952 :
857:2008/06/22(日) 02:22:33 ID:ZsLho74n
>>950は857のカキコミです。
852氏、ご容赦を。
953 :
ぶぇぽ:2008/06/22(日) 02:26:36 ID:CZQOL1n6
別に僕は このスレの人を混乱させるために書き込んでいません
ただ、ちょっと酔っ払っているこまった害人なだけです・w・
なので スルーしていただけると幸いです
神は何も知らない
955 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 02:38:37 ID:LkUCylER
全てはエントロピーの彼方へ
956 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 02:47:39 ID:AWnmcrhS
神の顔は?
顔はない
神は植物も動物も人も愛もそして自ら創造したはずの宇宙すら知らない
>946 やはり、そういう結論しかありませんか。
私としては、そこが原始仏教の最大の曖昧な点だと思うのです。
キリスト教、イスラム教、などの唯一神教、あるいは鎌倉以降の仏教
によく見られるような浄土信仰や阿弥陀信仰などのように、死後は
天国、極楽に行くという思想はそれなりに、論理的整合性はあります。
あとは、それを信じるかどうかという信仰のもんだいです。
また、死後は何もない、死で全て終了という意見も十分な説得力をもつ
多数意見でしょう。しかし、原始仏教は魂や霊魂などの不変のものは
ないとしつつ、輪廻はある、解脱しなければ何度も「苦」を味わうこと
になるぞ、という。釈迦も弟子との会話の中で、死者のことについては
知るよすががないと言いながら、輪廻を説く。また、仏教者に尋ねても
「あると思えばある、ないと思えばない」 「それらは、全て妄想だ、
また実はその妄想さへ存在しないのだ」 などと言います。
そして最後は必ず「自分自身で修行して自分で納得する以外にはない」
「言葉では説明できないことだ。知識は邪魔にしかならない」 と言います。
私としては、仏教の「空」「無常」「縁起」「一如」などの思想には
大変魅力を感じるのですが、上述の疑問点がいまだに解決できないでいます。
これらについて、解説している書、あるいは仏教者、何かお知りではありませんか?
>>958 そういう質問を直接仏陀に訴えた人がいましたよ
毒矢の譬えで仏陀に戒められた有名な話です
960 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 03:24:48 ID:c7CsT3Km
>>950大事なレスを見落とすところでした
>>究極、その存在(実は解脱後の自己でも何でもいい)が全てとひとつ、全てそのものである、
>>といってもそれは問題をスライドさせていることに他ならないのではないだろうか?
>>その全てにもやがて終わりは来るのではないだろうか。
神もまた意識のエネルギーであるならば終わりは来ると思います。
絶対無の中に消えていくのかもしれません
>>その終わりをその全ては喜んで受け入れるのだろうか?
>>そこに保全を願う葛藤はないだろうか?
受け入れるとか受け入れないとかの意識は持っていないので
静かに消滅していくと思われます
>>つまり究極的自由とは消滅以外の何者でもない、それはあらゆる存在というものは
>>その存在が存在であるために情報ないしエネルギーを固定しているからに他ならない。
>>この情報ないしエネルギーの固定がある限り真の意味での解決はありえないのではないだろうか?
>>どうだろう?
