>>819さん
レスありがとうございます。
私の言いたかったのは、特に最後の二行です。
酷な言い方をすれば、外なる堕落は、内なる腐敗と軌を一にすると思うゆえです。
つまり、組織上の敗北の原因も、教義上の欠陥によると考えます。
天理教は、何もかもが古過ぎるのです。組織形態だけでなく、信仰形態そのものが。
それは天保の時代、又は、せいぜい大正から戦前にかけての思想だと思います。
御神楽歌、おてふり、おさづけ、真っ黒の法被、よろづの神、甘露台・・・
・・・どれ一つとってもアナクロ的で、不気味です。
天理教は、自然の気まぐれが生み、何かの間違いで現代に生き残った「草食竜」のようです。
所詮は、この激動の現代に生きることは難しいでしょう。
もしもその復活があるとすれば、例えば人類滅亡の絶望の渦中ででしょうか。
しかし、天理教の幹部はそれを望むでしょうね。
だから嫌われるんです。世間を救済するふりをして、その実憎む。だから頭が狂う。
彼らだって人間です。嫌われたいはずはない。そう思うと、いたたまれません。