現実でさえ、実際には‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
現実はでない可能性があると主張する‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
理論さえもあります。
それは「桶の中の脳」理論と呼ばれるものです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
私たちの脳みそは、本当は、とある‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
科学研究所にある装置の中の溶液に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
浸かっていて、スーパーコンピュータから‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
伸びるコードに接続されています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
私たちが現実だと知覚しているこの‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
世界は、実はそのコンピュータから‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
送られる電気信号を脳細胞が読み‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
取って反応している、脳の中で
作り出されたバーチャルワールド
であるという状況(またはこれと同質の状況)
かもしれないということです。
‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
ちなみにこの状況を完全に‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
否定する証拠や論理はまだ‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
見つかっていないそうです。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
この桶の中の脳理論は映画‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
「マトリックス」の世界観の‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌ 
もととなっていると言われています。‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌
私たちは現実が絶対であることすら‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌‌  
完全に肯定しえないのです(だからと
いって、実生活になんら影響はないのだが)。