全く私と同じ意見、立場です。
こういう考えを持っている人にここで会えるとは思いませんでした
962 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 03:41:12 ID:a4hFXHb8
>>958 あなたの疑問はよく分かります。そして私自身もずっと調べ続けています。
納得いくように解説してくれる文献もいまのところ知りません。
中村元先生が土着信仰の混入だというようなことを書いていた記憶があります。
ただ一つ言えることは、原始仏典を見る限り、釈迦自身は、ほとんど問題にして
いなかったんじゃないかと思います。心と身体の無常を観察し、身・口・意を
整えて、落ち着いて生きるという具体的な地に足のついたことを教えていて、
輪廻そのものの話はあまり出てきません。個人の修行の上では、「知らなくていい
こと」です。とはいっても気になるのが人情ですが。
蛇足ですが、浄土信仰について
>浄土信仰や阿弥陀信仰などのように、死後は天国、極楽に行くという思想
浄土信仰の大家の一人である親鸞は、歎異抄だったかと思いますが、大変面白いことを書いていました。
「私が念仏をするのは、法然上人の言葉に馬鹿正直に従っているだけで、他に理由は何も無いのです。
念仏をすれば本当に極楽浄土に行けて救われるのでしょうか、それともそれは嘘で、逆に地獄へ落ちる
のでしょうか。残念ながら私はそのことを全く知らないのです。他に救われる可能性もない身です。法然
上人の教えがたとえ嘘で、騙されて地獄へ落ちたとしても、私は後悔しません」
細部は違うかも知れませんが、このような内容です。
決して親鸞は「念仏をすれば極楽へ行けるから」念仏をしたわけではないのです。
親鸞もよく誤解されているお坊さんだと思いますが、実は大乗仏教でも、よく学び、
心あるお坊さんというのは、釈迦の「無記」、知らないことは知らないと正直に言う精神を
もっています。とても立派で私も尊敬する態度です。
後世の人たちは親鸞の真意を分からず、神秘的なことばかり追い求めるのですが・・・
>>960 仏陀は「宇宙は有限であるかはたまた無限であるか」また
「人は死後も存在するか否か」という質問者の心にの中に
生き続けたいという自我への執着、欲望を見抜いていたのではないでしょうか?
そしてそれを解決するにはまず私の教えに従いなさいと説いたのだと思います
964 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 04:05:00 ID:a4hFXHb8
>>962つづき
しかもこの話は、親鸞が信徒さんたちへ向けてした説法の一部です。
現代のお坊さんや教祖で、「念仏すれば極楽浄土へ行けるのか行けないのか、実は私は知りません」
と言える人がどれほどいるでしょうか。
この辺が「ホンモノ」を見極めるポイントかとも思いますが、
「なんだ、頼りないなあ」と言って去ってく人が多そうですねw
そして「私は神だ」系の新興宗教が繁盛すると・・・w
959さん 960さんありがとうございます
>>962 確かに親鸞と唯円の会話は親鸞の人となりがよくでていて
好感がもてますね。「極楽に行くのは全然楽しみではない。」と言ってるのには
わらえましたが。
私が今まで読んだものは原始仏教系では「中村元」「宮元啓一」
「並川孝儀」「スマナサーラ」の著作、ダンマ、スッタニなど
、あとは唯識系の本です。何かいいのありますかね?これは、お勧めというのが
あれば お聞きしたいのですが。
966 :
867:2008/06/22(日) 04:13:34 ID:ZsLho74n
>>961 しかしここで見落とされる事実は究極的宇宙の消滅はその宇宙自身が決めることである、
ということでしょうね。
あたかも眠くなって寝るように。
でなければ究極的宇宙ではないことになる。
何故かといいますとその消滅を宇宙が厭う、となるとその法則に遵守せしめる宇宙以外の何者かが存在していることになり、
究極的という位相が否定される。
で、それが相対的宇宙だとしてもその宇宙以外の存在があり、その存在もまた他の存在をいただくに疑いないものであり、
これは無限に展開し、あたかも魚を食った人間がその魚から弾劾されることが誤謬であるような結果になります。
何故このようなことを言い出したかといいますと、私は自我自体が厭うべく、破壊されなければならないものである、
という観念への挑戦を試みているのです。
自我が諸悪の根源であり苦悩の根源であるなら、情報およびエネルギー固定としてのこの宇宙自体もこれから外れはしないだろう。
無限展開で誤謬となればわれわれの自我自体にもまた罪はない。
あるのはツールをうまく使えてないわれわれがいるだけだ、という結論を持っています。
967 :
857:2008/06/22(日) 04:14:51 ID:ZsLho74n
>>966は857です。
また間違った・・もう寝ますノシ
968 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 04:20:29 ID:a4hFXHb8
>>965 > 「極楽に行くのは全然楽しみではない。」と言ってるのには
> わらえましたが。
それくらいの距離感の取り方ってカッコいいですねw
>これは、お勧めというのが
> あれば お聞きしたいのですが。
読書傾向が大体同じですw
