【大本の出現を証する】大道幸一郎【ヨハネ黙示録】

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534神も仏も名無しさん
>>531
>あなたは「旧約聖書は神=全存在を説いてる」説が合理的な解釈であること
>を示すレス・回答を一切していない。

現代では死語である古代ヘブライ語など学ぶ暇はないから、英訳から解釈する。

「在りて在るもの」の従来の英訳は、"I am that I am"である。"that"は古い
関係代名詞で"that which”の意味。二番目の"am"は、「。。。である」という
意味の不完全自動詞ではなく、「存在する」という完全自動詞。

従って、"I am thatI am"は、「私は、存在するところのもの、即ち、全存在」
の意味になる。「存在」には、一部を示す限定語がないから、「全存在」の意味
となる。古代ヘブライの原語「ハーヤー」も「存在する」の意味である。英和辞典
でYHWHの語源を調べると、単に"Existence(存在)"となっている。

現在の和訳では、「わたしは、ある」などという、意味不明の日本語に変えて
いる。しかし、太郎さんも花子さんも、他のすべての人も「わたしは、ある」
のだから、「わたしは、ある」では、神の定義などにはならない。

また、前記関係代名詞"that"は、人と物の両方を表わすが、現代の英訳では、”I
" I am who I am"などと、いかにも「人格神」であるような表現に変えている。

いずれも、「神は全存在」と解釈するとキリスト教は崩壊することを恐れた、
見え透いた小手先の小細工である。