Eさんにしても同じなんだよ。結果的に謙虚さ、謙虚さって言っていつも彼は謙虚だったかもしれない、
生きてきたことのほうが大多数であったけれどね。最後彼がつかんだものの中において、けっして彼は
謙虚になれないものがあった。それは自分が宗教界でやってきたっていう実績に対する自負心もあったし、
それで認められたいというものもある。女性のこともあるけれども、でもそういう意味でやっぱり、
自分に対する別な意味での彼の中にある、蓄えてしまったプライド、そういうものがやはり、彼自体が
気づかないところで、もう六合目、七合目になってきて、あぶり出されてきてしまったということ。
ここでほんとの意味で、謙虚に無心なる思いで、神様におつかえをしよう、この仕事をしよう―――。
いいじゃないですか渉外部長、りっぱなもんだとわたしは思うけれども。社長になりたかったんだよね、
彼は結果的に。違うかなぁ。社長になりたかったんだよ。自動車会社の時にはね、自動車屋の時には社長
だったからね。宗教界にきて就職して、また彼は社長になりたかった。「渉外部長程度でこの天下のEが
仕事できるか」、最後、そこ本音でしょ。
神様の仕事にね、渉外部長のほうが下でね、社長が上って感覚はないんですよ。ミカエルとかモーゼとかが、
もう悪霊とバシバシバシバシ最前線で戦ってる。仏陀が法を説いて、イエス様が愛を語ってる。ね、日本神道
の姫君たちが海の中で一生懸命、優美に鯛やヒラメの舞い、踊りを踊ってる。その人たちが何次元に属していようと、
その彼らの中に自分がこういうふうなことをやってるから上だの下だの、そんな感覚はどこにもないんだ。