最近面白かったのは、
「 ブータン仏教から見た日本仏教」(今枝 由郎)
読みたいがまだ読んでないのは、
「男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人」佐々井秀嶺
仏教の廃れたインドで復興運動を展開している日本人僧侶だそうです。(噂では、仏教人口一億人をとっぱしたとかしないとか・・)
表紙が笑えますよ。
あと、慈悲は仏教の理論からどのように導かれるか(あるいは導かれないか)を論じていて本をみかけたのですが、
面白いテーマだなと思ったものの、失念してしまいました・・・
>>966 本当にこんなに面白い話のできる人にここで会えるとは思いませんでした
私も眠いのでもう寝ます。またゆっくりとお話しましょう
970 :
857:2008/06/22(日) 04:30:39 ID:ZsLho74n
>>969 お休み前にひとこと。
究極的(絶対的)な宇宙においては不安も恐怖もありはしない、
なぜなら不安や恐怖といった存在は他者を必要とするものであり、
それ自体、絶対的な存在にあっては起こり得ない。
この見かけの彼我相対世界においては恐怖や不安を感じるオプション(笑)があるが
それでも全体はいまだ一のままであり
(宇宙は拡張しているだけであり分裂しているわけではない、且つ個に於いても全体の絶対性が反映される)、
このオプションこそ実は幻であると。
おやすみなさい。
>>968 >「男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人」佐々井秀嶺
この人はどこかの記事で読んで記憶に残っています。すごい人がいるもんだ
と驚きました。 今枝 由郎は名前だけは聞いたことがありますが
まだ著作は読んでいません。今度読んでみます。ありがとうございました。
それでは、また
972 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 05:58:07 ID:c7CsT3Km
>>965 スマナサーラ長老が「死後はどうなるの?」という著書をだしています。
アマゾンのレビューの中に「仏教研究者や僧侶の間でも日本においては意見がバラバラに分かれる輪廻説(輪廻転生)の問題について、パーリ聖典に基づいて分かりやすく解説した本です。」
という一節がありましたので、ちゃんと経典に根拠があるのかもしれません。
>>964 しんらんは悟ってないから当然だ。
あんたの理屈じゃ悟ってない正直者こそ素晴らしいって話になる。
自分の理解の外には目を向けない、あなたには理解こそが大事で理解を手放せない。
満足するまで理解を求めると良いよ。
974 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 06:54:27 ID:a4hFXHb8
>>973 「親鸞が悟っていない」というような重大なことがどうして何の証拠もなく
平気に言えるのでしょうか?
あなた自身が悟っていて、その悟った智慧でもって親鸞が悟っていないことを知ったのですか?
975 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:14:15 ID:a4hFXHb8
まあ自分が悟ったと自称する嘘つきより、悟ってない正直者の方が何万倍もすばらしいのは確かですが。
>>924 火葬にすると、ほんとに失ってしまうので、
あなたが死んだら、土に埋めてもらって、墓石の代わりにチューリップや夏野菜でも植えたらいい。
978 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:27:15 ID:nd4FT1+G
・原始仏典と無記と輪廻転生の関係は対機説法に起源を求める考え
・在家と出家者と王族にまるで違う教えを説く釈迦
・後世の弟子による記述の書き換え(地震が起こったとか/神格化)
・あきらかに釈迦が経典で説く自分の過去世の話が紙芝居嘘風であること。
・知りえないことに対する釈迦のそれを逆手に取ったお伽作戦
とか多説あります
仏典で仏陀の語る仏陀の過去世などは地名とかベナレスとかインド近所
ばっかりでその辺考えてみても「喩え話」と受け取るのが妥当かと。
979 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:30:47 ID:nd4FT1+G
仏陀が過去世を弟子に語る時に
「私が生前ジパングという国で土器をつくっていた時のこと」
などという記述は絶対に出てこない。
980 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:36:13 ID:nd4FT1+G
強盗が来たときに「強盗が来た!助けてくれ!」と絶叫するより
「火事だ!誰か!」と絶叫した方が近所の援護がきやすい、
方便作戦説だった説もあり。
よい子の前では「私の前世は実はトトロだったのだよ」というのが実際にあったかもしれない。
982 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:40:14 ID:a4hFXHb8
>>979 基本的に同意ですが、
あえて反論してみると、
過去世というのは、今の地球上の過去ではなく、今の宇宙よりもずっと前の宇宙(何億年の何億倍前とか?
