カトリック教会の典礼を考える 12

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682神も仏も名無しさん
聖書の御言葉は事実と比喩による多重表現であり、
同一の箇所で、事実と比喩が記述されていることを
留意しておくべきです。

例を挙げると、ヨハネ黙示録の内容が、
過去・現在・未来、における三重の時間軸で異なる内容を、
同一の文章によって表現したのは有名な解釈。
つまり、過去から未来へ至る歴代の暴君と危機的状況を表わす。

新約聖書 主イエズス
「私は岩(ペトロという人名は岩を意味する)の上に
教会を建てる。サタンでさえも崩すことは出来ない。」

上記の御言葉は、絶対に崩れない一枚岩の
ローマ・カトリック教会が、神の御加護により
強固であるのを意味する教義だが、
20世紀から21世紀にかけてローマ(ヴァチカン)の地下から
聖ペトロの墓が、実際に発掘されている。

「使徒ペトロの遺骨」発見物語
http://pweb.sophia.ac.jp/s-yamaoka/Rome01.htm

聖書の「兄弟」や「隣人」という解りづらい訳語からくる誤解

「兄弟/隣人」とは、自己以外の他者を意味します。
日本国内においても、「よう!兄弟」などという挨拶もあるでしょう。

御言葉を、字義どおり、語義どおりに受け取る分派はカルトです。
聖書は、慣用句や比喩などの表現も多彩です。>>600
御言葉の読み取り方は、賢明に、慎重に気をつけること。