天理教から金銭被害を受けた人達が語るスレ6

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818MOON
天理教の凋落は、もう誰の目にも明らかな事実なんだろうね。
崩壊のみぎわにある建物を、もう修復も改修も行う手立てはない。
残る手段は、より安全な方法による解体だろう。

宗教が宗教たるために、一個のカリスマの存在と、その弟子らによる保守と改革の歴史、
長い時間が必要だと思う。
しかし、天理教にはこのいずれも存在しない。厳密には、中山みきは教祖ではない。
その弟子らもまた弟子ではなく、一夜漬けの信仰だった。又その歴史も、新宗教の域を出ない。

教義それ自体の信憑性はここでは置くとして、その成り立ちの過程には真実がない。
これは、客観的評価の対象となる。この客観論の主観的正当化が、いわば天理のその「歴史」だった。
教えは素晴らしい、と自負する人は多いが、それは客観をさし挟む余地のない問題を評価しているに
過ぎない。

信者の人たちは、そんな空気のような観念に幻滅してるのじゃない。天理教の実際の雰囲気、体質、
その生い立ち、成長の過程に疑問を呈しているんだよ。
ひょっとして、これは悪魔の子かも知れない、こんな自分の直感を否定する材料が皆無なことに、
幻滅している。
遡れば、その矛盾も、天理のDNAによって説明されるだろう。
初めてここで、教義の否定の可能性が出てくる。今は、ここ。