なんか途方もない数字が出てくる)での話しらしい。
だから日本の話がなくても不思議は無い。
また、「仏陀の過去世などは地名とかベナレスとかインド近所」なのは、その地域の人に向けて語っているので、
彼らに分かるように(知らない地名を言ってもしかたない)語っているだけ。
こう考えればまあつじつまは合いますね。
旧約聖書になぜ一部地域しか出てこないか、という話に似てますね。
983 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:51:20 ID:nd4FT1+G
>>982 >何億年の何億倍前とか? なんか途方もない数字が出てくる
辺りは「知りえないことに対する釈迦のそれを逆手に取ったお伽作戦」説
で考えています。
同様の理由で釈迦の?何億年の何億倍後に弥勒菩薩が全生類を救いに
地上に転生して来る論(帰って来たウルトラマン説)も
「それはつまりそういう人は現れないから君たちが自分で努めはげんで
精進して苦しみの激流を越えるんだよ」と受け取ることもできる。
984 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:53:20 ID:a4hFXHb8
985 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 07:56:16 ID:nd4FT1+G
同様の理由で釈迦のコーカリヤ(人を恨み続ける人)が
死後何億年の何億倍時間とんでもない地獄に赴く論も
「xxしたらあんた死ぬわよ」的方便とも受け取れます。
この辺りを文字通りに受け取るとAUM理論の世界が展開されます。
「私の前世はアンドロメダの中心からちょっと外れた、焼き鳥のような形の星の庶民で、
そこで、「ニチャ〜ン」というチャネルを介して大勢の生物と会話をしていたのだよ」
>>975 いや、うん。好きにするといいよ。
せいぜい悟った証拠・悟ってない証拠の理解に時間を費やしておくれ。
>>970 おいおい、次スレたてずに寝ちまいましたよ。。
989 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:05:21 ID:nd4FT1+G
旧約聖書もあれを比喩やたとえ話、原理論として捉えなければ
「アララト山にノア船の残骸の映像が・・・」方向の話に走ってしまい
ムー系になってしまい、人間の苦しみの意識を天国に、という本来の
話と真逆の書になってしまう。
990 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:06:41 ID:a4hFXHb8
>>985 釈迦の教えの骨子からぶれずにいれば、まあ大体すっきり理解できるんですよね。
これは逸話、物語だな、それを通してこういうことを伝えたいんだな、ということが
はっきりと見えてきますね。
1000年語の日本人は今の日本の文献を読んで「馬の耳に念仏」という言葉を見たとき、
「千年前の馬は人語を解したのだ」と主張するかもしれません。
新興宗教のお粗末な経典の読解や理論はその程度のものです。
991 :
オカルてすと:2008/06/22(日) 08:13:35 ID:JT3dGKZf
>>978 > ・在家と出家者と王族にまるで違う教えを説く釈迦
キリストもパンピーと弟子では教える内容がまるで違っていたから
弟子がそれについて尋ねている様が聖書に記されていますね。
>>982 > 過去世というのは、今の地球上の過去ではなく、今の宇宙よりもずっと前の宇宙
> (何億年の何億倍前とか?なんか途方もない数字が出てくる)での話しらしい。
お話にならないんだけど、それは何処からの情報ですか?
