中世のキリスト教世界では、教会内の異端者はイスラム教徒より厳しく糾弾されたと言われる。蓮如の北陸布教でも、根っからの他宗より、蓮如が「異端」と断じた浄土真宗他派との抗争の方が激烈だった。
そうした「宗教戦争」を経て築かれた真宗王国に今日、蓮如以降、絶えてなかった真宗内の鋭い対立図式が存在する。その中心人物は浄土真宗親鸞会(本部・富山県小杉町)生みの親、高森顕徹会長である。
昭和四年、氷見市の浄土真宗本願寺派(西本願寺)の末寺に生まれた高森会長は龍谷大卒業後、「死線を越えて」と書いた腕章を巻いて辻説法に立ち、本願寺批判を展開した。自ら親鸞会を結成し、本願寺派僧籍離脱に至る行動の第一歩だった。