992 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:14:57 ID:nd4FT1+G
>>990 そういう全く同様の認識で旧約聖書を読むと
かなり仏教と似たような「人間を苦しみから救う教え」として読めます。
キリスト教にもxx学派とかがあってそういう風に読む派もあります。
993 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:23:05 ID:nd4FT1+G
>>991 >>991 >何億年の何億倍前?→(xx劫論)
系の話はスッタニパータにけっこうでてきます。
1例、スッタニパータ「コーカーリヤ」参照。
> 過去世というのは、今の地球上の過去ではなく、今の宇宙よりもずっと前の宇宙
これもたしか原始経典の何処かで宇宙がxx劫年ごとに今までxx回
消滅しては生まれいるみたいな話を釈迦がしていたような気がする。
(あくまでうろ覚え。もしかしたら記憶違いかもしれない。)
994 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:28:20 ID:nd4FT1+G
>>991 私もウシャニパッドやらヴェーダやらスートラも読んでいるので
記憶がゴッチャになっているかもしれないので
間違っていたらごめん。
あと多くは原理的に読んでいるので細かい枝葉的部位や
出典についてはかなり私の記憶は怪しいので
その辺はオカルてすとさんの方が詳しく、記憶が正しいと思います。
995 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:34:07 ID:nd4FT1+G
私がバルドやアストラル等の用語に弱いのは
チベット仏教書だけは全く読んでいない、からかもしれない。
だから麻原やダンデス・ダイジなどの(アストラル体/コーザル体)
のでてくる話も私にはかなりわかりにくい。
チベット仏教書を読めばわかるのかなあ。
996 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:41:49 ID:nd4FT1+G
>>990 >1000年語の日本人は今の日本の文献を読んで「馬の耳に念仏」という言葉を見たとき、
>「千年前の馬は人語を解したのだ」と主張するかもしれません。
だからそれがノアの箱舟の破片の実在系方向で聖書を読む人と
たとえ話、原理本、心の本として聖書を読む人の違いかと。
それでAUM理論は(多分)「千年前の馬は人語を解したのだ」方向、
即ち、ムーの方向、ノアの箱舟の破片の実在系方向、空中浮揚、
で展開されたのかもしれないと。
(信者の中にはそうでない方向で修行していた人もいたかもしれないけど)
997 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:43:00 ID:a4hFXHb8
>>991 >>993 変わりにありがとうございます。
法華経など大乗経典にはいくらでもある話ですね。
例えば、妙法蓮華経如来寿量品
「我 実に成仏してより已来このかた
無量無辺百千万億那由他劫」
無量無辺百千万億那由他劫とは一体どれくらいでしょうか?
無量は10の68乗
百千万は
億那由は10の60乗
1劫 = 43億2000万年だそうです
無辺は分かりませんでしたが、とにかくこれを全部掛け合わせた数です。
>お話にならない
というご指摘が「何億の何億倍程度ではない」という揚げ足取りなら、おっしゃる通りです。
998 :
オカルてすと:2008/06/22(日) 08:45:03 ID:JT3dGKZf
>>993-994 あぁ、空海が56億7千年後に再臨するとか、そういうレベルの話ですね。
あれは計算方法によって数千年の説があるはずです。
数千年が正しいです。億単位の話は計算ミスでFAで良いですよ。
たぶん話を壮大にした方が夢を見れて心地良いのだと思います。
> その辺はオカルてすとさんの方が詳しく、記憶が正しいと思います。
私の想起力の無さとバトルしますか?w
ひとつオカルト情報を
> 過去世というのは、今の地球上の過去ではなく、今の宇宙よりもずっと前の宇宙
我々の宇宙規模の転生はまだ一回だけです。
断片情報だけでは証拠も論拠もない話ですが、あらゆる真理の知識が論理的に
インテグレートされれば目覚めることになります。
その為に胤を蒔きます。頑張ってください。
999 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:47:02 ID:a4hFXHb8
抜けましたが、百千万は100×1千×1万×1億です
1000 :
神も仏も名無しさん:2008/06/22(日) 08:48:21 ID:nd4FT1+G
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1001 :
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このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。